6.彼女の《異能》
無数の凶器。確実に命を奪おうとする殺意の具現。
私と東光院さん達の距離は50メートル強。私がその攻撃を防ぐには遠すぎる。
もしもそれが私に飛びかかってきたのなら私はそれを防げただろう。私の《言葉》の射程はせいぜい半径10メートル。それ以上先もその気になれば飛ばすだけならば可能かもしれない。でも、私から距離が離れるほどに《言葉》は精度を失う。東光院さん、榎音未さんを取り囲む殺意から守には、私の《言葉》は遠すぎる。
「逃げて!」
それを言った時にはもう遅い。加速して飛んだ凶器の群れが突き刺さり、その警告は一手遅い言葉になる。
——あくまで、今回の攻撃が二人に直撃した場合に限ってだが。
「あぁ……せっかくの私のぬいぐるみに穴が……」
抑揚のない、感情の揺らぎのない声で越後屋さんがそう呟く。
東光院さんと榎音未さんを取り囲んでいた凶器は確かに全て射出された。常人の身体能力であれば必ず突き刺さる、防ぐことの出来ない数の刃物。
それら全ては越後屋さんによって受け止められた。正確には、越後屋さんの操作するぬいぐるみと人形達によって。
越後屋さんの『自作』であるぬいぐるみと人形には魂がこもっている。魂を持ったぬいぐるみと人形は越後屋さんの命令を断らない。なぜなら文句も何も言わないのがぬいぐるみと人形だから。
——ぬいぐるみは人では受け止められない業を何も言わずに受け止めてくれるんですよぉ。人形はその存在の持つ美しさとかわいさをブラさずに存在し続けてくれる。それがぬいぐるみと人形の素晴らしいところですねぇ。
と越後屋さんは私に昔語った。
ぬいぐるみと人形はキャッチしたり弾いたりしない。ただ、受け止める。それが暴力であったりしてもその身で全て受け止める。
ぬいぐるみの体のタオル地がナイフによって破れていく。
人形の骨子が削れて砕け散っていく。
ぬいぐるみの瞳の洋服のボタンが鋏によって切り取られていく。
人形の服が切れ端になって宙に舞う。
熊の形をしたぬいぐるみの糸がほぐれて綿が弾け飛ぶ。
少年の姿をした人形の首が落ちる。
だけど、全ての恐怖はぬいぐるみと人形が受け止めたのだ。
「はぁ、また壊れてしまいました。直すのも大変なんですけどねえ。でもぉ、健気なところが本当に可愛いんですよね、ぬいぐるみも人形も。かわいさを味わうために、ほつれとか切れ目みたいな物ができて完全性が欠けてしまう。難しいですよねぇ。でもそんな完全じゃないところが私にとって愛おしいんですけど……悩ましいですねえ。やりがいのある仕事とはいえ、自分の《異能》とはいえ、毎回愛しい私のぬいぐるみと人形がこうなるのはやり切れないですねぇ」
とことこ、とことこ。
一部のぬいぐるみは重症の女性の元へと駆け寄り、救護処置を開始する。
医者の格好をしたクマのぬいぐるみと看護師の格好をした猫のぬいぐるみたちが被害者へ群がっていく。
「全身穴だらけ、余談を許さない状態ですが治療用にキープしておいたこの子達が役に立ちますねぇ。被害者さんがもう意識を失っているのが不幸中の幸いですかねぇ。この子たちに怯えられると出来る治療も出来なくなってしまうのでぇ」
越後屋さんのぬいぐるみや人形達には複数の役割がある。それはただ、ぬいぐるみと人形を操作出来るには収まらない範疇の実践を可能としている。それぞれの個体に特性があり、ある種のエキスパートすら存在している。
それは行使する《異能》の本体である越後屋さんの知識すら超えている。
とことことことことことことことことこ。
攻撃を受け止めた破損の少ないぬいぐるみと人形達が立ち上がる。歩き出す。越後屋さんの持つ大きなカバンの中へと入っていく。
ぎゅうぎゅう、ぎゅうぎゅう、と無理やり体を押し込めるように入っていく。カバンへ入る途中でさらにぬいぐるみと人形達は壊れていく。
