第三幕 昏い森の悪魔

それは大きな影だった。

自分の身体の倍ほどの大きさで上を見ると光のようなものがあった。

それは目であり、二つの目が蘭々とこちらを見つめていた。


「なっ・・・!」

突然のことで理解が追い付かず、追いついたのは理解ではなく恐怖だった。

悪魔の方に身体を向けて立ち上がろうとしたが焦りで上手く立つことができず、震えながらも何とか足で身体を支えながら立とうとしたが足元が滑って尻もちをついてしまった。


風が強くなり、木の葉がそれにつられてざわざわとざわめき出した。

揺られて出来た木々の隙間から星の光が漏れ出て、細く揺れるように多くの星の光が悪魔を曖昧に照らしていた。

人みたいに二つの大きな足で立っており、身体は父より大きくて筋肉がはっきりと見えた。

腕はまるでこの森の木を一本抜き取って、腕の付け根に取りつけたかのようにとても太く大きく、爪が鋭く伸びていた。

頭には二本の角が生えており、雄の鹿のように根本から木の枝のように伸びていた。

目は黄色く蘭々と輝いており、顔が犬のように長く、開いた口から鋭い牙が伸びており、牙の先から涎が糸を引くように地面に落ちた。

吐く息が見えるかのように荒く息を吐いていた。


悪魔は自分を目の中に納めていた。

今目の前にいる悪魔は自分が前に見た間抜けそうな悪魔とは全く違った。


「あ・・・あ・・あ・。」

逆に自分が間抜けそうな声にならない音を漏らしていた。

悪魔は空を仰ぐように上に向くとすぐ自分の方に顔を戻して大きな雄たけびを上げた。

意識は完全に悪魔の方に釘付けになり、周りの枝葉は咆哮の風圧で激しく揺れた。

悪魔が叫んだ後は完璧に無音になり、動物の声や虫の声も鳴りを潜めてしまった。


しかし、化け物は顔を自分とは違う方向に向いた。

視線の先は木の下で気を失っている少女だった。

悪魔は狙いを定めたのかのように身体を向けて腰を低く構えた。

足は地面をじりじりと抉っており、今にも飛び掛かりそうだった。


自分はとっさに少女の方に身体を投げ出した。

それと同時に悪魔も少女に向かって飛び掛かる。

なんとか身を少女と悪魔の間を阻むように入り込む。

悪魔の鋭く伸びる腕が自分の背中を捉える。


と思ったがそんな衝撃が来ることが無かった。

自分が少女を庇いに飛び出して、悪魔も飛び掛かった直後家の方向から複数の炸裂音が響いた。

何とか悪魔の爪は紙一重で自分の身体に届くことはなかった。


「こっちだ!化け物!」

叫ぶ声の方を見ると精霊銃を構えた父が立っていた。

構えた精霊銃の飾られていた精霊結晶がほのかに輝いていた。


化け物は身体を父の方に向けた。

その時化け物の背中が見えた。

背中には深く抉れるような傷がいくつもあり、その穴のような傷からどす黒い血がどくどくと流れ出ていた。


化け物は父に向かって飛び掛かった。

父は横に飛んで躱し、父がいた場所は化け物の腕で叩き潰され、爆音とともに森を揺らした。

父は横に回り込み化け物の頭に精霊銃を突きつけた。

すると精霊銃は橙色に激しく光りを放ち、次の瞬間殺到する炸裂音とともに光の束が悪魔の頭を抉り飛ばしながら、埋め尽くしいった。

最期に放たれた光は空を切って森の奥まで照らしながら飛んで行ってしまった。

頭を無くした悪魔は蹈鞴を踏んで前のめりに倒れ、そして動かなくなった。


父がこっちに近づいてきた。

そして自分の前まで歩いてきて止まった。

まだ恐怖で腰が抜けており、よろよろとなんとか立ち上がろうとしたがその時胸倉を捕まれて無理やり立たされた。


「だから言ったんだ!迂闊に森に行くなと!」

目と目が本当の意味でぶつかりそうな距離で思い切り怒鳴りつけられた。

紅く燃える目が本当に燃えるように感じるほど凄んでいた。


「離せよ!人が倒れてたんだ!そんなこと聞いてられるかよ!」

自分は胸倉を掴んでいる父の手を無理やり振りほどいた。


「精霊を出すことも使うこともできないお前が悪魔のいる森で何ができるんだ。もう少しでお前は悪魔に食われそうになったんだ。」

父は自分を睨みつけながら静かに話した。

