第40話 選択




 ガーネットが抱えて運んでくれたおかげで、僕らはすぐに目的の場所へたどり着いた。

 レインと約束した場所につくと、馬はまだそこにいてくれたようでのんびりと草を食べている。

 近づくと僕らに気づいた馬は申し訳なさそうに頭を垂れた。馬にも申し訳ないと感じるところがあるのだろうか。


「探したぞ。お前」


 僕が頭を撫でてやると馬は大人しくしていた。

 どうやら人間に見つかって大騒ぎになっている様子もなく、僕はホッと胸をなでおろす。


「お前にも名前を付けてやった方がいいかな。これだけ長く一緒にいるのに“お前”では味気ないから」

「名前?」

「そうだな……というか、性別は雌かな? なにがいいか……悩むな……」

「はぁ……お前は一々緊張感がないな」

「そんなにいつも緊張していられないよ。ここのところ大変だったんだから」

「……そんなことで悩むな。その辺の草の名前でもつけておけばいいだろう」


 ガーネットにそう言われて妙案だと思い、周りにある植物を見渡した。キナの薄いピンクの可愛らしい花が咲いているのが目に入る。

 かつて人間の間で流行した熱病の特効薬として使われている薬草だ。


「キナ……キナにしよう」

「キナ? 変わった名前だな」

「あの小さい花の咲いている植物の名前だよ。よし、今日からお前はキナだ」


 馬――――キナにそう言うと僕の言ったことが解ったのかすり寄ってきた。真っ白なたてがみがサラサラと風になびいて美しい。

 キナをガーネットに任せ、僕は太陽の高さを確認した。

 まだ約束していた時間は少し早いようだ。レインはまだ来ない。数日しか離れていなかったのに、やけにこの場所が懐かしく感じる。


 ――ここでいろいろあったな……


 僕がよく摘んでいた薬草たちは背を伸ばして太陽の光を懸命に受けようとしている。蕾をつけているものもあり、生命の息吹を感じた。

 その小さな花をしゃがみこんで見つめる。弱い風に撫でられゆらゆらと揺れている姿がけなげに見えた。


「ノエル、きたぞ」


 ガーネットの声に僕は立ち上がって周りを確認すると、白い龍が飛んできているのが見えた。

 その後ろに視線をやるが、ご主人様がついてきているということはなさそうだ。

 ホッとする反面、残念な気持ちになる。


「ノエル!」


 レインは大喜びで僕の胸に飛び込んできた。

 勢いよく飛び込んできたレインの鋭い鱗や爪が相変わらず痛かったが、僕はしっかりとレインを抱き留めた。


「ノエル、会いたかったよ!」

「レイン……ありがとう。寂しい想いをさせてごめんね」


 レインは顔を僕の肌にすり寄せてくる。


「ノエル異界に行ったんでしょう? ぼくの故郷どうだった? 楽しかった?」

「そうだね……楽しかった……ような……」


 命がけだったが、レインに心配をかけるわけにもいかない。レインに心配をかけると、そのままご主人様に心配をかけてしまうことになるだろう。

 苦笑いをしながらも僕は話を変えることにした。


「世界を作る魔術式を魔王様にいただいたんだ。これからその魔術式の準備をする」

「世界をつくるの?」

「そう。それが成功したら魔女の女王の心臓を使って魔女をこの世界からそっちの世界へ移すんだ。今のところ色々問題もあるけど、魔族も全面的に協力してくれるって言うからなんとかなりそう」

