緒出塚きえか

第1話


 新宿アルタ前に十九時四十五分に集合。


 今日は職場の飲み会で、上司を含め二十人ほどが集まるらしい。

 地下鉄新宿三丁目駅にほど近いオフィスで勤務しているのだから、わざわざ集合せずとも一緒に居酒屋まで移動すればよいものの、営業陣は出先から来るためアルタ前が都合がいいらしかった。

 定時の十八時きっかりに仕事を終わらせた私は、時間まで伊勢丹で時間を潰し、集合の十分前にアルタ前についた。


彩花あやかさん、お疲れ様です。早いですね、まだ十分前ですよ?」

 話しかけてきたのは新卒一年目の斉藤友香さいとうゆかだった。目が大きく、すらっとしていて身長は一七〇センチはあるらしい。

 人懐こい性格で、職場のムードメーカーで愛されキャラ、この飲み会の幹事でもある。

「友香ちゃんも幹事お疲れ様。大人数だし、日程の都合も居酒屋の手配も大変だったでしょう」

「これも新人の定めですよ。あ、彩花さんこれ! びっくりじゃないですか?」

 アルタに設置された大型の液晶を指差して言った。


 写し出されていたのは、一人の老婆だった。

 この九十二歳の老婆は、未成年への強制性交の罪で逮捕された。この事件が報道されたときは日本中が驚き、ワイドショーでも連日取り扱われていた。

 けれどこの老婆は年齢のこともあり、今日保釈されたらしい。

 そして保釈後、この新宿のアルタ前で、なにか会見をするとのことでライブ中継されていた。

 振り返ると特設ステージが組まれ、報道陣が群がっていた。


「あれ、こんな近くでやってんだ」

「彩花さん来るとき気づかなかったんですか? さっきからこんなんなってましたよ」


 こういった場合、ホテルなどの会見場を使うものだと思っていたけれどなぜ新宿の野外ステージ……と思っても、隣の友香に尋ねたところで私の欲しい回答は得られないだろうと思った。

 そもそも加害者が、なにを伝えたいと言うのだろう。


 ステージの中央には簡易的な長机が設置され、その上には四十五リットルほどの透明なポリ袋が四つ置かれていた。

 中にはぎっしりとお菓子やら、ぬいぐるみ、ブランド物のバッグやら財布が入っているのが見える。

 どれもこれも見覚えのあるものばかりだった。


 カメラのフラッシュとシャッター音で騒がしくなった。なにか叫んでいる男性の声が聞こえる。

 ステージに現れた老婆は、シワひとつないグレーのパンツスーツ姿だった。背筋が伸び、ハイヒールを履いてスタスタと歩き、ステージ中央の長机の前で正面を向いた。

 老婆は、とてもではないが老婆とは呼べない容姿をしていた。どう見ても五十代に見える。


 マイクを両手に持ち、にっこりと笑った彼女は私と目が合って、短くなにかを言った。

 深く紅い、艶やかなルージュがよく似合っていた。



「九十二歳には見えないな」

 実家が隣同士の幼馴染みで、今は同僚であるよっくんこと三谷佳樹みつやよしきが言った。

 お互い実家通いということもあり、毎朝一緒に出勤している。と言っても営業マンのよっくんは、日中はほとんどオフィスにはいないのだけれど。

「いつ来たの? 珍しく早いね」

 よっくんは時間にルーズめだが、これでも我が社の営業成績はトップだ。

「いや、もう時間過ぎてる。みんな揃ってるし。部長に嫌味言われんの面倒だから守ってよ、あーちゃん」

 いつもは呼び捨てのくせに、なにか甘えたりお願いごとのときだけ、幼稚園の頃の呼び名に戻すよっくんは世渡りが上手だ。わかっていてもつい、甘やかしてしまう。


「皆さん揃ったんでいきますよー! 交差点渡るんで迷子にならないで下さいねー、特に部長と彩花さん!」

 友香の言葉で一笑いしたあと、集団が歩き出す。

 

 突風が吹いた。

 悲鳴が聞こえ、髪を押さえつつ振り返ると、ステージ上の中身がぎっしりと詰まったポリ袋が飛んで、人波をかき分けるようにごろごろと転がっていった。

 新宿通りのスクランブル交差点方向に飛んだポリ袋を、先を歩く同僚たちが追いかける。

 

