第30話 自由の翼




【魔女の城 ノエルが去った直後】


 城というのは、崩れている状態が正しい状態なのではないかとすらと考察するほど、城というものは襲撃などで壊れ果てる。

 王族というものは必ず妬むものや忌避するものがいる。大きすぎる権力はそれに対なる反乱分子が潜んでいるものだ。

 ある意味では、ゲルダという城がノエルという反乱分子にただの肉片にまで切り刻まれたのは、そういう因果があるのかもしれない。


「はぁ……はぁ……」


 辺りは滅茶苦茶に壊れていたが、城自体に大規模な修復魔術がかけられていることもあり、徐々に城は戻って行った。

 しかし、分子レベルまで分解されてしまった部分は直らずにそのままになってしまっている。

 ゲルダは、まるで削岩機にでもかけられたのかというほどバラバラになった肉片が、ノエルが去った後にすぐに再生した。

 翼の部分が真っ先に集合し、それから心臓を中心に身体の再生が進んだ。

 肉体の再生が終わると、当然神経系統が構築されてゲルダはそれまで以上の痛みに襲われた。

 心臓に深く翼が侵食してくる例えがたい痛みの感覚、もう片方を得られなかった憤りや苛立ちが正気を蝕む。

 考えることすらできない程、ゲルダは翼に侵されていた。


「あ゛ぁあ゛あぁぁあ゛あ゛ぁあ゛あッ!!!」


 魔術は暴走して高エネルギーのレーザー光線が暴発し、方向も定まらないままゲルダは撃った。


 ――翼がほしい……


 高エネルギーのレーザー光線が撃たれるたびに城は当然大きく崩れた。

 中にいた魔女もその高エネルギーに晒されると、一瞬で蒸発する。


 ――翼がほしい!


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!!!!」


 ――翼がほしい!!!


 その後、どのくらいそうしていたのかは解らないが、ゲルダは痛みと疲労感と絶望感と孤独感で正気など保っていられなかった。

 わけが解らない状態になっていたが、ふとある感覚だけがゲルダの正気を繋いだ。

 リサだったものはゲルダと同じく物凄い回復力で回復している。その方角から物凄く甘い匂いがゲルダを虜にさせる。


「はぁ……はぁ……ッ……」


 ゲルダはよろよろと立ち上がり、不安定な足取りでリサの方へ近づく。甘い匂いがより一層強くなる。

 それはリサの腹部のあたりから香ってくるような気がした。

 空気の刃を成形し、リサの腹部を切り裂いてその部分を針で広げ止める。

 中からなにかの頭部がゴロリと出てきた。何の頭部か解らないが、ゲルダは他のものに目を奪われた。

 見た目は同じな上、混じってしまっているが、そこにノエルの血液や肉片があるとゲルダは解った。これもノエルの一部が自分についているからだろうか。

 その自分を苛み、侵すものと最後の抵抗をしている中、微かな理性がゲルダ本人に問いかける。


 ――なんで私……こんなことになってしまったのかしら……


 走馬灯のように、ゲルダは昔のことが脳裏を駆け巡る。




 ◆◆◆




【ゲルダ 100年前】


 最高位魔女会サバトは、人間に秘密で何度も開かれていた。

 人間に見つからないように人払いの魔術式を使い、数十人の魔女たちがあつまっている。そのどれもがみすぼらしい恰好をしていたが、一部には人間の上流階級の人間と暮らしている者もいる。

 子供がいる魔女は人間との子供ではない。今の魔女の社会では、男の魔女の子供を身ごもらせ、人間に育てさせる。

 その習性の鳥がいる。

 カッコーという鳥は違う種の鳥の巣にある卵を巣の外へ落とし、自分の卵を産み付けて、別の鳥に育てさせるらしい。

 魔女はそうしなければ血が途絶えてしまう。


「悲願が叶った……」


 もっとも年老いた魔女がそう告げると、一同に魔女たちは歓喜の声をあげた。


「もう人間に辱めを受けるのも終わりだ……反旗を翻す。イヴリーンの呪縛から私たちは解放される」


 老婆がボロボロの布から骨と皮だけの痩せた腕を覗かせる。

 その手には魔女を制約し続けたイヴリーンの心臓があった。神秘的に魔術式がその心臓の周りを輪を描く様に舞っている。

 人間に長らく厳重に保管されていた最重要機密のものだが、うまく取り入った魔女がそれを奪還した。

 老女が魔術式を展開すると、その心臓も、取り巻いていた魔術式も粉々になった。その瞬間に、魔女たちは自分たちが感じていた心臓を締め付けられ続けるような呪縛を逃れた。

 その解放に、歓喜で涙を流すものもいた。


「罪にまみれた人間を一掃し、火刑に処された私たちの同胞の無念を人間に思い知らせてやるのだ」




 ◆◆◆




 間もなくして戦争が始まった。

 ついにイヴリーンの呪縛は破られたのだ。人間に危害を加えてはいけないという誓約から解き放たれ、ずっと長い間迫害を受けていた魔女たちは反旗をひるがえし、強い結束のもと人間たちを攻撃した。

 これを地獄と言わずになんと言うのだろう。

 辺り一面血の海、かつては生きていたと思われる肉の山、吐き気を誘う異臭の街だ。

 ゲルダは母を殺す義父を見た。

 ゲルダの母は戦争になったのを悟り、怯えていた。しかし、その火の粉は容赦なくふりかかる。

 事の発端はゲルダの母の友人が家に荒っぽく入ってきたところからだ。


「戦争だよ! あんたも戦いな!」


 魔術式を纏う彼女を見たゲルダの義父は唖然としていた。

 母の友人が義父を殺そうとしたが、義父は素早く手元にあったナイフで母の友人の心臓を突き刺した。


「キャアアアアアアッ!!」


 母の叫び声と左右に振れる目は明らかに正気ではなかった。耳を塞いで丸くうずくまり「嫌」「助けて」「死にたくない」とぶつぶつと独り言を言っている。


「お前……魔女だったのか……!?」


 義父が母に襲いかかろうとしたところを、ゲルダは震える脚を奮い立たせて止めに入った。しかしゲルダはまだ幼い子供。養父とは圧倒的な力の差があり、ゲルダはすぐに振り払われて壁に強く背中を打ち付けた。


