第29話 異界




【ノエル一行】


 朝の日差しが暖かく僕の身体を照らした。その光がまぶしくて僕は目を覚ます。

 結構よく眠っていたようだ。

 ガーネットの方を見ると、彼は隣にいなかった。どこかへ行っているのだろうが、そう遠くへは行っていないだろう。シャーロットはまだ横になって眠っているようだ。


 ――あぁ……そういえば僕……何も食べてないな……水が飲みたい


 大気の水分を凝縮させて水を生成して自分の口から取り込んだ。


「……はぁ」


 僕が一息つくと、やけに現実が遠く感じた。

 なんでこうなってしまったのだろうか。

 魔力中毒なんて聞いたこともない。ご主人様は大丈夫だろうか。僕はくすぶっている焚き木の様子をぼんやり見ていた。


「私にも食事をさせろ」


 振り返るよりも早く、ガーネットは僕の首に咬みついた。拒否する間もなく痛みが走り、僕は硬直した。


「いっ――――……」


 ガーネットの牙が僕の首の頸動脈の辺りに食い込んで、そこから血が噴き出し吸われている感覚がした。かなり痛い。

 ガーネットの首にも当然のように咬み傷ができてガーネットの血が僕に垂れる。

 彼は痛くないのだろうかなどと一瞬脳裏によぎった。


「飲み過ぎだよ……」


 僕はなかなか離れないガーネットを軽く突き飛ばした。

 僕は牙が抜けて動脈からの出血が見込まれた為、首をすかさず抑えたが思ったよりも血液は出ず、すぐさまその傷も治った。

 ガーネットは僕の力ではよろけもせずに飄々ひょうひょうとしている。彼の首の傷を見るともう既に治っていた。


「お前の血は、他のものと比べ物にならない程に、甘美な味をしているな」


 ガーネットは舌なめずりしてギラギラした目で僕を見てくる。

 魔女の城で見たときの様子を思い出し、僕は酷く不安になった。


「飲みすぎると毒だって言ったでしょう。駄目だよ」

「これから異界に行くというのに、空腹では話にならない。……お前の傍にいるとろくに食事ができないのだから仕方がないだろう」


 確かに働かせてばかりで、あまり食事を与えてはいなかった。

 僕が食事に対してあまり積極的ではないので忘れていたのが正直なところだ。しかし、彼は僕の血だけでは生きていけない。なにか別の動物の血を用意しなければならないだろうか。


