第42話 知恵と力




 クロエは唖然と僕の方を見つめている。

 僕もクロエのことを見つめていた。こんなにまじまじとクロエの顔を見つめたことがあっただろうか。


「命がけって……どういうことだよ……殺し合うってことか?」

「そうだよ。殺すつもりできて」

「そ……そんなこと、何のためにするんだよ!? 俺を殺したいって言うのか!?」


 クロエは動揺しているせいか、周りにバチバチと電気がほとばしっている。暗い中でその明かりが眩しいほどだ。


「違うよ」

「じゃあなんだってんだ!?」

「この魔女は自身の抑圧している感情を発散させたいのだ」


 混乱しているクロエに対して、僕が言うよりも早くリゾンが言った。一瞬僕から目を離し、クロエはリゾンの方を見てから再び僕に視線を戻す。

 何を言っているのか解らないと言った様子だ。


「詳しくは聞いていないが、その魔女は頭で理解していることと感情が矛盾しているようだ。それを戦うことで発散させたいという意味だろう」

「そう。リゾンの言う通り…………僕は自分の中の理解と感情の矛盾をずっと消化できないままだ……そこに追い打ちを次々かけられて正直今日はかなり落ち込んだよ」


 僕に責められ、クロエはやはり気まずそうにして再び目を逸らす。

 気まずいときには普通は目を逸らすものだ。


 しかし、現実から……僕から目を逸らされては困る。


「僕から目を逸らさないで。クロエ」


 目を逸らすなと言われたクロエは、何度も瞬きをしながら、なかなかまっすぐ僕の目を見てくれなかった。

 痺れを切らして彼の顔を両手でしっかりと僕の方に向けさせる。


「簡単に“許す”とは言えない。僕の大切な家族を奪ったのは確かにゲルダだよ。でも、それはそれとして“俺は少しも悪くない”って言ってるクロエに腹が立つの」

「………………」

「だけど、僕はクロエの内情も多少は理解してる。なによりこの作戦にはクロエの協力が必要なの。好きだとか嫌いだとか言っている場合じゃない。それに……解読に必要なアナベルを黒焦げにして殺されて困ってる」

「それについては――――」

「話を最後まで聞いて」


 何か言いたげだったが、クロエは口をつぐんだ。


「だから一度、この気持ちを真剣にぶつけたい。僕が勝ったら……僕と……セージにきちんと向き合って謝ってもらう。セージがどんな死に方をしたのか、僕がどんな拷問をされていたか、全部話してあげる。それに向き合って。目を逸らさずに」


