第31話 信頼の証




「…………ッ……」


 気が付くと僕は裸で鎖に繋がれていた。首と両手首足首を鎖でつながれ、しかもその鎖には魔術封じの術式があしらわれている。

 術式を見ていると少し古い術式のようだった。

 裸で繋がれているだけならまだ良かったが、僕の片翼はベルトのようなものでしっかりと固定されていて全く自由が効かない。

 そして、石の床が冷たい。

 それよりもそこら中に血が飛び散った跡があることに目が行く。暗く、そして何もない部屋だった。ただかなり広い構造になっている。


「……起きたか」


 ガーネットの声が聞こえて、僕は彼の方を見た。ガーネットも裸同然の恰好で鎖に繋がれている。

 いつも通りの落ち着きようだった。それを見て妙に安心する。

 それと同時に裸で彼の前にいることにわずかな恥じらいを感じる。ガーネットも僕の方を見ないようにしてくれているのか、視線は扉の方を向いていた。


「はは……ごめん。こうなるとは予想していたんだけど……」

「だから言ったのだ。魔族は話が通じるような奴らじゃない。……まさかとは思うが、こんなところまできてあっさり殺される気じゃないだろうな?」


 僕は血が飛び散っている床に目を這わせた。

 この血液は僕らものではなさそうだと漠然と思う。さしずめ処刑部屋か拷問部屋だ。

 穏便には済みそうにない。


「力を誇示して従わせられるかどうかも解らないし……それが仮にできてもそれじゃゲルダや他の魔女は倒せない……協力という形じゃなければいけない」

「はぁ……この後に及んでまだそのようなことを……」

「でも……僕らをすぐに殺さなかったところを見ると、話す余地くらいは――――」


 ギィ……


 扉が開く音が聞こえた。僕は話をしている途中だったが口を閉ざした。

 高位魔族らしき者たち数人と、リゾンが入ってくるのが見える。

 体長10メートルはあろうかという身体の硬いうろこに覆われている黒い龍族、金髪の口ひげを蓄えた吸血鬼族、緑色の体毛の大きな角が生えている獣の姿の者…………姿は各々異なってはいるものの、上級魔族と感じさせる威圧感があった。


「(穢れた血……タージェン……娘……)」

「(魔女……混血……吸血鬼……)」

「(殺す……憎しみ……)」

「(危険……誓約……同胞……殺され……憎しみ……)」


 全員が僕を見ながら話をしていた。


「満場一致でお前らを殺すということで合意しているわけだが、殺し方で意見が割れている。どんな殺され方がいいか意見を聞いてやってもいいぞ」


 ――すぐに殺さなかったのはその為か……


 話し合いの余地が少しでもあるかもと期待していたが、見事にそれは打ち砕かれた。絶望的な気持ちになりながらも、ここですぐに諦めるわけにはいかなかった。

 僕は、魔族たちに頭を下げた。


「……頼む。僕は……僕らは争う為に来たわけじゃない。話し合いにきたんだ。協力してほしい。魔族にとってけして悪い話じゃ……――――――」


 ガッ!


