第49話 怨嗟の一徹
【ノエルの主 現在】
俺が新しい情報を得る手段は、時折やってくる医者の話を聞くことくらいだ。
その話に不穏な様子が混じり始めたのは最近のこと。
「他の街の人間が慌てて逃げてきてね……酷く怯えていて中々話ができなかったんだが……最近ようやく口を開くようになったんだ」
「他の町から人間?」
医者は紙袋から食料を机の上に並べながらボソボソと話している。
「3人が逃げてきたんだけど、1人はひどい怪我のせいですぐに絶命した。もう1人は末期の癌で、こちらは今昏睡状態。残りの1人はまだ怪我が軽度で、徐々に回復しているんだが……精神的な傷が酷いようであまり話が出来ない状態なんだ」
「ひでぇな……どこから来たって言ってんだ?」
「魔女の女王の支配する街から来たらしい」
「女王のいる街から……?」
俺は眉間にシワを寄せながら、医者の話を聞いていた。寄りにもよって女王がいる街からきたとあっては真剣に聞かざるを得ない。
「魔女の女王は……どうやら正気を失ってしまったらしい。街が崩壊するほど暴れ、女王以外の魔女も巻き添えになって死んだとか……それで命辛々逃げ出してきたらしい」
何が起きているのか、話の筋を聞いていても全く解らなかった。
その話を聞いていた白い龍は丸くなって机の上にいたが、首を擡げて興奮したように医者に質問をする。
「ノエルは? ノエルの話は無いの?」
「ノエルちゃんの話は聞いてないな」
「そっかぁ…………はぁ……」
あいつの話がないとなると、白い龍は明らかにがっかりしたようにうなだれた。再び身体を丸めて眠りにつく体勢をとる。
「ノエルは大丈夫なのかな……全然連絡ないし……」
「でも、ノエルちゃんの羽から魔力を感じるんだろう?」
「うん……本当に微弱な魔力だけど。生きてるってことだけは解るんだけどな……でもノエルに会いたい! 遊んでほしい!!」
再び龍はバタバタとその場で暴れ始めた。
――また始まった……うるさくて仕方ねぇ……
発作のようにあいつに会いたいと毎日毎日駄々をこねている。そのくせ絶対にあいつのところへは案内しない。
「うるせぇな。毎日毎日あいつに会いたいって暴れやがって……」
「だって心配だよ……ノエルは魔女の女王と戦うんだよ? いくらノエルが強くても、心配だよ」
「…………その魔女の女王の街から逃げてきたって話だが、そこはここからどのくらいの距離のところにあるんだ?」
「あぁ……そうだな……馬で走れば2日か3日程度の場所だ」
「正確な場所は解るのか?」
俺の質問に、不穏な空気を感じたのか医者は途中で口を閉ざした。呆れたような顔で俺の方を見てくる。
「まさかとは思うが、行くなどと言い始めるわけではないだろうな?」
「何言ってんだ。行くに決まってんだろ?」
「駄目だよ! 危ないよ! ノエルが帰ってくるまで待っていよう? ね?」
医者も、白い龍も俺が行くことに反対する姿勢をとったが、俺はもう心の中で気持ちは決まっていた。
必ず会いに行く。
必ずあいつを連れ戻す。
絶対に。
あいつがいなくなってから、俺は毎日後悔に急き立てられる毎日だった。会いたいという気持ちに抑えが効かない。
毎日共にいるときは当たり前になっていた日々が、今は物凄く遠く感じる。
「俺は行く。止めても無駄だ。絶対に行く」
「また君は滅茶苦茶なことを……女王の街に行ったとしてもノエルちゃんに会えるかどうかも解らないんだよ? それに、戦うっていうことすら確定的なことではないんじゃないか?」
「ノエルは必ず戦うよ。ぼくにはわかる。ノエルはやるって言ったことを途中で放り出すようなダメダメなやつじゃない!」
