化粧品⑤

「せっかく出てきたし、他にも何か買っていくか」

 会計が済んで、ビニール袋に入れられた化粧水を沙優に押し付けながら言うと、沙優は怪訝そうな顔をした。

「何かって?」

 まだ自分に何かを買い与えるつもりなのか、というようなニュアンスが思い切り滲み出た質問に苦笑しながら、俺は肩をすくめる。

「何か、だよ」

 投げ捨てるように言って、上の階へ上がるためのエスカレーターを探して歩き始める。

「おいてくぞ」

「ちょ、まってよ」

 沙優も慌ててついてくる。

 とりあえず、家の中で暇をつぶせそうなものでも探すか。

 そんなことを考えながら歩いていると、なんだか一人でする買い物より楽しく感じた。

 沙優の方をちらりと見やると、彼女も俺の視線に気付いたのか、首を傾げる。

「なに?」

「いや……別に」

 勝手な話ではあるが、沙優が家に来てから、いつも一人でしていたことが若干楽しく感じるようになった気がする。

 俺は、趣味のあまりない人間だ。休日は寝ているか適当にネットサーフィンをするか、身体を動かしたくなったらなんとなくで契約したスポーツジムに足を運ぶ程度のことしかしない。なので、普段の買い物は食料品や最低限の衣類くらいしかしないのだ。そういうわけで最寄り駅の前にデパートがあるというのに普段はまったく足を運ばないし、もし来ることがあっても機械的に必要なものを買って終了だ。

 こんなに、ゆっくりと買い物をしてみようかと思ったのは久々のことだと思う。

 それもこれも、沙優がいるからだ。

 そして、一番の変化は帰宅途中の心境だと思う。

 前までは、その日の仕事内容を思い出して、翌日には何を進めるべきかとか、そういうことばかり考えていた気がする。家に帰っても風呂に入って寝るだけだ。特に急いで帰ろうとも思わなかった。

 しかし最近は、俺が仕事をしている間に家で沙優が何か困ったりしていないだろうか、勝手にいなくなったりしていないだろうか、と沙優のことばかり考えて帰宅している。そうすると必然的に、仕事は定時で切り上げるし、電車もなるべく早いものに乗れるようにするし、最寄り駅からは若干早足で帰ることになる。

 それほどには、今の俺にとって沙優の存在は大きかった。

 たまたま俺の家に転がり込んだだけの赤の他人のはずなのに、どうも放っておけない。

 それは、こいつが女子高生だからなのか、俺から見て『可哀想に見えるから』なのか、もしくは、その他の理由なのか。自分でもよく分からない。ただ……。

「吉田さん?」

 突然声をかけられて、肩が跳ねる。

「お、おう……どうした?」

「どうしたはこっちの台詞。眉間に皺寄ってたよ」

「え? ああ……」

 どうも、俺には考え事をしていると眉間に皺が寄る癖があるようだ。

「すまん、ちょっと考え事してた」

「考え事って?」

「気にすんなって」

 俺がへたな笑顔を作っておどけて見せると、沙優もぎこちない笑みを浮かべて頷いた。

 そう、その顔だ。

 沙優は、かなりころころと表情を変化させる女子だ。ただ、その表情の大半が、『急ごしらえ』したような、妙な違和感を覚えるものだった。

 沙優が笑顔を見せるたびに、こいつはいま本当に、心から笑っているのだろうかと、余計なことを考えてしまう。

「沙優」

「ん?」

 2階へと続くエスカレーターに足をかけたところで、沙優の方を見る。続いてエスカレーターに乗った沙優は、くりくりとした瞳で俺の目を見つめ返してくる。

「……もうちょっと、その」

 上手く言葉が、出なかった。

 もうちょっと、俺を頼ってもいいぞ。

 きっと、そう言いたかった。

 ただ、その言葉にどれだけの意味があるか考えて、馬鹿らしくなった。

「いや、なんでもない……」

「え?」

「何言おうとしたか忘れた」

「えー、なにそれ」

 頼られないということは、頼られるほど心も許されていなければ、俺に頼りがいも感じていないということだろう。

 そんな状態で何を言ったところで、うわべだけだ。きっと、沙優を困らせる。

 あまり焦るものじゃない。ゆっくりとコミュニケーションをとって、少しずつ、向こうからほぐれていくのを待つことにしようと思った。

「吉田さん、あのさ」

 エスカレーターが上昇し、2階にたどりついた頃に、沙優が口を開いた。

「ん?」

「いや……その」

 沙優の方を見ると、沙優は俺からすぐに目を逸らして何か言いづらそうに口ごもった。

「なんだよ」

 もう一度訊くと、沙優は少し顔を赤くしながら、言った。

「お、おなか……空いたん、ですけど」

 俺は虚をつかれて、一瞬思考が停止する。しかしすぐに可笑しくなって噴き出した。

「なんで敬語だよ」

「いや、わかんないけど……」

「そうか腹減ったか、じゃあなんか食うか」

 笑いをこらえながら俺はまたエスカレーターへと足をかける。

「上の方の階に飯屋けっこうあったと思うぜ」

「う、うん……」

 沙優は少しほっとしたような表情で、俺の後をついてきた。

 可笑しさは徐々に収まって、すぐに鼻から息が漏れた。

 沙優は、俺が言おうとしてやめたことをしっかり察していたのだ。その上で、最大限の譲歩を、してくれた。

「いつもは作ってもらってるからな。外でくらい、好きなもん食わせてやるよ」

 俺がそう言うと、沙優ははにかんだように笑って、何度か首を縦に振った。

「うん……たまにはいいよね」

 それは自分を納得させる儀式のようにも見えて、少し可愛げがあった。

 やはりこうして見ると、こいつの笑顔は良い。もっと見ていたいと、もっと笑って欲しいと、素直に思う。

「何食う?」

「家じゃ食べられないやつがいいかも……オムライスとか?」

「オムライスは家でも食えるだろ」

「卵がトロットロのやつはお店じゃないと食べられないの!!」

「そ、そうか……」

 他愛のない会話をしながら飲食店に向かう間、俺は沙優に対して感じていた漠然とした不安が拭われたような気持ちになっていた。

 それと同時に、これだけ年下の少女に気を遣われてしまう自分の不甲斐なさが、少し悔しかった。

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