煙草③

 俺はスーツを脱ぎ、部屋着にサッと着替える。

 そして、スーツのポケットからお気に入りの『赤マル』とジッポライターを取り出した。

「ん」

 そこで、いつも居室の机の上に置いていた灰皿がなくなっていることに気が付く。

「沙優」

「んー」

「灰皿、どうした」

 訊くと、沙優はハッとしたように手を叩いて、食器棚からピカピカになった灰皿を取り出した。

「ごめん、食器洗う時に一緒に洗っちゃった」

「そうか。ありがとう」

「あ、うん……」

 灰皿を受け取って、俺はベランダへ向かう。

「え」

 俺の背中に、沙優の声が飛んできた。

「ん?」

 振り返ると、沙優がぽかんと口を開けてこちらを見ていた。

「なんだよ」

「いや、居室で吸えばいいのにって思って」

 沙優の言葉に、俺は顔をしかめた。

「なんでだよ」

「だっていつもそこで吸ってるんでしょ」

「そうだけど」

「じゃあなんでわざわざベランダ行くの」

 質問の意図が分からない。

「だってお前がいるだろ」

 俺が答えると、沙優は驚いたように目を丸くした。

 何をそんなに驚いているのだ。

 一人でいるときはところかまわず吸うが、さすがに吸わない人間が近くにいるときに無遠慮に吸ったりはしない。当たり前のことだ。

「なんだよその顔は」

「いや……」

 沙優は視線を床に落として少し何かを思い出すような顔をした。

 そして、すぐににへらと笑顔を見せる。

「優しいんだなって思って」

「は?」

 思わず刺々しい疑問符が口から飛び出してしまい、俺は慌てて口をつぐんだ。

 悪い癖だ。子供をあまり威圧するものではない。

「何が優しいって?」

「いや、その、あはは」

 沙優はごまかすように笑って、手を後ろでもじもじと組んだ。

「今までの人はさ……私がいようがいまいが、構わず吸ってたから……」

 それを聞いて、俺は再び怒りとも悲しみとも言えない気持ちに胸を支配された。どうしてこいつはこうも、残念な大人ばかりに、価値観を作り込まれてしまったのだろう。

「JKを食っちまうわ、未成年の前でタバコ吸うわ、とんでもねえやつらだ」

 やり場のない怒りのようなものを、吐き捨てる。

 俺は煙草の箱を持った手で、沙優を指さした。

「いいか、俺が優しいんじゃない。そいつらがクソだったんだ。勘違いするな」

「え……」

「基準を低く持つな。正しい尺度で物を見ろ」

 畳みかけるように言って、俺は再びベランダの扉に手をかける。

「俺が吸い終わったら、メシ食うぞ。ちょっと待ってろ」

「……ん、わかった」

 沙優の返事を聞いてから、ベランダに出て、扉を閉める。

 ちらりと部屋の中の沙優を見ると、困ったような笑顔を作りながら、首の後ろをぽりぽりと搔いていた。

 煙草を一本取り出して、ジッポライターの蓋を親指で押し開けた。煙草に火をつけ、ライターを閉じる。チンッ、という音が夜闇によく響いた。

 煙草の煙を吸って、吐き出す。

「……はぁぁぁ」

 同時に、ため息も漏れた。

 歳を食ったと実感した。

 どうも、女子高生を見ていると保護者のような気分になってしまう。あれに欲情できる人間の気が知れない。

 沙優の、なんとも言えない笑顔を思い浮かべる。

 本当に、可愛い顔をしていると思う。きっと、もっと素直な笑い顔の方が似合うのだ。

 誰が、あそこまで彼女の価値観を狂わせてしまったのか。

 もちろん、本人の甘ったれな本質もある。いや、それが最大の原因だと思う。しかし、それを悪い方向に導いた大人たちが、環境が、絶対に存在する。そのことに、少しだけ憤りを感じた。

「クソったれだらけだ、本当に」

 呟いて、また一口、煙草の煙を吸った。

 そんなことを言っている俺だって。

 女子高生の甘えを許して、逃げ場を作ってあげてしまっているクソったれなのだ。

 どいつもこいつも、俺自身も。

 みんな自分勝手に生きている。

 煙草の煙を吐き出すと同時に、自分がしていることの意味を、少しだけ考えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る