 ヒールで走った友香は、激しく転倒した。

「友香ちゃん! 大丈夫?」

 私も駆け寄り友香の足を見ると、膝が擦りむけ、足首を内側に捻っていた。

「いったぁーーーい!」

「帰った方がいいんじゃない? これ捻挫してるよ」

 でも……と友香が言い淀んだで体力自慢の男性社員が友香を送り届ける役を買って出てくれた。


「皆さんすいません、飲み屋の場所はメールで送りますんで」

「こっちのことは気にしなくていい。よく冷やして、それでも痛ければ明日病院に行くんだぞ」

 趣味のスキューバダイビングで日焼けした岡野部長が言った。


 二人を乗せたタクシーを見送り、友香から送られてきた地図を見ながら歩き出す。

「部長、また焼けましたね」

「お前も一緒にどうだ? ダイビングはいいぞー……って、誘っても来ないな、三橋みつはしは」

「そんなことないですよ、誘われれば、予定が空いていれば、考えます」

 まーた三橋に振られちったーと駆け出した部長は、先を歩く集団の中に入っていった。


 モア四番街にある飲み会を目指して歩き、エレベーターに乗るため角を曲がると、誰もいなかった。


 二十四時間喧騒の似合う新宿で、人が一人もいない。

 振り返ると、よっくんだけがいた。

 二人でエレベーターに乗り込み、九階のボタンを押す。

「まだ結構誘われてんの? ダイビング」

「まぁね。でも日焼けするの嫌だから。似合わないの知ってるでしょ?」

 よーく知ってます、とよっくんは笑った。

 中学時代テニス部だった私は、ショートカット も相まって男子と間違われるほど、よく日に焼けていた。


 九階はイタリア系の居酒屋だった。

 エレベーターホールには誰もおらず、すでに席に通されているらしかった。


「彩花! こっちこっち」

 奥のテーブルで手招きするのは、同期の加藤健明かとうたけあきだった。

「健明さっきいた? 見当たらないから遅れて来るもんだと思ってたよ」

「さっきからいたって! 彩花はひどいなぁ、数少ない同期なのに」

 わざとらしくむくれた健明はよっくんと同様、人当たりがいい。営業成績も、いつもよっくんとトップ争いしている。

 容姿でいえば健明の方が、女性受けがいいと思う。私の趣味かもしれないけれど。



 三人で同期トークに花を咲かせ、二時間ほど経ったころに、席を立った。

 店の隅にあるトイレに行こうとして、違和感を感じる。

 健明と座っていたテーブルの周りに、他の同僚たちがいない。それどころか、店内の全ての客は、揃いのグレーのつなぎを着ている。

 つなぎを着た客たちは私が通路を歩くと、じとりとこちら見て、ニヤニヤと笑っている。

 皆、気持ち悪いほどに真っ赤な唇だった。


「ねぇ、なんかここ変じゃない? 周り、会社の人たちいないし一回出ようよ。気味が悪い」

 私はトイレに行くのをやめて折り返し、健明とよっくんに提案した。

「なんだよーなにが変なんだよー」

 酔った健明は取り合ってくれない。

「声が大きい! いいから早く!」

 健明の荷物を押しつけて、よっくんと一緒に会計に向かった。


 エレベーターホールの前で会計をしている間に、健明は先に着たエレベーターに乗り込んだ。

「あーやーかー! 早くこっちこいよー! 待ってるぞー!」

 二機あるうちの一機に乗り込んだ健明が手招きをした。人がたくさん乗っている。

 もたついたレジがやっと終わり、エレベーターに向かうともう一機のエレベーターが開いた。



「あれ、三橋ここにいたのか? 岡野部長寂しがってたぞー二次会は来るよな?」

 健明が乗っていない方のエレベーターには、集合場所にいた同僚たちが三人乗っていた。頬がほんのりと赤くなっている。

 わけもわからないまま、よっくんの手首を掴んでそちらの方に走り出した。


「あのっ、健明、いて、ここ、思って」

 気が動転して、片言になる。

「は? 健明って加藤健明? なに言ってんの、四年前事故って死んだろ」



 思い出した。

 四年前、同期で仲の良くなった私と、よっくんと、健明の三人はドライブに出かけた。

 海沿いの道の駅で、トイレに行った私を驚かそうと隠れた二人は、崖から足を踏み外して死んだ。



 もう片方のエレベーターに乗った健明の声が聞こえる。

「あーやーかー! 彩花! 早くこっちに来いよ! あーやーかーーーー!」

 健明の声はどんどん低くなっていく。

「彩花ぁぁぁぁぁ! 来いって! こいっつってんだろ!」

 健明は聞いたことのない声で叫んでいる。


 エレベーターの閉まるボタンを左手で連打した。

 早く、健明の声が聞こえない場所へ行きたかった。


「てか三橋、ここでなにしてたの?」

 扉が閉まり、健明の声が消えた。

 胸を撫で下ろしたところで同僚が言った。

「イタリア系の居酒屋だったんですけど、なんだか不気味で」

「そりゃそうだろ、ここもう潰れてるし、改装中とかじゃねーの?」

 顔を上げてエレベーター内の案内板を見ると、店名に斜線が引かれていた。

「友香ちゃん、このビルの九階って…」

「このビル、八階までしかねーぞ。飲み屋は五階、お前がいたのは四階」

 


 そこでやっと一階について、エレベーターから降りた。

 同僚たちに続いて歩き出した私は、何かにつまづいた。

 足元を見ると、ぎっしりと詰まったポリ袋が四つ置かれていた。


「ねぇ、よっくん」

「ん?」


 このポリ袋に詰まっていたものたちはすべて、よっくんがくれたものだ。

 幼稚園のころにくれたお菓子やぬいぐるみ。小学校、中学校のころにくれた誕生日プレゼント。バイトして買ってくれた財布。二十歳の誕生日にくれたブランド物のバッグ。


 私が右手で掴んでいるよっくんは、まだ、私の横を歩いている。

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緒出塚きえか @odetsuka_kieka6

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