「ゲルダ!」


 母はゲルダの元に這うようになんとかたどり着いた。ゲルダは痛みで目に涙を浮かべていた。


「殺してやる……お前ら、俺を騙してやがったな!! 『虚飾』の罪で死刑だ!!!」


 母が立ち上がり、怒り狂う義父に対して魔術式を組んだが、母は義父にそれを撃ち込むことはなくただ泣いていた。

 義父は初めは腰を抜かして恐怖していたが、母の震える手や泣き顔を見て手近にあった斧を手に取り、一気に首を切り裂いた。

 ゲルダの耳に嫌な音がこびりつく。

 目を見開いて母が倒れるところを見なければならなかった。

 やけにそれはゆっくりに見えて、ゲルダの時だけ壊れてしまったかのように感じた。どれだけそれが恐ろしかったか、筆舌に尽くしがたい。

 倒れた母はゲルダを安らかな表情で見た。


「…………め…………ん……ね」


 ゲルダは母のこんな安らかな表情は見たことがなかった。

 いつも義父に怯えて機嫌を取り繕い、びくびくしていた母の死に顔はやけに安らかだった。

 ゲルダは様々な感情が混ざりあった。恐怖と安堵、怒りと喜び、悲しみと嬉しさ。

 その不安定な様子は表層には無として現れていた。

 ゲルダを現実に引き戻したのは斧を振り上げた義父だった。

 義父の表情は怒りと怯えが混在しているのが解った。

 ゲルダは本能的に右手を義父の前につきだす。

 一瞬で何千もの鉄製の鋭い針が現れ、義父の身体を突き刺し、貫通して後ろの気の壁に刺さった。

 最後の一声をあげる間もなく、義父は絶命した。

 母の血と、義父の血が混ざりあっていくのをゲルダは呆然と見ていた。

 母の血が義父の血に混じると、義父の血は変色して血液ではないものに変わってしまった。まるで母の血液が意思を持っているかのように変色させていく。


 ――そうよ……強いものが絶対なの……


 戦争は、魔女の圧勝だった。

 人間に虐げられていた幼い少女がどれほどの功績を収めたか、それは計り知れない。




 ◆◆◆




 青色だ。

 見渡す限りの美しい青色。濃い色から淡い色まで、さまざまな青が折り重なっている。月夜の弱い光でも青色だということがはっきりとわかる。

 廊下の城を支える柱に施されている細かい彫刻も美しく、寸分の狂いなく精密に作られている。

 その彫刻よりもずっと美しい2人の魔女は、ただならぬ雰囲気で向かい合っていた。

 2人とも高位の魔女が着る法衣をまとっている。

 1人は黒い長髪の艶やかな魔女。細すぎるとも取れる身体は法衣を着ても隠し切れない。伸びた前髪は目にかかっているが、綺麗な顔をしていることは間違いない。

 もう片方は赤い燃える様な鮮やかな髪が印象的な魔女。長く赤い髪や、桜色の血色の良い肌は瑞々みずみずしく、もう片方の魔女とは正反対だ。

 だが2人とも肌が白く、城の廊下の柱から差し込む月光が淡く反射していた。


「ゲルダ、私は出て行くわ」


 赤い髪の魔女が、黒髪の魔女にそうはっきりと言い放った。ゲルダと呼ばれた魔女は困惑を隠せない。


「どうしてよ!? ルナ! 私とずっと親友でいてくれるって言ったじゃない! 女王を2人で目指そうって……確かに意見の食い違いはあるけど……」


 ゲルダは叫ぶように赤紙の魔女、ルナに迫る。幼いころにした約束を持ち出し、必死にルナを止めようとする。


「それに最近、どこへ行っているの? まだ人間の説得に行っている訳ではないんでしょう?」


 どこでなにをしているか解らないルナをゲルダが問い詰める。


「……私は女王になるより大切なことを見つけたの」

「なによそれ……女王になるより大切なことなんてないわ!」

「そんなことないわ。女王は貴女がなりたがっていたでしょう。私は表舞台から消えるから、貴女が魔女をまとめるの。お願いね」


 ルナは有無を言わさぬように話を切り上げた。

 唖然としているゲルダに背を向けて、大理石の床をカツン……カツン……とゆっくり歩き出した。


「さようなら、ゲルダ」


 ゲルダは月明かりが照らすルナの背中をただ見つめていた。

 彼女は追いかけて止めるとこもできた筈だ。それでもゲルダは親友を止めるよりも自らが女王になれる道を選ぶしかなかった。

 意見の食い違いから、ゲルダとルナの間には少なからず溝があったけれど、女王になるより大切なことがあるなんて信じられなかった。


 ――ルナは愛されて育った……私とは違う……


 それでも、大切な親友が去った事を受け入れらない気持ちの方が強かった。

 ルナが自分を裏切るわけない。

 ずっとゲルダはそう思っていた。

 何かやむを得ない事情があったのだ。絶対にそうだ。そう思わなければゲルダは気が狂いそうだった。

 先代の老女の魔女は、老衰で女王の座を退いた。

 そして数ある女王候補の中でも魔力の強く、人間を沢山殺し、使役し功績を残した魔女か

 あるいは最も魔女たちの信頼のある者か。

 状況は二極化していた。前者はゲルダ、後者はルナだ。

 しかしルナは失踪した。


 ――どうして……


 混乱はあったが、それでも魔女の女王即位の儀式はとり行われ、ゲルダが女王の座についた。

 ルナはそれから誰の目からも姿を消し、魔女たちはルナを懸命に探したが一向に見つからない。


