第38話 王都魔術図書館
「むあ」
ビテンはコーヒーを飲んで、嘆息した。
此度の南の王国旅行。
王都の喫茶店にてまったりしている三人だった。
ビテンとマリンとシダラだ。
今日は王都魔術図書館に行く予定だが、それを前倒しならぬ後倒しにして喫茶店でくつろいでいる。
理由は簡単。
ビテンの喉が渇いたからだ。
ビテンはコーヒーを、マリンとシダラは紅茶を、それぞれ飲んでいた。
当然夏ともなれば南は暖かくなる。
南の王国が焦熱地獄……とまで言わなくとも茹で釜状態になるのは自明の理だ。
ビテンは制服をたたんで(正確にはマリンがたたんだのだが)夏用のシャツとデニムパンツを揃えた。
美少年ではあるが野暮ったい印象のツンツンウニ頭にカジュアルな服装で魅力値二割減と云ったところだ。
気にする当人でもないが。
紅茶を飲みながらシダラが言う。
「別に喫茶店を選ばなくとも飛天図書館で間に合うんじゃないすか?」
「一応観光も兼ねているからな」
遊び盛りも否定は出来ない。
無論、魔術の造詣を深める業も持ち合わせてはいるのだが。
「南の王国の魔術を覚えるんすよね?」
「別に図書館は逃げないしな」
もっともではある。
「当方にメギドフレイムを教えるってことは覚えてるっすか?」
「いちおう」
コーヒーをゴクリ。
「並列できるんすか?」
「マリンがいるから大丈夫」
「ん?」
シダラには意味不明な言葉だった。
説明する心の持ち合わせはビテンには無いのだが。
「しかして面倒だな」
「まぁそう言わず」
「一応禁忌魔術に指定されてるからむやみに知識を拡散するなよ?」
「禁忌魔術を教えてもらっていいんすか?」
「いいんじゃね」
ビテンの口調は平坦を極めた。
「特に何とも思っていない」
表情がそう語っている。
「仮に広まっても扱える奴なんてそうそういないだろうし」
「それほどっすか……」
「それほどっす」
「ちなみにどんな魔術か聞いても良いっすか?」
「特に複雑な魔術でもないんだがな」
コーヒーを一口。
「空中に魔法陣を展開して、ソレを砲門に超熱ビームを地上に落として森羅万象を焼き尽くすだけ」
「天罰みたいっすね」
「実際天罰の解釈で俺はエンシェントレコードを読み解いたな」
「ふぅん?」
「まぁお前のキャパならそうだな……」
喫茶店のテラス席で青空を仰ぐ。
入道雲が西に見えた。
「王都の半分くらいなら焼滅させられるな」
「そ、そんなにっすか……?」
「だいたい戦術と戦略の中間くらいの魔術だ。戦術的大量虐殺か戦略的示威行為か。その程度にしか使えない不便な魔術だぞ」
「十分有用に聞こえるのは当方の耳が腐ってるんすかね?」
「まぁ研究室をもらう程度の実績にはなるんじゃないか?」
「なら覚えたいっす」
「渡世の義理で教えはするが……面倒事には違いない」
もはやレゾンデートルの問題と言って差し支えない。
「あう……」
と今まで黙っていたマリン。
「ビテン……」
「何だ?」
「シダラに……メギドフレイムを……教えてあげて……」
「あいあい……」
これがあるから不承不精ながら教える義理を果たさねばならないビテンであった。
「シダラには……学院の研究費が……必要……」
マリンはだいぶシダラの環境に心を痛めているらしかった。
「優しいな。マリンは」
よしよしとビテンはマリンの頭を撫でる。
「あう……」
真っ赤になって黙り込むマリン。
紅茶を一口。
「正妻の貫録っすねぇ」
シダラは苦笑した。
「せ……正妻……」
ますます赤みが増すマリンだった。
「自覚無いわけじゃないっしょ?」
「あう……」
「マリンが一番ビテンに愛してもらっているっす」
「あう……」
羞恥と萎縮でマリンはちっちゃくなる。
「一番って言うかただ一人なんだが」
これはビテンの本音。
「でもビテンも案外周りに優しいっすよ?」
「そんなつもりはないがなぁ」
「エル研究会が反証でっしょ?」
「…………」
不利を認めざるをえなかった。
黙してコーヒーを飲む。
実際そうなのだ。
学院で悪目立ちするビテンにとって特別視しないエル研究会のメンバーは心の片隅を仮託するに足る人たちだ。
マリニストとしては認めるに大いに抵抗があるが。
痛痒するという意味ではシダラの皮肉は喉に引っかかった小骨だった。
*
さて。
王都魔術図書館。
貴族の豪邸を一回り豪奢にした建物だった。
金銀宝石と彫刻芸術で彩られた建築物。
中にいるのは当然おしなべて女性……というか魔女とその卵たち。
学院の外において魔女とは戦力の一環だ。
魔術の攻撃性に興味を惹かれる魔女は多い。
