やっつけ仕事~意欲のまま書いた短編集~

霧雨

第1幕 繭の中のメアリー・スー

 みんなは「メアリー・スー」という言葉を知っているだろうか。


 「メアリー・スー」とは、人々の希望。


 「メアリー・スー」とは、作者の理想。


 「メアリー・スー」とは……・・・・ ・ ・ ・  ・  ・


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 もし、人々の希望が、作者の理想が、我々に牙をむいたとしても。それを希望といえるだろうか。


 東京のある大学。「七海」という女子大生は好かれていた。あらゆる人間に。


 それもそのはず、彼女は頭脳明晰、品行方正、容姿端麗、その極致たる人間だった。


 男性は彼女に対して、まるでかぐや姫に求婚するかのようにプロポーズをし続けていた。


 女性は彼女に対して、陰口も小言もいうことはなく、寧ろ彼女を女神のように崇拝した。


 一見すれば、誰からも好かれる「理想」の女性。誰もが憧れる「理想」の人間。


 しかし、「七海」は不満足だった。むしろ、現状が嫌で嫌で仕方がなかった。


 なぜ自分ばかりが、ここまで好かれなければならないのだろうか。


 なぜ自分ばかりが、ここまで愛されなければならないのだろうか。


 なぜ自分ばかりが、ここまで奉られなければならないのだろうか。


 家族からも、親戚からも、友人からも、他人からも、老人からも、若人からも。


 男性からも、女性からも、子供からも、大人からも。動物からも。植物からも。


 こんな生活が、いやで、憎くて、嫌いで、辛くて、苦しい。


 誰からも愛され、自分の思い通りにすべてのことが進む世界。


 誰からも好かれ、思い通りに世が動く「神」になったような。


 彼女は、「七海」は、そんな世界が、自分が、とても嫌いだった。


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 ある日のことだった。彼女が熱で倒れた。高熱だった。


 完全に未知の病気で、医師にも治せない。難病だった。


 当然彼女は悲しんだ。悔し涙すら流した。悔しかった。


 病室には彼女の「友人」が毎日やってきた。彼女を慰めるためだ。


 「友人」は彼女に山のように果物や人形を置いていった。


 「友人」は彼女にたくさんの言葉や応援をかけていった。


 「友人」は彼女に太陽のような笑顔を振りまいていった。


 「七海」には、それがただのお節介にしか思えなかった。


 「別に来なくたっていいのに」


 「何もここまでしなくたって」


 「私なんかに無理しなくても」


 彼女の気持ちは友人も、医師も、看護師も、家族でさえ気づかなかった。


 みんな彼女に、ただただ愛情を、慈愛を送っていただけだ。


 彼女の心をまた、闇が糸を張った。彼女にとっては、いつものことだった。


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 彼女の病室に医師が向かうと、彼女の体を糸が薄く覆っていた。


 まるで蚕が繭で自分の体を包み込み始めるかのように。


 まるで幼児の体を母親が優しく毛布で覆うかのように。


 しかし彼女の顔は、停止したロボットのように仏頂面だった。何をしていいのかわからず、絶望したような…、そんな感覚すら感じさせる。


 医師は、彼女の体を覆う「糸」を鋏で切り、引きはがした。


 翌日、彼女の病室に医師が向かうと、彼女の体を糸が昨日より厚く覆っていた。


 まるで蚕が繭で自分の体を封じ込めるかのように。


 まるで冬場、厚手の布団で自分を覆うかのように。


 彼女の顔は糸でおおわれて見にくいとはいえ、どこか悲哀すら感じさせるような、表情をしていた。


 医師は看護婦を呼び、彼女の体を覆う「糸」を強引に引きはがした。


 また翌日、彼女の病室に医師が向かうと、そこには「繭」があった。


 人一人入れるほどの大きさの、純白の繭があった。


 白い真珠のように白く、美しく、硬い繭があった。


 もう彼女の表情を見ることは、繭を割らない限りはできそうにもない。


 医師は彼女の体を覆う「繭」を割ろうとしたが、何人がかりでも割ることはできず、そのうち、医師たちはあきらめた。


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 「七海」が「繭」になった。


 この「事実」は「家族」「親戚」「友人」「他人」「老人」「若人」「男性」「女性」「子供」「大人」「動物」「植物」、「全人類」に伝えられた。


 人々は「繭」に覆われた「七海」を一目見ようと彼女のいる病院へ駆け込んだ。


 人々は「繭」に覆われた「彼女」を一目見てみたい、ただ、それだけであった。


 人々は「繭」に覆われた「何か」を一目見てみたいだけでそこに愛はなかった。


 かつて人々が「七海」が嫌になるほど与えた「愛情」。


 かつて人々が「彼女」に無限大に与えていた「慈愛」。


 かつて人々が「彼女」に無償で無限に与えた「幸福」。


 そんな安っぽい感情は、今の彼らにはない。


 ただ「繭」を見てみたい。それだけであった。


 「繭」の中に眠る「七海」そのものをみたい。それだけであった。


 「山」のようにあった贈り物も、今はない。


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 彼女が「繭」になってから1か月。彼女が目を覚ました。


 人々は「繭」から出てきた彼女を、好奇の目で見届けた。


 しかし、彼らは戦慄した。


 そこに、彼らの知る「七海」は存在しなかった。


 確かに中から出てきたのは「七海」ではあった。


 しかし、現れた彼女は「異形」の姿となっていた。


 「彼女」の背中は、「天使」「悪魔」「妖精」「機械」のようなフォルムの4つの羽が、まるで「蛾」のような形で生えている。


 「彼女」の長い黒髪は、繭と同じ白髪と化しており、日の光でプリズムを通過した光のように七色に照らされている。


 「彼女」の瞳は、虹色に輝いている。ただ瞳をのぞいてみると、万華鏡のように中の模様が不気味に蠢いている。


 「彼女」の足元には、どろどろの「何か」があった。その「何か」は「肉」にも「血」にも「脳漿」にも「内臓」にも「骨」にも見える。それは不愉快な音を立て、依然滴り落ちている。


 もうそこに「七海」本来の姿はなかった。


 そこには、「七海」の姿をした「異形」の姿があった。


 「異形」はどこか美しく、どこか不気味。


 人々は、変わり果てた「異形」に、ただ戦慄するしかなかった。


 人々は、生まれ変わった「女神」に、恐れるしかできなかった。


 人々は、美しき「化け物」に、悲鳴の金切り声をあげて逃げ惑う。


 美しき「幻妖」は窓から飛び立つ。ひな鳥の巣立ちのように。


 醜き「人類」は玄関から逃げ惑う。爆発から逃げ延びるように。


 悍ましき「神様」は、異形の翼から「光」を放つ。


 刹那、大地はドロドロに溶け、悲鳴の爆破音を奏でる。


 鍍金が剥がれた「人間」は「光」から逃げ続ける。


 だが、人は大地に飲まれ、爆炎に焼かれて死に絶える。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 かつて、誰からも愛され、慕われ、崇められた少女。


 しかし、今は避けられて、嫌われ、恐れられた少女。


 「異形」を攻撃する「人類」


 「愚人」を拒否する「神様」


 どちらから見ても、互いの目には「敵」でしかなかった。


 かつては愛があった互いの関係。しかし何かがあればすぐに瓦解してしまう。


 人々という名の「繭」から現れた「メアリー・スー」は皮肉にも「悪魔」と恐れられてしまった。


 それは彼女が真に望んだことであろうか。


 滅びかかった世界の前で、「神様」が跋扈するこの答えは、永遠に見つからない・  ・  ・ ・ ・ ・ ・・・……。

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