第7話
家に着き、玄関口に置かれた靴の数を確認しては、俺は靴をすぐさま脱ぎ、ジャイアンにいじめられたのび太の如くに。
「由香ちゃん! 由香ちゃん! 由香ちゃん!」
と、叫びながら階段を駆け上がった。
当然、そんな声が家に響くのはおかしいので、一度部屋に入れば、中々外に出てこない由香も気になったのか、制服姿で、しぶしぶドアを開けて、俺の顔を見た。
「どうしたの、兄? 天神のcmぐらい由香ちゃんの名前呼んで」
「それがだな、実はまずいことになったんだ。大変なことになったんだ。やばいことになったんだ」
「あまりに冗長性がありすぎて、逆にやばさが伝わってないぞ……」
由香はやれやれと言わんばかりに、息を吐く。
「まぁ、何があったのか知らないけど。とりあえず、部屋に入って。中で聞くから」
由香は親指を部屋に差し向ける。
おぉ、なんか姉御肌みたいでかっこいい。けどなぁ。
「由香ちゃんの部屋、汚そうだし……」
「あぁ! 汚くない! 全然、汚くないから! 全国中学部屋模範大会で優勝したぐらいだから!」
由香は激しく部屋が綺麗であることを主張する。
でも、前に由香の部屋に行ったとき、そこら中にエナドリとか、本とか、段ボールが乱雑に置かれてたし……。って、全国中学生部屋模範大会って、なんだよ。
まぁ、部屋の言及はいいか。とにかく、相談に乗ってもらわんといかんしな。
そういうことで、俺は由香の部屋に入り、思った以上に中が綺麗だったことに驚きを隠しながらも、ことの顛末を由香にぺらぺらと話した。
「…………よって、その夏下というやつは由香ちゃんそっくりだったんだ」
「なんか、途中で話変わらなかったか……? 大事な約束をかけた勝負するんだって言ってなかったか……?」
由香は俺の話を聞き、いまいち話の全体を理解できなかったのか、「ちょっと待って」と情報整理を始めた。
「……えーっと。要は、BOWでその夏下っていうやつを打ち負かさないといけないってこと?」
「そういうこと」
「そういうことじゃねぇだろ。お前、夏下ってやつの魅力しか語ってなかったじゃねぇか」
やたらときつい言葉が来る。ただ、俺たち兄妹のやりとりは大体、いつもこんな感じなので、気にならない。
「だって、由香に超そっくりだったもん。エナドリ持ってる姿とか、髪とか、声音とか瓜二つだったもん。だから、なんか夏下を見てると、だらしなさが見えてさ、保護欲? っていうのかな、そういうのが腹の底から湧いて出てきたんだよな」
「それで、夏下とやらの魅力をつい語ってしまったと?」
「そうなる。あっ、でも、胸の大きさは由香ちゃんの完全敗北だった。残念」
「よし、お前をPCパーツの一部にしてやるから、首を差し出せ」
「落ち着けっ」
部屋隅に置かれたドライバーを手に持ち、迫りくる由香ちゃんを俺はなんとか対処しながら、「とにかく語り合おう」と必死に宥めた。そう、由香ちゃんは惚気話と煽りに弱いのだ。
こうして、しばらくぶり、「ぐぎぎ」と互いに言いながら俺は防衛線を張っていると、くそ雑魚ナメクジ体力の持ち主である由香は喘息しながらも、武器を下した。基本的に、由香は攻撃性が非常に高いが、タイピング以外の攻撃となれば、すぐにへこたれてしまうのだ。さすが、体育成績万年一は伊達じゃない。
「はぁはぁ……。それで、由香ちゃんは何をすればいいの?」
床に仰向けで倒れ、息を整えながら、由香は口を開く。ほんと病的なレベルに体力ないな、こいつ……。だが、それを口にすれば、また闘争が始まりかねないので、その発言は撤回し、俺も寝そべって、由香にお願いする。
「俺に代わって、BOWをプレイしてほしい」
「まぁ、だろうと思った」
由香は既に分かっていたと言わんばかりに頷き、こちらに視線を向け、震えた手で指をすべて開いた。
「十本はどう?」
「いや、健康を考慮して、五本だ」
「なら、九本」
「六本だ」
「じゃあ、七本」
「うむぅ。まぁ、七本で」
「交渉成立ね」
仕方ないか。俺がそう述べると、由香は体を起こし、さっそくパソコンが置かれた席に向かった。ちなみに、ちょうどいま行われた交渉の内容はエナドリを奢る本数のことだ。
