第5話 若武者。
思い返す熱い血潮。
〜○〜
正虎は若かりし記憶を観ていた。
あれは真っ赤な篝火が取り囲む陣屋。
その周りは墨汁の黒に染められた様な漆黒の森林。
警備の足軽3名が陣屋入り口に手槍を持って番をする。
その足軽の着衣は紫紺染の飾り帷子、只の足軽ではない。
そう城主を護る近習衆の出で立ち。
闇に包まれた森の木々が篝火の炎の揺れを映す。
木々の間に人影があった。
陣屋を伺うその眼は忍びの者。
「見つけた!」
「大将に敗走する楠木勢の本陣を発見したと伝えよ。
〈ふふふ〉、番3名で油断していると付け加えよ」
フッと一つ忍びが闇に消える。
楠木勢も哀れなものよ。
謙信様の追撃を振り切れるものか。
もう直ぐ猛将の権左殿の精鋭が襲い掛かる。
この地で名門楠木の血脈は尽きる、命運もここまでだな。
それにしても楠木勢も無謀な当主を仰いだものよ。
上杉と隣接する国境の支城を救援するべく当主自ら軍を率いて来るとは。
歴戦の兵も齢23の若君殿に翻弄されて死地へと向かうか。
哀れ也や。
と嘯く忍び。
その支城の守備兵は若君が救援に向かっているを知ると籠城をやめ老若男女全てが城門を開け放ち突撃を敢行した。
救援する対象が居なくなり、若君が引き返す様に!
一人として生き残るつもりは微塵もない覚悟。
若君は支城を望む峠の上から、遠くに燃え盛る支城を見るや単騎で峠を駆け下り支城へと大駆けする。
遠征で疲れ切っている臣下のもの等も苦笑いを交わし合い、後を追い駈け下る。
〈ヒュンヒュン〉と左右の森より弓矢が襲い掛かる。
単騎駆ける若君は矢など気にもとめず、ただ一直線に救うべき臣下の元へ直走る。
矢を射るは支城の兵を殲滅した謙信軍の待ち伏せ。
黒鍬の頭巾の軍師らしき男が若君を護る盾の陣形を軍勢に指示する。
後発の臣下の騎馬等のスピードが増し、若君の進路を覆う様に左右の盾と成る。
弓矢を避け様ともせず、若君の盾に徹する。
一騎また一騎と崩れ落ちる騎馬兵の矢面側は、びっしりと矢が刺さりハリネズミの様だ。
その受けた矢の数尋常ではない。
一矢でも倒れそうな戦の矢じりをここまでの数を受け続けるとは何たる気丈夫。
並みの兵ではない。
若君は支城の兵等が打って出て殲滅された丘陵に辿り着く。
そこは惨劇の場、手傷で歩めなくなったもの等は命ながらえて人質にされぬ様に自らお互いを刺し連ねて事切れて居る。
若君は「すまぬ、すまぬ」と号泣する。
臣下の一人の黒鍬頭巾の老将が
「此処までの全身全霊の若のお気持ち、死せる兵とその郎等も重々分かっておりまする」
「非情なる戦国の世なればこそ若の真っ直ぐな心根に我ら老僕、更には若き臣下達が魅かれ付き従うのです。」
「若が存命を願いし数多の命を無駄にされてはなりませぬ。」
「帰りましょうぞ、故郷の本城へ」
若君は中屈みの姿勢で事切れている若武者と飯炊き女中風の娘に歩み寄る。
二人はお互いの心臓を若武者は太刀、娘は若武者の脇差で貫いている。
若君はポツリと「雪之丞、お主が自慢話していた通り器量良しで気丈いな娘じゃのう」
「しかと見届けた、涅槃で休め」
と、若武者の血に染まった鎧通しの飾り紐を脇差で切り取り右手首に結えつける。
黒鍬頭巾の老将に振り返り見せる顔には、キリリとした眼差しが戻っている。
黒鍬頭巾の老将が号令する。
「全軍撤退!身命を賭して若君を本城へとお帰り頂く!」
〈ウオオオ〉と地響きのように兵が吠える。
「騎馬隊、牙突の陣形で待機。」
「各歩行兵は、小隊毎に亀甲の陣形で丘陵を駆け下り各個敵を撃滅。」
「掛かれ!」
法螺貝の合図と共に守勢から攻撃へと転身する。
亀甲の陣形は円陣外側の盾兵を甲羅とし、矢を抑止しながら左右の森へと丘陵の上手の勢いを使い激烈な勢いでぶち当たる。
森手前で陣取る敵弓兵は、木っ端の如く四散。
瀕死の盾兵の命の盾の内より、1mほどの手槍を手にした遊撃兵が躍り出る。
死兵と化した兵ほど恐ろしい相手は居ない。
謙信配下の兵といえども完全に勝側であった驕りも相乗し脆くも突き崩されるのみとなる。
敵兵の混乱を見極め黒鍬頭巾の軍師が、
「駆けろ!若の露払いとなり駆けに駆けるのじゃ!」と号令する。
牙突の先端の騎馬どもから声が飛ぶ、
「若、付いて来ませい!我らの駆けに勝てますかの〜ハハハハハ」
総勢200騎余りの巨大な槍が動き出す。
向かうは故郷の本城への遠き道のり。
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