 恐らく、クロエにとってこれが一番こたえる仕打ちだろう。

 軽薄で、自分に向き合おうとしない彼には、色々なことから逃げてきた責任がある。

 あの日の小さな男の子から、クロエは本人が思う程成長していない。


「あと、解読手伝ってもらうからね」

「あ……あぁ……」

「それから、近くの町の偵察も行ってもらうから」

「…………条件が多くないか?」

「じゃあクロエが勝ったら……そうだな……」


 クロエが一番喜びそうなことを僕は想像した。

 そうだ“あれ”しかない。


「一晩一緒に寝てもいいよ」

「なっ……本当か!?」

「馬鹿なことを言うな!」


 僕とクロエの間にガーネットが入ってくる。

 ガーネットは僕の肩を掴み、向き直させて揺さぶった。


「ガーネット、これは僕らの問題だよ」

「そうかもしれないが……殺し合うなど……! そんなこと私が許さない。なにより、片翼で魔力をいたずらに使うな。寿命が縮むと言われただろう!?」


 物凄く焦っている様子のガーネットを見て、リゾンは口を手で隠して噴き出すように笑っていた。

 その様子を見ていたのは僕だけだ。


「そんなにカリカリと寿命のことを心配しなくても大丈夫だよ。魔女の寿命、何年か知ってる?」

「……200年くらいか?」

「魔女は500年生きると言われてる」


 自分がそこまで生きていられるかどうかは解らないが、本にはそう書いてあった。

 そこまで長く生きている魔女はもういない。大体は外的要因で殺されている。

 人間に魔女裁判と称されて殺され、残った魔女もゲルダに全員殺されただろう。自分の政治をする為に邪魔だからだ。


「まだ僕は22年しか生きていないし、僕は混血だ。更に寿命が長い可能性がある。残りの寿命が少し消耗するって言っても、誤差みたいなものでしょう?」

「しかし……!」


 同意をしてくれないガーネットは、何か他に気にしていることがありそうだと感じる。

 僕はガーネットの肩に手を置いた。


「それに、ゲルダと闘うにはゲルダのことをよく知ってるクロエに頼むのがいい。ゲルダとの戦いに失敗は許されない。いいね? クロエ」


 尤もらしい理由を持ってくると、ガーネットは反論できないのか渋い表情をしている。


「……あぁ……俺は……気が乗らないが……」

「ガーネット、僕が怪我をしたら痛いと思うけど……ごめん。クロエ、この家の修繕をしてもらうよ。明日、勝っても負けてもそれはやってもらうからね」


 ガーネットはそれでもまだ納得していない様子だったが、それ以上は言ってこなかった。クロエも何か言いたげだったが、有無を言わせぬ僕の言い方に何も言えないようだった。

 中にいる火傷を負っているキャンゼルに肩を貸し、立たせて外に連れ出した。いつもうるさいキャンゼルが言葉を発することもできなくなっている。食道の内側が炎で焼けてしまっているのかもしれない。

 外に出すとシャーロットに縋るように彼女は倒れ込んだ。


「キャンゼル……酷い火傷……」

「……せっかく休みにしようと言ったのに、ろくに休ませてあげられなくてごめん」

「いえ……いいんです。気遣ってもらえるだけで、私たちは嬉しいですから……早く平和で争いのない世界になってほしいというのが私たちの夢ですから」


 ――争いのない世界か……


 そんなもの、あるのかなと僕は考え込んでしまう。

 人間同士、魔族同士、魔女同士でも争いはある。どんな些細な違いでも諍いになってしまう。種族が違うと尚更そうだ。

 僕が考えている間にアビゲイルとシャーロットが治癒魔術を施すと、キャンゼルの酷い火傷は治った。


「ノーラ……」

「クロエに何か尋問されたの?」

「…………あたしは……別に……何もしてないのに……ちょっとクロエに『ノエルに相手にされないなら、あたしが相手してあげようか』って……冗談だったのに……」


 どうしようもない理由だったので、僕は「助けるんじゃなかったかな」と心の中で考える。

 クロエに何か尋問されていたのかと思ったが、ただムシの居所が悪いクロエにつまらない冗談を言っただけのようだ。


「魔女の性欲の強さには感服する……」

「おい、魔女」


 呼ばれて振り返ると、リゾンが悠々と立っていた。一応ガーネットが彼を繋ぐ鎖を手で持っている。


「お前、いい顔になったな。ブスなりにマシな顔になった」

「ブス……って……」


 自分自身で「比較すれば整っている方」と、堂々と言うのは気が引けた。しかし返す言葉が見つからずにいると、僕よりもキャンゼルが威勢よく反論する。


「ちょっと! ノーラは全然ブスじゃないわよ! そんなこと言ったらアナベルとかあたしはどうなるのよ!」

「お前らなどだ。よくそんな醜い顔で生きていく気になるな。私なら自害している」


 度を越えた暴言に、キャンゼルは物凄く怒っていた。

 そしてその度を超えた暴言が面白く、僕は噴き出してしまった。一度噴き出すとそのまま笑いが堪えられなくてお腹を抱えて笑ってしまう。


「ははははははは…………あまりにも……あまりにも酷いことを言う……ははははは……」

「ノーラ、笑っている場合じゃないわ! この吸血鬼、殺してもいいかしら!?」

「拘束されていようと、お前御ときに負ける私ではない」

「生意気! 魔族って本当にこんなのしかいないの!?」


 ひとしきり笑い終わった後、僕は立ち上がってガーネットとリゾンの方へ歩み寄った。


「ガーネット、今日は冷たくしてごめん。ちょっと……もやもやしてて迷惑かけた」

「………………」

「早速だけどリゾン、解読手伝ってもらうから。部屋に来て。模造品を見てもらおうと思ったけど、時間が惜しい。明日死ぬかもしれないからね。体力は有り余ってるみたいだし、今からでもいいでしょ?」

