第39話 烏合の衆





【ガーネット 現在】


 私がほんの一瞬目を離した隙の出来事だった。

 ノエルが帰ってきたことに気を取られ、リゾンから目を離してしまった。

 どうしてもノエルを目で追ってしまう。他の魔女と話すノエルを見ていた視線を戻すと、横たわっていたはずのリゾンがいないことに気づいた。

 私はリゾンがどこへ消えたのかと警戒したが、気づいたときにはもうそれは手遅れだった。


 ――ノエル……!


 声を出すよりも早く、私の腹部には穴が開いた。

 激烈な痛みで私は倒れるしかなかった。すぐさま立ち上がろうとするが、脊髄を損傷したせいか、脚が動かない。

 あまりの激痛に目が霞むが、それでも私はノエルに手を伸ばす。


「ノエ……ル……」


 あっという間に赤い髪の魔女はリゾンによって森に引きずり込まれて行った。

 出血がひどく、このままではマズイ。

 白魔女の姉妹が慌てふためいている。男の魔女には妹の方がつき、白魔女姉の方が私の方に駆け寄ってくる。


「酷い……今治療しますから」

「お姉ちゃん! クロエが……!」


 私も相当の致命傷だが、あの男の魔女も首が切り落とされる寸前まで切り裂かれていた。


「……ガーネット、クロエの治療が終わるまで持ちこたえてください…………」


 白魔女は男の魔女の方へ走って行った。

 こんな状況なのにというべきか、それともこんな状況だからこそというべきか、ノエルの血の匂いに、私は先ほどから強い渇望を抱いていた。


 ――血が……ほしい……


 ずりずりと上半身だけでノエルの血だまりに懸命に移動する。私の方を見て白魔女が何か言っているのが聞こえるが、私の耳には入らない。


「はぁ……はぁ…………」


 永遠に思えるような距離を懸命に移動したが、私はもう視界がかすみ、血だまりまでの正確な距離が分からない。

 もう駄目だと断念しようとした瞬間


 ピチャリ……


 手を伸ばした私の指先にぬるりとした感触がした。顔を上げて必死にその方向を見ると、私の指を濡らしたのはノエルの血だまりだった。ノエルからはおびただしい量の血液があふれ出していて、それが森の中へと続いている。

 ノエルの血だまりに触れた血の付いた指を口元にもってきて舐めると、この世の何よりも甘美で上質な舌触りだった。

 力がみなぎってくるように私は感じた。

 血を飲んで回復してきたからか痛みは徐々に鈍くなってきた。

 私は、這いつくばってその血だまりに顔を突っ込み、ノエルの血を飲んだ。地面を這い蹲って血を飲むなど、屈辱以外の何物でもない。しかし、屈辱的だとか、地面の砂がジャリジャリするとか、そのようなことを気にしている猶予はなかった。

