第39話 レーテ


 魔術の研鑽と言って多量の本を購入するビテンたちだった。


 本と言っても魔術書ではない。


 まっさらな……何も書かれていない本型メモ帳。


 それも辞典並に厚いモノを十つほど。


 この大陸の文明においては貴重な品だが手が届かない金銭取引というわけでもない。


 もっとも貧民街の出であるシダラには届かないし、育ての親のマリアも余計なことに割ける台所事情ではなかったため、金を出したのはビテンとマリンなのだが。


「申し訳ないっす」


 後ろめたくシダラが言うと、


「世話になってる礼だ」


 ビテンは事も無げに返した。


「当方何かビテンにしましたっけ?」


「友達でいてくれる」


「はあ……」


 よく飲みこめなかったらしい。


「一応俺とお前は学友だよな」


「っすね」


「俺は悪目立ちするから気さくに接することの出来る人間って奴は貴重なんだ。その対価……なんて言うと友情に見返りを求めてるみたいで辛いんだが……ともあれ学友のためなら台所事情は多少削っても問題はないぞ」


「そう言ってくれると気が楽っすけど」


「なによりマリンの家は金持ちだしな」


「あう……。ビテンの……家でも……あるよ……?」


「ありがとな」


 クシャクシャとマリンの黒髪を撫ぜる。


「あう……」


「やっぱ可愛いなぁマリンは」


「あう……」


 そんな思春漫才をやりながらビテンたちは拠点である貧民街の教会に戻る。


 時間は夕方。


 日はまだ暮れてはいないが山脈に消えようとしている辺り。


 ちょうど施しの時間だった。


 多量の夕餉を多量の人たちに振る舞う教会の義務。


 シダラと……それからマリンがシスターマリアを手伝うことになった。


 ビテンは当然参加しない。


 そこに気後れや罪悪感は存在せず、マリアの作ってくれた雑穀米のおにぎりと塩味のスープを摂取した後、教会礼拝堂の席の一つを陣取ってペンを片手にカリカリとエンシェントレコードの複写をし始めた。


