第32話 勇気





 魔王様が協力してくれると言ってくれてから、一晩が経った。正確には12時間程度経ったと言った方がいいだろう。

 異界では日の移り変わりなど解りはしない。

 僕があの後、入浴を済ませて倒れ込むようにベッドに入ってから、そのくらいの時間が経過したと、ガーネットが教えてくれた。

 僕はベッドのやわらかい感覚に溺れるように眠っていたようだ。ガーネットも同じ部屋で休んだらしいが、眠れなかったらしい。

 ガーネットも疲れていたはずなのにどうしたのだろう。




 ◆◆◆




【ノエル 12時間前】


 僕らは魔王城の大浴場に案内してもらった。小鬼に替わりの着替えを用意してもらい、血の付いた法衣を洗ってもらうことにした。

 大浴場につくと、魔王様が裕に入れるほどの大きな浴場であった。深さもかなりのものだったが、浅い部分もあり、僕らでも入れそうだった。


「入ろうか、ガーネット」

「わ……私は別にいい」


 一緒にお風呂に入るのが恥ずかしいのだろうか。動揺しているような素振りが伺えた。


「第一、どうして一緒に入る必要があるのだ? 別々に入ればよかろう」

「だって、どうせここには魔王様以外来ない訳だし、交代で入ってたら時間かかるし……」


 そう言うも、ガーネットは入りたくないという態度で拒み続ける。


「リゾンに捕まった時、僕の裸見たでしょ?」

「……見ていない」

「僕は……ガーネットの身体……見ちゃった……」

「なっ……!!!」


 その後の「この馬鹿者が」「変態魔女め」「お前のような子供の身体などどうということはない」「私の身体を見ようなどとは頭が高いぞ」などの罵倒の言葉を待っていたが、予想以上に動揺しているようでガーネットは何も言えなくなってしまっていた。


「冗談だよ。正直、よく見えなかったけど……身体中にあるんでしょ? その傷痕。見られたくないよね」


 上半身だけでも物凄い傷痕だらけなのに、脚の方もきっとひどい傷痕が残っているのだろう。

 誰にだって見られたくないものはある。


「でもお風呂は入らないと駄目。僕はあっち向いてるから、ガーネットはそっち向いて入って」


 僕が法衣に手をかけて脱ぎ始める。


「ば、馬鹿者! 急に脱ぎ始めるな!」


 くるりと僕とは反対側を向いて、脱いでいる僕を見ないようにしてくれた。


 ――何恥ずかしがってるのやら……


 僕は服を脱ぎ終わると、良いことを思いついた。


「ガーネット、こっちむいてみて」

「……何故だ」

「いいから、大丈夫だって」


 なかなか僕の方を向いてくれなかったが、僕がせがむと観念したようにガーネットがこちらを向く。

 すると血色の悪いガーネットは少しだけ顔が紅潮しているように見えた。


「ほらね、大丈夫でしょ?」


 僕は自分の翼でクルリと身体を巻いて、胸や性器が見えないようにした。

 それでもガーネットはすぐさま目を逸らす。


「もう……早くお風呂済ませて戻ろうよ。僕、もう眠いんだから……」


 そそくさと大きな湯舟からお湯をくみ出し、そして布で身体をゆっくりと洗う。その温かい感覚がやけに久しぶりな気がした。旅に出てからは水で簡単に汚れを洗い流す程度は時折していたが、お風呂にゆっくりと入る機会がなかったからだ。

