第41話 愛された証




 あれから10日ほど経った。

 全員が難しい表情をしながら目の前の魔術式に向き合っている。


「もう疲れたー! やりたくないー!」


 アナベルはびっしりと文字の書かれた紙に突っ伏して駄々をこね始める。

 シャーロット、アビゲイル、アナベルと僕はカリカリと洋紙に字を書いていた。その紙の量は物凄い量に上っている。

 どれに何が書いてあるか最早記憶にない。部屋中が紙に覆われていた。壁にも所狭しと紙が針で止められている。


「これで何回目だ……アナベル」

「だってぇ……これ超大変じゃない……最初は楽しかったけど行き詰ったら超楽しくない」

「研究ってそういうものでしょ」

「参考文献とか全然ないんだもの。こんなの記憶と経験と知恵を絞り切ったら進むわけがないじゃない」


 文句ばかり言っているが、アナベルの言う通りかもしれない。

 10日ほど魔術式の解析をしているが、なかなか進んでいかない。大体の構造は解るが、細部を突き詰めていくのは途方もない労力がかかってしまう。

 いつになっても話が進んでいかないことに、アナベルだけではなく僕ら全員が消沈していた。


「それに、ずっと休みもろくにとらずにこればっかり。ちょっと休憩させてよ」

「……休憩なら適度にとらせてるでしょ? ご飯も出してるし、睡眠だってとらせてる。人間の奴隷みたいに働かせてるわけでもないんだから、人聞きの悪い」

「あたしは自分の好きな時に休みたいの。ちょっと出てくるわ。あんたも地下に匿ってる色男吸血鬼に食事でも持って行ったら?」


 アナベルは投げやりにそう言うとそそくさと出て行ってしまった。

 まったく困ったもんだと考えながらも、シャーロットたちがかなりやつれた表情をしているのを見ると、僕も無理を強いたかと反省する。


「シャーロット、アビゲイルもしばらく休もう。大分煮詰まってるし」

「そうですね……こんなに大変だったとは思いませんでした」

「2日くらい休みにしようか」

「そんなにですか? 私は大丈夫です。ゲルダに仕えていた時は休みなんてありませんでしたし、アビゲイルも隣にいますし」


 シャーロットが疲れた様子のアビゲイルの頭を撫でると、アビゲイルは笑顔になった。子供だと思っていたが、シャーロットと同じくかなりの秀才だ。

 かなり覚えも早い上に、考えに柔軟性がある。


「こういうのは適度に休まないとね。お風呂でも入って体と心を休めようか」

「そうしましょうか」


 僕らは二階の部屋から出て一階へ降りると、クロエが食事用のテーブルでぐったりとしているのが目に入った。

 僕の姿を見たクロエは息を吹き返したように身体を起こし、僕の方へ走ってくる。


「ノエル!」


 急にクロエに抱き着かれる。


「やめてよクロエ……」

「抱き合うくらいいいだろ?」


 抱き着かれた後に僕がクロエの顔を手で遠ざけるように押すと、彼は剥がされまいと必死に僕にしがみつく。


「お前と会えなくて暇で暇で暇で……俺の相手しろよ」

「僕らが必死に解読してるっていうのに……暇なら術式の解読手伝ってよ」

「俺にはさっぱりわかんねぇって言ってんだろ? そんなことより……今夜くらいお前のベッドで寝――――」

「しない」

「はぁ……じゃあたまには俺と一日過ごしてくれてもいいだろ?」


 ひたすらに駄々をこねるのはアナベルだけではないようだ。しかし、あまりにも粗暴な扱いをするのは得策ではない。

 クロエも僕の計画の重要な協力者だ。


「過ごすって言っても……何するのさ」

「そうだな、ずっと籠ってても退屈してるだろ? 近くの街に馬で行って視察とかどうだ?」


 ろくでもないことを言い出すかと思っていたが、思っていたよりもまともな提案に僕は考え始める。

