第44話 野に咲く花のように
「ビテン……起きて……」
ゆさゆさとビテンは揺り起こされるが、
「もう五分だけ……」
茫洋とした意識の中でしっかりと交渉しだした。
「あう……」
とマリンは困ると、
「起きてくれなきゃ……嫌いになっちゃうん……だから……」
「おはようございます」
即座に立ちあがり極めて慇懃にビテンは一礼。
ことマリンに関することでだけ扱いやすい代物だ。
その他の場合はあまりに硬くて磨きにくいとしか言えないのだが。
「朝御飯……出来てるよ……」
「コーヒー」
「ん……。そう言うと……思って……」
「さすが正妻」
「あう……」
ことチョロさにかけてはマリンも同じと云うことだろう。
大陸魔術学院の学生寮にて。
ダイニングに出て目覚ましのコーヒーを飲むビテンだった。
南の王国からは逃げだした形となる。
そうでもしないと祀り上げられる幻視が現実にとってかわっただろう。
戦略的威力交渉。
クズノには悪いがビテンは西の帝国に涙を呑ませた。
どちらに肩入れしているというわけでもないのだが、それ故に威力を振るうことが逆説的に安易に行える。
これが北の神国だったならば話はまた違ったろうが、他三国については特にソロバンを弾くこともない。
ぶっちゃけた話になればデフォルトを起こしても壊滅しても共産主義結社に打倒されて王室や帝室が引っくり返ってもビテンにとっては欠伸の種にしかならない。
とはいえ借りは借り。
ビテンは南の王国に伝わる禁忌指定魔術の閲覧権を王国の帝王に約束させて学院に戻った次第だ。
あくまで閲覧権を得ただけで記録はしていないのだが、
「そう生き急ぐこともない」
がビテンの心情でもある。
アイリツ大陸四か国と大陸魔術学院は、学院を中心にハブ型の転移魔術で繋がっている。
である以上いつでも幾らでも四か国に顔を出せるため、禁忌指定魔術の習得はしばし落ち着いてから、とビテンとマリンの意見が一致した。
シダラはメギドフレイムの起こした結果をまざまざと見せつけられたが故に、ビテン自著のメギドフレイムの魔術書の翻訳に勤しんでいる。
一朝一夕で覚えられる詩の量ではないし複雑緻密な翻訳技術を求められるが、覚えただけで勝ちとも言える。
それは南の王国と西の帝国の国境を再定義するに足る超威力兵器と化することと同義だが、シダラが研究タイプの魔女になろうとしているのだから別段危機感を覚えようもないビテンだった。
マリンは憂慮していたが、それは普遍的な人類愛の賜物であって、道義上の哲学的命題に則るモノだ。
先日の一件はマリンがいたからこそ死人が出ずに済んだのだが、仮にマリンがいないか修了したシダラが暴走するかすれば多量の人命が藻屑と消える。
「だから……大丈夫かなって……」
朝食前の紅茶を飲みながらマリンはそう言った。
「別にマリン以外の人間が何人死のうが知ったこっちゃないがなぁ……」
コーヒーを飲みながらこちらはビテン。
「ビテンは……偏りすぎ……」
「マリンが優しすぎるだけだぞ」
「力は意思で……律する物……」
「意思を通して力を振るうべきだろう」
「あう……」
と押し黙るマリンであった。
そして朝食となる。
いつくさのたなつものの粥と海藻サラダ。
それを食べながらマリンが再提議する。
「禁忌魔術を……簡単に人に……教えちゃ駄目だよ……」
「友情の範囲だ」
「ビテンにも……責任がかかるよ……?」
「知らんぷりすればいいだけだろ?」
「何でそんなに……面の皮が厚いの……?」
「なんでだろうなぁ」
ビテン自身わかっちゃいなかった。
「あう……」
とマリンが呻く。
「シダラは大丈夫かな?」
「無関係の案件だろ」
「友達でしょ?」
「そうではあるがなぁ……」
友情と云うものに一線を引いているビテンにしてみれば頬を掻くしかない。
マリニズム。
マリン第一で考えるに当たり、その他のことは十把一絡げ。
仮にシダラが宮廷魔女や軍属魔女となって大量虐殺に精を出すようになってもビテンはやっぱりマリンのコーヒーに舌鼓をうつだけだ。
それがどれほどのことか?