「しっかりしないと……」


 ゲルダは念願の女王になったが、その非道なやり方には徐々に反発が強まっていった。

 多くの魔女はゲルダの事を良くは思っていない。結局はルナがいなくなったからゲルダがなっただけのこと。

 ルナのように天才的な素質のないゲルダが女王になれたのは、ひとえに人間との戦争で功績をあげたからだ。

 魔女のほとんどは人間に虐げられ、酷い目に遭わされた者たち。ゲルダを支持するのは当然と言える。人間との戦争の後という時期も良かった。

 魔女たちが不満を口にするときには必ずルナの名前が出た。


「ルナ様が行方不明になってから随分経つけれど、私はルナ様が女王の器だったと思うわ」

「そうね、ルナ様は明るいお方だし発想にも柔軟性がある。ゲルダ様は魔力は確かなものだけれど、ルナ様のように天才的というわけでもない。上に立つタイプでもないわね」


 そう、影で言われていることもゲルダは知っていた。

 しかし、懸命にゲルダは舵取りをして魔女たちをまとめようと躍起になっていた。それでも魔女たちの欲求を抑えるのは大変なことだ。

 そうして季節が何度も過ぎるに連れて、ゲルダが女王の座にいることを思わしくないと思っていた魔女たちは女王の座の交代を迫った。


「ゲルダ様、非道な支配やその魔術の才では各地の魔女の統一は困難です。人間への憎しみが薄れた今、魔女たちの統率が乱れています」

「……何が言いたいの?」

「女王の座を退いてください」


 何人もの上級の魔女がゲルダの前に立ちふさがった。全員が緊張した面持ちでゲルダを見つめている。


「私が降りたとしても、適任の魔女なんていないわ」

「いいえ」


 即座に言葉を否定されたゲルダは、驚いた。

 ゲルダの知る限り、適任の魔女は本当にいなかったからだ。誰がやっても同じだと本気で思っていた。


「誰?」

「ルナ様が見つかったのです」


 そう聞いたとき、ゲルダは希望と絶望が入り混じった。


「どこに?」


 ゲルダはルナがいると報告があった場所へ急いだ。

 魔女の城からは物凄く遠い場所。地方の魔女からの報告だ。

 ゲルダはわき目もふらず、あらゆる手段を使ってその場所へたどり着いた。

 ルナは湖のほとりで水を汲んでいる様だった。

 疑問に感じたが、そんな疑問は変わらない姿のルナをみて吹き飛んだ。いつも通り涼し気な顔をして、長い赤い髪をかき上げながら歩いている。数十メートル離れた木の陰に隠れていたゲルダは、身を乗り出した。


 ――きっとルナは自分のことを受け入れてくれる


 女王なんてどうでもいい。

 ゲルダは親友のぬくもりを感じたかった。ゲルダは自分の元へ帰ってきてくれると信じていた――――


「ルナ!」


 そう彼女の名前を呼んだのはゲルダではなかった。声がしたのでゲルダは再び木の陰に身をひそめる。

 茶髪の長髪で黒いコートのようなものをきた男が急ぎ足で走ってきた。


 ――女王より大切なことって、男?


 そう考えるとゲルダは歯をギリギリと食いしばる。

 あんなどこの誰とも解らない男のために女王の座を捨てて失踪したのかと思うと、怒りすらも湧いてくる。


「タージェン、どうしたの?」

「いやぁ、困ったよ。質問攻めにされるんだが、質問してくる内容が難しくてな」

「私が答えられるかしら」

「しかし今日はいい天気だな。少し広げてもいいか?」

「んー、少しだけよ」


 茶髪の男はコートを脱ぎ捨てると、背中の空いているおかしな服を着ている様子が見えた。しかし、ゲルダはそのおかしな服を気にすることよりも更におかしなものを見ることになる。


 ――……翼!?


 六枚の大きな翼がはためくと、数枚の白い羽が舞った。


 ――翼を形成する魔術……?


 ゲルダは小さな水を複数空中に浮かべ、光の屈折を利用して翼の付け根の部分や実際の翼を確認するが、魔術で作られた痕跡はない。


「やっぱりこっちの方が楽だな」

「私もその大きな翼があるほうがあなたらしいと思う」

「人の目も、魔女の目もないところというのは難しいな」

「そうね……ごめんなさい。窮屈な思いをさせてしまって……」

「いいんだ。私は幸せだ」


 ゲルダには良く聞こえなかったが、ゲルダとその翼の生えた何かは口づけを交わしたのが見えた。


 ――なに……あれ……


 何とも形容しがたい感情がゲルダを支配する。

 嫉妬、怨嗟、屈辱、裏切り、憤怒、悲哀、憂鬱、傲慢、強欲……醜い人間が抱くその感情に嗚咽さえしそうになった。


「先に戻ってまた質問攻めにされていてくれる? 私は切らしていた薬草を摘んでから行くわ」

「あぁ、すぐにきてくれよ」


 再度口づけを交わし、翼を生えたソレはきた方向へ消えていった。

 ゲルダはどうしたらいいか解らなかったけれど、話せばきっと解ってくれると思い、ルナの方へ一歩一歩近づいた。

 ルナは草を摘んでいるようで、ゲルダには気づかない。


 ――ルナ……


 あと数メートル。

 声を出そうとした瞬間、さっきの男の声とは違う別の声が聞こえた。幼い子供のような声だ。


「母さーん!」


 ――母さん……?