 そういえば、ふと思ったが僕は彼のことをよく知らない。

 何が好きだとか、異界ではいつも何をして過ごしていたのかとか、子供の頃どうだったとか。

 僕はご主人様のことを中心にしか物事を考えていなかったから、その点に関しては反省した。

 それに伴って昨日のご主人様のことがまるで悪い夢かのように期待したが、ここでこうしている以上、あれは夢ではなかったようだ。


「お前も食事をしろ。ほら、ウサギだ」


 ガーネットはウサギの死骸を僕に渡してきた。

 いつの間にと思いながらも魔術で死んでいるウサギを捌き始めると、血がほとんど残っていないことに気づく。

 チラッとガーネットを見ると、口元についた血液を指で拭って舐めとっていた。僕の血をそうしてると思うとやけにそれが艶かしく、僕は直視できずに目を泳がせた。

 なんだか落ち着かない。


 ――僕の血の依存症になってるんじゃないだろうか……


 そのことを異界に行く前にシャーロットに確認しておかないとならないとならない。もう捌かれて元は何の生き物だったのか解らないその肉を見ながら考えた。

 昨日シャーロットが作ってくれた木の食器に肉を一先ず置くと、僕はシャーロットの方へ歩み寄る。


「シャーロット、起きて」


 シャーロットを揺すって起こそうとしたが、なかなか起きようとしない。シャーロットもずっと疲れていたのだろう。深い眠りについているようだ。

 クロエの方を見ると、まだ眠っていた。能天気なやつだと少し呆れる。


「ノエル、奴はどうするのだ」


 その“奴”というのは、クロエのことだ。

 ガーネットは顎でクロエをさしながらそう言っている。


「……シャーロットと一緒に残ってもらう。護衛にはなるだろうから」

「裏切り者の可能性がある。女王付きの魔女だったのだろう?」

「…………じゃあ連れていく?」

「足手まといだ。それに、交渉を円滑に進めるのなら明らかにいない方がいい」


 どうやら彼の中で結論が出ているらしい。

 クロエを殺すかどうかという意味に捉えて間違いないだろう。


「……駄目だよガーネット。『疑わしきは罰せず』って言葉知らないの?」

「何を手ぬるいことを……」


 僕らが会話している最中、やっとシャーロットは目が覚めたようだ。


「おはようございます……」

「おはよう。食事をしたら僕は早々に異界に行く。食事にしよう」


 僕はウサギに魔術式をかけて炎で適当に焼いた。

 味付けするものはないが、そんな贅沢は言っていられない。

 僕はそのウサギだったものを食べた。本当に火を通しただけの肉だった。臭みがどうとかこうとか、そんなことどうでもいいことだ。

 ただ、ご主人様の手料理が食べられないことだけは、やはりいつまでも心残りに思ってしまう。

 そんなことを考え出すと僕はまた泣きそうになり、必死に考えないようにした。

 考えないようにすればするほどどうしても考えてしまう。


 ――あんなに泣いたのに、涙って枯れないんだな


 僕がただ肉を口に運び、作業のように食べているとシャーロットが不安そうに僕に尋ねてきた。


「私は……待っているだけでよいのでしょうか」

「あぁ、気にすることはない。異界なんて行ったら身体がボロボロになってしまうだろうから」

「あなたは平気なのですか……?」

「僕は半分魔族だし。多分ね」


 確信はなかった。

 しかし選択の余地もなく、僕以外に行ける者などいない。

 それに、僕以外が行ったところで勝算はないと考えていた。異界に行かないのでは僕らに勝算は全くない。

 しかし、異界に行けたとしても自分の考え通りに行く保証もどこにもない。

 危険だということだけは解っていた。


「……もし帰ってこなかったら……どうすればいいですか……?」

「僕が帰らなかったら、レインを異界に帰してくれないか。まだ子供の龍なんだ」

「あの白い龍のことですか?」

「あぁ。無邪気ないい子だよ」

「……解りました」

「あのさ……ちょっといいかなシャーロット。2人きりで」


 そう言うとガーネットは怪訝そうな顔をして僕の方を見つめた。


「ちょっと待っててガーネット、すぐに済むから」

「なぜ私を外して話をする必要がある? ここで話せばいいだろう」

「女だけで話したいの。いいでしょ? オンナの悩みなの。恥ずかしいからガーネットには聞かれたくない……」


 そう恥ずかし気に言われると、ガーネットは返す言葉は見当たらなかったようだ。


「……ふん、好きにしろ」

「ちょっと待ってて。こっちきてシャーロット」


 不思議そうな顔をするシャーロットを連れて、僕は夜営地の焚火から少し離れた森の中に行った。

 クロエやガーネットに声が聞こえない程度の距離だ。


「この辺でいいかな……」

「あの……なんでしょう? オンナの悩みとは……」

「あのさ……えっと、オンナの悩みは嘘なんだけど……魔女の血液って飲みすぎると具体的にどうなるのか解る……?」

「え……あ……そうですね……そういった事例は少なく、具体的なことは言えませんが……正気を失い、ただの化け物に成り果てると聞いたことがあります」


 嫌な予感が的中し僕は眉間にシワを寄せる。

 そんな気はしていたが、やはりそうかと僕は一瞬彼女から目をそらし、また視線を戻す。


「それって……飲まない期間があったとしても、総合的な摂取量で決まるのかな……」

「……ノエル、魔女の血がどうして呪われているか知っていますか?」

「確か……イヴリーンが魔族を裏切ったから、その魔族たちの怨嗟が魔女に呪いをかけた……って話だっけ」

「そうです。その魔女への怨嗟が魔女の遺伝子に呪詛のように刻み込まれている為に、魔女の血や肉は魔族にとって正気を奪い、攻撃性を誘発する因子となると考えられています」

