7. 青春劇場
『はい、
「こんにちは、
『おお、知宵ちゃんか。…うん?知宵ちゃん、この番号、郁弥君のだった気がするんだけど』
「あ。こんにちは。
『おおお、そうか。郁弥君もいたか。よかったよかった。番号の登録を間違えたかと思ってしまったよ、ははは』
朗らかな笑い声が二人の耳に届く。
どうでもいいことだが、声だけ聞いているとただの気の良いおじさんね、などと知宵は考えていた。もちろん、電話先の相手が著名な作家であることを知ったうえである。
『にしても、郁弥君と知宵ちゃんの組み合わせというのは珍しいね。二人が住んでいるところは近いというのは知っていたけど、初めてじゃないかい?
「はい。日結花はいません。実はそのことでお話が」
『ふむ、真面目な話かな?』
「そうです。続きは郁弥さんからになりますので。さあ、話していいわよ」
「え?」
「ん」
『…うん?』
知宵は郁弥の瞳を見つめ、郁弥は知宵の瞳を見つめ、電話先の正道は二人の様子に疑問符を浮かべる。
見つめ合う二人の認識に
「早く話しなさい?」
「え、う、うん」
さも当然の如く言う知宵に、郁弥は釈然としないものを抱えながらも頷く。
「ええと、実は、日結花ちゃんに振られまして」
『…ふむ……』
「それでちょっと沈んでいたんですが、僕と日結花ちゃんとの縁が完全になくなったとしても、正道さんは僕の、僕の先達でいてくれますか?」
その言葉を側で聞いていた知宵は首を傾げた。
"
『あぁ、いや、それはもちろんだけど……先達とはなんだい?』
なんとか思考を戻して、問いかけたことは"先達"という単語について。それを聞いて知宵は、良い判断ですね、気になっていたのよ。などと完全に他人事な気分でいたのだが、それは他の二人が知るはずもない。
郁弥は問われたことに恥ずかしさを織り交ぜて返事をする。
「実はその、正道さんとの関係をどう呼べばいいのかわからなくてですね。友人というには少し年齢も離れていますし、話してきたことも日結花ちゃんのことばかりですから。上手く当てはまる言葉が見つからなくて、僕よりも人生の先輩になるならと…」
『なるほど。それで先達、か』
(へー、そうだったの)
ついはっきりと頭で考えてしまうほどには知宵も頷いて反応を示す。
郁弥が言っている通り、彼と正道との関係は難しいものがある。郁弥から見て(元)恋人の父親で、会話は基本的に日結花のことばかり。自分のことは生まれから今日まで日結花との話を聞かれたために知られてしまっているが、自身は相手のことをそこまで知っているわけでもない。
ただ、忘れていることが一つ。
『先達というのはある意味違ってはいないけど、でも、僕は君のことを友人だと思っているよ』
「え…」
『確かに君との会話は日結花の話題が多かっただろう。むしろそれがメインではあったし、君を振るなんてことはあの子に限ってあるはずないんだが…いやまあそれはいい。そうではなくて、郁弥君。僕はね、君の書く感想が好きなんだよ』
「感想というと、正道さんが渡してくださった本のことですか?」
二人の会話を聞いて、静かにレモンティーを飲む知宵はぱちぱちと目を瞬かせた。まさか本の受け渡しをしていて、しかも感想まで書いていたとは思ってもみなかった繋がり。顔を驚き一色に染めて、それからすぐやんわりと微笑んだ。
(なによ。あるじゃないの、ちゃんと繋がり)
優しい目で郁弥を見つめ、最近見せることも多くなった柔らかな笑みを浮かべる。
『うん。そうだね。色々と君から感想をもらってそれぞれ読んでみて、どれも郁弥君らしい感じ方で書いてくれていて面白かったよ。最初は日結花の、娘の恋人としてだったけど、日結花から話を聞いて会って話して、今はちゃんと郁弥君個人を友人として思えるようになっているんだ。なんというのかな、ふふ、読み友とでも言おうかい?』
「そう、ですか。ふふ、正道さん。ありがとうございます」
正道の真っすぐな言葉を、最後に冗談まじりで伝えてきた言葉を聞いて、ふっと花開くように優しい笑みを見せる。
郁弥がわかっていなかったことを、理解できていなかった繋がりを、ごく簡単に言葉で伝えてくれた正道に大きな感謝を込めてお礼を言う。
『うんうん。今後とも"友人"としてよろしく頼むよ』
「はいっ!"友人"として、よろしくお願いしますっ」
自分の伝えたことをわかっているのかいないのか、正道はあえて"友人"を強調していた。郁弥にはそれがどちらなのかわからなかったが、それでもしっかりとした繋がりがあって、例え日結花という一点がないとしてもこの関係が消えるわけじゃないということを教えてもらえた、それだけで胸の内からこみ上げてくるものがあった。