「ふん、せいぜい私の足を引っ張るなよ」


 僕がリゾンに階段を上がるように目配せすると、ガーネットが間に入る。


「解読作業をこいつにやらせるのか?」

「うん。手伝ってくれるって言うから」

「なに……?」

「地下にずっと閉じ込められていても退屈だからな。退屈しのぎに手伝ってやろうということだ」

「危険だ。こいつがいつお前に襲い掛かるとも分からないのだぞ」

「なら、ガーネットが見張っていてくれる?」

「監視がいるなら解読はしない。お前と2人きりでなら……協力してやるが……?」


 明らかに含みのある言い方で、リゾンは舌で唇を艶めかしく濡らした。


「……そう。僕は別にいいけど……襲いかかってきたらまた腕がなくなることになるよ?」

「ノエル、こいつの口車に乗せられるな。いくら手枷などをつけているとはいえ……」

「くどいぞガーネット。この魔女は私に対して協力を仰いでいるのだ。お前はお呼びではない」

「そういう言い方はよくない。全員に協力してもらってる。ガーネットには一番協力してもらってるんだから。ガーネットも心配しないで。手枷もつけているし、大丈夫だよ」

「…………」

「危険があったら、すぐに私に知らせろ。いいな?」

「うん」


 僕は不安そうにしているガーネットたちを置いて、リゾンと共に解読部屋へと向かった。




 ◆◆◆




【ガーネット 現在】


 扉の内側から、時折笑う声が聞こえる。

 白い魔女たちはリゾンを恐れて中に入れない様子だった。それは当然だ。あんな凶悪な者がいる空間に入れるのは、殺されないという自信がある者だけ。


 ――何故だ……何故そんな風に笑って話ができるんだ……あれだけの非道な行為をされたのに……


 あんな風に腹を抱えて笑っているノエルは見たことがない。

 リゾンがそれほど面白いことを言ったわけではなく、むしろ罵詈雑言の類だったはずだ。


 ――普通、褒められたほうが嬉しいものなのではないか


 本来なら毎夜、リゾンとノエルが話しをすることも反対だった。私がその場にいると喧嘩になってしまうからと、ノエルは途中で私を外した。

 それでも会話の内容は一定の距離にいれば聞こえてくる。リゾンが不穏な動きをすれば、すぐに対応することができる距離に私は待機した。

 リゾンとノエルの会話の内容など、他愛もないものだった。

 ノエルは適当に相槌を打っているだけで、別段内容があるわけではない。

 しかし、時折リゾンと話しているときに弱く笑うノエルの姿を見ると無性に苛立った。


 しかも……


 魔術式の解読を手伝えるほどの知識がリゾンにはある。

 自分にできないことができるリゾンとの差を私は感じてしまう。


「なるほど……それは盲点だった」

「馬鹿だな。こんなことも解らず何日も潰していたのか?」

「手厳しいな……でもありがとう。ここが解ればこっちに繋がる」

「空間形成の基本の部分は、無から有を作り出すということだ。現状あるものを流用して意のままに操る魔術とは根底が違う」

「膨大且つ純粋なエネルギーを密集、変換して、空間……距離という概念を超越するわけか……」

「この術式を見る限り、そうかもな。しかしここの部分が――――」

「どこ?」

「ここだ」


 少し、沈黙の間があった。


「お前、綺麗な赤い髪をしているな」


 突然、何の脈絡もなくリゾンはそう言った。


 ――こいつ……何を言っているんだ……


 それは私が言ったことのない言葉だった。

 永遠に言うことのない言葉かもしれない。


 ――まさか……ノエルを口説いているのか?


 リゾンの歯の浮くようなセリフに私自身に寒気と虫唾が走る。

 しかし、それと同時にノエルが会った当初に私に言っていた言葉を思い出した。

「綺麗な目をしているんだね」と、ノエルはそう言った。

 そのとき私は「気色が悪い」と一蹴したが、それを今思い出すと歯がゆい気持ちになってくる。


「えっ…………な、なに、急に。散々ブスだの馬鹿だの言ってたのに……」

「私にけなされたことを本気にしているのか? お前は美しい。その髪も、顔も……」

「なっ……なに、言ってるの? 気恥ずかしいからやめてよ」

「なぁ……本当に私の伴侶ツガイにならないか?」


 まだ懲りずにそのようなことを言っているリゾンの提案を聞いたとき、その提案をノエルが断ると解っていても、その言葉に身の毛もよだつ思いだった。


「子供は何人作ってもいい。魔族が減っている今、異界の為を想うなら強い子供が必要だろう?」

「……異界のことなんて……他の誰かのことなんて、リゾンにとってはどうでもいいんでしょう?」

「ククク……お前を手に入れられるならそう悪い話でもない」

「馬鹿な事言わないで」

「現実的な話だ。父上もお前を認めていた。お前はこの作戦が成功すれば魔族全体に歓迎されるだろう。ましてお前は翼人の最期の生き残り。私は異界の……こちらの言葉で言うと“王子”だ。誰もが私たちを祝福する。また翼人は繁栄できる」


