8. 友達とお願いと

「さて、これであなたにもきちんと友人がいるとわかったわね」

「うん」


 お互い気分は落ち着いて、郁弥いくやも普段と変わらないほどにまで雰囲気が明るくなった。素直に頷く姿を見て知宵ちよいは優しい笑みを見せる。


「ふふ、よかったわ。ちゃんと自分の周りを見ることができたのでしょう?」

「あ、あはは。うん、それはそうなんだけど」


 知宵はふわりとした笑みを浮かべながら、歯切れ悪く言葉を濁し目をそらす友人の姿を見て、何かあったかしら?と疑問を持った。


「どうかしたの?」

「いや…ええと、うん。その子供を見るみたいな目をやめてほしいな、と」


 包容力にあふれた友人の笑顔を見て、郁弥は照れて頬を薄く朱に染める。いくら年が近いとはいえ、彼女は年下。先ほどから恥ずかしいところばかり見せている友人に、またしても気恥ずかしさ満載の場面を見せてしまったのだ。彼がそうなっても仕方がないことだろう。


「ふむ…」


 ちらちらとこちらを見ては逸らし、照れながら話す異性につい胸がきゅんとしてしまった。

 日結花の言っていた気持ちの一端を感じながらも、冷静に友人への対処がまた面白くなると考えてからかいの言葉を口にする。


「ふふふ、事実子供のようによく泣いていたじゃない。いくら寒くなってきたとはいえ、まだ秋よ?それなのに、寒い寒いと言うから私が羽織っていた薄手のコートもかけてあげたのよ?今でも着ているのにもう忘れた?」

「ご、ごめんね。というか普通に忘れてたよ。やけに落ち着く匂いするとは思ってたけど、そっか。知宵ちゃんの服だったんだね。はは、ありがとう」

「なんっ!?え、ええそうね?私の服よ。どういたしまして」


 ほんの少しからかおうとしたら予想もしていなかった返事が来て顔が熱くなる。なんとか言葉を返せたのは相手がニコニコ嬉しそうに笑っていたため。

 何一つ気にしていない、というより考えていないように見えるのは実際にそうだから。郁弥にとって今のセリフはなんでもない会話の一つであって、あくまで感想を述べたまでのこと。そこに他意はなく、そもそも知宵がどのように受け取ったか気づいてさえいない。

 悲しいかな。知宵には異性に対する経験値がほとんどないのだ。加えて、郁弥は天然の人たらし。暇さえあれば相手がなにがしか意識してしまうようなことをよく言うのである。


「でも、本当にありがとう。僕のこと友達って言ってくれて、ちゃんと他にも繋がりがあるって教えてくれて。正道さんからもう一度日結花ちゃんと話してほしいって言われたのも、知宵ちゃんが電話をかけてくれたからだしさ」

「――はぁ。もういいわよ。さっきからお礼なら何度も言われたわ。感謝されて嫌な気はしないけれど、私はあなた自身に気づかせてあげただけ。日結花から受け取ったものを、日結花と出会ってあなた自身が作り上げたものを、ちゃんとそこにあると教えてあげただけ。それだけだもの。あまりお礼を言われても困るわ」


 どちらも本気で言っているからこそ、同じ話が何度も続く。

 郁弥は自分一人じゃわからなかったことを知ることができた。それは知宵がいたからこそであり、自分一人じゃできなかった。

 知宵は郁弥に周りを見るよう伝えただけ。何か変えてあげたわけでもなく、もともとそこにあったものを教えただけ。確かに自分が必要ではあったが、そこまで大きな役割ではなかった。

 お互いがそう思っているために話は進まず。


「ぷ。ふふふ、くふふ、も、もうっ。これじゃあいつまで経っても話が進まないじゃない」

「あ、あはは!そう、だね。ふふ、じゃあ一つだけ何かお願いをしてもらえる?友人としてじゃない、知宵ちゃんへのお礼としてのお願いだよ。僕にできることならなんでも叶えるから。本当になんでもだよ」

「ふふ、いいわ。なんでも、なんでもね?」

「うん。なんでも」


 "なんでも"という響きに目を輝かせる少女、ではないが女性が一人。彼なら、郁弥なら本気でなんでも叶えようとしてくれるだろうと思い、目を閉じて考える。


(お金…は別にいいわね。やはりお金じゃ買えないものかしら。とすると、彼の愛。なんてないわね。略奪愛なんて面白くもなんともないわ。日結花の両親はむしろ楽しみそうだけれど、そういうのは面倒よ。確かに彼は良い人ね。もし日結花がいなかったら恋をしていたかもしれないわ)

「ふふ」

「ん?決まった?」

「いえ、もう少し待ってもらえる?」

「うん。了解」


 ばかなこと。と考えてくすりと笑う。ほんの少し違うそんな世界を考えてみて、自分の考えに笑ってしまう。

 そもそも日結花がいなかったら今のような友人の関係にさえなっていないのだから、ありえるわけがない。むしろそれだから面白かったのかもと一瞬思うも、すぐに現実へ意識を向ける。


(日結花と同じというのはあれだけれど、私も、恋をしたいわね)


 日結花を見て、郁弥を見て、誰かとあんな優しくて温かい関係になりたいと。そう思った。

 二人を見てきたから、その温かさを知っており、恋をすることの大変さも、難しさも、苦労も。全部を知っている。それでも恋をしたいと、あふれるくらいの気持ちで満たされて愛し愛されたいと、強く思った。

 できれば今の日結花と郁弥のようなすれ違いはない方がいいけれど。そう考えながら目を開く。


「決まったかな」

「ええ」


 リラックスした様子で待っていた郁弥に願いを告げる。


「私に、あなたが認める最高の男性を紹介してもらえる?」

「――そうきたかぁ」


 知宵の願いを聞き、諦めるように一言絞り出した。


「だ、だめかしら?」

「え?あぁいや。そうじゃないよ。ふふ、だめじゃないから安心して」


 心配そうに眉尻を下げる知宵を見て、郁弥はふわりと笑みを浮かべながら答えた。

 そう、だめではないのだ。なんでもと言ったことに偽りはなく、本気で叶えるつもりでいる。知宵の願いも彼にとって問題はなく、叶えないという選択肢はない。ただ。


「ただ、僕が人と深くかかわるところから始めることになるんだよね。なにせ"友人"がいなかったもので」


 からりと笑いながら言う郁弥に、知宵は真面目な顔で頷く。


「ええ、わかっているわ。大丈夫、私もまだ二十五歳だもの。来年までなら全然待つわよ」

「そっか。うん、わかった。少し待っててね」


 嬉しそうに笑う知宵は知らなかった。

 藍崎郁弥がどれほど身内のために尽くせるのかを。そして、どれほど人間関係を重く見ているのかを。

 本当の意味で郁弥を理解できていたのは、日結花ただ一人。知識はあっても実感を得ていない知宵に、郁弥がどれだけ本気で取り組むのかを理解できるはずもなく、それがどう転ぶかはまだわからない。

 ただ、藍崎郁弥は誰にでも優しく、それだけ人にも好かれているということは事実である。例え薄くとも、積み上げたものは変わらない。

 知宵の人生に変化が訪れるまで幾日か。それはもしかしたら、かれ彼女かのじょが思っているよりもかなり早いものになる――かもしれない。

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