第28話 死者の赤い花
【ノエルの主】
俺は目を覚ましたときにはもうそこにアイツはいなかった。
飛び起きるともう夜が明け、朝日が窓から入ってきている。辺りを見渡すとそこには白い龍がいた。
日差しを受けてうっすらと発光しているように見える。
俺が起きたのと同時に物音でその白い龍は目を覚ました。
「あ、起きた! ぼくレイン。ノエルからあなたを守るように言われたんだ。よろしくね」
魔族の癖に流暢に話すその龍は、敵意なく俺に向かってそう言ってくる。
「……あいつはどこにいったんだ」
「ノエルのこと? 異界にいくんだって!」
――異界?
「魔女をセンメツしようかと思ったけど、それはやめて異界に行くんだって。ねぇねぇ、センメツってなに?」
「……魔女を皆殺しにするってことだ」
そんなこと、できるわけがない。あいつは、弱いただの女だ。俺の、奴隷の女だ。誰よりも優しくて、虫一匹殺すこともできずに外に逃がそうとする女だ。
草花を眺めながら毎日水を取り替えていた姿を思い出す。俺は興味がなかったが、いつも庭で育てている草や花の成長に一喜一憂していた女が、殲滅だなんて信じられない。
信じられない気持ちの反面、魔女をあっさりと殺すあの姿が思いだされるとまるで別人のように遠く感じた。
「皆殺しにするんだー! あはははは楽しそうだねー! ぼくもやったことあるよ!」
白い龍は残酷なことを楽しそうに口走っていた。魔族の感覚は解らない。
頭を抱えながら俺は考え事に
「最悪だ……」
俺は、幾度となくあいつに「魔女は嫌いだ」と言ったことを思い出した。
それを、あいつはどんな気持ちで聞いていたんだろうか。
あいつも魔女が嫌いだと言っていた。
それは魔女に捕まっていたから当然だと思っていたが、自分自身が魔女であることが嫌だと言っていたのなら、あまりにも酷いことを言わせていたと感じる。
結局、話し合う時間もなかった。苛立ちも、悔しさも、悲しみも、憎しみも、後悔も全部が一緒に渦巻いている。
「ねぇ、君名前はなんて言うの?」
「うるせえ。探しに行くぞ」
異界とはなにかも解らない。どこに探しに行ったらいいかわからない。それでもそうせずにはいられない。
「ノエルは『捜さないで』って言っていたよ? ぼくもノエルに会いたいけど……でもたまに会いに来てくれるっていうから、我慢することにしたの」
さっきから事情に詳しいその白い龍は、あいつのなんなのだろうかと俺は思った。
「……お前はなんなんだよ。あいつのペットか?」
あいつが魔女なら、あの吸血鬼もこいつも納得ができる。
「ぼくはね! 魔女に捕まっていたところから逃げてきて、ノエルが助けてくれたんだ! だから僕ノエルが魔女でもノエルのこと大好きだよ! いつも僕に優しくしてくれるの」
白い龍はそう言って無邪気にしている。
「お前、あいつに会いたいんだろ? だったら俺に協力しろ」
「えー、ぼくお腹すいたよー! 肉が食べたい!」
「……肉か……確かアイツが保管庫に加工した肉が置いてあったな……」
「いつもノエルはぼくに食べ物持ってきてくれたんだよ。ケガも手当してくれて、だからぼく、元気になった!」
この龍は一体いつからアイツに世話されていたんだという疑問が浮かぶ。
しかし、そんなことは些細なことだ。もう細かいことなんて何も気にならない。
「ねぇねぇ、人間さん。何か凄い力でもあるの?」
「あぁ? なんでだよ」
「だってね、ノエルは翼人と魔女の混血で凄いんだよ。最強の魔女なんだよ! もう、ドカーン! て悪い魔女なんかすぐやっつけちゃうんだよ」
「翼人との混血?」
「そうだよ! ノエルは片翼しかないけど三枚の翼があって、すごく綺麗なんだよ」
あの背中についていた白い片翼を思い出した。三枚の大きな翼。俺がいつも見ていた背中の模様がそうだったんだ。
何も知らなかった自分が馬鹿みたいだと感じる。
「俺は……ただの人間だ」
「そうなの? いつもすっごい心配していたよ」
羽ばたきながら、その龍はあいつの話をした。何人もの魔女と渡り合い、命からがら帰ってきたことを聞いたとき、俺は胸が痛くなった。
命がけで出かけて行ったあいつに、ひどく冷たく当たってしまったことを後悔した。
俺は……あいつがいない寂しさを埋めようと他の女に手を出した。
それが、どれだけあいつを傷つけているか、そんなこと、考えなくても解っていたのに……――――
ドンドンドンドンドン!