 一心不乱に血を飲むと、私の腹の傷は治ってきていた。

 そうしている間にも私の身体に絶え間なく切り傷がつき、骨が折られる激痛が走ったり、皮膚が剥がれたりした。

 ノエルがリゾンに新たな傷がつけられているようだ。

 それでも、私たちの回復力の方が圧倒的に上回り、私は立ち上がってノエルの血の痕を追いかけた。


「クソ……あの変態め……」


 森の奥から爆炎が上がるのが見えた。すると身体につけられる傷が一度止む。

 私が走って向かっている間にも森の中から爆炎が上がり、水の刃が飛び交い、氷の柱が地面から突き出し、落雷が何度も森に落ちた。


 ――ノエル……頼む……正気でいてくれ……


 私が血を飲みすぎたら、ノエルも正気を失ってしまう。

 その話を本人としたばかりなのに、さっそくその話がなかったようにする行動をとってしまった。

 自分の首の羽の部分に触れる。やはりそこには小さな羽が沢山生えていた。急激にそれが大きくなるというようなことはないようだが、これが更に成長してしまうかもしれない。

 そう考えるものの、今はその心配をしている余裕がなかった。

 ノエルに近づくにつれ、叫ぶように話す声が聞こえてきた。


「リゾン! やめて!!」

「はっはっは!! 腰抜けの魔女かと思っていたが、強いではないか」

「争いたくないんだ!」

「お前には争う理由は無くても、私にはある! 散々ふざけた真似をしてくれたな!!」


 リゾンの鋭い爪によって何度もノエルは身体に酷い傷を受けながらも、それでも傷はすぐに塞がった。

 私が駆け寄ってノエルの前に立つと、対峙しているリゾンも満身創痍になっていることに気づく。

 肩や腕、脚から出血しているし、肉がえぐれている部分もある。

 彼の身体の焦げた部分からは吐き気を催すような悪臭がした。


「リゾン! 貴様……腕を治した恩を仇で返すのか!?」

「私はそんなこと頼んでない! 自惚れるな!」


 魔術は封じられているもののリゾンの元々の身体能力は高く、ノエル相手にも引けを取らない。

 しかし、私には以前よりもその動きはゆっくりに見えた。

 目にも留まらぬ速さで全く見えなかったリゾンの動きが、目で追える程度になっている。

 鼓動が早く、身体が熱い。


「ノエル、やはり助けるべきではなかったな」


 リゾンがノエルに向かってその鋭い爪を向けて飛びかかったとき、私はリゾンの腕を掴んでリゾンの力を殺さずにそのまま地面に叩きつけた。


「がはっ……」


 うつぶせに倒れているリゾンの背中に素早く乗り、腕を捻りあげた。

 ギリギリとリゾンの腕が軋む。

 振りほどこうとするが、強化されている私の力にリゾンは適わずに更に腕を捻りあげられる。


「ぐぁあっ……そのまま腕を折るがいい……」

「言われなくとも、貴様の腕など再びむしりとってくれる……!」


 私がさらに力を加え、ミシミシという骨の悲鳴が聞こえ始めた頃にノエルが私の腕を掴む。


「ガーネット……許してあげて」


 そう言うと思っていたが、実際に言われるとその考えの甘さに苛立ちを隠せない。


 なぜリゾンをそう庇うのか。

 どうしてそこまで気持ちを割くのか。


 ボキボキッ


「ぐぁああっ……!!」

「ガーネット!」


 ノエルの願いを無視して、私はリゾンの腕を折った。

 肩から彼の骨は両腕とも折れていた。これで動かすことは出来ないだろう。

 私は折った腕を掴んだまま、心配そうにこちらを見ているノエルの方を見た。

 心配そうにもしていたが、どちらかと言えば悲しい表情をしているように見える。


「どうして……」

「お前、殺されかけたというのに、まだそのようなことを言っているのか。いいか? ノエル、自分が怪我をして私が傷つくのが嫌だと言うのなら、矛盾した行動をとるな」

「…………そうだけど……リゾンは話せば解ってくれると思うから……」

「魔女の女王は殺そうと考えているのに、どうしてそこまでこいつを説得しようとする?」

「話せば理解してくれるかどうかくらい、解るよ……うまく……言えないけど……」


 歯切れの悪い返事をするノエルに、尚のこと苛立つ。


 私は昔からリゾンを知っている。

 話を聞くはずがない。

 にも関わらずノエルは話ができると妄信している。


 ――何故私の話を聞かない?


 苛立ちながらも一先ず私はリゾンの上から降りた。

 ずるずると力なくリゾンは身体を起こす。もう襲い掛かる気力はないようだ。

 立ち上がれないほどに疲弊しているらしく、膝をついた状態でノエルと私を睨みつける。


「私は話し合うつもりはない、殺すならさっさと殺せ……」

「…………どうしてそう頑ななの?」

「それは貴様もそうだろう。さっさと諦めればよいものを……」

「諦めるのは……いつでもできるけど、今頑張らないと取り返しのつかないことになる」


「お前も随分頑なだろう」と私は言いたかったが、黙って説得する様を見ていた。

 ノエルが止めないのなら今すぐにでもリゾンを八つ裂きにして殺してやりたい。

 殺されかけたのは二度目だ。

 ただの暴力や傷害ではなく、確定的な殺意を持って殺されかけた。

 ノエルもリゾンに対して嫌悪感を抱いていたはずなのに、自分の気持ちに正直ではないなとため息が漏れる。

 世界を二分する目的の為ならば、嫌いな相手の説得も献身的に行うという結論らしい。


「でも、無理やりに協力してもらうのも悪いから……そんなに嫌なら無理強いはしないよ。その傷がある程度塞がったら異界に返す。腕の神経も繋がったし僕は言ったことは守ったから」


