2 リサとの出会い
「初めまして。隣の市から引っ越して来た……」
始業式を終え、ホームルームの時間に転校生が教室に入ってきた時、僕の世界は変わった。
女子にしては高い身長。天使の輪を纏うショートボブ。はっきりした二重と血色の良い肌の色からは、明るく快活な印象を受けた。緊張しているのか少し声がぶるっているが、それでも美しい声だった。
彼女を中心に瞬く間に僕の世界が色づいていく。胸がドキドキと鼓動を早め、体中が熱くなる。呼吸のやり方を忘れるほど、目前に広がる光景に驚いていた。
「一番後ろの席ね」
若い女の担任は真ん中の一番後ろの席――僕の隣の席を指差した。僕がじろじろ見過ぎたせいか、移動してきた彼女も僕の方を向いた。視線が交わった瞬間、僕の鼓動はドクンと一つ、大きな音を立てた。
彼女は驚く様子もなく、軽い会釈をして静かに席に座る。僕は礼をし返すのも忘れ、ただ彼女に見入ってしまっていた。
言っておくが、僕は決して彼女に一目惚れをしたわけではない。現実で会うのは確かに初めてだったけれど、夢に出てくる彼女、リサとはもう十三年の付き合いになる。
✴︎
リサと出会ったのは確か幼稚園の頃だったと思う。最初に夢に出てきたリサは、マリーゴールドが一面に広がる花畑の真ん中で泣いていた。夢の世界の登場人物はリサと僕だけ。幼い僕は、泣き叫ぶリサに興味本位で近づいた。
「なんでないてるの?」
直球で何の配慮もない、不躾な言葉。リサは急に声をかけられたことに気づいてびくりと肩を震わせ、恐る恐る振り向いた。
「こわい、から」
何が、とは言わなかった。小さくか細い、今にも消えてしまいそうな声。リサはそれ以上何も口にせず、また大声を出して泣き始めた。僕はそんなリサを目の前にどうしていいか分からないまま、ただリサの泣き姿に目を奪われてその場を動けずにいた。
随分と長い時間しゃくり上げていたリサはついに泣き疲れ、徐に僕の存在を思い出した。そして、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔のまま、僕に質問を投げかけた。
「あしたもここにくる?」
僕が何者なのか探るような目をしつつも、明日も来て欲しいという期待が込められた言葉だった。
「うん!」
僕は何も考えていなかった。ここはどこなのか、リサは何に怯えているのか、どうしてリサと僕は出会ったのか。考えてみれば不思議なことばかりだったが、夢だと言われれば全て納得してしまった。
リサは元気の有り余った僕の返事に力なく笑った。そして、僕が夢から覚めるタイミングを知ってか知らでか、バイバイと手を振った。
僕が目覚めたのは、ちょうどその瞬間だった。
それから毎日、僕の夢にはリサが出てくるようになった。最初は警戒されてお互いの距離感を図りかねていた僕たちだったけれど、日を重ねるごとに仲を深めていった。リサが泣いていたのは初日だけで、僕が夢の世界へ向かうとリサはいつだって笑顔で僕を迎えてくれた。
リサと過ごすうちに、いつしか僕の夢は明晰夢に変わっていた。リサとはこの十三年間、いろんな場所へ旅をして、いろんな遊びをして、そして、たくさんの話をした。
僕はずっと、リサは夢に出てくる妖精のような存在なのだと思っていた。僕とリサは同い年で、二人で一緒に成長した。いつしか現実世界よりも、リサに会える夢の世界の方が大きな存在に変わっていたんだ。
最初は、リサのことを親友だとしか思っていなかった。どうしてリサを笑顔にしたいと思うのか、どうしてリサと過ごす時間が永遠であればいいと思うのか、その意味に気づいたのは小学校高学年の頃だった。
リサは、僕の初恋の相手だった。
中学、高校と進級し、年を重ねるごとにリサの美しさには磨きがかかっていった。その頃にはもう夢の中でも現実世界でも、僕はリサのこと以外は考えられなくなっていた。
けれど、夢の中のリサは所詮、僕自身が作り出した空想上の人物に過ぎない。そう思っていたからこそ、この意味のない想いは僕を蝕んだ。
夢の中では毎日会えるのに、逢瀬の時間はすぐに過ぎ去って不毛な感情を抱いたまま目が覚める。辛かった。夢を見るためだけに色のない日々を過ごし、苦しみの朝を迎える。そんな日々の繰り返しだった。
✴︎
だけど、夢の中のリサと同じ人物が今、僕の隣に座っている。この状況に興奮しないでいられるだろうか。リサは僕の作り出した幻想じゃなかった。今日からは現実世界でもリサに会える。想像するだけでだらしなく頬は緩んで、心は歓喜に打ち震えた。
「ペン、貸してもらっていいかな?」
それが僕とリサとの、最初の会話だった。今さっき先生から渡された書類や用紙への記入はボールペンで、という指定があった。どうやらリサは家に忘れてきたようで、僕に助けを求めた。
「ど、どうぞ」
「ふふ、ありがとう」
リサは僕のぎこちない動作を見てくすりと笑った。途端、キュンと、心が跳ねた。やはりリサの微笑みはどんな宝石よりも輝いていて美しい。
「ダイゴ、いつもと違うね」
さりげなく顔を近づけて、僕だけに聞こえるように言った言葉。耳元で聞こえたリサの声に体が熱くなって、溶けてしまいそうだった。
「リサ?」
僕もいつものようにリサの名前を呼ぶと、リサはにっこりと笑い、「後で話そ」と囁いた。
席が隣同士でひそひそ話なんて、秘密の約束みたいで萌える。僕は小さく頷くと前を向いた。けれど、冷静でいられるはずもなく、僕の心臓はリサが教室に入ってきた時よりも激しく音を立てていた。
ここが教室でなければ、僕はあまりの喜びに言葉にならない言葉を叫んでしまっていただろう。リサも僕のことを知っていると、僕たちの夢と夢が繋がっていたと分かったから。
何度も妄想した、この光景。同じクラスにリサがいて、隣の席で、同じ授業を受ける。一緒に帰って、寄り道なんかして、告白して、恋人になって。
今日からは妄想じゃない、現実になる。諦めていた青春が、未来に広がっていく。僕は堪えきれないにやにやを手で隠して、頭に入ってこない先生の話を聞き続けるのだった。
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