 確かに最近の魔女の動向も視察も必要だ。


「一理ある提案だと思う」

「だろ? 俺はお前と2人きりでたまにはまともな食事をしながら酒でも飲んで――――」

「クロエ、行ってきてくれない?」

「それから星を眺め――――…………は?」


 話を続けるクロエは先ほどまで嬉しそうだったら表情が一転して不満げに文句を言い始める。


「お前が一緒に行かないなら俺は行かないからな」

「僕はお尋ね者だし、顔の通ってるクロエが視察に行くのが適任だと思う」

「だから! そうじゃなくて! 俺は視察に行きたいんじゃなくて、お前と一緒に過ごしたいんだよ!」


 クロエの意図は解っていたが、やはりただお願いするだけでは彼は叶えてくれそうにない。


「困ったな……何をするにしても色々制約があるし……クロエは城にいた時は暇なときどう過ごしてたの?」

「え…………いや…………」


 強引な態度が一変し、しどろもどろになって目を逸らす。

 暗い影を落としたその表情はそれ以上聞くことを憚られる。


「なに隠すことがあんの? そいつはいつなんときでも城の魔女の性欲処理に使われてたのよ」


 バチバチバチッ!!!


 なにがなんだかわからない内に、アナベルの身体に無数の焦げ跡が残って、彼女の首が床に落ちた。

 その場にいたアビゲイルの目を隠すように、シャーロットがアビゲイルを抱きしめて出て行く。

 落ちた頭部はやはり生きているようでクロエに文句を言った。


「ちょっと……なにすんのよ……」

「言って良いことと悪いことも解らねぇ腐った脳みそしてるようだな!」


 クロエは僕が袖を掴んで止めるのも振り切って、アナベルの頭部を思い切り蹴飛ばした。蹴飛ばした頭部からわずかな血液や肉片が飛び散り、鈍い音を何度か響かせてゴロゴロと転がる。

 アナベルは悲鳴も上げずにそのまま頭だけ着地した。

 見るに堪えないその状況に僕は目を細める。


「クロエ、やめて」

「うるせえ!」


 僕が再び掴んだ裾を、クロエは思い切り振り払う。怒りと悔しさがにじむその表情に、僕は痛ましさを感じずにはいらなれなかった。

 その、僕を振り払った後の僕の顔を見て、傷ついたような顔をしたクロエを見たら尚更そうだ。


「クロエ……ごめん、聞かれたくないことを僕が聞いたから……」

「………………」


 クロエはガリガリと頭を乱暴に掻き、やるせない気持ちをなんとか抑えようとしている様だった。


「お前が謝ることじゃない。あの腐った魚みたいな女が悪い」

「その……僕も昔のことは聞かれたくないから、その気持ちは少しは解るよ。僕も……散々実験されてきたから……」

「おい……よせよ。俺とお前は待遇が全然違う。俺は……まだ、いい方だ。お前の酷い扱いに比べたらな」

「僕の扱いは関係ないよ。心の傷はその人その人によって違う。比較なんてできない。クロエは城から逃げ出す程つらかったんでしょう?」


 僕の言葉にクロエは明らかに動揺したようだ。

 目を合わせられないのか、視線をせわしなく泳がせた後に彼は目元を押さえる。


「お前……お前のそういうところだぞ……俺に気がないなら、俺に気を持たせるようなことするなよ……」

「……子供のときみたいに冷たく接した方がいいなら、そうするけど?」

「おいおい、よしてくれよ。お前に冷たくされんのだけはつらい」


 クロエは苦笑いでそう言う。その目は少し涙ぐんでいるように見えた。

 本当は抱擁の一つでもしてやれたらいいかも知れないが、クロエに対してそうできない自分がいる。


「ちょっと、あんたたち。あたしのこと忘れてない?」


 アナベルのボロボロになった身体がぎこちなく動き、自分の顎の骨が砕けている頭を持ち上げた。なんとか焼けた首の接合面をくっつけようと位置を調整するが、上手く位置が会わないようだ。