 その言葉を聞いたリゾンの表情は唖然としていた。

 おそらく力でねじ伏せられて無理やり協力させられると考えていたのだろう。

 この引きの強さは予想外だったはずだ。ノエルはわざとそうしているわけではないが、この状況で引かれたら傲慢なリゾンからすると相当に応える。


「……不愉快だ……本当に不愉快だ……貴様……私をどれほど愚弄したら気が済むのだ……! さっさと殺せばいいだろう!?」


 怒りを露わにするリゾンに対して、ノエルはそれでも懸命に説得するのだろうと考え、嫌気がさした矢先、実際はそうならなかった。

 ノエルは厳しい表情でリゾンを睨みつける。


「ふざけないで」


 先ほどまでの声とは全く異なる冷たい声で言い放つ。


「なんなの? 腕を折れとか殺せとか……簡単に言って。そうやって死ぬのがかっこいいとでも思ってるの? そんなに死にたいなら勝手に自分で死んで」

「黙れ! 貴様のように見苦しく足掻いて何になる!? 醜態をさらし、そこまで生に執着する生き方がどれほど意味があるのだ!?」

「見苦しく醜態をさらすのが“生きる”ってことなんだよ!」


 怒っていることに反し、ノエルの目は涙をこぼさぬように懸命に堪えている様だった。


「死ぬってことはもう二度と会えない……遺された方はずっと悲しいんだよ! お前のことを大切に思ってる魔王様がどれだけ悲しむのか少しは考えろ! この馬鹿!!」


 リゾンは魔王のことを引き合いに出され、黙ってしまった。

 死後の世界のあるとは知ったが、それでも死は永遠に互いを別つもの。ノエルが極端に殺しや死を嫌うのも自身が何度も経験したことだからだろう。

 リゾンを今すぐにでも殺してやりたいと私は考えていたが、ノエルは魔王がリゾンに愛情を持っていることを知っているから殺すという選択を避けているようだった。

 あるいは、リゾンを手にかけることによって異界との交渉が決裂しかねないとも考えているのかもしれない。

 私はリゾンに対する殺意をやむを得なく収める。


「……もういい。早く戻ろう。みんなに無事を知らせないと」

「こいつはどうするつもりだ? 全員がリゾンを殺そうとするだろう。特に……男の魔女が生きていたら絶対に殺しにかかる」

「…………死んだことにして、少し見つからない場所で療養させてから異界に返そうか」

「あまり現実的ではないな。白魔女だけを説得して空間移動に耐えられる程度にした後に、さっさとあちらに送るというのはどうだ?」

「シャーロット……流石に協力してくれるかどうか……」


 私たちが話している間、リゾンは呆気にとられたような顔をして不思議そうに私の方を見ていた。


「なんだ、言いたいことがあるなら言え」

「お前がそんなに変わるほど……その穢れた血は特別なのか?」


 異界の言葉でリゾンはそう言った。

 どうやらノエルにこの会話を聞かれたくないらしい。


「そうだな。契約をしているというのもあるが……私が今まで出逢ったことのない類だ」

「信じられん……あの残忍だったお前が手名付けられているなど……」

「馬鹿を言うな。私たちは対等な存在だ。客観的には主従関係かもしれないが、こいつは私に命令しないし、利用もしない」

「…………理解できないな」

「私も、自分の感情の変化に理解が追い付かない」


 リゾンはゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がったリゾンに対してノエルは警戒するが、どうやら敵意はないようだった。