――やると言ったらやる……か……
なら、あいつは別れを告げた俺の元へ戻ってこないんじゃないか。
事が急だったとはいえ、それでもあいつが自分で決めたことだ。俺から離れると決めて離れたあいつは戻ってこないような気がした。
今でも未練があって俺に対して色々手を回しているが、それでももう二度と俺の前に現れることはないんじゃないかと感じていた。
そう考えると俺は少しの間、物思いにふける。
だが、あいつが俺に会いに来ないなら、俺から会いに行くまでだ。
「俺は、あいつをそう簡単に諦められねぇ。あいつが何だって関係ない。連れ戻して監禁してでも側に置く」
「…………ノエルちゃんは君に危険な思いをしてほしくないと思うが?」
「あいつは常に危険なことしてんだろ? だったら俺もずっとこんなとこで待ってられねぇ」
医者は「はぁ……」とため息を吐いた。
白い龍はずっとあいつに会えてないからか、あいつの言いつけを守る気力も随分薄れてきているようだった。
「女王のいた街に俺は行く。お前もついてこい」
「……ノエル、怒らないかな?」
「大丈夫だ。怒ったとしても、俺が庇ってやる」
「………………」
白い龍は首を下に下げ、考え事をしている様子を見せた。そして首を持ち上げて俺の方を赤く丸い瞳で見つめる。
「わかった……」
白い龍はついに折れた。
――どんなに危険でも、お前に会えないまま年取って死ぬなんて人生はごめんだ……
あの赤い髪に触れられるのなら、
あの赤い瞳に見つめられるのなら、
あの柔らかな身体を抱きしめられるのなら、
死ぬことになったとしても構わない。
◆◆◆
【ノエル 現在】
僕は砂山の陰に隠れながら少し遠巻きでエマたちを観察していた。
エマ率いる魔女の軍勢は思っていたよりも数が多かった。見たところ数百人はいる。確かに幼い子供もいれば、結構な高齢に見える魔女もいる。
僕らは彼女たちの進行方向の正面に隠れている。高くなっている砂の陰であちらからはこちらは見えないだろう。距離としては1キロ程度だろうか。僕が光の屈折を利用した魔術で様子を見ていると、キャンゼルが隣で震えているのが視界に入る。
腐った馬の得体のしれない粘液が跨っていた脚の部分についているのも気にせず、震えている。
「キャンゼル、大丈夫だよ」
不ぞろいな髪が小刻みに震えている彼女の肩をポンと叩いた。
「ノーラ……」
「もう、さっさと済ませて帰りましょうよ」
アナベルは得に緊張する様子もなくめんどくさそうにしている。
「早く死体出してよ」
「…………」
キャンゼルは息を整え、魔術を展開する。
そこには何とも言えない、死体とも呼べないグチャグチャの肉の塊のようなナニカが現れた。
腕になりそこなった部位が行くつかそのナニカからでている。
「……は? なにこれ?」
アナベルはその得体のしれないナニカに触れてみる。表面の粘液のようなものがアナベルの指についた。
ニチャー……っと糸を引いている。
「こんなの死体じゃないわ。精肉された後の腐った肉よ。動かしようがないじゃない。脚がないんじゃ歩けないでしょ?」
「だって……昼間見たゲルダの姿が焼き付いちゃって……」
「あんたが創造すんのはゲルダ様じゃなくて、ゲルダ様の周りに散乱してた死体の方よ」
アナベルに叱責されキャンゼルは何度か死体を創造するが、なかなかうまくいかない。その度に小さなゲルダの断片のようなものが出来上がる。
「ちょっと……真面目にやんなさいよ」
「やってるよ!」
「小競り合いしてる場合じゃないよ……集中して」
エマ率いる魔女たちはそうこうしている間にあと500メートル程度まで間合いを詰めてきていた。時間がそう残されている訳でもない。
