第21話 隷属の意味




【ゲルダの部屋】


 幾度となく、後悔をしてきた。

 自分が間違っているのではないかと見つめ直すことも何度もあった。

 しかし、そう考えてしまうと自分には何もないということに気づいてしまう。

 その思考すらも、背中の痛みでかすんでしまう。

 それでいい。

 それが目的になるのだから。


 ――もう少し、もう少しでもう片方の翼が手に入る……


 背中の翼の痛みを抑える為の薬を投与の間隔が短くなって来ている。

 このままでは永遠に薬を投与し続けなければならなくなってしまうかもしれない。

 そうなれば、街から出ることは愚か、部屋からも出ることができなくなってしまう。

 そのあまりの恐ろしさにゲルダはいつも発狂しそうになっていた。

 気持ちを取り乱すたびにますます翼の部分の痛みが激しくなるような気がした。


「……ノエルは大人しくしているの?」

「あぁ、借りてきた猫みたいに大人しくしているぜ」

「そう……」

「なぁ、ゲルダ……翼をもう片方移植したら、どうなっちまうのか解ってんのか?」

「…………ええ。翼の力は安定してこの痛みから解放されるのよ」

「……」


 クロエはゲルダがそう自信ありげに言う姿に不安を覚えた。

 もし翼の力に呑まれ、魔女ですらなくなってしまったら手の施しようがなくなってしまう。

 今ゲルダを止めることができるのはノエルだけだ。


「私が直々に行くまで、けして手を出してはいけないわよ……また暴走したら……今度こそ危ないわ」

「あぁ……」


 クロエはゲルダの右半身の酷い爛れを見つめた。

 見るもおぞましく、醜い爛れが残っている。

 いつもその爛れを見ないようにしているが、見ないようにしてもそれで済むわけではない。嫌でもその呪われた様子が目に入ってくる。

 クロエは自分の気持ちに嘘をつくのはどうしてもできない。

 落ち着かない気持ちのまま、ゲルダの部屋の扉を見つめた。




 ◆◆◆




【ノエルが拘束されている部屋】


 先ほどの魔女2人のキャンディスとドーラ、他の魔女もぞろぞろと入ってきた。

 先ほどよりも人数が増えているような気がする。

 大体の魔女が罪名持ちが着る法衣を着ている。

 僕はご主人様とガーネット、そしてシャーロット、守るべきものがいる中これだけの敵がいると、いくら誓約書があるからと言っても油断できない。

 その中に、ロゼッタの姿があることに僕は気づく。


「シャーロット、こんなところで何をしているの? ゲルダ様のところにいたんじゃないの?」

「えっと……もう私がすべき治療は済みました……」

「だからなに? ノエルと何を話していたの?」

「別に。僕の様子を見に来ただけだよ。何も話してない」


 僕はシャーロットを庇った。シャーロットはおどおどとと何か隠れるところを探すように僕のはりつけ台の後ろに隠れる。


「そんなことどうでもいい。あんたを殺すのはあたしよ。その白い翼を引きちぎったその後にあたしがあんたを八つ裂きにして殺すの……あはははは!」


 僕の白い翼を指さしながら高らかに笑い出す。

 完全に狂気に捕らわれているその様子が哀れに見えた。

 ロゼッタの右腕の袖には所々血がついていることに気づき、それに視線を奪われる。そして、その右手が掴んでいるナニカにも視線を奪われた。

 血まみれの魔女らしき人物がその手に掴まれていた。引きずりながら歩いてきたらしく、床には血の道が出来上がっている。

 髪の毛も顔も身体も血まみれで誰なのか解らない。息はしているようで腹部が少し上下するのが見えた。


 ――誰……?