 リゾンは僕の首の鎖を掴み上げて自分の方へ向かせた。

 やけにそれが懐かしく感じる。

 僕はやはり、首に鎖をつけているのが落ち着くようだ。そんなことを一瞬考えたが、そうされている相手が相手なら全く穏やかではない。

 今は死と隣り合わせだ。じゃれ合いでは済まない。


「魔女風情が気安いぞ」

「……ここで僕を殺しても何も変わらない……魔王と話がしたいんだ……頼む……」

「父上と? 何様なのだ貴様……」


 ジャラジャラと鎖の音が聞こえる。

 リゾンは出逢ったばかりのガーネットの態度と同じだった。ここから話を通してもらうのはかなり難しそうだと感じる。


「(リゾン……話……聞け)」


 ガーネットがそう言って説得しようとする姿を見ると、僕はこんなときなのに安心した。

 あの傲慢な態度のガーネットがここまで変わってくれたことが嬉しくて。

 これから死ぬのなら尚更、憎しみが一つ解かれてくれてよかったと感じる。

 ガーネットの言葉に、リゾンと共に入ってきた者の一人が口を開いた。金色の髭を蓄えた年を取っている吸血鬼族だ。

 この吸血鬼族も向こうの言葉が解るようだった。


「……混血の娘よ、魔王と話してなんとする? ……そのような戯言を上げ連ね、魔王を殺すことを企てているのではあるまいな」

「ふん、だとしたら救いようもない愚かな魔女だ」

「違う! 僕は争いに来たんじゃない!」


 リゾンは僕の髪を長い爪の生えている指で弄びながら嘲笑った。

 他の魔族たちはガーネットに話しかけている。リゾンは僕の鎖から手を放し、赤い髪を指でいては満足げに笑っていた。

 僕は注意が散漫になりながらも、ガーネットとの会話を聞いていた。


「(吸血鬼族……魔女……しもべ……悲嘆……命……惜しい……裏切り……ガーネット)」

「(否定……魔女……傷……怨み……忘却……否定)」


 ガーネットが魔族の言葉で話す。


「では何故、この穢れた血に協力する?」


 リゾンは僕に解るようにわざと僕に解る言葉で話したと解った。


「それは……――――」

「僕が無理やり契約したんだ。彼には悪いと思っている……」


 ガーネットが口籠ったので、僕はそれに割って入る。

 魔族の彼にとっての立場を考えたら、そう言っておくことが彼の名誉を守ることだと僕は直観でそう言った。


「違う!」


 しかしガーネットが声を荒げて否定した。

 僕は驚いてガーネットを見る。僕だけではなく、その部屋にいた他の魔族もガーネットを驚いた様子で見ていた。


「……私の命を救う為に契約をしたのだ」


 ガーネットはそのまま続ける。


「最初はとんでもないことをしてくれたと責め、恨んだ。しかし、嫌々ながらも共に行動していたら、他の魔女とはまるで違うということが解った。それに私は契約で逆らえないのにも関わらず、私の意思を尊重して話し合って解決しようとする。この魔女の実力は確かだ。この凄惨な現状を打開するためにこちらに来たのだ。話を聞け。その魔女なら……ノエルなら、なんとかできる」