 ゲルダは咄嗟にルナに背を向けて逃げた。フードを深くかぶり、手で押さえながら必死に走った。子供の姿は見えなかったが、その姿を見たくはなかった。


 ――母さんって、何?


 その言葉を口に出す勇気はなかった。

 その後姿をルナが見ていたことをゲルダは気づかなかった。




 ◆◆◆




【数日後】


 覚悟は決まらなくても、事実を確認せずにはいられない。

 ゲルダは離れた地、辺境の魔女の町にいた。宿をとり、独りうずくまっていた。頭の中では幼い子供の「母さん」と呼ぶ声が何度も何度も反響する。

 何度も涙を流した。


 ――なんで……ルナ……


 せめて、親友の自分にくらい何か事情を説明してくれてもいいのに。

 どうしてなにも話してくれないのかと、どうして私を裏切ったのかと、どうして自分がいないのにあんなに楽しそうにしているのかと気が狂いそうだった。


 ――約束したのに……


 そこでゲルダはハタと気づいた。


 ――そうだ。あの男と子供を殺したらルナは帰ってくるかもしれない……


 そうでなくても、ルナは話を聞いてくれる。説得したらきっと戻ってきてくれる。

 そう願ってゲルダは再びルナの元へと向かった。向かっている道中、ゲルダはどんどん前向きになって言った。


 ――会ったら、きっとルナは喜んでくれる。そうだ、あの時みたいな花冠を作って行こう


 見渡して目についた花に触れた。

 その花は紫色で小ぶりな花だ。鳥の頭のような花が沢山咲いていたので、これで花の冠を作ろうと思った。

 ルナの髪の毛が赤いから、きっとこの青紫の花は似合うはずだなどとゲルダは手を動かして冠を作った。

 それを持って再びルナを見かけた湖につくと、ルナはかがみこんで何かしていた。湖の水で洗濯をしているようだった。人間に紛れて生活しているのだろうか。でもあの翼のあった男は誰なのかという疑問はぬぐえない。

 色々思うところはあるけれど、暴れる心臓を鎮めながら勇気を振り絞ってゲルダはルナに話しかけた。

 その後、激しい後悔と、絶望を味わうとも知らずに。


「ルナ」

「はーい」


 ルナは明るい声で答えてくれた。緊張していたけれどその明るい声でゲルダはホッとした。

 振り返ったルナは笑顔を消してゲルダを凝視する。

 それは昔の親友を見る目ではなかった。恐怖で引きつっている顔。

 しかしゲルダは久々に会いに来た親友を見て驚いているだけだと思った。


「ルナ。私よ」

「ゲルダ……?」

「ルナ……」


 ゲルダはルナが自分の名前を呼んでくれた事が嬉しかった。目頭が熱くなり、涙が一筋流れる。やっぱり変っていない。

 自分の親友のルナだとゲルダは感じた。


「探したわ……一緒に帰りましょう。ほら、花冠を作ったの。あなたが戻るお祝いよ。懐かしいでしょう? あなたにあげるわ」


 ゲルダがそう言いながら冠をルナにかけようとすると、ルナはそれを後ずさって拒絶した。


「ゲルダ、私はもう戻らない。冠もいらないわ」

「ど……どうして……?」


 戸惑った。

 ゲルダは拒絶されたことが理解できない。


「私はもう……魔女をやめたの」

「な……何を言っているの……魔女をやめる? やめるとか、やめないとかじゃないわ……それにどうしてやめる必要があるの?」

「魔術は必要ないの」


 次々に理解のできないことを言うルナにゲルダは混乱してきた。

 ルナがそんなことを言うわけがない。そう思うと、全身から暑くもないのに汗がじっとりと出てくるように感じる。


「あぁ、解った……あの翼の生えた人間にそそのかされたんでしょう?」

「!」


 体のいい自分に都合のいい言い訳を、言葉の山から言葉を煩雑につなぎ合わせて納得しようと……ルナは悪くないんだと自分の中の真実を守り切ろうとする。


「見ていたのね……あのとき走り去った魔女は……あなただったの」

「人間なんか捨てて私のところに戻ってきて……2人なら魔女を統一できるわ。今は私……私、実はうまくいってなくて……ルナが戻ってきてくれたら――――」

「ゲルダ」


 ゲルダの思惑とは裏腹に、ルナは次々とゲルダの願いを砕く言葉を発し続ける。


「私は戻らない」

「え……」

「探さないでほしいの。あなたなら立派にやれるわ」

「……そんな…………」


 ――違う。これはきっとルナの偽物だ。ルナがそんなこと言うわけない……違う。違う違う違う違う違う……!!


 なんだろう。この感情は。

 怒り? 悲しみ? 苦しみ?