「……やはりな……命を代償にかけたのか」


 ガーネットが静かにそう僕の方を蒼白な表情で見てきた。

 僕は何と答えていいか解らないまま、僕は目を逸らすとご主人様が僕の手にあった誓約書を奪い取り、その誓約文を読み始めてしまう。


「あっ……」


 僕は取り返そうと腕を動かそうとしたがピクリとも動かなかった。

 彼が読み進めるままにさせてしまう。


「…………お前、これ……」


 ご主人様にはなんと言って良いか本当に解らなかった。僕は黙ってしまう。

 僕や、他の三人もそれ以上何も言えないまま黙っていると、ドーラが僕に近づいてくる。


「この人間がそんなにあなたの好みなの? あたしの方がずっといいと思うわ」


 ドーラは先ほどの幻覚とは違う魔術式を組み上げた。そしてそれを躊躇うことなく僕にかける。

 甘ったるい匂いがして、そして身体が少しずつ火照りを帯びてくるのを感じた。まるで、ご主人様に触れられているときのような感覚になる。


「おい、やめろ!」

「眷属は黙っていなさい」


 フルーレティはガーネットの声を拘束し、声が出ないようにした。僕が睨み付けると


「拘束は危害ではないわ。傷つけてはいないもの」


 冷たい声でそう言う彼女の言葉が頭に入ってこない。


「どう? その気になってきたでしょう?」

「……っ」


 身体が火照って行くようで、意識を集中して保てない。


 ――なんだこれ、魅了系の魔術式か……


 ドーラが僕の身体に触れてくる。

 ゆっくりと、服の上から僕の身体をなぞり、弄ぶ。


「どう? あたしがほしくなっちゃったんじゃない?」


 得意気に僕の方を舐めるように見つめてくる。

 周りの魔女たちも笑いながら僕の様子を見ている。唯一ロゼッタが今にも僕を殺さんとする怨嗟をたぎらせている。


「あぁ、そう……だな」

「でしょう? ならあたしに身をゆだね――」

「で……もそれは……っお前じゃない!」


 僕はドーラの目を思い切り睨みつけた。

 自分がどんな表情をしているか解らなかったけれど、きっと僕の髪の隙間から見える目はまるで肉食獣が獲物を見る目と同じ目をしているだろう。

 ドーラは目を見開いて動揺しているようだった。


「……あなた、あたしの魔術が効いていない? あたしのことが欲しくて仕方なくなるはずなのに……」

「お前にはその辺の低俗なのがお似合いだってことだな……」

「この奴隷のせいね……」


 ドーラがご主人様を睨み付けた。

 それを見て一気に冷や汗が吹き出すような感覚に襲われる。ご主人様とドーラの視線が絡むと、より一層僕は嫌な気持ちになる。


「じゃあ、この奴隷に私が魔術をかけてやるわ」


 やけにその時がゆっくりと見えた。

 ドーラがご主人様を睨み付け、ゆっくりと手をあげている最中、僕は自分の中の制御を失った。


 何秒も時間はかからなかった。


 部屋の魔女がそれを認知するまでに一秒、二秒、時間がかかった程度のこと。

 ドーラの首はゴトリと床に落ちていた。

 ドーラの首のついていた部分から血飛沫ちしぶきが飛び散る。


「きゃあぁあああっ!!」


 その場にいた魔女たちは恐怖に顔が歪み、後ずさった。

 シャーロットは口元を押さえて声も出ない様子だった。ご主人様は呆気に取られているようで声を上げず、その光景を瞬きもせずに見ていた。

 間隔がやけに鋭く研ぎ澄まされている様だった。

 その部屋にいた全員の呼吸の音や心臓の音、目の動き、何もかもがやけに鮮明に解った。


「馬鹿なことを……これで手間が省けた。お前は誓約書によって死ぬわ」


 少しは驚いていたであろうフルーレティがそれでも動揺を隠し雄弁に語る。

 他の魔女たちも一時の混乱が収まった後、誓約書の件で安堵した様子でクスクス笑いながら見ている者もいた。

