第8話

 刻々と約束の時間が近づいてくる。

 由香はあれから、ずっと夏下のリプレイ動画を見ながら、何回か試合に参加しては、実践を重ねていった。

そして、ついに今、約束の時間の十分前にすべてを終えたのか、由香は息をつき、コントローラーを机の上に置いた。

「大丈夫そうか?」

 俺は由香の部屋を掃除し、整理整頓しながらも横目で覗きながら聞く。

「まぁ、超絶天才極上天使悪魔的美少女の由香ちゃんの手にかかれば余裕の余裕だね」

「それはなによりだ」

 俺は由香に散らかった最後の本を棚を戻すと、由香の席に近づく。

「あっ、ねぇ、兄。多分、いきなり試合を始めたりしないよね?」

「というと?」

「さすがに試合前にやりとりはするでしょ?」

 あぁ、そういうこと。

「そうだな、さすがにやりとりはすると思う」

 俺は由香の言葉に首肯すると、由香は「だよね」と呟いてから、机の引き出しを開けて、マイク付きゲーミングヘッドフォンを取り出した。ゲーミングヘッドフォンは由香のよく飲みエナドリのデザインそっくりの色合いをしている。なんか、見てるだけで、快活になりそう。

 由香はヘッドフォンのコードをUSBポートに差し込むと、俺に「ほいっ」とヘッドセットを手渡す。

「お前のは大丈夫なのか?」

「うん、由香ちゃんのはもっといい無線のヘッドセットあるから」

 由香は開けたままの引き出しに再度、手を入れて、ヘッドセットを取り出した。そのヘッドセットにはマイクがついていない。ただ、その分、高級感や質感があった。色合いは当然、俺が今、手に持っているへッドセットと同じである。お前の人生観はエナドリでできてんのか。

「さぁてと、そろそろ時間だから、招待するね」

 由香はフレンド欄から夏下のコードをクリックし、招待ボタンを押した。

 画面は一面、招待中と文字が現れる。

「よぉし、がんばるか」

 由香はこぶしを握り締め、ガッツポーズを決めると、椅子から立ち上がる。なぜ、立ち上がったの? と椅子の傍らで俺は思ったが、まぁ、ストレッチでもするんだろう。

 が、どうもそうではないみたいで、由香は漆黒に染まった椅子の座面を俺にめがけてバシバシと叩き出した。

「なに、儀式?」

「違う違う。ここに座れって意味」

「ま、まさか、その椅子に電流を流して俺を殺すつもりじゃ」

「グリーンマイルの見過ぎだろ……。どこの誰が自宅の椅子を電気椅子にするやつがいるんだ」

 と、慣れた言葉のキャッチボールを交わしながら、俺は由香の指示通り椅子に深く腰を掛けた。すると、そのあとに、由香は俺のももの上に勢いよく乗った。

「思った以上に重い……」

「ふふふ、その重さは兄に対する由香ちゃんの愛と軽蔑と、あと、ほんの少し骨と肉の重さで構成されているのさ」

「全構成、骨と肉だろ……」

 そうツッコミながら、俺は机に置いておいたヘッドセットを耳に装着する。

「あっ、そういや、兄」

 ヘッドセット越しから声が聞こえる。

「どうした?」

「できればさ、由香ちゃんがキルしたら、マイク越しで相手を煽ってくれない?」

「煽るのか?」

「うん、煽るの。多分、その夏下って人、煽りに弱いから」

「おけ、わかった」

 俺がそう返事をすると、由香は一度こくりと頷き、ヘッドセットを装着し、それから一言も話さなくなった。これは由香の集中モードである。もしくは、ゾーンに入ったと言うべきか。とにかく、由香がこうなれば、何も話さなくなるし、何も聞こえなくなる。一度、俺は由香にその状態のことを聞いたことがあるのだが、どうやら由香の場合、ゾーンに入った瞬間は視界が鮮明になり、細かな音すらも判断がつき、記憶能力までもが急激に向上するらしい。漫画みたいな話だが、実際そうらしいので、恐ろしい話だ。おそらく、由香の底知れぬ才能というのはその能力から湧き出ているのだろう。

