6  マリーゴールドの花畑の中で

「リサ、今日は行きたい場所があるんだけどいいかな」

「うん。どこでもいいよ」


 今週はどこに行くかを告げずに、集合場所と時間だけを決めて待ち合わせた。リサと落ち合って、どこに行くかは秘密にして歩き出す。


 僕はさりげなく、それでいてしっかりとリサの手を握った。気づけば、リサと出会ってから季節は一つ進んでいる。半袖から七分袖に変わり、汗を拭くタオルはもう必要ない。


 僕は今日、告白しようと決めていた。場所は決まっている。少し前からインターネットで調べて尽くして、やっと見つけた場所だ。


 少し遠出になる。僕たちの学校がある場所から電車で二時間。目的地が近づくにつれて、僕の心臓の音は大きくなっていく。


 リサとなら、ただ電車に揺られるだけの二時間も飽きることはなく、あっという間だった。





「すごい」


 僕たちは目の前に広がる光景の美しさに、言葉を失っていた。一面に広がる花畑の中、その公園の一画にマリーゴールドだけが植わる場所があった。


 そこは、夢で見た光景と寸分違わなかった。ここで僕は、あの日の夢の中でリサに出会った。


「綺麗」


 そよそよと吹き抜ける風が心地いい。風に吹かれて、花々がワルツを踊るように揺れていた。


「この中、歩こうよ」


 僕とリサは、その花畑を通る小道に吸い込まれるように歩き出した。足元を埋め尽くすオレンジ色。あの日の僕たちには大きく見えていた花も、今の僕たちになら小さく見える。


「ねえ、リサ」


 僕は、マリーゴールドを物憂げな視線で見つめるリサに向かって呼びかけた。


「何?」


 リサはすぐに僕の方へ向いて返事をする。その二つの目には、僕以外何も映っていない。あの時とは違い、懐疑な目を向けられることもない。


「初めてここで会ったときさ、リサはなんで泣いていたの?」


 最初から、ずっと心に引っかかっていた疑問。僕はあのとき以外、リサが泣いているのを見たことがない。夢の中も、現実も含めて辛い表情は見せず、リサはいつも笑っていた。


「え?」


 ふふふっと、リサは脈絡なく笑った。その笑みは楽しい時に笑うような心の底からの笑いではなく、何かを誤魔化すような曖昧な笑みだった。


「さあ? 覚えてないや」


 そう答えるリサはいつもの微笑みを浮かべているのに、いつものリサとは別人のように思えた。まるでそこにいるリサは存在していないかのように儚く、消えてしまいそうで。


「そっか」


 どうして僕がそう思ったのかは分からない。だけど、リサが確かにいてくれるうちに伝えなければ、という思いに駆られた。


 僕が徐に立ち止まって、リサもそれに気づいて歩みを止めた。


「リサ」


 僕はリサにもう一度、呼びかけた。


「何?」


 リサももう一度、僕に返事をした。


「出会ってから、って言っていいか分からないけど」


 僕の前に佇むリサは、いつもと変わらず美しくて可愛くて、可憐で、守ってあげたくなる。


 辺りには、不思議と誰もいなかった。この世界には僕とリサしかいないかのような錯覚に陥る。


「夢の中でリサを一目見たときから、僕は」


 それでもいいとさえ思った。僕の色づいた世界には、リサだけがいてくれればいい。


「リサのことが」


 足元のマリーゴールドが、揺れていた。


「ダイゴ」


 リサは凛とした表情で、声色で、僕の言葉を遮った。続けて言おうとしていた二文字が口の中から消えていった。


「その言葉の続きは聞けないかな」


 リサは、僕を拒絶した。


「えっ」


 目の前が真っ暗になる。ショックが大きすぎて、言葉が何も見つからない。リサは僕が告白することを予測して、好きだと言わせる前に拒否した。


「そろそろ、ダイゴは戻った方がいいもんね」


 リサが悲しそうに続けた言葉の意味は、皆目見当もつかなかった。どこに戻るというのか。思考が停止したこの頭では考え事もままならない。


「ダイゴ」


 リサは寂しそうな声で僕を呼んだ。


「な、に?」


 リサの僕を呼ぶ声は、今さっき僕を拒絶した人のものとは思えないような、僕を求める甘く切ない声だった。


「怖いの。助けてよ」


 何が、とも、何を、とも聞けなかった。リサは僕の目の前で、急に泣きはじめた。涙腺が崩壊したように止まらない涙。


 彼女の突然の行動に、呆然と突っ立っているだけの僕。彼女に何か声をかけることも、触れてあげることも出来なかった。


 泣きたいのは確か、僕の方だったはずなんだけれど。


「お願い、助けて。だってダイゴは私の――――でしょ?」


✴︎


 夢から覚める瞬間は、いつも切ない。


「大吾!」


 目の前に広がるのは、自室とは違う真っ白な天井。そして、僕を覗き込む母の姿。


「先生っ、大吾、目を覚ましました」


 ベットの傍らにいた母は涙ぐんでいた。ここはどうやら病院の一室らしい。体を動かそうとすると痛みが走り、起き上がることもままならなかった。視線だけを体に移すと、至るところに巻かれている包帯と繋がる点滴の管が目に入った。


 どうして自分が大怪我を負っているのか思い出せない。今日が何日で、僕がどれくらい眠っていたのか、何も分からない。


 分かるのはさっきまでいた世界が夢だったということと、自分が泣いているということだけだった。


 僕が今置かれている状況を整理していたとき、医者が僕の病室へやってきた。いくつか質問をされた後、検査を受けた。


 僕はどうやら始業式の日に交通事故に遭い、一週間ほど意識を失っていたらしい。リサと過ごした数ヶ月がたった一週間の出来事だったなんてことは俄かに信じがたいけれど、どうやら本当のようだ。


 また、夢だった。


 痛みを感じなかったのも、世界が都合よく動いていたのも、夢だったからなんだ。せっかくリサと現実世界で過ごせると思ったのに。


「リサ……」


 僕は病院でいる間中、ずっとリサのことを考えていた。治療を受けて、怪我がなくなったらゆっくりとリハビリをして。


 毎日、毎日、リサのことばかりを想った。けれど現実世界に戻ってきたのに、僕は夢を見なくなった。リサと交流する術を完全に失ってしまったのだ。


 それなら、夢の中でしか会ったことのない人物など忘れてしまえばいいのにできない。リサの助けを乞う声は、いやにリアルだった。加えて、目が覚める瞬間にリサが僕に告げた言葉が引っかかって頭から離れない。


 僕は答えを得るために、全てを知っているであろう母を問いただすことを決意した。

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