第5話

「遅いわね」

 放課後、日に満ちた教室の中に、拍利は不機嫌な顔で、机の上で足を組みながらそう言った。なんとなく、ここから見える拍利のビジュアルが絵になっている。多分、『雄豚を仕える者』とか言うタイトルで写真投稿したら、フェチな賞でももらえそうだ。

「ゴミ捨てあったんだから、仕方ないだろ」

「言葉」

「し、仕方ないでしょ」

 なんか女の子みたいな話し方になっちゃった。

「はぁー、にしてもまさかの事態ね」

 拍利はため息をつきながら俯く。まぁ、石原君の好みの中に入ってなかったのだから、こうなるのも分からないことはない。俺もグループ分けの時に名前が入ってなかったら、よくこうなる。なんか違うけど。

「よりによって、まさかの夏下なんかが好みなんて……」

 夏下?

 もしや、『夏し』さんの事だろうか。

「あんな地味ニートなんかに……」

 夏下ぁ……。誰か知らんけど、色々文句言われてるぞ。

「あのぉ、夏下って誰ですかね?」

「夏下は、夏下よ」

 無愛想に拍利は答える。

 そりゃあそうだ。夏下は、夏下だ。ただ、そんなことは聞いちゃいねぇ。

「もう少し詳しく説明してくれませんかね?」

 しつこく俺が食い下がると、拍利は廊下側の席に指を差した。

 その席には見覚えがある。あの空席だ。おぉう、まさかの不登校さんって夏下のことだったのか。

「でも、あの子を連れてこないと行けないし……」

 どうやら、爪を噛むようにして葛藤してるようだ。

 はぁ、なんかややこしいことになったな。さっさと、役目を終えて帰りたいでごんす。

 てか、今思えば。

「そういや、石原君の件だけどさ。これで、大体の情報は差し出したもんだし、この件は終わりでいいよな?」

 そう、俺が拍里に頼まれたのは石原君の情報。そして、その究極的な目的は彼の好みのタイプを聞き出すことだ。それを今日、俺は引きだしてしまったわけだから、これで石原君の件はミッション完了になる。やばいな、この速さはチート扱いにならないか? そろそろ、運営が修正をいれにきてもおかしくはない。

 が、その件を拍里は認めていないのか、鋭い眼光をこちらに向ける。そのせいで、俺の高慢な気持ちが萎えてしまう。ひぇっ、怖い。何人殺してきたんだ、あいつ。

 けど、拍里はしばらく俺を睨み続けると、ため息をついて、声音をやや優しくしながら声を出した。

「でも、まぁ、実際に城ヶ崎君が持ってきた石原君の情報は今までにない有益な情報だったし、そのことには感謝してるわ」

「おっ、じゃあ、その件は……」

「にしても、まだ足りないわ。たった一つの情報で確信なんて持てないでしょ」

「まぁ、確かにそうだけど……」

 ということは、ミッションは存続されることになるわけだ。てか、このミッション終わるん?

これあれだよね、部活で俺がいいって言うまで走れとかいう体育会系の顧問がよくいうやつだよね。ゴールを設けろ、ゴールを……。

 そういうことで、具体的なゴールでも聞き出すか。

「えっ、どこまですれば石原君の件は達成かって? 決まってるじゃない、私が納得いくまでの量の情報を差し出せばよ」

 こいつも体育会系の顧問だった。解放区はどこですか?

「えっと、どれぐらいの量でして?」

「それは日によって、変わるわね」

 拍里はニコリと微笑む。

 あっ、やべ、これ終わらないやつだ。しまいに、全部の情報を差し出した後に、「ご苦労だったなぁ」とか言って、鉛球を頂戴するやつだ。

「し、死にたくない……」

「何を言ってるの、あんたは……」

 拍里の呆れ声が聞こえる。

「まぁ、あんたの考えてることは置いておいて、とにかく今後も石原君の情報提供はお願いするからね」

 まぁ、仕方ないのか。仕方ないのかな? いや、冷静に考えたら仕方なくないな。

 ただ、俺の恥部がかかっているので、迂闊に首を横に振ることはできない。よって、しっかりと俺は首を縦に振る。

 拍利はそれを確認すると、少しばかりうむうむと頷き、はたまたいつものような冷酷交じりの顔色で口を開いた。

「とりあえず、今は石原君の件は置いておきましょう。先に、肝心の夏下をどうにかしなきゃ」

「どうにかするもなにも、その夏下という人やらを学校に連れてこないといけないんだろ?」

「えぇ、そう。でも、それが問題なのよね」

 拍利はまた考え始めた。

 しかし、そこまでして不登校の人間を学校にまで連れてくる必要性はあるのかね? 正直、高校は小中と違って、義務教育なわけじゃないんだし。と思っていたが、拍利はどうもクラス委員だったり、そもそもの学校側の方針自体がいじめノーというか、総生徒登校を心掛けていたりするので、そういう責務をひしひしと感じているのかもしれない。また、仮にその理由に該当してないとしても、夏下という一人の生徒を学校に連れてくることに対して、ここまで頭を働かせているのであれば、彼女自身が夏下本人と何らかの関係性があったりするのだろう。なにせ、わざわざそこまで他の生徒に気にかける必要なんてないからだ。