「ほんと!? じゃあぼくといつあっちに遊びに行ってくれる?」


 相当に機嫌がいいのか、レインは長い尻尾をひらひらと左右に揺らしている。


「そうだね……全部終わったら、かな」

「いつ終わる?」

「いつになるかは解らない……世界を作る魔術にどのくらいかかるか解らないから……」

「えー……それまであの人間と一緒にいないといけないの?」

「…………ごめんね、ちょっと横暴な人だから……」

「ううん、それはもう慣れたけど……ぼくは人間の世話はできないよ……何を食べるのかわからないし……」

「そうか……町に買い物に行くのも大変だよね」


 尻尾を揺らしていたレインはシュンと下に垂れ下げる。先ほどまで元気だったのに、急に元気がなくなってしまった。


「買い物なんて、行けないよ。町の人間が……あの人のこと……――――」

「町の人に何かされたの!?」


 抱き上げていたが自分の身体から引きはがし、自分の顔の前にくるように両手でレインを持ち上げる。

 小柄とはいえ以前よりも重くなっているような気がする。

 レインを掴んでいる手に力が入ると、鋭い鱗が自分の指に食い込む感触がした。

 そこからうっすらと血が出てくる。


「う……ううん、ノエルとの約束どおり、あの人を守るためにぼくが町の人を追い払ったから」


 そのレインの言葉を聞いて、僕は一瞬言葉を詰まらせる。追い払ったってどういう意味か理解が及ばなかった。


「……追い払ったって……何か……されそうになったの?」

「何をしようとしてたのかはわからないけど……怖かった」


 追い払うことになるということは、何か揉めていたということだ。そのくらい容易に想像がつく。


 ――僕のせいだ……僕のせいでご主人様が……


 そう考えたが、どうしたらいいか解らない。

 町の人に僕が説明しに行っても、逆効果になってしまう。

 僕は町の人のまえで魔女を大勢殺した。怯えられ、恐れられ、叫び声をあげられるに決まっている。


「……それで、食事はどうしているの?」

「食料はもうすぐ終わりそうなんだけど、夜にぼくがときどき獣をとってきてるんだ。あと、怖くない人間が来てるのを見たことあるよ。その人が食べ物を置いて行っていた」

「どんな様子だった?」

「えっと……体調はどうだとか、カンジャ? が助かってどうとか……」


 患者という言葉を聞いて、誰がきたのか僕にはすぐに解った。僕のことを雇ってくれたカルロス医師だ。

 先生に頼めば何とかなるかもしれない。

 そう思った矢先、あれだけの惨事を町で起こした僕に恐怖心を抱かないわけがないと思い直す。

 しかし、ご主人様のことをずっとレインに任せている訳にもいかない。

 時間がないと焦りを感じた。

 罪名持ちの魔女の脅威がほぼなくなったとはいえ、ご主人様の身の安全を確保しなければならない。


「レイン、また会いに来るから。僕はその訪問してきた人間に心当たりがあるから行ってくるよ」

「それならぼくも行くよ! 少しくらいいいでしょう……? ずっとノエルと遊んでもらうの我慢してたんだよ。ね? ね?」


 またレインがバタバタと翼をはためかせて暴れ始める。


「…………解った。一緒に行こう」

「やったー!」

「ガーネット、ここでキナを見ててくれる? カルロス医師の医院はここからそこまで遠くないから」

「……遅くなるなよ。何かあったら――――」


 ガーネットが話し終わらないうちに、僕はレインを抱き上げたまま町を通らない道で先生の家に向かった。

 どうか、僕の話を聞いてほしい。

 その思いに脚を急がせる。


「……まったく……お前を回収しに来ただけのはずなのだが……お前の主は移り気だな……」


 ガーネットはキナの方を向いて話しかけたが、キナは食事をに夢中なようで意に介していない様子だ。

 それを見てため息交じりにガーネットはノエルの帰りを待った。




 ◆◆◆




 町の外側を通り、カルロス医師の住まう場所に僕はたどり着いた。

 先生が住んでいる家は他の家と大して変わらない外観だ。特記することがあるとしたら、他の家よりも装飾品が多少多いくらい。

 ここまで誰にも見られてはいない。もし見られたら大騒ぎになってしまうだろう。

 これ以上、事を荒立てたくないという気持ちでいっぱいだ。

 理解してほしいと思う面もあるけれど、僕はとっくに諦めてしまっていた。


 理解されないのが普通、受け入れてもらえないのが普通……


 そう思わないとならなかったのは悲しいと思うけれど、説得しようにも聞こうとすらしてもらえない。