「…………」

「こういうのも変ですが……魔女は何かしらの疾患を持つ者が多いんです。それは身体的なものであったり、精神的なものであったりしますが、治癒魔術では治らないものです」

「…………」


 そう言えば確かにその傾向があるような気がした。

 あまり気にとめていなかったが、思い返すと確かに精神的に脆弱な面が目立つ。ロゼッタ等は外因性だと思うが、潜在的に因子がないとあぁはならない。

 リサもそうだ。

 リサはとてもじゃないが出会ったときから僕への異様な執着は正気とは言えなかった。


「ゲルダやロゼッタの皮膚のことを覚えていますか?」

「あぁ……ロゼッタって顔に爛れがあった魔女か……」

「あの爛れは、あなたの強い呪いによるものなんです。魔女を呪う魔族の呪いです」

「呪い?」


 呪いというとなんだか抽象的で理解がすぐにできなかった。


「あの……覚えていらっしゃるか解りませんが……あなたが城でゲルダと対峙していたとき、途中から人が変わったかのように残酷になったとクロエからききました。そのときの記憶はありますか?」

「いや……覚えていない」

「そうなんですね……精神的に抑圧して健忘してしまったのか……原因は解りませんが、魔族の血の関係も否定はできません。正気を失い、残酷になるのは魔女の血液で魔族が正気を失うということも因果関係として無関係とも思えないのですが……そもそも魔女と魔族の混血は理論的には可能であっても自我を保つには相当な知性と理性が必要なはずです」


 シャーロットは研究者気質なのか、普段は無口なのによく話すなと僕は思いながら聞いていた。


「あ……ごめんなさい。つい研究に熱が入ってしまって……」

「いや、大切なことだと思うよ」


 シャーロットは僕がそう言うとはにかみながらも嬉しそうな様子だった。


「……ガーネットが心配なんだ……助けるために契約したとはいえ、どうなってしまうのかと不安になる」

「吸血鬼族ですからね……でも、あなたは混血なので純潔の魔女とは違います。正直、なんとも言えないです……それでも……魔女で詳細なデータが取れた件が一件だけあります」

「え、契約自体が珍しい上に破綻しがちなのに……教えて」


 僕が聞くと、シャーロットは辺りを見渡し始めた。何をしているのかと思ったが、シャーロットが僕の方に近づいてきた。


「耳を貸してください」

「え? うん」


 聞かれたらマズイ話のようだ。

 僕はその聞かれたらマズイ話に耳を貸した。




 ◆◆◆




 小声で耳打ちするシャーロットの話を聞いていて、僕は唖然とする以外の反応をできなかった。

 あまりにも酷すぎる話で吐き気さえ催してくる。

 さきほど食べたウサギの肉が喉元まで出かかるが、僕は吐かないように口元を押さえた。


「他言無用でお願いします」

「あぁ……そうだね……」


 誰かに話す気にもならなければ、思い出すだけで吐きそうになる話だ。

 到底誰かに言う気にならない。


「シャーロット……頼みがあるんだけど、いいかな」

「……なんでしょう」


 僕はシャーロットがしたように小声で彼女に耳打ちした。

 僕が話し終わるとシャーロットは一度僕から離れ、考える素振りを見せる。


「……不可能ではないと考えています」

「僕も、シャーロットの精密な魔術なら可能だと思っている」

「しかし、術式の完成が間に合うかどうか……」

「やってくれ。頼む」

「……解りました。ノエルも命を張るのですから、私も私の家系にかけてやってみせます」


 そう言ったシャーロットは、いつも後ろでおどおどとしてる彼女ではなかった。

 紆余曲折あったけれど、シャーロットを助けて良かった。

 シャーロットを助けに行かなければ何事もなかったかのような日常を僕は過ごしていたのかもしれない。ご主人様に魔女だと知られてしまったけれど、それでも受け入れようとしてくれた彼の思いは僕の支えだった。