 絶望的な感情は波打つように引いては押し寄せる。しかし、表層に出るその感情は無だ。言葉を失い、縋る言葉すら喉に詰まって出てこない。


「その冠を作った花、毒の花よ。高位の魔女なら平気だろうけれど……一応手を洗ったほうがいい」


 手に持った紫の花冠は、弱い風にゆれて微かな香りをどこへ届けるともなく、死にゆく定めを受け入れている。


「……さようなら」


 背を向ける彼女を追いかけることは出来なかった。

 暫く呆然とその場に立ちすくした。膝から崩れ落ちると、涙が一気に流れ出る。心臓が握られているような感覚がして、苦しくなり、嗚咽しながら泣く自分の声が聞こえる。


 ――寒い……


 気候はけして寒くないのに、やけに寒く感じる。

 自分を抱きしめるように腕を回すと、ゲルダは自分が震えていることが解った。うずくまるように自分を抱えながらひたすら涙を流した。


「待ってよ……ルナ……置いていかないで……」


 その消えるような声は、誰にも届くことはなかった。

 手に持っていた青紫の花はいつの間にか燃え尽きてなくなってしまっていた。




 ◆◆◆




【魔女の城 ノエルが去った後】


 思い出す思い出はどれも苦いものばかりだ。


 ――なんで私、生まれてきたのかしら……


 それでも、子供のころの笑っていたルナの顔がこんなときでも脳裏によぎる。

 すると、あのとき崩れ落ちた際に流した涙と同じ涙が溢れてきた。


 ――子供のころは辛かったけれど……でも……孤独じゃなかったのに……


 クロエも、シャーロットも、ルナも……全部ノエルにとられてしまった。

 ノエルを見ているとルナを見ているようで、それでいてルナの罪が具現化したようだった。

 手に入れたいと願うけれど、その姿はあまりにも癪に障る。

 ルナではないそのナニカは、妙にルナよりも眩しく、この手で汚して貶めてけがしてやらなければならないと思った。

 輝かしい翼は、まるで自分から飛び立とうとするその憎らしい様子を具現化したようで、もぎ取らずにはいられなかった。


「翼があれば……」


 ――もし翼が両方揃って飛べたなら……ルナのところへ行けるかしら……


 リサの腹からするやけに甘い匂いに、もう理性を保っていられなかった。

 ゲルダはその柔らかなはらわたに顔を埋めて貪った。





 ◆◆◆





【ノエル 現在】


 息もつかせぬ瞬間だった。

 交渉が決裂し、飛び掛かってくる魔族にガーネットが咄嗟に応戦する。


「ちぃっ……! 弟を頼む」


 彼が多少乱暴にラブラドライトの遺体を投げてよこすと、僕は魔術で水の膜を作り出し包み込み受け止めた。

 ガーネットはその魔族たちを次々と自身の爪の餌食にしていく。

 その荒々しい爪は下級魔族を軽々とあしらい、下級魔族の血しぶきが飛んでいるのが見えた。あらゆる魔族がその強さに怖気づくが、それでも向かってくるのをやめることはない。

 その手についた血を舐めとると、彼は不満そうな表情を浮かべる。


 ――下がる後がないなら……!


 その崖から魔王城まで氷で長い長い道を構築した。氷ができるまで時間がかかる。魔女だとばれたなら、もう一気に魔術で魔王城まで行ってやろうではないか。

 ガーネットが目にも留まらぬ速さで低級魔族を相手している間に、僕はその辺の木から乱暴に木の板を作った。造形魔術ではなく、無理やりに切り出した不器用な板。

 そしてそれを下に置いて氷の道を水で濡らす。


「ガーネット! これに乗って一気に行くよ! 僕を抱えて!」


 ガーネットは雑魚の相手を切り上げて、魔族の血がべったりついた両腕で僕を抱え上げ、その木の板に乗り地面を思い切り蹴った。

 ラブラドライトを包んでいる水の膜を、僕は絶対に放すまいと魔術で制御した。

 僕らが物凄い速さで滑空している氷の道を僕は常に作り続けた。しかし氷の道ができる速度よりも僕らが滑る速度の方が早い。

 だが、もう今更止まることなんかできない。


「僕に捕まっていてガーネット!」


 僕は隠していた翼を広げた。

 少し風の抵抗が変わってガーネットが均衡感覚を失いかけるが、彼はすぐにそれを補う。


 ――まったく、ガーネットは……能ある鷹は爪をなんとやらというから……


「片翼で飛べる訳ないだろう! どうするつもりだ!?」


 少し焦っている彼の言葉を聞いても、僕は不意に失笑した。しかし前方を見ている彼は僕が笑っているのを見ていない。


「翼がない方は風の魔術で補うから! しっかり捕まっていて!」


 僕は右側に大型の風の魔術式を構築して氷の道が途絶えると同時に、僕は羽ばたいた。

 ぐるりと体制を変えて、僕がガーネットを左腕で抱える。

 勿論力では支えられないので、僕は彼の身体も魔術で固定する。彼の身体にべったりついた血液を使って磁力で身体を引き寄せて、なんとか彼を支えた。


「ッ……!」


 ――重い……!


 ガーネットが覚悟を決めたような声を一瞬した。

 当然だ。

 飛んだのと同時に急降下したのだから。

 崖から下まで少し距離があると言っても、落下速度からして数十秒も持たない。

 僕は生まれて少ししてからすぐに片翼を失った。

 飛びかたなんて解らなかった。幼いときは飛べていたかもしれないが、もうそんな感覚は忘れてしまった。

 翼が片方欠落している僕の前で、セージも気を使ってか、積極的に翼を見せることはなかった。


 ――セージ……


 僕には、背負うものが沢山ある。

 今抱えているガーネットやラブラドライトだけじゃない。

 レインや、シャーロット、ついでだけどクロエ、向こうの世界で虐げられている人間たち、こっちの世界で苦しんでいる魔族たち。


 ――ご主人様……!