 ガーネットの方を見ていなかったが、ガーネットも服を脱いで身体を洗おうとしている音が聞こえる。


「見るんじゃないぞ」

「解ってるよ」


 僕らは身体を洗い終えて、背中を向け合って湯舟の浅瀬に浸かった。疲れがお湯に溶けていくような気持のいい感覚がする。


 ちゃぷん……


 時折互いが動く音が、液体の音として聞こえる程度で会話はない。

 人間は『裸の付き合い』というものがあって、裸で腹を割って話すと打ち解けるという文化があるようだった。

 僕はご主人様と一緒にお風呂に入っても、何も打ち明けることができなかったということを考えると、暗い気持ちになる。


 ――うまくいくのかな……うまくいっても……僕はもうご主人様に会えない……


 レインと交信したときに聞いた彼の声を思い出すと、胸がズキリと痛んだ。別れ際の言葉の全てが鮮明に思い出されると、僕は涙をこらえることができなかった。

 声を殺して涙を流した。

 ガーネットに気づかれないようにしているつもりだったが、彼は僕の異変にすぐに気づいてしまった。


「ノエル?」


 呼び声が聞こえて、僕はハッとして冷静に息を吐き出す。


「……なに?」


 できるだけ普通に、声が震えないように、できるだけいつもどおりの声で言ったつもりだった。


「…………いや、私は先に出ているから好きなだけ入っていろ。扉の外で待っている」

「……もう少し入っていたら? 中々入れないよ。魔王様の浴場なんて」


 それも本心ではあった。嘘をついているわけではない。

 なのに、ガーネットはすぐに別の意味に気が付いた。


「……私に傍にいてほしいならそう言え」


 そう言われたら、僕は一度は引いていた涙が再び溢れてきた。

 我慢していた声が漏れてしまう。


「うっ……うぅ……ガーネットのバカッ……っ……!」

「………………」


 ジャブジャブと水を切って歩くような音が背後から聞こえてきた。その音が止まると、僕は背中にトン……と暖かい感触がした。


「馬鹿はお前だろう」


 さっきまで少し遠かったガーネットの声が、真後ろから聞こえた。

 ガーネットは僕が野営地でしたように、背中を合わせて座り、よりかかるように軽く僕に体重を預けた。僕も同じように彼によりかかる。

 その状態で僕は泣いた。膝を抱えて泣いていた。

 ガーネットは何を言うでもなく、ただ僕のそばにいてくれた。




 ◆◆◆




【ノエル 現在】


 相変わらず、僕の隣の吸血鬼は不満げにしていた。

 僕がリゾンを探しに行くと言ってからずっとだ。

 喜怒哀楽の激しい奴だと言うには、“喜”と“楽”があまりにも希薄な気がする。


「おい、放っておけ」

「そういう訳にもいかないよ……リゾンは強いし……協力してほしい」


 リゾンが出て行ってしまって、僕はリゾンを何とか説得しようと捜していた。

 迷路のような豪奢な廊下を右往左往とリゾンの部屋を捜しまわる。迷ったら出られなそうだなどと不安に駆られていた。

 本当に魔族を説得するのは骨が折れる。ガーネットもなかなかいつも納得してくれない。というか、納得させられているのかどうかすら怪しい。


「魔王……様って種族的には何なの?」

「魔王は、元は別々の複数の魔族だった。魔王になるには各種族の長が身体を融合させ、そして魔王となるんだ。記憶は元の記憶が受け継がれ、自我は魔王固有のものだ」

「身体を融合……」


 そう言われてシャーロットの妹を思い出した。うねうねと動く手足を思い出す。

 しかし魔王は完全に同化して一つの生き物となり統率を保っている。全く別物だ。

 アビゲイルは目覚めただろうか。あれだけ酷い実験をしていたのだから分離できたこと自体が奇跡だと僕は思う。


