第48話 平等でない

 夜。

 俺は自分の部屋にあるベッドで寝転がりつつ、スマホをぼんやりと見ていた。

 液晶画面にはLINEが開いており、白瀬妹とのやり取りが残っている。

『わたし、本当に記憶喪失になった方がよかったかなって』

 俺は返事に困っていて、指がなかなか動かない。その前のメッセージでは普通に家へ帰ったことが伝えられている。で、今のはついさっきのものだ。

「これ、誤れば、白瀬を死なせることになるかもしれないよな……」

 俺はため息をつくと、スマホを枕のそばに投げ出し、天井を眺める。

 部屋は明かりがついておらず、真っ暗だった。スマホの画面を照らす明かりくらいで、目が悪くなりそうに思いながらも、何もしない。立ち上がって、ドア近くにある照明のスイッチをつけることすら、億劫になっていたからだ。

 と、ドアをノックする音が室内に響いてきた。

「お兄さん。今よろしいでしょうか?」

「ああ」

 俺が言葉を返すと、ドアが開き、奈帆が入ってきた。

「中、暗いですね」

「ああ」

「電気、つけてもいいですか?」

「ああ」

 俺は同じ反応を繰り返すも、奈帆は特に突っ込まず、部屋の照明をつけた。

 真っ暗だったところが急に明るくなったので、俺は慣れずに手で両目を覆ってしまう。

「ごめんなさい。やはり、急に電気をつけるのはよくなかったみたいですね」

「いや、そんなことで謝らなくてもさ。別に、そのさ、もう、寝ようとかそう思ってはいなかったしさ。第一、まだ、風呂にも入ってないしな」

「そう、ですね」

 奈帆は相づちを打つと、近くにあったクッションに座り込む。

「お兄さんはお疲れみたいですね」

「そうか?」

「はい」

 こくりと首を縦に振る奈帆。

「充お姉さんも何だかお疲れみたいでしたね」

「そうだな」

 俺は言いつつ、夕方くらいまで家にいた三崎を思い出す。リビングでずっとひとりでいたのだが、落ち着いたのか、しばらくして、俺の部屋に来た。で、帰ることを伝えてきたので、俺は玄関先まで見送って別れている。その時に見た三崎の様子は元気がなさそうだったが。

「奈帆は心配です」

「まあ、そうだな。俺も心配だからさ、後でLINEしようかと思うけどな」

「そうですね。奈帆もしようと思いましたが、奈帆がいない間にお兄さんとどのような会話をしていたのかわからないですから、その、どうメッセージを送ればいいか、困っていました」

 奈帆は口にしつつ、複雑そうな表情を浮かべる。

「というより、お兄さんは充お姉さんとどういう話をしていたのでしょうか?」

「ああ。後で教えるっていう話をしてたよな」

「そうですね」

 奈帆の返事に、俺は上半身を起こすと、頭を掻いた。さて、どう説明をすればいいのやら。まずは、俺が白瀬妹の告白を断ったところから教えればいいのだろうか。いや、となれば、電車に飛び込もうとしたことも話さないといけない。まあ、三崎が俺を殺そうとしたことは伏せても、大丈夫そうだが。既に白瀬の姉さん、佳穂さんの存在はわかっているわけで。

