第33話 死の見えざる手




 魔王様の話す、セージの話を聞いていて僕は涙がでてきた。

 魔王様の御前だというのに、涙を留めることができなかった。ハラリハラリと涙は僕の頬を伝って落ちていく。

 落ちた涙は僕の着ていた法衣をわずかに濡らした。


「傷ついたか? お前を存在から否定し、あまつさえ殺そうとしていたからな。無理もない」

「……いいえ……」


 僕は涙を拭いながら、なんとか落ち着きを取り戻した。ガーネットは心配そうに僕の方を見ていたが、言葉をかけてはこない。


「ならばどうした……?」

「僕が生まれる前からセージは、僕を心配してくれていたのだと思うと……」

「生まれる前から存在を否定されたことが悲しいのか?」

「そうではありません……確かに、セージの言う通り僕は……魔女にもなれず魔族にも……当然、人間にもなれず……迫害を受けてきました」


 両親が殺されてからずっと、僕は何にもなれず生きてきた。

 今も自分がなんなのか解らない。


「うまく言えませんが、セージはいつでも正しかった。幼い僕には解らなかったのが悔しくて……セージに……謝りたいことが沢山あります……」

「……なんと謝りたいのか、聞いてもよいか?」


 謝りたいことが沢山ありすぎて、何から謝っていいか解らなかった。

 ほんの些細なこともあれば、取り返しのつかない事柄も色とりどりのセージとの日々が思い起こされる。


「セージの本を破いたりして困らせたこと……」


 ぽつりぽつりと途切れた言葉で話し出す。


「外に出たいと何度も……ワガママ言ったこと……」


 些細なことが沢山あったけれど、どれもこれもセージは僕をきつく叱ったりしなかった。


「晴れていたのに大きな落雷の音がして……外に出たら……男の子の魔女がいたとき……無理を言って連れ帰って困らせたこと……」

「なぜその男児を連れ帰った?」

「物凄く怯えていて……一人ぼっちでいたから……」

「……続きを聞こう」


 意識のないクロエを連れ帰ったときは「捨ててこい」と言われた。

 確かに、捨ててきたら良かったと今になって思わない訳ではない。でも、僕が拾わなかったらと考えたら……あれも仕方がなかったとも思う。


「一番謝りたいのは……ッ…………セージが……殺された日……セージとけんか……ッ……喧嘩して……家を出てしまったこと……」


 そこまで言い切ると、胸が苦しくて息をするのもやっとの状態になっていた。


「僕が家にいたら……守れたかもしれないのに…………セージに……セージに謝りたい……」


 誰にも言えなかったその言葉を吐き出しきると、ほんの少し気持ちが楽になったような気がした。

 こんな話、誰にも言えない。

 人間にまぎれて暮らしていた僕には、話せる相手など僕の周りにはいなかった。


「子供とは大人のいう事を聞かぬものだ」


 魔王はガーネットの方をチラと視線を送る。


「しかしな、セージはお前のことを愛していたぞ」

「……魔族はそういった感情を持たないのではないのか……?」


 ガーネットが納得いかない様子で魔王様に問う。


「そうだな。あまり“愛情”を持つものはいない。効率的でもなければ生産的でもないからな。だが、たとえ非効率的だったとしても、その感情は膨大なエネルギーになる。人間や魔女が反映したのはその感情を強く感じるからだと私は考える。それは別として、セージはノエルを何かに利用しようと思って育て、そばに置いたわけではない。それは解るか? ガーネットよ」

「………………」


 なんと返したらいいか解らない様子で、ガーネットは黙ってしまった。


「セージはな、変な奴であったが各魔族に一目を置かれ、信頼されている存在であった。年老いてもこちらの世界の秩序を守るかなめとなっていた。そのセージきっての願いだ。お前を信用する他なかろう。ノエルよ、お前もセージを愛していたのだろう」


 泣きながら、僕は頭を縦に振る。


「セージが元の……むこうの世界を求めていたことは知っていた。だから三賢者という肩書はあれど、私はセージに向こうの世界にいることを許可したのだ。他の魔族には秘密にしてな。定期的に連絡をしろと言っていたのだが、セージのやつはろくに異界に帰ってこないで子煩悩になっていたようだ。よほどお前が可愛かったのだろう」