 離れることになってしまったが、結果としてご主人様の命を助けることができたんだ。

 自分にそう言い聞かせるが、二度と会えない辛さは身を裂く思いだった。


「戻ろうか」

「はい」


 僕らはガーネットの元へと帰ると、クロエが起きていた。

 クロエは笑っていたが、ガーネットはまた険しい表情をしている。また喧嘩していたのだろうか。

 なんでこう、いつも喧嘩になってしまうのだろうと僕は悩みの種に水を与える。

 いつかその悩みの種から芽が出て、花が咲き、実を宿せばさらなる悩みの種を産むのだろうかと漠然としたことを考える。


「ガーネット、大丈夫……?」

「……問題ない」

「そう。じゃあ異界の扉を書くからちょっと待っていて」

「あぁ…………」


 僕が木の棒で異界に続く魔法陣を地面に書き始めると、クロエが僕の近くにやってくる。


「なぁ、俺は本当にお前と行けないのか?」

「行けない。昨日話したでしょう?」

「でもよ……」

「……気持ちは嬉しいけど、シャーロットとアビゲイルと馬を守っていてほしい。クロエにしか頼めないことなんだ」

「じゃあ……一つ頼みがある」


 僕は書く手を止めて、クロエを見た。いつものようにヘラヘラしている表情ではなく、真面目な表情をしていた。


「なに?」

「キスさせてくれ」

「なっ……はぁ!?」


 不意をつかれた僕は、驚いて持っていた細い木の棒を折ってしまった。手元は見ていないがバキッという乾いた音が聞こえたので折れたことは分かる。


「な、なに言っているの? そういうことはっ……! えっと……お互いのことをよく知ってから……じゃなくて、好きな人とすること……でしょう……?」


『しどろもどろ』というはこういうことをいうのだろう。

 僕は歯切れが悪く、なんと答えていいか解らず、言葉を詰まらせながらクロエに向かって言う。


「クククッ……お前、本当に可愛いな。でも、その理論で行くとお前のご主人様は、どうなんだよ?」

「そ、それは……というか、僕をからかわないでよ!」

「からかってねぇよ」


 クロエは僕の顔を無理やり向かせ、顔を近づけてくる。拒否する間もなく、抵抗もできず僕はクロエに自由を奪われた。


 ――が、僕の頭と腕は強い力で押さえられた。


 爪が食い込んで痛い。

 そのまま僕はガーネットの手によって乱暴に引きはがされ、後ろに座り込むように倒れる。


「なにしやがる、このザコ吸血鬼……!」

「……異界へこれから行くんだぞ。ふざけるな」

「んだよ、てめぇ……俺の邪魔ばっかしやがって……あれか? ノエルに惚れてんのか?」

「なっ……何を世迷言を! 魔女など……嫌いに決まっているだろう!」


「嫌い」と、そうはっきりと言われたとき、心臓が貫かれたように一瞬止まったような気がした。

 少しはガーネットに好かれていると思っていた自分の希望的観測が恥ずかしい。

 他の魔女と僕は違うなどと言ってくれていたけれど、結局彼にとって僕も他の魔女も大して違わないものらしい。


 ――そうだよね。結局魔女と魔族……母さんたちが特別だったんだ……


 ご主人様の件で精神的に衰弱していた僕には、その言葉で止血されていた傷口が再び口を開く。

 気づいたらまた涙が流れていた。

 ハッとして涙を拭ったが、その様子をガーネットが見ていたのは目をぬぐっていたので僕には見えなかった。


「なら引っ込んでろ!!」


 クロエがバチバチと雷の音を出し始めたと同時に、ガーネットもバキバキと鋭い爪が伸びていく。

 本当なら止めに入るところだけれど、そんな気力はなかった。

 涙を拭いて、心を無にして魔法陣を書く棒を辺りを見回して探し始めたとき、水しぶきが突然僕の顔に飛んできた。


 バシャンッ!