「リゾンはご子息だって話だけど……」

「リゾンは魔王の一部の吸血鬼族が、まだ魔王として融合する前の子供だ。だから魔王の子供というものは実は沢山いる」


 異界のルールはよく解らない。

 ガーネットが僕らの風習がよくわからないのと同じだ。僕も徐々に異界のことも知っていかなければならない。


 城の中はそこら中に血が飛び散っていたりして、お世辞にも綺麗とは言い難い状態だった。

 何故廊下に血が飛び散っているのかは解らないが、血が飛び散っていてもあまり魔族は気にしないようだ。


「まさかとは思うが……リゾンに気があるなどと言いだすのではないだろうな?」

「そんなわけないでしょ……何言ってるの」


 そう僕が言っても、なんだかガーネットは落ち着かない様子だった。

 同じ吸血鬼族だからか何かライバル心のようなものがあるのだろうか。


「リゾンの部屋って……ここ?」

「……そうだ」


 やけに豪華な扉の部屋の前にたどり着いた。


 ――どうやって話しかけたらいいんだろう……一応ノックくらいしてみるか


 ノックという概念が異界にあるのか僕は少し考えたが、一応ノックすることにした。


 コンコンコン……


「リゾン、いる?」


 …………………………返事がない。

 いないのか、あるいは居留守を使っているか、どちらかだろう。


「……いないなら仕方ない。ひとまず、部屋に帰ろうか」

「私に何の用だ」


 引き返そうとしたときに後ろから声が聞こえた。

 振り返ると銀色の髪の毛を束ねたリゾンがそこにいた。髪を束ねていると雰囲気が違う。相変わらず不機嫌なようで、鋭い目つきで僕らを睨んでいる。

 しかし殺意は感じない。危害を加えてくるつもりはなさそうだ。


「話がしたくて。いいかな?」

「……私をあざ笑いに来たのか?」

「違うよ」


 あんなに出会ったときは敵意むき出しだったのに、今は途端にしおらしく見える。

 魔王様に多数の魔族の前であれほど強く非難されたら落ち込むのだろう。


「あなたは強い。あなたにも力を貸してほしいんだ」


 少しリゾンが壁に肩をもたれて考えた後、身体を起こしてニヤリと笑った。


「……お前の血を飲めば私はもっと強くなれるのだろう?」


 落ち込んでいるかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。横暴なところは健在だ。

 リゾンが僕に近づこうとすると、ガーネットが間に入りそれを阻んだ。


「こいつの血を口にしたら『契約』したことになる。ただの食事とは違う」

「肉体的な痛みや命の共有……か。恐ろしい血の力だな。ますます興味深い」


 それでもリゾンはガーネットを片手で無理やりどかし、僕の方へ近づいてこようとする。ガーネットは険しい顔でリゾンの腕を掴み上げて止めた。


「おい、それ以上ノエルに近寄るな」

「………」


 リゾンはガーネットがギリギリと自身の腕を掴んでいるのを見て、ペロリと舌で自分の唇を濡らした。

 その後に艶めかしい目つきで僕の方を舐めるように見る。


「くくく……そこまで言うなら、私の力を貸してやってもいい。その代わり、条件がある」


 僕はその言葉に、嫌な予感を瞬時に感じ取った。


「私が力を貸したら、私の伴侶つがいとなれ」


 その言葉は空虚な廊下に静かにこだまし、冷たく響いた。

 驚いた僕は言葉を失って、リゾンを呆然と見つめる。

 言葉を発するということを一瞬忘れてしまっていたが、僕が否定するよりも早くガーネットが先に声を上げた。


「(遊戯…………伴侶……貞操……命令…………他……吸血鬼……伴侶……)