 しかしロゼッタだけは笑うのをやめて目を見開いている。


「その魔女の心臓の誓約書には、治療を行う代わりに抵抗をせずその身を差し出すという誓約をしたのよ。破った場合はあなたも、そしてそこの人間も死ぬ――――」

「そんなことさせない!! キャンゼル! 解きなさい!!」


 ロゼッタが突然大声を上げて、血まみれの掴んでいたナニカを床に叩きつけた。


「きゃぁっ……!」


 キャンゼルと呼ばれたナニカは叩きつけられた衝撃で自分の血液を飛び散らせる。


「今すぐ魔術を解きなさい!!」


 ロゼッタの形成した水の刃がキャンゼルの身体を切り裂くと、キャンゼルは虫の鳴くようなか細い声で悲鳴をあげ、更に血を含んだ水が飛び散る。

 僕はその様子を見て、どういう事がよく理解した。

 やはり、あの魔女の心臓の残りなど存在するはずがない。

 キャンゼルがその血まみれの手をようやく上げると、ご主人様の手にあった誓約書が解かれ、砕け散った。


「これでノエルは死なないわ!」


 その言葉でやはりキャンゼルの再現魔術だったことを再確認する。

 魔女たちはとんだ悪知恵を働かせるものだ。


「ふふふ、無駄よ。誓約書は本物と同じだった。その効力は本物とおなじ…………今更解除したところで手遅れよ」

「そうだろうね」


 バキンッ……


 僕は魔術で自身の身体の拘束を解いた。

 バサリと僕は三枚の片翼を大きく広げてからたたむ。自分の身体に翼を模様として戻した。魔術を使う際は出していた方が有利だが、左右非対称では動きづらい。

 フルーレティはその様子を見て明らかに動揺をした。

 周りの魔女もそれをみて悲鳴をあげて後ずさる。


「な、何故だ……誓約書の効力は……!」


 フルーレティはキャンゼルを横目で見た。キャンゼルは怯えるように壁に向かって必死に這って移動し、その身を丸くして自分を守るように震えだす。

 僕はドーラを殺した後は冷静だったがシャーロットも、ご主人様もガーネットも困惑している様子だ。


 僕の視界は真っ赤だった。


 それは僕の髪の色が赤いからじゃない。ドーラの血が僕の頭から身体にかけて汚い血でべったりと絡みついていたからだ。

 身体をボキボキと鳴らして自分の四肢の動きを確認する。

 全員が恐れおののいて唖然としていた。

 たった一人ロゼッタを除いては。


「あははははは! それでこそノエルよ! 今すぐ殺し合いましょう!!?」


 僕は拘束魔術をロゼッタに使った。

 ロゼッタは身動き一つできなくなり、言葉も発せなくなって硬直した。


「そんな怖がらなくても僕は無差別に殺したりはしない。僕を怒らせない限りはね」


 転がっているドーラの首を拾い上げ、魔女たちに見せた。

 まだ新鮮な血液が頭部からしたたり落ちる。


「ふざけるとこういうことになるってこと」


 ドーラのまだ血の滴っている頭部をフルーレティの方に投げて渡した。しかし、フルーレティはそれを受け取らず、足元にソレは転がりゴロゴロと不穏な音を立てた。


「キャンゼル……! どうなっているの!? 答えなさい!」


 フルーレティが僕に拘束魔法をかけようとしたが、その動きをいち早く僕は察知しそれよりも早く僕はフルーレティの両腕を

 風の刃が音速で飛んでいき、目にも留まらない速さで切断された腕がまだ空中を舞っている最中にフルーレティは叫び声をあげた。


「キャアアアアアアアアッ!!」


 叫び声が部屋にこだまする。

 赤い。

 部屋がどんどん赤く染まっていく。僕はフルーレティが失血死しないように傷口を焼いた。焼いた際に激痛を感じたのか、またしても悲鳴が室内にこだまする。