「いい加減にしてください」


 大量に水を浴びた2人は、面食らった顔をしている。

 僕も当然、いきなり水を頭からぶっかけられた2人と同様に、面食らった顔をしていた。自分の顔は見えないが、相当驚いた顔をしていたことだろう。


「レインに言われたことを忘れたのですか?」


 そうシャーロットが強い口調で言うと、2人は水浸しで気まずそうに顔をそむけた。

 僕はそれを見て更に面食らう。

 上手い例えは見つからないが、いきなり空からカエルが降ってきたような。

 シャーロットがそんなに怒ることがなにかあったのだろうか。

 それにレインに言われたこととは一体何なのだろうと僕は物凄く気になった。殺し合い寸前の2人がそう言われたことで物凄く大人しくなるなんて。

 そんなに衝撃的なことを言われたのだろうか。


「え……なに、レインから言われたことって?」


 僕が全員の顔を見るも、誰も僕と目を合わせてくれない。


「だが、俺はずっと――――」

「クロエ」


 シャーロットが言葉を強めに遮った後、クロエはそれ以上言わなかった。


「なんでもありません。お2人とも反省しているようですし」


 そうはぐらかされ、結局答えてくれなかった。

 もやもやとした気持ちのまま魔法陣を再び書き始める。

 クロエやガーネットを横目で見るが、2人とも自分の服の水を払っているだけで何も言わない。


「……」


 魔法陣を黙って書いていると、時折涙が溢れそうになる。それでも僕は涙をこぼさないように時折目を拭いながら式だけを懸命に思い出して書いた。

 僕が涙ぐんでいたのは長い横髪が目元を隠して見えなかったはずだ。


 ――クロエは僕のことを好いてくれてるのか……昨日もクロエが拗ねて眠る前はろくにガーネットとシャーロットに話ができなかったし……


 ずっと、長い間好いてくれていたのかと考えると、それに全く応えないのも悲しいことなのかもしれないと考え始める。

 考えるのを辞めようとすると、ガーネットの「嫌い」という言葉が何度も再生される。

 その言葉を振り払おうとするたびに、その言葉で僕はガリガリと削られて行く。

 そのまま誰も言葉を発しないまま、地面に異界に通じる入口を作る魔法陣を書き終わった。僕は立ち上がってクロエの方を向く。


「……クロエ」

「んだよ」


 僕が呼ぶと不機嫌そうに返事をした。

 そんなクロエの近づき、一瞬迷いながらも彼の頬に軽く口づけする。

 僕が離れるとクロエは驚いて目を見開いているのが見えた。


「これでいいでしょ。ちゃんとシャーロットたちを守ってよね」

「ノエル……」


 クロエに背を向けて離れようとすると、右手首を掴まれた。掴まれた部分から、クロエの手の温度が伝わってくる。

 僕の少し冷たい肌からは、クロエの暖かい手はやけに熱く感じた。


「俺はお前が真剣に好きなんだ。昨日話したろ? 嘘じゃない。だからお前も真剣に考えてくれ」

「……考えておく」


 そう言うと、僕はクロエから離れた。


「シャーロット、クロエ、頼んだよ」

「はい」

「あぁ」


 僕は赤い火花のような、毒のある花を根ごと丁寧に摘んだ。

 土がある程度ついたまま、シャーロットに作ってもらった鉢植えに植えて、背負うタイプの植物の繊維を編んだ鞄に丁寧に入れた。

 ガーネットは横たえていたラブラドライトの遺体を抱える。シャーロットが酷い状態だったラブラドライトの表面の皮膚だけをなんとか修復してくれたおかげで、腐敗してもげそうになっていた四肢は一応きちんとついていた。