 魔王様の言葉に押させるように涙がボロボロと落ちる。

 何千年も生きている者から見て、僕はどのように映っているのだろう。魔王様は泣いたりするのだろうか。

 人間や魔女が生きる長さよりも、ずっとずっと長い間生きている。

 セージにとって僕はどう見えていたのだろうか。


「察するに、ノエルよ。お前は何か愛する者の為に魔女を隔離したいと願うのだろう?」

「はい……」

「聞かせてはくれないか。それほどまでに身を危険に晒してまで愛する者は誰なのだ?」

「僕を……魔女から助けてくれた……人間です……」

「そうか…………イヴリーンも、人間を愛していたものな」

「…………」

「しかしな、イヴリーンは魔族であった父のことも深く愛していたのだ」


 意外な言葉に僕とガーネットは下を向けていた顔を上げた。


「え……」

「魔族は人間の脅威に晒されていた。人間は自分たちに都合のいいように伝えているかもしれないが、魔族は人間の手によって根絶やしにされるという計画があったのだ」

「魔族が人間に滅ぼされるなどありえない……!」


 ――確かに……生身の人間では弱いけれど……


「化学兵器というものを人間が作った。あれは無差別に生き物を殺す。人間は恐ろしいものを作るものだ。我々魔族も人間を襲って食事にする者がいたのもまた事実。人間は我々を排除しようとした」

「化学兵器……何十年前かに魔女との戦争で全て破壊されましたよね……」

「そうだ。激しい戦いになったせいで元々の大地の大半が海に沈んだと報告を受けている。フフフ、こちらの世界とあちらの世界も、大地の表面積的には大して変わらないのではないか?」


 確かに……生まれた時からあの状態で、特別違和感はなかったが昔ほど大勢の人間もいなければ、大地も緑を失い砂漠と化しつつある。

 これは魔術ではどうにもできないことらしい。


「イヴリーンは父や他の魔族を人間の手から逃がすため異界というものを作り、そして世界を隔した。そう大昔は魔族全土に伝えていたのだが、美しい世界を我々から奪ったのもまた事実。怨嗟がたぎり、憎しみだけが残ったというわけだ……まぁ、確かに、こちらの世界創造においては、世界の造形センスが劣悪と言わざるを得ないがな。色々な種族が住めるように気候も、地形もバラバラにはなっているが……――――」