「おい! あけろ!!」
扉を強く叩く音が聞こえた。
町の人間の荒々しい声に、白い龍はビクリと身体を硬直させる。
扉を開くとそこには町の人間が俺の家の周りに何人もいて、俺を睨みつけてきた。
「……なんだよ」
ヒュンッ!
いきなり風を切る音がして俺は肩の辺りに痛みが走った。
――なんだ? ……石?
「何しやがる!?」
「おい! 裏切り者!!」
町の人間は全員手に武器を持っているのが見えた。
「あ? 何のことだよ……」
「白を切る気か!! 魔女を匿っていたなんてお前は信用できない! 魔女に俺たちを売ったんだろう!! この異端者!」
「そうだ! ノエルが魔女だと知りながら匿っていたんだろう!! 魔女の内通者だ!! やっぱりお前は昔からおかしかった!」
町の人間は怒りをあらわにして俺を攻め立てた。
昔のことまで引き出して言いたい放題だ。
俺が反論する間もなく次々に罵倒の言葉が飛んでくる。
「それにその後ろにいる魔族はなんだ!? 魔女が来た日に現れた! お前……まさかお前も人間じゃないのか!?」
「ふざけんな!」
――ふざけんなよ……
俺が人間じゃなかったら、あいつとわざわざ離れなくてもよかったのに。俺が人間じゃなかったらこんなことにはならなかったのに。
好き勝手言いやがって。
こっちの気も、事情も何も知らないくせに。
俺たちの絆も、気持ちも、今までの思い出も、2人の時間も、何も知らないくせに……!
俺が口を開く前に、白い龍が声を上げた。
「なんでそんな怒っているの? ノエルが町の人を助けたのに、守っていたのに!」
龍が町の人間に対し、問いかけると罵詈雑言を口走った。
「ノエルは前から不気味だと思っていたんだ」
「そうだ。ノエルがご執心なお前も人間じゃないんだろう! だから2年前魔女をあんなに殺せたんだ!」
俺は聞くに堪えず、反論する。
「お前らにあいつの何が解るんだよ! 俺はあいつが魔女だって知らなかった!」
「嘘をつくな!」
ヒュンッ!
また石が飛んできた。俺が咄嗟に頭をかばうように腕を前に出す。
すると龍が俺の前に飛び出し、炎が巻き起こった。あいつほどではないが強力な炎はその石を消し炭にした。
石が一瞬で消し炭になるなんてどれほどの高温なのだろう。
「ヒィイイッ!」
町の全員が情けない声を出して後ずさる。
「話を聞いて!」
白い龍が俺の肩に勝手に飛び乗り、そう声を張り上げて言う。
「ノエルは本当に町を守っていたんだ! 魔女除けの魔術で町を魔女から隠して、それに町に魔女が攻めてきたときだって、町の人に被害が出ないように最善をつくして戦っていた!! なんでそれが解らないの!?」
町の人間は龍の話を聞かず、蜘蛛の子を散す様に逃げて行った。
その現実に更に俺は打ちのめされた。
あいつはずっと奇異の目で見られていても耐えていた。
俺の為に勉強して、俺の為に薬を作って、俺の為に一生懸命になってくれた。俺の為に泣いてくれた。俺の為に怪我をすることも厭わなかった。なんでも俺の為にしてくれた。
俺の為だけに生きてくれた。
それは今もそうだ。あいつは俺の為だけに生きている。
「ノエルは何も悪くないのに。ノエルはずっと頑張っていたのに! なんでわからないの……ノエルが魔女だってだけで……ノエルは誰よりも優しいのに」
「くそっ……」
俺はついに感情が制御できなくなり目頭が熱くなった。
だが、涙を流すわけにはいかない。乱暴に扉を閉めて自分のベッドに身体を投げ出す。
白い龍はまた泣きながら俺の隣まで飛んできて、少し長い首を丸めて涙を流していた。
――こんなかっこ悪いところあいつには見せられない……
「……酷いよ。ノエルのこと……何も知らないくせに……悔しいよ……」
「あぁ……俺もだ……殺してやりたい」
「殺すのは駄目だよ! ノエルは……不必要な殺しはしないよ」
俺とあいつは正反対だ。
無益に殺してきた俺と、殺さないように努力するあいつ。
無力な人間である俺と、最強の魔女とすら謳われるあいつ。
こんな皮肉があるか。