「あんた、これをよく見なさい」
アナベルは城にいるどこかの死体から見える映像を映し出した。そこにはもう原型がとどまっておらず、ただの肉片が転がるばかりの風景が映った。
「きゃっ……」
その凄惨な映像を見てキャンゼルは短い悲鳴をあげた。
「間違えたわ。えーと……あぁ、これなんかどうかしら」
アナベルは映像を切り替えてキャンゼルに無理やり見せる。相変わらず凄惨な映像しか映っていない。内臓が飛び出ている死体や、もはや内臓すらない死体の映像だ。
「うっ……おぇえぇ……」
あまりにえげつない死体の映像ばかりをアナベルが見せる為に、キャンゼルは吐きそうな様子で嗚咽した。
「あんた、汚いわね……しっかりしてよ。もう間近まで来てるんだから」
アナベルが言うと、何を持って“汚い”と言っているのかが解らない。腐りかけの肉は彼女にとって汚くはないのだろうか。
「はぁ……はぁ……もうその映像はいいわ。やるから……」
自分の口元を袖で乱暴に拭いたキャンゼルは、魔術に集中し始めた。
すると、さきほど散々見せられていた死体を忠実に再現する。
しかしその数は5体だけだった。
「足りないわよ。もっと出しなさい」
「今はこれが限界よ……」
「はぁ? これだけの死体でどうしろって言うのよ」
苛立っているアナベルに対して、僕は改めて声をかける。
「これでいくしかない」
「本気で言ってるの?」
「本気だよ」
「…………解ったわよ」
アナベルはその現れた死体を魔術で操った。できるだけ死体を不気味に動かしてエマたちの元へと歩き出させる。
「これで本当に大丈夫かしら……追加で出せるならどんどん出してくれる?」
「維持するのが精いっぱいよ」
「訳の分からない肉の塊を作るのに疲れてるんじゃないわよ」
「アナベル、集中して」
その死体5体がノロノロとエマ率いる魔女たちに認知されるまでは、そう長い時間はかからなかった。
エマの声が砂山の向こうから聞こえてくる。
「誰なの? 止まりなさい!」
音を収束させて聞こえてきている声は間違いなくエマの声だ。魔女たちもエマの声に歩みを止める。
「あたし、あいつ苦手なのよね」
アナベルはうんざりするようにそう言った。確かにアナベルとエマは性格が合わなそうだ。
この軽薄な態度にエマはきっと怒り心頭だろう。
「ちょっと脅かしてやろうかしら」
死体を少し小走りに動かし、エマの忠告を無視して魔女たちの方へ向かわせる。
エマは鞄から何かの植物の種を取り出したのちに魔術式を展開した。するとみるみる種が成長して死体の方へ襲い掛かかる。
相変わらず何の植物かは解らない。しかし、エマの思い通りに動いている様だった。
「そんな攻撃じゃ倒せないわよ……ふふふ……」
こんなときだというのに、アナベルは心底楽しそうだった。
死体を機敏に動かし、その植物の攻撃を避ける。
「ちょっと……あんまり機敏に動かしたらアナベルが動かしてるってバレちゃうんじゃないの?」
「エマにはバレるかもしれないけど、他の魔女には解らないわ」
死体が魔女の前衛にたどり着くと、前衛の魔女対してに思い切り襲い掛かった。
腕の肉を食いちぎっている様子が見える。
次々に魔女たちの悲鳴が聞こえた。
「アナベル、やりすぎだよ……」
「はぁ? 急所は外してるでしょ?」
僕らが口論を始めた矢先、魔女たちには大きく変化があった。
おそらく前衛で起こったその異変が、水に水滴を落としたときのように波紋式に後ろまで伝わって行っているのだろう。
「キャァアアアアアアアアッ!!!」
「なによこれ! 逃げるのよ!」
