6. 吐露
「ごめんね。ありがとう」
「いいわ。気にしないでちょうだい。日結花に対する良い土産話が出来たもの」
まあ、これも聞いているはずなのだけれど。と胸の内でだけ思う。しかしそれを表には一切出さず話を続ける。
「あはは。でも、僕振られちゃったからさ。もう役に立たないと思うよ」
慰められて泣いて、それなりの時間泣き続けることで心の整理も少しはできたのか、最初に見たときよりも圧倒的に顔色がよくなっている。
「それはどうかしら?」
「え、それってどういう」
「それより」
今すぐ本題に入ってもいいが、どうせならもう少し気楽にいってもらおうとの考えで話をそらすことにした。ただ、ほんの少し郁弥に対する悪戯心がないわけでもない。その証拠に知宵の口角が軽く上がっている。
彼女のような美人が見せる悪戯な笑みというのは、それだけで十分魅力的なものである。普通の男性なら見惚れてもおかしくはないだろう。しかしそこは
男女間の友人関係なんてものは簡単に壊れてしまうものと言うが、この二人に限ってそれはないと断言できる理由がこれだ。
もしもこのような理由がなければ、互いに気兼ねなく落ち着いて話などできはしなかっただろう。
そんなことを頭の片隅で考え、知宵はくすりと笑って話を続けた。
「さっきあれだけ泣いていたけれど、ふふ、気分はよくなった?」
「う、それをここで聞くの?」
「ええ、もちろん」
それはそれはいい笑顔で答えた。
改めてお互いを友人だと認識できたからか、知宵も郁弥も今までより声が軽い。日結花を通しての友人ではない、直接の友人関係だ。
郁弥にとっては日結花以外の初めての友人。それは、何年も何年も前に失った友人という関係性。心から気を許せる、自分を預けられるもの。
知宵にとっては数少ない友人の一人。仕事にかかわらない友人であり、自分自身を完全に曝け出せる友人である。それに加え、何を隠そう唯一の異性の友人でもある。
「…はぁ。うん。気分はよくなったよ。まだ最高とは言えないけど冷静にはなれたかな。だから、本当にありがとうね、知宵ちゃん」
「どういたしまして。ふふ、私がいなかったらどうなっていたかしら?」
ほんのり恥ずかしさを混ぜて話す郁弥に、知宵は柔らかく微笑んで言葉を返した。
「ええ…。それを聞く?」
「当然。むしろ聞かれないと思っていたの?」
「聞いてこないと思っていたんだけどなぁ」
「残念ね。現実は非情なのよ。受け入れなさい」
「ぐ、でもこれは回避できる現実なんじゃ」
「無理よ」
「どうして?」
「私が望んでいるからに決まっているでしょう?」
「…そっかぁ」
諦めたように肩を落とす友人を見て、とりあえずひと段落、と軽く一息。
知宵が見てわかるほどには郁弥の調子も元気になり、軽口をたたき合える程度にはなっている。実際、郁弥自身も今のコンディションは悪くないと思っている。表面で話している以上に知宵への感謝は深いのだ。
「さあどうなの?」
「…まあ、そうだね」
自分の物凄く恥ずかしい部分を話すことになるので、本当なら話したくはない。しかし相手は現在進行形で自分のために動いてくれている知宵である。そんな相手の悪戯を無下にするなど、郁弥にはできるわけがない。故に。
「数日はふさぎ込んでいたかな」
心の内では数日どころか一週間かもしれない、と思うが、自分でも経験がないため見当がつかないというのが本当のところ。彼自身の予想でおおよそ数日に落ち着かせた。
「数日?割と短いのね」
「え、そうかな?」
思ってもいなかった返答が来てぼんやりとした表情を驚きに変える。
知宵の言葉に嘘はなく、本人も本気で短いと思っている。それを信じられない郁弥ではあるが、続けての言葉に納得を見せた。
「私ならもっとふさぎ込むもの。家を出たときなんて数か月は気が乗らなかったくらいよ」
「あぁ。でも、それは仕方ないんじゃないかな」