 ご主人様にこんなところを見せたくはなかったけれど、そうも言っている場合ではない。

 そちらを見て確認はしなかったが、3人がどんな表情をしているのかは想像に容易かった。


「動かないで。下手なことをしたら皆殺しにするよ」


「皆殺しにする」なんて、軽々しく言えるものじゃない。その言葉を言うことは簡単でも、実際にするのは簡単じゃない。

 殺せる実力があっても、殺したくないと強く思う気持ちがそれを阻害する。

 どうして他の魔女たちは簡単に人を殺せるのだろう。

 僕には何かを手にかける時にものすごい抵抗感があって容易にはできない。

 身を護るときにやむを得なくそうする以外はどうしても殺すという行為から逃げてしまう。


「僕らを逃がしてくれるなら助けてあげるけど?」


 その結果の言葉がこれだ。

 ガーネットに絶対「貴様は正気か!?」と言われるだろうと僕は考えていた。できることなら殺したくはない。

 なによりもご主人様の前でこんなことしたくはない。

 こんなことを言っても、逃がしてくれる魔女なんていないと思うけれど、それでも良心がすこしでもあるならと願いを込めて言葉を紡ぐ。


「何故……何故……誓約書は本物と同等のはず……他の魔女同士で誓約をさせたときにはきちんと効力を発揮していた……!! キャンゼル!!! 答えなさい!!!」


 僕の願いなど全く聞いていないようで、ひたすらに取り乱している魔女たちの表情を見て、僕は絶望感に苛まれる。

 いつも冷静なフルーレティがまるで断末魔の叫びかのようにキャンゼルを問い詰めた。


「あ……あたしは……! 謂われた通りのものを作っただけ……」


 キャンゼルは心底震えながらソレに答える。寒い訳でもないのにガチガチと歯が鳴っている。

 僕は他の魔女を牽制しながら、気持ちを切り替えて話にならないキャンゼルの代わりに話始めた。


「キャンゼルは関係ない。誓約文の中身の問題。文面をよく考えてごらんよ」


 ・シャーロットによりノエルの希望する奴隷を治療完了した場合、ノエルはその身体の全てを魔女ゲルダに捧げること

 ・その際に一切の抵抗をしないこと

 ・ノエルが誓約を破った際にはノエルの提示した条件全てを無に帰し、奴隷は即座に死亡するものとする


「誓約文はこれだけど。ドーラを殺したのは抵抗じゃない。非常に腹が立って殺しただけ」

「そ……そんな屁理屈が通用するなんて……!」


 フルーレティが身悶えしながら、肩で息をしているのが見えた。

 息が上がっていて汗が吹き出ている。両腕がない状態なのにそれほど強気で物事をハッキリ言えるのは流石としか言いようがない。

 しかし誓約書に関してはかなりの即席のお粗末なものだった。


「あの古の魔術は、認知による魔術伝搬が根本的な術式だ。つまり、破ったという自責の念がなければそもそも発動しない節がある。元々の本物の魔女の心臓を使った制約はもっと色々複雑な術式だけどね」


 僕は髪の毛をまとめた。

 血でベタベタするが、その感覚も別に慣れている。昔はよく自分の血でこうなっていたことを一瞬思い出した。

 セージに沢山本を読んでもらっていた僕の方が、フルーレティよりも上手うわてだったようだ。


「あと……そもそも根本的なところで、彼は僕の『奴隷』じゃない。もうそこから間違っている。差し詰めキャンゼルが僕の言ったことをそのまま伝えて、それを鵜呑みにしたんでしょう」


 シャーロットたちは固唾をのんで僕の話を聞いていた。

 僕は子飼いにしている奴隷などいない。


「僕の人格からそれも予測できたはずだ。魔女にとって人間はすべて奴隷だと刷り込まれているからこそ、その間違いに気づかなかったんだ」


 ここで僕が名推理を披露している間にゲルダがくるとまずい。


 ――何故ゲルダはこないんだ……?