 ――そう……だったんだ……


「イヴリーンの父はどうなったのですか……?」

「奴は私の中にいる。融合したのだ。だから私も“愛情”というものを理解するに至った」


 愛情とはなんだろう。

 人間の作った辞書では『そのものの価値を認めること』『かわいがること』『いつくしむこと』『大事なものとして慕う心』


 ――それから……


『無償で相手を想う気持ち』


 とある。


 ――“無償”なんてこと、あるのだろうか。見返りを求めないことなんて、できるのだろうか。無意識に、何か見返りを求めているものだ


 それがどんな形であれ――――


「…………さて……ノエルよ。死者を生き返らせる魔術は禁忌とされているが」


 魔王様はいくつもある顔の一つ一つとボソボソと会話をしていた。

 ひとつの個体になっていると聞いていたのに、まるで別々の意思があるようだった。


「ノエルよ……死者を生き返らせることはできないが、その祈りを死者へ送る術を教えても良いぞ。お前は悪用しないだろう」

「え……そんなこと……できるんですか……?」

「……秘密を守れるか?」

「はい……教えてください」


 立ち上がり、僕は魔王様に頭を下げた。


「ガーネットよ、お前も聞きたいのではないか?」

「………………」

「まったく……ノエルという半身の素直さを少しは学ぶがいい。その傲慢さが、後悔の道へと走らせるぞ」

「うるさい」


 そう魔王様の言葉を突っぱねてそっぽを向くガーネットを見て、僕は彼の隣に座り直した。

 彼の服のすそを軽く引っ張る。


「?」


 無言で僕らは見つめ合った。

 僕が何も言わないまま彼をじっとその目で見つめると、どうやら何が言いたいのか解ったらしい。

 眉間にシワを寄せて嫌そうな顔をして、また顔をそむけた。今度は僕が眉間にシワを寄せて、ガーネットの顔を無理やり自分の方に向けさせる。

 両手でガーネットの顔をがっちりと掴む。


「な、何をする馬鹿者ッ! 放せ!」

「嫌だ」


 きっぱりと断ると、ガーネットは僕の両腕を掴んで逃れようと暴れていたのをやめた。


「僕は……馬鹿者だったけど、ガーネットまで馬鹿者になる必要はないでしょう」

「………………解ったから放せ」


 そう言うから、僕は手を放した。

 ガーネットは言いづらそうにまた難しい表情をしながら魔王の方を向いた。


「早くその……死者に祈りを伝える方法とやらを私たちに教えろ」


 ぶっきらぼうにそう言う彼に、僕は少し笑顔になる。

 ガーネットは笑顔になった僕を見て「笑うな」と不機嫌そうに言って僕の顔を「仕返しだ」と言わんばかりに片手で頬をつまみ上げる。


「にゃにしゅるんだお(なにするんだよ)……」

「お前のその笑顔がかんに障ったのだ」

「うぅ……ひゃまにはがーねっひょもわらっへよ(たまにはガーネットも笑ってよ)……!」

「やかましい!」


 魔王の御前だというのにガーネットと僕は言い合いをやめずに小競り合いをしていた。


「ははははははは!」


 僕らが目の前でどうしようもない喧嘩をしていたのを見て、魔王様は笑い出す。

 大広間が振動するほどの豪快な声だ。


「おい! 貴様まで笑うな! 顔を引きはがされたいのか!!」

「はははははは……フフフフ……やれやれ、良かろう。死者に祈りを伝える方法を教えよう。少し待つがよい」


 魔王様は小鬼に何か呼びかけると、小鬼は部屋から出て行った。


「その様子では、いつも喧嘩をしているようだな」

「ノエルが正気ではないからだ。いつも無理難題を言う」

「でも異界に来て良かったでしょう?」

「何度も死にかけたのに呑気なやつだ」

「よい関係ではないか」

「他の魔女よりマシなだけだ」

「たまには『好きだ』くらい言ってくれてもいいのに。いっつも『他よりマシ』とか『仕方ない』とかばっかり」

「…………!」


 反論がすぐ帰ってくると思ったが、ガーネットは反論してこない。

「どうしたの?」と聞こうとしたが、聞こうとした矢先に小鬼が帰ってきたので、そう問うことはなかった。

 やっと帰ってきた小鬼は何かガラスケースのようなものを持っていた。中には半透明で、且つ燃えているような蝶が二羽入れられている。

 青色から緑、黄色、橙色、赤、紫、そして再度青に戻るその炎のような羽は、宝石のように輝いていた。


「誰にも言うな。これは世界の秘密なのだ。解ったか」

「はい」

「この、異界に生息する『死の見えざる手』と呼ばれる蝶は、『死の世界』と繋がっている」

「死の世界……?」

「世界は、向こうの世界と、こちらの世界だけだと思っていたか?」

「!」


 確かに、イウリーンが世界というものを別次元に作るという概念を考えれば、もう一つ、いや、いくつもの世界があるとしても不思議とは言えない。

 それにしても世界がいくつもあるとは、物凄い秘密を知ってしまったと僕は言葉を失う。


「本来であれば絶対に侵してはいけない世界だ。人間や魔女が想像している死後の世界とは少し異なるが、近いものでもある。そこは亡くなった当人や、その相手に対する現世に生きる者の強い後悔、未練というものがくさびとなり、自我の塊である『魂』というものをとどまらせる世界なのだ」

「それって……人間のいうところの“成仏できない”というものに近いのでしょうか」

「概念としてはそうだな。だが、知られることのない世界だ。死者に干渉しようとすると、世界の均衡が崩れてしまう」

「………………」

「現世に生きる者の後悔や未練がなくなり相手を見送る気持ちになったり、あるいはその現世の者が死ぬと死の国で共に出会い、そしてその『魂』というものは安らかに眠りにつき、大地へ還って行くのだ。これがどの世界でも共通の規則」


 ならば、僕がずっと後悔や未練を抱いたままでは、セージが眠りにつけないということなのだろうか。

 そう思うと、ずっと後悔していた僕は尚更申し訳ない気持ちになってくる。


「生きる者は相手のその強い願いに気づかないようだ。自分がどれだけ愛されているか。己の為に生者が感じる強い後悔や悲しみは、死者になり魂という純粋な自我でしか感じられないのだ。そして大抵の死者はその生者の怨嗟に似た激しい願いに『自身を忘れ幸せになってほしい』と願う。死者は“死”に囚われた生者の祈りを悲しみ、そしてその祈り同士が複雑に絡み合って『絆』はほどけないものになって楔となる。皮肉なものだろう」