無力で、必死に強者であろうと見栄を張ろうとしていた自分がどこまでも馬鹿みたいで、力があるのに無力であろうと奴隷の身に
――俺たち……馬鹿だろ……
どうしてあんな関係性しか築けなかったのか、どうしてもっと大切にしてやれなかったのか。
その堂々巡りだ。
失ってから大切さに気付くなんて、そんなこと考えもしなかった。俺は何も持ってなかった。ずっと何も持っていないと思ってた。
あいつがいたのに。
ずっと俺の傍に、無条件でずっといると思っていたから。
「…………異界ってのは、俺でも行けるのか?」
「どうだろう? でも扉を開けないといけないよ」
「開けられるのか?」
「ぼくにはできないよ。でもノエルならできる」
「他には誰が開けられるんだ」
「えー……力の強い魔女なら開け方が解れば……でもそんな簡単には開けられないよ。でも大丈夫、ノエルはぼくと約束したから、必ず来てくれるよ!」
――また、待っているしかないのか……
「……そうか。なら、待ってる間に俺といないときのあいつのこと、話せよ。どうやって会ったのかとか、色々あんだろ」
「うん! いいよ!」
せめてあいつのことをもっと知っておいて、もっと普通に……普通に、対等に接することができるように、あいつが帰ってくるときに負い目を感じないように。
帰ってきたときには今度こそ問い詰めて、全部吐かせてやる。洗いざらい、何もかも、余すところなく。
――全部吐かせて、楽にしてやる。苦しい想いなんてしなくて済むように……
白い龍は嬉しそうに話を始めた。
◆◆◆
【半月程前 ノエル】
いつも通り、夕暮れ時に山に薬草を取りに来た日のこと。
僕はすぐに異変に気づいた。そこかしこの植物に血液のようなものがついているのが目に入った。
――おかしい
ここには肉食獣はいないはずなのに。もし肉食獣がいるとしたらこの目で確かめないといけない。町に降りてきたら大変だ。
そう考えて僕はその血の痕を追っていくと、それほど長くは続いていなかった。
しかし僕は驚いて言葉を失った。
視線の先には白い小柄な龍が
「龍族がなぜこんなところに……」
それもあるが、問題はその龍族が何かを食い散らかしたのか、あるいはその龍族が怪我をしているかのどちらかだ。
僕はゆっくりとその白い龍に近寄る。
すると龍は僕に素早く気づいた。気づくと同時に赤いギラギラとした瞳で僕を睨み付け、口を大きく開けて威嚇した。小柄な龍だが、その迫力は上級魔族のそれだ。
「く、来るなら来いよ! 魔女なんて大嫌い! ぼくは魔女なんかに負けないから!!」
はっきりとこちらの共通言語でそう言った。
「……? 普通の魔女じゃない……翼人の気配……」
僕は背筋が凍り付く感覚がした。
バレた。僕が魔女だということも、翼人との混血だということも。
咄嗟に言葉が出てこなくて唖然として数秒が経った。ふと僕は我に返る。
「こ……こんなところで何をしているの……?」
おそるおそるそう訪ねると、相変わらず警戒したまま龍は話し出した。
「また僕を実験に使うんでしょう!? ぼくは父さんのところに帰るんだ!」
声が恐怖で震えているのが解った。
小さな身体で懸命に僕のことを威嚇してくる。
それに良く見たら身体中怪我をしていた。先程の血液はその龍のものらしい。白い鱗に覆われている身体は、鱗が何枚も剥がれていて肉が見えていた。そこから出血しているらしい。
「待って。僕は魔女だけど、魔女じゃないというか……えっと……その……危害を加えるつもりはないから落ち着いて」
「そんなの信じられない! 魔女はみんな嘘つきで酷いやつらばっかりだ!」
「…………」
――そうだよね……魔女なんて、信じられないよね……
でもやっぱりそう言われると傷つく。
そうは言っても、どうしたらいいか解らない僕は困ってしまった。
このまま放っては置けない。
町に降りてきたら人間に殺されるし、このままにしたら死んでしまう。
それにまだ子供の龍に魔女は本当に酷いことをしたように感じた。
そうこうしている間にその龍は倒れてしまった。慌てて僕は近づいて龍の身体を抱き上げる。