 カルロス医師は僕の話に耳を傾けてくれるだろうか。


「ここ?」

「そうだよ。レインはカルロス医師に会った?」

「うん。ぼくを見て驚いてた」

「優しそうな人だったでしょう?」

「……ぼくは、ぼくのこと珍しそうに見るあの目はきらい」


 レインはギュッと僕の肩に捕まる手に力をこめる。


「確かに、嫌だよね。好奇な目で見られると……」

「ノエルはぼくのことそんな目で見ないから好きだよ!」

「そう、ありがとう」


 ガチャ……


 僕が扉をノックする前に、扉は開いた。

 そこには優し気な表情の、しかし少しやつれたようなカルロス医師が立っている。

 先生は僕を見て驚いている様だ。当然の反応だと僕は思ったが、先生は恐怖に顔を引きつらせることはなく、いつもの優しい表情に戻った。


「ノエルちゃん……」

「先生……ごめんなさい。色々……話したいことがあるのですが、時間がないんです……」


 いきなり現れた先生に僕も驚いたのも相まって、言いたいことが沢山あるせいで言葉が不正列で零れるように出てくる。

 言った後にこれでは伝わらないと思いつつも、何からどう伝えたらいいかと考えると今度は言葉が詰まってしまう。


「ノエルちゃん、ひとまず入りなさい。家内はでかけていて帰ってこないから安心していいよ」

「……はい」


 レインは先生を警戒しているのか、僕の肩を掴む手に力が入っている。

 先生の家の中は様々な家具や美術品が飾られていた。僕には理解の難しい芸術品がいくつか並べられている。

 ご主人様の家とは異なり、物が沢山ある。


「あの……僕が怖くないんですか……?」

「怖くないと言ったら嘘になるだろうが……根は優しい子だと思っているよ」


 先生は薬茶を手際よく入れて出してくれた。琥珀色の美しいその薬茶の表面に映る自分の表情が曇っていることに気づく。


「魔族の龍君は何か飲むかい?」

「ぼくはいらない」

「そうか」


 いつも僕に話しかける時よりもそっけない態度で、レインは僕の赤い髪の中に隠れるように先生を警戒した。

 僕は促されるまま椅子に座り、先生も向かいに座る。


「ガネルもノエルちゃんのことは慕っていたからね……」


 赤い果実を僕におまけでくれた優しいガネルさんは、カルロス医師とは仲が良かった。患者と医師との関係であったが、歳も近く、魔女が支配していた頃からずっと長い間支え合って生きてきたのだろう。


「…………僕の責任です……魔女は僕を狙って町にきたので……」

「目的はノエルちゃんだったかもしれないが、ノエルちゃんのせいじゃない。魔女の支配を逃れていたのが奇跡だっただけだよ」


 白衣を着ていない先生は、普通の人に見えた。恰幅のいい身体が少し痩せたように見えて、僕は胸が痛む。


「そうだよ、ノエルのせいじゃない。ノエルが町を守ってなかったら、もっと酷いことになってたんだから」

「………………」

「随分ノエルちゃんに懐いているようだね。どこで知り合ったんだい?」

「魔女から逃げてきて、怪我をしていたので手当したんです。あの裏山で会いました」

「そうか……私には心を開いてくれないんだが、心当たりはあるかい?」


 少しおどけて言う先生に、レインは更に僕の後ろへと警戒を強める。その様子に僕はレインを抱き上げて胸の前で再び抱き留める。

 不安なのかレインは懸命に僕にしがみついてきた。


「大丈夫だよレイン。この人は何もしてこない」

「……でもぼく……ノエル以外は怖い」


 人間を超越した力、魔女の中でも相当の力を持つ僕が怖くなくて、か弱い人間の方を怖がるなんて……と考えると僕は笑みがこぼれる。


「ノエルちゃんには色々聞きたいことがあるんだが……時間がないと言っていたね。何か、私に用事があったんじゃないのかい?」

「……そうです……。あの……彼が町の人になにかされたと聞いて……食料を買い出しに行けないと……」

「あぁ……そのことだと思ったよ。悪く思わないでほしい。彼らは酷く怯えているだけだ。どうか――――」

「殺さないでほしい……ですか?」


 矢継ぎ早に話す先生が、僕に怯えているということを物語っていた。やはりあれだけのことをしたのを見ていた先生が怯えないわけがない。

 対抗する手段なんて何一つ持たない者が、絶対的な強者に怯えないわけがないんだ。


「……そんなことしません。ですが……彼に危害を加えたりしないでほしいんです……僕は理由があって彼の側にいられません。押し付けるようで心苦しいんですが……彼を先生にお願いしたいんです。無理にとは言いませんが……どうしても不安で……」

