アラブのモンゴイカ

孤独なピエロ

第1話

アラブのモンゴイカ

                                玉栄茂康


 アラブ首長国連邦の11~3月は大変過ごしやすい季節である。当地の人々は冬と言って寒がるが、我々から言わせると日本の秋のような季節である。灼熱の夏の日々から比べると嘘のような涼しい日々である。この時期に当地を出張で訪れる人々は、良いところですね、と言ってくれるぐらい実にすばらしい季節である。

 私の勤務していたUAE水産資源開発センターでは、当国の重要魚種であるボラ12月、ヘダイ12月中旬、クロダイ1月、アイゴ3月下旬、ハタ4月初旬などと産卵が続き、魚の生態観察には大変忙しい時期となる。海の中は3~5月が春となり、プランクトンの増加とともに多くの魚たちの産卵期でもある。最高に寒い2月の海で水温20度ぐらい、素潜りには多少きびしいが、我慢すればなんとか裸で潜れる冷たさだ。丁度この時期にはモンゴイカの交尾が、センターの取水口正面の入り江で頻繁に行われる。私は15年間、毎年2月にはイカの来遊と交尾状況を観察するために素潜りをしていた。

 モンゴイカの交尾は芝生のような海草ナミジグサの茂ったモ場の中で行われる。オスは1kg程度で大きくメスはひとまわり小さな体形をしておりつがいで行動している。モ場のくぼみで安全そうな場所を見つけると両者向かい合い、息が合ったところでメスが腕をすぼめると、オスは10本の腕の中にメスをスッポリ包み込む。オスはメスをしっかり抱えながら、数本の腕をゆっくり動かしメスの体を愛撫する。2匹の体表には美しい虹模様の小波が連続的に流れエキスターシー状態に入る。これが1時間以上続く。邪魔物が近づくと、オスはメスを抱いたまま2本の食腕を角に似せて威嚇しながら雌を抱えたまま安全な場所を求めて少しずつ移動する。それでも、しつこく追うと、オスはメスをゆっくり離し、自分の後ろにメスを隠して敵に対峙したまま、2本の食腕を上げて迎撃体勢に入る。ほとんどのオスはこの迎撃体勢を保持したままで決して逃げ出さない。その後ろで、メスは逃げずにオスを見守ったままでいる。

 当地の漁師は、モンゴイカのこの性格をよく知っている。つがいのモンゴイカを見つけると、まず小さなメスをヤスで刺す、すると大きなオスはメスを求めて攻撃体勢に入るので、簡単にオスも捕獲できる。逆に大きなオスを最初に刺した場合、刺された時点でオスの吐き出す墨煙幕に紛れてメスは逃げ去ってしまう。人はモンゴイカのこの習性を人間の男女に例えて笑う。しかし、私はモンゴイカの行動に生物としてのすばらしさを感じる。オスはメスを守ることを絶対の義務とし、メスはオスを信じているが、それがかなわぬ時、腹の卵を抱えて逃げ出すという利発さは人間顔負けではないか。現代社会ではこの生物的な義務さえ果たせない男女が大勢いるというのに、モンゴイカの社会ではそれが本能のままに守られている。

 地球上に存在する生物集団では雌が主体的な役割を果たしている。これは自然的なことであり、生物集団が次世代に子孫を残して生きのびるには雌の存在が絶対的な必要条件になる。雄の役割は精子を運ぶだけであるが、多少進化した生物では雌を外敵から護り、生まれた子供たちを保護することまで広がる。

 人類は歴史が始まって以来、男性は外敵との戦いおよび社会規範の維持(いずれも力が必要である)を名目に力で女性を支配下(保護下と言うべきか)においてきた。戦いや社会規範はすべて男性の意思決定で行われ、数少ない事例を除いてそこに女性の意思はほとんど反映されなかった。その結果、これまでに人類は実に膨大な破壊と殺戮を繰り返してきた。現代社会では民主主義の浸透によりそのような意識は排除されつつあるとはいえ、まだその形骸は多くの社会に温存されており、未だに男女格差という基本的な問題は解消されてない。

 世界中の女性は家を守りながらよく働く、それに対して、男性はどうであろうか、その評価は女性に任すとして、現在の日本社会の閉塞状況について男性は責任を感じなければならない。官僚支配体制と会社組織の巨大な網の中ではどうもがいてもしかたないという意識では日本の未来は危ぶまれる。我々は子供たちと子孫の未来に対して責任があり、そのためには今日の閉塞状況を僅かでも改善していかねばならない。男性の発想が行き詰っているならば女性のもつ自然的な合理性で打開していけばよい。グローバルゼーションという幻影に惑わされずに生きるには、日本の伝統文化と教育を展開しながら、地についた経済を構築しなければならない。その実践には女性の良識ある状況判断と合理的な行動が基盤になる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アラブのモンゴイカ 孤独なピエロ @stamaei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る