 防腐作用のある葉で身体をつつみ、糸で固定し、その上からシャーロットが新たに作った服を着ている。

 肩に担ぐ格好でラブラドライトを担いでいるガーネットを確認し、僕は魔法陣に向き合った。

 左腕をまくり、自分の血液を魔方陣垂らす。僕の血液に反応して異界の扉が開き、深く深く暗い深淵を呼び起こした。


「ガーネット、行こう」


 僕らはその熱気と臭気が漂う異界に向かって足を踏み出した。




 ◆◆◆




 初めて踏み入れた異界を景色を見て、僕は少し呼吸がしづらいような気がした。

 しかし、半分は魔族の血だからかそこまでは辛くはないはずだ。

 出た場所は森の中のようだった。

 異界はとてつもない熱気が吹き荒れ、太陽の光が差さないどこまでも暗い場所だ。歩くには過酷な岩肌で、そこかしこから臭気が放たれている。

 空を見上げると赤黒く、そして見たことない小さい生き物から大きな物までがうごめいていた。

 興味深いものが沢山あり、僕は視線をあちこちに奪われたが、僕らはゆっくりしている場合ではなかったので異界の扉を閉じた。


「魔王様はどこにいるの? ここの場所がどこなのか解る?」

「…………あぁ、この辺りはおそらく魔王城からそう遠くない森の中だろう。あの空が若干明るくなっている方角が魔王城の方角だ」

「解った。歩くしかなさそうだね」


 ――翼で飛べたら……


 と心の底から思いながら僕はガーネットと一緒に道なき道を歩き始める。ラブラドライトを担いでいるガーネットは重くないのだろうか。


「弟さんはどこに埋葬するか決めているの?」

「……あぁ、吸血鬼族の亡骸を埋める場所がある」

「そう。先にそこへいこう」

「方向は同じだ」


 ガーネットはやけにいつもより一層素っ気ない口調でそう言う。

 朝起きたところまでは普通に見えたのに、シャーロットと話をして帰ってきてからやけに態度が変わったように思う。

 クロエとよほどなにかあったとしか考えられない。

 あるいは、シャーロットに水を頭からかけられて拗ねているのだろうか。もしくは……シャーロットが言っていたように、レインに衝撃的な言われたことを思い出して落ち込んでいるのだろうか。

 考えても解らない。

 率直に何があったか聞いても、恐らく彼は答えてくれないだろう。


「ガーネット、痛かったよ」

「……」


 隣を歩いているガーネットは何のことか解っている様子で、何を言うでもなく沈黙を守った。


「…………別に、怒ってない。けど――――」


 僕は歩くには厳しい岩肌の途中で立ち止まる。僕が立ち止まったのでガーネットも足を止めて僕の方を振り向く。


「…………なんだ?」

「僕に言いたいことあるんじゃない?」

「……」


 やはり言いたいことがあるようだった。

 僕が先ほど「痛かった」と言ったのは、クロエの頬に口づけをしたすぐあと、自分の左腕に鋭い痛みが走ったからだ。

 鋭い爪が食い込むような感覚だったため、すぐにガーネットだと気づいた。直後彼を見たら目を逸らして苦虫を噛みつぶしたような表情をしていたのが見えた。

 厚い生地の法衣に隠れていたから気づかれなかったが、法衣の中に僕の血がついている。

 魔法陣に垂らした血液はそのときのものだ。傷はすぐに塞がったけれど、僕の皮膚の表面についていた血液をそのまま使用して扉を開いた。


「言いたいことがあるなら、いつも通り言ってよ」

「……なにもない」


 あくまでも言ってくれないようだ。

 しかし、このままお互いにわだかまりがあるまま進んではいけないということだけは解る。


「…………あのさ」


 だから僕はガーネットに話し出す。

 また、言葉が喉につまって上手く声に出せないが、やっとの思いでその言葉の続きを紡ぎ出した。


「僕のこと嫌いでもいいから、今は協力してほしい。いつか必ず契約を解く方法を見つけるから……お願い」


 そう言うとガーネットはまた険しい表情をして、沈黙を守っていた重い口を開いた。


「……考え事をしていただけだ」

「………………その“考え事”の内容は教えてくれないんでしょう?」

「…………」


 そんなに僕のことが嫌いなのかと、悲しい気持ちは消えない。それでもこんなときに仲間割れをしている場合じゃない。


「…………僕はね、ガーネットと……なんていうかな、仲良くしたいというか……いい関係を築いていきたいと思ってるよ」


 自分のことを『嫌いだ』と解っている相手にそう言うのはものすごい勇気が要る。

 人間がよくやる愛の告白とやらも、自分が好かれていない、あまつさえ嫌われていると解っている相手に向かって「好き」などと言うのは相当な勇気だ。


「ご主人様から離れて、気づいた。僕は盲目的に彼に狂気ともとれるを向けていた。今もそう。周りのことなんてなにも見えてなかったし、興味もなかった。彼が僕の全てだった。なのに、どうして僕はガーネットを助けたのかなって、今でも解らない」