 まさにそれは『絆』という言葉に相応しいものであった。

 断ち切ろうとしても、容易に断ち切ることのできないしがらみそのものだ。


「ノエル、それにガーネット。そうは言っても気持ちというものは理解を超越し、潔くはなれないものだ。だからこの『死の見えざる手』を使い、祈りを届けることを許可しよう。この蝶は死の世界に半身がおり、よどみない強い祈りを受け取ると眩いほどに発光する。死の世界のもう半分の蝶は祈った対象へとたどりつき、その強い祈りを届け、安息を与えるのだ」

「そんな夢のようなことが……」

「とはいえ、流石に祈りだけでは相手には届かない。祈る相手の一部が必要となる」


 相手の一部が必要と言われた瞬間、僕はシュンとする。

 セージの身体の一部なんて持っているわけがない。僕はセージの本ですら回収できなかったのだから。


「セージの一部など持っていないと、そう考えているな?」

「はい……僕は無理です。ガーネットだけでも――――」

「セージの遺骨なら、我々が回収して墓に収められている。だからそう残念そうな顔をするな」

「え…………どうやって…………」

「セージは死んだあと、心停止か何かがきっかけとなり異界へと転送する自動発動魔術を自身にかけていたのだ。まったく……憎らしいほど抜け目のないやつだ。遺骨は翼人の墓地に埋葬してある。その蝶を持って行け。相手の一部を蝶と重ね、強く祈ればよい。強い祈りで無ければ届かない。よいな」


