第5話六道イヴの朝
六道イヴの朝は早い。
朝の六時頃には目を覚ますと、さっさと洗面台へと行き顔を洗う。
朝一番に冷水で顔を洗うことで目が覚めるのと、一晩で顔についた埃や皮脂汚れを洗い落とす。
次いで歯磨き。
やはり女子高生たるもの笑顔が大事。笑顔になったときに黄ばんだ歯や汚れのついた歯はみっともない。
だが、抜けきれない癖もある。
歯磨きも終えたイヴはシェービングフォームを手に取ると、傍らにあったカミソリへと手を伸ばそうとする。
「あ、今は髭生えないんだ……」
一応鏡で顔を確認する。
髭などとは無縁な顔がそこに映っている。
シェービングフォームを洗い流し、イヴはリビングへと向かう。
冷蔵庫の中から取り出すもの。
ヨーグルト、豆乳、プロテインをシェイカーに入れると混ぜて一気に飲み干す。
さらにバナナ、納豆、ゆで卵を頬張る。
筋肉合成に必要なたんぱく質を取ることで、現在成長期である状態を加速させる。
また、食物繊維と発酵食品を摂取し、腸内環境を整える。
腸内環境は何よりも大事である。
前世では便秘などは無縁であったが、今現在JKであるイヴは毎月の腹痛や便秘に悩まされることもある。
それらを解消するための食事でもある。
「おはよう、イヴちゃん」
「おはよう、親父」
寝ぼけ眼な父が起きてくる。
「本当早起きになったね、イヴちゃんは」
「勝手に目が覚めるんだよ」
「そっかぁ。前は遅刻ぎりぎりまで寝ていたのにね。イヴちゃんはえらいなぁ」
「そうでもない」
なんて言いながら、イヴは掃除機を持ち出すと部屋へと持っていく。
父親の寝ていた耳にはやがて掃除機の音が聞こえてくる。
掃除機で部屋の掃除を終えると、今度はストレッチと軽い筋トレをこなす。
それらは筋力づくりのため、そしてスタイル維持のためである。
ある程度の脂肪はあったほうがいいとは思うが、極端な脂肪増加は避けたい。
そして何よりも運動すること=ダイエットをしているということになる。
女子高生はダイエットという言葉に敏感である。
もしそういった会話があった際には、遠慮なく参加することも出来る。
そうしているうちに時間は過ぎる。
制服に袖を通すと、イヴは全身鏡で容姿を確認する。
「よし、今日も女子高生らしい。俺可愛い。大丈夫だ」
両手で頬を軽くたたき気合を入れる。
学校までは自転車での通学だ。
ママチャリに乗り込むと、学校までの約30分弱を道のりを行く。
走っていると、見覚えのある後ろ姿が目に映った。
おかっぱ頭が印象的な小林綾香である。
ひどくうなだれた様子でいる綾香を見つけると、イヴは呼び鈴を鳴らして綾香を振り向かせた。
「おはよう、綾香」
「ひぃ! あ、り、りり六道しゃん……おあよう……」
自転車から降りて綾香の隣に並ぶ。
「六道じゃなくてイヴでいいって」
「ううん、でも、なんだか……はじゅかしくて……へへ、へへ」
朝からイヴに出会えた綾香はいつものように赤面すると、かみまくりながら言葉を交わす。
二人して並んで歩く。
それだけで綾香にとっては嬉しい出来事だが、イヴを前にするとどうしても何を話していいのか分からなくなる。
歩きながら、ただ沈黙。
頭ではこんな話を振ろう、あんな話をしようなんて思っても、喉まで出かかった言葉は中々産まれず、腹の中へと落ちてしまう。
「昨日さ」
「ひゃい!?」
「写真送ったろ。変じゃなかった?」
「全然変じゃないよ! むしろすごく可愛かった! 超可愛かったです、はい!」
噛まずに大声。
「そうか、なら良かった。中々なに着ていいかわかんなくてさ」
「りり六道さんもそういうの悩んだりするんだね……」
「イヴ」
「ひゃい?」
「イヴって呼べよ。私も綾香って呼んでるんだからさ」
「い、イヴ……」
「うん、よろしい」
なでなで。
朝から声をかけられて一緒に通学するだけでなく、頭まで撫でられる綾香。
もう綾香の顔は今にも蒸発しそうになると、目は潤んで、口はわなわなと震えている。
しかし、あまりにもその表情が燃えてしまいそうで、イヴは綾香の顔を覗き込むとはてなマークを浮かべている。
「どうした?」
「にゃにゃにゃ、にゃんでも……ないれす」
「あんまり撫でられたりするの好きじゃないのか?」
「全然! 超うううう嬉……しぃ……です」
「あんまり嬉しいと思ってる反応じゃなくね?」
ここで否定しては二度と触ってもらえなくなる。
そう思った綾香は脳内でそれに見合った回答を高速で導きだすと、イヴの顔に睨みつけるような強気な視線を送る。
「なんだよ?」
「顔が……いい」
「は?」
「じゃなかった! 嬉しいから! それに女の子同士でなでなでにゃんにゃんするなんて普通だしね! あははははは!」
「朝からテンションたけーな。ま、でも、こうやって触れ合うのはいいよな。女子高生らしいし
それに知ってるか? 触れあるとオキシトシンっていう幸福を感じる分泌物が出るんだってよ」
(今の私はアドレナリンが出てるよ! 大興奮だよ!)
「だからさ、海外にはハグの文化があるだろ。ハグすることでオキシトシンが出て幸福度が高くなる傾向にあるんだって」
「ハグ……」
「してみる?」
首を45度に傾けて、イヴが微笑む。
綾香は今出た言葉を脳内でリピートした。
してみる?
ハグすることで――。
してみる?
連結。
ハグしてみる?
イヴは、時折言葉を待たない。
綾香はただ脳内で言葉をリピートしていた。
その間に、イヴは自転車のスタンドを下ろして止める。
「ほら、おいで」
両手を広げるその様は――
例えるならば。
聖母マリア。
おいでと言われ、拒否などどう出来ようか。
拒否など出来るはずもない。
なのに、身体は南極の氷のように凍てつくと、ただ両手を広げたマリアを見るばかり。
おいで。
出来るならば今すぐにでも飛びつきたい――その御胸に抱かれたい。
ぎゅ。
「どう? オキシトシン出たか?」
またも言葉を待たぬマリアは綾香を抱きしめる。
どこからともなく聞こえるアヴェ・マリア。
「綾香?」
「……」
「おーい」
小林綾香15歳。
マリアの胸で、マリアの腕の中で――
安らかな、それは安らかな顔で、昇天していた。
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