4. 後悔の先にあるもの

 駅広場を離れ、鮎夢さんと二人並んで歩く。向かう先はみんなが待っているカフェ。


「日結花ちゃん、あれでよかったのかい?」


 緊張の糸が切れてしまったようにぼんやりとしているあたしに、鮎夢さんは躊躇いがちに話しかけてきた。

 あれって、郁弥さんへの対応のことよね。


「どう、なんでしょうね。あたしにもわかりません」


 よかったとか、よくなかったとか。そんな簡単に片づけられるものじゃないから。


「そうか。ただ、私からは本当の別れ話のように見えたから。だから最後はつい感情的になってしまったんだけど」

「そうだったんですか…。でも、そうですね。郁弥さんと会って話したら、勝手に言葉が出てきちゃったんです。仕方ないですよ。あれ以外にできることなんてありませんでしたから」


 本当に思っていることを端的に伝えた結果が今になる。


「もう終わったことですし、今さら後悔は…しますけど、終わったことだからいいんです」

「わかった。日結花ちゃんがそうい言うなら私は何も言わないよ」

「ありがとうございます」


 そこで会話は途切れて、周囲の物音だけが聞こえるようになった。気を紛らわせて考えないようにすればするほど、郁弥さんのことが頭に浮かんでくる。

 深呼吸をして歩いて、深呼吸をして歩いて。

 平常心を装って歩いて数分、ようやく知宵、智美、花絵ちゃんの三人が集まるカフェにたどり着いた。


「おはよ」

「あ、日結花ちゃんおはよー」

「お、おはようございます」

「みんなおはよう」

「鮎夢さんもおはようございます」

「おはようございます!」


 人もまばらな店内に入り、向き合う形で座っていたに挨拶をしながら席に着いた。あたしは花絵ちゃんの隣、鮎夢さんは智美の隣に座った。

 相変わらずゆるっとした智美と、微妙に緊張している様子な花絵ちゃん。知宵がいないことはすぐにわかったのに、なんとなく気分が億劫でわざわざ尋ねる気になれなかった。


「―――」


 やっぱり失敗しちゃったなぁ、なんて思う。

 どうなるかはわからなかったし、郁弥さんがどんな反応をするかもわからなかった。でも、なんとなく想像はついていたし、結果が悪いことになるっていうのだけはわかってた。

 どうしてこんなことしようと思ったんだろう。もう全部終わって、傷つけてからこんなこと思うなんて、あたしって本当に卑怯だ。


「…っ」


 鼻がツンとして、目元が熱くなる。

 郁弥さんがどんな思いで話を聞いていたのか、考えるだけで胸が痛くなる。

 泣くくらいなら、最初からやらなければよかったのに。今さら後悔してなんなのよ。傷ついたのは郁弥さんの方でしょ。あたしなんて、ただ自分勝手なことしただけじゃない。本当に、ばかみたい。


「ぐすっ…」

「うぅ…ご、ごべんなざいぃっ!!」

「わー、どうしてそこで花ちゃんが泣くかなぁ」

「ど、どうして花絵ちゃんが泣いているのよぉ」


 きっかけなんてなくて、ただ座って少し思い返しただけで涙があふれ出てしまった。涙も拭かずに一人で勝手に泣いていたはずなのに、なぜか前の席に座っていた花絵ちゃんがぽろぽろと涙をこぼして泣いていた。

 あたし以上にひどく泣いている姿を見たせいで、落ち込んだ気分が持ち上がり声が出るようになる。意味不明な状況に咄嗟の抗議が口から出ていた。


「だ、だって…ぐすん、私のせいでっ!私がへんなこと言い出したから…」

「はい花ちゃん。鼻かんで鼻。鼻水垂れそうだよ」

「ひぐ…ふー…ふー…と、智美ちゃん、ありがとう」

「どういたしまして」


 手渡されたティッシュで鼻をかむ花絵ちゃんを見ていたら、前の座席からスッとポケットティッシュを差し出された。微笑んで頷く鮎夢さんに感謝を込めて泣き笑いを返した。


「――はぁぁ」


 重いため息がこぼれる。

 自分より感情的になっている人も見ると逆に冷静になるとはよく言ったもので、あたしも花絵ちゃんを見てすぐに涙が止まった。

 頭が落ち着けば、今は醜態を晒したことによる恥ずかしさが心に押し寄せてくる。自分自身への羞恥と呆れに自然とため息がこぼれていた。

 さっと視線を巡らせれば、未だ鼻を鳴らしている花絵ちゃん含め三人があたしを見ていた。


「とり、あえず。そう、ね」


 何を言うべきか迷って、それに伴って語調も迷う。

 今話すべきことは、謝罪でもなく、感謝でもなく、愚痴でも誤魔化しでもない。話すべきなのはこれからのこと。あたしが"おそらくこうなってるのかな"と思っていることと、現実とのすり合わせが必要だから。何よりも、それをしなくちゃいけない。失敗の後は成功のために尽力すべしって、ね。