 魔術封じをしていても、身体はやはり動かせるらしい。

 クロエに気を取られていた僕はアナベルのことを若干忘れていた。


「アナベル……大丈夫?」


 何を持って大丈夫と定義されるかどうかが怪しいが、社交辞令としてそう聞いた。


「普通の魔女や人間なら死んでたわ。酷いじゃない。身体を換えるだけならまだしも、これじゃ顔の一部も換えないといけない。この顔気に入ってたのに」

「てめぇが俺のことを知ったような口きくからだ」

「何怒ってんの? 全然理解できない。事実を言っただけじゃない」


 どうやらアナベルは相手の気持ちを推し量るのが苦手なようだ。まるで悪気がない。それどころか、自分がズタズタにされても怒る様子もない。

 当時は泣き叫んで拒否をしていたが、僕がリサに食べさせたことも今となっては大して気にしていない様子だった。

 そういう発達障害があると本で読んだことがある。相手の気持ちが解らなく、いわゆる空気が読めないという状態になる。

 本人に悪意がないにも関わらずだ。


「アナベル……悪気はないんだろうけど、事実でも言ったら相手が傷つくこともある。アナベルも過去のこととか……聞かれたくないことあるでしょう? 言われたくないこととか」

「あたしは別にない。家族なんて最初からいなかったし、友達もいない。仕えていたゲルダ様はバケモノになったし、別に大切なものなんてない。ときどき気に入った身体と交換して生きてる。あたしはそれだけ」


 そういいつつも、リサに対して並々ならぬ恐怖感を抱いていたことを僕は忘れられない。

 アナベルの印象としては酔狂な変態研究者であり神経質そうだと感じたが、今となってはつかみどころのない人物像だと感じる。

 謎めいているというべきか、どこか掴み切れない。


「リサのことは?」

「はっ……もう死んだわ。あんなの思い出させないで」


 先ほどまで平然としていたアナベルの声が震えている。やはりリサについては特別思うところがあるのだろう。


「なんだお前、リサのこと怖いのか?」


 ――まだ?


 クロエはアナベルのことを何か知っている様子だった。

 挑発されるとアナベルは見たことがないほどの怒りをその形相に浮かべる。クロエに蹴られて若干歪んだ顔と、焦げた首を懸命に両手で固定している姿がやけに不気味だ。


「怒ってんのか? 事実を言っただけだぜ? お前、ガキの頃リサに散々イジメられたんだろ?」

「なにいってんの、ただの精子製造機のくせに。あぁ、そういえばあんたの父親も精子製造機だったわね」

「ちょっと、2人ともやめ――――」

「相当お前、リサのことが怖いんだなぁ? そうだよな、ガキの頃にずっといじめられ続けた心の傷は早々に癒えるもんじゃねぇよなぁ?」


 僕の声が耳に入らない程、過激な言い争いに発展してしまっていった。お互いを口汚く罵り合っている。

 クロエもアナベルも僕の制止する声なんてまるで聴いていない。


「本当ね。あんた、ノエルにまだ言ってないんでしょ? セージが殺されたのはあんたが――――」


 ドオォォン!!!