 僕の話をガーネットは真剣に聞いていてくれているのか解らなかった。

 ガーネットの方を見たら、興味なさそうな顔をしているかもしれないし、聞きたくないって顔をしているかもしれない。そんな顔を見たら話しが続けられない。

 卑怯だと思ったけれど僕は彼から目を背けて、赤黒い空を見上げながら話し続けた。


「そのときはね、魔女を憎んだまま死んでほしくないって思ったの。でも、どうしてそんなこと思ったかは解らない」

「…………」

「解らないんだけどさ、でも今では良かったって思ってるよ。こんなことになっても、ガーネットがいてくれたから支えられてるし……苦労かけて悪いなって勿論思うけど……」


 悪いと思っても今は出来ることがない。

 どうしたら魔女への怨恨が消えてくれるのかもわからない。


「あのとき死んじゃってたらさ……どうすることもできないから。笑い合ったり……喧嘩したりさ。喧嘩とか正直……嫌だけど、でも死んでたらさ、それもできないって思ってる」


 ガーネットの方へ向き直り、彼の表情をやっと見つめる。

 そこにあったのは、やはり険しい表情をしている彼の顔だった。どういう感情で険しい顔をしているのかは解らなかったが、僕は最後の言葉を続ける。


「必ず契約を解く方法を見つける。それまでは昨日言った通り、僕の背中を守ってほしい」


 そう勇気を振り絞って告げると、ガーネットは気まずそうに眼を逸らした。ガーネットの次の言葉を、僕は恐怖に侵されながら待っていた。

 長い沈黙を破り、ようやく話し始めたガーネットの言葉は賛同でも否定でもない言葉だった。


「…………私は、弟とはよく言い争いになっていた」


 片手で担いでいる彼の弟に視線をやりながら、そのまま遮ることなく彼の話に耳を傾けた。

 不気味な森の中から、何の生き物の声か解らない鳴き声が時折聞こえてくるのを除けば、彼の声を遮るものはない。


「弟はお前に似ている。魔族のくせに優しいやつだった。そんな情けない弟を私は身内の恥だと思っていた。だが、他の吸血鬼は弟の方に一目置いていたのだ。私は当然納得いかなかった……私は己の傲慢さから弟に冷たく当たった。それでも弟は、私を兄として接してくれていた。それが尚のこと私を苛立たせたのだ」


 どんな気持ちで話しているのか、僕にはわかった。

 激しい後悔が僕に伝わってくる。

 ガーネットがこんな風に話しをしてくれるのは初めてだったので、一言一句聞き逃さないように僕は耳を傾けた。


「ある日、弟と言い争いをしていたときに突然空間にゆがみができ、私を庇って弟は魔女に連れ去られた。おかしいだろう? 喧嘩していた相手のために犠牲になるなど……結局喧嘩別れだ。言い争いの内容も、私たちが言い争うようなことでもなかった。魔族のこれからの話だった。まったく、そんなことで争っても……私たちだけの力でどうにかなる問題でもないのにな……」

「………………」

「私もまもなくして魔女に捕まった。わざとそうしたのだ。魔女たちの言葉を覚えるのはそこまで難しくなかった。魔女たちの話を聞きながら弟がいる場所を探そうとしたが、拘束魔術が強く抜け出せなかった。結局会えないまま……こうなってしまった」

「………………」

「弟が『兄弟を助けて』と言ったのは、魔女に囚われた私の話を弟が耳にしたからだろう…………」


 ガーネットは、悔しいと感じた時にいつもそうするように、自分の唇を強く噛んだ。

 出血するほどではなかったが、痛みは伝わってくる。


「そんなことがあったのに、私は変わっていない。見栄や傲慢さが本音を言うのを妨げている。結局、弟とこうなってしまった後にお前に弟のことを聞いて、もっといい方法があったのではないかと今になって思う」