「助けてぇえええッ! 死にたくない!!!」
魔女たちは叫び声を上げながら元来た道へ休息へ戻り、走って行く。中衛、後衛の魔女も初めは何が起きたのかまでは解らなかっただろうが、それでも出血している魔女が後退しているのを見て、ほとんどの魔女が走って逃げ始める。
「待ちなさい! これは魔術よ!」
エマが叫ぶように言う声も錯乱状態の魔女たちには聞こえない。やはりエマにはこれが魔術だとバレていたようだ。
「なによ、あの腰抜け魔女たち。たった5体の死体相手にあんなに怖がって逃げちゃって。みっともないわね」
「戦闘訓練を受けていないならこうなって当然だよ。しかも死体が襲ってくるなんて恐ろしく思うのは普通だと思うけど」
キャンゼルが思ったよりも死体を創造できずに一時はどうなるかと思ったが、思っていたよりもすんなり済んで良かった。
そう思ってた矢先、突如として魔女たちが逃げる方向に大きな大木が勢いよく生え、その行く手を阻む。
エマが魔術を使っているのは明白だ。
――エマ……どうしても戦わせようって魂胆か……
「逃げるなんて許されないわ。この程度で逃げまどっていたら、ゲルダ様と戦うなんてできやしない! 魔女の相続の危機なのよ!? 現実を受け止めなさい!!」
逃げ場を失った魔女たちは息を荒くして、死体の方へ振り返った。
視点を定めない目で、半狂乱でほぼ全員が魔術を展開した。闇夜を切り裂く眩い光が立ち上る。
各々の魔術は狙いも何もなく滅茶苦茶だ。しかしその内のいくつかは死体に当たり、死体は燃えてなくなったり、凍り付いて動けなくなったり、四肢が破裂したりして3体が動けなくなった。
それよりも、他の魔女にも魔術が当たってしまっているようで、甚大な被害が既に出てしまっている。
「あらら……エマも強引なやり方するわね」
呑気にアナベルが行っている間に、魔術の一つが僕らの方へ飛んできた。
砂の山が吹き飛び、咄嗟に防御壁を作ったから僕らは砂を被らずに済んだけれど、僕らの姿はエマに見えてしまった。
「っ……全員無事?」
「あぁ、私は問題ない」
「あ……あたしも……」
「当然よ」
幸いにも怪我人は出なかった。
結局僕は、魔女たちを追い返すこともできずにエマや他の魔女たちと対峙することになってしまう。
エマは僕らを確認するなり、声を荒げた。
「そこの者たち! 魔女なの!?」
――……あれ?
どうやらエマは僕がノエルだと解らないようだ。
月も隠れて暗い上、距離もまぁまぁ離れている。僕の赤い髪も闇に呑まれて見えていないのだろう。
「エマ、目が悪かったのね。あんたは隠れてなさい」
アナベルが
エマと面識のあるアナベルが出て行ったら戦いになってしまう…………と、考えたが、今のアナベルは姿が完全に変わっており、エマにとっては誰か解らないだろう。
「助けてほしいの!」
「誰だお前は!? 名前を名乗れ!」
「私が解らないの? アメリアよ……!」
そうアナベルが言うと、狼狽するばかりだった魔女たちの数人が悲鳴を上げるように話始めた。
「アメリア……?」
「嘘よ……アメリアはこの間死んだのに……」
確か、最近死んだ魔女を墓場から持ってきたと言っていた。
そのアメリアという名前はその身体の実際の名前なのだろう。死んだ魔女が生き返ったとあれば悲鳴を上げたくなる気持ちもわかる。
しかし、元の身体の名前を憶えているなどというのは悪趣味に僕は感じた。
「そうよ……私は殺されたの……そこにいる魔女に溺死させられたのよ……怨みで生き返ったの……報いを受けて!」
「アメリア……ごめんなさい! 許して!」
――なんで溺死させられたって解るんだ? 死体の状態から判断したのか?