 ガーネットがそんな風に思ってくれていたなんて思わなかった。

 あれだけ無理だと僕に反論していたのに。


「心まで魔女に染められたのか。無様だな」


 リゾンは僕から離れ、ガーネットの前に立つと腹部を蹴りあげた。僕にもその痛みが伝わってくる。


「がはっ……」


 僕が腹部を押さえ、前かがみになったのを見て、リゾンは面白そうに笑った。

 ジャラジャラと鎖が音を立てる。


「契約というのは面白いな。本当に魔女と繋がっているのか? ではこれは?」


 リゾンは爪でガーネットの顔を切り裂いた。

 僕の顔に同じように傷跡ができて血が滴る。しかし傷はすぐに塞がった。僕の血を飲んで間もない僕らは治癒能力は高いままだ。


「凄い回復力だ。それも魔女の血の力か?」


 僕が心配そうにガーネットを見つめると、それをリゾンは見逃さない。


「ほう、この吸血鬼にご執心じゃないか。こいつがそんなにお気に入りなのか?」


 ――違う……お気に入りなんかじゃない


「大事な……僕の半身だ。手を出さないでくれ。僕の家族だ」


 もう、ただの契約している吸血鬼ではない。ガーネットは僕の大事な家族だった。文字通り、血を分けた家族。

 自分が痛いからやめてほしいのではない。

 彼が痛いからやめてほしいと願っていた。


「……おいノエル………こいつらを殺せ……」

「はははははははは!(面白い……ガーネット……私たち……殺す?)」


 笑っているリゾンを無視して、ガーネットは言葉を続ける。


「お前には目的があるのだろう。くだらない目的がな……こんなところで殺されても良いのか? (魔女……脅威……恐怖……委縮……無様……)」


 その侮辱の言葉に、リゾンや獣の姿をした魔族がガーネットを殺そうととびかかった。

 僕が強引に魔術を使おうとすると、バキッという音がして僕の右手の手枷が割れる。どうやら手枷の魔術封じは僕の魔力を押さえるほどの魔術ではなかったようだ。

 魔族たちのその鋭い爪や魔術がガーネットを餌食にする前に、僕はガーネットを守る為の魔術式を構築する。

 水の壁がガーネットの周りを囲んで衝撃を全て吸収した。


「(卑賎……魔女!)」


 怒りの声が耳に響く。

 それでも、僕は殺したくなかった。

 殺すことに何の意味もない。

 それではゲルダと何も変わらないではないか。


「頼む、僕のことを信じてくれ……僕は敵意があって来たわけじゃないんだ! 魔女に憎しみがあるのは解る! 頼む……」


 僕は水の防御壁を解いた。そして、リゾンの目を真っすぐに見つめる。


「面白い……確かに強大な魔力だ……殺すのはやめて私のペットにしてやろう」


 ――この男はいったい何を言っているんだ? 魔族の存亡の危機だというときに……!


 そう思うと僕は怒りすら湧いてきた。

 これ以上魔女が好き勝手をしたら、異界ごと魔族を消してしまいかねない。

 そうでなくともこれだけの犠牲が出ているのに、どうしてそんな悠長なことを言っているのかと耳を疑った。


「僕のことをペットにしてもかまわない……でも魔族の存亡の危機のときにそんなこと言っている場合じゃないだろう! ガーネットも、ラブラドライトも、他のたくさんの魔族も犠牲になっているのに!」