「私に任せていいのかい? ノエルちゃんの大切な彼だろう?」

「先生以外にお願いできる人がいなくて……」


 僕は先生の返事を待っていた。いつもの優しい表情が曇っているのをみると自分がここにいることに対して気が引けてくる。

 ほんの少し前までは普通に話しができていたのに、やはり狼は羊の群れの中で羊になることはできない。いくらその牙を向けなくとも、どこか遠くに感じてしまう。

 先生はし少しの間考えていたが、口開いた。


「……そうだね、私も彼のことは気にかけているんだ。最近は色々あったし、町の人の精神的な療養に追われているが……様子を見に行ってみるよ」

「先生……ありがとうございます!」


 立ち上がって深々と僕は頭を下げた。

 レインは僕が身体を傾けたので机の上に飛び降りる。その様子をみて先生は呆気にとられていた。


「ノエルちゃんに聞きたいことが沢山あるんだが、聞いてもいいかい?」

「……少しだけなら。待たせている者がいるので、長くはいられませんが」

「そうか……なら3つだけ聞いてもいいかな?」

「はい」


 先生は僕に再び座るように促した。


「ありがとう。じゃあ1つめ。どうして魔女に追われているんだい? 何か……悪いことをしたのかな?」

「…………悪いこと……全くしていないと言ったら嘘になると思いますが、魔女が僕を追っているのは、魔女の女王が僕の半翼を狙っているからです。恨みを買うこともありましたが……僕から率先して彼女たちに危害を加えていません」

