第100話 シダラの場合


 何かがおかしい。


 最近シダラはとみにそう思う。


 自分は研究室を持つのが目標だったはずだ。


 冬期休暇に入ったため故郷の王都に帰る予定だったが、ついでとばかりに研究室への足掛かりである魔術書を手に取って、


「……うーむっす」


 首を傾げる。


 その魔術書は禁忌指定されている魔術を記した書物だ。


 魔術の名はメギドフレイム。


 広範囲に熱を発生させる……先にも述べたように禁忌魔術だ。


 使えば一個師団すら蒸発させられるだろう。


 その一技だけで研究室を持てるのは必至だ。


 そしてそれはシダラの利に適う。


 研究室を与えられれば莫大な予算が都合される。


 基本的に研究費と云う名目ではあるが、それらしい理由さえでっち上げられれば何に予算を使おうとわりかし自由である。


 特に貴族でもない女性までもが大陸魔術学院にいるのにはそういう理由も数ある一つだ。


 研究室を持つ。


 あるいは祖国で出世する。


 そうすることで多額の金銭を手に入れる。


 いわゆる一つのアメリカンドリームを狙う女子も少なくない(この世界にアメリカは無いが)。


 シダラもその一人だった。


「しかし納得いかないっすねぇ」


 ふと親しい人間の顔を思い浮かべてシダラは顔を見たくなり足を向ける。


 と、


「あら」


「まぁ」


「おや」


 クズノとカイトと鉢合わせた。


 一応知り合いだ。


 やはりマリン同様にどこで関係性を築いていたのかはわからないかしまし娘だった。


 内一人がカランカランと玄関ベルが鳴らす。


 マリンが迎えてくれる。


「どうも……」


 気後れしながら三人を招き入れるとマリンは全員に紅茶をふるまった。


「ん。美味しいですわ」


「さすがっす」


「だね」


 三人ともにマリンの手捌きに敬意を込める。


「ところで」


 とこれはクズノ。


「わたくしたちはどうやって知り合ったのか覚えてらっしゃる方は?」


「あう……」


「さてっす」


「ふむ」


 マリンもシダラもカイトも心当たりは無いらしい。


「わたくしとマリンはクラスメイトですからともあれ。シダラとカイトはいったいどのように?」


「そういえば不思議っすね……」


「ふむ」


 わからないようだ。


「あう……」


 とマリンが言葉を発する。


「皆は……私のルームメイトって……覚えてる……?」


「マリンのルームメイト……ですの?」


「そういえば二人部屋なのに一人で暮らしているっすね」


「何か問題でも?」


「あう……」


 と委縮して、


「こっち……」


 とマリンは使っていない方の私室に三人を案内する。


 ざっくばらんな部屋模様において違和感を覚えたのは三人が同時だった。


「男物の服ですの」


 クズノが言う。


「マリンは男を囲っていたっすか?」


 シダラが言う。


「それはありえないだろう」


 カイトは否定した。


 しかして絶対的証拠があるのもまた事実で。


「ふむ」


 とカイトは思案する。


「マリンは処女かい?」


「あう……。うん……」


「そっか。なら男の可能性は薄いだろうね」


「男装癖とかっすか?」


「そんな趣味は……ないよ……?」


「男物の服。かといってマリンには関係なく。しかも私室を占領している……ですか」


「どこか認識のピースが欠けている印象があるね」


 カイトの言葉に、


「っすね」


 シダラも同意した。


「そのピースとやらが何かを覚えていない、と?」


 クズノの問いに、


「そういうことだろう」


 カイトは首肯する。


「僕は知らないけど仮に『人の記憶を消去する』魔術……なんてモノがあっても不思議じゃない」


「とすれば相手は魔女……つまり女ってことになりますわね」


「マリンは思い出せないっすか?」


「あう……」


 相も変わらず委縮するマリンだった。


「僕もこの部屋にお邪魔した記憶は多数ある。それなのにマリンと友誼を深めるためかと言われれば微妙にズレを感じるね」


「名も知らぬ第三者がカギを握っている……と?」


「可能性の話だよ」


 カイトは肩をすくめた。




    *




 シダラは南の王国……王都の貧民街の出だ。


 その教会にて育てられた女の子でもある。


 貧乏を何より敵視している。


 親代わりであるマリアの負担を減らすために研究室を持とうとしたのがきっかけで大陸魔術学院に入学したのだが、最近は研究室への道程がうっすら見えてきているため少しばかり安心していられる。