 小鬼がガラスケースに入っている蝶を渡してきた。手の平程の蝶は、少し大きめな硝子ケースに2羽が羽ばたいている。


「私の城の中庭にかくまっている。強く祈る者は魔族にはそうそうおらず、絶滅しかけていたのだ。悪用されても困るからな。私が管理しているのだ」

「に……逃がさないように気を付けます……」

「大丈夫だろう。その蝶たちはお前たちが気に入ったようだ。入れ物から出すがよい」


 恐る恐る僕が硝子のケースの蓋を開けると、2羽の蝶はヒラヒラと飛び、僕の頭にそっととまった。ガーネットの肩にもう1羽がとまる。


「さて、長話が過ぎたな。この術式が世界を作った術式だ」


 魔王様は羊皮紙のような材質のものが丸められているものを、僕に差し出した。大きなその手にちょこんと乗っているものを、僕は両手で頭を下げながら受け取る。


「術式の式は解るが、その解読は魔女でなければできない。持って行くといい」

「ありがとうございます。大変な秘密まで教えてくださって、なんとお礼を言って良いやら……」


 蝶が僕の頭に、美しい飾りのようにとまっている。炎のように羽が揺らめいているが、熱くはない。


「あぁ、そうだな。冒頭に述べた最後の礼を言うとしよう」

「いえ、そんな……当然のことをしただけですから、これ以上頭を下げられては……他の魔族に示しがつかなくなってしまうのでは……」

「下げる頭がついていれば下げることもできよう。魔族の王だからこそ、下げねばならないときはある」


 真剣な瞳で見つめられ、僕は魔王様の威厳にかけてそのお礼を断ることができなかった。


「はい……解りました。魔女の代表として、そのお言葉をたまわります」

「フフフ……本当にセージに似合わぬよい子に育ってくれて嬉しいぞ。最後の礼は……」


 魔王様は僕の目を真っ直ぐに見つめる。


「お前の相棒の吸血鬼の心を救ってくれたことだ」

「!」


 ガタンッ


 ガーネットは突然立ち上がり、出口の扉の方へ真っ先に向かって行ってしまった。


「知ったような口を聞くな。魔王風情が」

「(ガーネット……待て……)」


 呼び止められたガーネットは、一応その指示通りに脚を止めた。


「(気づく……許容……)」

「………………うるさい」


 そう吐き捨て、バタンと扉を乱暴にしめて僕を残したまま出て行ってしまった。

 しかし、魔王様に向かって“魔王風情”などとは本当に言いたい放題である。一人残された僕は冷や汗が出てきた。


「あの……ご、ごめんなさい。本当は良い人……じゃなくて、いい吸血鬼なんですけど、素直じゃないところがあって……その……本当にごめんなさい!」


 深々と頭を下げると、魔王様は笑っていた。


「フフフ、解っている。あの吸血鬼を頼むぞ、ノエルよ」

「はい」


 一度あげた頭を一礼するためにもう一度下げ、僕はガーネットを追いかけた。


「あやつも変わったな……セージを変えたように…………子煩悩になるのも無理はない」


 魔王様の独り言は、誰にも届かずに大広間に響いて溶けていった。




 ◆◆◆




 城から出た僕らはどちらの墓所へ先に行くかという話をしていた。


「先にラブラドライトの方へ行こうか」

「お前が先でよい。セージのことを随分待たせているのだろう」

「でも……」

「やかましい。ソワソワされていると私が集中できない」


 そう言って、ガーネットは僕を突然抱き上げた。


「ちょっと……! なに!?」

「そう悠長にしていられないだろう。さっさと行くぞ」

「自分で歩けるよ!」

「まったくうるさい奴だ。お前の歩く速度ではいつまでかかるか解らないだろう。それなりに遠い場所だ。おとなしくしていろ」

「でも……」

「黙っていろ」


 ガーネットは僕を抱えたまま走り出した。

 今までは片腕で後ろ向きに抱えられることが多かった分、両腕で抱えられるようにされるとなんだか変な感じがする。

 緊急事態時にやむを得なく抱えられることが多かったが、こうして彼の意思で抱きかかえられると変に意識してしまって落ち着かなかった。

 だが、僕がそう考えているのもつかの間、あっという間に翼人の墓所についた。

 沢山の緑と、そして白い花が風に揺れてそよいでいる。良い香りが風に乗ってやってきた。


「ここだ」


 ガーネットの腕の中から見るその花畑は美しかった。幹から小さい花がいくつもついている。優しい香りがして、それは僕の知っている匂いだった。

 セージが好んでいた花だ。いつも本を読みながら、時折その可愛らしい花と、美しい香りを愛でていた。


「綺麗……スズランだ……」

「スズラン? 花の名前か?」

「そう……可愛らしい見た目とは裏腹に、強い毒がある」

「…………――――るな」

「え?」

「なんでもない。さっさとセージの元へ行け」


 聞こえなかったけれど、僕を降ろして背中を押した。

 一面に咲き乱れるスズランの中に、一つ大きな墓標が立っていた。そこには異界の言葉で確かに「セージ」と書いてある。

 たもとに咲き乱れるスズランを優しく掘り返し、隣にどけると骨が出てきた。手の骨だ。胸の上に重なるように置いてあるようだった。

 どの骨でもよかっただろうが、僕は頭蓋骨を掘り返した。

 セージの一番の特徴は三賢者ともある賢い頭脳。肉の部分は残っていないけれど、あの賢い頭脳はその頭蓋骨に入っていた。


「セージ……」


 墓を荒らしているようで気が引けたし、それよりもセージの骨だと思うと僕はまた目頭が熱くなる。

 彼の頭蓋骨を見た時、優しく笑っていたセージの表情が脳裏によみがえり、胸がつかえるような感覚に陥る。

 土に埋もれていたその骨を手ですくい上げて土を払うと、僕はその頭蓋骨を抱きしめた。

 蝶はずっと僕の頭にいたが、セージの頭蓋骨へとヒラヒラ舞い降りる。


「お願い……セージ…………届いて」


 強くそう祈ると、蝶は七色に眩く発光しだした。