「半翼とは……ノエルちゃんの背中にあった翼のことかい?」

「そうです。僕は魔族の……翼人の最期の生き残りでもあります。魔女と魔族の混血です」

「そんな……」


 先生が言葉を失ってしまったのを見て、僕は自分の存在の罪深さを改めて自覚する。

 初めの魔女の伝承は人間の間でも有名な話だ。魔女と人間の歴史から切りはなすことのできない重要な話であり、人間が魔女を裏切った話。

 人間にとっては忌避するべき話であるがゆえ、イヴリーンと同じ混血の僕を見る先生の目が動揺しているのも納得できる。


「あ……あぁ、すまない。あまりの出来事に呆気に取られてしまって……」

「驚くのは当然です。すべてが終わったら、何もかもお話します」

「そうか……他にも聞きたいことがあったけれど、何か大きなことをしようとしている様だね。私には魔女たちに対抗することは何もできないが、彼の世話くらいはできる」


 先生は優しく微笑みながら、僕の目をまっすぐに見つめる。けして偽りのない真っ直ぐな眼差しだった。


「安心して行ってきなさい」


 その言葉に僕は目頭が熱くなり、ボロボロと涙が溢れだした。


 ――僕のこと、ちゃんと見てくれた……


 魔女や混血、魔族といった括りではなく、僕を僕として見てくれたことに涙が止まらない。


「お……おぉ……どうしたんだ。泣かないでくれ」

「ごめんなさい……普通に接してくれて……嬉しくて……」

「…………ノエルちゃん、私は君に自分の人生を生きてほしいと思ってる。難しい立場なのは解るが、自分の幸せを考えてほしい」


 先生の言葉に、僕は視線を逸らした。

 自分の人生や、自分の幸せなんて考えたことがない。ご主人様が幸せなことが自分の幸せだった。

 これからもそうだ。

 それ以外はない。


「先生……ありがとうございます。僕、もう戻ります。彼のことをよろしくお願いします」


 逃げるように言う僕に、先生は悲しげな表情をしていたが、それ以上は何も言ってこなかった。

 レインを抱き上げて入口へと向かう。そこで、これでは僕はいつもと同じだと感じた。

 いつも僕は先生の言葉をそうやってかわす。

 そう言われることがたまらなく嫌だからだ。

 しかし、このままではいけない。

 先生に背を向けてから僕はそう考え、脚を止めた。


「あの……先生…………僕は自分が選択して彼の側にいる……強いられている訳じゃないんですよ」

「そうか……他に選択肢があるんじゃないかと思っているんだが……」

「他の道ですか……」


 異界に行ってガーネットやレインと暮らす道、こっちでガーネットと2人で生きて行く道、このまま何もしない道……

 そのどれもこれも、僕の未来にご主人様はいない。


「選べる選択肢が、必ず幸せとは限らないですよ」


 弱く笑って先生にそう言うと、彼はやはりそれ以上は何も言ってこなかった。

 扉の外に誰もいないことを確認してから先生の家を出る。出る時に向き直って会釈すると、先生は困ったように笑っていたのが見えた。


「レイン、僕の服の中に隠れていて」


 駆け足で人目につかない道を通り、待っているガーネットの元へ戻る。なんだかんだと時間がかかってしまった。きっと彼は怒っているだろう。

 そう思いながら急いで戻ると、背を向けて立ち上がっているガーネットの姿が見えた。

 何をしているのだろう? と思いながら声をかけようとすると、彼が誰かと話をしているのが見えた。

 慌てて僕は木の陰に身をひそめる。

 その後すぐに、ガーネットが誰と話しているか解った。

 遠くからでも見えるあの美しい銀髪を、僕が見間違えるわけがない。


 ――ご主人様……


 レインがいなくなったから、何かを感づいたのだろうか。そう考えてもおかしくはない。僕はフードを深くかぶり、自分の赤い髪が遠くから見えないようにした。

 何か言い争っているようだ。


 ――どうしよう……


 そう考えていた刹那、ガーネットは聴覚が人間よりも優れているということを思い出した。

 この距離でも話せばガーネットには聞こえるかもしれない。


「ガーネット、僕の声が聞こえたら左手で自分の髪の毛に触れてみて」


 独り言のようにそうつぶやくと、僕はガーネットの左手を注視する。

 すると、彼は間もなくして左手で自分の髪の毛に触れる仕草をした。普段のガーネットは滅多に自分の髪に触れたりしない。邪魔なときにかき上げるくらいだ。

 これは聞こえている。

 それなら……――――


「僕のこと、彼が探してる様子ならそのまま髪の毛に触れ続けて」


 ガーネットは左手で髪の毛に触れたままだ。


 ――探してくれているのか……


 嬉しい気持ちと、心苦しい気持ちが入り混じる。今すぐにでも会って話がしたい。「食事はきちんと摂っていますか?」「お体の具合は大丈夫ですか?」「不自由なことはありますか?」いくつもそんな質問が頭に浮かぶが、僕はそれをなんとか振り払う。


