第81話 大戦前夜


 アイリツ大陸はドタバタしていた。


 何故か。


 至極簡単な話で大陸間戦争がすぐ近くまで差し迫っているから。


 メッセンジャーから降伏勧告が来たがデミィは、


「おとといきやがれ」


 と返した。


 元より、


「武国の属国になってよかった」


 という噂は聞かない。


 そうでなくとも王侯貴族にとっては死活問題であろうが。


 平民もデミィの良心的税制度には感謝しているため支持が固まった側面もある。


 そんなわけで兵士たちが続々と西の帝国側よりの北の神国に集まってきた。


 アイリツ大陸は狭い。


 武国の上陸を阻めなければ大陸中に逃げ場がなくなってしまうため立ち向かうほかないという世知辛い事情もあった。


「あう……」


 と今から緊張しているマリン。


「ビテン……」


「なんだ?」


「敵の兵力は……二倍から三倍……なんだよね……?」


「少なく見積もってな。一応華国の統治にも軍事力の裏付けが必要だから、どこまで戦力を割けるかは多少疑問だが」


「でも……マジカルアバドンは……来るんでしょ……?」


「まず間違いないな」


 それは亡命政府の主たる華国の女王が放った間者によって知られている。


 状況が状況なためどこまで間者の言葉を信用していいかはわからないが、武国としてはマジカルアバドンは必勝戦術だ。


 たとえ間者の情報がなくともマジカルアバドンが来ること前提で国家間会議は作戦を練ったろう。


「敵兵が……こちらを上回っているなら……軍隊を分けたり……しないかな……?」


「北西大陸ならば可能性は有るな」


「アイリツ大陸では……無いってこと……?」


「絶対とは言えんが」


「何で……?」


「海を隔てているから」


「……?」


 わからないとマリン。


「あー……」


 ビテンはしばし思案して、そしてゆっくり答えた。


「北西大陸の半島国家華国の東南端が今のところ最もアイリツ大陸に近い。であるからここから攻めるのが常道。しかしてアイリツ大陸と北西大陸はもっとも近い華国からでも船で一週間はかかる。当然補給線は長くなり、なお補給が十全に届くためには補給部隊に部隊の大半を割かねばならない。ここまではいいか?」


「うん……」


「補給線は伸びれば伸びるほどゲリラ戦でいとも容易く崩壊する。軍隊を分割すれば伸びに伸び切った補給線をも分割せねばならない。さすがにそれは現実的とは言えない。いくらアイリツ大陸が狭いといっても側面に回るならば船でプラス三日は必要だろう。そんなリスクを冒してまで兵力の分散を行うとは到底思えない。と、こういうわけ」