 その背負っているものの重さから比べたら、こんなのどうということはない。


 バサリ――


 片翼を大きく羽ばたかせると、落下する速度が落ちた。

 そのまま右手で翼の羽ばたきに合わせ、上手くバランスをとって風の魔術を使う。

 かなり難しい。

 こんなふうに飛ぶのはかなり難しいと感じた。それだけじゃない。水の魔術、雷の魔術、風の魔術を同時に発動させるには恐ろしい集中力がいる。

 術式の計算の配分を間違えた瞬間になにもかもが崩壊する。


「やるではないか……褒めてやろう……!」

「弟をしっかり捕まえててよね……!」


 水の膜に手を突っこみ、ガーネットは弟をしっかりと捕まえる。

 そんな精一杯の僕の行く手を阻むように巨大な植物の蔓のようなものが僕の前に現れた。

 毒々しい配色の赤や紫のギザギザした葉をうねらせ、幾重にも禍々まがまがしく重なる蔦の先にある花は、鮮やかな赤色で中央に牙のようなものが円を囲うように配置されている。


「なんだこれ……!?」

「動くものを捕える食肉植物だ!」


 異界は興味深い。向こうではせいぜい小さな食虫植物があるくらいだと記憶している。こんなふうに明確に、しかも素早く動いて獲物を捕らえるなんて、まるで魔術で動いているようだ。