「カルロス医師の元へ行ったと言ってほしい。不自然にならないように」


 髪に触れていた手を降ろし、ガーネットはカルロス医師の家の方角を指さした。

 それを見るなりご主人様は身をひるがえし町の方へ続く道を走って行った。

 それを見送りながらおずおずとガーネットの方へ近づくと、彼は不機嫌そうに僕を睨みつける。


「遅いぞ」

「ごめん」


 ため息を吐くガーネットはうんざりした表情をしていた。


「本当に……あんな人間の何がいいのだ……」

「彼に何か言われたなら、それはごめん。代わりに謝るよ……ごめんね」

「ふん、そんなことはどうでもいい。早く戻るぞ」

「えー……ノエル行っちゃうの?」


 レインが残念そうに僕の首元から顔を出してうなだれる。そんなレインを僕は服の中から取り出し、目の前に顔が来るように抱き上げた。


「また必ず会いに来るから」

「……どのくらい?」

「どのくらいとは言えないけど、近いうちに。また連絡するから」

「わかった……」


 レインは尻尾をだらりと萎れさせながらも、渋々了承してくれた。


「レイン、一緒に異界に行ったらやりたいことを考えておいてよ。ね?」

「ぼくもう考えてあるよ! 一緒にお父さんのところに行ってね、ノエルを僕のお嫁さんにするって言うの!」

「お嫁さん? あはははは、伴侶ツガイってことかな?」


 お嫁さんと言われたのが不意打ちだったので、僕は思わず笑ってしまった。ガーネットは驚いた顔をして固まっている。


「ツガイ? ううん、そうじゃなくて、お嫁さん! こっちの風習なんでしょ? 好きな相手とケッコンていうのして、ずっと一緒にいるんでしょ? ぼく、ずっとノエルと一緒にいたいから、ケッコンする!」