 リゾンはくるくると自分の髪を指先で弄びながら興味なさそうに答える。


「魔族の存亡の危機? だからなんだというのだ? 私には関係ないことだ。私を脅かせる魔女など存在しない。弱い者が搾取されるのは当然だろう?」


 あっちの世界の感覚で考えていた僕が間違っていたのか。

 ガーネットもまだ僕の感覚が解るとは言い難いが、それでも高い知性があれば理解し合えると思っていたのに――――


「どうすれば協力してくれるんだ……」

「どうすれば? そんなに協力してほしいならお前のを見せてみろ」


 リゾンは僕の身体に鋭い爪を立てた。


 ――誠意って……防御するなってことか……


 爪が徐々に僕の身体に食い込んでくる。痛みに僕は暴れそうになったが、暴れないように僕は我慢をした。


「あぁあああッ……!!」

「ぐっ……」


 ガーネットの身体にも傷がついて血を流していた。僕は悔しさで下唇を噛んだ。いつもガーネットがする仕草。

 いつもこんな気持ちで下唇を噛んでいたのなら、本当につらい想いをさせてしまったと感じる。


「ほら。抵抗するな? 私たちに協力してほしいんだろう?」


 僕は何度も何度もリゾンの加虐的な行為に僕は耐えた。

 耐えた。

 耐えるしかなかった。

 傷はすぐに塞がっていくが、徐々にその回復速度が遅くなってきていることに気が付く。僕の血の効果が薄れてきているんだろう。

 それに、僕も血を流しすぎてぼーっとしてきた。


「美しい羽根だ……毟り取りたくなる」


 リゾンは僕の翼を縛るベルトの隙間から優しく翼を撫でた。


「翼に触るな……変態野郎が……」

「あぁ……そういえば翼人は翼に神経が集中していて敏感なんだったな? こんな風に愛撫されたら発情してしまうか?」


 リゾンは僕の翼を優しく撫でまわした。

 気持ちが悪い。

 そして翼のみならず僕の身体の方も撫でまわしてくる。


「(リゾン……停止……)」

「(主……凌辱……見る……興奮……)」


 細かい意味は解らなかったが、さしずめ「主を凌辱されるのを見て興奮していろ」という意味だろう。

 ガーネットの言葉で更にリゾンは僕の身体を弄んだ。


「(悪趣味……)」

「(黙れ……待て……)」


 他の魔族を牽制し、リゾンは行為を続けた。

 首から胸、腹から脚まで軽く爪を立てながら愛撫する。カリカリと皮膚を撫でられ、おかしな気持ちになってくる。


「やめて……っ……」

「いいぞ……お前。ますます気に入った。いい声で鳴け……私に聞かせろ……」


 リゾンが僕の首筋に牙を立てようとした。ガーネットが「やめろ!」「今すぐ殺せ!」と叫び散し、強固な鎖を引きちぎろうとガチャガチャと引っ張っていたが、鎖はびくともしない。

 それでも僕は抵抗できなかった。

 協力してくれると、心のどこかでそう信じていたからだ。


「ふふ……どうだ? 奴に見られながら玩具にされる気分は?」


 首筋を咬もうとしていたリゾンは、咬むのをやめて舌を這わせた。僕の血がついていない部分だ。しかし、その舌先はどんどん僕の血の方へと進んでいく。


 ――マズイ……このままじゃ……!


 僕が誠意を捨ててリゾンを突飛ばそうとした瞬間、


 バタン!


 急に扉が開いて、低級魔族と思しき者が入ってきた。小鬼のような姿をしている。それに手には脱がされた僕らの服を持っていた。


「(緊急……! リゾン……魔王……呼ぶ……翼人……穢れた血……!!)」


 大声でそんなことを言っていた。

 他の魔族たちは動揺して騒めいていた。声が被って何を言っているのか解らなったが、おそらく大体言っていることくらいは察しが付く。


「(父上……呼ぶ……? ……理解)」


 リゾンは僕の身体を繋ぐ鎖を切り離し、翼のベルトも爪で切り裂いた。


「戻ったら続きをしよう。たっぷりな……」


 そう言ってリゾンは僕の髪を指で弄び、僕に背を向けた。

 リゾンと、彼と一緒に入ってきた魔族たちは僕らを一瞥して出て行った。小鬼が僕らの枷を外し、元々着ていた服を渡してきた。

 無言で服を着て、先ほどのリゾンの暴挙に対して怒りや悔しさや悲しみを抱くと、僕は服をギュッと握りしめた。

 その様子を見ていたガーネットの辛そうな顔を見て、僕は心が痛くなる。


「ガーネット……ごめん。痛かったよね」

「…………どうして殺さなかった?」

「どうしてって……」

「あんなことをされて! どうしてすぐに殺さなかったかと聞いているんだ!?」


 首を掴まれて、ガーネットの鋭い爪が食い込んだ。


「誠意を見せたら協力してくれるって……」

「あんな言葉を信じたのか馬鹿者!!」

「……ごめん…………」


 罰の悪そうな顔をする他に、僕ができることはなかった。


「お前は……私の……私の……」

「……?」

「――――ちっ……もういい! 行くぞ!」


「私の」の後に言葉が続くようだったが、それを言わずに突飛ばすように僕から手を離す。ガーネットは先に部屋から出て行ってしまった。


「(行く……魔王……前)」


 小鬼がそう言うと、僕は頷いて同じく部屋から出て行った。もうこんな部屋には戻ってきたくないと思いながらガーネットの後を追いかけた。




 ◆◆◆




 僕はガーネットと共にリゾンの後をついていった。

 他の魔族は僕たちが下手なことをしないように目を光らせている。気を抜いたら食い殺されそうだ。

 しばらくそのまま歩いて行って何度も豪華な扉を開いた。

 重い扉が幾重にも重なり、豪華な装飾を施しているものもいくつもある。手先が器用で造形に長けた魔族がいるらしい。魔術で作ったのか、手作業で作ったのかは定かではないがとても美しかった。

