3. 目に見えていたこと
「ふぅ、こういうのは緊張するものだね」
「ふふ、そうですね」
作戦当日。
あたしと
セリフに関してはほとんど考えていない。舞台もお得意の鮎夢さんとアドリブに慣れているあたしなら大丈夫でしょうとの判断でこうなった。
「日結花ちゃん、もしかして全然緊張してない?」
「どうでしょう?割とリラックスしてますね」
鮎夢さんは男の人らしいロングパンツやコートを着ており、スッと背筋を伸ばした格好はずいぶんと様になっている。
訝しげにあたしを見てきたけど、返事を聞いてか軽く肩をすくめて笑った。緊張すると言いつつ、まったくそれを感じさせない自然体だった。
さすがは舞台慣れしている鮎夢さんね。
―――♪
軽い雑談をこなしてお互いに緊張感がないことを確認しているとすぐに駅に着いた。電車を降りて改札に向かう。
「さて、
「ええと、駅出てすぐですね」
緊張はなくても、これからすることへの罪悪感はある。知宵のおかげで吹っ切れたとはいえ、これが郁弥さんにとって悪いことなのはわかり切っているから。それでもやるのは、今のあたしに必要だって、そう思ったから。
ぐっと負の感情を飲み込んで、普段通りの自分に仮面を被せる。
恋人の郁弥さんは大事な話があるとかなんとかで駅を出てすぐの広場に呼んでおいた。やはりと言うべきか予想通りと言うべきか。改札を抜ければすぐ、ぽやっとした顔の恋人が目に映る。
「あの人かい?」
郁弥さんは、あたしと、あたしと大げさなほどに腕を組んで隣にいる鮎夢さんを見て、ほんの少し目を伏せて苦笑いを浮かべた。
その笑みはひどく寂しそうで、きゅぅっと胸の奥が痛んだ。その痛みは無視して、隣を歩く鮎夢さんに返事をする。
「ええ、あの人です。かっこいいですよね?」
「はは、どうかな?……ん?いや彼は――」
「どうかしました?」
「――あぁ、いや。なんでもないよ。とりあえず挨拶しに行こうか」
「はい」
怪訝そうな顔で郁弥さんを見ていたのもつかの間、すぐに笑顔に戻って足を進めた。
鮎夢さんの様子に首をかしげながらも、あたしも同じく前に進む。気にはなるものの、さすがのあたしも全力で仮面を被っている状態で他所のことに気を向けられはしない。
もっと余裕があるかと思っていたけど、実際にこうして当人を前にすると余裕も何も全部吹き飛んでしまった。
「郁弥さんおはよう」
「うん、おはよう。お隣の方は?」
朗らかな顔で返してくる恋人はまったく変わらず普段通りで、先ほど垣間見せた表情が気のせいだったのかと思うほど。
でも、あたしにはわかる。ちゃんとわかる。あたしが表面を取り繕っているのと同じで、郁弥さんも仮面を被って隠している。
「おはよう。僕は
「あ、はい。おはようございます」
きらりと真っ白な八重歯を輝かせて笑う鮎夢さんを見て、眩しそうにしながらも反射的に答える郁弥さん。
あたしも眩しくなってつい手を離しちゃったくらいだから、これが普通よ普通。だからそんな困ったさんな目をあたしに向けないで。ただでさえ演技に集中してぎりぎりなのに、郁弥さんにそんな目で見られたら崩れちゃうから。
「ええと、千導さんは僕に何かご用件でもあっていらっしゃったんですか?」
「まあ、そうだね。しかし藍崎君」
「はい」
「ちょっと丁寧過ぎるね。もっと軽く話してくれていいよ」
「は、はぁ」
よそ行きモードな郁弥さんと接して、どうにもやりにくそうな鮎夢さん。それでもそれを表面には出さず、きらっきらな雰囲気で話すところはさすがとしか言いようがない。
対するあたしの恋人は、漫画の登場人物みたいな相手に困惑を隠し切れない様子。可愛い。
「それは、はい。わかりました」
「なら本題に入ろうか」
「はい」
「日結花ちゃん、あとは話してもらえるかい?」
「え、ここであたしですか?」
「よろしくね」
「わ、わかりました」
ひらりとワンスマイルであたしの疑問は一蹴されてしまったので、とりあえず郁弥さんと話をすることにした。
「うーんと、ねえ郁弥さん」
「うん」
もっと話しにくくて空気も重たくなるかと思ったのに、全然普段通りに話せて内心苦笑する。
相手が郁弥さんだと、どうしても素の自分が引き出されちゃうわね。演じてるはずなのに演じてないみたい。変な感じよ、本当にね。
「あたし、あなたのことが好きなのかわからなくなっちゃったのよ」
「そっか」