「おい、魔女」

「……なに」

「暫くお前の近くでお前を観察することにした。おとなしくしておいてやる」

「な……何を勝手なことを……」

「私が必要だから殺さなかったのだろう?」

「……協力はしないんでしょ?」

「私がお前を認めたら協力してやってもいい。まずは他の魔女を説得して見せろ。治療もしてもらうからな」


「偉そうに……」と小声でノエルは言うが、それ以上リゾンに対して何も言わなかった。


「何を言ったの? 随分大きく方向転換したように見えるけど……」

「私が言った言葉でどうこうという訳ではない。お前の啖呵が効いたのだろう」


 ノエルは不審そうにリゾンを見つめる。

 その眼差しには怯えが混じっていた。二度も恐ろしい思いをして、相当に警戒しているのだろう。

 実力は双方同等。

 素早さはリゾンが圧倒的にあるが、それをノエルは余りある魔術の才で五部に戦えている。

 一瞬反応が遅れたら、どちらかが瞬時に死ぬだろう。

 首が落ちるのは一瞬だ。


「ガーネット、ここでリゾンと待っていてほしい。先に僕が戻って説得してみるよ」

「…………できるとは思えないが?」

「……僕も、期待はしてない」


 そう言ってノエルは自分の血の痕を辿って拠点へと戻って行った。

 これはしばらくかかりそうだと感じた。男の魔女が死んでいたらまだ話は早いが、そう簡単には白魔女がいる限り死なないだろう。


「何を考えている?」

「…………別に。あっちの世界での生活は退屈だからな。あの魔女のお遊びを見届けてやろうと思っただけだ」

「…………」

「私を殺さないのか? お前の飼い主は今いないぞ」

「ノエルは色々考えがあってお前を生かしたのだ。私も馬鹿ではない。だが……また私たちを襲ってみろ。今度こそノエルがなんと言おうと殺すからな」

「くくく……殺す、か。あの魔女に骨抜きにされたかと思ったが、昔の名残が残っていて安心したぞ」

「やかましい。お前は信用できない。拘束させてもらうぞ」

「どうにでもしろ。…………に、しても、あの魔女を名前で呼んでいるんだな」

「……そうだな。私はあれを認めている」


 リゾンは尚も笑っている。満身創痍で笑うその姿は、狂気に侵されているようにしか見えない。

 元々リゾンは狂気的で、且つ猟奇的だ。何を考えているのか解らない。


「あの魔女に相当惚れているようだな。しかも、さっさと孕ませるでもなく、忠義を尽くすなど……」

「私とノエルはそのような乱れた間柄ではない。無粋な勘繰りをするな」

「おかしな奴らだ……」


 ノエルは説得しに行ったきり、なかなか帰ってこなかった。




 ◆◆◆




【ノエル 現在】


 幸いにして、死者はでなかった。

 しかし、その死者がでなかったことに際して、殺されかけたクロエが怒り心頭なのは当然のことで、その説得に何時間もかかってしまった。

 説得というよりは、根気の持つ限りの戦いというような感じだ。

 クロエが交換条件として、拠点の僕の部屋と同じ部屋にするなら許すというふざけたことを言いだしたが、それは到底許容できなかった為に拒否した。

 それから議論は平行線だ。

 かけひきの苦手な僕はなかなか話を進めることができない。

 それでも懸命に頭を下げる僕に、クロエはやっと折れてくれた。


「もうわかったって……お前がそこまで言うなら……。でも、次に少しでもおかしなことしやがったら俺が殺すからな」


 そう言ってなんとか矛を収めてくれた。

 他の魔女たちも相当に反対していたが、僕が管理するということで納得してもらえた。


 ――はぁ……僕らは“仲間”というよりは“烏合の衆”だからな……意見がまとまらない……


 僕が説得に疲れ切ったあと全員を連れてリゾンとガーネットの元へ行くと「遅いぞ魔女。いつまで私を待たせる気だ」などというものだからそこでまた一波乱あった。

 話をまとめるのは本当に大変だ。


 リゾンにまず拘束魔術をかけた後に、シャーロットに身体の傷を治してもらった。

 拘束魔術だけでは飽き足らず、手枷や足枷、首にも首輪をつける、更には檻にも入れるという強い要望があったので、リゾンに悪い気もしたが全員を納得させるにはそうする他なかった。

 手枷は後ろ手にがっちりと両腕の間隔があかない強固なもので、何もすることができない状態だ。

 足枷は歩く程度の歩幅しか開かず、走ることなどは出来ない。

 首枷からは鎖がついており、アナベルの提案によって無理に鎖を切ろうとすると首が切れるよう魔術をかけられていた。

 逃げたり、攻撃する余地はない。身体能力が高いリゾンの拘束に対して、これで十分なのかどうかは分からないが、これ以上どう自由を奪ったらいいのか解らなかった。

 それほどまでに拘束されているのに対し、当の本人はというとそれほど気にしている様子はなかった。


「驚いたな。説得してくるとは」

「どれだけ僕が頭を下げたと思ってるの……リゾンも謝ってよ」

「私に頭を下げさせたいなら力づくでそうさせろ」


 それでは謝罪の意味なんてまったくないじゃないかと、落胆する。


「外に放置すると監視できないから、拠点の地下に牢屋を作ってそこにいれよう。僕とガーネット以外は入らないように」


 そういう条件で全員を納得させた。

 家を作る作業が再開されて、夜になったころにようやく家が完成した。

 かなり大きな家だ。

 三階建ての地下が一室分。

 馬の建屋も作ったが、そういえばこの騒動で全く忘れてしまっていたが、肝心の馬が見当たらないことに気づく。


「シャーロット……馬は?」

「あ……放牧しっぱなしにしちゃいました……あっちの方にいたのを最後に見たのですが……」

「最後に見たのはいつ?」

「えーと……3日前くらいですね……」


 歯切れが悪いシャーロットの話を最後まで聞かずとも、馬がどうなったのかは予想がついた。

 要約すると、どこかへいって行方不明ということだろう。


「貴重な移動手段だったんだけど……」

「でも大丈夫です。念のため探知魔術をかけてあります」


 シャーロットが魔術式を展開すると、馬の姿が映る。

 馬は眠っているようだ。


 ――ここは……


 その場所は僕も見覚えがあった。

 生い茂る森の中に白い翼が優美な馬の姿が浮かんでいる。森の地面を見ると穴が開いている場所があった。

 そこはレインを匿っていた穴だ。


 ――ここはご主人様のいる町の近くの山だ……


 ここからそれほど遠くない。

 馬は町の住人に見られたら殺されかねない。逆に、驚いた馬が人間を殺してしまうかもしれない。


「明日……馬を回収しに行く。レインとも話をしておかないといけないし……」


 問題を先延ばしにするのは気が引けたけれど、今から行くわけにもいかない。

 シャーロットも疲弊しているし、他の者たちも疲れ切っている。僕とガーネットだけで行ってもいいかと一瞬考えるが、馬は眠っている様子だったので諦めて明日行くことにした。