「ちゃんと並んでください。皆さんの分はありますから」


 今は恒例の炊き出しをやっている。


 雑穀米のおにぎりと塩のスープ。


 それから薄くスライスされた干し肉。


 それが今日のメニューだった。


 故郷に帰ればいつもの風景だ。


 南の王国の帝王は、貧民たちは見捨てられても宗教までは見捨てられない。


 必然、貧民街にあるとはいえシダラとマリアの教会も保護を受ける身分だ。


 が、マリアは蓄財に興味がなく、受け取った金銭は全て貧民街のために消費してしまう。


 そんな生き様を見て育ったシダラであるから人の人に対する優しさがどれだけ人を救うか知っていた。


 ジュウナに不条理に憎まれても泰然としていたのには、マリアの背中を見続けたからという理由もあるのだろう。


 炊き出しが終わると日が暮れた。


 寒さをしのぐためボロ布を纏ってシダラはメギドフレイムの堕天翻訳に取り掛かる。


「シン・ギラレ・トリナ・デシャ……」


 サラサラ。


 カリカリ。


「天より人の数えは出来ず……っすかね?」


 おんぼろ一間にライティングの魔術で明るく照らして勤勉に励む。


「おやおや」


 と誘蛾のようにシダラのライティングの光に誘われた人が一人。


 当然マリアだ。


 老人ではあるが背筋がすらりと伸びているため、虚弱さは感じさせない。


 信仰に篤く、万人を愛せる器量の人物だ。


「シダラ。そろそろ寝なさい」


 マリアが言う。


「切りのいいところまでやってからっすね。マリアこそ早く寝ないと。ちゃんと温まって寝るっすよ?」


「はは、それは私の言葉だけどねぇ」


「いいっすかマリア? 他人以上に自分をこそちゃんと大切にしないと他人も助けられないっすよ? 寒そうだからって理由で布団を他人に譲るのはいい加減止めるっす」


「はいはい」


 軽く首肯。


 とはいえ根拠薄弱なのはシダラもマリアも承知していた。


 どちらにせよマリアがわが身を削って救われない者を救おうとするのは強迫観念にも似た執念の結果だ。


 どういう教育を受ければここまでストイックになれるのか。


 シダラはある種の戦慄すら覚える。


「シダラは何のお勉強?」


「魔術の翻訳っす。喜ぶっすよマリア。この魔術を覚えれば研究室が持てるっす。そしたらマリアの生活も今までより格段に楽になるっすから」


「そんなことを気にしなくてもいいのに……」


「嫌っす。マリアは当方のお母さんで当方がマリアの娘っす。親孝行は親が生きているうちにするものっすから」


「シダラこそ自分のことを後回しじゃないですか」


「あう……」


 マリンのように委縮するシダラだった。


 実際図星だったのだ。


「それにその魔術を教えたのはビテンでしょう? お礼をするならまずビテンだと思いますけど」


「ビテンって誰っすか?」


「は?」


 マリアが呆ける。


「ビテンとマリンですよ。夏季休暇の時に連れてきてくれたじゃないですか」


「は?」


 シダラが呆ける。


「えーと……え?」


「どういうこと?」


 記憶の齟齬に対してクエスチョンマークを頭上に飛ばす二人。


「ビテンとマリンは知っているでしょう?」


「マリンは知っているけどビテンは知らないっす」


「男の子ですよ。世界で唯一魔術を使える男の子」


「はは。そんな存在がいれば話題全開ですよ。現に学院ではそんな噂はありませんよ」


「ええ?」


 少し唸った後、


「では仮にビテンが魔術を使えない男の子として、友人としては関係を持っているのでしょう?」


「大陸魔術学院は女学院っすよ? 男との出会いなんて……まぁ無いとは言えないっすけどそんなホイホイ仲良くなれるものでもないっす」


「でもビテンを夏季休暇に連れてきてくれたじゃない」


「そうでやしたっけか?」


 ピンと伸ばした人差し指でこめかみを押さえながら記憶を掘り起こす。


 該当するデータはありません。


「男……ビテン……」


 シダラがふと思いついたのはマリンの寮部屋の一室だった。


 まるで男が使っていたような部屋模様。


 そしてマリンの知り合いであり部屋に招かれたこともあるシダラがマリンのルームメイトを覚えていないという現実。


 そしてマリアの言った『魔術を使える男』の存在。


 ありえない。


 本当に?


 ありえる。


 本当に?


 メギドフレイムの翻訳の手が止まっていた。


 思考の迷路をさ迷い歩く。


「お友達は大切にしなきゃ駄目ですよ」


 人格者的なことを云うマリアに、


「ええ……まぁ……」


 狼狽えながら首肯するシダラ。


「何があったかは知らないけど……その魔術書もビテンのおかげでって手紙で言っていたでしょう? なら蔑ろにしていいわけがないですよ」


「この魔術書を!? 男が!?」


 愕然となるシダラ。


 言ってしまえば、この魔術書の出元をシダラは覚えていないのだ。


 それが一掴みの光明だった。

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