「そっかぁ……でも結婚は大人にならないとできないんだよ。レインがもう少し大きくなったらね」

「えー! じゃあ、ノエルはぼくがお父さんみたいに大きくなるまで待ってくれる?」

「そうだね、レインが大きくなって、変わらず僕のこと好きだったらね」

「絶対ずっと好きだよ! 約束する」


 レインは名残惜しそうだったが、ご主人様の家まで送った。

 抱きかかえていたレインをゆっくりと地面に降ろす。


「またね、レイン」

「うん!」


 軽く手を振ってレインと別れた。

 後ろ髪を引かれる思いで僕とガーネットはキナに乗って町に背を向け、走り出した。ご主人様の家を見ると、辛い気持ちでいっぱいになる。

 レインもいつになったら異界に帰してあげられるか解らない。

 それでも僕は進む以外に選べる道がなかった。


「キナも無事に戻ってきたし、良かったね」

「…………ノエル、先ほどの話だが……」

「何?」

「あの馬鹿トカゲの……その……嫁になるという話は……」


 何やらガーネットは言いづらそうに顔を背けて言葉を続ける。


「本気なのか……?」

「え? あははははは、レインは“好き”の意味が良く解ってないから言ってるだけだよ。大人になればその違いに気づくって」

「そ……そうだな」

「なんでガーネットがそんなに動揺してるの?」

「馬鹿を言うな。龍族と魔女と翼人の混血が伴侶ツガイになるなど異例の事態がおこるかと危機感を覚えただけだ」

「そう。確かに龍族とどうやって子供作ったらいいか解らないもんね」

「ば、馬鹿者! 下世話な話をするな!」

「え……あぁ……深い意味はなかったんだけど……龍族って卵で増えるんだろうから……」

「もういい!」


 なんでそんなにガーネットが怒るのか僕には解らなかった。

 僕の後ろに乗っているガーネットの顔を見ると「前を向いていろ」と言われ、顔色をうかがうことができない

 その不安さと苛立ちを募らせた表情に、僕は気づかなかった。




 ◆◆◆




【ノエルの主】


 ――くそっ……


 医者はあいつが家に来たのはつい先ほどだと言っていたが、もう痕跡一つなくあいつはいなくなっていた。

 会ったら言いたいことが山ほどあるのにも関わらず、会うことができない。白い龍はあいつに唯一繋がる手段だが、文字通りその尻尾を掴ませることがない。


 町から帰るとき、後ろ指をさされていることは解った。こそこそと俺に聞こえるような声で「魔女の手先」「裏切り者」という言葉が聞こえてきた。

 ふり返って俺が睨みつけると、蜘蛛の子を散らすように町の連中は逃げていく。元々、俺は信頼がなかったがあいつの一件で更に警戒されるようになった。

 仕方がない。今は白い龍が家にいる。

 魔族が家にいるということ自体がおかしいのだろう。


「あ、帰ってきた!」


 白い龍は数十メートル離れた俺のところへ飛んできた。俺の肩にバタバタとやかましく着地する。


「お前、あいつと会っただろ?」

「うん! ノエルはぼくのお嫁さんになってくれるって!」

「はぁ!?」


 肩に乗っていた龍を掴み上げ顔の前に持ってくると、その鋭い鱗で自分の皮膚が切れた感触がした。


「何言ってやがる……」

「え? だから、ノエルはぼくのお嫁さんに――――」

「あいつは俺のもんだ! 勝手に嫁にもらおうとするなアホトカゲ」

「でもノエルはぼくが大きくなったらいいよって言ってたよ?」

「は? んなわけねぇだろ。嘘も大概にしとけよ」


 家の中に入ると、当然のようにそこには誰もおらず明かりもついていなかった。いないことに慣れることができない。

 俺は蝋燭に火をつけて明かりを確保する。


「でも、ノエルは戦いが終わったらぼくと異界に行ってくれるって言っていたよ?」

「なんだと!? …………そんなことさせねぇよ」


 具体的に何をどうするとか、そんなことは考えていなかった。

 ただ、戦いが終わればまたあいつは俺のところに戻ってくる。俺がいないと生きることすらできないくせにと、心の中でそう確信抱いていた。


 異界になんていかせない。

 絶対に俺の元へと戻らせる。

 例え俺の命が尽きることになったとしても、あいつを手放したまま生き続けるよりはマシだ。


「あいつは異界に行ってたんだろ? 何かしようとしてんのか?」

「世界を作るって言ってたよ。えーと……なんだっけ。魔女をその作った世界になんとかするって言ってた」

「世界を作る!? なんだよそれ……そんなこと、あいつにできるのか……?」

「難しいことはよくわからないけど、色々準備があるんだって。だからまたしばらく会えないの……」

「…………」


 世界を作ると聞いて、俺には想像すらできない途方もないことをやろうとしているということだけは解った。

 それがどのくらいの期間でできるのか、すぐにできるのか、何年もかかるのか……何も解らない。魔女がいつ再びここに来るとも限らないのに。


「そんな長い間、待ってられねぇよ。魔女がまた来るかもしれねぇだろ……」

「あ、それは大丈夫。ノエルは魔女除けのケッカイを張ってるんだって。魔女はここを見つけられないよ」

「一回きただろ? 町ごと移動してるわけでもなし……」

「ふふん。そこがノエルのすごいところなんだよ。ノエルの魔女除けはどういう原理か解らないけど、この町を魔女から守ってくれてるんだ」


 やけに得意げに白い龍は言うが、結局のところ俺がほしい情報は持っていない様だった。


「ちっ……お前、今度あいつが来るときに教えなかったらその尻尾切り落とすからな」

「あー! そんなこと言うとノエルに言いつけちゃうからね!」

「上等だ」


 白い龍との言い争いは少しの間続いたが、あほらしくなって俺は早々にやめた。

 一日終わるのがやけに遅く感じる。いつも自分が何をしていたのか解らなくなる。以前の俺は、残り短い命を女を連れ込んで一時の快楽に消費していただけだったが、もう俺は病が治ってしまった。

 先のことなんて何も考えていなかった俺は、途方に暮れてしまっている。

 ただ一つ願うのは、あいつに戻ってきてほしいということだけだ。他には何もない。


 ――白い龍がここにいるうちは、あいつは必ず戻ってきて白い龍と会おうとする……白い龍もあいつに会いたがっているし……それを利用しない手はないな……


「おい、お前」

「なんだよ人間」


 不機嫌そうにそっぽを向く白い龍に、俺は先ほどまでの喧嘩ごしの態度ではなく、女にするような猫なで声で話しかけた。


「お前、あいつに会いたいだろう?」

「会いたいよ。ずっと一緒にいたい」

「あいつがどこにいるか解るか?」

「それは知らない」

「じゃああいつが行きそうな場所は?」

「行きそうな場所? …………魔女の街には行くのかな? 女王の心臓を使って……って言ってたから」


 ――女王の心臓? 使う?