 と、そんなことを考えていると、招待中と表示された画面が一転し、Now Loadingと出る。

 そして、しばらくその画面が続くと、モード選択に移り、ヘッドセットのほうからノイズが響いた。

 ザァッ。ガー。

 サンドストームのような音が一定時間鳴り響くと、その砂嵐から抜けた女の声が聞こえる。

「……え、えっと、聞こえてる?」

 弱々しくも、身のある声が聞こえた。

「あぁ、聞こえてるよ」

 俺はマイクを口元に手で寄せながらそう答える。

 しかし、それから夏下からの返答はしばらくは来なかった。ただ、それは意図的にやっているわけではなく、向こう側の接続状況に不備があったそうで、やがてしてから、そのことに関しての謝罪が来た。俺はもちろん、気にしなくていいと述べ、さっそく勝負の要件を互いに整理始めた。

「えっと、設定はどうする?」

 ある程度の段取りをつけ、ことの順序が進んでいくと夏下はそう聞いた。

 ふむぅ。俺はBOWというゲームを知ってるは知っているが、細々な内容は知らない。となれば、設定というのは由香ちゃんとの要相談を必要とするが、生憎今は由香ちゃんとは二つの理由で話ができない。一つは由香ちゃんのゾーンのことで、二つ目は話声が聞こえることがおかしいからだ。

 なら。

「お前が勝手に決めてくれたらいい」

「また私に委ねるの……?」

 疑心暗鬼な声が耳元に聞こえる。まぁ、そうなるのも無理はない。

「あぁ。別に設定で有利不利が大きく働くわけじゃないだろ?」

「まぁ、それはそうだけど……」

「なら、そっちで決めてくれたらいいよ」

 俺がそう言うと、しばらくばかりして「わかった」と声が聞こえた。

 俺は伝わるはずもないのに、その声を聞くと、なぜかこくりと頷き、画面が移り変わるまでしばし待った。

「……よしっ、じゃあコースはベトナム樹林で、残機は三の、自動回復システムはあり、銃弾は補給不可にするからね」

「了解」

 そんな声をマイクロフォンに響かせると、画面は無機な画面から一転して、緑鮮やかな木々の光景に、その場の状況に不安感を与えるような気味の悪い曇天の空が画面に映った。

俺は普段、ゲームをするとき、ヘッドフォンをしてプレイする派でもないので、細かな音を気にしたことがなかった。だから、背景の外から聞こえる聞きなれない言語やヘリの音、草木が揺れる音、様々な音を聞くたびに、やけにこのゲームはリアリティがあるなと思った。

 よって、そのせいか、妙な緊張感が体に走った。

 カウントが表示される。五秒前。

 おそらく、このカウント中はプレイヤーを操作できないのだろう。だが、手持ちの武器は変えることができるようで、由香は目にも見えぬ速さで、手持ち無沙汰からスナイパー銃に変更させ、スコープの倍率度を変更した。

 二秒前。

なんとなくこの瞬間に、唐突に自身がどうしてこのような勝負をしたのかがわからなくなった。理由はなんだった? いや、理由はわかっている。どうして、これほどスムーズに事が進んだのか。

だが、そんなことを考えることは無駄であり、意味のないことであることに気づいた時にはカウント表示は消失し、視点は枯葉の上を走り始めた。俺は由香の真っ黒な髪から漂う石鹸のような匂いを鼻に感じながら、画面を眺め、少しばかり固唾を飲んだ。

 まず、由香(プレイヤー)が移動したのは、右方のより濃い密林地帯で、さらに兵隊のデバイスの一つであるのか、サブウェポン欄から縄梯子を取り出し、木の上へと昇った。

 そこで、最大装填数が五発のスナイパーライフルを構え、無駄な音が鳴り続けるこの残響世界で、ただじっと銃だけは構えて、由香は何かを待った。

 ガサッ。

しばらくして、いや、しばらくほどの時間は経っていない。ほんの少しだけ時間が経ってから、由香は俺では気づけない何かに気づいたのか、急速にリモコンを操作し始め、視点を狭くした代償に、より遠方の光景を鮮明に映した。そして、ライフルから轟音の銃声を一つ響かせた。