龍の鱗が鋭くて痛い。
しかしそんなことを気にしていられる余裕がないほど出血が酷い。それに翼が折れかかっているようだった。放置したら飛べなくなってしまうかもしれない。
「間に合ってくれ……」
僕は薬草と包帯を籠から取り出してその龍に巻いた。
傷口に
翼の部分に添え木をして、しっかりと固定する。
「…………大丈夫かな……」
龍は少し容態が落ち着いたのか、安らかな寝息を立てて眠っているようだった。
片手で抱き止めて、もう片方の手で土や岩が混じった部分に魔術式をかけて、龍の身体が入るほどの小さな穴をあけ、そこにゆっくりと龍を下ろした。
これ以上、僕にできることはない。
明日また見にこよう。
◆◆◆
ご主人様に酷く怒られてしまった。
昨日、龍を抱き上げたときについた血の説明をするのに苦労した。それに抱き上げたときに鋭い鱗でついた腕の傷についても言及され、反論の余地も何もなかった。
「はぁ……怒られてしまった……」
それでも僕は再び山にやってきた。
今日は町で仕入れたウサギの肉を買ってきてみた。僕はあまり肉は食べないからご主人様に
お腹もきっと空いているだろう。
――まだいるといいけれど……動けるような状態じゃなかったし……
僕が穴まで行くと龍はいた。
起きているようで僕の方を見てびくりと身体を震わせる。
「生きてた……良かった……」
僕が安堵の言葉を述べると、龍は不思議そうな表情でこちらを見てきた。
「お腹すいてるでしょ。ウサギの肉を買ってきたんだ。食べられそう……?」
僕が肉を見せると、龍は首をもたげて嬉しそうにした。しかし一瞬でそっぽを向いて
「そ、そんなもので騙されないから! 毒を塗ってあったり、食べると死ぬ魔術がかかってるんでしょ!?」
なおも震えて僕を見つめている。相当怖い目に遇ったに違いない。
「大丈夫だよ……ほら」
僕は少し肉を千切ると、近くにいた鳥に投げて見せた。鳥たちはその肉をつついて美味しそうに食べている。
その様子をおずおずと見ていた龍は、僕の手に持っている肉を見つめた。
近くの平らな石を拾い上げて、龍に取りやすい位置に石を置き、その上に肉を置いて僕は下がった。
「気が向いたら食べて。僕はもう戻るけど、明日また来るよ。翼が折れかけてるから、羽ばたいたら駄目だよ」
「………………」
僕が置いた肉にめがけて鳥が群がろうとしているのを、龍は見逃さなかった。
鳥が肉を盗ろうと近付くと、龍は炎の魔術を展開した。その炎は子供の龍とは思えないほどの威力で、鳥は一瞬で焼き鳥になってしまった。
恐ろしい。
僕も下手をしたら昨日丸焦げにされていたかもしれない。
「……ここには人間もくるから、人間に見つかると殺されてしまうかもしれないよ……気をつけて」
「…………――が……と」
「え?」
聞き取れなくて聞き返すと、龍はまたそっぽを向いた。
「なんでもない! 早くどっか行っちゃえ!」
龍に追い払われて僕は帰路についた。
やはり恐ろしい上級魔族だ。怪我が治ったら襲ってくるかもしれない。早く異界に返さないと……ここも危ない。
――しかし、こんな
疑問はたくさんあるけれど、警戒されてる今は何も聞くことはできない。
僕は暫くそこに通うことにした。
◆◆◆
龍の元に通いはじめて数日経った。
相変わらず警戒していて怪我の様子を見られずにいた。包帯もボロボロに裂けてしまっていて交換しないとならない。折れかけていた翼につけていた添え木はとれてしまっている。
「あのさ……まだ傷が良くないでしょう? 薬草を貼りたいんだけど、触ってもいいかな……?」
「嫌だ! ぼくに変な薬を試すつもりでしょ!?」
「……飛べなくなってもいいの?」
そう聞くと、その龍は沈黙してしまう。顔を背けて首をふる。
「飛べなくなんかならないよ!」
「君の翼の部分は折れかけていたんだよ。おかしなくっつきかたをしたら飛べなくなってしまう。今治さないといけないんだ」
嫌がっていた龍は赤い瞳で僕を見つめながら嫌がった。子供が駄々をこねるときにやるやつだ。感情に任せてひたすら嫌がる。