 暗い森の中をまるで昼間のように明るく照らし、白いスズランはその七色の光で虹色に色づく。

 ガーネットと僕はその眩しさに目を覆った。




 ◆◆◆




 ひたすらに黒がひろ広がっている。

 黒以外はない。

 一筋の光もささない暗闇に自分の身体があることは解った。

 ここが生者のいるところではないということだけは解る。

 私はあの雪の舞う日、ノエルを遺し死んでしまった。

 死んだらそのまま何もかもが途絶えると考えていた私にとっては、意外なことであった。

 ずっと想われているということは、幸せなことだ。

 しかし、その想いは死者を縛る楔となり魂に絡み付く。私の身体にまとう糸のような思念からは、ノエルの深い後悔と悲しみが伝わってくる。

 細いのに断ち切ることができない悲しみの紡がれた糸だ。


 少し、こちらの気持ちが伝われば良いのだが……


 そう思っても、深い深い悲しみは私に伝わってくるばかりで、心臓の弁のように逆流したりしないようだ。

 随分長い間、その後悔と悲しみが伝わってきていた。私が死んだ直後は強かったが、徐々にそれは和らいでいった。しかしその悲しみが失われることはない。

 恐らく毎日、一時は別のことを考えてはいるが、私のことを忘れる時などないのだろう。


 厳しくしたのが裏目に出ただろうか。


 何か心的外傷後ストレス障害を抱えてしまっているとしたら、それは私のせいもある。

 しかし、後悔と悲しみの思念は伝わってきても、他にどう思っているかは解らない。怒っているか、憎んでいるか、そういった部分は解らなかった。

 ふと、その真っ暗闇の遠くに光が見えた。


 なんだ?


 ここにきて初めての現象に驚いた。

 その光は徐々に大きくなって、私の方へ近づいてきている。

 虹色に輝くそれは、炎のように見えたが動きは蝶の飛ぶようだった。なんなのかは解らないが、やけに暖かい感じがする。

 近くまで来たそれは、はっきりと蝶に見えた。七色に輝いている蝶だ。羽は炎のように揺らめいている。そして半透明だった。

 暗闇で唯一輝いているそれがなぜ半透明だと解ったかというと、その羽の奥に違うものが見えたからだ。


 ノエル……!


 彼女がいる場所にはスズランが咲き乱れていた。

 薄暗いその場所は、蝶を中心に輝き明るく照らされている。


 ――セージ……謝りたいことが沢山あるの……


 ノエルの声がした。

 最愛の者の声を久々に聴いた私は、何が起きているのか解らなかったが、その声に応えようとしたが声がうまく出せない。

 ずっと黙ったままであったから、声の出し方を忘れてしまっているようだ。


 ――セージの本、破ってごめんなさい……僕、結局謝れないままだった……


 そんなことは、もうどうでもいい。ノエル、私の声が聞こえるか?


 声を出したつもりだったが、自分には聞こえなかった。もしかしたら声が出ていないのかもしれない。

 そう考えている間にも、ノエルは話し続ける。


 ――いつも我儘言って困らせてごめんなさい……ッ……外なんて出なければ良かった……セージの言ってたことは正しかった……僕が馬鹿だったよ……ッ……聞こえてる? セージ……


 違う。馬鹿だったのは私の方だ。


 聞こえていると返事をするが、その返事はノエルに聞こえていないようだった。

 ノエルが言葉をつまらせながら、潤む目からなんとか涙をこぼすまいとしている姿に胸が痛む。


 ――あの日……セージに花をあげようと思って……飛び出しちゃってごめんなさい……言い付け守れば良かったって……ずっと思ってた……


 魔女の襲撃があった日のことか。

 2人で力を合わせて戦っていたらもっと違う結果になっただろうか。あの日、魔族の根底にある魔女への憎しみを暴発させたノエルは、惨たらしく魔女を次々と殺してしまった。

 自分の不甲斐なさが招いた結果だ。


 違う。ノエル、私が間違っていたんだ。閉じ込めるように育ててしまって悪かった……


 やはり声は届いていないようだ。私は無理矢理に声を絞り出そうとするが、上手く声量に繋がらない。


 ――それからね……異界にきて魔王様に世界の秘密を教えてもらったんだけど……


 異界だと……まさか、そのスズランは翼人の墓所にあるスズランか……?

 そうか……ノエルは今異界にいるのか……


 良く見るとノエルの後ろに何かいることに気づく。

 吸血鬼族だ。ノエルの後ろで腕を組み、彼女を見つめている。異界でこうして話をしているところを見ると、異界の者とは話がついたようだ。

 魔王もノエルに協力したということは、上手く話は進んだらしい。


 ――セージ……そこにいる? あのね……ずっと、後悔してたし、ずっと悲しかったし…………今でもセージに会いたいよ…………でも、その気持ちがセージをずっと拘束してたんだね……ッ…………セージ……


 ついに泣き出してしまったノエルを見て、私は力の限り思念の糸を振り払おうとする。

 雨が降っている様に感じた。しかし、その雨はやけに暖かい。

 するとその思念の糸は、今までびくともしなかったのにほころび始めた。


 ――ずっと……引き留めちゃってごめんね…………


「それは違うぞ、ノエル」


 私はその蝶の燃えるようなまばゆい光の中に吸い込まれた。




 ◆◆◆




 相手がその場にいない独白をしていることは、まるで人間がそうするように“神”というものに祈っているような気がした。


「セージ……そこにいる? あのね……ずっと、後悔してたし、ずっと悲しかったし…………今でもセージに会いたいよ…………でも、その気持ちがセージをずっと拘束してたんだね……ッ…………セージ……」


 堪えていた涙が溢れてしまう。

 ポタポタとセージの頭蓋骨に涙が落ちる。肩が震えて、声すら漏れだしてしまう。

 スズランの香りがする。

 ここにきてからずっとスズランの香りがしていた。セージが傍にいるような気がする。


 ――届いて……お願い……!