何が起きたのかがわからなかった。少なからず、その狭い視点の中には何も撃つべきものは映っていなかった。なのに、由香は銃声を響かせた。

しかし、その行為が無駄であったと過信した自身の感情を声一つなしで覆すように、ただただ画面には克明に長たらしいコード名とヘッドショットキルと表示され、俺は驚愕の声を漏らした。

それと同時に、俺のヘッドフォン越しから、今の自信の感情を模倣するかのように、ただただ「えっ」という夏下の驚きの声が耳に響く。

 俺はつい、その夏下の動かすプレイヤーをキルしたことに、実感が持てず、声に詰まってしまった。けど、どうしてか次の瞬間には、妙に頭が冴えて、由香が試合前に言った言葉をはっきり思い出し、俺は自然な流れに一つ、セリフを吐いた。

「俺、なんかやっちゃいました?」

 多分、このセリフがちょうど夏下の堪忍袋の緒が切れる程度のものだったんだと思う。そのせいで、夏下の憤怒に悶えるような、言葉にならない声が聞こえた。

 すげぇ煽りに弱いな、こいつ……。ほんとに由香ちゃんそっくりだわ。

 俺のそのセリフを吐いた後には、由香は現在位置を既に夏下に知られたためか、高い木から地に落ち、今度は前方へと歩を進めた。

 ガサガサ。

 由香は枯葉の上を軍靴で踏みしめ、堂々とたるに、銃を担ぎ背負って進む。

 すると、左方のヘッドフォンに、数発の銃声が響いた。となれば、左方に夏下がいることになるのだが、由香はその対応をスムーズに行い、すぐ近くに立つ幹の太い木の陰に隠れた。

 おそらく、ここで一騎打ちをするのだろう。

 由香は幹の裏で、視点は夏下のいるほうの反対側へと向け、何かを待つ。様子を伺っているのだろう。

 しかし、それは夏下も同様で、こちらの経緯を伺うために、足音すらも立てずに、息を殺すよう、沈黙している。

 妙な空間が続く。

 何をしているんだろうか。このままでは何も起きないのではないかと俺は思った。

 だが、そんなことを思った矢先に、上空からどんな環境音や些細な音すらも押し殺すようなヘリの飛行音が響いた。

 それをあるタイミングの一つとしたのか、由香は一瞬で、木の幹を振り返り、グレネードを投げる。その小さな黒塊は決して飛距離を稼ぐことなく、おおよその夏下のいる地点の中間地に落ちた。

 これじゃあ、ダメージは稼げないんじゃないのか。もしかすると、牽制のためだろうか。

 が、どうやら投げられたグレネードはスモーク仕様だった。そのため、黒い塊のオブジェは消失とともに、白煙を吹き出す。よって、空いた雑木林に煙幕が満ちる。

 由香はまた、スモークグレネードを投げる。今度は二つ、同時に投げた。

 そして、やがて全方位に煙が満ちると、由香は幹の裏から飛び出し、靄のような煙幕の中に潜り込んだ。

 俺はそんな高度な戦いを由香の後ろで眺めていて、やけに不気味なことをしていると思った。正直言って、ドン引きしてます。

 ヘリの羽音に満ち、視界すらも閉ざされた、そんな五感のうちのいくつかを引き算された状況の中で、由香の画面に突如、赤い枠が表示された。それとともに、弾丸を身に浴びたような鈍い振動でヘッドセットを揺らした。

 夏下の攻撃を食らったのだ。

 まじか。こんな何も見えない、聞こえない中で、どうやって弾を当てるんだ? 心眼でも使っているのか?

 しかし、由香は一発の弾丸を浴びたことに対し、なんの躊躇も見せずに、それでもまだ前方のほうへ走り出した。

 正直に言って、俺には由香が何をしているのかもわからないし、そもそもプレイヤー自体が煙幕に飲まれていて、何を今、手に持っているのか、今はしゃがんでいる状況なのか、立っている状況なのかもわからない。そんな空間の中で、由香は一体全体、何をしているのか。

 由香は立ち止まった。

 そこで何をしたのかはわからないが、少なからず、由香は何かのアクションをそこで起こしてから、これ以上の前方への進軍は取り消し、またもとの位置へと走っていった。

 そして、少し進んでいくと、スナイパーライフルを構え、何かを待った。それから,少しして、徐々に薄れてく煙幕の中から、煙幕へ、一発。躊躇わずに弾丸を放した。それはもはや熟練な猟師の手際だった。無駄のない、冗長性のない、効率性の高い。