 言いづらそうに視線を泳がせたり、ガリガリと空いている方の手で頭を掻いてみたり、落ち着かない様子で言葉を切ってから、中々話を再開しない。


「…………だから……つまりだな…………私は、同じてつを踏む愚かな魔族ではないということだ。それに……お前は勘違いをしているぞ」

「勘違い……?」

「…………もういい。考えているのも馬鹿馬鹿しくなってきた。さっさと行くぞノエル」


 ガーネットは顎で先を行くように指し、誘導されるがまま僕は険しい道を再び歩き始めた。

 どうして先ほどまで不機嫌そうだったのか僕には解らなかったが、いつものガーネットに戻ったと感じた僕は少しほっとした。


 ――僕の考えすぎだったかな……でも、クロエに言っていたように嫌いなのは嘘でもないだろうから……


 そんなことを僕が考えながら歩いていると、森の木々が切れてそこそこの高度の崖になっている場所に出た。

 高いところまで登ってきたので異界の様子がある程度見渡せる場所だったのが幸運だったが、それ以上に絶望感も湧いてくる。

 見える景色は向こうの世界では考えられないような異様さがあった。

 溶岩が湧き出る泉や、血も凍てつきそうなくらいの氷の大地、意思があるように不気味にうごめく森……そんなものが見えた。

 魔王がいるという方角には大きな都市のように家のようなものが建ち並び、その中心に城のようなものが見える。距離は目測で8キロ程度。

 一体異界の気候はどうなっているんだろうか。何もかもがめちゃくちゃに見える。

 なにより、ガーネットが明るくなっている方角がそうだと言った意味が分かった。見渡している最中に城のようなものの近くで火柱が度々上がっているのが見えた。

 太陽の紅炎こうえんのように城の周りを炎が舞っている。


「……あの炎はなに……?」

「あの炎は、立ち上るガスがあの辺りの高熱の大気で発火して発生しているらしい。炎を好む龍族があの辺りを住処にしている」

「どうやって行くか……歩いていくにもな……吸血鬼の墓所はどのあたり?」

「ここから見て城の手前の少し離れた場所に、大きな木があるのが見えるか?」


 よく目を凝らすと、確かに他よりも明らかに大きな木があるのが見えた。


「うん、一本だけ大きな木がある」

「…………弟を運んでは来たが……ここから先は運ぶのは無理だ」

「どうして?」

「お前の背中を守るにはこの状態では無理だ」

「……じゃあ、弟さんを埋葬するまで僕がガーネットの背中を守るよ」

「ふん……」


 無理だなんていうくせに、やはり弟を置いていきたくないようだった。そう顔に書いてある。

 とは言ったものの、あそこまで行くのはかなり大変そうだ。

 ここまで奇跡的にも魔族に襲われなかったけれど、ガーネットの言うようにここから先はそうもいかないだろう。

 そう考えている内に、後ろからただの鳴き声とは違う声が聞こえたことに気づく。


「(血……匂い……魔女……! 吸血鬼……!)」


 後ろから魔族の言葉が聞こえた。

 驚いて振り返ると、ぞろぞろと低級の魔族と思われる者たちが集まってきていた。目だけがやけに光っている。

 種族はバラバラのようだが、一様にこちらを睨んでいる。


 ――いつの間に……


「後をつけられていたようだな……どうする? 全員殺すか?」

「駄目だよ。交渉に来たのにもめ事を起こしたら……」

「その余裕があると思っているのか?」


 どうして魔族感知できなかったのかと一瞬考えたが、これほどまでに多くの魔族がいる中、個別の魔族の気配を感じることなんて不可能だと気づく。

 魔族の気配など異界では飽和状態である上に、臭気が立ち込めているからか感覚が鈍麻しているのも関係している可能性もある。

 どうやらその魔族たちは血の匂いに呼び寄せられたようだ。

 僕の法衣についている血の匂いはそんなに濃いのだろうか。

 考えている余裕もろくになく、魔族がとびかかろうと構えているのが見えて僕は後ろに少し後ずさった。

 更に後ずさりできるほど地面の幅がない。


 ――まずい、ここは崖なのに飛び掛かられて落ちたら……


「(待て……是……魔女……危害……無……冷静……)」


 ガーネットが異界の言葉でその魔族たちを説得しようとしてくれていた。

 相変わらず僕は断片的にしか異界の言葉が分からない。


「(魔女……否、穢れ……血……! 殺す……殺す! ……反逆……吸血鬼!)」


 僕には交渉が決裂したことだけは僕は解った。



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