 家の中に入ると家財は食卓を囲む長机と椅子、調理ができる簡単な石造りの台所、食材をしまう倉庫程度の家財しかない。

 そして二階と三階に上がる階段が続き、一階には地下への階段がある。


「リゾン、こっちへ」


 地下に続く階段を降りるとそれほど広くはない牢屋がある。

 そこへ僕とリゾンは降りていった。

 人間の目では到底何も見えないような暗闇だ。当然光はない。

 リゾンの力でも曲げられないような強固な合金の牢ができており、そこにリゾンを入れて首の鎖を牢の中に設置されている格子につけ、鍵をかけた。

 後ろ手に拘束している手枷は外して少しの自由を彼に与える。


「しばらくここに居てもらうよ。食事は毎日三食か二食、血液と肉を持ってくる。あとは……まぁ、ずっとここにいるのも辛いだろうから、夜の間に少しだけ外に出すよ」

「随分甘い考えだな。普通、牢に入れたら最低限の食事だけ与え弱らせ、逃亡や反逆の恐れがある場合は絶対に外に等出さないだろう」

「……リゾン、いい? 僕は服従させたいわけじゃない。“協力”してほしいの。異界に返してもいいけど……僕のこと観察するんでしょ? ならそうする機会を増やさないと」


 そう言って僕はリゾンの牢に鍵をかけ、階段に脚をかける。


「僕はもう戻るから、リゾンも休んで。まだ身体も本調子でもないだろうから。食事運んでくるからちょっと待ってて」

「…………ふん」


 僕が地下から一階に登ると、全員が一階にいて僕の帰りを待っていた。

 やはり不満げな、あるいは不安げな表情をしている。


「……もう休もう。大丈夫だよ、リゾンは四方強固な合金で固めてある牢屋に入ってるし、大人しくしてる。目が覚めたばかりで混乱していたから僕らに手荒なことをしただけだよ」

「混乱する度に暴れられたらたまったもんじゃないぜ」


 無論、リゾンは混乱していた訳ではないと思う。

 だが、そうでも言わないとあれだけの暴挙に出たリゾンを庇うことができない。


「私は夜の間起きている。見張っていよう。何か問題があったら手の甲に傷をつけてすぐにお前を起こす。それでいいだろう」

「……リゾンの挑発に乗らないようにね」

「あれとはそれなりの付き合いだ。心配するな」


 ガーネットの言葉で、全員渋々と納得する。

 クロエが獲って来てくれた鹿の血抜きをしてその血液を凝固しないようにしつつも器に溜める。そして肉を捌いて食事にした。

 僕らが取ってきた果実も全員に配分すると瞬く間になくなった。

 僕とシャーロット、アビゲイル、アナベルが食事の準備をしている間に、クロエとガーネット、キャンゼルで寝具の用意をしていた。

 一先ず眠るところがしっかりとあれば問題ない。木材を組み合わせてベッドの組み立て作業や、シャーロットが作った綿や布を糸で縫って布団を作っていた。

 キャンゼルはふと僕の方を見て、思い出したようにクロエに話しかける。


「ねぇ、クロエ。あんたが城でノエルだと思ってたあたしに言ったこと、ノエルに――――」


 バチッ!!!


 急に爆音が響き、全員が驚いて飛び上がった。クロエから電撃がほとばしり、キャンゼルの横の床が黒焦げになっていた。

 クロエ以外の全員から諫める言葉や、怒りの言葉が出る前にクロエは叫ぶようにキャンゼルに言った。


「言うな! 殺すぞ!!」


 僕はクロエのあまりの剣幕に驚いて目を何度かしばたかせる。殺されかけたリゾンに対してですら、クロエはそこまでの剣幕で怒ってはいなかった。

 アナベルを拾ったときにクロエが怒ったときのように激怒している。


「あ……解ったわ……ご、ごめん……」

「言ってみろ、お前の身体がその床のように炭になるからな。よく覚えておけ!」

「い……言わないわ……約束する」


 そう言うキャンゼルを尚もクロエは睨みつける。


「えぇ? なにー? 気になるわ」

「黙れ!!」


 アナベルが茶化すのもクロエは本気で怒っている様だった。

 クロエが僕に対して何を言ったのか気になったが、もしそれをキャンゼルに聞いたらクロエは間違いなくキャンゼルを殺すだろう。それだけは分かる。

 アビゲイルがシャーロットの陰に隠れるように怯えている。


「……ご……ごはんの準備できたよ」


 僕がそう言うと、クロエは苛立っている様子はありながらもそれ以上キャンゼルに言及しなかった。


 軽く話をする程度だった空気は凍り付き、誰も何も言わない。

 全員で食卓を囲むと、そのあり様は明らかに異様だった。

 統一性も何もない。

 机につく配置も仲が悪い者たちはできるだけ遠ざけるように配置した。


 ガーネット、僕、クロエ、アナベル

 アビゲイル、シャーロット、キャンゼル


 の順番で並ぶ。


「つっかれたー……人使い荒くない? もーあたし、肉体労働なんて柄じゃないのよね。魔術使えないと本当に疲れちゃう。最低限、自分の身体の鮮度の維持するのが精いっぱい。気を抜くと腐っちゃうじゃない」