 そう考えると、改めて拍利という人間はよくわからんもんだと思う。ただ、俺は別段、彼女に対してその心情を理解しようだなどは思わない。俺はあくまで、彼女の使命というか、命令というかそれを果たすだけだ。そして、早々、解放されるのみだ。よって、さっさと、フリー状態になりたい願望に満ちた俺は拍利に質問をかける。

「なぁ、夏下っていつから不登校なんだ?」

 そういや、『言葉』って慎ましい声で言われる! って思っていたが、拍利本人は一々、そのことに気をかけるのも面倒になったのか、悩ましい顔で答える。

「えーっと、確か、一年の三学期ぐらいから本格的に不登校になってきたわね。まぁ、それまでも結構、休むことは多かったんだけどね。でも、あの子、卒業するつもりはあるのか、出席日数だけは最低限あるのよね」

「ほーん。ちなみに、いじめとかは?」

「そんなのは見なかったわね。って、あんたも一緒のクラスだったでしょ」

「いや、石原君しか覚えてないから」

「それもおかしいわよね……」

 はぁ~、と拍利は息を吐く。

 しかしまぁ、夏下さんとやらとも、同じクラスだったとは案外、世界は狭いもんだ。

 と、どうでもいい考えの上に一つ先ほどの拍利の話の中に気にかかる言葉があったので、ふと質問をしてみる。

「そういや、夏下のことを『あの子』って呼んでたけど。親しかったりするのか?」

「へっ? あー、まぁ、親しいというか。別に仲良くはないんだけど、中学が一緒だったのよね」

「ほぉ、なるほどね。ちなみに、夏下の不登校気味って中学からか?」

「いや、そんなことはないわ。あの子は中学の時はクラスの中心ってほどではないんだけど、普通に明るくて、元気な子だったし」

「はぁはぁ、なるほど」

 てことは、高校に入ってから、不登校気質になってしまったってことか。にしても、高校で何があったのかね。と原因を考えつつも、不登校の要因なんていくらでもあるからな。例えば、中学の時よりも朝が早くなったせいでなんてのもあり得るし、勉強がついていけなくなったってのもあり得る。ただ、今回の話を聞いてるばかりでは、夏下は二年に進学してるし、卒業する気はあるみたいだから、後者はないだろう。まぁ、だとしても、色々と原因はあるので、絞ることはできないが。

 となれば、できることは一つだけ。

「直接、本人に聞くしかないな」

 ただ、この空気抵抗すら無視したド直球ストレートに拍利は疑問を持ったのか、呆れを抱いたのか、清楚らしからぬ「はぁ?」なんて声が聞こえる。

「だって本人から原因聞かないとわかんないし」

「いや、そりゃそうだけど。そんなことわざわざ、本人が言うわけないでしょ。馬鹿なの? 主食はバッタなの? カエルなの?」

「最後のは意味わからん……」

 なぜ、バッタとカエル……。あっ、もしかして、バッタとカエルのそれぞれの頭文字とって、バカって意味か! なるほど! じゃねぇよ。うまくねぇし。あっ、味的にも。これもうまくねぇな……。

「まっ、とにかく本人から聞いても無駄よ。私も一回、あの子に聞いたことあるけど、うんともすんとも話さなかったもの」

「それはお前が嫌われていたからじゃあ……」

「はぁん?」

「イエ、ナンデモナイデス」

 思わず、英語の発音みたいになっちゃった。

「まっ、とにかく無駄なものは無駄よ。それよりも、他の策を考えなくちゃ」

 と、また拍利は考えるポージングを繰り出したが、正直言って、これは冗長的だ。具体的な案は出にくし、なにより俺が手伝えない。やはり、その解決策を練るには夏下自身が何に対して思い悩んでるんか、もしくは何に対して思いを抱いているのかを理解せねば何も解決には進まない。世の中には数々とカウンセリングルームだとか相談室だとかあるが、それらの使用用途には漠然とした思いを抱え込んで相談に来るやつはいない。やはり、自分でその不登校原因にせよ、悩みにせよ、それらの要因をはっきりしてこそ、初めて相談できるのだ。じゃないと、相互的に理解はできないからだ。よくよく、口にせずして自分のことをどうして理解してくれないんだと口にする輩がいるが、それは間違いだ。人は自分以外の人間の心情を見ただけで、根本的理解することができない。なんなら、自分の抱えている現状の心情理解すらも曖昧になっていることがあるくらいなのだから。よって、自分の心情の説明を言うことにすら、辛く感じ、抵抗感じてもなお、言わなくてはわからない。結局のところ、聞かなくてはわからないのだ。