 僕には断片的にしか言葉は解らないが、ガーネットが怒っているということだけは分かった。


「(何故……怒り……? 魔女……共有……)」


 リゾンはガーネットが掴んでいた手を乱暴に振り払うと、2人は対峙し鋭い眼光で睨み合った。


「(…………ノエル……人質……劣る……否定……)」

「(主旨……否定…………ガーネット…………滑稽)」


 ガーネットは酷く怒っているようで、早口でまくし立てる。そのせいで最早僕には聞き取れない状態だった。


「……魔女よ、このうるさいのが邪魔をするから、今度は連れてくるな。2人で話をしようじゃないか。くくく……」

「不愉快だ! いくぞノエル!」


 ガーネットが有無を言わさずにきびすをかえしてリゾンから遠ざかるので、僕はそれを追いかけるしかなかった。

 何を話していたのだろう。

 しかし、ガーネットがこの上なく怒っているようだったため、内容を聞くことはできなかった。




 ◆◆◆




 ガーネットは部屋に帰ってきてからもずっと苛立っていた。

 腕を組んだまま、カリカリと自分の腕をひっかいている。痛いというほどでもなかったが、穏やかではないということだけはその仕草で解った。


「だ……大丈夫?」

「……あぁ」


 僕に怒っている訳ではない様子だったが、それ以上のことは聞けなかった。

 そんな中、魔王様の従者が部屋に来た。魔王様が僕らと話をする時間を取ってくれたようだったので、魔王様のいる大広間へと僕らは向かった。

 イライラしているガーネットに、何か言った方がいいかと考えたが下手なことを言ったらまた喧嘩になってしまいそうで、彼の機嫌が直るのを待つことにした。

 最近、少し彼のことを解ってきた。

 嵐が過ぎるのを待つように、怒っているときは少し時間を置くのが良い。嵐の中に繰り出すと、大体はろくなことにならない。


 そうこうしている間に、魔王様のいる大広間につく。

 見前に立つのは2回目だが、その威圧感には慣れない。魔王というものの重さはその周りの空気も重い。だから皆、こうべを垂れるのだろうか。


「よく来たなノエル。その椅子に座りなさい」


 従者の小鬼が運んできた豪奢な長椅子が魔王様の前に置かれる。


「はい、失礼します」


 一礼して僕が座ると、ガーネットも一緒に座った。腕と脚を組んで座り、明らかに魔王の御前でする作法ではなかった。

 僕はその態度にヒヤッとするが、魔王様は気にしている様子はない。


「そう固い口調で話さなくともよい」

「え……あの……口調の改善の努力はいたしますが……難しいかと……」

「はっはっは! そうかそうか。礼儀正しいな。隣の吸血鬼とは随分違う」


 嫌味を言われているのにも関わらず、ガーネットは無反応に苛立っているだけのようだった。


「さしずめ、リゾンと揉めたのであろう」

「まぁ……そのようなところです」


「よくわかったな」と思いながらも、小鬼の従者が城の中に沢山いるから、その報告を受けたのだろうと僕は考えた。


「ノエル、余計なことを言うな」

「ごめん……」


 魔王様は怪訝そうな表情をしているように見えた。

 いくつもある顔が、眉間にシワを寄せている。

 正直に言うと怖い。


「……再確認なのだが、契約というのは魔女にとって有利な条件なのだろう? 魔族を従えられると聞いたが……何故ノエルがガーネットの機嫌を取っているのだ?」


 そう魔王に言われると、僕は苦笑いをするしかなかった。

 一方ガーネットは魔王に聞こえない程度の音量で舌打ちをしていた。


 ――魔王様に……舌打ち……!


 聞こえていないだろうとチラリと魔王様の方を見たらしっかりと僕と目が合う。


「聞こえておるぞガーネット。まったく……手に負えない吸血鬼だ。ヴェルナンドが手を焼くはずだな」

「やかましい。さっさと要件を言え」

「フフフ……これは尚更興味深い」


 子供をあしらうような態度が更にガーネットの気に障ったようだ。


 ――ヴェルナンドって……吸血鬼族の長かな……


 そう聞く間もなく、ガーネットは魔王様に対して続けて偉そうな態度で言葉を続けた。


「私を好奇なものを見る目で見るな。顔をはぎ取るぞ」

「ちょっと……ガーネット……」

「ふん」


 またガーネットはそっぽを向いた。

 冷や汗がじっとりと出てくる。

 魔王様は笑っているようだったが、僕は威圧感のある魔王様に対して緊張を解くことは出来なかった。

 そんな僕の心情を知ってか知らずか、魔王様は穏やかな口調で話し始めた。


「ガーネット、しばし彼女と2人きりで話がしたい。席を外してくれないか」

「なんだと?」


 そう言われたガーネットは逸らしていた顔を魔王様の方へ戻した。

 今にも、先ほど言ったように顔をはぎ取りかねない形相だったので、僕は慌てて彼の代わりに理由を伺った。


「何故ですか?」

「本当にお前たちは面白いな……フフフ。……ノエルが良いというのなら私は構わないが、お前の生い立ちに関わることだ。立ち入った話をガーネットに聞かせてもよいのか?」


 魔王様の言葉を聞いて、ガーネットの様子に変化があった。

 露骨に不機嫌そうだったが、その不機嫌さがなくなり、動揺しているような表情になる。だが、表情の変化はほぼない彼の、その感情をくみ取ることができるのは僕だけかもしれない。

 彼は僕の方をチラッと見てきた。当然彼と目が合う。ガーネットはすぐに気まずそうに僕から視線を逸らした。


 ――聞きたいならそう言えばいいのに……


 お風呂では「私に傍にいてほしいならそう言え」なんて言っていた彼は、どうにも僕にはそう言えないらしい。


「…………構いません。彼は僕の大切な相棒ですから」


 魔王様は僕の言葉を聞いて優しい顔になった気がした。とはいえ、やはり怖い。顔がいくつもあるのだから怖いと思っても仕方がないと僕は思う。

 ガーネットは他者の前でそう言われるとムズムズするのか、落ち着かない様子だった。

 なんだかんだ言って、意外とこの吸血鬼は解りやすいのかもしれない。


「そうか。では話そう。その前にいくつか礼を言わなければならないな」

「お礼……ですか?」

「レインを保護してくれたこと、ラブラドライトの遺体を埋葬してくれたこと、ガーネットの命を助けてくれたこと、我らの非礼に激昂せずに殺さずにいてくれたこと……他にも礼をいう事は沢山ある。礼を言わないなどと言うのは魔族の王たるものの恥。心優しき魔女よ、感謝するぞ」