 アナベルが空気を読まずにそう言った。

 どういう精神構造をしているのか不安にすらなってくるが、この重い空気が少しでも改善されるなら、その空気の読めなさも捨てたものでもないなと僕は考える。


「食事どきなんだからやめてくれよ……つーか、死体のくせに食うのか?」


 先ほどあれだけ怒号を飛ばしていたクロエは、先ほどのことなど何もなかったかのように話し出した。

 その様子を見てキャンゼルはホッとしている様子だった。


「食べないならどうやって脳にエネルギー供給してると思ってんの? 温室育ちの坊ちゃんは頭が悪いようね」

「アナベル、挑発しないで」


 僕はシャーロットが作ったナイフとフォークで肉を切りながらそう言う。

 険悪な雰囲気というべきか、重い空気と呼ぶべきか、明るくはない空気で食事の時間は進んで行く。

 元々それほど美味しくない肉が、更に美味しくなく感じた。


「ところで、明日から魔術式の解析するんでしょ? ていうか、もっと異界の話聞かせてよ」

「明日から本格的に解析作業するよ。異界の話って……何が聞きたいのさ」

「魔王についてとか、もっと詳しく色々よ」

「…………悪いことに使うんじゃないだろうな?」

「あたしのこともう少し信じてくれてもいいんじゃない?」


 そんな会話をしている間に、僕はさっさと食事を済ませてリゾンの分を持って地下へ降りるべく早々に席を離れた。


 あの何とも言えない気まずい空気に耐えられなかった。


 ――ただでさえ面倒な食事が、さらに億劫になるな……


 別々で食事を摂ってもいいだろうが、世界を作るという大義を行う為には協調性が必要だ。協調性を養う為には少しでも共同作業をするほうがいい。


 と……考えたのだが、これでは長くかかりそうだと落胆せざるを得ない。


「リゾン、ご飯持ってきたよ」

「くくく……どうした? 上で随分揉めていたようだな」

「聞こえていたのか……あぁ、世界を作るなんて共同作業ができるような状況じゃなさそうで参るよ」

「できもしないことをやろうとするな」

「できないかどうかはやってみないと解らないでしょう?」


 僕はリゾンの牢の配膳口に鹿の血と肉と果実を置いて中に入れる。


「ふん、せいぜい精進するがいい」


 あまりの上の空気の悪さに、まだリゾンと一対一で話をしている方がマシにすら思えた。

 しかし、やはりリゾンにそう簡単に気を許す気にはならない。


「私が恐ろしいか?」

「まぁ……ね」

「殺されかけたのだから、当然だな。お前を殺せなくて残念だ」

「……殺されかけたことについては別に……今まで魔女にも何十回も殺されかけてるから……」

「ほう?」


 殺されそうになったことよりも、凌辱されそうになったことの方が僕にとっては恐ろしいと感じることだった。

 しかし、それを言うと弱みに付け込まれると考え、口には出さなかった。


「…………今は上の空気の方が恐ろしいよ」

「……馬鹿を言うな。何故魔女の小言を聞かねばならんのだ」

「そうだよね……」


 リゾンの前から離れ、僕は階段を登り始める。チラリとリゾンを見ると、彼も僕を見ていた。

 何を言うでもなく、視線を前方に戻し、再びあの重い空気の渦中に戻って行った。




 ◆◆◆




【翌日】


 ベッドで目を覚ますと、見慣れない部屋の風景が目に入った。

 窓のない暗い部屋だ。今の時間も外の光が入ってこないから解らない。まだ夜かも知れないし、もう朝になったのかもしれない。


 たった1人になるのも久しぶりだ。

 ここ最近はずっとガーネットがいつも一緒にいたし、異界ではガーネットは同じ部屋にいた。

 ベッドの柔らかさに、ご主人様を思い出す。

 片時も彼を忘れることなんてなかった。

 楽しかった思い出も、辛かった思い出も、なんだか物凄く遠く感じる。


 ――会いたい……今、どうしているだろうか……


 レインと上手くやれているだろうか、食事はきちんと摂れているだろうか、町の住人と揉めているのではないか。

 考え始めると僕は悲しくて感情が抑えきれない。


 ――僕は、傍にいたいだけなのに……


 ベッドの中で丸まって自分の身体を抱きしめると、暖かかった。

 何もしないでこうしていると、色々なことを考えてしまう。

 僕はこれ以上ベッドの中にいると感情が溢れてしまいそうだったので、部屋から静かに出た。

 外はまだ暗い。

 明るくなり始めてもいないようで、夜中だということを理解する。足音を立てないようにゆっくりと階段を降りて外に出た。

 外に出ると虫の鳴き音が静かな闇に響いている。

 僕は魔術式を構築し、レインに呼びかけることにした。できるだけ静かに語りかける。


「レイン……レイン、聞こえる?」


 レインには会いに行くけれど、ご主人様に会わないようにしなければならない。

 その想いが僕の心を蝕む。

 レインの姿は見えたものの、眠っているようだ。どうやらご主人様の家の、僕が薬剤を調合するのに使っていた部屋にレインはいるらしい。


「レイン……聞こえる? 応えて……」