 アナベルが言い終わる前に、クロエはアナベルを黒こげの炭に変えてしまった。僕が止める隙もなかった。

 いつもの魔力の比ではない轟雷だった。

 あまりの爆音に僕は耳を押さえてひざを折った。一時的に音が遠くなり、聞こえづらくなる。

 黒焦げになったアナベルから、嫌な匂いが立ち込めていた。

 僕はその異臭に気分が悪くなって口を押えた。

 キィイイイイン……と耳鳴りがする。


「また喧嘩してるの――――キャァッ!」


 爆音を聞きつけて入ってきたキャンゼルが叫び声をあげる。それはそうだ。これだけ黒焦げになるほど雷に焼かれて異臭が立ち込めていたら悲鳴も上げる。


「こ……殺したの……?」


 クロエは先ほどまでの穏やかな表情などどこかへ失い、険しい表情でキャンゼルを乱暴にどかして出て行った。

 僕は反射的にクロエを追いかける。


「クロエ、待って!」


 競歩で出て前を行くクロエを僕は必死で追いかけた。外に出ると怯えているシャーロットとアビゲイルがいるのが見えた。

 クロエはいつも最後尾をのらりくらりとついてきていたのに、こんなに早く歩けるなんて知らなかった。

 歩いていたのでは追い付けない速度だったため、僕は走ってクロエの腕を掴んだ。

 ずっと耳鳴りがしていたが、やっと耳が聞こえるようになってくる。


「待って。さっきアナベルが言ったこと、どういう意味? セージが殺されたことについて、クロエは何か関係してるの?」

「…………俺のせいじゃない……」

「……何か知ってるなら言って」


 クロエは僕の方に向き直って、何から話したらいいか解らないようなそぶりを見せる。


「それだけはお前に聞かれたくない」

「……さっきは、聞かれたくないことは誰にでもあるって言った。それは嘘じゃないけど、僕に関係してることは別だよ」

「こんな状況で言える話じゃない……お前にはいつか言おうと思ってた……本当だ」


 その動揺している様子と、アナベルが確かに言った「セージが殺されたのは」という言葉から、明らかによくない話なのは見て取れる。


「今言って」

「…………始めに言っておくが、わざとじゃない。悪いのは全部ゲルダだ。いいな?」

「……早く言って」

「どうしても……今じゃないと駄目なのか…………」

「クロエ、もったいつけないで。言っておくけど……嘘は通用しないからね」


 僕の冷たい声を聞いて、クロエは諦めたようにぽつりぽつりと話し始めた。

 やけに戸惑いを抱えながら、一つ一つの言葉がやっと出てきてる様子だった。


「俺は……お前と別れた後に、お前とセージが住んでた……あの家に行ったんだ。数年経った……後にな……それで……」

「…………」

「お前の髪の毛を見つけたんだ…………」

「………………」

「…………」

「どうしたの? 僕の髪の毛を見つけて、それから?」

「…………それを……持って帰ったんだ……」

「それで?」

「……俺は、お前の髪をもったまま寝ちまって…………気づいたらなくなってた……」

「………………」

「追跡魔術だ…………ゲルダはお前の髪の毛を使って……お前の居場所を特定した……」

「!」

「俺は! 献身的にお前を捕まえようとしたわけじゃない! 俺はお前がノエルだって知らなかったんだ! それに、俺は髪の毛を持って帰っただけだ! お前に危害を加えるようなことしてないだろ……? 悪いのは全部ゲルダだ! 俺じゃねぇ!」


 クロエが話を進めるうちに、僕は愕然とし、クロエに目を向けられなくなった。

 なによりも、クロエが必死に自分の無実を訴えてくる様子を見たときに不愉快さが最大になって僕は話を遮った。


「もういい……」


 僕がそう言うと、クロエは尚更焦ったように自己弁護を再開する。


「ノエル、ずっと悪いことをしたと思ってた……許してくれ」

「許してくれって……僕は大切な家族をまた殺されて、散々拷問されたんだよ。その発端を作ったクロエを簡単に許すなんて……」

「なぁ、だから言ってるだろ。俺は……確かに発端だったかもしれないが、悪いのはゲルダだ。俺じゃない。俺はお前が好きだったんだ。今もそうだ。当時、お前と離れ離れになって……お前の一部にだって縋りたい気持ちだったんだ」