「それはいつ頃行くんだ?」

「そんな聞かれても解んないよ!」

「そんな怒んなって。次あいつがきたときに聞いておいてくれないか?」

「どうして? まさか会いに行くつもり?」

「あぁ。あいつが来ないなら、俺から会いに行くまでだ」

「だめだよ! 外は危ないし、ノエルは忙しいんだから邪魔したらだめだよ」


 予想以上に防御の硬い白い龍に俺は渋い顔をする。


「邪魔はしねぇよ。ただ、あいつは俺のことで気が散ってるだろ? 気が散ってると戦うどころじゃねぇ。あいつはそのことを解ってない」

「でも……ノエルは頭もいいし、理由があって会えないって……」

「あいつの考えすぎなんだよ。一緒にいると俺が死ぬとかなんとか……俺はあの白い魔女が治したから全然身体に異常なんてないんだぜ? お前が寂しい想いをしてんのに、あいつはお前を放っておいてんだぞ?」


 たたみかけるように言うと、白い龍は首がうなだれ、どんどん声が小さくなって行く。


「大丈夫だ。あいつが気にしすぎてるだけだ。お前が行ったらあいつは喜ぶぜ?」


 白い龍はむずむずと落ち着かない様子で考えているようだ。


 ――所詮は子供だな。ちょろいぜ……


「それに、内緒で肝心な時に現れた方が喜ぶもんなんだ。俺が行くとか、お前が行くとか言わないであいつに聞い――――」

「やっぱりだめ」


 もう少しで丸め込めると感じていた矢先、ダメだと言われた俺は思わず「はぁ?」と素に戻って声が出てしまう。


「いくら言ってもだめなものはだめ。ぼくはノエル以外のことは信じない! ノエルにも『どんなミリョク的なことを言われても、僕のことを信じてほしい』って言われてるから!」


 白い龍は乗っていた椅子の上でそのまま丸くなり、眠ろうとしている。

 あいつの言葉に不意を突かれて俺は言葉を失い、数秒その様子を見つめて呆けてしまった。


「あいつ……余計なことを……」


 俺は一先ず諦めて、自分の部屋へと戻った。これは説得するのに時間がかかる。しっかりあの白い龍に仕込むことは仕込んでいたあいつへの苛立ちを感じた。

 ベッドに横になり、見慣れた壁側を見つめて考えを巡らす。


 ――そんなに俺にあいたくねぇのかよ……あの吸血鬼に心変わりしたのか……


 どうしてもそんな考えが頭に巡ってしまう。

 しかし、医師のところへ行ったときにあったことを思い起こすとその考えは完全に否定される。



 ――過去―――――――――――――――――



「ノエルちゃんは君のことを心配して、私にお願いしにきたんだよ。色々複雑な事情があるようだったけど、彼女を信じて待っていなさい」


「君を捨てて出て行った? とてもそんなふうには見えなかったけどね」


「いつ出て行ったかといわれても……ほんの少し前だが……会わなかったのかい?」



 ――現在―――――――――――――――――



 結局すれ違ったとすら言えない形で、会うことは出来なかった。次は絶対に会えるように作戦を立てなければならない。

 俺が腕を上に伸ばして仰向けになると、俺の手が当たった先で「ジャラ」という音がするのが聞こえた。手探りでその堅い感触を掴み、持ってくる。

 あいつがつけていた首輪だ。


 ――つけろと言ったわけでもないのに、ずっとつけて生活していたな……


 あれだけの強さを持ちながら、奴隷の身分を望むなんてとんだお笑い草だ。それは強さに対するあいつの負い目による反動だったのかもしれない。

 町の連中に後ろ指をさされても喧嘩をして帰ってくるわけでもなく、ただ耐えていた。どれだけ虐げられようとも、あいつの口から出るのは「殺す」という言葉ではなく「ごめんなさい」だった。


「馬鹿だな……」


 今までどうして知ろうとしてこなかったのか。

 生い立ちや家族のことは話したがらなかったし、それ以上何も聞くことは俺もしなかった。あれだけ時間はあったのに、俺は何一つ知ろうとしなかった。

 近くにいたのにすれ違ってばかりだった。今となっては話したいことや聞きたいことが沢山ある。


 ――必ず捕まえて吐かせてやるからな


 俺はそう考えながら、作戦を考えている間に眠りに落ちた。



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