髭②
「三島ァ……またお前か。何回目だよまじで」
「あ! 吉田センパイ、おはようございます」
「おはようございますじゃねえんだよ。まずすみませんだろ」
「あ! すみません、すみませんでした」
午前中から額の血管が浮き出そうな気持ちだ。
「お前は指示書が読めねぇのか? うん?」
「いや、ちゃんと読みましたけど……」
「ちゃんと読んでねぇから間違えるんだろうが!」
大声を上げると、遠くの席に座っていた後藤さんがちらりとこちらに視線をやったのが見えた。
ぎくりとして、俺は咳ばらいをする。
「いやー、ほんとすみません」
へらへらとした様子で自席で俺に頭を下げているのは、部下の三島柚葉だ。今年入社した女性社員で、俺の直属の部下として面倒をみることになったのだが、いかんせん物覚えが悪い。物覚えの悪い社員は他にもごまんといるが、その中でも群を抜いて覚えが悪い。
そして最も腹が立つのは、この態度だ。いくら叱っても、へらへらとしていて、申し訳なさそうな顔ひとつしない。新人だから間違えて当然、というような余裕さえ感じられるほどだ。
「あのー……」
おずおずと、三島が俺を上目遣い気味に見つめる。
「何がまずかったんですかね?」
溜め息が出る。
そこからか。
「そもそも使ってる言語が違う」
「でも、私この言語しか使えないです」
「使えねぇなら覚えろ! 参考書渡しただろ!」
「なかなか時間取れなくて、へへ」
この顔だ。ごまかすような笑顔。
これが、一番頭にくるのだ。
「もういい。その案件は俺がやる。別の仕事渡すから、そっちをやれ」
これ以上ごたごたと長引かせても無駄だ。
自分でやってしまった方が早い。
「すみません、ほんと」
「悪いと思ってるなら少しは勉強しろ」
「へへ、頑張ります」
頷いて、へらりと笑う三島。
小さく舌打ちをして、踵を返そうとすると。
「あ、吉田センパイ」
「あ?」
振り返ると、三島が怒られたこともすっかり忘れたように屈託のない笑みを浮かべて、言った。
「髭剃ってるほうが、かっこいいですね」
一瞬、思考がフリーズした。
自分の顎に手を当てる。今日髭を剃っただけあり、つるつるとしていた。
すぐに、馬鹿らしくなる。
「俺の髭より仕事のミスを気にしろ!」
「へへ、すみません」
つかつかと自席に戻り、椅子にどすんと腰掛けた。
「朝から大変だねぇ」
隣の席の橋本が苦笑した。
「ほんと、やべえよあいつ。お前にあげたい」
「いらない、いらない」
橋本はくつくつと笑って、キーボードをカタカタと鳴らす。
俺も朝から新人に時間をとられてしまったが、自分の分の仕事と、三島から引き継いだ仕事を両方こなさなければならない。
PCの電源ボタンを押す。
まだ黒い画面に、自分の顔がぼんやりと映った。
「……そんなに髭似合わねぇかな」
小さく独りごとを言うと、橋本が吹き出した。
「なんだよ……」
「いや」
橋本はPC画面から視線を動かして、俺をじっと見た。
「今更かよ、って思ってさ」
「てめぇ」
どうやら、本当に俺は髭の似合わない顔をしているらしい。
明日からは毎日剃ろう。オッサンは決意した。
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