だがそんな冷たい声の奥には隠し切れないほどの怒りが滲み出ていた。


「そんなの・・・知るかよ・・・。」

否定しようとしたが父の言っていることは至極当然で第一足がまだ震えているのに真っ向から否定するにも格好がつかなかった。

なんとか声を絞り出し、ばつが悪そうに返した。


「ともかく。」

父は少女の方を見た。

あれだけの大立ち回りがあってもこの少女は起きることはなかった。

すやすやと木の下でのんきに居眠りをしているみたいだった。


「あの子はずっと気を失っていたのか?」

そう彼女を見ながら尋ねた。


「いや俺が最初に駆け寄った時に少しだけ目を覚まして自分の名前のアニマって言ってまたすぐに気を失ったよ。」

「そうか。」


父は少女に近づき、身をかがめて傷を確認した。

「特に傷はなさそうだな。」


「ネモ。この子を家まで運ぶんだ。周りは俺が見張る。」

自分の方に振り返って言った。


「分かったよ・・・。」

自分もなんとか気持ちを切り替えて、木の下で眠っている少女を背中におぶって家に向かって歩いて行った。

かすかに身体は動いているようでそれを背中に感じる。

そして耳元ではすうすうと少女の寝息が聞こえた。


父は自分の後ろを歩いていて、なんとか無事精霊灯までたどり着くことができた。

自分の安全が確保されて安堵して後ろを振り返えると暗闇の中、父が足を止めて何かをしていた。

目を凝らしてみるとさっき倒した悪魔の死体を漁っていたのだ。


「おい何やってるんだよ。」

そう声を掛けた。


父は悪魔の死体から何かを取り出したようで自分の方に歩いて来た。

父が精霊灯の方までたどり着くと光が父の姿をはっきりと照らした。

服は少しだけ悪魔の黒い血で汚れており、手にはどす黒い手のひら大の大きさの岩みたいなものを持っていた。

父はそれを服で軽く拭うと赤く透き通った石のようなものが現れた。

それを精霊灯に近づけると光を反射して赤く淡く輝いた。

その岩の断片が覗き込む自分の顔を映し出した。


「これは?」

「これは精霊結晶だ。俺たちがいつも使ってるだろ。」

いつも精霊灯などの道具に加工されているため現物を見るのは初めてだったので興味深かった。


「悪魔から取ったの?」

「ああ、そうだ。精霊結晶は悪魔の身体から取る事が出来るんだ。」

「そうなんだ。」


あんなおぞましい悪魔からこんな綺麗なものが取れるのかと不思議に思って精霊結晶をまじまじと見つめた。

それ自体なんの光も発していないのにまるで怪しい魅力を発しているように感じた。


「赤い精霊結晶・・・。」

父はそう呟くと訝しむように精霊結晶を見つめていた。


「どうしたんだよ?」

そんな父に不思議に思い聞いてみた。


「ネモ。あの子以外に回りに人影みたいなものは見なかったか?」

「いや周りには誰もいなかったな。このアニマって子以外は。それがどうしたんだよ。」

「いや何もない。だったらいいんだ。」

父の言葉と態度は腑に落ちない所を感じたが一先ず問題ないと納得することにした。


何とか家にたどり着き、家に入る前に父が立ち止った。


「どうしたんだよ親父?」

と聞いた。


「ネモ。その子はとりあえず俺のベッドで寝かせるんだ。」

「親父はどうするんだよ?」

「俺は念のため精霊灯の見回りに行く。」

「?。精霊灯の見回りなんてあの子を助ける前に済ませたじゃないか。」

「そうなのか。」

さっきまでの事があったので忘れてしまったのか不安を覚えたのだろう。

特に何もないことだと思った。


「ところで今の時間はどれくらいなんだ。」

「今は昼過ぎくらいじゃないかな。親父が村に野菜を売りに行って帰ってきて、見回りしに行ったじゃないか。」

「そうか。」

と父は空を見上げた。


空を照らしているのは目覚めの刻から昼まで星々の光だけで天地も後は暗闇だけが降りていた。

そしてそれは一日の終わりになっても変わることはない。


第三幕 昏い森の悪魔 完

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