 各魔族の像が扉の前に置いてあったり、知性の高い生き物というのは人間や魔女、魔族も考えることは大差ないらしい。


 ――ガーネット、怒ってるよね……


 先を歩き、振り返るそぶりのないガーネットの金髪を見つめると、後ろめたい気持ちになる。


 ――いつもガーネットを怒らせてばっかり……


 いつも冷静な装いだが先ほどの怒りは、ラブラドライトがアナベルに玩具にされているのを見た時のようだった。


 ――無事だったんだし……いざとなったら僕だって抵抗したのに……あんなに怒らなくてもいいじゃない


 そう文句の一つも言いたかったが、そこまで憤るということは真剣に僕の心配をしてくれていたからだと思うと言えなかった。

 考えている内に、魔王の間の前にたどり着いた。

 魔王と対峙してもどうなるか解らなかった。

 ここで話が通らなかったら、僕たちだけでどうにかするしかない。そもそも、ここから帰ることすらできるかどうか解らない。


 最後の大扉をくぐったら大きな広間にはいた。

 かなり大きな身体にいくつもの顔を持っている。

 獅子の顔、死神のような顔、そして中央にヒゲを蓄えた吸血鬼族の顔。身体は獅子、硬い鱗が身体についている。大蛇の尾、大きな蝙蝠の翼が一対。

 手足には鋭い爪。もはや何の種族なのか解らなかった。


 ――リゾンは吸血鬼なのに……どういうことだ……


 てっきり魔王も吸血鬼なのだと思っていた。

 僕とガーネットは小鬼に連れられて魔王の御前までの道を歩いた。

 大広間になっていて、一番奥に魔王がいる。その道中にはあらゆる魔族が集結していて、道を歩く僕らを睨みつけていた。途中で飛びかかられるのではないかとも考えて恐ろしいと思っていたが、無事に魔王の御前に到着する。

 間近で見ると物凄い威圧感だ。

 その身体の一部を一なぎされただけで、一瞬でちりと化されそうで恐怖を感じる。

 ガーネットもさすがに黙って魔王を見つめていた。魔王に向かって啖呵を切るかと冷や冷やしていたが、立場をわきまえているようだ。


「……その片側の三翼、タージェンの娘というのは間違いではないようだな。魔女と翼人の混血の遺児よ」


 低く、響き渡るその声に僕は気圧された。

 魔王が向こうの言葉を話せることに少し驚いた。


「父のことをご存じなのですか?」

「あぁ、奴とは古い知人であった。あれほどの魔族が魔女に殺されたと耳にしたときは、耳を疑ったものよ」


 威圧感はあるが、リゾンや他の魔族より話しを解ってくれそうで、僕は少しほっとした。


「して、タージェンの忘れ形見よ。何故異界にきたのだ」


 僕は深呼吸して慎重に答えた。

 言葉を間違えてはいけない。ここで下手なことを言ったら、何もかもが始まる前から終わってしまう。


「……最初の魔女のイヴリーンがこちらの世界を作ったように、もう一つ世界を作って全ての魔女をそこに隔離して閉じ込め、無力化したい。なので、イヴリーンが使った術式を教えてもらうために異界にきました」


 恐れ多くも魔王にそう告げると、ガーネットの固唾を飲みこむ音だけがやけに僕の耳に聞こえた。




 ◆◆◆




【シャーロット 現在】


「しっかし……ノエルも大胆なこと考えるよな。本当に新しい世界なんか作れんのか?」


 クロエが木にもたれながら、何かを必死に書いているシャーロットに向かってぼやいた。


「イヴリーンはやってのけました。ノエルも可能だと考えたのでしょう」

「それで、術式を知ってるであろう魔王のとこに行くなんて滅茶苦茶だぜ。ほんとに魔王が術式なんか知ってんのかよ」

「知っているはずです。魔族の中には絶対的な記憶力を持つ者がいますから、一度見たら忘れることがありません。その魔族と魔王は融合しているはずです」

「魔王の儀……だったか。各種族の最強のヤツが全部融合して魔王になるんだろ? それはやべえよな。だが、イヴリーンがどうこうなったときは恐ろしく前だぜ? 世代交代でもしてんじゃねぇのか」