 レインに僕は呼びかけた。僕の声にレインはピクリと身体を動かした。

 閉じていた目を開くと、首についている僕の羽の魔力に反応する。


「ノエル……?」

「僕だよ」

「ノエル!」


 レインがはしゃぐので僕は静かにするように懸命にお願いした。レインは興奮している様子だったが、なんとか落ち着いてくれた。

 大声で騒いだらご主人様が起きてしまう。


「レイン、話があるんだ。今日、日が昇って天上に来たとき一人で指定した場所まで来て。彼には気づかれないようにね」

「うん。わかったよ。でも……本当にいいの?」

「いいって、何?」

「あの人間、ノエルにすごく会いたがっていたよ?」


 レインの言葉を聞いて、僕は感情を抑え込むことに必死になった。

 ここで泣き始めたらレインに心配をかけてしまう。僕は少し沈黙した後に、レインに返事をした。


「……うん……会えないんだ。大丈夫……」


 ――少し……少しだけなら……


 駄目だ。

 少しだけなんて、そんな気持ちでは駄目だ。

 それにレインに持たせているこの羽も、きっとご主人様には毒になってしまう。

 こんな風に離れて話すときですら魔術を使わないとできない。


「レイン、僕、異界に行って魔王様に会ってきたよ」

「うん! ぼくのお父さんもいた。今度はぼくと一緒にいこう」

「そうだね、レインを異界に帰してあげないとね」

「ぼくと一緒にいくの! ぼくのお父さんにノエルを紹介するから」


 無邪気なレインの声を聞いていると、まるでこの凄惨な現実が嘘かのように感じる。

 今は上手くいっていないことも、必ずうまくいく……そんな気持ちになってくる。


「一緒に行くよ。楽しみにしてるね」


 少し無理をして、僕は笑って答えた。

 レインは嬉しそうに笑っている。


「じゃあ、レインと初めて会ったあの場所へ来てほしい。くれぐれも、彼には気づかれないようにね」

「うん、わかったよノエル。楽しみにしてるね!」


 僕はレインとの会話を終えて、魔術式を消した。

 再び静寂が訪れる。もうベッドに戻っても眠れそうにない僕は夜空を見上げた。

 夜空には星が輝いているのが見える。この星の数だけ、こことは違う世界があるのかと思いを馳せていると、背後に気配を感じた。


「どうした?」


 案の定、ガーネットがそこにいた。

 彼は昼間にあれだけ活動していたにもかかわらず、夜にも眠らないようだ。

 昼間に連れ回してしまっている分、ガーネットは疲労を感じているはずだが、大丈夫なのだろうか。


「眼が冴えちゃって……レインと少し話をしていた」

「眠らなくて大丈夫か?」

「ガーネットこそ、昼間活動している分つらいんじゃないの?」

「私は大丈夫だ。そんなに貧弱ではない」


 僕にはそれが強がっているように見えた。

 どこか無理をしているような、そんな気がする。


「そうかもしれないけど、僕はガーネットのこと心配なんだから休める時に休んでよ」

「……私がお前のことを心配なのだ。無鉄砲で困る」

「あはは、そう心配してくれなくても大丈夫だって」

「お前は無理をしすぎる……お前が魔術を使って命を削らずに済むよう私がいるのだ。ありがたく思え」

「…………」


 その暖かい言葉に僕は微笑んだ。

 心配してくれている、彼の柔らかい表情を見ながら、僕は再び星空を見上げる。


「今日、早くに出発するからそれまで十分に休んでおいて。僕も少し眠ることにするよ」


 僕が彼の横をすり抜けようとすると、腕を掴まれた。


「……ノエル」

「なに?」


 金色の髪の隙間から見える赤い瞳は、僕を直視せずにせわしなく動いて行き場を失っているように見えた。


「いや……困ったことがあったら私に言え」

「困った事か……全員が仲が悪いことかな」


 苦笑いでそう答えると、ガーネットも困ったような表情をする。

 自分にも思い当たる節があるのだろう。


「まぁ、事がなしえるなら仲が悪くてもいいけどね」

「あの白トカゲが……お前は私たちが争うと悲しむから争うなと一喝したことがある」

「レインが……? いつ?」

「お前が魔女の街から気絶しているときだ。それから……できるだけは……争わないようにしているのだが……すぐに性分は変わらないな」


 僕から視線を逸らして、気恥ずかしそうに彼は言う。

 シャーロットがレインに言われたことがどうのこうのと言っていたのはこのことらしい。

 一応喧嘩しないようにしてくれていると思うと、僕は嬉しく思った。


「そうか……気にしてくれてるのか……ありがとう、ガーネット。嬉しいよ」


 ガーネットは何か言いたげであったが、僕はそれに気づかずに家の中に戻った。

 自分の部屋までたどりつき、寝具以外何もない空間を見つめ、僕は再びベッドに入った。

 目がさえてしまったと思っていたが、再び眠気に襲われる。


 ――レイン……ちゃんと来てくれるかな……


 僕が眠りについたころ、僕の部屋の外ではガーネットが佇(たたず)んでいた。

 扉の前でかすかに聞こえる僕の寝息を聞きながら、自分の首元に触れる。柔らかい羽の感触が彼の指に伝わった。