 おそらく、弾丸は当たった。微かに耳に聞こえた鈍い音がそれの証明だろう。

 だが、まだ倒せてはいない。まだ、画面には何も表示されていないからだ。

 由香はスナイパーライフルをハンドガンに切り替えた。画面に映る小さな小銃は見るからに、軽々しさと威力の弱さを見せている。

 薄れていく白煙。遠ざかりつつあるヘリの羽音。小さく聞こえる枯葉の割れる音。いくつかの要素が変化した些細な瞬間に、由香は何のサインもない空間に、三発。照準もつけないで、いとも容易く弾丸を放した。

 一発目、命中。

 二発目、命中。

 三発目、命中。

 完璧だった。職人技だった。

 由香は広い空間の中にある、それほどの表面積もない移動物体を見事にすべて命中させた。

 よって、画面には本日二度目のキルログが表示される。

「また俺、何かやっちゃました?」

 このセリフ、すごい! 汎用性、高すぎ! 今年の『このセリフがすごい!』には間違いなく、ノミネートされるに違いない。賭けてもいい。いや、もう既に殿堂入りしてるか。まったく、まるで将棋だな(殿堂入り済)。

 ヘリは完全、遠方に過ぎ去る。

 同時に、また夏下の声にならない声が聞こえる。だが、今回ばかりの出た夏下の声は、もはや煽りによる驚嘆というよりかは、実力差による憔悴から出た声なのかもしれない。

 由香はターゲットを始末し終えると、また先ほどの木の幹の裏に隠れて、銃は装填しないで、様子を伺い始める。

 おそらく、この動作についてはリスポーンした夏下の観点から見れば、何かの挑戦と受け取ったのか、彼女自身もまた先ほどの木の幹の裏へと今度は足音すらも響かせないで、隠れた。

 ここで俺は、何となくこれは由香が夏下に突き付けた挑戦ではないような気がした。なにせ、由香にはスモークグレネードがない。もちろん、それが欠けただけで、挑戦自体が打ち消されるわけではないが、何となく由香にはそれとは違う意図があるような気がした。

 足音すらも響かない沈黙が続く。

 なんとなく、夏下との距離はゲーム的にも、実際の距離的にも離れているはずなのに、なぜか由香が今いる木の幹の裏にいて、また、俺たちが座っているこの椅子の裏にいて。すぐ近くで、互いに相反するように向き合っているような気がした。

 だから。おそらく、このせいで。

「なぁ、聞こえるか」

 俺は小さなマイクロフォンに向かって、声を掛けたのかもしれない。

「……なに?」

 少しだけ聞きなれた不愛想な声が聞こえる。

「超絶お節介なことだろうと思うんだけどさ。なんで、高校に入ってから、学校にあんまり来なくなったんだ? 中学は普通だったんだろ?」

「なんで、中学のことを知ってるの」

「拍利から聞いたんだよ」

「拍利から?」

 夏下の腑抜けた声が聞こえた。

「それで、高校では何かあったのか?」

 俺は変化のない画面を一点に集中しながらも、マイクロフォンに語り掛ける。顔を合わせていないためか、今なら何でも言える気がした。

 夏下の返答は少しばかり時間がかかった。

 だが、すぐさまに否定する言葉を出していないところ、自分の頭である程度、今から話す言葉を整理していたのかもしれない。

「疲れたから」

 そんな声が聞こえる。

「登校することにか?」

 まさか、そんな理由だったら、俺ではどうしようもない。引っ越ししてどうぞ、としか言えないわ。いや、この件は引っ越ししても、解決できない。

と、これだと対策しようがねぇな、なんて色々考えていたら、すぐさまに「違う」と返ってきたので、ほっと俺は胸を下した。

「その。人に疲れたの」

 淡々と出された声には含みがあった。そのせいか、俺は答えに少しだけ詰まってしまった。

 夏下は言葉を続ける。

「でも、分かってるよ。ちゃんと分かってる。そんなのは単なる我儘だってことぐらいは。

私だって、そのうちに多分、大学に行って、家を出て、働いて、そうやって生きていくと思う。その中で、人なんか選んでられないし、選ぶ権利なんかは私にはない。人と付き合わないわけにはいかないし、こんな考えはダメなことぐらい分かってる。