 魔王が僕にこうべを垂れてそう言うと、部屋にいた小鬼が大騒ぎし始めた。「魔王様が頭を下げた!」という趣旨の言葉を発して大騒ぎしているようだ。

 唖然としていたが、事の重大さに気づいて僕は椅子から立ち上がった。


「そ、そんな! 頭をあげてください!」


 僕がオロオロしていると魔王様は頭を上げた。


「あと……もう一つ礼を言うことがある。フフフ、そんなにお前が困ってしまうようなら、最後に言おうとするかな」


 椅子に再度座るようにうながされ、僕は椅子に座った。

 魔王様は蛇の尾をうねうねと動かしながら、真剣な表情になる。


「さて……本題に入ろう。……私は複数の魔族の証言によってお前を信用しようと言ったが、一番の決め手がなにであったか解るか?」


 先ほど、魔王様にお礼を言われたことが沢山ある。その中の一つであろうが、客観性がなければ信憑性には繋がらないと僕は考えた。


「……あの異界に帰した獣族の者たちの証言でしょうか?」

「それも関係はしているが、決め手とは言い難いな。無論、私が礼を言った中にもあった、こちらにくる道中に魔族たちと闘ったとき、お前が殺さないように魔術を使っていたのは評価の一つにはなっている」


 僕の生い立ちとどんな関係があるのか、接点が見つけられずに困惑するが魔王様はすぐに答えを言った。


「私がお前を信用したのは、セージの証言があったからだ」


 ――セージの証言……?


 その言葉を聞いて、もしやと僕は希望の光が一瞬射した。


 ――セージが生きている……?