「鮎夢さん。知宵は…郁弥さんのところですか?」

「え、知っていたのかい?それはちょっと、なんだ、恥ずかしいな」


 気恥ずかしそうに背を伸ばして目を細める鮎夢さんが、またきらめいていて眩しかった。


「知っていたというよりは、知宵ならそうするかなぁと思いまして。あの子、あたし以上に友達思いですから」

「そう、だったのか。だから知宵ちゃんは昨日も…」

「昨日も?」

「昨日電話で話したんだけどね。私が藍崎君に着いていってほしいと伝えたとき、"そのつもりでした。あの二人は、本当に世話が焼けますね"なんて言って笑っていたから、何かと思ったんだけど…。日結花ちゃんはわかっていたんだね」

「…ふふ、知宵らしいわ」


 あたしも郁弥さんも。あの子にとっては身内なんでしょうね。優しすぎるでしょ、知宵。


「それで、現状はどうなっているんですか?鮎夢さんはあたしと一緒にいたからわかりませんよね。そうすると、智美?」

「はーい、私の出番ねー。と言っても、出てくるのはこれだけど」


 "じゃじゃーん"とか言いながら取り出したのは、全面液晶のタブレット。既に画面はついていて、どこかの映像が流れている。


「それ、わざわざ椅子の横にでも隠しておいたの?さっきまで絶対テーブルの上にあったでしょ」


 画面に着目するよりも、あたしは先に別の部分へツッコミを入れていた。


「いやー、あはは。まあね、なんていうか、雰囲気的に?」

「別にいいけど。これはどこ――ん?」


 長椅子型の席なので、隠して置いておく分には特に問題もなかったんだと思う。ちょっと気になっただけなので軽く流して、映像に注目するとこれまた気になる部分が出てきた。

 液晶画面は二つに分かれていて、二か所の映像が同時に見られるようになっている。映っているのは二つとも屋内で、同じ場所を違う視点で捉えているらしい。角度の問題でか一瞬わからなかったけれど、部屋の内装を見てすぐに見覚えがあることに気づいた。


「これって"ルミエ"?」


 正式名称『ルミエ・デュ・ソレイユ』。郁弥さん行きつけのカフェで、あたしも何度か訪れたことがある。店主の白本しらもとさんとは顔見知りになっているくらいにはあたしも知っている。


「うん。やっぱり知ってたんだね」

「ええ、だけどこのアングルは?」

「上の方にカメラ設置させてもらったのと、あとは知宵ちゃんが身につけているやつだね」


 なんとなく予想はついていたけれど、やっぱりそうだった。まるで監視カメラのような上方からの映像と、人の胸元辺りからの映像の二つ。知宵の方はいいとしても、店内カメラについてはなんとも。


「これ、郁弥さんがいるからいいにしてもルミエに来なかったらどうしてたのよ」

「あはは、そこはほら、知宵ちゃんが来るって言うから。来なかったときのことは知らないよ」

「そ、そう」


 知らぬ存ぜぬとばかりに丸投げする智美に何も言えなかった。結果論にしかならないけれど、実際に郁弥さんがルミエに来ているだから気にしないことにする。


「日結花ちゃん。これも」

「ん、音声ね」

「うん。鮎夢さんもどうぞ」

「ありがとう」

「花ちゃんは…いらないかな」

「いりますよ!い、意地悪はやめてくださいっ」

「あはは、はいはい。泣かない泣かない。ごめんね」

「ぐす、うぅぅ!」


 花絵ちゃんには悪いけど、鮎夢さんと目を合わせて二人の話は聞かなかったことにした。

 わちゃわちゃしている二人を無視して、片耳イヤホンをつけた。聞こえてくるのは店内のものらしき音楽と物音。

 見ながら、聞きながら、今は"これから"のことを話さなくちゃいけないとわかっているのに、どうしても言いたいことができて口を開けた。


「三人とも、今日は付き合わせちゃってごめんなさい」

「な、なんで日結花さんがっ!」

「あたしのばかな話に付き合わせちゃったからよ。特に鮎夢さん。今回のことは本当にすみませんでした」


 実際に付き添わせてしまった鮎夢さんには、一度しっかりと頭を下げて謝った。智美や花絵ちゃんと違って、この人だけはただただ何の関係もなく好意で付き合ってもらった分謝らないといけない。