そして攻性魔術を覚えて人に向かって使いたいという魔女も多い。
銃や大砲や投石器と一緒である。
簡易に、かつ罪悪感なく人を殺すことに長けた術という側面も……また否定出来ない事実である。
ビテンやユリスにしてみれば、
「ご苦労様」
としか言いようがない。
ビテンにしろユリスにしろ、
「人に言えるか」
というほどの攻性魔術を持ってはいるが……習得した技術に意義を見出せるかはまた別の問題。
そして意義を見出していないのだ。
日々面白おかしく生きていくためのスパイス。
ビテンがマイナーな魔術を多用するのもそこに根源がある。
無論マリンが魔術で人を傷つけることを憂うため自衛や威力交渉以外で攻性魔術を使うことがないと云う事情もある。
学院の魔術図書館を凌駕するエンシェントレコードの学識を持っていながら……即ちエンシェントレコードに定義された攻性魔術を多数習得しておきながら……ビテンは未だ一人も人を殺したことがない。
ビテンは自身とマリン以外の命には頓着しないため意外と言えばその通りだが、マリンと子どもの頃に交わした約束がゲッシュとなって拘束しているのだ。
結局ビテンは殺戮の魔術を心の内に寝かせる程度の代物としか定義していない。
人道上賞賛に値するがビテンがそんなものを欲しないのは既に証明されてもいる。
とまれ、
「とりあえず今日は本棚二つほど制覇するか」
内装も豪奢な王都魔術図書館の権威にも……男が足を踏み入れたことに困惑の視線を向けている魔女たちの疑念も無視してビテンはマリンと今後の計画を立てていた。
夏季休暇は長く取られている。
時間は十分にあった。
「あのぅ……当方への講義は……」
「教会に帰った後な」
「っすか」
一応理解を得られてビテンはマリンと一緒に魔術書に向かう。
マリンが分厚い本をペラペラとめくって一読すると、ビテンに手渡す。
ビテンもペラペラとページをめくって一読すると本棚に帰す。
そんなことを手際よく繰り返していくビテンとマリンだった。
「理解しているのか?」
どころの話ではない。
「本当に読んでいるのか?」
とさえ疑ってしまうほど簡素な作業だった。
ペラペラパラパラと素早くページを流し読みして読書を終えるのは一種異様な光景だ。
気にするビテンとマリンでもなかったが。
シダラは別個に多目的室でとある炎の魔術の研鑽を積んでいた。
ビテンとマリンとは別行動である。
数時間ほど経ってビテンとマリンが一つの本棚を消化し終えて二つ目の本棚に向かおうとし、
「ん?」
ビテンは読み落としの本を見つけた。
本棚の隅っこに押しやられているやけに薄い本だ。
タイトルは無かった。
が、魔術図書館にある以上魔術書か翻訳書の類であることは間違いない。
マリンは見落としたらしい。
魔術書として薄いということはさほど長いエンシェントレコード……神話の詩ではないということ。
つまりさほど強力な魔術じゃないことを意味する。
なお古びた本の中に在って新品同様に綺麗である。
誰も(この場合は魔女のことだ)手に触れていない書物であることは明白だ。
初級……あるいは下級に属する魔術なのは理解が容易い。
であれば、
「強力な魔術を!」
をスローガンとする学院ではなく王都……ひいては帝王に仕える魔女たちには無用の長物だろう。
「…………ふむ」
ビテンは興味本位でその本を手に取った。
あまりに薄い本には当然相応の長さの章しか載っていない。
瞬間記録能力を持っているビテンにしてみれば容易い情報量だ。
「レーテ……ね」
初級と下級の間くらいの難度の魔術だ。
レーテ。
忘却を意味する術名。
とりあえず記録だけしてマリンとの作業に戻る。
「後で翻訳してみるかぁ」
ほけっとそんなことを思う。
ペンと紙が必要だ。
それから本棚の一部を完全に記録してシダラと合流する。
「何か良い魔術はありましたっすか?」
「八割方……学院と共有している……魔術書だった……」
「だな」
それはビテンも思うところだ。
残り二割はそうでなかったのだから収穫と言えば収穫なのだが。
それにまだ巨大とはいえ本棚二つを網羅しただけだ。
まだまだ魔術図書館を制覇したとは言えない。
「帰ったら……複写しないとね……」
「教会に紙あるか?」
「無いっすね。飛天図書館は駄目っすか?」
「あがるまでどれくらいかかると思ってんだ」
「にゃはは。そうっすよね」
そういうことなのだった。
「とりあえず今日はここまでとするか」
「うん」
「賛成っす」
そういうことなのだった。
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