けど、けどっ……。わざわざ自分が他の人に合わさなければいけないことがどうしても嫌で、なんか押し殺されている気がして、そのうち自分じゃなくなる気がして……」

 長々しく放たれた言葉の余韻が耳に残る。

 はっきり言って、俺は夏下のことなどは全く知らない。当然だ、今日初めて顔を合わせたのだから(向こうは少し知っていたらしいが)。そんな会話という会話もしてない中に、俺が夏下の像がどのようなものであるかを推定するという偏見たる行為は愚行に等しい。よって、俺が夏下の持つ背景を勝手に臆するのは良くない。

 しかし。しかしだ。夏下に対して、同感するぐらいは許されてもいいんじゃないかと俺は思う。共感し、納得し、少しだけ傷を舐めあうことぐらいは許されてもいんじゃないだろうかと俺は思う。

 だから、俺は不慣れながらに。

「いや、めっちゃわかるわ。すげぇわかる。凄惨なぐらいにわかる。熾烈にわかる。厖大なぐらいにわかる。森羅万象レベルにわかる」

 と、痛感するぐらいに一つの感情を身に沁みらせながら言った。

すると、夏下の呆れたような、それでいてどこか関心を漂わせるような声が聞こえた。

「最後のは意味がわからないけど……、そんなにわかるの?」

「あぁ、かなりわかる。俺もそうやって、結構人との距離をとったりしてしまうからな。けど、こういう性格が損してることもわかる。なんか色々と難しいよなぁ」

 俺もそうだと言わんばかりに、夏下には見えやしないはずなのに何度も首を縦に振る。

 そう。俺も夏下の言わんことはよくわかる。また、そういった性格が損気であることも分かってる。だから、こういう悩みは質が悪い。わかっていて、それでも深く悩んでしまう。故に、本当に気の合う人がいたらなぁ、なんて思ったりすることは多々あったりするものだ。

 けど、俺には妹がいる。そう、由香がいる。俺たちのやり取りを外から見れば一見、犬猿の仲のようにも感じるが、実際にはそんなことはない。互いをよくわかっていて、求め合い、気を使わない、これほどのベストパートナーはいないほどだと俺は自負してるぐらいだ。本当に我ながら、由香が妹であってくれて、近くにいてくれてよかったと感じている。

 だからこそ、俺は別に、友達も深い仲の知人も求めたりするわけでもない。また、それは恋愛事情でもそうだ。そりゃあ当然、俺だって男である以上、恋人の一人や二人は急激に欲しくなることもある。でも、これまでの人生で色々な人と義務的な環境で出会い、一度も深い仲の友人などができたことがないのだから、冷静に考えてみれば、恋人など論外だ。俺のような面倒くさい性格に向こうが合わしてくれるはずがない。そう、大抵の恋愛の成就は妥協か一時的に火照った感情によるものなのだ。それなら、俺にとってはまずは気の合う友人でも作ったほうがましだ。

 しかし、それは俺の話。俺にとっては、そうであっても、夏下はそうでないかもしれない。感情など、一見似つかわしいものでも、よく見ればまったく違うだなんてことはざらにある。だから、俺の持つ考えやとらえ方がたとえ、夏下と対象が被っていても、何一つ断定などできないし、答えなど千差万別だ。ただ……。ただ、思い悩んでいる点において、共通していることぐらいはいくつかあるだろう。だったら、それに加えて、俺が譲歩すればいいだけの話だ。

 ここで、俺は一つわざとらしく咳払いし、先ほどの言葉とつなげる。

「だからさ、俺じゃあ全く代わりにならないと思うし。こういうことを言うのは間違ってると思うけどさ。少なくとも俺はお前がどんなやつだろうと普通に受け入れるし、話も合わせるし、軽蔑なんかしない。

後、なんていうか。クラスでもまずい状況があれば俺を利用してくれてもいいし、勝手にだしにしてくれてもいい。簡単に裏切ってくれてもいいし、手軽に再利用してくれてもいい。えーっと、あとはそうだなぁ。気が向けば、お前に気の合う友達探しだって手伝うし」