「……しかし、セージは何年も前に亡くなってますが……」

「あぁ、そうだ。死んでいるのは知っている。生前のセージが、私の元へ来たのだ。ノエルの話をする為に異界嫌いのあの翼人が来たとたとあっては、私も話を聞く他あるまい」


 その言葉で僕は驚きよりも落胆が先行した。

 もしかしたら生きていてくれたのかと思っていたが、それが現実的な願いではないことくらいは理解している。

 確かにあのとき、セージは死んだ。

 ガーネットが落胆している僕の顔を見ながら、驚いたような顔をしていた。


「セージだと……? お前とセージに何の関係があるのだ?」

「セージを知っているの? 僕を育ててくれた翼人の話をしたでしょう。それがセージなんだけど……」


 ガーネットとセージは知り合いなのだろうかという疑問は、すぐに解決した。


「知っているに決まっているだろう……驚いたな。あの『三賢者』の一人がお前を育てていたなどと……」

「三賢者……?」

「そうだ。私の直下にいた三人の賢者だ。翼人族、龍族、吸血鬼族からなる天才たち。セージはその一人だった」


 どうやら、異界でセージは有名人らしい。

 セージのことを思い出すと、僕は物凄く悲しい気持ちになる。

 いつまでも呪縛のように、僕のことを自分自身が責め続ける。

 言いつけを守っていたら生きていたかもしれないセージのことを考えると、自分を責めるのは当然だ。

 魔王の言葉の続きを聞くには勇気が必要だったが、僕はまっすぐに魔王様を見つめた。


「セージが……なんて言っていたのか、聞かせてください。魔王様」




 ◆◆◆




【異界 5年前】


「ほう、随分珍しい客人がきたと門番が騒いでいたと思ったら、久しいな。セージ」


 長い白い髭と髪をゆったりと揺らしながら、白い翼一対二翼を携えてた老人が魔王の前に現れた。


「あぁ、今日は話があってきた」

「なんだ?」

「……魔王よ、お前と2人きりで話がしたい。他の者を払ってくれないか」


 魔王が小鬼に指示すると大広間には魔王とセージだけが残った。

 牙の長い吸血鬼の顔が話を始める。


「かしこまって、どうしたのだ?」

「タージェンとルナの間に子供が生まれたんだ。驚いた。聡明な子で、魔術の質もずば抜けてる」


 魔王についているすべての顔が目を細めてセージを見つめた。


「翼人と魔女の間に子供が? 奇形児ではないのか」

「あぁ、天才的な魔術の才能の魔女のおかげなのか、あるいは魔女を許した魔族の血のおかげか……それは定かではないがな」

「ほう……」

「……強すぎる力を持っている。道を過ったら殺そうと思っていた」


 セージの鋭い声に、魔王も緊張が走った。

 だがその後のやわらかい笑顔と声に、その緊張は解かれることになる。


「しかしとてもいい子に育ったよ」


 子供の自慢をしているようにも聞こえた魔王は、殺すとかどうとかの話とは酷くギャップがあり、気が抜けた。


「なんだ、生まれて間もないのかと思ったらずいぶん経っているようだな」

「なに、我々の生きてきた時間に比べたら瞬く間だろう。……魔女に両親を殺され、片方の翼をむしり取られてな。今は私がかくまっている」

「……それで? ここへ来た本当の目的はなんだ?」


 凄惨な過去を背負った子供を、セージが育てているという事だけは魔王は理解した。

 少し間を置いた後に、セージは再び真剣な表情で次の言葉を言う。


「……もし、ここへきたら助けてやってほしい」


 真剣な頼みだったが、魔王にとっては軽率に受け入れられない申し出であった。なにせ、セージが何かあったら殺そうと考えているほどの危険因子だ。

 助けるかどうかは未来のことであり、すぐに判断はできない。


「……保証しかねるな」

「そう言うな」

「翼人の中でもひと際賢かったお前が子供を甘やかす等、笑えるぞ」


 魔王にそう言われたセージは「ほっほっほ」と笑いながら自分の髭を撫でる。


「まぁ、こちらにくることなどないことを祈るがな」

「それだけの力があるのならば、危険分子になると捉えるが?」

「私も一時はそう考えていたが……――――」


 セージはゆっくりと過去の話を魔王の前で語り始める。




 ◆◆◆




【セージ 23年前】


 異界から逃れた私は、研究にばかりに夢中になっていた。遠い昔に世界を隔てられて以来ずっと憧れ続けた世界だ。

 猛烈な熱気や、骨も凍るほどの冷気、近づくだけで死に至らしめられる毒の沼などではない。

 穏やかな世界に私は呼吸をすることすら嬉しく思っていた。

 小鳥のさえずりを聞いたり、清楚な花が咲き乱れるのを見たり、小動物が平和にじゃれあっているのを見たりしていると、今までのことが全て嘘だったかのように感じる。

 しかし、私を突如として現実に引き戻す出来事があった。


 私の元にルナとタージェンの2人がかしこまりやってきて、予想外のとんでもないことを言い出すまでになるとは私は微塵も考えていなかった。


「な……――――」


 2人から『とんでもないこと』を切り出されたとき、私は言葉を失わざるを得なかった。


「ほ……本気で言っているのか?」

「本気です」

「そんなこと……お前たち、自分たちが何を言っているのか本当に解っているのか?」


 私はあまりの動揺で手がわなわなと震えた。冷や汗すら出てくる。


「お前たちは魔女も人間も魔族も敵に回すことになるぞ……」

「それでも、私はタージェンと決めたんです」

「うまくいく勝算はあるのか?」

「はい」


 真剣な表情の2人を見て、私は何を言っても無駄だということが解った瞬間、それ以上何も言えなくなった。


「セージ、反対するのか……?」

「…………反対だ。だが、私が反対したところで聞くお前らではないだろう」

「セージは喜んでくれると思っていたんですが……」


 そうルナが残念そうな顔をしたとき、私は怒りのような感情に支配される。


「馬鹿者! 貴様らは事の重大さを全くわかっていない! どちらの世も見てみろ! お前たちが受け入れられるわけもない……! まして――――」


 言うべきかどうか、考える間もなく私は続きの言葉を言い放った。


「魔女と魔族の混血の子供が、どんな目に遭うのか少しは考えろ!!」


 声を荒げることなどずっとなかった私は、喉にやけつくような熱さを感じた。

 心臓が大きく、そして早く脈打ち、平等であるはずの時間がやけに長く遅く感じる。

 私たち3人の時間だけが止まってしまったかのようだ。


「ずっとお前たちだけの間で育てていくつもりか? 誰の目にも触れさせずにか? 魔女に見つかったらどうする? 魔族に見つかったらどうする? 人間に見つかったらどうするんだ!?」