 この街が吹き飛んでいないところを見ると、僕が以前使用した特大の魔術を何とかして防いだのだろう。

 だとしたら……少し、あるいはかなりの重症なのかもしれない。

 しかし僕の翼を持っているし並の魔女の基準で考えたらいけない。


「ノエル……貴様、きちんと考えていたんじゃないか。無鉄砲が過ぎると呆れてすらいたが……」


 ガーネットが小声で僕にそう耳打ちしてくる。


「ガーネットは彼から離れないで守っていて」

「……あぁ。しかし、私が守る守らないにかかわらず、魔女を皆殺しにする他に逃げる手立てはないだろう」

「できればそうはしたくない。穏便に済ませたいんだ。できることならね」


 町で怒りに我を忘れていた時とは違う。僕は冷静だった。冷静な僕は殺しが得意じゃない。

 僕はそんな中状況を一つ一つ確認する。

 フルーレティはもう拘束魔術を使えない。

 他の魔女は未知数だけれど、ドーラが殺されたことによって怯えが先行している。しかし、少なくともロゼッタは好戦的で話し合いの余地はない。

 キャンゼルはあれだけ痛い目を見せられているから別に向こう側の魔女という訳ではないだろう。何か弱みを握られていなければ。


「ノーラ……あたしを助けて……お願い……」


 僕に懇願するキャンゼルは、泣きながら弱々しくそう言った。

 生きていたらこの後僕の生涯になりかねない魔女だ。賢くはないが再現魔術は使い方によっては恐ろしい効力を発揮する。

 それは僕の見方につけるべきか。


 それとも、危険分子は排除しておくべきか。


「お願いよノーラ。裏切ったことは本当に悪かったと思って……」

「別にそれは気にしていない」


 僕は魔女たちから視線を背けず、少し間合いを詰めた。

 それに反応した魔女たちは少し後ずさる。本能的な行動だが、魔女同士で対立している以上は距離の問題ではない。

 僕の視界に入る全ては射程範囲だ。


「異論がないなら通らせてもらうよ。ここで死にたくないでしょう」


 息をするという行為すら、緊張感で意識をしないとできない状況だった。

 僕がゆっくりと歩くと、他3人も僕に続いてゆっくりと部屋の端を沿うように歩く。


「逃がさないわ! 捕えなさい!!」


 その怒号に部屋にいたロゼッタ以外の全員がビクリと身体を震わせる。

 もちろん、周りの魔女はフルーレティの命令が聞こえなかった訳ではないだろうが、誰も動かなかった。

 というよりも、誰もというのが正解だろう。


「早くなさい! ゲルダ様に殺されるわよ!!」

「レティ……めちゃくちゃ言わないでよ。ゲルダに殺されるか、今ここでノエルに殺されるかの違いしかないじゃない」

「口論している場合ではないわ!」

「もう魔術式を使えないあなたに何ができるの!?」


 僕はその言い争いの中考えていた。

 僕がここから出たことが知れたら、シャーロットの妹がどこにいるのか解らないが、シャーロットが寝返ったと知られれば妹とやらも危ないだろう。


「ノエル、今全員仕留めておくべきだ」


 ガーネットが小声で僕に耳打ちする。

 確かにそうするのが一番だと僕は理解している。それでも僕は『殺す』という行為はしたくない。

 セージが僕に教えてくれた。僕は破壊するだけの存在ではないということを。

 その生き方は、そう簡単に変えることができない。


「あぁ、解っているけど……」

「何を迷っているんだ」

「……普通、殺すって行為は躊躇われるべき行為なんだよ」

「いまさら何を言っているんだ!? 何人も手にかけてきただろう。さっきも」

「それでも殺しを好んだことは一度だってない」


 僕がガーネットとそう言い合っている内にフルーレティは完全にしびれを切らしていた。


「シャーロット! あなたも妹がどうなってもいいの!!?」


 シャーロットはビクリと身体を震わせて、僕の服の裾をギュッと握った。


「こんなことをしたら、妹は確実に殺されるわよ。ノエルに助けてもらおうと思っているの? そんなことできないわ。ここは魔女の総本山よ。いくら化け物でもそんなことできるわけない」


 両腕がない状態にも関わらず、フルーレティは雄弁にシャーロットを説得しようとする。

 シャーロットも迷っているようで、右往左往としていた。


「その外道はゲルダ様に殺されるのよ……あたしたちから逃げられない!」


 そう激しく言うフルーレティに気を取られていたが、一人の魔女が僕らに向かって魔術式を展開した。

 一瞬の出来事で、その炎に僕は反応が遅れた。


 ――しまった……!