「ふふ、日結花ちゃん。頭を上げてもらえないかな」

「…はい」

「まだ全部終わったわけじゃないのにこういうことを言うのは不謹慎かもしれないけどね、私は別に嫌な気分じゃないんだ。むしろ少し楽しいくらいなんだよ」


 顔をあげて鮎夢さんを見ると、言葉通り少し楽しげに笑っていた。

 意味がよくわからなくて首をかしげる。横に座る花絵ちゃんと斜め前に座る智美をちら見したら、不思議そうな顔で鮎夢さんを見ていた。たぶんあたしも同じような顔をしていると思う。


「日結花ちゃんに付き添って行ったけど、話していたことと実際のやり取りはまったく違うし、藍崎君と日結花ちゃんの話は小説の一場面みたいだったからね。それに、今だって藍崎君と知宵ちゃんのやり取りを見ていられるわけで、ハッピーエンドで終わる物語の登場人物になったみたいだね。初めてなことばかりでこれが楽しいんだ」

「それは…」


 現状を楽しまれても困るし、当事者のあたしとしてはすごく複雑な心境になった。でも鮎夢さんがそう言ってくれて助かるのは事実だし、やっぱり複雑な感じ。


「日結花ちゃんと藍崎君には悪いと思うけどね。だからほら、私のことはもう気にしなくてもいいよ。後で藍崎君と日結花ちゃんのキスシーンでも見せてくれればいいからさ」

「そ、それは…ええとわかんないですけど。が、頑張ります」


 爽やかに笑って茶化すのを聞いて、顔が熱くなるのを感じながら別のことも少しだけ思う。

 鮎夢さんは、わざわざこんな言い方をしてくれたのかなって。あたしが気にしなくてもいいように。もちろん本心が混ざってはいるにしても、そうじゃなければここまでわざとらしく伝える必要がないもの。

 なんとなくの予想を込めて鮎夢さんを見たら、悪戯っぽく笑って素早くウインクをくれた。改めて心の中でお礼を言って、次に行くために口を開こうと。


「ひ、日結花さん!わ、私こそごめんなさい!すみませんでしたっ。私、私があんなこと言ったから…う、ぅぅ…ご、ごめんなさ…っい…」

「わっ、なんで花絵ちゃんが謝るのよ。それにまた泣いてるし。別にそんな泣くこともないじゃない。泣きたいのはあたしの方よ。ていうかさっき泣いちゃったし…はぁ」


 唐突、というよりもずっと話しかけようと思っていたのか、花絵ちゃんがあたしに謝ってくる。あたしもなんとなく来るかなぁとは思っていたので、そこまで動揺はなかった。誤算は彼女がぽろぽろ泣き出してしまったこと。


「うぅぅ、ぐす…だ、だってぇ…ずずっ…」

「あ、あはは。これはちょっと予想外だね。花絵ちゃんってよく泣く子だった気はしないんだけど」

「花ちゃんはよく泣きますよ?よく笑ってよく泣いて、よく怒る良い子です」

「ええ…。赤ん坊みたいじゃないか」

「まあ、似たようなものですね」

「ちょ、ちょっと二人とも。花絵ちゃんがあたしにしがみついて大変なんだけど!」

「わ、私は赤ちゃんじゃないもん…えぐ、日結花さんっ!うぅ、ふぇぇ…ずずっ…」


 鮎夢さんと智美はあたしと花絵ちゃんを見て笑って、花絵ちゃんはぐすぐすと泣きながら目元をこすって涙を拭っている。花絵ちゃんの涙をタオルで拭きとってあげながら、穏やかで落ち着いている自身の心に気づいて苦笑した。

 本当に、一人じゃなくてよかったわ。あたしには三人がいるし、なにより郁弥さんには知宵がついていてくれているから。

 ね、郁弥さん。あたしたち、素敵な友達に恵まれたわね。あなたもそう思ってくれるかな。知宵に全部任せちゃってごめんなさい。でも、あたしも会いに行くから。それまで少しだけ待っていてちょうだいね。

 自身の顔が自然と笑んでいるのを感じながら、あたしは"そのとき"まで親友を見守ることにした。

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