 一度、せきを切ったその怒りはとどまらなかった。

 次から次へと叱責の言葉がとめどなく出てくる。2人の方を見ているはずなのに、2人の表情は私の目には見えなかった。

 怒りが私の正気を奪い、視界を奪い、喉をやけつく振動を大気へと放つ。


「お前たちはそれなりに歳を重ねていて受け入れられないことも解っているが、それでもどちらかの種族に戻れば帰る場所があるだろう。それでも、お前たちの子供はどこにも帰る場所もなければ、自分がなぜ受け入れられないのかすら解らないまま、どこまでも傷つくことになるんだぞ!」


 喉が痛い。

 こんなに声を張り上げるなんて、もう数十年もしていないことだった。


「人格形成に失敗した子供がどうなるか知っているか? 反社会的になり、他者を容易に傷つける者になりえる。それが女王候補と、翼人の中でも最も力のあるお前たちの子供はとてつもない強大な力を身につけるだろう。それを間違えないように使うことができるように指導できるか?」


 そして最後に、最も醜い言葉を私は吐いた。


「お前たちはこの世の全てを破壊する可能性があるものを作り出すつもりか!?」


 私の本音は、それだった。


 恐ろしいものができあがるのではないかという恐怖と懸念が勝る。もっともらしい言葉を連ねるが、この世を滅ぼすような力を持つものがあってはならない。


「最初の魔女のイヴリーンがいい例だ。そこから何も学ばなかったのかお前たちは!?」


 言いたいことを言い終えて、少し落ち着いたときにやっと私は2人の表情が見えた。

 ルナが声も出さず、涙を流していることに気づき、

 タージェンがルナの肩を強く抱きしめながら、怒りと悲しみの混在した感情をたぎらせていることにも気づいた。


「……危険だからって、なんでもかんでも排除していくのか?」


 声が震えているタージェンが、私に向かってそう言う。


「イヴリーンが魔族を排除したように、私たちの子供を排除するのか?」


 タージェンの声は、明らかに怒りに震えていた。


「イヴリーンから何も学ばなかったのはセージ、お前もだ!」


 そう言って、2人は出て行ってしまった。

 あまりにきつく言いすぎたと自分を責めても、だからといって言ってしまった心無い言葉が消えるわけでもない。

 あまりにも自分本位な考えだったのかもしれない。

 ルナの気持ちも、タージェンの気持ちも、それに生まれてくるであろう子供の気持ちも私は考えていなかった。


「…………でも、別に間違ったことを言ったわけではない。強い力には必ず対価がある」


 気持ちでどうにかなる問題じゃない。

 それでも、私は止めるわけでもなかったし、彼女たちに子供が生まれてほしくないわけでもなかった。

 タージェンは子供のころから知っているが、熱血で一族のことを懸命に考え、人望にも厚く、根は優しい。父親になったら立派な父親になるだろう。

 ルナとはそれほど長い付き合いでもないが、ルナは誰よりも優しい心を持っている上に、穏やかで何に対しても前向きで肯定的だ。器も大きい。そういう人格は母親に向いていると言える。

 ため息が混じりながらも、息を吐き出すと自分の息が白く色づいたのを知覚した。もう外は冬だ。部屋の中まで寒い。

 手に吐く息すら、ため息とまがう。




 ◆◆◆




 私はそれから数か月、2人と会うことはなかった。

 ずっと心配していたが、あれだけ啖呵をきっておいて自分から頭を下げるのもおかしな話だと感じていた私は素直に謝ることができずにいた。


 ――お腹に子供がいると言われたときは、驚きのあまりに言いすぎてしまったな……


 もう数か月経った。胎児が順調に成長しているなら、随分大きくなっただろう。


 いつまでも意固地になっていても仕方がないと腹をくくった私は謝罪しにいくことにした。

 謝罪の為の花を持ち、私はタージェンとルナの住む家に向かった。もう冬は過ぎ、暖かい気候に恵まれていた。少し暑いとすら思えるが、異界の熱気に比べたらなんということもない。