藍崎郁弥が咲澄日結花からもらったものは、こんなにも大きくて、こんなにも自身の心を満たしてくれるものなのだと、改めて日結花に対する感謝の念が大きく膨らんだ。
『聞きたかったことはこれで終わりかい?』
「はい。本当にありがとうございました」
『ふふ、いいんだ。気にしないでくれ。また今度感想でも書いてきてくれればいいからさ』
「はい!」
明るい声を出す郁弥の姿を見て、知宵は引き続き頬を緩めて優しく笑っていた。
すべて自分のおかげとは思わないけれど、それでもこの友人を立ち直らせ、前を向かせることができたのはよかったと、強くそう思う。
まるで弟でもできたみたい、と胸の内でくすりと笑った。
『おっと、あともう一つ」
「はい、なんでしょう?」
『君は日結花に振られたというが、やっぱり僕はあの子が君を振るなんてありえないと思う。あの子にはあの子なりの考えがあったんだと思うよ』
「そう、でしょうか」
『うん。日結花は…結構頑固で馬鹿なところがあるからね。杏に似て一直線で自分勝手でわがままで、それでいてよく失敗して落ち込むんだ。君を振ったことも、何か変なことでも考えたからなんだろう。今頃落ち込んで泣いているかもしれない。君絡みとなると途端に周りが見えなくなるからね』
「日結花ちゃんが泣いている、ですか」
『日結花が振り回しているようで悪かったね。今年…というより、郁弥君と恋人の関係になってからいつも舞い上がっているみたいだったから、いつか何かするかもしれないとは思っていたんだけど。ごめんね』
「い、いえ!そんなことは全然。僕は、日結花ちゃんが嬉しいならそれで十分でしたから」
すべて日結花のことをよく知る父親からの言葉。それは重く、強く郁弥の心に染み渡る。
知宵に言われたことが頭を巡り、日結花も失敗し、落ち込むということが思い浮かんだ。自責の念にばかり意識が行って、日結花自身のことまで考えられていなかったのだ。
それに気づいて、それほどまでに自分の中で咲澄日結花という存在の影響が大きくなっていたのかと苦笑する。
『ふふ、だから日結花は君のことを好きになったんだろうね。日結花が何か君に対して間違ったことをしたのは本当だろう。郁弥君が振られたと言う時点ですごく大きなことだろうし、君の昔話をすべて聞いているから、君がどれだけ目一杯なのかはわかっている。でも、日結花のことを見てやってほしい。あの子は、本当に郁弥君が好きなんだ。これまでの思い出を考えてやってくれないかい。あの子の表情を、あの子の気持ちを、あの子と紡いできた時間を。全部を考えて、それからもう一度、日結花と話してやってくれ。あの子と心から向き合って話してあげてほしいんだ。これは友人としてじゃない、父親として、あの子を見守る立場としてのお願いだよ。どうか日結花を、娘をよろしくお願いします』
正道の言葉には、親としての重みがあった。娘の人生を、娘の心を案じる一人の父親の重み。
確かにそう、お互い本心をさらけ出して話なんてしなかった。少なくとも郁弥はそうだ。自分のせいだと決めつけて、日結花に向き合って話せていない。ならば、それだけは絶対やらなければと思う。
「わかりました。僕は全部自分のせいだと思って彼女と話してきませんでしたから、もう一度、ちゃんと向き合って話してきます。だから、どうか頭を上げてください。…たぶん下げてますよね?」
『あ、あぁうん。ははは、ありがとう郁弥君。ふふ、ちょうど今下げていたところなんだよ。どうしてわかったんだい?』
「い、いえ。な、なんとなくです」
『そうかそうか。はは、本当に悪いね。よろしく頼むよ』
「はい。任せてください」
まるで青春劇場の一幕でもあるかのようなやり取りを側で聞いて、知宵は恥ずかしそうにレモンティーをおかわりしていた。
さっき私もあんなやり取りしていたのよね、あぁもうっ!と、羞恥で荒れ狂う心を飲み物で誤魔化していた。基本郁弥も知宵も常識人なのだ。素に戻れば自身のセリフが思い返されるわけで、恥ずかしさもひとしおとなる。
顔を赤くして恥ずかしさに耐えていたところ、つい一言漏らしてしまった。
「…すっごい恥ずかしいやり取り」
「『なっ…』」
言われて気づくのが人の性か。それぞれ顔を真っ赤にして羞恥に身悶えすることとなった。
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