 その“自分は悪くない”という主張を何度も何度も繰り返されるほど、僕は苛立ちに飲み込まれていく。

 そうだ。確かにクロエのせいじゃない。

 頭では理解しても、感情がそれに追従しない。


「おい、ノエル」


 僕がなんと答えていいか解らずに苛立っていると、ガーネットが慌てた様子で走ってきた。


「何があった? 腐った魔女が黒焦げになっていたぞ」

「あれはクロエがやった」

「……なにがあった?」

「…………少し1人にさせてほしい」


 冷静に判断できない。

 独りになりたい。


「なに? どうした?」

「今は……誰とも話したくない」


 僕が振り切るようにクロエとガーネットを置いてその場を立ち去った。後ろからガーネットがクロエを問い詰める声が聞こえる。

 僕は足早に歩いていたが、その声を聞きたくなかったので走り出した。


 どこへ行くとも解らない、道なき道を。




 ◆◆◆




 もう夜だ。


 リゾンの食事用の生き物を探していた時に、兎を見つけた。

 草を食べている兎に、ドーラが使っていた幻覚魔術から着想を得た魔術を試してみた。

 言うなれば、脳の回路の破壊だ。

 寄生虫の種類によっては、宿主の脳に寄生して負の走光性を走光性に変えて捕食されやすくし、最終宿主に食べられるように仕向けることができるらしい。

 僕は兎にその魔術をかけると、警戒心の強い兎が右往左往と飛び跳ねて僕の元へとやってきた。そして僕の膝の上へと乗ってくる。


「…………お前は静かでいいな」


 僕が生きている兎を抱きかかえて拠点に戻ると、クロエとガーネットが僕にたたみかけるように質問をしてきた。

「どこに行っていた」「機嫌直してくれ」「お前は黙っていろ」など、お決まりのセリフ。


「少し放っておいて」


 2人を無視して大人しくしている兎を持ってリゾンがいる地下へと向かう。

 あの空気に息が詰まりそうだ。

 数時間ほど考えていたが、やはり簡単にクロエに「許す」とは言えない。

 それがなかったら、今頃セージは生きていたかもしれない。僕は拷問を受けなかったかもしれない。そう思うと、心の中で鍵をかけていた憎しみという感情に火が付き、腸が煮えくり返るようだった。