 謝罪の言葉を色々と考えていたが、どれもこれもしっくりとこない。

 あっという間に家についてしまい、私は難しい顔をしながら扉をノックしようと右手を扉にかざすが、なかなかノックができない。


 ――困ったな……ここまで来て帰る訳にもいかない……


 がちゃり。


「うわっ……セージ……脅かすな」


 扉が内側に開き、ノックすることは結局できなかった。扉を開けたタージェンとばったり会ってしまう。


「あ……タージェン……その……良い天気だな」

「は?」


 私は花を持っていた左手にじっとりと汗を握る感覚に襲われる。

 目を逸らしながら、かける言葉を探しているとタージェンの方が先に話し出した。


「ちょうどいいところに来たな、中に入れセージ」

「お、おい……引っ張るな……」


 タージェンに「何しに来た」と罵声を浴びせられるかと思っていた私は拍子抜けした。

 それと同時に何を興奮しているのかという疑問を抱いた。

 部屋の奥へと進むと、赤い髪を束ねて何かを抱いているルナの姿が見えた。


「ルナ、セージが訪ねてきてくれたぞ」


 タージェンがそう言うと、ルナはこちらを向いた。

 軽蔑の目を向けられると思っていた私は暗い気持ちになったが、そんなことは一秒にも満たない時間だ。ルナは笑って私の方を見てくれた。


「セージ! 来てくれたんですね。数日後に尋ねようと思っていたところなんです」

「ルナ……その、抱いている赤子は……」

「ええ……私の子供です。元気に生まれてくれました」


 不安に思っていたことなど、私は一瞬で忘れた。

 ルナの腕に抱かれていた赤い髪と赤い瞳の赤子は、私を見て無邪気に笑っていた。

 笑いながら、私の持っている花に興味を示した。

 真っ赤な花びらの多い花を選んだのだが、それをどうにも気に入ったらしい。


「なんだ、花か。ノエルが喜んでいるようだ。ありがとうな」

「あ……あぁ……ノエルというのか?」

「そうです。色々と悩んだんですけど、優しい響きの名前がいいなって思って。優しい子に育ってくれるようにそう名付けました」


 私が持っていた赤い花をルナに差し出すと、ノエルはキャッキャと笑っていた。


「…………ノエルか……良い名前だ」


 花を渡したのに、ノエルは尚も私の方へ手を伸ばした。


「セージ、お前が気に入ったようだな。手を握ってやってくれ」

「わ……私が触れても良いのか……?」

「当然だ。さぁ」


 タージェンに後ろから押され、私はノエルに近寄った。

 私の中には、葛藤があった。

 まだ赤子の無害なうちなら殺すのはたやすい。右の袖の中に鋭い刃物を忍ばせていた。近づいた瞬間に取り出して首を切り落とすこともできたはずだ。

 しかし、ノエルが私の差し出した右手の人差し指を弱い力で握って、笑ってくれた時にとうに殺意は失せていた。


 ――まったく……私も甘くなったものだ……


「いいか、ノエル。お前は正しい力の使い方を知る必要がある。父さんと母さんを困らせるなよ。わかったか?」

「おいおい、セージ。生まれて数日の赤ん坊がそんなこと解る訳ないだろ?」

「そうね、少し気が早いわ。ふふふ、セージはせっかちね」


 そう言っていた両親の言葉とは裏腹に、ノエルは笑いながら、握っていた私の指をもう少し力を込めて握った。

 それが私には「解ったよ」と言っているように感じたのだ――――




 ◆◆◆




【異界 5年前】


「あの子無垢な笑顔を見ていると、危険分子だなどということは些細な事だと思う。ずっと見張る意味でも傍に置いて育ててきたが、いつしか見張るのではなく見守っていたよ。誰よりも優しい子だ」


 セージは思い出に浸りながらそうしみじみと魔王に告げた。


「育てているから贔屓ひいきをしているのではないか? 三賢者ともあろう者が……」

「馬鹿を言うな。私の感が鈍っているとでも言いたげだな」


 魔王は呆れながらも、そこまで言うのならと丸め込まれるような仕方のない感覚がした。

 イヴリーンの父と融合したときに得た“愛情”というものを理解した。その愛情を、セージはノエルに向けているということが解った。


「違うのか?」


 茶化すようにそう言うと、セージは口を「へ」の字に曲げて納得がいかないような表情を見せた。


「ふん、いずれあの子を見る時が来たら私の判断が間違っていなかったと解るだろう」

「お前にそこまで言わしめるものならば、私が見定めよう」


 吐き捨てて去るセージの後ろ姿を見た時に、以前よりも胸を張っているように見えた。


 ――セージめ……誇らしげにしおって……


 魔王は最期のセージの姿を記憶に焼き付けた。



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