「そう?あなたのも同じでしょう?程度の差はあれ落ち込むことに変わりはないと思うわよ」
言われて納得する。知宵の言葉はどうしてか、郁弥にとってするりと胸に入るものが多い。それはきっと、外から見た藍崎郁弥という人物をよく知る人の言葉だからだろう。
つまり客観視かな。そう思いながら、柔らかく微笑む知宵と同様の笑みを浮かべた。
「ふふ、そうかもしれないね。落ち込むことくらいみんなあるか。そりゃそうだよね」
「ええ、誰だって同じ。あなたもそう。私もそう。生きていればそんなこと日常茶飯事よ。大事なのはそれにどう対処するか、でしょう?」
「うん。だから本当にありがとうね、知宵ちゃん」
わかっていても他の人から言われてみないと意識に入らないことは多々あるだろう。郁弥にとって誰もが同じように苦悩するということが頭になく、それを理解させてくれて、同じく悩むことはあるだろうにそれでも自身へ手を差し伸べてくれた知宵への感謝がまた募る。
「ふふふ、いくらでもお礼を言いなさい。それと、お礼を言われたついでにもう一つ伝えておくことがあるわ」
感謝の眼差しを向けられて気分は上がる。もともと友達が少なく、今のように気を張らずに話せる相手など知宵にはそういなかった。そんな貴重な友人からお礼を言われて感謝の、尊敬の、きらきらとした瞳を向けられて舞い上がらないわけがない。
だてに日結花からちょろいちょろいと言われてきてはおらず、青美知宵は確かに初心なのだ。
「それは、なにかな」
最上級の感謝を向ける相手からの言葉と聞いて、神妙な表情を浮かべる。
こちらもこちらで、日結花からちょろいちょろい言われてきている。当然それも正しく、藍崎郁弥は心を許した相手を無条件に信じるのだ。しかも、今に限って郁弥にとって知宵は救世主のような立ち位置になっている。一言一句聞き逃さないようにするのも仕方がないことだろう。
「ふふ、いい?あなたにとって頼れる相手と言うのは日結花しかいないと思っていたでしょう?でも、まず私がいるわ。それはわかっているわね?」
「うん」
「そう。でも、本当に私だけかしら?」
「うん?え?」
「ふふ、そんなに驚くことではないでしょう?本気であなたのことを心配する相手が、あなたのことを助けてあげたいと思っている人が、色々なところにいるじゃない」
「―――」
「あなたの職場の人はわからないけれど、私が知っているだけで何人もいるわ。日結花のご両親はどうなの?あの人たちは、きっとあなたのことを気にかけてくれているはずよ」
「…でも、それは日結花ちゃんの両親だから。娘の親だからでしょ」
言っていることはわかっても、それが自分を気にかけてくれていることに繋がるとは思えなかった。結局は自分との繋がりではなく、郁弥にとって、咲澄日結花という女性を通じての関係なのだから。
「そんなの私も同じじゃない」
「あ…」
あなたの考えはお見通しとばかりに、彼女はばっさりと切り捨てた。
そう、日結花を通じてというのは知宵にも当てはまるものなのだ。ただ、今の知宵は郁弥にとって友人と思える相手になっている。それが大きな変化。
「最初は他人の縁を通じて知り合ったのかもしれないわね。でも、それがなんだと言うの?あなたのことを知り、あなたの事情を知り、その上で頼ってほしいと思うのよ。難しいことじゃないわ。他の誰でもない。あなたのことが心配だから、あなたのことが気にかかるから、だから話してほしいと、預けてほしいと思うのよ」
「僕のことを?」
「ええ。あなただって、泣いている人がいたらどうしたのか聞くでしょう?それと同じよ」
思い入れは違えど、考えは同じ。他人であっても親しい相手であっても、少なくとも自分だったら気にかけるだろう。知宵の言葉を聞いて、郁弥はそう思った。
