カツカレー③

「恋人ができたわけじゃないなら、早く帰りたい理由ってなに?」

 追及されると、言葉に詰まる。

 どう考えても、「家に女子高生を匿ってるので……」と素直に言うのはまずい。むしろ考えるまでもないことだ。

 ただ、独り身でこれといった趣味もない俺が帰宅したがる理由を、本当のことを伏せたまま説明するのは難しい。

「……す、睡眠が」

 苦し紛れに口から飛び出したのが、その言葉だった。

「最近、睡眠を多めにとるようにしてて」

「ふうん……睡眠、ね」

 後藤さんは納得しているとも、していないともとれる頷き方をする。

「くたくたになりながら仕事すると……効率上がらないなと思ったので、改善しようとしてる、とこです」

 俺が言葉につかえながらなんとかそこまで言い切ると、隣の橋本が見かねて助け船を出してくれる。

「まあ、実際最近顔色も良いし、かなり調子よさげに仕事してるよね。効果はあったんじゃない?」

 こういうとき、橋本は本当に頼りになる。わざとらしくない口調で、自然と会話を誘導してくれるのだ。俺には到底できない芸当の一つだと思う。

 橋本の言葉に小さく相槌を打って、後藤さんは俺をじっと見た。

「確かに、前に比べて顔色も良いし、なんというかいろいろ小綺麗になったわよね。シャツとかもシワ伸びてるし」

「シャツまでチェックされてたんですね……ちょっと恥ずかしいな」

「大丈夫、シャツのシワで昇給見送りとかしたことはないから」

 後藤さんの冗談めかした答えに、俺は苦笑した。

 しかし、まさかシャツまでしっかり見られていたとは驚いた。彼女が俺のことだけそこまで細かく観察しているとは考えにくいが、逆に、部下の社員一人一人の身なりにまで気を配っているとしたら相当大変なことだと思う。改めて、後藤さんの上司としてのすさまじさを実感した。

「早く寝て、早く起きるようになったんで、アイロンがけとかも朝にやれるようになったんですよ」

 噓をつくのは苦手だが、比較的自然に話せたのでホッとした。実のところは自分では家事などほとんどしていないのだから、今の発言は明確な噓だった。目が必要以上に泳がないか不安だったが、そもそも今後藤さんはカレーに目を落としていたので、こちらを見ていなかった。ラッキーだ。

「なるほどね、まあそういうことなら納得かなぁ」

 後藤さんはにこりと微笑みつつ頷いて、また一口、カレーを頰張った。

 安堵の溜め息を漏らしそうになるのを必死でこらえる。やはり、隠し事は苦手だ。何かをごまかすために言葉を尽くそうとすると妙に息が詰まる。

 とはいえ、さすがに誰もかれもに本当のことを言って回るわけにはいかない。俺だけで完結する話ではないので、こればかりは慎重にならざるを得ない。

「まあ、5年も同じスタイルで働いてた後輩が、急に変わり始めたから驚いただけよ。特に他意があるわけでもないから気にしないでちょうだい」

 後藤さんは俺の先ほど抱いた疑問を見透かして答えるようにそう呟いて、また一口カレーを口に運ぶ。気付くと、後藤さんは半分以上カレーを食べ進めていた。逆に俺はあまり箸が進んでおらず、麵が伸び始めていた。慌てて麵に手を付け始めながら、ふと思う。

 普段から昼食をサラダのみで済ませているような人が、少しいつもより腹が減っているからと言ってこのスピードでカツカレーを食べ進められるものだろうか。

 俺も一時期仕事に集中したいあまりに昼食を減らし昼休み中も仕事をしていた時期があったが、空腹につらさを感じたのは最初の数日のみで、胃が縮んだのか分からないが、慣れてしまえばそれが普通になった。むしろ急にたくさん食べようとすると気分が悪くなるようになったのを覚えている。

 まあその後、橋本にたしなめられて少しずつ食べる量を増やしていったので、今は以前と同じだけの量の昼食をとるようになったのだが。

 そこから考えると、どうも後藤さんの食べっぷりには疑問が残った。

 いつものサラダだけの昼食は、むしろかなり無理してそうしているということなのかもしれない。

 麵を啜りながらそんなことを考えていると、正面から視線を感じて、顔を上げる。直後、後藤さんとばっちり目が合った。

 俺はぎょっとして、慌てて目を逸らしてしまう。

「な、なんすか……」

 中華麵に目を落としながらなんとも情けない言葉を放つと、後藤さんは鼻から抜けるような吐息を漏らして、笑った。

「いや、他人のこと心配してるときの顔してるなぁ、と思って」

 その言葉に、俺は視線を上げてしまう。再び後藤さんと目が合って、後藤さんは小首を傾げてからいたずらっぽい微笑みを浮かべた。

「図星?」

「あ、いや……」

 顔の温度が上がっていくのを感じた。

 この人はなぜこうも、見ていなくて良いところばかり見ていて、こちらをこそばゆい気持ちにさせてくるのだろうか。

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