僕らは聞いていて怪訝に思いながらも、どうやら話は通じているらしかった。
アメリア役を演じているアナベルは残った2人の死体を、アメリアを知っているような魔女2人にけしかけた。
「きゃぁあああああああっ!!! アメリア!! 許してぇえええっ!!!」
「許さないわ!! 死後の世界から仲間を連れてやってきたの!!! 私を殺したあなたたちなんて全員死んでよ!!!」
「やめてぇええええええっ!!!」
その叫びに呼応するように、周りの魔女は再び逃げまどった。
エマが作った大木の間をすり抜けようとする者、なんとかその横に伸びている大木を避けるようにする者、錯乱して大木に上り始めようとする者、大木を魔術で燃やしたり切ったりしようとする者で大混乱に陥った。
「あははははははは!!!」
アナベルは演技とは思えないような楽しそうな声で笑っている。
統率を完全に失った魔女たちは、蜘蛛の子を散らすように方々に逃げていったため、エマにはどうすることもできなかった。
他の魔女の魔術の餌食になってしまった魔女に死体をけしかけ、息の根を止めるとその死体もアナベルは操って数を増やしていった。
そのえげつない光景にエマ自身も真っ青に青ざめて震えている。
そんな中、次々に死体に襲われている者に向かって、他の魔女が背負っていた弓矢を魔術で弓に装填し、何本も撃ち放った。無数の矢の雨がアナベルに襲い掛かる。
当然、よけきれずにアナベルの身体に弓矢が何本か刺さる。
胸の、心臓の部分に矢が刺さっていた。アナベルは鬱陶しそうにその矢を無理やり抜く。
「穴開いちゃったじゃない……?」
そう言っている矢先にドサッ……と、倒れた。
――なんで……?
倒れたのはエマだ。
エマの身体にも、背中から複数の矢が刺さっており、背中側から深く胸まで貫通している矢もあった。
――なんで……? 味方じゃないの……?
いや、違う。
味方じゃない。
エマは魔女たちを集団でゲルダの元へ向かわせようとしていた。到底勝てない戦いに恐怖支配で行かせようとしていた。
それは“味方”とは言わない。
「もう恐怖で押さえつけられるのは嫌なのよ!!」
誰が言ったかもわからない言葉を聞きながら、エマは着々と意識が遠くなっていった。
操っている死体以外は辺りに誰もいなくなった後、アメリアの姿をしているアナベルはエマに近づいた。
「エマ、まだ気づかないの? あたしよ。アナベル」
「…………やっぱり……がはっ……あぁ……ぐ……」
もうエマはろくに話せない様子だった。
「あーあー……肺を2本も矢が貫通してるし、胃も肝臓ももう駄目ね。これじゃ」
「はぁ……はぁ……ぜぇ……ぜぇ……」
僕とガーネットは虫の息のエマに近づいた。間近で見ると砂漠の砂に血が染み込んでいっている。
こんな結果になってしまって残念だ。
自分が手を下したわけではないが、それでもこんなことになって胸が痛まない訳では無い。
「………………」
エマはゲルダとやり方が同じだったけれど、ゲルダほどの力は持っていなかった。
まして他の魔女に“死にに行け”という姿勢はこうなってしまってしかるべきだと言える。
「おい、さっさと殺せ。苦しみ続けているところを眺めている時間もあるわけでもないだろう」
ガーネットがアナベルにそう言う。確かにこのままにしておくのは可哀想だ。
「あんたの吸血鬼はそういってるけど? 殺していいの? ノエル」
「うん……そうするしかないなら」
「そうするしかないわね」
他に、道があるのではないかと考えるけれど、シャーロットがこの場にいるわけでもない。
処置をしたところで拠点に戻る過程で助かるような傷にも見えない。
内臓の損傷からして、やはり見捨てるしかないか――――
ドンッ……!!
考えているさなか、僕の左腹深くに植物が貫通し、内臓を持っていかれた。
リゾンに背後から腹を貫かれたのと似ている感覚だった。しかし、貫通していっている時間が長い分今回の方が僕に耐えがたい苦痛を与えた。
僕の意識が途切れるさ中、僕の方を見て激しい怨嗟の感情を向き出しているエマの姿を見る。
僕が倒れ、エマと目が合うと彼女は
「ざまぁないわね」と目で訴え、息絶えた。
◆◆◆
意識が戻ると、僕はリゾンのいた地下室にいた。冷たい色合いの牢屋の格子や、合金の鈍い光が僕の目に入ってくる。
――なんでこんなところに……
ジャラッ……
腕を動かすと、僕の腕にはリゾンがつけていた枷がついていることが解った。
――え……?