 でも、わかってる。世の中はそうは問屋が卸さない。俺だって、両親には自分のことは相談しがたいことだってあるし、簡単な頼み事すらもできないことがある。その時、自分にはやはり女々しい感情が湧いて、どこか面倒くさい自分の感情を見つめながらも、どうしてわかってくれないと口にしそうになることもある。そう、世の中には俺みたいに簡単なことを言えない人間だっているのだ。また、聞く側もそうだ。誰もが、理想像のように聞き入れ、本当にわが身のように悩み、考えてくれる人間などそうはいない。それは仮に、血のつながった両親ですらも、親友だと思い込んでいる相手すらもそうでないことはある。

 だとすれば。という話だが。

 もう、これには聞き出すしかない。そして、聞き出す側が理想像となり、懸命に理解し、できる限りの助長をしてやるしかないのだ。仮に、これでも無理だというなら、相手が話すまで待つか、相手が自分自身で変わるのを待つしかない。それ以外にはないのだ。

 そういうことで、俺は自信もあるわけではないが、これが短絡的で一番な考えだと思うし、どうにかしてみると拍利に伝え、彼女から夏下の住所を聞くことにした。

「無駄だと思うけど……」

 と言いつつも、拍利はブレザーからメモ用紙とボールペンを取り出し、書き書きを始めた。

「ねぇ、仮に、それがうまくいかなかったらどうするの?」

 拍利は手を動かしながらも、俺に問いかける。

「そりゃあ、その時は石原君を連れてだしてだな。夏下に甘い囁きしてもらって、万事解決よ」

「あんたは石原君を神か何かと勘違いしていない……?」

 メモ用紙に目を向けながらも、拍利の呆れ返る声が聞こえる。

「にしても、なんであんたはそんな協力的なの?」

「あぁん? お前が脅迫したからだろ?」

 俺は拍利に狂犬の如くチワワのような睨みをきかす。

 ただ、拍利は俯いている状態なので、俺の睨みなど目にも入らない。くうぅーん(哀傷)。

「いや、確かにそれはそうなんだけど……。それにしては、えらく積極的だなぁって思って」

「それは単に、早く解放されたいからだ。ぐだぐだやるより、テキパキ動くのが一番早く終わるし」

「けど、そうだとしても、人のためにそこまでやんないわよ、普通」

「まぁ、そのことに関しては俺自身もそう思ってる。こんな説極性のある自分は多分、一世紀に一回ぐらいしか出てこない」

「せめて半世紀にしときなさいよ……」

 拍利はそう言うと、やれやれと言わんばかりに首を振り、書き上げた紙を俺に渡した。

「はい、これ。一応、住所だけど」

「おぉ、センキュー」

 一応、俺は礼をして、その紙を受け取る。

「ほんとに大丈夫なの?」

「わからん。でも、まぁ、やるだけやってみるほうがいいしな」

 俺は受け取った紙の内容はここで確認せずに、ポッケにしまう。

 さて、やることは決まったし、さっさと行動に移すとするか。

「んじゃ、行ってくる」

 俺は念に拍利に確認をとるため、手を挙げる。そのサインを確認した拍利はどこか不服そうな顔をしていたが、それでもわかったと言うように首肯した。

 俺は拍利の確認がとれたので、そのまま踵を返し、教室の外へと向かっていく。

「ね、ねぇ」

 背後のほうからは何となくか拍利の声らしからぬ普通の女の子の声が聞こえた。俺は視線を変えるのが面倒なので、ドアに手をかけながら「ん?」と返す。

 それから、しばらく間があった。

 その空白はやけに教室内の寡黙さが目立つ。そのせいか、窓の向こう側や廊下の向こう側から春風を帯びた生徒たちの喧騒がやけに耳に届く。

「いや、やっぱり、なんでもないわ」

 拍利の遠慮じみたそんな声が聞こえると、俺は「わかった」とだけ言い残し、教室から出て行った。

 おそらく。いや、おそらくというよりかは確実に、拍利は俺に何かを言おうとしたのだろうと思う。けど、そんなことをわざわざ気に留める気にもならなかった。

いや。なれなかった。

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