 とりあえず、俺は思いつく限り、譲歩の案をいくつも提案してみた。

 すると、風の音すらも止んだ熱帯の森林から乾いた笑い声が聞こえた。ただ、それは実際に乾いているわけではなく、不慣れからきた笑いに感じる。

 俺はそんな声をどうとも感じることなく聞き続けていると、やがてその周期的な声は止み、夏下の声が聞こえた。

「そんなこと言う人、初めて見たかも」

「そうだろうなぁ。自分で言っていてあれだけど」

 俺もこんなことを言うやつは初めて見た。なんですか、この臭いセリフは? 言っていて恥ずかしくならなかったのですか? 自惚れていたんですか? はい……、なんか自惚れていました(猛省)。けど、思春期の男子の考えってみんなこんなもんだよね! 自分の中でめっちゃかっこいいと思っていた考えや言葉も、実は遠くから見ればめっちゃ痛かったり、異常だったりするものだ。……おそらくだけど。

 再び、静けさが蔓延すると、呟くような小さな声が耳に届く。

「甘えてもいいのかなぁ」

 俺はすかさず答える。

「いいと思うぞ。ただ、甘やかしすぎないようにはするけどな」

「ふふっ、何それ」

 そんな微笑がヘットフォンの中に聞こえてくる。

 そして、その声と同時に遠方に爆発音が炸裂した。

 おそらく、由香が既に夏下サイドに何かを仕掛けていたのだろうが、俺はもう気に留める気にもならなかった。とにかく、総じて、感想はこうである。由香はえぐい。

 画面にwinnerと豪華絢爛に表示されると、スコアが表示される。そのスコアは見るまでもなく、圧倒差だった。

「負けた。ほんと、強い」

 夏下は息を吐くように、そう言った。

「まぁ、俺の勝ちということで」

「そだね。それで、私に何してほしいの?」

 そういや、忘れていた。たしか、勝ったほうは相手を好きにしていいとかいうムフフな約束があったな。どうしてやろうかなぁ、ムフフ。

 と、一瞬だけ、破廉恥野郎の思考になってしまったが、別にそんな系統の命令をできるほど俺は根性もないので、ただ端的に。

「明日から、普通に学校に来てくれたら、それでいい。あっ、あと、できればポニテで来てくれると嬉しい」

 最初は何となく決まったセリフっぽかったけど、最後に何を言ってるんですかねぇ、この男は……。時代と環境によれば、セクハラだよこれ。でも、仕方ないね、これが思春期だもの(投げやり)。

 夏下からの返答はなかった。

 というよりかは、接続が切れていた。

 俺の言葉が夏下本人に俺の声が届いていたのかどうかは定かではないが、できれば最初の言葉だけが届いていて、最後のセリフは届いてように願う。頼むよ、マジで。

 そんな祈祷をしつつ、俺はヘッドセットを耳元から離すと、勝負を終えた由香は大きく息を吐きながら、俺に背もたれするように倒れる。

 ふと、その重みを改めて感じる限りに、由香も成長したもんだと思った。

「お疲れさん。圧勝だったな」

「まぁね。由香ちゃんの手にかかれば、お茶の子さいさいよ」

「それは素晴らしいことで」

 俺は微笑みながら、終了されたデスクトップの画面を見つめる。

「ねぇ、兄」

「うん? どうした」

「夏下って人と仲良くしてあげてね」

 なんとなく、今この瞬間。既視感のない光景を目の当たりにした気がした。おそらく、そう思ったのは由香がこういった似つかわしくないセリフを吐いたからだと思う。

 俺は右手でぼさついた由香の髪をもっとぐしゃぐしゃになるように撫でまわす。

 由香は「うわぁ、セクハラ、セクハラ」なんて、からかうように俺に言ったが、別段俺は気にしない。

 やっぱり、お前は優しいな。

 そんな気障なセリフは恥ずかしいので、ただただ俺は由香の頭を撫でまわしながら、「まぁ、頑張ってみますよ」と、希望的観測でそう言った。

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何かが決定的に違う青春ラブコメ 人新 @denpa322

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