「なるほど……」


「なお地に足つけての戦争じゃなくて海を越えた遠征も慣れていないだろうからこっちが有利って側面もある」


「うん……」


「後は斥候が持ってくる情報を元に戦場を定めて対処すればいいだけだ」


「でもビテンは……」


「ああ。クレアボヤンスで向こうの事情も把握してる」


 スッと目を細めた。


「おそらく此処が戦場になる」


 前面に広がる海を見渡しながらビテンは寝っ転がった。


 ビテンのありえないキャパを以てすれば地平線の彼方さえも遠見の魔術を適応できる。


 少なくとも情報戦においてビテンは特級の能力を持っているとみていい。


 どうしたって相手側が勝るのは不可能だ。


 そして当然ながら武国が戦争準備を済ませて、


「いざ出航」


 というところも見て取っている。


 その情報を元にビテンは軍隊に指示を出していた。


 正確にはビテンの情報を元にデミィが、ではあるが。


「それで?」


 これはクズノ。


「当方たちは何ですっすか?」


 これはシダラ。


「僕は構わないけどね」


 これはカイト。


 ビテンとマリンとユリスもいるためエル研究会の会員が勢揃いだ。


「あう……。ごめんなさい……」


 少なくともマリンにとっては心苦しいことだろう。


「あなた方の力が必要です」


 ユリスはきっぱりと言った。


「馬車馬の如く働け」


 ビテンは容赦なかった。


「何を?」


 とはクズノとシダラとカイトの言。


 作戦自体は決まっている。


 である以上、


「魔女に用は無い」


 が基本だ。


 が、例外としてビテンとマリンとユリスが挙げられる。


 ビテンとユリスは問題ないが……マリンに関してはネックと云えばネック。


 何せキャパが異様に狭い。


 使えて下級魔術がせいぜいである。


 当人自体のエンシェントレコードに対する理解は大陸随一とはいえ使うためのキャパがなければ皮算用に他ならない。


 要するに頭でっかちなのである。


「だからお前らにはマリンにキャパを共有してもらう」


 さも当然とばかりに平然と。


 淡々とビテンは言う。


「あんまり戦争は好きじゃないんすけど……」


「知ったことか」


 一刀両断。


 少なくともエル研究会の面々はマリンを除き優秀だ。


 その力を借りるのは至極まともと云える。


 当人らの了解は取れていないが。




    *




 戦争兵力たちは不安を口々に紡いでいた。


「勝てるのか? 俺たちだけで……」


「討ち死にするだけじゃないのか?」


「魔女が一人もいないぞ。俺たちに死ねというのか……」


 全て杞憂だが。


 とある例外を除いて国力とは魔女を指す。


 当然兵士たちは屈強だ。


 そこに違いはない。


 だがいくら体を鍛えても兵士は魔女を超えられない。


 フィジカルよりマジカルの方が強い。


 これはもうしょうがないことだった。


 で、ある以上士気が下がるのは当然だ。


 それは戦場の趨勢にも影響するが首脳部は特に気にしていなかった。


 ビテンの情報により武国の兵力はおおまかに二つに分けられる。


 マジカルアバドンと補給部隊。


 補給部隊が飯を配給する。


 お腹一杯になった魔女の軍勢が蝗害の如く戦力をまき散らす。


 以上。


「それで勝てる」


 と武国側は本気で思っている。


 あるいはそれは信仰にも近い。


 玉石混交の魔女軍団で一気に敵兵力を薙ぎ払う。


 そして、


「それで良し」


 と思っているのだ。


 つけ入るには絶好の箇所だ。


 少なくともビテンにとっては。


「防御魔術を展開するのでその不安は杞憂です」


 とは云うものの、


「守り固めてどうにかなる相手か?」


 との疑問は至極道理。


「まぁまぁ」


 とデミィは兵士たちを宥めていた。


「勝率百パーセントの作戦だから」


 と。


 ちなみに武国のマジカルアバドンはアイリツ大陸においても有名だ。


 というかこの世界において有名だ。


 豊富な人材と数の暴力。


 真似しようにも人口で劣るアイリツ大陸では行えない作戦でもある。


 潤沢な労働魔女がいて初めて出来るものだ。


 今回に関しては問題ないのだが。


 エル研究会の面々は補給物資と云う名の飯をかっくらっていた。


 パンとベーコンとスープ。


 古来より餓えた軍隊が勝利を取った例はない。


 そういう意味では大陸全体が補給基地となっているアイリツ大陸に一定の分がある。


 船で一週間もかけてこちらに攻め込む魔女の軍団……マジカルアバドンにはどうしたって補給限界が来る。


 である以上、どちらが優勢かは決まり切っている。


 ましてゼロフィールドが作戦の根幹であるならば、武国はひどい状況に追いやられるだろう。


 気にするビテンでもないが。


「はむ。もむ」


 配給された補給物資を食べつくすビテン。


 クレアボヤンスは今だ以て展開されている。


 読唇術の心得もあるため、


「見て把握する」


 ことも可能だ。


 マジカルアバドン……魔女の軍勢たちは不満を口にしていた。


 もとより一週間かけての船旅。


 風呂もなければ着替えもない。


 船が進めば進むほど、補給の調達は難しくなる。


 まして魔女は当たり前だが女性だ。


 衣服に化粧に食事にとケチをつける。


「よくもまぁ」


 というのがビテンの正直な感想だ。


 それでも女性優位主義は如何ともしがたいもので、


「魔女であるだけで優遇されねばならない」


 を根幹とする。


「さて」


 ビテンはクレアボヤンスで敵勢力の位置を把握していた。


 それを相手側は知らない。


 ましてビテンの鬼才とも呼べるキャパの可能性を微塵も考慮していない。


 合掌。


 他に出来ることはなかった。


 ゼロフィールドの存在を武国は知らない。


 それが致命的だった。


「ビテン……?」


「なんだ?」


「あう……」


「大丈夫だ」


 ビテンはよしよしとマリンの頭を撫でた。


「作戦通りにやれば上手くいくさ」


「そうじゃなくて……」


「なんだ?」


「ビテンは……人を殺しちゃ……ダメだよ……?」


「まぁそのつもりはない。お前とのゲッシュもあるしな」


「本当に?」


「ユリスと作戦を執行するんだ。他に割ける戦力はないぜ」


「なら……いいけど……」


 とかくビテンの殺人を忌避するマリンだった。


 その意図はビテンにも不明だが。


 ともあれ、


「ビテンは……ダメだよ……?」


 マリンは言う。


「人を殺すということが」


 だろう。


「わーってるよ」


 ビテンはハンズアップ。


「間接的になら良いのか?」


 などと無粋な質問は出てこなかった。

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