 その炎は僕ら全員を飲み込むように、部屋の半分を焼き尽くす勢いだ。

 咄嗟のことだったがガーネットが瞬時に反応し、僕らを抱えて半ば突飛ばすかのように炎を回避する。勢いよく硬い大理石に身体を打ち付ける形になり、鈍いけれど強い痛みを感じる。

 回避し損ねた炎はガーネットの身体を焼いた。

 ガーネットは着ていたローブを破り脱ぎ捨てた。燃え移った炎は瞬く間にローブを焼き尽くす。


「ぐぁっ……」


 僕の身体も同じように焼け、吐きそうになるほどの痛みを感じた。

 突飛ばされたときに身体を打った時よりもずっと激しい痛みに襲われる。

 僕はその傷みで自覚した。


 殺さなければ僕が殺されるということ。


 僕だけじゃない、ガーネットも、シャーロットも。

 最愛の人ですら。

 僕はしっかりと目を開き、現実を見据えた。手を魔女に向けた。

 それに気づいた他の魔女たちも気づいて魔術を展開する。様々な魔術が部屋の真ん中でぶつかり合う。あらゆる物理法則が入り混じるが、僕はそのどのエネルギーも相殺した。

 そして凝縮されたエネルギーの塊を任意の方向に一気に飛ばした。


 シュンッ…


 その音と同時に部屋にいた僕とシャーロットとキャンゼル以外の魔女の首が全て吹き飛ぶ。後ろの大理石にまでそのエネルギーは及んでいた。

 そして僕はまた一つ自覚する。

 僕は殺そうとすれば、こんなふうに容易く殺せてしまう程の力があるということも。


「きゃぁあああああああっ!!!」

「…………!!」


 次々に魔女たちは倒れ、首と胴体が離れた異様な物体が転がった。

 そこかしこで血の池が出来上がる。

 おびただしい血の量だ。鉄の匂いでクラクラする。

 僕は他の魔女が死んだことを確認した上、ご主人様を真っ先に確認した。

 こんな状況なのに、いや、こんな状況だからこそだろうか、涙が出てきた。


「ご主人様、大丈夫ですか。お怪我はされていませんか」


 まくし立てるように僕が言うと、ご主人様は僕を見た。

 彼の両腕は一度はあげられたが、行き場を失い右往左往とする。僕の身体の様子を見て、何か言いたげで、それでも何もいえないといった様子だ。


「俺は……大丈夫だ。でも、お前……」

「僕は大丈夫です……ガーネット、ありがとう。大丈夫……?」


 自分の身体の痛みは解っていたけれど、ガーネットも右肩から背中にかけて酷い火傷をしている。

 着ていたローブは火が移った後に脱ぎ捨てたとはいえ、それでも浅い傷ではない。

 シャーロットは治そうと魔術式を展開したが、僕がそれを牽制した。


「私は平気だ」

「嘘はよくないよ。僕の血を飲んで」


 手首を差し出すと、ガーネットは僕の手首に咬みついた。相変わらずこの痛みには馴れず、顔をしかめる。


「何をしているこんなときに!?」

「彼に僕の血を飲ませて回復させます」

「なに……?」

「契約のお話はしましたね。彼に僕の血液を与えることによって怪我をたちどころに回復させることができるんです。あまり……こういうことはしたくないのですが……」


 話をしている内に、僕とガーネットの傷はみるみる塞がり、元通りになった。

 ご主人様はこの様子を見ていられないようで目を背ける。目を背けられると、ますます自分が酷い化け物のように感じた。


 見た目は人間に近くても、僕は人間じゃない。


 魔女として生きてきたが、魔女ですらない。

 僕は一体何なんだろう。

 僕は現実を遠く感じたが、頭を横に振った。

 自分の身体に魔女の血がついていることを思い出す。

 僕は適当な転がっている魔女の法衣を脱がせ、その血まみれの法衣を纏った。ベタベタしていて気持ちが悪い。


「ここから出よう。別の魔女が来たら厄介だ」


 水の術式で等身大の水の塊を構築し、その水に振動を加えてお湯にした。その中に自分が入る。暖かく優しい感触に包まれるが、僕はそのお湯を回転させて自分についた血液を全て洗い落とした。

