煙草②

 二時間も残業をしてしまった。

 最寄り駅で電車を降りたころには、もう21時を回っていた。

「あいつ、メシ食ったかな……」

 家にいるであろう沙優のことを思い浮かべる。

 金を持っていないというのでとりあえず1000円あれば昼食代は十分だろうとそれだけ置いて家を出たが、もしかしたら夕食を食えずに腹を減らしているかもしれない。

 コンビニに寄り、適当な弁当を二つ買った。

 早足で自宅に向かう途中に、昼に橋本に言われた言葉を思い返す。

『あんまり感情移入しすぎないほうがいいよ。問題になる前に、保護者のところに帰した方がいい』

 そんなことは分かっている。しかし。

『多分いなくなってせいせいしてるから、大丈夫』

 沙優がそう言った時の、あのすべてを諦めてしまったような表情が、脳裏に焼き付いている。

「まだ高校生のガキが、あんな顔するもんじゃねぇ」

 小さく呟いて、俺は家へと急いだ。



 鍵を開けて、家のドアを開けると。

 美味そうな香りがふわりと漂ってきた。

 居室へとつながる廊下の途中に備え付けられているキッチンスペースの前で、沙優がおたまを片手に突っ立っていた。

「あ」

 沙優が俺に目をやって、口を開いた。

「おかえり、パパ?」

「やめろ、反吐が出る」

 少し、ほっとした。

 もしかしたら腹が減ってぶっ倒れているかもしれない、というところまで想定していた。軽口を叩ける程度には元気のようだ。

「いつもこんな時間なの」

「いや、今日は残業だった」

「たまに残業があるんだ」

「いや、毎日残業はある」

「じゃあいつもじゃん」

 会話をしながら靴を脱ぎ、沙優がかき回している鍋の中をのぞくと、中身は味噌汁だった。ほかほかと湯気をあげているところから見るに、今作ったばかりのようだ。

「また味噌汁か」

「だって好きでしょ」

「そんなこと言ったか?」

 俺が首を傾げると、沙優はけらけらと笑って答えた。

「意識失う寸前に『味噌汁が飲みたい……』って言うくらいだからねぇ。相当好きなんだろうなって思って」

「俺、本当にそんなこと言ってたのか」

 まったく記憶にない。

「でもごめん、味噌汁しか作ってないや」

「弁当買ってきたからいい。お前も食うだろ」

 片手に持ったビニール袋を持ち上げてみせると、沙優はにこりと笑って、首を縦に振った。

 居室に行くと、端の方に洗濯物が畳まれて置かれていた。替えのシャツのシワもきちっと伸びている。洗濯とアイロンがけ、やってくれたのか。頼んでいないのだが。

 ふと床を見ると、溜まっていたホコリや落ちていた髪の毛もすっかりなくなっている。そのまま部屋の中に視線を這わせて掃除機を探す。いつも置いている場所とは違う位置に掃除機があった。

 掃除機も、かけたのか。

 ちらりと沙優を横目に見ると、鼻歌を歌いながらお椀に味噌汁を盛り付けていた。

 家事をやれとは言ったが。正直ここまでそつなくこなすことは期待していなかった。案外器用なやつなのかもしれない。それに、それなりの責任感もあるということなのだろうか。

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