 暗い顔をしてリゾンの檻の前に立つと、リゾンはニヤニヤと笑いながら僕を見てくるだけで何も言わない。


「食事を持ってきたよ。まだ生きてる」

「随分今日は派手に揉めていたようだな? 私もそのもめ事の仲間に入れてくれないか?」

「…………烏合の衆っていうのは争いが絶えないものだよ」


 兎をリゾンへ差し出すと、リゾンは受け取って数秒もしない内に首を切り裂き、鮮血が溢れる傷口に口をつけた。そのときですら、兎は抵抗するそぶりを見せない。

 僕は床に座り込み、何を見るともなく頭を抱えてリゾンの食事が終わるまで待っていた。

 彼は血を吸い終わった兎を受け渡しの台の上に乱暴に投げ込む。

 よく見ると、リゾンが退屈だから差し入れろと言って仕方なく差し入れた物の数々は全て壊されていた。

 紙や鉛筆、子供が遊ぶような玩具、チェス、カード……あらゆるものが壊れている。


「兎をそんな風に投げるのはどうかと思う」

「お前が言えた口か? お前、あの生き物に魔術を使って懐柔させただろう。魔力の気配がした」


 鋭い指摘に僕は他に言うことがなくなってしまう。


を破壊したんだろ? 破壊が本当に得意なようだな。面白い」


 彼は頭の部分を細くて白い指でトントンと軽く叩く。


「面白くないよ……殺して持って帰ってくると血液凝固しているって文句を言うから……」

「当然だ」

「本当はこんなこと、したくないしできても嬉しくない。でも……まぁ兎も恐怖心がなく死ねるならまだ幸せな方だよ」

「あの上にいるやかましい奴らにも同じことをしてやったらどうだ?」

「はぁ……随分楽しそうに話すね、リゾン」


 笑顔なのか、それともニヤニヤしていると言えばいいのか、彼の口角は上がっている。

 楽しそうだ。


「退屈だと言っているだろう? もっとマシな玩具はないのか? お前と話をするくらいしか日常に変化がないものでな」

「“弄ぶ用の魔女”も無理だし“八つ裂きにできる魔女”も“四肢をむしり取ってもいい魔女”も与えられない。黒焦げの魔女の死体なら差し入れられそうだけど?」

「私は炭に興奮する趣味はない」

「あっそ。僕を切り刻んで泣き叫んでるところを無理やりするのは興奮するの?」

「当然だろう。少し入ってきて私の相手をしたらどうだ? 抵抗しないならしてやろう。私の伴侶ツガイとしてな」


 僕は言い返す元気もなく、首を軽く振って肺の中に溜まっていた重苦しい空気を吐き出した。


「なんだ? 相当にこたえることがあったようだな」

「あぁ……術式の解読は進まないし、全員ピリピリしてるし、クロエはアナベルを焼き殺すし、僕の家族が殺されたきっかけの1つがクロエだったり……」

「あの男の魔女のことか? 誰かと同じでお前にご執心のようだな。殺しそこなって私は残念だ」

「早く解読してこの烏合の衆から解放されたいよ」


 リゾンはニヤニヤと笑いながら口元についた血をふき取っている。僕が悩んでいる姿はリゾンにとっては最高に楽しい余興らしい。


「もうそろそろ、私が外に出る時間だろう。まいっているお前の話し相手になってやる」

「……そうだね」


 牢の扉を開けて、リゾンを繋いでいる鎖を外した。ひざまずいて鍵を外すと彼は満足そうに笑っていた。

 僕はリゾンの首の鎖を持ったまま、先を歩くように目配せした。

 地下から出ると不穏な空気の者たちが一斉にリゾンに目を向ける。黒焦げになったアナベルはもう移動されていなくなっており、焦げ跡だけが残っていた。

 ガーネットは一緒に外に出ようとしたが僕は無言で首を振る。


「何故だ」

「今は話したくない」

「そいつとはいいのか?」

「“今は”話したくないだけだよ。気持ちの整理がつくまで待って」


 ガーネットはリゾンを睨みつける。

 玄関から僕と一緒に出たリゾンは終始ニヤニヤと笑っていた。バタリと玄関の扉が閉まると、僕は彼と共に少し離れた場所へ移動する。

 適当な座れそうな場所に僕は腰を下ろした。引っ張っていたリゾンの首輪と手枷、足枷を外す。

 自分の手首に触れながら僕に問いかける。


「自信過剰だな。私がお前の喉元を切り裂かないと?」

「殺すなら苦しまないように頼むよ」


 投げやりにそう言うと、面白くない冗談だと自分を心の中で卑下する。

 彼が僕を苦しまずに殺すわけがない。

 殺すとしたら、ゆっくり、じっくり、僕が「殺してください」と懇願している姿を彼が満足するまで見てからだ。


「ククク……馬鹿げた意見だ。私がお前を殺すなら、どうするかくらい解るだろう?」

「そうだね……」

「…………」

「? どうしたの」

「苦しんでいる姿は見ていて楽しいが、そのやる気のない態度はやめろ。不愉快だ」


 手枷を指で弄びながら、ダランと僕は腕を投げ出した。

 僕が苦しんでいる姿は見ていて楽しいようだが、やる気なく消沈している様子がリゾンには気に入らないらしく、険しい表情をしていた。


「そんな様子のお前をいたぶっても面白くない」

「ねぇ……リゾンは賢いから解ると思うけど……頭では理解していて、何が最善なのか解っていても感情がついていかないときはどうしてる?」

「私の話を無視して私に悩み相談か?」


 悪態をついているリゾンに対して、それでも僕は話を続けた。

 態度がガーネットに似ているせいか、話せてしまう。

 しかし、ガーネットほど熱心に僕に色々聞いてくることはしない。

 ガーネットに対してまで先ほど冷たい態度をとってしまったことについて反省した。戻ったら謝ろうとリゾンと話しながら僕は考えていた。


「僕がどれだけ強くても、常に余裕がない。常に奪われる恐怖と失う恐怖に怯えてる。僕はリゾンのことも……怖いけど、羨ましい。なんていうか……いつも余裕があって、自由だ。小さいことには囚われてないし……」