 みるみる内に水が赤く染まって行くが、その血液だけを下にふるい落とし、お湯で服の血液を完全に落とし、服や髪にまとわりついた血を洗い流す。

 びしょびしょの身体から表面についている水だけを操って一気に自分から分離させると、僕の身体と法衣は完全に乾いた。

 髪の毛をまとめ、法衣の中にしまう。フードを深くかぶれば誰なのか解らないだろう。


「い、妹を……! 助けてくれるんですよね……?」


 僕の悪行を見て、シャーロットは恐怖に震えていたが、それでも僕に助けを求めてきた。


「助けに行くよ」

「この状況でそんなことを言っている場合か!?」

「ガーネット、いいんだ。助けに行く。放っておけない」

「何を世迷言を!? 死にたいのかノエル!?」

「言ったでしょう。シャーロットの気の散る状況じゃ、治療させられない」

「治療がどうのこうのと言っている場合か!? 死ぬか生きるかの選択だ。どのみちこの魔女は寝返ったのだ。私たちに従うしかない」

「寝返ったって証明する者はみんな死んだでしょう」

「ならばそこの血まみれの魔女に証言させればいいだろう!」


 ガーネットは怯えて震えているキャンゼルを指さしながら語気を荒げる。


「……ノーラ……」


 ぐちゃぐちゃに涙や血で濡れ、尚且つ暴行による腫れや痣で、キャンゼルがどんな顔をしていたか僕に葉思い出せなかった。


「こいつはまだ使える。僕が逃げ出しているとばれたら何もかもおしまいだから。キャンゼル、生きたいなら頼みがある」

「な……なんでもするわ」


 ――まただ


 いや、いつもだ。

 その怯えた目。僕を恐れる目。

 そういう目を、ご主人様にされたくないと心の底から思う。


「僕がここから逃げたと思われると困る。だからキャンゼルには僕の姿を再現してもらってここにいてほしい。僕が対魔術の魔術式をかけるから、もし他の魔女が拷問をしようとしても反射でその魔女にあたるし、僕の魔術式でキャンゼルは守られる。事が済んだら助けに来るからここで僕のふりをして待っていてくれ」


 あらかじめ来るであろう質問に全て適応したことを言った。

 ガーネットとご主人様は何も言わないで黙っていた。彼らの為に僕は他の魔女の法衣を脱がせ、同じように血を洗い流した。


「シャーロット、傷を簡単に治してやってくれないか。簡単にでいい」

「解ったわ……」


 シャーロットにキャンゼルの酷い怪我を簡単に治してもらっている間に、僕は周りの魔女の遺体を原子レベルに分解した。

 その原子が再び自身の引き合う相手と結合して各々の物質に変化する。

 それを部屋の大理石の隙間に無理やり詰め込む。

 まるで何事もなかったかのような状態になり、整然とした部屋になっていた。

 ふと、ご主人様の部屋やセージの部屋を掃除していた時のことを思い出す。

 魔術を使わずに手でひとつひとつ掃除していくのは大変だったのに、それが嘘のようだと感じる。


「準備はできた? 僕のすがたを再現してみて」


 キャンゼルは僕の姿を自分に再現した。ゆっくりとキャンゼルの姿から鏡のように自分の姿になる。服もそのままだった。


「どう? これでいいかしら?」

「話すとばれるから黙っていて」


 僕はキャンゼルを簡易拘束魔法で簡単に拘束しているふりをした。

 この程度の魔術ならキャンゼルでもほどけるだろう。そして念入りに反射と防御の魔術式を掛けた。露骨にかけるとすぐに見破られてしまうのでなるべく気づかれない程度にした。