「絶対に危害を加えたりしないから、手当てさせてよ」
必死に龍を説得しても、龍は嫌がって話を聞いてくれない。
そうしているうちに日も大分落ちてしまって、僕は家に帰らないといけない時間になってしまった。それでもなんとしてでも包帯を巻きなおさないといけない。
僕は困ってしまった。
ここのところ困ってばかりだ。
そんなことを考えていたら足音が近づいて来ていることに気がついた。
「……静かにしてて」
僕は龍にそう言うと、足音のする方へ向く。すると中年の男が1人歩いてくるのが見えた。町の人間だ。松明を持って道を照らしている。
その光が僕に反射してその男の視界に入ると男は驚いた声をだした。
「うわぁっ!?」
びっくりして後ろに後ずさる男はなんとも間抜けに見えた。
「お前……あの男の家の…………こんなところでなにしてんだ」
「薬草を摘みにきたんです……」
僕は自分の身体で穴の中の龍を懸命に隠した。
「薬草? ふん、町の先生もこんな得体の知れねぇ女をよく雇うもんだ」
「………………」
「あの男の奴隷服なんか着やがって胸くそわりぃ。そんなもん着てるからお前は気味の悪い目で見られるんだ」
「………………」
「なんとか言えよ!」
男は僕の首の鎖をつかみあげる。
その手を僕は軽く振りほどいたが、それが男の勘に触ったようで怒りを露にする。
「てめぇ! ふざけてんのか!」
僕が頑なに何も言わずに顔を背けて、その場から動こうとしないのを男は不審に思う。
「なんだよてめぇの後ろ、何かいるのか!?」
――マズイ……
僕は首を横にふって抵抗するが、男はジリジリと距離を詰めてきて僕の肩を掴んだ。
「な、何もいませんよ」
抵抗も虚しく男の力で僕は穴の前から強引に退かされた。
白い龍を見られたら……
――どちらか殺すしかない
男は僕が退いた穴を見た。
「あぁ? なんだこりゃ?」
――終わった……
そう思って恐る恐る振り返ると穴のなかには何もなく、空洞が広がっていた。
「なんだよお前この穴、こりゃ動物の穴か?」
「……わかりません」
「チッ……もういい、さっさと消えやがれ」
そう吐き捨てて男は更に奥まで消えていった。
その光が見えなくなった頃に、僕の背中に必死にしがみつく龍に腕をまわして抱き抱えた。やはり鱗が痛い。
「ふぅ……危なかった。大丈夫……?」
「……うん」
僕はゆっくりと龍を下ろそうとしたが、龍は僕の服にしがみついて離れようとしない。
「どうしたの……?」
「手当てしてくれるんでしょ……? 翼のところ、痛いんだ……」
やっと素直になった龍に、僕は安堵した。ようやく手当てができる。
「うん、少し待っててね」
汚れている包帯を取ると、剥がされたと思われる鱗の部分から、新しい鱗が生えてきているのが見えた。
しかし、まだ生々しい傷が止血された程度だ。
こちらにいるから本来の回復力が発揮できないのだろうか。
龍に新しい薬草を張り付けて、それを包帯で覆っていく。丁寧に翼の部分にも添え木をあてて固定する。
「ねぇ……さっきの人間だよね?」
「そうだよ」
「どうして人間の方があんな偉そうだったの? 魔女のドレイなんでしょう? ニンゲンって生き物は」
「人間は魔女の奴隷なんかじゃないよ。知性のある、僕らと変わらない生き物。僕は……人間として生活してるからね。魔女だって知られてないんだよ」
「どうして? すごく力の強い魔女なのは解るよ。翼人と魔女の混血なんでしょ?」
「……そうだよ。僕は魔女の実験台にされてた。君と同じだよ。もう暴力は嫌なんだ」
龍は僕の顔をじっと見つめていた。
手当てが終わったら僕は龍から離れる。
「僕からも聞いていいかな?」
「なに?」
「異界から魔女に召喚されたんだよね?」
それ以外にこちらへ来る方法はないはずだ。
「……そうだよ」
「どうやって逃げてきたの?」
「ぼくを逃がしてくれた魔女がいたんだ。実験の途中で治療もまだだったけど……傷だらけのまま必死に逃げてきたの……」
――何故逃がした……?