「試合は何時から?」
マウスをカチッと押し、パソコンのスリープ状態を解くと、由香は椅子に背もたれながら、こちらに視線を向ける。
俺は薄暗い部屋の角隅に張られた時計を見て、ざっと計算する。
「あと、二時間後ぐらいだな」
「結構、空いてるね」
「まぁ、ちょっと思惑があってな」
「ふぅーん」
興味なさそうに由香はそう呟くと、デスクトップに表示されたアイコンをダブルクリックし、BOWの画面を開いた。
「そういや、フレコはこっちが送るの?」
コントローラーを持ち、画面を見つめたまま由香は聞く。
「いや、向こう側が教えてくれた」
俺はレインに送られた夏下のフレコを由香に見せる。由香はその長たらしいメアドのようなフレコを眺めていると、「あれっ」と少し驚きの声を出した。
「どうした?」
「いや、このフレコって、確か……」
由香は俺に「ちょっと待って」と告げると、素早くコントローラーを操作し始めた。
どうしたんだろうかと、俺は画面をのぞいてみるが、ランキングを確認したりして、由香が何をやっているのかが理解できない。
「やっぱり」
抑制のない声で由香がそう呟くと、俺に見せつけるために、画面に指を差した。どうした?と、つい反射的に聞いてしまいそうになったが、その長たらしいアドレスの横に銀の冠マークが表示されているのを見て、なんとなく察しがついた。
「どうも、夏下やらはかなりのガチ勢みたいだね」
「そのようだな」
俺は由香の言葉を後追いするように頷き、しばらく画面を見つめ続けた。
「銀冠ラインに食い込むのって、難しいのか?」
俺はついその銀の冠と長たらしい無秩序なコードを見て、由香に聞いてしまう。
「めちゃくちゃ難しいね。銀冠は少なくとも、長時間やったところで達成できるわけじゃない。ここらの域は才能とかかなりの高等な技術が必要になるからね」
「なるほどな……」
そりゃあ、道理であいつは自信があったわけだ。
うーむ、しかし、これかなりやばいんじゃないのか?
俺はじわりと心底に湧く焦燥感を感じながら、つい由香の肩を掴んで、聞いてしまう。
「これ、勝てるのか?」
なんとなく、まずい気がする。そんな心情が一色に染まろうとする。
が、どうも由香はそんな焦りなどを微塵には感じていないのか、何も応えていない。なんなら、「くっくっくっ」とか現実世界ではあんまり聞いたことのない笑いをしていた。
「ど、どうした?」
俺は頭がおかしくなった由香を無意識に心配してしまう。
だが、由香はそれでも相変わらずに高笑いを重ね、したり顔でこちらを見る。
「まったく。兄はこんな言葉を聞いたことがないのかい? 星新一がペンを握れば、ぼっこちゃん。城ヶ崎由香がコントローラーを握れば、フルボッコちゃんって言葉を」
「聞いたことないわ」
至極に聞いたことがないわ。
「まぁまぁ、これを見てみな」
由香は何か誇った顔をしながら、さきほどと同じ画面に指を差す。ただ、その指先の座標は銀冠の一つ上にあった。おい、まさか。
「お前……、金冠持ってんのか?」
「ザッツライト」
「まじかよ……」
そんな才能あんのかお前……。なんかお兄ちゃん、ちょっとドン引きしちゃうよ……。
「だから、心配しなくてもいいよ」
由香はそう言うと、優しく俺に微笑んだ。なんとなく、その言葉とその微笑みは違うベクトルの意味を持っているような気がした。
「でも、さすがに銀冠には確実に勝てるわけじゃないから、リプレイ見て対策を取らせてもらうけどね」
由香は微笑みを重ねると、画面に目をやった。
そして、「ははは、夏下とやらよ。フレコを送った時点で、お前の敗北だ! お前は所詮、銀冠! お前は所詮、部屋の片隅で一人きり! お前は所詮、井の中の蛙! お前は所詮、社会不適合者なんだよ! うははは、哀れ、哀れー!」などと年頃の女子中学生が出すには到底思えない、悪魔の断末魔を響かせてはコントローラーを操作し始めた。
やっぱり、由香ちゃんは、由香ちゃんである。
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