「起きたのか」
檻の外からガーネットの声がした。
身体を起こそうとするとめまいを感じた。首にも枷がついていて、その鎖はジャラジャラと音を立てている。
「なんで僕……閉じ込められているの?」
「……お前なんだな?」
「え? 何言ってるの……?」
「そうか……」
頭がぼーっとする。
なんだか物凄く酷い気分だ。頭がやけに重い感じがしてグラグラする。
「なんで閉じ込められてるのか、教えてもらってもいいかな?」
頭を押さえながら僕はガーネットにそう尋ねた。
彼は答えづらそうになかなか答えようとしない。
頭がぼーっとする。
もしかして、僕はまだ夢を見ているのだろうか。
「お前が、あの地味な魔女の一撃でほぼ致命傷を受けた後、私も倒れた。そこまでは覚えているか?」
「うん……エマにしてやられたことは解るけど……それからは覚えてない」
「…………その後、あの腐った魔女がお前の血液を私の口に流し込んだ。それも大量に」
その言葉を聞いて僕は自分の手の爪を確認した。
しかし目立った変化はない。八重歯も触ってみたが特別尖っている訳でもない。
それを確認すると、私はホッとした。
「間一髪で死ぬところだったわけだね」
「あぁ……その程度ならまだ良かったが……お前がずっと危惧していたことが起きた」
「…………意識の混濁……か」
「お前は魔女の女王と対峙したときのように、何の魔術か解らないドロドロした黒い何かをそこかしこから出して……腐った魔女とアホの魔女を襲った」
「え……」
頭がはっきりしない中でもそれが重大なことだということだけは解った。しかし、全く何も覚えていない。
「それで……2人は生きてるの?」
殺してしまっていたら、僕の計画は頓挫してしまう。それだけは考えたくないことだ。
聞きたくない気持ちも強くあったが、聞かずにはいられない。
「生きているが……顔に爛れのあった魔女や女王のような……得体のしれない爛れができてしまっていてアホの方は重症だ」
「…………なんてことを……」
自分がとんでもないことをしてしまったと、鎖のジャラジャラという音を響かせながら頭を抱える。
しかし、生きているならまだ希望はある。
「一先ず、無差別に魔術を使うお前をなんとか私が気絶させ、この地下牢につないだ」
「ガーネットは……怪我しなかったの?」
「………………」
その沈黙が答えだった。
彼も相当に怪我をしたのだろう。
しかし、彼は僕にそう告げられずにいた。
「ごめん……」
「構わない。お前も同じ傷を負って苦しんでいたからな」
「………………」
自分の身体を確認するが、腹部の服が破けている以外にも、肩の部分に不自然に血がついているのが解った。
しかしそれも僕の血を飲んだガーネットのおかげでたちまちに治ったのだろう。傷痕のようなものは一切残っていない。
「……あのアホが再起不能になった場合は、世界を作る魔術式はどうするつもりだ?」
「駄目だ……キャンゼルが欠けると魔術が成立しない」
ジャラジャラと僕は鎖が身体に絡むのも構わず、膝を抱えて落ち込んだ。
――もう駄目だったら……どうしたらいい……?
