第37話 王都デート


「ううん……」


 チラチラと太陽光が山脈をちらつかせる。


 朝だった。


「うああ……」


 ビテンは寝苦しそうに呻いていた。


「雲海山河、天上天下。天に神あり、地に人あり。人に神あり、神に天あり。万里の網羅、空の恵みは山河に届き、山河の全ては人に布き。あううぅ……」


 どうやら悪夢を見ているらしいことは察せられたが、寝言にしては哲学的だった。


「あう……」


 と困ってしまうマリン。


 黒い瞳がビテンを捉え、起こすべきかどうか迷っていた。


 というか詩を読むような寝言の根源があまりに意味不明すぎて、果たして途中で起こしていいものか迷ったという側面もある。


 マリン自身は体内時計が正確に機能しているため朝に起きているが、ビテンはそんなマリンに生活習慣を仮託している。


 そのため毎度毎度マリンが起こす羽目になるのだが、今は夏季休暇による学術旅行の最中だ。


「はたして学業も無いのに起こしていいのか?」


 そんな疑問は今更だが、マリンにしてみれば日ごとに沸き起こるソレでもある。


 さて、


「ビテン、マリン、朝食が出来ましたよ?」


 シスターマリアのそんな声に背中を押されてマリンはビテンを揺り起こす。


 ちなみに二人は一緒のベッドに寝た。


 といっても淫行をしたわけではない。


 ビテンとしては一刻も早く既成事実を造りたいところだが、マリンの遠慮がちな態度に諭されて未だ以て構築できていない。


「男女七歳にして云々」


 とも言うが、少なくともマリンが頷かない限りにおいてはビテンがマリンに手を出すことは有り得ず、マリンもそうと知っているため安心して同衾できるのだった。


「ビテン……起きて……」


 とりあえずマリアの朝食を蔑にも出来ず、マリンはビテンを起こす。


 中略。


「うーあー」


 ライ麦パンをコーヒーを飲み降しながらビテンはなんとか眠気と拮抗していた。


 やや眠気が自意識を押している情勢だが、カフェインという援軍がもうすぐ届くため、結果論としては決着がついているとも言える。


「ビテンは朝に弱いんですね」


 マリアはコロコロと笑う。


 老齢じみた幼子を思いやる表情だ。


 朝食をコーヒーで遠慮なく流し込んでいることに対しては特に機嫌を損ねることでもなかった。


「ところで……」


 と、もそもそとライ麦パンを「リスが木の実を齧る」様に食べていたマリンが問う。


「ビテン……。どんな夢……見てたの……?」


「覚えてにゃ」


「そう……」


「何やら壮大で陰鬱な夢だなぁくらいだ。輪郭だけはなぞる様に覚えてるんだが本質が空虚だから雲散霧消だな」


 言ってコーヒーをグイと飲み干す。


「コーヒーお代わり!」


「はいはい」


 マリアはビテンの不躾にも笑顔で対応した。


「ビテン……」


「言いたいことはわかるが遠慮しても始まらん」


 こういうところは何事にも遠慮がちなマリンの神経を削っているのだが、それを承知で振る舞うビテン。


 マリアからコーヒーを受け取り朝食を再開するビテン。


 ニコニコとマリアが問う。


「どうでしょう? 美味しいですか?」


「美味しいです……」


「丁寧に作られてる」


「一応当方も手伝ったんすけどね」


 ここで漸くシダラが口を開いた。


 見れば頬が桃色に染まっている。


 ビテンを見る深紅の瞳は熱に浮かされているようにも思える。


 時間は朝食をとっている通り朝。


 場所は南の王国。


 その王都の貧民街のオンボロ教会。


 此度の学術旅行の拠点となる場所である。


 近場にスラムがあるため安全かどうかと言われればやや微妙だが、貧民街自体は住人にとって一種の結界となっているため、ならず者も横柄に出来ない何かがある。


 まして貧民街とはいえ教会はまた別の意味で魔窟だ。


 神話の信仰と問答を行なう場。


 執行機関という特殊な暴力装置を背景に持っているため時に四人の神王皇帝に準ずる発言力を持つこともあるほどだ。


 とはいえ教会が実質的に内政干渉すれば国が目茶目茶になるので政治からは一定のラインを引いて傍観している。


 話を戻して、


「シダラ……?」


「な、何すか?」


 マリンに話しかけられて意識をそっちにやる。


「あう……。ビテンを……穴でも開けるんじゃないかってくらい……見つめてるから……」


「うぅ……」


 しおらしいシダラであった。


 これは昨夜ビテンの入浴に突撃したことを今更ながらに恥じているのだが、事情を知らないマリンには意味不明だ。


 ただわかっていることもある。


「おそらくシダラはビテンを意識している」


 当然聡いビテンも気づいてはいるが、面の皮が厚いため知らないふり。


 元より、


「昨日シダラを振り払ったのだから今更だ」


 という観念だ。


「ビ、ビテンは……」


 赤面しながらシダラが声をかける。


 想い人の名を呼ぶだけでも勇気がいるのは恋する乙女の証明だが、察してやれるビテンでもない。


「王都の魔術図書館に行くの?」


「後日な」


「後日?」


「マリン」


「あう……。何……?」


「今日は王都でデートしようぜ」


「あう……」


 まったく空気を読まないビテンがそんな提案をした。


 ビテンに一定の遠慮をしながら、それでも誘いを断れないのはマリンらしかった。




    *




 さてさて。


 そんなわけでビテンとマリンは一時的に勉学を放り出して王都でデートすることになった。


 シダラは同行していない。


 教会でやる事があるらしい。


 人類社会において信仰から最も遠い精神の持ち主であるビテンには、その用事がどれほどのものか理解不能だが、マリンと二人きりの状況が作れた分だけ僥倖と思うことにしたのだった。