“オウジ”とは何か、私には解らなかったが、王の息子という意味だろう。

 それを聞いた私は、リゾンと私の絶対的な地位の差を感じた。埋められない圧倒的な差だ。

 魔術式が解るか解らないかなどというよりも、客観的に見ても大きな優劣に、答えなど解りきっていることだと感じる。


 ――確かに、伴侶ツガイにするなら、私よりもリゾンを選ぶ……


「どうだ? 悪くない話だろう? お前も私の伴侶ツガイとして……“姫”か“王女”となる。残りの余生は子育てにでも明け暮れたらいい。お前ならいい母親になれる」

「そう……それはいい話だね」


 私はノエルがその話に乗った事に、覚悟していたはずなのに落胆する。


 ――やはりノエルは私を選ばない……


 それ以上話を聞いたらどうにかなってしまいそうだと、その場を離れようと私は扉に背を向けた。


「でもさ……」


 ノエルの言葉に私は引き返そうとした足を止める。


「なんだ?」

「リゾンは僕のこと認めてくれてないんだね」

「なに?」

「だって……名前で呼んでくれないもんね」


 そう言えば……リゾンがノエルのことを名前で呼んでいるところを聞いたことがない。


「僕のことをそうやってからかって試すようなことして、遊ぶのはやめて」

「…………本気だと言ったら?」

「だとしても僕は、相手の苦しむ様を見ないと興奮しないリゾンと上手くはやっていけないと思うよ」


 どれだけその言葉で私が安堵したか解らない。


 聞こえない程度に私は息を大きく吐き出した。

 不安に駆られて忘れていたが、ノエルは確かに肩書などに囚われるような性分ではない。

 そう、解っていたはずなのに、感情が先行して解らなくなってしまっていた。


「ではあの男の魔女がいいか?」

「クロエ? んー……どうかな」

「まさかとは思うが、ガーネットのやつがいいなどという訳ではないだろう?」


 心臓が大きく跳ねた。

 まるで時間が止まってしまったかのように感じた。

 答えてほしい反面、それだけは今答えてほしくないと動揺する。

 ほんの少しのノエルの沈黙が永遠に感じるほど長かったが、ノエルはその質問に答えた。


「……まぁ、ガーネットならいいかな」


 ――馬鹿な……


「馬鹿な!」


 私が思っていたことと全く同じことをリゾンは口にした。


「何か変なこと言ったかな?」

「自覚がないようだな。私よりもあの役立たずが良いなどと、狂言も大概にしておけ」

「ガーネットは役立たずなんかじゃない。いつでも僕を助けてくれた。色々と事情が複雑な僕のことを、魔女と魔族の混血としてじゃなくて、一人の個人として扱ってくれてる」

「だからなんだ? 強い者同士が伴侶ツガイとなるのが普通だろう? あいつよりも私の方が強い。だから私を選ぶのが賢いだろう」

「なら僕は愚かでもいい。強くなんてなくていい。何の力もなくてもいい。ただ、僕を“魔女”とか“翼人”とか“混血”とか一括りにしない人が良い」

「正気ではないな……」

「ふふ……よく言われる」


 私がノエルに対して何度も何度も言ってきた言葉だ。

 その言葉に笑ったノエルの表情が手に取るように解る。

 正気ではないと言ったリゾンの表情も、恐らく私がノエルに言うときと同じ顔をしているのだろう。


「解読はもうこの辺りでいい。もう休もうか。悪いけど、部屋がないから地下で寝てもらうよ」

「ふん……眠る前に先ほどのことは考え直すことだな」

「そうだね、考えておくよ」


 一人が立ち上がった音が聞こえた為、私は慌てて、足音を立てないように下の階に降りて外に出た。


 私は気が動転している。

 ノエルがあのようなことを言い出すと思わなかった。

 今はどんな表情でノエルに会ったらいいか解らない。

 ずっと、あの人間のことばかり考えていると思っていたし、現にそうだろう。いくら戯れの質疑だったとしても、あの男の魔女でも、リゾンでもなく私ならばいいと言っていた。

 そのことがグルグルと頭の中で回っている状態で暫く時間が経った。

 私が屋外で放心していると、拠点の扉が開き赤い髪が姿を覗かせる。


「あ、ガーネット。こんなところにいたの」

「ノエル……」


 ノエルは私の隣に腰かけ、私と同じ前方に顔を向けた。私はノエルに顔を向けられずに髪の毛で横顔を隠す。


「今日のこと……怒ってる?」

「いや……」

「明日……手は出さないでね。僕なりのケジメだから」

「…………それにしても、負けたら一晩床を共にするなど……もっとマシな条件はなかったのか……私はそれが一番腑に落ちない」

「それって、僕が負けるって思ってるってこと?」