そう考えていた矢先、ガシャンと乱暴に地下への扉が開き、誰かが降りてくる。
僕が目をやると驚くべき人物が降りてきた。
降りてきたのはエマだ。
「エマ……?」
「ざんねーん。あたしよ。あたし」
その口ぶりで、それはアナベルであることが解る。
どうやら僕に襲われたとき、アメリアの身体はもう使い物にならなくなってしまったらしい。
「アナベルか……」
「もう、身体をとっかえひっかえするのも大変なんだから、勘弁してよね」
軽薄にひらひらと手を動かす。特に僕に対して怨恨も何もないようだ。
あの堅いエマがそうしている姿がなんとも言えない違和感を誘う。
「……ごめん。それで……キャンゼルの方はどう?」
「んー? あのアホちゃんはもう駄目ね。あ、駄目って言うのは魔術はもう使えないって意味ね」
アナベルからそう告げられたとき、僕は絶望の境地に立たされた。
冷や汗が出てくる。
喉もからからだ。
言葉が中々出てこない。
心臓が激しく暴れている。
「腕が……なくなったの……?」
「なんだ、やっぱりあんた覚えてないの。腕はついてるけど、魔道孔が癒着しちゃってもうあれは無理ね。シャーロットにも治せないみたいだし」
「…………やっぱり、もう世界を作るのは無理だ……」
絶望だ。
もう駄目だ。
魔女にも人間にも安息は訪れない。
魔女を魔術が使えなくしたとしても、迫害の歴史をまた繰り返すだけだ。
その絶望感は僕を徹底的に打ちのめした。
後ろから鈍器で殴られたような感覚に僕は再び眩暈を感じる。
「なーに暗い顔してんのよ。まだ方法はあるでしょ?」
アナベルは絶句して言葉を失っている僕に、さも当然かのようにそう告げた。
「他の方法なんてないよ」
「あんた、もしかして頭堅いの? 簡単よ」
片腕を組み、もう一方の手の人差し指でくるりと円を描き、笑いながらアナベルは言葉を続けた。
「あんたの翼をゲルダ様からはぎ取って、あんたに戻せばいいのよ。そうすればあのアホちゃんがいない分なんて簡単に補填できるでしょ?」
もしかしたら勝算のある提案かと思っていただけに、僕はがっかりした。
確かに僕も、僕が何らかの形であの翼に接触したら呼応すると考えている部分はあったが、全く以て確証のないことだ。
それにシャーロットがゲルダから切り離すのは無理だったと言っていた。
「ゲルダから僕の翼が剥がせないってシャーロットが言ってたけど……」
「それは心臓と複雑に絡みついているから生かそうとするとできないって話でしょ? どうせもう始末するしかないんだし、それにあんたの魔力の質と量に反応してその複雑に絡みついたあんたの翼も取れると思うのよね」
アナベルも僕と同じ推論を持っているようだった。
「……推測の話でしょ?」
「あんたね……いつまでそこで腐ってるつもり? 憶測でもなんでもそれしかないのよ。でも……あんた、あたしにだけ作戦を教えてくれなかったのは酷くない?」
「何の話……?」
「だーかーらー、世界を作る目的は、ゲルダ様を倒せなかった時のために隔離するんじゃなくて、魔女をこの世から隔離するんでしょ? それで、ゲルダ様の心臓を使うって算段なんでしょ?」
アナベルのその言葉にギクリと僕は身体を震わせる。
それがばれた今、アナベルは僕に協力しなくなるのではないかということを考えた。
「慌ててるシャーロットが全部話してたわ。あたしに内緒にしてるってことも忘れるくらい慌てていたのね。ねぇ、まだ秘密にしてることあるんじゃない? 魔女を隔離するなら、それはすべての魔女ってことでしょう? あんたがクロエやシャーロット、他のあたしを含む魔女をこっちに残すとは考えられないし」
そこまで見抜かれているとは思わなかった。
しかし、アナベルは怒っている風でもなければ、驚いている様子もない。
「そうだよ……全員隔離する」
「やっぱりね。それであんたはどうするわけ?」
「僕は……魔族の住む異界に住もうかなって思ってる。この世界から魔女をなくしたいんだ……」
「ふーん。まぁ、魔女と人間の確執を考えたらそれが一番平和的な解決かもね」
妙に納得したように彼女は言った。
その言葉の後に「じゃああたしは降りるわ」の言葉はいつまで経っても告げられなかった。