「世代交代という概念はありません。絶対的な自我としてそれはあり続けます。記憶は常に引き継がれますし」

「でもよ……イヴリーンの使ったその術式、なんでこっちに残ってねぇんだ?」

「使った後にイヴリーンが永久に破棄してしまいましたからね……」


 クロエは異界への魔術式をぼんやりと見て、ノエルの帰りをずっと待っていた。心配で気が気ではなかったが、自分が行くこともできずモヤモヤとする。


 ――結局俺は、いつも待ってるしかできない


 寄りかかっている木から身体を離し、シャーロットの近くに寄る。


「さっきから何必死に地面に書いてんだ?」

「これは――――」




 ◆◆◆




【ノエル 現在】


 僕が魔王に目的を告げると、魔王は呆気にとられたような顔をした後に、笑い出した。


「世界の創造だと……? はははははははははははは!」


 大広間が揺れるくらいの笑い声が響き渡った。


「くくく……そうか。魔女の隔離か……魔女でありながらおかしなことを言う。しかし、あれはイヴリーンの強大な魔力と、それに追随するほどの強い魔力の魔女たち数人で成し遂げた御業だった。魔女を隔離する為の術式に、魔女が協力するとは思えないが?」


 一瞬でも気を抜いたら、この場で八つ裂きにされて殺されそうだ。

 そう感じるほどの威圧感が魔王にはある。


「そうですね……しかし、僕と、あと2人の高位魔女は合意しています。しかし、術式が解りません。研究すれば解るかもしれませんが、時間がなくお伺いに参りました。お願いします、術式を教えてください!」


 僕は魔王に向かって深々と頭を下げた。

 もう誠実に頼む他には僕にはできない。言葉巧みに説得できるほど、僕は口が達者ではないからだ。


「あとたった2人か? それでは不可能だ。お前の魔力もイヴリーンに匹敵するほどのものだが、それだけでは足りない。無謀に思うが?」

「厚かましいとは存じますが、魔術を巧みに使う魔族に協力していただきたく思っています」


 厚かましいとは思いながらも、魔王に対してそう申し出る。蛇の尻尾がゆらゆらと揺れながら魔王は僕を見定めている様だった。


「まだ聞きたいことがある。とはどういうことだ? そもそも、お前が魔女を隔離したいのはなぜだ?」


 質問に対し、丁寧に答えなければいけない重圧感で潰されそうだった。

 後ろで沢山の魔族たちが控えている以上、魔王の機嫌を損ねでもしたら逃げることは到底できない。そもそも魔王から逃げられるとも思わない。

 もう僕らは逃げ場などどこにもない。


「むこうの世界にいる魔女の女王は、僕の翼の半分を自らに移植し、翼に侵され、正気を失いつつあります。正気を失うまでには大した日数はかからないでしょう。そして、このままでは暴走した女王に何もかもが破壊されてしまいます。それを防ぎたいのです」