 悪戯をする子供のような笑顔でそう聞いてきた。

 負けたときのことなど全く考えていない様子だ。

 絶対に自分が勝つと思っているのだろう。


「……癪だが、あの男の魔女は強いぞ。作戦は考えているのか?」

「別に。特に考えてない」

「は……?」


 全くの無策であの魔女に挑むつもりかと私は呆れる。

 よくこの調子で生き残れてきたものだ。


「クロエは魔術だけじゃなくて、身体的な能力もかなり高いしね」

「魔女のくせにやけに体つきがいいからな……」

「…………邪推だけど……部屋から出してもらえなくて、部屋でひたすら鍛錬してたんじゃないかな」


 ――……それは、あえてボケているのか?


 言うべきかどうか一瞬迷ったが、私は勢いに任せて小声で言った。


「……性行為に励んでいたからだろう……」

「え? 何?」


 私が小声で言った言葉はノエルには聞こえなかったらしい。もう一度言うのは気が引けたので、私は適当に誤魔化した。


「……お前がそうするなら、私もリゾンと決着をつけようと考えている」

「決着?」

「あぁ……昔からあいつとは因縁があるからな」

「どんな?」

「子供のころから色々あったからな……」

「昔の話、良かったら聞かせてよ。僕、ガーネットのことよく知らないから」

「……私の話など、聞きたいのか? 面白いものでもないぞ。あまり……良い話でもないしな」

「僕はガーネットのこと、知りたいから」

「……聞いたら失望するぞ」


 大した話でもないが、私は過去のことを想い返しながらノエルに話し始めた。




 ◆◆◆




【ガーネット 7歳】


 まだ私の髪が腰のあたりまであった頃、一つに束ねて邪魔にならないように縛っていた。

 フードが落ちて顔が出てしまわないように注意しながら、息を切らして走った。周りに誰もいないことを確認して家に帰る。

 ここのところいつもそうだ。

 家の中は閑散としていて、必要なものが最低限あるだけ。埃が積もっているものも沢山あった。

 私はラブラドライトのベッドの横に血の入った瓶を3本置いた。


「飲め」

「兄さん……これ、盗ってきたの?」

「そんなことどうでもいいだろう」

「……こんなこと、いつまで続けるの?」

「こうでもしなければ、今お前は食事ができない。私は自分で食事の調達ができるが、お前はそうもいかない」


 弟は病弱で、且つ気が弱く優しい性格だ。

 盗みに対して気が引けるなどと言って、自分の状況を全くわかっていない。

 その青い瞳は憂いをしきりに訴えてくる。


「仕方がないだろう。両親が死んでから随分経つぞ。切り替えろ」

「……随分って……ほんの少し前だよ…………どうして父さんと母さんは死んだの……」

「またその質問か……何度も言わせるな。弱かったから殺されたんだ」


 弟が酷く体調を崩したのは両親が殺された後からだ。

 ずっと落ち込み、食事すらもままならない状態が続いている。


「兄さんの答えは答えになってない……」

「魔族が争って死ぬことなんてよくあることだ。自分がそうならないように強くなることだな」


 本当は、誰が殺したのか私は知っていた。


 龍族の戦士だ。

 そいつは気でも狂ったのか制御が効かないため、魔王城の地下に幽閉されたと聞いた。

 それを弟に話せば、魔王城に乗り込んでいって「仇を取るために殺す」と言い始めるかもしれない。

 そうなれば弟が魔王の宮仕えに捕らえられるだろう。それに弟は龍族と渡り合えるほどの力はない。

 龍族と対峙したとしても殺されるだけだ。


「早く体調を整えろ」

「うん……」


 いつまで弟の世話をしなければならないのかとうんざりしながら、私は自分の分の食事を摂りに再び外へ出た。




 ◆◆◆




 案の定と言えば、そうだったのかもしれない。

 私が外で食事を済ませて家に帰ると、私が血の瓶を盗ってきた店の吸血鬼がいた。それとそのとりまきが2人。

 弟が血まみれでベッドに倒れているのが目に入った。かろうじて息はまだしているようだった。


「お前が盗ったんだろう? 何回かしてくれているな?」

「ふん……だったらなんだ?」

「殺してもいいが……子供のしたことだ。半殺しくらいで勘弁し――――」


 相手は3人。

 私は素早く1人目の顎に拳を叩き込む。相手が少し浮いた後、腹に蹴りを入れるとそのまま後ろに跳んでいった。

 顎は暫く使えない程に折れただろう。壁に背中を強く打ち付けてうめき声をあげていた。

 左後ろにいた奴は跳んでいった者が当たって体勢が少し崩れる。そのまま後ろに倒れ込んだところで頭にかかとを振り下ろすと綺麗に蹴りが入り、一撃で気絶させることができた。