そんなことをしたらただでは済まない筈だ。
「魔女は追ってきてた?」
「ううん、その逃がしてくれた魔女と外までこっそり出たから……」
「そう……ここにはどうしてきたの?」
「夢中で逃げてたから……解らないけど、魔女とは違う魔力を感じて必死になって来たらここだった。多分……君のその魔力に…………あ、そうだ、名前教えてよ」
会った頃より、ずっと明るく話してくれるその龍に僕は柔らかい笑顔を向ける。僕が微笑んだのをみて、龍も嬉しそうにして首をかしげている。
「僕はノエル」
自分の名前を名乗るのは久しぶりだ。
「ノエル! ぼくはレインだよ」
「そう。名前教えてくれてありがとう、レイン」
それから僕らは仲良くなった。
レインは僕が訪れるとはしゃいで遊んでくれとせがむようになり、元気に回復していった。
◆◆◆
【現在 ノエルの主】
「それでね、ノエルは新しく逃げてきた魔族を異界に帰してあげたんだ! それからね、あの吸血鬼を助ける為にケイヤクしたの。ぼくもケイヤクしたかったのに、ノエルが駄目だっていうんだ……ぼくはあんな吸血鬼嫌いだし、ノエルも絶対あいつのこと好きじゃないけど、でも助けるの。ノエルはいつも優しいんだよ!」
「…………」
「だからね……ノエルを困らせないでほしんだ……」
「そんなにあいつが好きなのか?」
「うん! 母さんがいたらこんな感じなのかなって思うんだ。いつも優しくて、でも強くて、いつでもぼくを守ってくれる。でもこんどはね、ぼくがノエルを助けるの!」
白い龍の話は無駄が多く、時間がかかったがそれでも長くは感じなかった。
俺の知らないあいつの話を聞いていると、ほっとした。
俺の知らないところで残虐に他の動物を殺すような魔女じゃなくて本当によかったと感じる。
だが、男の魔女と吸血鬼と白い魔女と話をしていたときには、魔女としての側面が顔を覗かせた。
俺は怖かった。
魔女の城であいつは正気を失っていたのを見た。
それを気にする様子もなく振り下ろしていた。それになんの意味もあるように俺には見えなかった。
殺すためではなく、ただ痛めつける為だった。俺には見ればわかる。
あんな姿を見たら恐ろしく思うのは普通のことだ。
それが焼き付いて離れない。
今までの優しいあいつがまるで嘘だったかのように見えた。
――あんなに泣いていたのが嘘なわけがない
俺の為に泣くあいつの姿は嘘じゃない。
何もかも、嘘じゃない。
それなのに、一瞬のあの姿がまるであいつの全てを否定するかのように焼き付いている。あまりにも衝撃的だった。
頭の中の整理には時間がかかりそうだ。
「そうだな……」
「ノエルが帰ってきたら、お祝いしようね!」
「帰ってきたら……な。そうだな。それまで、色々時間がかかりそうだ……」
白い龍の話をその後も聞いていた。
◆◆◆
【ノエル一行】
「貴様、本当に正気じゃないな。無理に決まっているだろう」
「危険を冒さないといけないのは承知の上で言っているんだよ」
夜の森の中、僕らは野営をしていた。
僕とガーネットの議論は平行線をたどっている。ガーネットは無理の一点張り。相変わらず説得するのに骨が折れるなと僕は落胆する。
たき火を囲んで僕とガーネットとシャーロット、クロエ、意識のないアビゲイル、遺体のラブラドライト、それから馬がいる。
穏やかに燃えている炎とは裏腹に、穏やかとは言えない空気を作り出していた。
「おい白魔女、貴様もなんとか言え。ノエルの無鉄砲な無計画には本当に頭が痛くなる」
「えーと……」
シャーロットは僕らの口喧嘩の間に挟まれて困っている。
「……ガーネットが協力してくれないと、これは成功しないんだよ?」
「私が協力したところで上手くいくはずない」