「おい、やめろ。泣き言をのたまうな」


 うんざりしたようにリゾンは銀色の髪を乱す。


「ふん……確かに私はお前より賢いし、余裕もあるし、小さいことには囚われてない。それは事実だ」

「繰り返してもらってどうも」

「お前のくだらない質問にも答えてやる。何が最善かなんて、お前は誰の視点でと言っているんだ?」

「大局を見て言ってる」

「大局? 自分が犠牲になる道が大局だったら、お前は喜んで犠牲になるのか?」

「……なるよ」

「馬鹿馬鹿しい。本当に馬鹿馬鹿しいな。お前。自分がほんの少しでも、他者の為に生きられるなんて思っているのか?」


 それは僕がずっと考えてきたことだ。


 自分は、けして相手のためには生きることは出来ない。相手のためにそうしたいと願うその心が、既に自分の為であるからだ。


 けれど、僕は自分の出した答えにたどり着く。


「相手の中に証が残る。愛された証……愛された思い出が残り続ける」

「記憶など……記憶を司る部位が損傷したらなくなってしまう。お前が私によこした兎など、記憶がどうかは解らないが、完全に生物として欠陥があった。肉食動物にすり寄って行く草食動物など、気がふれたとしか思えない」

「それは特殊な場合でしょ。僕が故意にそうした。それまでに築いた人格形成は記憶によるものじゃないと思う。だから、僕は僕の守りたい人たちの為に戦ってる」

「…………そんなもろいもの……」


 彼は夜空の月に照らされながら、僕の言ったことを考えている様だった。


「リゾンも魔王様に愛された記憶が残ってるでしょう。あまり……感じ取れてはいない様子だけど…………」

「愛情など……そんなものはない……」


 そう言いながらも、リゾンはいつもの自信たっぷりな言い方ではなく、小声になっていく。その異界の王子の変化が見られて僕は少しほっとする。


「まぁ、ガーネットもまだ解らないみたいだし、魔族には難しいのかもね」

「お前の考え方は理解できない。もっと物事を単純に考えろ。怒りを感じたらその場で発散すればいいだけのことだ。お前は、怒りを抑圧しすぎているからそう性格が歪むんだ」

「歪むって……」


 性癖が歪んでいるリゾンからそんなこと言われたくない。

 そう言おうとしたが、リゾンと話している内に気持ちの整理ができた僕は、言わずにおいた。


「ここ数日お前と話をしているが、本当に愚かに感じる」

「……そうかもね。どういうやり方が賢いのかわからないよ。理屈と感情が一致しないときに、どうしたらいいか分からなくなる」

「こんなウジウジと悩んでいるやつに2度も負けたなどと思うと情けなくなる」

「…………悩むよ。力がいくらあったって、欲しいと思うものが必ず手に入る訳じゃないし……欲しいって思うものは人それぞれ違うからさ。リゾンがほしいものを僕がほしいとは限らない。僕がほしいものは、力でねじ伏せても手に入らないものだから」