「……大丈夫だ……暫く血を飲まなければ収まる……」


 闇夜にその声は消えていった。




 ◆◆◆




 日が昇った後、僕はキャンゼルとガーネットが話す声で目が覚めた。


「まだ寝ているの? 朝ごはんの用意ができたわよ」

「私が起こす。お前は下へ行っていろ」

「本当に偉そうな吸血鬼ね……」


 階段を降りる音と扉が開く音が聞こえて、僕は目をうっすら開け、首だけガーネットの方に向けた。


「おはよう……」

「なんだ、起きていたのか?」

「今起きたところ」


 身体を起こして伸びをするが、まだ少し眠い。


「行くから、先に下で待っていて」

「……あの空気にどうも馴染めなくてな……」

「あはは、そうだね。みんなちょっと複雑な関係だから」

「…………早く支度をしろ。行くぞ」


 支度とは言っても、髪の毛を少し直すくらいしかない。

 乱れている服を正し、髪の毛を乱暴に結ぶとガーネットと一緒に一階に降りた。既に食事がいくつかテーブルに置かれている。


「ノエル、おはようございます」

「おはようノエル」

「おはようシャーロット、アビゲイル」


 アナベルはぐったりとテーブルに突っ伏している。

 キャンゼルは一生懸命火を起こしていた。クロエは退屈そうに座っていたが、僕を見るなり立ち上がって近寄ってくる。


「よう、起きたか」

「おはようクロエ」

「留守は俺たちに任せておけ」

「ありがとう」


 テキパキとシャーロットたちが準備をしてくれたため、すぐに僕は食事につくことができた。

 全員が並んで食事をしているが、朝は喧嘩をする元気がないのかみんな他愛のない雑談をしつつ食事をしていた。


「僕らは食べ終わったら馬を回収しに行くから、僕らが帰ってくるまで世界を作る魔術式の解析をしていてほしい」

「まっかせといて~。あたしがやればすぐ解決するわ」

「はい、私も尽力します。ごめんなさい、私が馬から目を離してしまったから……」

「別にいいよ。レインにも会いたかったし」


 食事を済ませ、リゾンの分を持って地下へ降りた。檻の中に入っているリゾンは壁にもたれかかって静かにしている。


 ――眠っているのか?


 起こさないようにそっと近づく。銀色の長い髪が暗闇で見ても美しい。

 黙っていれば綺麗な顔をしている青年だが、そうするとやはり左目の傷が気になる。

 ご主人様と同じ髪の色と、ご主人様に似ている横暴な性格などが尚更僕を落ち着かない気持ちにさせる。

 僕は配膳の口に食事を置いた。昨日と変わり映えしない獣の血液とその獣の肉と少量の野菜だ。

 昨日の食器には動物の骨と、容器に付着している乾燥した血液だけが残っている。

 どうやら食事は全部食べたらしい。


「やっときたのか」


 急にリゾンの声がしたので、僕はビクリと身体を震わせた。

 僕が驚いているのを見てリゾンはニヤリと笑っている。

 ため息を吐きながら「起きているなら起きているって意思表示してよ」と小言を言った。


「ここは退屈だ。何か差し入れろ」

「何かって、何?」

「そうだな……弄んで楽しむ用の魔女などどうだ?」


 相変わらずの憎まれ口に対して、僕は呆れながら背を向けて地下から出る。

 後ろからリゾンの笑い声が聞こえ、不安な気持ちになってきた。


 ――やっぱり苦手だ……ご主人様にどことなく似てるところも苦手だ……


 僕が怪訝な表情をしているところにガーネットが声をかけてくる。


「ノエル、行くぞ」

「うん。シャーロット、食器の片付けお願いしてもいいかな? 僕らはもう出るから」

「はい。お気をつけて」


 下げてきた食器をシャーロットに手渡し、外に出たガーネットを追った。


 ――退屈か……


 確かに地下で、何もすることもないと退屈だろう。

 人間の精神症状として「拘禁反応」というものがあると聞いたことがある。閉鎖的な空間で長期間自由を拘束されると、精神に異常をきたすことがあるという。


「ガーネット、あのさ」

「なんだ?」

「吸血鬼族の若者というか、子供というか、何をして遊ぶのが好きなの?」

「なんだ急に……」

「リゾンが退屈だって言うから、何か差し入れようかと……思って……」

「は?」

「えーと……なんにもすることがないと、悪だくみとか計画されると嫌だし……それに、僕もずっと閉じ込められていたから、そのつらさが分かるって言うか……」


 しどろもどろに僕がそう言うと、ガーネットは完全にあきれた様子でため息をついた。


「はぁ……正気かお前は……そんなことは気にせずに放っておけばよいのだ。情をかけるな。つけこまれるぞ。あいつはまがりなりにも高潔な吸血鬼族なのだ。拘束されているだけで辛いなどとは言い出さない」

「そう……だよね……」


 そうはいいつつも、何か差し入れられるものがあるかを考えながら、ガーネットと共にご主人様のいる町へと向かった。



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