「やってみないと解らないでしょう」
「やらなくても解る上に、やってからでは遅いんだぞ! いい加減に正気になれ。お前はいつもいつも……正気という概念が存在しないのか?」
「僕は正気だよ」
ガーネットはこの話を始めてから、何度目か解らない頭を抱える仕草をした。
クロエは激しい口論にも関わらず、もう飽きてしまっていて眠っている。緊張感のない奴だ。それに信じたわけでもないのにいつまで僕についてくるんだと、僕も苛立ちを募らせていたので心の中でクロエに八つ当たりをする。
「ノエルの作戦は全く持って緻密性がない。漠然としている。いつでも正気じゃない」
無理矢理言うことをきかせることもできる……できればそれはしたくない。
ガーネットには感謝しているから。
幾度となく、危険なことに付き合わせて、多少の文句は言いながらもついてきて助けてくれた。まだ数日ほどしか一緒にいないが、この数日あまりにも非日常すぎた。
ガーネットはいつも落ち着いているように見えるが、魔族はこれが普通なのだろうか。
「じゃあもう1回言うけど、僕とガーネットで異界に行くでしょう? それで異界の王に話にしに行って――――……」
「同じことをもう1回言われても納得できるか。作戦でもなんでもない。異界に魔女が行くだって? 死ぬ為に行くようなものだと言っているんだ。お前は異界を見たことがないからそんなことを言えるのだ。そもそも異界は魔女に対してかなりの憎しみを募らせているんだぞ。それも異界の創成期からだ。魔女のお前が行ったら一歩歩くごとに襲われることになる。八つ裂きにされるのが落ちだ」
話は平行線をたどっていて、進展していく気配がない。
「八つ裂きにされたら……もうそれまででいい」
僕が投げやりに言うと、隣に座っていたガーネットは僕の胸ぐらを右手で掴みあげた。
罪名持ちが着ていた法衣をずっと着たままになってしまっているが、なんだかこの服は落ち着かない。
この法衣には『強欲』と刺繍がされていて、それを見るとまるでその二文字に行動が支配されているような感覚に陥って、非常に気分が悪い。
「ふざけるな! お前と私は契約しているんだぞ。お前が八つ裂きになれば私も当然八つ裂きになる! あの男のことで自暴自棄になるな! お前の身体はお前だけのものじゃないんだぞ!!」
僕の身体は、いつもご主人様のものだった。
勝手に傷をつければ怒られたし、いつも身体を好きにされるのは彼だけだった。
――解っているよ、ガーネット……
僕は隠していない三枚の片翼でガーネットを包み、抱き寄せるように動かした。少し驚いていたが、僕の左側に座っていた彼は僕との距離は更に縮まった。
「……ガーネット、確かに僕の身体は君の物でもある。でも、あのとき僕は死にかけていた君を助けた。だから君の命は僕のものだ。だから、地獄の果てまで一緒に歩いてもらうよ」
僕とガーネットの距離は物凄く近い。
あとほんの十センチ程度で唇が触れ合うくらいの距離。
互いが互いの目を見つめる。
ガーネットの赤い瞳には、自分の赤い瞳が映り、僕の赤い瞳にもまた、ガーネットの赤い瞳が映っていた。
ガーネットの金色の睫毛が瞬きで揺れているのが見える。
僕はそのまま翼で更にガーネットを抱き寄せると、もうすぐ唇が触れ合うほどの距離になる。
むなぐらを掴んでいたガーネットは躊躇いながらも僕から手を離し、僕の身体を押しのけて距離をとろうとする。
翼を広げて彼を解放すると、ガーネットは涼しい顔をしている僕を見て、
「ガーネット、必ず僕が守るから」
「…………私は守ってもらわなくとも大丈夫だ。…………本当にどうなっても知らないぞ。ただ、約束してもらう。いいか? 死に急ぐな。命を大切にしろ。お前の無茶苦茶な計画が終わるまで、仕方がないから付き合ってやる。いいか? 約束を違えたら、残っているこっちの翼を引きちぎってやるからな」