「みんなよく頑張りましたぁ。あとで直してあげますからねぇ。他の子にあとは、任せましょうねえ」
足の千切れてしまったぬいぐるみの一体が地面に倒れたまま越後屋さんに手を伸ばす。ぬいぐるみの腕は短い。越後屋さんはその手の長さに拘っているのだと言う。人のものよりずっと短い両手、そんな手を必死に伸ばしてすがりつくような姿が愛くるしいのだと言う。
「本当に——頑張りましたねぇ」
地に伏したぬいぐるみをゆっくりと拾う。状況はそれどころでないはずなのにその動作はとてもゆっくりで、見ている私に今この状況は危機でも何でもない日常であるかのように感じさせる。
いや——日常なのかもしれない。越後屋京子にとっては。
「私、この力で嬉しくもあり悲しいんですよ。かわいいこの子たちといつでも一緒にいれる。新しいぬいぐるみや人形と出会えるのは嬉しいですけど、目の前でかわいいみんなが傷ついていくんですもの。それはとても、悲しい」
ぐるり、と越後屋さんを再び刃物の群が取り囲んでいる。
私から数メートル、今度は私の刀も届く。私は言葉を行使しようと口を開く。
「いいえ、いいえ」
そこに、越後屋さんの声が響く。
——同時に、周囲の刃物は地に落ちる。
「久遠さんの勢いだとぬいぐるみがどっか飛んでいってしまうかもしれませんから。ほらぁ、突撃とかされたり突風が吹いたりすると飛んじゃいますよ。ぬいぐるみ、軽いですからねぇ」
地面には愛くるしいぬいぐるみ達が抱きつくようにして刃物を止めている。
越後屋さんの《異能》は単純で、それ自体は恐ろしいものではない。
魂の篭ったぬいぐるみや人形を作れること、そしてそれを操作出来ること。
言ってしまえばただ、それだけのこと。
その《異能》は私の知る、対怪異二課の中でも性質自体は並外れたものではない。
でも《異能》とは《信じること》だ。頭で考えただけの強い力なんかよりもそれを《信じる》と決めた人の極地は簡単にそんな想像を超えていく。
越後屋さんは、自分の《異能》に一切の迷いがない。それが最強で、最善で、最良と信じている。その《信じること》に果てはない。
「既にこの子たちにはカバンの外に出ていただきましたぁ。久遠さん達に同じような刃物が飛んでも全て止めますし、撃ち落とすこともはたき落とすことも出来ますよ。うちの子たちは優秀ですから」
いつの間にか気絶した様子の悲鳴を上げていた男性もぬいぐるみによって取り囲まれている。
「さて、口裂け女さんに事情をお聞きするとしましょうか……」
臨戦態勢、いや、戦闘の構えをより強くする。既に状況は打ち倒すか打ち倒されるかの状況になっている。
「えっ……」
離れた口裂け女と向き合った刹那、あっさりとその構えを解くことになる。
口裂け女の周囲の空間が揺らぎ、消える。
「ステルス機能で攻めてくるんですかねえ。そんな口裂け女聞いたことないですけど」
「いえ、越後屋さん。《視て》いたんですけどそれが……」
「それが?」
「あっさり、逃げて行きました……口裂け女……」
「あらぁ……」
口裂け女との対面。刃物で取り囲まれて、それを防いで、逃げられる。
全くもって、締まらない。
「……」
越後屋さんの無言。
微笑みを絶やさないままの無言で、私は何かしゃべった方がいいかなぁなんて考えるけどそれを言うには事態が緊迫としていて何も意味をなさない相槌のような反応をするしかない。
「まじかぁ……」
くるくるくる、と日傘を回して越後屋さんが言う。
「対怪異二課、五葉塾のスペシャリストがいて逃げられるのは我がことながら情けないですねぇ……まぁ色々とここで確認して——現場の調査でもしましょうか」
どうやらこの件は一筋縄でいかない、と私も思う。
ジリジリと突き刺す日差しの下でジワジワと蝉の声が響いている。
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