自分のことを気にかけてくれる人はいないと、そう思っていた。いや、そう思い込もうとしていた。親しくなれば、離れることが怖くなるから。一人になるのが怖くなるから。だから誰にも踏み込まず、踏み込ませずとして、けれど、親しくなってしまった相手がいなくなる。そんな現実を再び見てどうしようもなく心が怯えてしまって。だから、だから。
「僕は…でも、僕は嫌なんだ。そりゃ人のことは心配だよ。もともと誰のことだって気にかけちゃうくらい気が小さいんだ」
「知っているわ」
「心配はするし、心配してくれる人がいるのも知ってるよ。高校のときもそうだし、大学でだって、仕事始めてからもそう。日結花ちゃんと会ってからだってそうだ。あの子のご両親、
「ええ」
「全部わかってるんだ。わかって、わかっていても怖いんだよ」
「そう…」
「実際日結花ちゃんがそうだ。久しぶりだからなのか、苦しくて悲しくて、疲れちゃったよ。仲良くなって、仲良くなった後にいなくなるのが嫌なんだ。誰にも寄りかかりたくないんだよ。もう、寂しくなるのは、悲しくなるのは嫌だよ。ひとりぼっちは…嫌なんだ」
内心を吐露する郁弥を見て、知宵は相槌を打ちつつも満足して笑みを浮かべる。
話していることはだいたい思っていたことと同じで、知宵には郁弥の考えが手に取るようにわかった。本当に面倒な人ね。そう思いながらも、友人として、そう、素敵に最高の友人として打ち負かしてあげようと口を開けた。
「はい、ある程度吐き出したところで私から良い話をしてあげましょう」
「ええ…」
本音をすっかり吐き出して楽になったからか、唐突に話をぶった切られて呆れたからか、なんとも言えない微妙な声が郁弥から漏れる。そんな声は無視して彼女は話を続ける。
「日結花に関しても色々とあなたの考えと違うのだけれど、今はいいわ。それよりあなたが一人ぼっちになることを怖がっている話ね」
「え、今すごく大事な話を飛ばされたような気が」
「怖がることは仕方のないことよ。でも、本当にあなたの前から誰かがいなくなることはある?他の人はどうあれ、私は日結花との繋がりがなくなろうと郁弥さん、あなたとの縁を切るつもりはないわよ」
「っ」
話を遮られて一瞬微妙な顔をしたものの、続けて伝えられた言葉に泣きそうになる。
悲しいとか辛いとか、そういった意味ではなく、今度は嬉し泣きである。
今の郁弥は心の防壁が緩んでいるようなものなので、簡単に泣いてしまうのも仕方ない。それが知宵を調子づかせることに繋がっているのだが、今は気にしなくてもいいことだ。
「ふふ、そんな嬉しそうな顔して泣きそうにならないの。大事なのはここからよ?それなりに親しくなった相手が、そう簡単に縁を切るはずないじゃない。そうね…郁弥さん、日結花のお父さんに連絡は取れるかしら?」
「え、うん。取れるけど」
「じゃあ少し連絡先を見せてもらえる?」
「いいけど…」
「ありがとう」
困惑しながらもあまり考えずに携帯を渡す郁弥。こうしたところが日結花からちょろいと言われる
携帯を受け取った知宵は早速画面のコールボタンを押し、日結花の父、
余談ではあるが、現在このカフェに他の客がいないことにも理由がある。店のドアにかけられている看板が"CLOSED"になっていることがすべてを物語っているだろう。
「え、どうして電話を?」
「本人に直接聞けばいいでしょう?正道さんなら連絡もつきやすいでしょうし」
「そんなこと聞けるはずないよ」
「ふふ、大丈夫。私を信じなさい。だめだったらそのときはそのとき。次に行きましょう」
「ええ…」
無責任な言葉だというのに、自信に満ちた表情と知宵への信頼から妙に頼もしさを覚える。
まあ、なるようにしかならないか。そう考え、知宵と二人電話のコール音が消えるのも待つことにした。
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