14.せめて道に迷わぬように
「お疲れ様でした。さすが《言葉師》と言ったところですね。途中はちょっとヒヤヒヤしましたけどねぇ」
パチパチパチ、と小さな拍手の音がして越後屋さんがそう語る。
「越後屋さん、今回の事件どこまで当たりをつけていたんですか」
「どこまでと言いますと?」
「口裂け女が犯人でないことも、坂本が犯人であることも、全てわかって私たちを呼び出したんじゃないですか?」
私の直感。彼女は私を利用した。《異能》を用いた事件の解決、犯人との戦いに専念出来る状況を作り出すために五葉塾をこの事件に招いたのだ。
「そんなぁ。ほとんどわかっていませんでしたよぉ」
そう言って笑う越後屋さんの瞳はどこまでも深く、黒い。初めから全てこうなることを見越していたようにも感じるし、ただあるがままを受け入れているようにも見える。
「ただ、私は《信じた》だけですよ。五葉塾に、《言葉師》の久遠さんに頼めばこの事件がきっとうまく行くんじゃないかという私の直感を」
越後屋さんは《信じる》ことに一切の葛藤を持たない。ただ、自分の考えを貫き通すことが出来る。きっと、それこそが彼女が公安対怪異二課の人員であることの証左なのだろう。
「ただ、口裂け女と聞いて私はちょっと思い出したことがありましてねぇ。もしかしたらって思って久遠さんに声をかけたのはありますよ」
「思い出したこと?」
「口裂け女の都市伝説、色々なルーツがあることは知っていますぅ?」
「知っています」
クチコミの影響を検証するための実験という説、精神病院からの脱走者時という説、色々なルーツが口裂け女にはある。
「口裂け女はですね。決して呪いだけで生まれたわけじゃないらしいんですよぉ」
越後屋さんは言う。
「一説には——子供の寄り道を防ぐために言った母親たちの創作だとか。不審者に対しての警戒心を強めるための話だとか」
「……」
「そうだとすると、最初っから祈りの産物だったのかもしれませんねぇ。口裂け女さんは」
「家に無事に帰すための、作り話……」
誰も傷つくことがないように。
皆が無事に家に帰って来れるように。
そういう願いが口裂け女を形作っていたとしたら。
口裂け女は言葉だ。人から人へと伝わり、拡散し、増幅された言葉の集合体。人は時に言葉に欺かれ、その存在を無闇矢鱈に膨張させて受け取ってしまう。
言葉は間違え、欺き、真実を歪める。
それでも、それが何かを守りたい一心で生まれた夢の断片であるかもしれない。そうであった時も、確かに存在する。
それはきっと、今回のような——
「そんな事件、《言葉師》じゃなきゃ解決出来ないじゃないですかぁ」
だから私は言葉を紡ぐ。言葉が紡ぐ無数の文脈の中、私は一つの道筋を描き出す。
「まぁ、今日はここで私は退散いたしますねぇ。この子に聞かないといけないこともたくさんありますからぁ」
きゅう、きゅう、と小さな声が聞こえる。越後屋さんの手の中に、人形がある。
「ああ、怖いですねほんとう……越後屋さんの尋問、絶対受けたくないです。私」
「ええ、かわいいじゃないですかぁ。かわいいって無抵抗で、何もできなくって」
越後屋さんの尋問は、無抵抗で何もできない状態だととてもまずいものだという評判だ。もっとも部外者の私は細かく知らないけど、正直知りたくもない……
もしかすると、坂本の人形があげる可愛らしい声は、悲鳴なのかもしれなかった。
「それではまた会いましょう久遠さん、榎音未さん。東光院さんにもよろしくお願いしますぅ。それでは」
ワラワラワラ!っと越後屋さんの周りに人形とぬいぐるみが積み上がり、私の視界をふさぐ。直後に積み上がった人形とぬいぐるみが地面に落ちて、起き上がり、あっちこっちにぽてぽてと散っていく。
もうその場には越後屋さんはいなかった。
「はぁ、相変わらずだなぁ越後屋さん……」
「相変わらずとか言ってる場合じゃないですが」
妙に冷たい声が後ろからして、私はちょっと冷や汗が出る。榎音未さんだ。これまで聞いたことがないくらい冷たい声を榎音未さんがしているのだ……!