 焼き払いたいが、両手が塞がっている状態では到底不可能。


 ――避けられるかな……


 僕は植物が届かない程度の高さに飛ぼうとする。しかし今までの勢いがあった分、完全にはよけきれない。

 植物は素早く僕の身体に巻き付いた。鋭い棘で皮膚が裂かれる。痛みで集中力が途切れると、発動していた魔術が解けてしまった。

 ガーネット共々からめとられていた僕は、ラブラドライトを落としてしまう。


「ラブラドライト!」


 ガーネットは蔦を鋭い爪で切り裂き、僕を抱えて弟の方へ跳んだ。弟に絡まる蔦も破壊しようとするが、こちらはやけに硬い蔦でなかなか切断することができない。


「このっ……!」


 威力を制御せずに爆炎をおこすと、植物は焼け落ちた。少しだけ勢いが落ちるが、すぐさま別の蔦が伸びてくる。


「ガーネット、少し離れて」


 次々に襲い来る蔦を何度も炎で焼き払いながら、ラブラドライトを絡めとっている方の硬い蔦を、高圧縮のレーザーで焼き切った。

 ガーネットは絡まっている蔦ごと弟を掴み、僕の身体を再びしっかりと抱える。


「すぐに再生するぞ、早く行け!」


 僕は再び翼を羽ばたかせ、右手で風の魔術を使用して飛んだ。


「私を落とすまいと魔術を使うな。大丈夫だ」


 ガーネットは僕の背中の上に乗る形となり、均衡感覚を保っている。


 ――乗られてるみたいで嫌なんだけどな……


 そう言う余裕もなく、うねる植物を回避して素早その一帯を潜り抜けた。僕は一息つく間もなく羽ばたき、魔術を絶えず使い続けた。


「(翼人……魔女!? ……吸血鬼!)」


 ざわめきが下から聞こえる。即刻異界の者たちに僕の存在を知らしめてしまった。

 このまま魔王城に一気に行けたらいいが、そうは思えない。

 それに僕は戦争に来たわけじゃない。協力を仰ぎに来たんだ。

 植物を焼き払う程度ならいいが、魔術で派手に魔族を殺すわけにはいかない。


「ガーネット……僕は極力攻撃しない。なるべく説得してほしい。ここで小競り合いをしたくないんだ」

「きれいごとを……」

「僕はこっちの言葉が不自由だから、ガーネットだけが頼りなんだ。頼んだよ」

「……あぁ」


 僕は崖の上から見た大きな木の辺りにようやくたどり着いた。その木の根元に降り立つと、いくつも大きな石板が置いてあった。その石板の上に乱暴に削られた名前がある。

 その木は近づくと本当に大きく、神聖な場所に見えた。

 近くには黄色く可愛らしい小さい花が沢山咲いている。細く楕円になっている葉が交互に伸びているのが見えた。

 僕はこの花を地上で見たことがある。


「ガーネット……これ……」

「それは吸血鬼族が血液のほかに好んで食べる植物だ。他の魔族もこれを食べる」

「…………これは、食べない方がいい」

「なぜだ?」

「いや……それは後で話そう」


 ラブラドライトの身体にまだ巻き付いている硬質の蔦を焼き切ると、僕は空いている場所に手で穴を掘り始めた。


「何をしている? 魔術で穴をあけたらいいだろう?」

「……気持ちの問題でしょ。魔術でしたら簡単だけど、死者への弔いにはならない」

「そんな悠長なことをしている時間があるとは思えないが?」

「解ってるよ」


 僕らは魔族に囲まれていた。

 低級魔族や、中級魔族などが僕らを中心に取り囲んでいることくらい解っていた。


「(何故……魔女……墓場……荒らす……)」

「(魔女……殺す!!)」


 ざわざわとしているが、「殺す」「魔女」「許さない」「翼人」「穢れた血」という単語は聞き取れた。

 じりじりと近づいてくる。飛びかかられるのも時間の問題だ。


「もういい。埋めなくとも、ここに置けばよい」

「そんなの……嘘だよ」

「たとえそれが嘘でも! 他に手段があるなら言ってみろ!」


 ガーネットは険しい表情をした。

 そんなに怖い顔をしなくてもいいのに。

 怖い顔をするだけならまだしも、そんなに悔しそうな顔をしなくてもいいのに――――……


 ゴンッ


 飛びかかってくる魔族が、何もなかったはずの何かにぶつかり、それ以上僕らには近寄ってこられなかった。


「これでいいでしょ」


 分厚い氷の壁が魔族と僕らとの間にできあがる。

 四方八方を囲う氷の壁は、多少の力で壊せるものではない。しかし、僕はものすごい疲労感で視界が霞んだ。


「はぁ……はぁ……」


 ――身体が怠い。魔術を使いすぎたか……


 それでも僕は地面を懸命に掘り続ける。

 そこの土は柔らかく、素ででもある程度掘ることができたのが幸いだ。掘る道具をシャーロットに作ってもらって来ればよかったかと考えたが、それももうできないことだ。


「ノエル……どうしてそこまでする? 息も絶え絶えではないか」

「大切な人を……置いていけないんでしょ。はぁ……はぁ……ガーネットはそう言わないけど、悲しい気持ちで……泣きたい気持ちでいっぱいのはず。それに――――」


 湿り気のある土は、大気の熱さと相反して冷たい。

 外の様子はうっすらと見えるだけだが魔術を撃ってきている魔族もいるようで、長く食い止めていられない。

 氷の壁は破壊されてもすぐさま僕は再生成した。


「僕は弟さんが“生きている”って言った……ガーネットに嘘をついた。彼は……僕の目の前で殺されたんだ。亡くなってるのは本当は知っていたのに……」


 下を見て土を掘り返していたので、ガーネットの顔は見られなかったが、こんな話をしているときに見せる顔など僕にはない。


「以前、ガーネットに正しい力の使い方を知っているのに、なぜそうしないのかって言われて……今思えば、助けられたのにって思った。当時はそりゃ……ズタボロだった僕にはできたとは思えないけど、それでも諦めてなかったら、できたかもしれないって思うと…………」