その言葉を聞いて、僕は不意に笑ってしまった。
燃えている炎を見つめていると、立ち上る炎はある高さに到達するとフッ……と大気に吸い込まれるように消えていっているのが見えた。
可笑しくて笑っていたのに、その感情はその立ち上る炎の先端のように突然消えた。僕は真顔になる。
「……いいよ。ガーネットになら」
そう言うと、ガーネットは呆れたように首を横に振っていた。
異界がどんなところか詳しくは知らない。
セージが時々話してくれた情報しかないし、勿論扉は開けても足を踏み入れて行ったことはない。
でも、行くしかない。
僕の計画を実行するには魔族の協力が必要不可欠だ。
可能性は限りなく少ないけれど、それでも……成功すれば、もう魔族も人間も……ご主人様も、魔女の脅威に晒されなくて済む。
「ノエル……本当に異界に行くのですね…………」
「うん。シャーロット、僕が戻らなかったら……レインのことはよろしくね。彼の事も……」
「そんなこと、言わないでください」
「……そうだね。それにガーネット、弟さんは異界で埋葬したいでしょう」
「…………」
「こんな世界で、別れたくないもんね……ねぇ、それ、その花知ってる?」
僕は野営している近くの木の近くに、炎のように燃えているような形と色をしている茎の細い群生している花を指さした。
「いや……」
「その花は昔、人間が死者を埋葬した場所に植えていた花なんだよ。球根などに毒があって、死体に悪さをする生き物がその毒を嫌うから人間が植えていたの。死者の血の涙みたいで憂いを感じる花だよね」
ガーネットは僕の髪のように赤い花を見つめていた。
花なんて興味ないような吸血鬼だが、やけにその赤い花が似合う。
「異界で生き延びられるかどうか解らないけど、持って行こう。異界の作法は解らないけれど……それがせめてもの弔いだ…………本当に……助けられなくてごめんな……僕が、弱かったから……――――」
そう言っている途中で、ガーネットが下唇を強く噛んだのを感じた。
怒っているのだろう。
あんなふうに弟をズタズタにされて、自分自身も酷い目に遭わされて、僕のこともあれこれ無茶苦茶言うし、怒って当然だ……――――
と、ガーネットの方を見ると顔を逸らして震えているのが見えた。
――え……?
「ガーネット……?」
「うるさい……私の顔を見るな」
声が震えていた。
僕はこれを知ってる。
つらくて、悲しくて、悔しくて、言葉にならない深い悲哀が目頭を熱くして、声が世の中の不条理に絞殺されそうになり震える。
ガーネットは必死にそれを見られないように顔を背けていた。
「……今日はもう眠ろう。疲れちゃった。明日ね」
僕はシャーロットに目配せした。炎を焚いたままガーネットを背にするように横になって、視線の先にある赤い花を見つめていた。
僕の背後で、ガーネットも横になった音が聞こえる。
――ずっと……つらかったよね……
僕はガーネットに背を向けたまま、ガーネットの方へ身体を動かし、背中をピタリとくっつけた。ガーネットは一瞬驚いたようで、ビクリと身体がわずかにはねるのを僕は感じた。
「僕はちゃんと約束守るよ」
「………………」
「背中は任せたよ、相棒」
そう言って僕は、精神的な疲労と、残っていた肉体的な疲労が表れ、すぐに深い眠りに落ちて行った。
だから、その後のガーネットの返事は僕には聞こえていなかった。
「……お前その弱い心は、私が支えてやる」
その言葉を聞いていたのはシャーロットと、静かに
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