「……アナベルは、それでいいの?」
「あたしは……どこにいても受け入れてくれる場所なんてないから、どこに居ても同じよ。だから、新しく世界を作るときは、誰にも知られない場所っていうのを作ってほしいのよ。誰ともかかわらず研究だけできたらそれでいいの」
意外な返事だった。
慣れ親しんだ自分の故郷……自分が育った世界を簡単に諦められるものなのだろうか。僕は異界に行こうと考えてはいるが、やはりご主人様の件を抜きにしても完全に割り切れるわけでもない。
美しい緑の木々や、植物、小鳥のさえずりのひとつとっても、失ってしまうと考えると惜しくなってしまう。
「……アナベルを受け入れてくれる魔女もいるよ」
僕を受け入れてくれた人、魔女、魔族がいたように。
そう言おうとしたけれど、アナベルは矢継ぎ早に否定する。
「いないわよ。いなくていいの。あたしにはあたしの価値観とか世界観があるの。共有するんじゃなくて、独り占めしたいのよ。あたしはあたしの世界にこもるわ。あたしは強欲の魔女よ?」
アナベルは舌なめずりした。
やけに前向きなその姿勢に、僕は勇気をもらった。丸めていた背中を伸ばし、アナベルと向き合う。
「……ってわけだから、あんたもいつまでも腐ってないでゲルダ様から翼を奪い返すことだけ考えなさい」
「……解った。でも、“アメリア”一ついいかな」
もうどこにもいない者の名前を僕は呼んだ。
その悪ふざけにアナベルは笑う訳でもなく、真面目な表情をしていた。
「何よ」
「どうして“アメリア”の死因まで解ったのか教えてもらえない?」
「あぁ……この辺に溺れるようなところないのに肺に水が溜まっていたの。この身体にしたときに、喉のところから水が出てきたのよね。この辺りで溺死なんて、殺害された以外にないでしょ?」
そう言って彼女は地下から出て行った。
彼女が出て行って、僕は息を大げさに吐き出す。アナベルのやり方は過激だと思っていたけれど、アメリアが殺害された者だと知って少し考え方が変わった。
「死体の恨みを晴らしたと考えれば、やりすぎだっていうこともなかったのかな」
「不気味な魔女だ。弟の死を弄んだことも軽く考えているようで、相変わらず腹が立つ」
僕は漸く頭がハッキリとしてきた。
その様子を見て、ガーネットは先ほどのアナベルの作戦について話し始める。
「あの魔女が言っていたのは行き当たりばったりの作戦だ。だが、お前が異界でも同じようなことを言っていた。このまま放っておいても事態は悪化していくだけだ。勝算が少しでもあるならやるしかない」
「ごねる訳じゃないけど……ガーネット、僕がまた正気を失ったらどうなるか解らないよ? 勝つとか負けるとかの問題じゃなくなるかもしれない」
「…………お前が第二の女王となって、世界を滅ぼすかもしれない……か? それとも、私が正気を失うか?」
「……僕は怖いよ……また気が付いたら大切な人が近くで息絶えてるなんて……もう嫌なんだ……」
「大丈夫だ。お前がまた同じように暴走しても、必ず私が正気に戻して見せる」
そう言ってガーネットが牢の中に入り、僕の手枷や首の鎖を外そうとした。
しかし僕はその手枷や首枷の感触がやけに懐かしく感じ、外さなくていいと彼に伝える。
「お前に会ったときも、お前はそうやって手枷と首輪をしていたな」
「やっぱりこれが落ち着くんだ。このままでいいよ」
「まだ奴隷の身に自分を貶めたいのか?」
「ううん。今は違う」
僕は鎖を短く魔術で切った。やはり、こんな物理的な鎖は僕には意味がない。
「これは、自分を戒める為。力を暴走させないようにするための、誓い」
そう言ってガーネットの顔を見ると、彼は呆れたような顔をしながらも承諾する。
「じゃあ、明日にでもゲルダの元へ行こう。それまで身体を十分休めておいて」
「あぁ……」
不安はあったが、もう逃げる道など残されてはいない。
――ついに決戦のときだ……
生まれてきたときからの因縁に区切りをつけることができる。
僕は自分の腕に感じる、武骨な枷の感触を確かめながら覚悟を決めた。
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