 右後ろにいた奴に向かって、気絶した者をそのまま踏み台にして飛び上がり首に回し蹴りを入れる。

 こちらも一瞬で気絶したようだ。


「がはっ……貴様……ルビーとジルコンの子供か……」

「ガーネットだ。よく覚えておけ」

「龍族のアレクシスに殺されたんだろう……今は魔王城の地下だ……殺せなくて残念だったな」


 挑発してきているのだろうが、その言葉は私には全く響かなかった。


「私は両親などどうでもいい。弱ければ殺される。それだけだ」


 自分の手の鋭い爪を、話をしていた者の首に突き立てた。名前も解らない相手は怯えて震えていた。

 心底私は相手を軽蔑した。

 年下の私に対して震えているその様子があまりにも無様だったからだ。


「待て! 許してやる、だから――――」

「言っただろう? 弱ければ殺される。それだけだと」


 私が相手の首を掻き切る寸前、弟が私を止めた。


「待って……兄さん……」

「なんだ、意識があったのか」

「殺さないで……」


 この期に及んで甘いことを言っている弟に対して、私は光のない目で軽蔑の視線を送った。


 ――何故こんな者が私の血族なのだ……吸血鬼族の面汚しめ……


 そう考えていたが、弟は私の予想とは異なることを言った。


「殺さないで、仕入れている血液を少し僕らに分けてもらおうよ。危険を犯して盗まなくてもいいでしょう?」


 弟がそんな提案をするとは私は思わなかったので、意外に感じた。

 いや……弟とそう関りがなかった私にとっては、弟と言っても全く愛着もなく、私の手間をとらせるだけの存在だったので、どんな人格なのかは把握していない。

 しかし、この数日接している印象としては、そのようなことを言い出すとは思わなかった。


「確かにそうだな。お前、私たちに新鮮な血液を毎日卸せ。いいな。それなら生かしておいてやる」

「わ……解った。見逃してくれ」

「目障りだ。さっさと消えろ」


 私が手を離すと、蹴破るように扉を開けて逃げるように立ち去って行った。家の中で伸びている2人を置き去りにしたままだ。


「はぁ……」


 気絶している2人の足首を掴み、まだ無様に走っている店主らしき吸血鬼に思い切り投げてぶつけた。

 制御が完璧だった為、逃げていた男にぶつかってその場に倒れる。


「ゴミを置いて帰るな」


 私が家の中に入ると、弟が自分の傷口を押さえて止血している様だった。

 弟が相手にやり返した形跡はない。


「何故やり返さなかった」

「だって僕らが悪かったし……」

「馬鹿馬鹿しい」

「……兄さん、さっきの話は本当なの?」

「さっきの話?」

「父さんと母さんを殺したのは龍族で……魔王城の地下にいるって……」


 どうやら弟はその話をしていた頃から意識があったらしい。

 聞かれてしまったことに対して、面倒に思う。


「…………そうだ。そうだが、お前に何ができる?」

「せめて……話がしたい。何故殺す必要があったのか……」

「くだらない理由だったら?」

「………………」


 弟は青い瞳に涙を溜めながら、無言で傷の手当てをしていた。

 私はそれを見ても何も思わなかった。

 何故弟が泣いているのかすら解らなかった。




 ◆◆◆




 あるとき、私が家に帰ると弟はいなかった。

 体調が良くなってどこかにでかけたのだろうかと考えたが、まだ怪我も治りきっていなかったし、体調の方も急激によくなったりしないことを考えると、連れ去れたか、あるいは……――――