ビテンには自覚が出来ない。
もっともマリンの危惧は杞憂だ。
シダラはあくまで研究室を持つためだけにメギドフレイムの研究を行っており、それに終始する。
さらに言えば教会出身であるため殺戮や虐殺とは全く縁遠い為人と言える。
だからこそジュウナとの仲が険悪になっても、
「自分を攻撃することでジュウナの気が晴れるならそれでいい」
などとビテンがドン引きするようなことを平然と言ってのけたのだから。
「結局マリンはどうしたいんだ?」
「あう……」
粥を食べながら失声。
「もうちょっと穏便な魔術を教えりゃよかったのか? 健全かつ研究室を持てるような火の章の魔術を俺は知らんが」
シダラの魔術特性が火のソレと親和することはシダラの纏う赤いマントがよく示している。
「あう……」
「や、別にマリンを困らせる気は無かったんだ。中止させようか?」
「こっちの独断で……シダラの研究室の会得を……邪魔するのも……どうかと……」
「やっぱり優しいなマリンは」
ビテンがニコリと笑うと、
「あう……」
とマリンは照れて言葉を封じ込めた。
*
学院に戻りはしたものの夏季休暇中であることに変わりは無い。
講義は行われない。
というか色付きであるビテンとマリンは単位不問処置だ。
「この紋所が目に入らぬか」
と云った有り様である。
色付きのマントを箪笥の肥やしにしている辺り何と言うべきか。
ビテンは普遍的に、マリンは夏季休暇中だけ、という違いはあるが何とも名誉欲の希薄な二人であったのだ。
そんな二人は学院の芝生の原っぱにてゴロゴロしていた。
正確にはゴロゴロしているのは芝生に寝っ転がっているビテンであって、マリンは女の子座りをしながら冷たい紅茶を水筒の蓋に注いで飲んでいた。
「明日は魔術のことは忘れて二人でまったりしよう」
昨日のエル研究会の活動でビテンはそう言った。
場所は飛天図書館。
ビテンとマリンとクズノとシダラとカイトとユリスのいる場での発言だ。
そして昨日にとっての明日……即ち今日は特に魔術書の解読に熱心になるわけでもなく神語翻訳に没頭するわけでもなく、ましてビテンハーレムの魔術造詣に口出しアドバイスをするでもなく、日光を浴びて淡々と時を数えるのだった。
風がそよぐ。
髪を撫ぜてクスクスと風の妖精が笑った気がした。
「いい天気……」
「だな」
快晴。
そうでもなければ原っぱでゴロゴロなど出来ないが。
ビテンもマリンも日光の熱さと風の涼やかさを楽しみながら茫洋と時を過ごす。
そんなこんなでいよいよ太陽が天頂にのぼり昼飯時となったらビテンたちは学院の原っぱ……その中心に植えてある巨大な樹の木陰に避難した。
涼やかなその場所でマリンがランチバスケットを取り出す。
バスケットには丁寧に作られたサンドイッチが敷き詰められていた。
「いただきます」
と、犠牲とマリンに感謝してサンドイッチをはむり。
コーヒーは無いが代わりに水筒の中の紅茶で流し込む。
「あう……。美味しい……?」
「百四十二点」
「何点満点?」
「百点満点」
「あは……」
照れくさそうにマリンは笑った。
「あ、その笑顔は二百点オーバー」
「ふえ……」
一気に赤面するマリンだった。
幼い頃からビテンと云う好意的な異性とともに育ちながら擦れていない辺り特殊天然記念物に認定されてもおかしくない。
そんなマリンの純情を欠片も損なうことなく拾うビテンであるからマリンの可愛さの前に平伏するのだが。
「結局南の王国じゃ邪魔が入ってマリンとデート出来なかったしな」
「あう……」
「デートしよう」
と云った直後に帝王の使いが来て国境の再定義を依頼されたのだ。
ビテンにしてみれば踏んだり蹴ったりと云える。
今日はその埋め合わせ。
であるからクズノとシダラとカイトとユリスは遠慮しているというわけだ。
この集団に限ってはビテンのマリニズムおよびマリンの正妻正当性を十二分に把握しているため特に反論は出なかった。
心根でどう思っているかはともあれ。
ちょぼちょぼと木の実を齧るリスの様に小さな口でサンドイッチを齧るマリンがそんな四人に意識を向けた。
「今頃……何やってるかな……」
言葉足らずだが意を酌めないビテンではない。
「魔術の研鑽だろ」
ユリスは生徒会の仕事もあるため絶対とは言えないが、少なくとも学院の生徒である以上より高位の魔女となる研鑽は業のようなものだ。
「クズノは……ゼロを覚えようと……してるよね……」
「だな」
「シダラは……メギドフレイム……」
「悪かったって」
「カイトは……?」
「さあ?」
「そう言えば」
と二人。
青髪碧眼のボーイッシュな美少女の顔を思い起こしてクエスチョンマーク。
何かと不可思議な印象の少女だ。
悪意を感じる要素はまるで無いが飛天図書館で、
「何をしているか?」
と問われれば、
「何をしているんでしょう?」
と問い返したい心地だった。
当人の名誉を守るならば北の神国のエンシェントレコードの章にはカイトと親和性の高い水や氷の魔術の記述が圧倒的に足りていない。
であるため飛天図書館が上手く機能しないのだ。
本人はビテンとの友情(?)を喜んでいるためそれ以上を求めることはしないのだが。
「ユリスは……ゼロフィールド……だっけ……?」
「北の神国の禁忌魔術の一つだぁな」
ある種の定説や状況をひっくり返す力を持つ魔術だ。
未来を見通して、これを熱心に覚えることに始終するユリスではあったが当然ビテンとマリンに察せられるはずもない。
「ま、他人は他人。マリンはマリン。結局それに尽きる」
マリニズム。
「マリンさえ俺に微笑んでくれれば俺の世界は爽やかだ」
野に咲く花のように人を爽やかにして。
それ以上を求めない。
というよりビテンにとってはそれが至高で一つの結果だ。
マリンが微笑む環境を作り出すことがビテンにとっての生き甲斐。
もっとも無遠慮で不精なため時に影を落とすこともあるのだが、それもあくまでマリンが見限らないでくれるという確信から為せる行為だ。
セミが鳴いて、日光はジリジリと地表を焼き、風に微睡みながら、マリンの苦笑に心和やかにする。
「マリン」
「なに……?」
「愛してる」
「あう……」
結局そんな二人だった。
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