「必ず助けに来てね……ノーラ」

「……僕の名前はノエルだよ」


 そう言ってシャーロットたちの方を向き直った。

 全員で一緒に行くのはリスクが伴う。それでも置いていくわけにもいかない。僕は自分の爪をかじりながら考えた。


「もういいだろう。行くぞ」

「あぁ……でも、この人数で移動するのは目立つ。法衣を着ても、男の魔女は数えるほどしかいない。まして罪名持ちのローブを着ている男はあのゲルダのおかかえの男しかいないだろうから」

「まさか、こんなところに置いていくつもりか!?」

「今考えてる」


 僕が焦りと苛立ちを隠せずにいると、魔女の死体が転がっていた場所を見て思いついた。


「幻覚魔術だ。幻覚魔術の応用で、僕らをその辺の魔女に見せるんだ。魔女除けの術式みたいなものだ」


 僕が思いつくまま魔女除けの術式を少し変化させた魔術式を構築し、ガーネットの方を見ると目が合う。


「ガーネット、こっちへ来て」

「…………それは、安全なのか?」

「焦ってる割には随分弱腰だね?」


 チッ……と舌打ちをしながら僕の近くによってくる。


「大丈夫だから、きて」

「信じるぞ、ノエル」

「あぁ、大丈夫」


 ガーネットは目を閉じ、僕の魔術式を受け入れた。

 すると、ガーネットは金色の長髪の美しい女性の姿に見えるようになった。肩甲骨付近まである金髪が揺れると、彼の赤い瞳に少しかかる。どこかのお姫様のようだった。


「どうなった?」


 声にまでは変化はないので、その美しい容姿からは似つかわしくない声に感じる。


「えっと……綺麗だよ」

「き、気色悪いことを言うな」


 そう言いながらも、恥じらう女性の姿をしている彼は素直に美しいと思った。

 口が裂けてもそんなことは言えないのだが。


「凄い……光の屈折を応用する難しい魔術なのに……」


 シャーロットが変貌を遂げたガーネットをよく見る。ガーネットは観察されているのは不愉快そうだったが、自分の目にも自分の姿が女性に見えているのだろう。

 僕は同じ魔術式を構築して、ずっと黙っていたご主人様の方を見る。


「ご主人様、来ていただけますか……?」


 腕組みをして寄りかかってた彼は、物怖じもせずにやってくる。

 その態度に、逆に僕がおどおどとしてしまう。


「いいですか?」

「早くしろ」

「……はい」


 僕はご主人様に魔術をかけた。

 すると彼は銀色の髪と、白い肌の美しい女性になった。細身で、慎重の高い切れ目の美人。

 胸も大きく大人の女性という容姿だ。

 あまりの美しさに僕だけではなく他も言葉を失う。


「これでいいだろう。いくぞ」

「あ……はい」


 僕は法衣を二人に渡した。その法衣に二人は袖を通した。どこからどう見ても美しい魔女だ。しかし目立ってしまうのはよくない。罪名持ちとなれば限られた魔女だ。

 ご主人様の銀色の艶やかな髪が、彼が一歩動くたびに揺れる。とはいえこれは実体がある訳じゃない。その長い髪に触れようと手を伸ばしても、実体はなく空をかくだけだ。

 僕は魔女の牢獄から助けられたのがこのような女性でも、こうなったのだろうかと考えた。

 同じように慕い、命がけでシャーロットを求めて魔女の街まで行ったりしただろうか。

 これは恋心なのだろうか、それとも別の何かなのだろうか。

 いくら考えても解らない。


 この部屋から出てシャーロットの妹を助けに行かなければならない。迷いは捨てて、大きく息を吐き出し、僕は扉に向き直った。


 勝負はここからだ。



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