「魔王城の地下に向かったか……」


 私が行くべきかどうか考えた。

 弟など、私にとってはどうでもいい。

 魔王城に侵入して同じように捕まるのも馬鹿馬鹿しい話だ。

 しかし、吸血鬼族長のヴェルナンドが弟の世話をしなければ私に稽古をつけてくれなくなってしまう。

 ヴェルナンドがそう言ったから私は家に戻ってきたのだ。


「面倒だな……いっそ殺されたらいいものを」


 そう思いながらも、私は魔王城を目指した。

 走って魔王城に向かい、長い階段を一気に駆け上る。相変わらず長い階段だ。

 階段を上りきり、王城の見張りをしていた小鬼に対して青い目の吸血鬼のことを聞いてみると、確かにここに来たということを言っていた。


「それで? どこに行った?」

「魔王様に謁見にきたそうで、通行証を持っていましたのでお通ししました」

「通行証?」

「はい。商人が立ち入ることのできる通行証です。幼いながらも商人とは立派ですね」


 どうやら、私がねじ伏せた者から、どのような形か解らないが通行証を手に入れたらしい。

 言葉巧みに騙したのだろう。

 争って手に入れられるほど弟に強さはない。


「それは私の弟だ。連れ戻しに来た」

「では通行証をお見せください」

「持っていない」

「ではお通しすることは出来ません」

「なら力尽くで通るまでだ」


 無理に押しとおろうとすると、小鬼が持っていた武器を私に向けた。




 ◆◆◆




 父と母は、魔族らしい反応であまり血族に感心がなかった。

 それでも食事の世話はしてくれた。

 あまり家に帰ってこなかった記憶がある。子供は私と弟だけのようだった。

 家族で食事をしたこともなかったし、喧嘩をしたこともなかった。教育といえば文字の読み書き程度は教えてもらったが、必要最低限だけだ。後は教育機関に任せられる。

 弟は私の2つ下だが、あまり話したことはない。

 私が3歳のときに早々にヴェルナンドの元へ稽古をつけに出て行ってしまったから、顔もよく覚えていなかった。唯一覚えていたのは、瞳の色が青いこと。

 両親が殺されたという話がヴェルナンドにまで届き、一時弟の世話の為に戻ってきた。

 久しぶりに会った弟の姿を見ても、私は何も言わなかった。

 全く興味がない。


「まったく……手の焼ける……」


 私が魔王城に侵入したことによって、城の中の小鬼が大騒ぎをしていた。

 魔王に見つかる前に早く弟を見つけなければならない。

 弟が目指しているのは地下牢だ。ヴェルナンドと度々魔王城にきていた私は場所は解っていた。

 そこに行きつくまでにいるのは小鬼だけだったが、牢の付近になると大鬼二匹が待ち構えていた。大きな棘付きの鉄製の棍棒を持っている。

 牢の付近はそこかしこ血しぶきがとんでいた。その棍棒も色濃く血の色が染み込んでいるようで、どす黒い色をしている。

 この辺りだけ何度も修繕がされた痕跡があった。


「お前か、小鬼が騒いでいた侵入した吸血鬼のガキってのは」

「青い目をした子供の吸血鬼がこなかったか?」

「答える筋合いはない」


 大鬼が持っていた棍棒を私に向かって振りぬくと、壁があっけなく破壊された。

 ボロボロと壁がまるで柔らかいものかのように崩れる。この辺りの修繕箇所は鬼が壊した壁のや床の修復を何度もしている痕らしい。

 避けなければぐちゃぐちゃに飛び散って死ぬ威力だ。

 私は片方の大鬼の床に振り下ろされた一撃の際に、その棍棒の上に乗った。棍棒の上を走って大鬼の両目を素早く切り裂く。


「ぐぁああああっ!!」


 目の潰れた大鬼の頭上に乗った後に、もう片方の大鬼の目も切り裂いた。

 これで何も見えない。


「おのれぇええどこだぁああああ!?」

「ここだ。のろまども」


 二匹の間に入ってそう言うと、奴らは私の予想通りの動きをした。


「あぁあああああああぁああぁあああ!!!」


 グシャリ……


 と、嫌な音がしたあとに血が雨のように降り注いだ。

 大鬼たちは互いに互いの頭を引き飛ばすように棍棒を振りぬいて絶命した。頭部が残らないほどの怪力で振りぬいたようだ。

 身体に浴びた大鬼の血を舐めてみるが、酷い味がした。

 即座に床に向かって吐き出す。


「……不味い。なんだこれは」


 牢の門番がいなくなったところで、私は弟を探して牢の中に入った。


 ――商人の通行証で牢に入れるとは思わないが……


 そう思いながらも中に入るとうめき声を発している者や、わけのわからない言葉を延々と虚空に向かって話している者もいた。