 ビテンはワイシャツに黒のパンツ。


 マリンは黒い夏用セーラー服。


 マントは二人とも大陸魔術学院の学生寮に置いてきていた。


 それがあれば色々と融通が効くのだが、


「めんどい」


 とビテンが、


「自慢することでも……」


 とマリンが、それぞれ遠慮憂慮した形だ。


 衆人環視の注目を集めることをビテンの不精とマリンの怯えが皮肉にも共通して敵対するのだった。


 ビテンのワイシャツとパンツは民衆に埋もれているが、マリンの黒いセーラー服は大陸魔術学院の学生の証であり、即ち魔女であることを明確に示している。


 が、こちらもこちらで珍しくも無い。


 今の学院は夏季休暇中。


 南の王国に帰省している学院生は多くいるため、魔女そのものが大陸四か国に溢れる時期であり、どこの国も魔女(とその卵)たちを身近に感じる時期でもある。


 それはともあれ。


 ビテンとマリンは王都の観光名所を歩いて巡り、その途中で喫茶店に入った。


 ビテンはコーヒーを、マリンは紅茶を、それぞれ頼んで一服する。


「手伝わなくて……よかったかな……?」


「何を?」


「シダラの……教会の用事……」


「ボランティア……無料奉仕は俺が嫌いな言葉のトップテンにランクインしてるからなぁ……」


 コーヒーを飲みながら身も蓋もないことをのたまうビテン。


「ちなみに……トップスリーは……?」


「義務。責任。努力」


 性根から腐っているビテンであった。


 マリンにしてみれば言わずともビテンの性根なぞ把握してはいるため、この会話は様式美のようなモノだ。


「シダラ……可愛かったね……」


「恋する乙女は可愛くなるさ」


「そこまでわかって……あの態度……?」


 少しだけ険が混じるマリンの言。


「マリンが何に対して誹謗しているかは知らんが俺は根っからのマリニストだぞ。仮にだがマリンと他全人類を秤にかけられたらマリンに傾く逸材だ」


「ビテンは……私に……囚われすぎ……」


「嫌か?」


「あう……」


 呻いた後、紅茶で間を挟んで、ジト目になる。


「ビテンは……ズルい……」


「褒め言葉と受け取っておこう」


 ビテンもグラスに入ったアイスコーヒーを飲む。


「シダラに……失礼だよ……」


「んなこと言ったらクズノとカイトの問題にもなるだろ。いや……カイトについては俺とて計りかねている部分もあるが……」


「カイトは……なんていうか……純情……?」


 クネリと首を傾げるマリン。


 初めて対等の友人関係を築いてはしゃいでいるという側面があるため、恋慕の情だとは断言できない二人だった。


「でも……クズノと……シダラは……ビテンに惹かれてる……」


「光栄だな」


「クズノのお母さんは……婿殿って……」


「皮算用にも程があらぁな」


「玉の輿だよ……?」


「マリン枢機卿閣下? あなたがそれを言いますか?」


「あう……」


 戦況の不利をマリンも認めざるをえなかった。


「私で……いいのかな……?」


「むしろ駄目な部分を探すのが俺には難しいんだが」


「あう……」


 照れ照れ。


「マリンは空前絶後の美少女だ。これの右に出る者はいない。天がたじろぎ、地が鳴動する。歩くだけで花がほころび、微笑むだけで誰かが幸せになる。一千金でもなお足りない魅力はもはや兵器と云って過言じゃない。全ての人間はマリンを崇め畏敬するのが種としての務めだと知らない辺り全く以て救い難い。マリニストである俺はそんな世界は間違っていると声を大にして言いたいがマリンが困るから漸う抑制しているのも事実だ。とはいってもマリニストが増えればマリンを堕天させんとする悪意も生まれるだろうから俺としては泣く泣く俺一人がマリニズムであることに合理性を……」


「ストップ……」


「む」


 赤面して羞恥にふるえながら待ったをかけたマリンにビテンが言葉を止める。


 その表情は、


「まだ語り足りない」


 と言っていたが、マリンにはもう限界だった。


 ビテンはコーヒーを、マリンは紅茶を、それぞれ飲んで仕切り直し。


「今日は……デートでしょ……?」


「だな」


「この後……何処に行くの……?」


「美術館があるだろ? そこに行ってみないか?」


「あう……。うん……」


「やっぱりマリンが一等可愛いな」


「あう……。そういうとこ……ズルい……」


「うーん。その恥じらいの表情。百三十七点」


「何点満点で?」


「無論百点満点で」


「あう……」

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