「あ、いや、その、さっきは本当……」
やっちゃったな〜榎音未さんが静止してるの完全に無視して突っ込んでしまったし死のうとすらしてしまったな〜と思って私は引っ叩かれるくらい覚悟する。つい言ってしまった。衝動で動いてしまった。それは私の本心で、もし死んでしまっても後悔はなかったけれど、自分の死や痛みを辛いと思う人もいる。実感としては薄いけど、頭でそのぐらいは理解しているつもりだ。
自分のことは自分だけのことで収まらないこともある。
だからビンタくらい受けよう。甘んじて受けることにしよう。
「申し訳な……」
と振り返った瞬間に私を柔らかな感触が包む。
「本当、そんなことしないで、欲しいです」
榎音未さんが私を抱きしめていて、とても悲しそうな顔で涙を滲ませている。私は正直怒りをぶつけられると思っていたものだからめちゃくちゃ動揺してしまう。
「え、榎音未さん……あの……」
「私は久遠さんのこと、対して知りません。出会ったばかりですから」
「は、はい……」
「それでも、私の人生を変えたのは、貴女なんですよ」
「……」
「私の人生、碌な物じゃなかったですけど、ようやく居場所になるかもしれない場所に久遠さんが連れてきてくれて、初めて人生を歩み出した気持ちなんですよ、私。わかりますか」
榎音未さんの言葉は途切れ途切れで、私は榎音未さんがもう泣いていることに今更気づく。
「久遠さんの過去に私はまだ触れられないかもしれない。何もいう権利もないかもしれない。それでも、私は今の貴女が必要です」
「はい」
榎音未さんが怒っているのは私が未成年だからでも、命を簡単に捨てようとしたとかそういうことに対してではなくて、もっとずっと個人的なことだ。
ただ自分が嫌だから嫌というシンプルな理由。
人が人をどうにか出来るものではなくて、大抵の理屈を言われても私は流そうと思っていたけれど、そんな真っ直ぐな言葉が私の心を打ち付ける。
「貴女の傷は私に触れられない。きっと、《言葉師》の久遠さんの奥底にある傷は貴方が良しとしない限り、私の《異能》で感じとることもできないでしょうね」
私を抱きしめる力が強くなる。
「それでも、貴女に私は生きていて欲しい。貴女の傷にいつか触れようとすら思う。寄り添いたいと思う。貴女の世界に死という選択肢を消したいと思う。いつか久遠さんからおねえさんのことだって聞き出したいと思う。それがエゴだとしても。私の勝手な感情だとしても。だって、それは、貴女が私に光を与えてくれたから。貴女が私の世界を変えてくれたから。それだけの光を貴女にも得て欲しいです、私は」
そう榎音未さんが言って、私を離す。
「ごめんなさい。言いたいことはそれだけです」
「ご、ごめんなさい榎音未さん……」
私はいつの間にか泣いている。
五葉塾の人たちはいつも私を大切にしてくれて、それ故にねえさんのことは触れないでいてくれる。
でも、でも、だけど。こんな風に踏み込もうとしてくれることがこんなに私に何かを与えてくれるなんて思っていなかった。
「久遠さん、私は《信じて》ますよ。いつか貴女が命を軽はずみに投げ捨てようとしない日が来ることだって」
それはただの言葉で、でも確かに私の世界に入り込んでくる言葉。
私の中の何かに触れるかもしれない言葉。決して、嫌ではない言葉。
ただ、何かを祈るということ。願うということ。
「どうして、わけもなく泣けてくるんですかね」
私たちは血生臭くて、悲しくてやりきれない事件の後でも、どうしようもなく何かを信じたいと思っている。
願わくば、この想いが迷うことのないように。
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