「なるほど、理解した。して、次はガーネット、貴様に問いたい」


 ガーネットは名前を呼ばれると、より一層険しい表情で魔王を鋭い眼光で睨むように見ていた。

 手が心なしか震えているようだった。


「(何故……魔女……協力……?)」

「(是……魔女……命……救済……契約…………)」

「(魔女……奴隷?)」

「(否定……対等……)」


 魔族の言葉で話している為に解らない部分も多かったが、大筋の話の流れは理解できた。

 何故僕に協力しているのかということと、僕がどんな魔女なのかということを魔王は聞いている様だった。

 時々悪口のような言葉も聞こえたが、ガーネットは総じて前向きな言葉で僕を説明していた。

 その説明を聞いていたその場の魔族たちはザワザワと騒めいた。


「(……お前……変化……)」

「…………」


 ガーネットが黙ると、魔王は再び僕の方を向く。

 魔王の鋭い眼光にビクリと僕は身体が硬直する。


「ふむ……私たちも魔女には手を焼いている。いいだろう。魔族の手を貸してやろう」

「ほ、ほんとうですか!? ありがとうございます!!」


 その言葉が解ったリゾンは、僕らの会話を遮ってすごい剣幕で魔王に食って掛かった。


「(父上……戯言……否定……!!)」

「(黙れ)」


 魔王の言葉でリゾンは黙った。流石のリゾンも逆らえないのかと僕はリゾンを見つめる。

 苦虫を噛みつぶしたような顔をしてギリギリと歯ぎしりしているようだ。


「お前のことはよくわかった。複数の魔族の証言から、私はお前を信用しよう」

「複数の魔族……?」

「数名の魔族がここに報告に来たのだ。そこにいる者たちだ」


 魔王が指さした方向を僕は見た。魔族の列から数名が出てきたのが見える。

 出てきた魔族を見て、見覚えがあることに気づく。その魔族たちは僕がガーネットと一緒に出会った下級魔族だ。

 魔王に一礼するといそいそと出てきた。


「あ……お前たち……」

「(感謝……再度……対面……感謝)」


 魔族たちは僕の近くまで来てかしずいた。その様子を見て周りにいた魔族たちは騒めく。


「(優しい……魔女……私たち……救済……吸血鬼……死……向かう……救済)」


 より一層、周りにいた高位魔族は騒めいた。


「(静寂)」


 魔王が一喝すると周りのざわめきがおさまった。やはり魔族は魔王に逆らえないようだ。それだけ絶対的な存在なのだろう。


「そしてこの者たちが白い幼い龍族を見たと言っていたが、それは誠なのか」


 ――白い幼い龍族……レインのことか


「はい。怪我をしているところを見つけ手当てをしました。もう元気になっております」


 魔王はリゾンと一緒に入ってきた龍族の方を向いた。黒い大きな龍族は魔王にこうべを垂れた。


「(レイン……魔女……救済……生存)」

「!!」


 その龍族は驚いていたようだ。何か言いたげな黒い龍は、魔王の前だからか僕に話しかけてくることはなかった。


「レインは龍族の長の子供なのだ。魔女に召喚されてずっと行方知れずになっていた」


 僕はレインに僕の羽を預けていたのを思い出した。


 ――異界だが……声くらいなら届くか……?