「それが“愛情”というわけか?」

「うん……」

「そんなものはこの世に存在しない。言うなれば発情期の一種だ。種の保存の為に本能的にそういった感情になるだけで、愛情などというものは最初からこの世に存在しない」

「……そうかな? 親子関係でも愛情ってあると思うけど」

「ない。精神の錯乱状態を“愛”などと言って美化しているだけだ」


 リゾンは絶対に愛情というものを受け入れないようだ。

 そういう考え方でも、別に僕はいいと思う。僕も形のない物事に対して絶対的にあるとかないとかは言えない。


「……そろそろ戻ろうかな」

「お前に提案がある」


 リゾンの赤い瞳が闇夜に浮かんで光っている。その瞳に美しい夜空の星が映り輝いているのが見えた。

 ニヤニヤと笑いながらリゾンは僕に向かって言った。


「あの地下室にいるのは退屈だ。死体を操る魔女が殺されたのだろう? なら私が魔術式の解析をしてやろう」

「なんで急に……?」

「お前に任せていたらいつになっても解読できずに私が退屈するだろう。この生活にも飽きた」

「本当? 手伝ってくれるの?」

「暇つぶしだ。調子に乗――――」

「ありがとう! 助かるよ」


 自然と僕は笑顔になってリゾンに感謝の意を伝えた。

 解読も随分煮詰まってきて、進む速度も遅くなってきたところだ。アナベルが欠員した今、リゾンに手伝ってもらえるのなら物凄く助かる。

 彼は僕が笑顔で感謝の意を伝えたことは、リゾンにとっては面白くなかったのか短くため息をついて表情を曇らせた。


「じゃあ、どうしようかな。僕が部分的な写しを持って行くから、しばらくそれで手伝ってよ。みんなに慣れる為に少しずつ顔を合わせたりとか――――」

「ふざけるな。私は慣れ合ったりしない。大体、お前は殺されかけたことに対して能天気にしているが、他の魔女はそれを承諾しないだろう。そのくらい理解しろ」

「そう…………だよね」

「そもそも、慣れるのはお前の方だろう?」

「あはは、そうだよね……」


 リゾンと話していると、野営地からガーネットが様子を見に来た。

 僕とリゾンの間に入り、険しい表情をする。


「そう怖い顔をするな。私たちは同胞はらからだろう」

「うるさい。お前は油断ならない……手錠も足枷もしてないじゃないか。何故外した」


 責めるようなガーネットの口調に僕の表情は再び曇る。

 それを見ていたリゾンは自ら僕が持っていた拘束具を手に取り、つけた。

 ジャラジャラという鎖の音がする。


「ガーネット、お前……女の扱いがまるでなってないな」


 意外な言葉に僕は「え?」とリゾンの方を向くと、相変わらずニヤニヤと笑っていた。


「なっ……貴様にとやかくと言われる筋合いはない!」

「ククク……おい魔女、この小うるさい男に愛想が尽きたら私がお前と契約してやる。考えておけ」


 最後まで挑発を続けるリゾンを再び牢に入れるべく拠点へ歩き出した。

 僕の前を歩くリゾンの長い髪は美しく、銀糸のようだった。

 ご主人様も髪を伸ばせば恐らく後姿はリゾンと区別がつかないだろう。背丈も、体つきも似ている彼は性格もご主人様と似ている。


「………………」


 そんなことを考えながら拠点につくと、シャーロットとアビゲイルは外で座っていた。相当に怯えている様子で、身を寄せ合って震えている。


「ノエル……」


 縋るような声でシャーロットは僕の名前を呼んだ。


「ごめん。ちょっといろいろあって……クロエは?」

「中にいますが……でも……」

「そう……解った」


 僕が扉を開けると、中の荒れ果てた様子が目に映る。そこかしこから焦げた木の匂いがしており、実際に黒焦げになって炭になっている部分が多くある。

 一階の食事を摂るテーブルは真っ二つに割れて、まだ火がついている状態だ。

 その中心にクロエがいる。その傍らには酷い火傷をしたキャンゼルが腕を押さえてうずくまっている。


「ほう……強い魔女のようだな」


 リゾンがそう口にすると、クロエは鋭い目つきで僕らの方を見た。まるで獲物を捕らえた蛇のような目をしている。

 クロエはリゾンの姿と同時に僕の姿を捕えると、その鋭い目にうろたえる色がにじむ。


「クロエ」

「………………」


 僕に名前を呼ばれても、返事をしなかった。

 返事ができなかったという表現が正しいだろう。

 リゾンの首に繋がる鎖を手放して、僕は焦げた匂いの充満する部屋に足を踏み入れた。

 真っすぐクロエの方へ歩いていく。


「ノエル……」

「1つ提案がある。僕の為にも、クロエの為にも」

「……なんだ? 出て行けなんて言うんじゃないよな……? ……お前だけがすべてだ……頼む……挽回する機会をくれ」


 まるで、僕が突き放したらこの世が終わってしまうかのような口ぶりだった。

 冗談ではなく、本気でそう言ってるクロエは僕の返事を深刻な表情で待っている。


「出て行けとは言わない」

「はぁ……そうか…………」

「僕と命がけで戦ってくれない?」


 一瞬安堵したクロエが、僕の一言で再び表情が強張る。

 そこにいたガーネットも目を見開く。

 唯一、リゾンだけが僕のその一言で更に口角をあげて笑った。


 クロエは、炎に照らされて光る僕の真剣な瞳に吸い込まれるように、僕から目を離せずにいた。



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