4  初めて手を繋いだ日

 リサが転校してきたその日から、僕たちはみるみる仲良くなっていった。いや、仲良くなっていった、というのは語弊がある。何せ元から十年以上の付き合いがあるのだ。現実世界でも同じように接するようになっただけだとも言える。


 夢の中と同じように二人でたくさんの場所へ出かけ、頻繁に連絡を取って、学校生活をともに過ごす。リサがいる、色づいた日々。朝起きてから寝るまで一秒も疎かにしたくなかった。もう二度と訪れることのない今日という日を、大切にしたかった。


 ただ一つ、残念だったのは夢を見なくなったことだ。リサと現実で会えるようになったからか、僕は夢の中でリサと過ごす時間を失った。まあ、寝る時間よりも多くの時間をリサと過ごせるようになったのだから、全く気にしていないが。


 僕はまだ、リサにこの想いを告げられていない。それでも、共に過ごす時間を僕と同じように大切にしているリサのことだ。きっと僕と同じ気持ちでいてくれていると信じたい。


 クラスメイトも、僕とリサの異常な仲の良さを受け入れていた。リサは明るい性格とその美貌で瞬く間にトップカーストに君臨するようになった。そんなリサと僕が恋人のような距離感でいても、誰も何も言ってこなかった。それを不思議に思ったが、人と関わるのが面倒な僕にとっては好都合だった。




「ごめん、お待たせ」

「待ってないよ」


 今日は土曜日。日中はまだ暑いけれど、時折吹く風が涼しさを帯び始めた時期。毎度のことながら、僕たちは待ち合わせをしてデートする。


「行こうか」


 デート、と呼んでいるのは僕だけかもしれない。けれど、僕は確かにそうだと思っていた。


「ダイゴの家って駅から近いの?」


 今日は初めて僕の家にリサを招くことになっている。仕事で家に母親はいないが、やましいことをするつもりは微塵もない。


「まあまあかな」

「ふーん」


 リサの隣を歩くのも何度目だろうか。駅から約七分、整備された住宅街の道を歩いて行く。陰が多い道を選んで、他愛もない会話をしながら進んだ。


「リサの家はどこら辺にあるの?」

「えっと、学校からさっき乗ってきた線の二駅分先のところだよ」

「じゃあ学校に近いんだ」

「うん」


 話をしながら、唐突にリサの手を握りたくなった。日焼け止め対策はバッチリなのか、この一ヶ月間で焼けた僕とは対照的に色白だ。そして、その手首には僕が先日あげたブレスレットが付いている。

 恋人でもない僕がアクセサリーを渡していいものか迷ったが、気に入ってくれているようで嬉しい。


「引っ越す時に学校の近くにしたんだ?」

「うん、まあ」


 どこか歯切れの悪い返事。自然な流れだったと思うけれど、僕はリサが困る質問をしてしまったらしい。

 次に何を言えばいいか分からなくなって、会話の空気が悪くなった。


「あ、じゃあここだから」


 その時、丁度家に着いてくれて助かった。なんとなくいつもより早く着いた気がする。


「お邪魔します」


 僕と母が二人で住む、決して広くはないアパート。家の中は今日のために隅々まで片付けて、外見のボロさを隠したつもりだ。


「わあ、なんか温かい感じがする」


 温かい感じ。初めて持たれた感想に少し驚いた。が、感性豊かなリサだから言い得るのだと思った。


「そう?」

「うん。お母さんと仲良いんだなあって」


 お母さん、とだけ口にしたリサ。僕はリサに母子家庭だと告げたことはあったっけ? 不思議に思いながらも、それよりリサのことを知りたくて質問に転じる。


「まあ、いいんじゃないかな。リサは?」

「私、お母さんいないんだ」


 寂しそうに笑うリサを見て、やってしまったと後悔をする。「お父さんは?」と僕が聞かれたとき、気にしていないと思いながらも感じる小さな負の感情をリサにも抱かせてしまったようだ。


「ごめん」

「ううん」

「お父さんとは、仲良くないの?」


 慌てて何か話をしようとして、口に出した。その瞬間、リサがほんの一瞬フリーズしたのを、僕は見逃さなかった。


「仲良く、ないかな」


 また誤魔化すように曖昧に笑うリサ。この話はやめたほうがいいと感じた僕が話題を変えようとした時だった。


「でも、お兄ちゃんとは仲良しだよ」


 リサは表情を一変させ、明るい笑顔に変わった。


「自慢のお兄ちゃんなんだ。毎週遊んでもらってるし」


 リサは何故か照れながら、僕から視線を外した。高校生になっても遊ぶって、余程仲がいいのだろう。その「お兄ちゃん」とやらにも僕は嫉妬しそうになった。


 いや、僕とも毎週遊んでくれているから負けてはいないけどね。


「いいな。僕は一人っ子だから羨ましいや」

「あ、……ごめん」


 リサは僕の言葉を聞いて、悲しげな表情に変わった。気にするほどのことでもないのに、気を悪くしたリサを笑顔にしたくて話題を変えた。


「あのさ、冷蔵庫にケーキあるけど食べる?」

「うん、食べたい!」


 リサはケーキ、というワードに反応して気持ちが上昇したようだった。僕は早くケーキを食べさせたくて、急いで動いたことが裏目に出てしまった。


「パリンッ」


 食器棚から取り出した皿を掴みかねて、床に落として割ってしまう。


「きゃあぁぁぁ」


 刹那、リサが悲鳴を上げながら耳を塞ぎ、座り込んだ。その行動に驚きつつも、すぐにリサの元へ駆け寄ろうとした。


「痛っ」……くない?


 僕は慌てて踏み出した足の裏で、割れた食器の破片を踏んづけた。痛い、と反射で口にしたが、痛みは感じなかった。少し厚い靴下を履いていたからだろうか。いや、今はそれよりもリサのことだ。


「ごめんっ、大丈夫?」


 僕もリサの隣にしゃがみ込んだ。リサの体に触れていいか許可を取る間もなく、うずくまる背中をさする。


「だ、大丈夫、ごめん」


 大丈夫と言いつつも、心なしか震える肩。食器が割れて驚くのは分かる。けれど、リサは異常なまでの拒否反応を示した。


 何に怯えているのかは分からなかった。聞くことも出来なかった。僕が出来たのは、ただリサが落ち着くまでその背中を包み込むだけだった。


✴︎


「今日はごめんね」


 結局、その後の僕たちはぎこちない雰囲気のままだった。湿度の高い今日の気候のように、僕たちの間に流れる空気は重たくて心地悪かった。


「リサが謝ることじゃないよ。僕こそ、ごめん」


 リサといてここまで上手くいかないのは初めてだった。おそらく、僕がリサの地雷を踏み倒したのが悪い。


「あっ」

「危なっ」


 その時、リサが小さな段差に躓いて転びそうになって、思わずその手を掴んだ。


「ごめん、ありがとう」


 これが、今日の中でたった一つの成功だったと思う。力を入れるとすぐに折れてしまいそうな、か細く柔らかい手。僕はその手を離したくなかった。


「うん」


 そっと握った僕の手は、リサに振り払われることはなかった。リサの手はぎこちなく、僕の手のひらの中に収まる。


 僕らは手を繋いで駅まで歩く。流れる空気は些か軽くなっていた。夕陽を浴びながら、好きな人と閑静な住宅街の中を歩く。まるで夢のように、ふわふわと心は漂っていた。

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