「レインに僕の羽を持たせています。魔術で交信できるかもしれません。やってもよろしいですか?」

「なんと……そうか。やってみてくれ」


 僕は魔術式を構築して、魔術でレインに語り掛けた。

 魔術式を構築すると周りの魔族が騒めいたが、魔王が牽制するとそれがピタリと止まった。


「……レイン、聞こえる? レイン。聞こえたら答えて」


 僕の問いかけに対し、少しの間を置いてレインは応えた。


「……ノエル? ノエルなの?」


 レインの声が聞こえた瞬間、龍族の長と言われた黒い龍は気持ちを堪えきれなかったようでレインに語りかけた。


「(レイン……無事……生存……どこ……)」

「(お父さん……?)」


 龍族の性別はよく解らないが、あの黒い龍は父親らしい。


「(レイン……どこ……?)」

「(人間界……元気……心配……否定。ノエル……救済……魔女……優しい……好き……危害……加える……許す……否定)」


 魔族たちは再び騒めきだした。魔王が二度も牽制したけれど、騒めかずにはいられないほどの衝撃的な言葉だったようだ。


「ノエル、魔王様のところにいるの? なんで? ぼくも連れてってくれたらよかったのに! そしたらね、ぼくがノエルのことみんなに紹介したのに!」

「ありがとう。そっちに帰ったら会いに行くから、待っていて」

「うん! わかった! 待っているね!」


 すると、扉が開いた音が聞こえた。

 嫌な予感がしたが、その嫌な予感は数秒もしないうちに的中する。


「おい白トカゲうるせえぞ、さっきから。誰と話してやがるんだ」


 僕は心臓が跳ね上がったのを感じた。

 この声は、ご主人様の声だ。


「え? ノエルと話しているんだよ」

「本当か!? おい、お前! 返事をしろ!」

「あーちょっと! ぼくが話しているのに邪魔しないで――――」


 僕は急いで魔術式を解いて交信を遮断した。


 ――話せない……話したい。でも話したら……――駄目だ。こんなところで話すわけにはいかない


「すみません。お見苦しいところを……レインはあの通り元気です」


 取り繕うにそう言うと、魔王はそれを聞いて頷いた。


「そのようだな。よかろう。我ら魔族は力を貸してやろう。(聞け……皆……魔女……ノエル…………協力……賛同)」


 魔王がそう言ったとき、周りがより一層大きく騒めいた。

 否定の声を上げるものも多かったが、あのときリゾンと共に入ってきた大きな獣とレインの親の龍族が咆哮を上げた。


「(是……魔女……一族……救済……我……協力…!)」


 その咆哮を聞き、否定を叫んでいた魔族たちは口をつぐんだ。

 あの大きな獣の魔族は僕が助けた魔族の長らしかった。


「龍族と獣族はノエルに協力するようだ。あのとき助けておいて良かったな」


 ガーネットが僕にも解りやすく通訳してくれた。まだ怒っているかと思っていたが、もう怒っていない様だった。

 その言葉を聞いて安心する。


「うん……やっぱり話し合えば解ってくれるじゃない」


 そう言うと、ガーネットは「ふん」とそっぽを向いた。


 ――素直じゃないな、この吸血鬼は……


「(父上……! 拒否……否定!)」


 僕がガーネットに対して半ば呆れている中、リゾンはどうしても納得できないようで、魔王にまた食って掛かった。

 すると魔王が大声で言葉をまくし立てた。

 早口な上に知らない単語いくつも使った為、僕は魔王の言葉がほとんど聞き取れなかった。ビリビリと大広間が魔王の言葉揺れる。

 僕はびっくりしてガーネットの後ろに隠れるように後ずさった。


「ノエル、みっともない真似をするな」

「でも……やっぱり魔王様怖いし……」

「ふん……忘れたのか? 魔族が相手を名前で呼ぶということは、相手を認めたということだ。魔王はお前を名前で呼んだ。だから魔族がざわめいたのだ。魔族は魔女など絶対に名前で呼んだりしないものだからな」


 そう言われて、恐る恐るガーネットの顔を見たら、ガーネットは何やら気まずそうに顔を逸らした。


「ガーネットは僕のこと、認めてくれてるんだね」

「つけあがるな馬鹿魔女」


 そう言いながらも、彼の言葉に棘はなかった。


「ガーネット、魔王様はなんて言ってるの?」

「……『お前には魔族の未来が見えないのか。考えの至らぬ痴れ者が』と言っている」

「魔王様は魔族の未来を気遣っているんだね……」


 住んでいる世界は違うけれど、民を思う気持ちは変わらないんだなと思い、嬉しい気持ちでいっぱいになった。

 目頭が熱い。気を抜いたら泣いてしまいそうだった。


「息子の非礼を許してほしい。(リゾン……去れ)」


 魔王がそう言うとリゾンは言い返そうとする様子を見せたが、そうせずに大広間から出て行った。


「詳しい話は後にしよう……このことは魔族全土に通達する。各魔族の長が集まったら会議を開く。それまでは休まれよ」

「はい! ありがとうございます!」


 そういって僕はガーネットと顔を見合わせて笑った。僕は久々に心の底から笑った気がする。

 ガーネットは笑ってはいなかったが、いつもより少し柔らかい表情をしていた気がする。



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