1.6食目 馴れ初めは出汁の香りに包まれて
夕食の準備をして家を出ると、どんなに帰りが遅くなろうと外食の誘惑に襲われようと自炊せざるをえない気持ちになるのはほとんどの人に当てはまると思う。夜のニュース番組が野球のハイライトを振り替える声を聞きながら包丁を振るうのなど、何度経験したかわからない。だけど。
「何これすっご!!この薄い板、別の空間の映像を転送しているの!?私の国にも似たものはあるけど貴族や神官レベルしか持てない高価で貴重なもの…もしかしてこの人、私の家にも負けずとも劣らない高貴な生まれなんじゃ!?」
テレビに文字通りかじりついている金髪美少女がいる光景というものはさすがに慣れられそうにない。シンシアの持論によれば異世界から来たそうなので、そう考えればテレビは珍しいのかもしれない。もしかするとこれも新手の詐欺なのかもしれないが、傘立てに勝手に立て掛けられた二振りの剣を見ると嫌でも信じてしまうというものだ。僕はひとまず食事にするべく、冷蔵庫からすでに買っていた鶏肉と玉ねぎを取り出し、皮を剥き始める。
「お料理してくれるの!?何か手伝えることある?」
「元は僕の分だけ作るはずだったんだけどね。助けてもらった手前、遠慮せずくつろいでてよ」
「もしかして、見返りは私…?」
「そこまで単細胞じゃないかなぁ僕は」
すっかり丸裸になった玉ねぎをスライスし、めんつゆをベースに作った出汁を火にかけながら生返事をする僕。するとシンシアは気をきかせて、自分のおかれた状況を説明し始めた。
「では改めて自己紹介を。私の名前はシンシア。シンシア=フォン=ドラクリウス。エルデラントという世界の中央国家、グランソワールという都市の出身で、地元じゃ知らない人のいない騎士の一家なんだ」
「はあ、騎士ね。ファンタジーとかではよく聞くけど、イマイチ何してるのかわからないんだよな。名誉職みたいな感じ?」
「少なくとも、私達の間では『人類の敵と戦う力を持つ人』を騎士と呼んでるね。その敵っていうのが…」
「…さっきの変なのか」
僕は鶏肉を切りながら、先ほどの出来事を思い返す。あの時この娘に助けてもらえなかったら、今頃この肉のようになっていたかもしれない。
「そう。奴らの名前は『クロノマンサー』。時空を統べる神クロノスの力を奪って私達の世界を脅かし、倒されそうになったら別の世界に逃げていく怪物。私もその内の一体を倒すために仲間と戦ってたんだけど…」
シンシアはカーテンを開け、すっかり夜も更けた空を見上げて呟く。
「ちょっと深追いしすぎちゃって、時空移動に巻き込まれちゃったんだよねぇ。落ちる前に親玉は斬り飛ばしたんだけど、その破片からまた新しく湧いてきて…。全く、ドジ踏んじゃったなあ。ああ、パパにママ、ペネロペ、フェルネラ…皆心配してるだろうな…」
すると、急に膝を抱えて落ち込みだしたシンシア。口を挟む余裕がないほど一方的に電波なことを口走り続けていたが、こうも見るからに落ち込まれると同情の気持ちが湧くというものだ。首尾よく切った鶏肉と玉ねぎを出汁で煮ながら、僕は冷蔵庫から卵を取り出して多めに割った。安いからと10個入りを買っておいてよかった。
「あ、卵割る音…しかも何かいい匂い」
すると、シンシアは面をあげてこちらを見てきた。落ち込みモードはもう終わりのようだ。
「正直半信半疑だったけど…そこまで落ち込んでる姿を見たら嘘には思えなくてさ。とにかく腹いっぱい食べてしっかり寝よう。話はそこからだ」
「あ、ありがとう…信じてくれるんだね!ええと…」
「
「うん!じゃあホクト!」
「うッッッ」
そのまばゆい笑顔に、僕の心臓は不意に高鳴った。ていうか目大きい。まつ毛長い。華奢なのに意外と胸ある。様々な感情が僕の脳裏を駆け巡る。
「ど、どうしたのホクト!?」
「考えてみたら下の名前で呼ばれたの、親以外からはずいぶんなかったなと思って…新鮮だっただけだよ。ほら、仕上げだ仕上げ!」
そうして僕は邪念を払うように、溶き卵を沸騰した出汁の上に回しかけた。泡立つ茶の水面に黄金色の花が咲くようで、何度みても唾液が迸る。これで炊きたてご飯があればもっと完璧だったが、贅沢はいえない。
「おおお…美味しそ~~!ホクト、これなに?」
「これは親子丼。この日本という国の料理だよ。鶏の肉と卵を一緒に食べるから親子って名前なんだ」
「……ネーミングは猟奇的だね……」
「そういうなよ美味しいから。ささ、座って待ってなさい」
名前を聞いてスッと表情に影を落としたのを見て、僕はとりあえず座るよう促した。話に聞き入ってたせいか解凍していた冷凍ご飯を取り出すのを忘れ、すっかりぬるくなっていたから、温めなおせば丁度よい時間だろう。
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