 龍族が入れるような大きな檻は今のところないようだ。

 種族はまちまちだ。


「子供だ!! 子供がきた!!!! 食わせろおぉおおおおおお!!!」

「脊髄を……脊髄を頂戴……」


 意味のない叫び声に不愉快になりながらも私は弟を探した。

 牢屋は階層が分かれていて、上の方はまだ多少抑えが効く者が多い。

 牢の奥に進むにつれて、尚更異臭が酷くなってくる。腐った肉のような、吐きそうな匂いが立ち込めていた。


「水が歩くとないで剣が食べして欠けるで通ると外れるなきね更え……」

「あはははははははは!! ははははははははは!!!」


 どいつもこいつも外に出したらやばそうなのばかりだった。

 弟がきたかどうかこの者たちに聞いても無駄そうだと私は感じる。


 ――こんなところに居たら、下手をしたら四肢をむしり取られるぞ……


 私は牢の更に奥に進んでいった。

 鼻で呼吸ができないほどの異臭に、私は足を止めることもあった。

 よく見ると、誰かが吐いたような跡があることに気づく。


 ――弟が吐いたのか……?


 私も吐きそうだと感じながらも地下牢を進んでいくと、声が聞こえてきた。

 うめき声や意味の解らない言葉羅列、叫び声ではないしっかりとした話し声だ。


「お願い、教えてよ……」


 この声は弟の声だと私は分かった。

 ジャラジャラという鎖の音と、ミシミシという何かがきしむ音が聞こえた。


「おい」


 私が弟に声をかけると、ハッとしたように私の方を見た。血まみれの私を見ると、弟は怯えた様子を見せる。

 奥の方に視線を向けると、大きな龍が頑丈な鎖にがんじがらめに縛られて完全に固定されていた。

 身動き一つ出来ないようになっている。

 それでも、その龍が暴れようと身体をよじるとそこかしこから軋む音が聞こえた。骨がきしむ音と、周りの建物がきしむ音だ。


「帰るぞ」

「兄さん……アレクシスってこの龍だよ……父さんと母さんを殺した龍だよ!」

「……だから何だ? どうでもいい」

「どうして……」

「お前……いい加減にしろ。魔族のくせに一々他者を気にかけて、気持ちが悪い」

「………………」


 弟は私の言葉のあと沈黙し、私から目を背けて泣き始めた。

 何が悲しくて泣いているのか、そもそも涙を流すという感情も、私には理解できなかった。

 親が死んだということが、どうしてそんなにグズグズと駄々をこねることにつながるのか解らない。


 生きていればいずれ死ぬものだ。


 私はそう考えていた。


「いつまで泣いているつもりだ? 私がこの龍族を殺せば満足か?」

「……違うよ……っ……」

「では理由が解れば満足か?」


 弟は泣いているばかりでこの異臭が立ち込める牢を出ようとしない。

 説得するのも面倒だったので、私は弟を無理やり連れて出ようとした。


「それがお前の弟か? ガーネット」


 私が弟の腕を掴んで外に出ようとしたところ、声がした。

 声のする方を向くと、銀色の髪の少年が立っていた。異臭と他の音で、その者が近づいてきていることに気づかなかった。

 背丈は私と変わらないくらい。赤い瞳が暗闇で怪しく光る。肩甲骨の辺りまで伸びた髪が揺れていた。


「リゾン……」

「面白そうだな? 私も楽しませてくれ」


 面倒なのがきたと私はため息をついた。


 ――魔王の子息か……


 時折ヴェルナンドと話しているのを見かける。

 歳が同じだという理由で時折会わせられるが、私とはソリが合わない。普段は相手にしないが、私を見る度に突っかかってくる。

 非常に面倒だ。


「その気の狂った龍を殺すんじゃないのか?」


 バキンッ……バキバキッ……


 龍の方から鎖が割れる音が聞こえた。

 リゾンが魔術式を発動し、鎖を破壊しているようだった。


 ――魔術……?


 リゾンが魔術が使えるとは私は知らなかった。

 瞬く間にミシミシと音を立てていた壁が崩れ、龍が自由になりつつある。

 そのまま龍は鎖を引きちぎり、檻をあっという間に壊して中から出てきた。

 身体の大きさは倍以上違う。10メートルはあろうかという大きさだ。硬い鱗に覆われており、爪の斬撃が通るとも解らない。


「ほら、殺せよ。自由にしてやったぞ」


 私と弟に向かって、アレクシスという名の龍が襲いかかってきた。




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