 流石に深く掘ることは出来なかったが、一人分の穴は掘り終わった。


「ごめん、ガーネット……嘘をついてしまって……それに……助けられなかった…………」

「…………」


 ガーネットはラブラドライトの身体を抱き上げて、僕が掘った穴に入れた。

 きっと怒っている。だから黙ってしまったんだ。そう思いながら外の様子をぼんやり眺めると、魔族が氷にぶつかってくる音以外は何も響いてこなかった。


「……花を出せ」

「え……」

「花だ。お前の背負っている鞄の中に入っている赤い花だ」


 僕は背中の鞄から赤い花を取り出した。激しい攻防があったせいで少ししおれてしまっているように見える。


「ここに植えろ。心臓の上だ」


 ガーネットの指示の通り、僕はラブラドライトの心臓の辺りに花を植え、土をかぶせていった。


「私は、お前に『感謝している』と言ったはずだ」

「…………」

「確かに助けられたかもしれないが、助けられなかったということへ怒りは湧いてこない。私はそこまで愚かではない。憎いのは殺した魔女や、弟を玩具にした魔女だ」


 2人で土をかぶせ終わった。

 ラブラドライトの墓には石ではなく花が咲いている。


「しっかりしろ。魔王のところへはまだ遠いぞ。弟をこうして埋葬できた。私の背中を守るのは終わりだ。私がお前の背中を守る。いいな?」

「……解った」


 泣き言を言わない彼に、僕が泣きそうになる。

 大切な人を失ったら悲しい。僕だって今にも発狂しそうなくらい悲しいのに、どうして涙を出さないのか、考えるだけで僕が泣いてしまいそうになる。


「氷の壁を水に戻す。水に戻したらそのままその水を道状にして再び凍らせる。あの紅炎に焼かれない為に地上からあの城を目指す」

「あぁ、お前は魔術の無駄撃ちはするな。消耗している。血をよこせ。私が運ぶ」

「ガーネット、でも……もう飲みすぎてる。これ以上は……」

「私が正気を失う……か?」


 そう言われて僕は言葉を失い、無言でガーネットの方を見た。


「あの白い魔女と話しているのを聞いた。……私は吸血鬼族だ。聴覚は普通の人間や魔女とは違う。あの程度の距離で聞こえないとでも思ったか?」


 得意げに言う彼は、けして怒っているわけではないようだった。


「魔女への怨嗟が魔族の正気を失わせる……か。だがな――」


 困ったような、それでいて優しい表情で僕の方を見つめながら、言葉の続きを彼は言った。


「私はお前を憎んだり、恨んだりしていない。憎しみで正気を失うわけがないだろう?」

「ガーネット……」


 先ほどまで堪えていた涙は、堪えきれなくなって溢れてしまった。

 黙って僕は自分の手を差し出す。手首は風の魔術式で動脈に少し傷をつけると、鮮やかな血液が勢いよく噴き出してくる。

 僕の手首にそっと口づけするように、ガーネットは血液を飲んだ。彼の唇は柔らかく、暖かいと感じた。

 牙を立てることなく、傷口から出てくる血液に舌を這わせた。

 そうすると僕の疲労感も消え、傷も塞がった。


「行くぞ」

「うん」


 僕は周りの氷を水に変えて、周りの魔族を押し流した。

 大体の魔族はそれで行動を一時的に抑制されたが、飛行している魔族は難を逃れた。ガーネットは僕を抱えたまま僕が作る氷の壁の中を走った。

 その速度はあの馬に並ぶほどの速度に感じる。

 魔王城が近づき、紅炎が渦巻く地帯に一気にきたが物凄い熱量は地上に居てもわかった。そこは木が生えていない岩場で、熱気が更に強くなっていた。

 空に龍族が複数飛んでいるのが視界に入る。


 ――くそ……ことを荒立てたくないのに。しかし引き下がる訳にはいかない


「お前、龍族相手に策があるのか?」

「ない」

「……ふん、お前が正気じゃないのはとっくに解っていたことだ」


 龍族が僕らに気づいて一斉に視線を向け、言葉を発するよりも先に炎の術式を向けてくる。

 僕らを焼き殺すつもりだ。


「話し合いって行為は高位魔族とはいえ、しないってことか……!」


 僕は避けるのは諦め、水の魔術式で炎を打ち消すことにした。炎を打ち消せるほどの水を集めるが、物凄い高温で一瞬で水は蒸発して蒸気となり、龍族の視界を奪った。

 それでも龍族は構わず炎を飛ばしてくる。


「右前と左後ろ、くるぞ!」


 四方八方から飛んでくる炎を、ガーネットの声と自分の耳や魔力関知で察知して水を集めた。

 重力操作で下に落としてもいいが、龍族も共に落とすことになってしまう。

 力の制御を精密にできる状態ではない今、水で防ぐことしか僕にはできなかった。

 紅炎が舞う地帯で、後ろからも魔族が追ってきていた。


「(魔女……殺す……殺す!!)」


 大体魔族たちが言っている言葉は同じだった。

「魔女を殺す」「許さない」「穢れた血」「バラバラにして食べる」とか、大体そんなことを言っている。

 僕は襲ってくる魔族に対して、殺さないように力を制御した。ガーネットが走りやすいように地面に魔術をかけて道を作る。

 この一帯は高位魔族の巣窟で容易に通してはくれなかったが、ガーネットが僕の血を飲んだせいなのか、すさまじい力を発揮して魔王城にかなりの速度で近づく。

 背中を守ると言ったが、文字通り後ろからくる魔族の相手を僕がしている。

 ガーネットは僕を信じて真っ直ぐ前だけを見て走ってくれた。


 ――あと少し、もう少しで魔王城につく。もう少し……――――


 城の敷地の中と一目でわかる場所に出た。白い大理石の床が始まり、長い階段があった。その美しい白い大理石の階段をガーネットは僕を抱えて駆け上る。

 階段の終わりは広間だった。その広間の先に大きな正門が見える。鋼でできていると思われる門は固く閉ざされ、重厚なその門はすぐに魔術でどうにかできそうにもないものだった。

 どうやって開けばいいのか考えた矢先、大きな門に気を取られて気づかなかったが門の前に銀色の長髪で吸血鬼族のようないで立ちの者がいるのが見えた。


「あれは……リゾン……!」

「リゾン……?」

「魔王の子供だ」


 ガーネットがそのリゾンという銀髪の青年の前で止まって僕を降ろした。

 美しい顔だが、左目のところに三本の傷がある。僕と同じくらいの長い髪はサラサラで、その銀色の隙間から赤い瞳が覗かせる。


「(魔女……! 殺す! ……吸血鬼殺す……!)」


 後ろから追ってきていた魔族が、リゾンの姿を見た瞬間にぴたりと止まって黙った。大勢の魔族の軍勢が城の広間から遠巻きに僕らを見つめている。

 それだけではなく、後ずさって明らかに警戒しているようだ。


「(ガーネット……何故……魔女……翼人…? 穢れた血……共……いる)」

「(話……助け……協力……)」


 ガーネットが助けを求めることを言った途端に、リゾンは腹を抱えて笑い出した。

 後ろに控えている魔族たちも次々と言葉を発した。

 大体は「笑える」「協力なんてありえない」「八つ裂き」「殺す」とかそんなことを言っているようだ。


「頼む、協力が必要なんだ。魔女への憎しみは解る。だが協力してくれ。頼む……」


 言葉は通じなかっただろうが、僕は深々と頭を下げた。

 笑っていたリゾンはピタリと笑うのをやめた。


「がはっ……!」


 僕は気づく間もなく首を掴み上げられていた。首を片手で絞め上げられていて僕は身体が宙に浮いた状態になる。


「ノエル!」

「(ガーネット……動く……否定……殺す……魔女……)」


 ガーネットに向かって「動くな」と言っているのだろう。僕はガーネットに大丈夫だからと目配せした。ガーネットは牙をむき出しにしてリゾンに敵意を示している。


「くくく……こんなところまでやってきて何を言い出すのかと思ったら……笑えるな。それに間抜けな魔女だと思ったら……穢れた血。お前……タージェンの子供だろう」


 リゾンは流暢にむこうの言葉を話した。それに、タージェンとは僕の父の名だ。

 魔王のご子息が父の名を知っているのかと驚く。


「言葉……解るなら……話を聞いてくれ…………僕は真面目に頼んでいるんだ……」

「頼むだって?」


 リゾンは僕から手を離した。

 下の大理石に座り込むと苦しさで咳き込んだ。一瞬で死んでいてもおかしくなかった。彼のほんの少しの力加減で僕は死んでいた。


「大丈夫か?」

「うん……なんとかね」


 ガーネットは僕に駆け寄って身体を支えてくれた。

 しかし、殺されなかったってことは、多少話を聞いてくれる気があるのかと期待した。僕は話の続きをするリゾンの言葉を聞いていた。


「魔女がこっちにきて頼み事をするなんてな! (魔女……頼み……笑う……否定……肯定……)」


 リゾンは魔族たちに語り掛けた。

 そして魔族たちは声を荒げながら、口をそろえて「否定」と言っていた。


「軽い気持ちで来たわけじゃない。命をかけて成したいことがあるんだ……」

「なんだ、こっちの言葉が多少解るのか。命を懸けて何をしたいって? 魔女殺しか? ははははは、面白い。じゃあこれからお前がどんな目に遭うのか……解るだろ?」


 銀色の長髪をなびかせながら、リゾンは僕の赤い髪に触れ、そのまま掴みあげた。

 ガーネットに「動くな」と再度警告する。

 僕はそのまま強引に顔を上げさせられた。


「綺麗な顔をしているお前の首を、私の部屋に飾ってやる。お前のその片翼もな……」


 リゾンの目を見ていたら、その目は赤色から虹色に色が変わっていった。

 僕は徐々に意識が遠くなってきた。


 ――しまった……視覚系の魔術…………――――


「ノエル!」


 ガーネットが僕の名を呼んでいるその最中、意識は途絶えてしまった。



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