全部が全部本心じゃなくても、思ったことは本当だから簡単に言葉が作れた。
目前の恋人はどこか寂しそうに、だけど理解できるかのように頷いて曖昧な顔で笑う。きっと、あたしも似たような顔をしていると思う。
「嫌いじゃないのよ。嫌いになるわけないわ。あなたもそうでしょ?」
「そうだね。僕が日結花ちゃんを嫌いになることだけはありえないよ。それだけは――」
「――言い切れる、でしょ?」
「あはは、うん。そう」
途中から言葉を引き継げば、軽く笑って肩をすくめる。
少し話しただけなのに、いつの間にかあたしも郁弥さんも仮面が剥がれていつものあたしたちになっていた。
「鮎夢さんはね。彼氏――ううん、実はこの人、女の人なのよ」
「「え?」」
隣と前の二か所から驚きの声があがる。目を合わせていた方はともかく、ちらっとお隣を見たら口を半開きにして呆然とするお姉さんがいた。見なかったことにした。
「それはどうでもいいの」
「いいんだ」
「よくないんだけど!?」
「千導さんはこう言ってるけど?」
「いいのよ。鮎夢さんはただの付き添い。一人で話すのが怖かったから彼氏役として来てもらったんだけど、郁弥さんと話していたら嘘つくのが嫌になったからいいの」
「なるほど、了解」
まくしたてるように話せば、普通に郁弥さんは納得してくれた。鮎夢さんには視線で"ごめんなさい"と伝えておく。一応言いたいことはわかってくれたらしく、やれやれといった仕草で笑って手を振った。それがまた様になっていて、世の中にこの人の
あたしには郁弥さんバリアーがあるから効かないけどね。
「だからね、郁弥さん」
「うん」
「あたしたち、お別れしましょう?」
「……」
ひどくあっさりと伝えられた。
もともと考えていた話の流れとは全然違うし、結局あたしと彼の二人だけのお話になっちゃったけど、それでも言わなくちゃいけないことはこれで言えた。
郁弥さんは黙したまま、じっとあたしの目を見つめる。凪いだ眼差しからは何一つ読み取ることができない。ただただ、あたしの真意を確かめるような瞳をしていた。
「わかった。お別れしようか」
何かわかったのか、納得でもできたのか、彼もあたしと同じようなあっさりとした口調で頷いた。言葉とは裏腹に諦観の念がはっきりと表情に出ていて、あたしは大きく動揺させられた。
「――ちょっと待ってもらえるかな」
あたしが何を言おうか考えている間に、さっと滑り込むように鮎夢さんの声が耳に入ってきた。
「なんですか?」
「藍崎君、君はそれでいいの?」
「いいんですよ」
短く告げて、一度空を仰ぎ見る。晴れ渡る大空を見上げて何を思ったのか、儚げな笑みを浮かべて言葉を続けた。
「日結花ちゃんが決めたことです。僕が何か言える時間はもう過ぎて終わりましたから。何もできない…いえ、しなかった僕が、何も言わなかった僕が今さら文句をつけるのはおこがましいってものでしょう?」
自嘲気味に話して、合間に一瞬だけ後悔が見えた。言葉を言い直したのはきっと、彼なりに思うことがあったから。
「でも」
「それに」
彼の話を聞いたからか一歩前に出て言い募ろうとする鮎夢さんを手で制して、郁弥さんは言葉を被せた。
「さすがに僕もちょっと動揺してるんですよね。あはは、結構取り繕えているとは思うんですけど、やっぱり頭の中整理したいんです。すっごく格好悪いかもしれませんけどね」
後ろ髪をかきながら、困った顔で一息に続けた。
表情や言動で全部本心だってわかるから、郁弥さんが言葉以上にいっぱいいっぱいな状態だと気づく。彼の弱さを知っている分、ぎゅっと心臓を掴まれたような気がした。
「ん、ええ、そうよね。ごめんなさい」
「あはは、いいよ。日結花ちゃんが謝るようなことじゃないからさ。じゃあ日結花ちゃん、先導さん、お先に失礼しますね」
「…あぁ。今日は呼びつけてしまってごめんね」
「いえいえ大丈夫ですよ、それじゃあすみません。失礼します。日結花ちゃんも、ばいばい」
「ん、今日はありがと。ばいばい」
急ぐように挨拶だけして、最後はあたしの声に返事はせず既に背中を向けて手だけ軽く振って歩いていった。
駅の広場を出て背中が遠ざかっていく姿は今にも消え入りそうで、叫びだしたい気持ちを抑え唇を嚙み締め踵を返した。
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