「ずっと……引き留めちゃってごめんね…………」


 そう言った後、蝶が一層強く輝いて目を閉じた。

 七色に激しく発光し、僕ですら目を開けていられなかった。

 すると僕の身体に暖かい何かの感触を感じる。

 まるで包まれているような……――――


「それは違うぞ、ノエル」


 懐かしい声がした。

 僕の大好きな人の声だった。

 信じられない気持ちでいっぱいになる。

 目を開けるとそこには虹色の美しい翼で僕を抱きしめるようにするセージの姿があった。

 向こう側が透けているせいで、スズランの花が虹色に見えた。


「セージ……!」


 優しい笑顔を見たら、想いが溢れて言葉が出てこなかった。

 抱きしめようとしても、その身体に触れることができずに僕の両腕は空をかいた。

 その虚しさに、僕は歯を食いしばるように悔しさを滲ませるしかない。それでも、目の前に確かにいるそのぬくもりが嬉しかった。


「本当に届いた……本当に…………ッ……!」

「そんなに泣くな。お前が先ほど祈った言葉、しかと聞こえたぞ。しかし、お前のせいではない。そんなに気負いするな。いいな?」

「僕のせいだったよ……出て行かなかったら……ッ! …………出て行かなかったら……僕は戦えた…………」

「私はお前に戦ってほしくなんてなかった」


 優しく僕の頭を撫でようとするが、やはり僕らの世界は交わらない。

 セージは僕に触れられない。しかしなんとなくな暖かさは感じる。これはセージの気持ちをそのまま温度として感じるのだろうか。

 この懐かしい香りは、彼のものなのか、あるいは周りに咲き乱れるスズランの香りなのか、区別することはできない。


「僕は……セージの言いつけ守ってた……傷つけたり……殺したり……しない方法を探したよ…………魔術……魔術を……使わないように……ッ……してた…………」

「そうか…………」


 僕がボロボロと泣いているのを見て、セージ自身も泣くまいと堪えている様子がうかがえた。


「でも――――……僕は、守るために……力を使うことにしたよ。守りたいものが……沢山できたんだ……」

「…………そうか……。その後ろにいる吸血鬼もその一人か?」

「そうだよ」


 セージが僕を包んでいた翼を広げると、まるでそれは夢を見ているかのように美しい姿だと僕は感じた。

 僕に見せる優しい表情ではなく、魔族として威厳のある凛々しい表情でガーネットの方を見つめる。


「私はセージ。かつては翼人の三賢者と呼ばれた者。吸血鬼よ、貴様の名前を問おう」

「…………私の名はガーネットという」

「私の娘を頼んだぞ」

「あぁ……」


 そう言うと、セージの姿が徐々により透明になって行っていることに気づく。燃え尽きるように消えかけているようだった。

 慌てるようにすがろうとするが、触れることができない。

 留めておけるほどの何かもない。


「ノエルよ……私はもう逝く。そう泣くな。最期に笑顔を見せてくれないか」


 こんな状況で、笑えるわけもない。

 それでも僕はセージの優しい笑顔につられるように、微笑みを浮かべる。僕のその不器用な笑顔を見たセージは、ずっと堪えていたであろう涙を一筋流した。


「お前が生まれ、会ったこと……短くとも共に時を歩み、私は幸せだった」


 蝶の輝きはやがて消えるようになくなっていく。セージの姿ももう消える刹那、最期の言葉を遺す。


「ありがとう……――――」


 セージの最期の言葉を遺して蝶は燃え尽きるように完全に消えた。僕の募らせていた後悔は蝶と共に消えていく。

 それでも悲しみは残響するようにあふれ出す。これが悼む最後の涙となるだろう。

 その涙はもう不条理に対する悲しみではない。

 激しい愛情の涙だ。



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