「まあ、あれだ。その、三崎にとっては、結構ショックな話があってさ」

「ショック、ですか?」

「ああ。例えて言うならさ、好きな人が自分のことを覚えていなかったのは記憶喪失だったかと思いきや、実際は記憶喪失なんて、ウソだったということだ」

「それは、どういうことでしょうか?」

「つまりは、自分の好きな人は、相手にとって、興味も何もなかったっていうことだな」

「それは、嫌いではなくて、無関心だったということでしょうか?」

「かもな。まあ、本当に覚えてないっていう可能性もあるかもしれないけどさ、それはそれで、ショックと言えば、ショックだろうな」

 俺は言いつつ、三崎が変に早まったことをしないように願いたくなった。後でLINEをしてみるものの、無駄な心配と思いたい。

「それは、悲しいですね」

「だろうな」

「充お姉さんはそういうようなことがあって、帰るのが遅かったということでしょうか?」

「まあ、そうだな」

「お兄さんは何かしてあげられるようなことはないのでしょうか?」

「してあげられること、か……」

 俺は声をこぼしつつ、両腕を組む。

「とりあえず、今からLINEで話してみるしかないよな」

「そうですか」

 奈帆は口にしつつ、何かを考えるような顔をする。

「奈帆には何かできることはないでしょうか?」

「そうだな。そしたら、今度、三崎と二人で遊びに行くとかだな。気分転換的な感じでさ」

「遊びですか」

「また、映画とかな」

「そうですね」

 奈帆は返事をしつつ、膝上でこぶしを強く握り締めた。

「奈帆は、充お姉さんのお友達です」

「奈帆?」

「なので、充お姉さんのそばに寄り添うのも大事かと思います」

「それもそうかもしれないな」

「逆に聞きたいのですが」

「何だ?」

 俺が問いかけると、奈帆は目を合わせてきた。

「お兄さんはお友達とか、そういうのは作らないのでしょうか?」

「友達か……」

 俺は言いつつ、頭を巡らせる。

 今までぼっちでかつ、人に裏切られたこともある俺にとって、友達はいらないと思っていた。だが、奈帆も友達が初めてでき、俺としても、いた方がいいのではと考えるようになる。

「それとも、お兄さんのお友達は白瀬先輩や充お姉さんなのでしょうか?」

「いや、それはない」

 俺はかぶりを振るも、かといって、赤の他人でもないことに微妙な気持ちを抱く。だとしたら、二人とはどういう関係なのだろうか。

「お兄さん?」

 俺が黙り始めたことを気にしたのか、奈帆が呼びかけてくる。

「もしかしてですが、奈帆はお兄さんに困らせるような質問を投げかけてしまったでしょうか?」

「いや、それはそうかもしれないけどさ、別に困るようなことじゃない。むしろ、そういうことを考えさせてくれたというかさ……」

 俺は声をこぼしつつ、頬を軽く指で掻く。何というか、奈帆は純粋に兄としての俺を気遣っているのかもしれない。

 だからこそ、いずれ、白瀬妹や三崎との関係をはっきりとさせるべきだろう。

「奈帆」

「はい」

「俺は色々逃げてるかもしれない。だからさ、そういうことを終わらせるために、俺なりに色々とやってみようかと思う」

「それは、白瀬先輩や充お姉さんとのことですか?」

「ああ」

 俺は躊躇せずにはっきりとうなずくと、奈帆は相好を崩した。

「でしたら、奈帆はお兄さん、白瀬先輩、充お姉さんの三人が一緒にいるところを見てみたいです」

「どうしてだ?」

「それを見られたら、奈帆はどことなく安心するからです」

 奈帆はおもむろに言うと、座っていたクッションから立ち上がった。

「さらに欲を言えば、そこに白瀬先輩のお姉さんもいるといいですね」

「佳穂さんか……」

「お兄さん?」

 気づけば、奈帆は俺の前まで歩み寄ってきていた。

「お兄さんはもしかして、白瀬先輩のお姉さんのことを言ったのですか? 『佳穂さん』というのは」

「ああ、いや、それはさ、白瀬の姉さんがそう呼んでもいいって言ったからさ……」

「そうですか」

 奈帆はどこか不満げな調子で口にすると、俺から背を向けた。

「そうしましたら、白瀬先輩や充お姉さんにも下の名前で呼んだ方がいいと思います」

「それは、どういうことだ?」

「そうでないと、平等でない気がするからです」

 奈帆は言い残すと、振り返らずに、そのまま部屋からいなくなってしまった。

 ドアを奈帆が閉め、足音が隣にある妹の部屋側へ向かっていく。

「平等でない、か」

 俺は再びベッドに寝転がると、スマホを手にした。

 視界には、白瀬妹のLINEが映る。

「とりあえず、返事をするか」

 俺は自分に言い聞かせるなり、指で文字を打ち始めた。

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