「ああっと……」


 や、


「なんだっけか……」


 などと思いながらエンシェントレコードの章を書き記していく。


 書いているのはメギドフレイムの章。


 火の章における高位魔術である。


 フレアパールネックレスも学院では高位魔術に分類されるが一回り……いや二回りは規模が違う。


 フレアパールネックレスは(ビテンは例外だが)基本的に一個小隊を殲滅する程度の攻性魔術。


 たいしてメギドフレイムは状況さえ整えば一個師団を殲滅できる。


 そしてまず間違いなくそれだけの素質をシダラは持っている。


 義務や責任や努力が嫌いなビテンではあるが事これに関しては、


「しゃーない」


 と諦めて作業していた。


「我矮小であるならば……だったっけか?」


 ペンをカリカリ。


 天罰の詩を記していく。


 カリカリ。


 徐々に一冊の白い本が神語の文字で浸食されていった。


「ううむ……」


 雑穀米のおにぎりをはむり。


 スープで流し込む。


 その間にもペンの流れは止まらない。


「天の御座より睥睨する者よ……」


 カリカリ。


「火とは熱なり赤なり羽なり……でよかったかなぁ……どうだかなぁ……」


 カリカリ。


「こんなことなら神語の記録を消すんじゃなかった」


 自業自得だ。


 あるいは自業自損とも言える。


 とはいえ遡行翻訳できる辺り能力的や結果的には賞賛に値するのだが。


 元より魔女ならば不可能ごとではない。


 ある程度のセンスは必要になるが神語理解に長ける者ほど正比例で遡行翻訳は得手となる。


 中でもビテンとマリンのそれはピカイチ。


 であるため愚痴ってはいるものの正確かつ疾速でメギドフレイムの章を神語で再現してのけられているわけだ。


「マリン~」


 ペンを一度止めてビテンが施しを手伝っていたマリンを呼ぶ。


「何かな……?」


「とりあえず出来た分だけ読んでみてくれ」


「後じゃ駄目……?」


 どうやらボランティアにお熱らしい。


 が、


「駄目」


 ビテンは容赦なかった。


「あう……」


 そしてパラパラとページを流し見て、


「うん……。さすが……ビテン……」


 素直に賞賛した。


「そりゃどーも」


 再度カリカリ。


「それからおにぎりをもう二つばかりくれ」


「うん……」


 頷いて施しのおにぎりから二つほどちょっぱってきてビテンに与えた。


「あんがと」


 ぞんざいに礼を言って魔術と向き合う。


 マリンもコンセントレーションを高めたビテンの邪魔をするのもなんなので(というだけでもないのだが)ボランティアに戻った。


「水とは恵み。火とは搾取……」


 ぶつぶつ呟きながら本に向かっているビテンは貧民街の住人に胡乱な眼で見られていた。




    *




 施しも終わり風呂で身を清めたビテンとマリンは同じ部屋でくつろぎの時間を与えられた。


 同室でいるのは正妻の権利ではあるがマリン自体はほんの少しだけ後ろめたく感じてもいる。


 ビテンと相思相愛ではあるが、一定の遠慮を線引いてもいる。


 これはマリンの背景に由来するが割愛。


 さて、


「………………ビテン……?」


「ん~?」


「珍しいね……」


「何がだ?」


「ビテンが……面倒事に……そこまで必死になるのって……」


「ま、こと魔術においてはな」


 それはマリンとてわからないものではない。


 魔女の業だ。


 本来なら神語翻訳能力の獲得から始めるのが学院の講義の定例なのだがビテンとマリンにとっては無為なモノでもある。


 幼い頃から神語に触れ、解読してきたのだから。


 そう云う意味では飛天図書館で魔術書の遡行翻訳の出来るエル研究会のメンバーは誰しも優秀と言える。


 クズノが学年首席をとったのも頷けた。


 ここでは関係ないが。


 ちなみに時間は夜。


 部屋が明るいのはライティングの魔術によるものだ。


 あまり人気のない魔術ではあるが蛍雪の功を重んじる魔女にとっては取って変えることの出来る便利な魔術の一つ。


 維持してるのはビテンだったが、


「もう寝ない……?」


 マリンがそう言うと、


「ああ。先に寝てろ」


 ビテンは事も無げに言ってライティングを解く。


 月明かりはあるものの魔術書の複写が出来る環境では無くなった。


 が、手段は幾らでもある。


 もっとも簡潔な問題解消をビテンは選んだ。


「我は神の一端に触れる者。世界を調律しここに示す」


 アナザーワールドの魔術。


 即ち飛天図書館の具現。


 ここならば時間に関係なく魔術に没頭できる。


 そして今ビテンが向き合っている白本は一般的な文庫の三分の一程度の薄いソレだった。


 そこにカリカリと神語を複写していく。


 メギドフレイムのソレ……ではない。


 昼に記録したレーテの魔術の翻訳だ。


「ここは……」


 ビテンはペンを一切止めずに複写と翻訳を両立させるという人外染みた能力を行使していた。


 生憎それに呆れたり驚いたりする人間は此処には存在しないのだが。


「我、何も持たざりけり。故に空白を何にも望む……でいいのか?」


 神語人語翻訳は魔女ごとによって千変万理。


「愛している」


 の神語を、


「月が綺麗ですね」


 と人語に訳す魔女までいる始末だ。


 とまれ、


「短いな」


 それがビテンの率直な感想だった。


 元より魔術書を記録した時に抱いていた感想ではあったが。


 だいたい娯楽文庫の三分の一程度の詩だった。


 なお人語への翻訳も決して複雑ではない。


 初級……とはいわなくとも下級に属する情報量。


 レーテ。


 エンシェントレコードでは、


「忘却の川」


 を意味する魔術。


 対象範囲の意識に対して特定の忘却を与える魔術。


 つまり、


「誰かに何かを忘れさせる」


 ための魔術とも言える。


 派手さの無いマイナーな魔術には違いないがビテンは戦慄していた。


 複写と翻訳が思いのほか早く終わりレーテの魔術を習得したが、その意味するところを正確に読み取ったのだ。


「正気か?」


 思わず独り言を漏らす。


「何故これほど有益な魔術が下級魔術に相当するのか?」


 それがあまりに不可解であったのだから。


 たしかに戦力としては期待できないが、場合によっては戦果以上のものを獲得できる可能性がある魔術。


 こと対人交渉においては圧倒的アドバンテージを期待できる。


 なお維持定着時間が単位時間と云う空恐ろしさ。


 まして魔術の素質において鬼才と呼べるビテンが行使すれば……、


「考えたくもねぇな」


 そこで思考を終わらせる。


 あまりに破滅的な未来を容易に予想できた。


 禁忌指定されてもおかしくない。


 あくまで、


「ビテンほどのキャパを持つ者が使えば」


 という縛りはあるがビテンがビテンである以上、場合によっては政略的な結果さえ抽出できる。


 空恐ろしい思いのビテンであった。


 フレイムの魔術で自記の魔術書を焼き捨てるとビテンはレーテの魔術を自己禁忌指定にして記憶の底に封印した。


「明日図書館に行ったら本著も焼き捨てないとな……」


 そんな暗い思いさえ抱いているほど。


 そしてアナザーワールドを解く。


「あう……。ビテン……帰ってきた……」


 月明かりの中でベッドの上のマリンがそう言ってきた。


「先に寝てろって言ったろ?」


「そうだけど……ちょっと気になって……」


「何もねえよ。それとも漸く俺に抱かれる気になったか?」


「ビテンのエッチ……」


「否定はしない」


 飄々と答えてマリンの憂慮を雲散させる辺り底意地の悪いビテンだった。

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