第22話 クロエの秘密
僕はいつも何かに怯えている。
小さい頃は何かに怯えていることなんてなかったけれど、両親が殺されてからはまた同じことが起こるんじゃないかってずっと心配していた。
セージとも最初は上手くいっていなかったけれど、それでもセージが根気強く僕に接してくれたから徐々に僕は両親を失ったショックから立ち直ろうとしていた。
セージとずっと一緒に居られると思っていた。
でもそうはならなかった。
セージも魔女に殺された。
僕は二度も大切な者を殺されてそこから立ち直れなくなってしまった。
ご主人様に助けられた僕はずっとずっと怖かった。
今もずっと怖い。
また失ってしまったらと考える度に僕はどんどん臆病になっていった。心を開くこともできずに、ずっと僕は閉じこもっていた。
閉じこもったまま、僕は何のために生きているか解らなくなってしまっていた。
そこからやっと自分の脚で歩き出せたような気がした矢先、ご主人様が病に負けそうになっている。
それに今は魔女の総本部だ。
本当にいつ殺されたっておかしくない。
――僕はいつまでこんなふうに怯えていなければいけないのか
僕は魔女を殺した自分の手を見た。
そこには返り血などついていない。人間は人間を殺すとき、この手を血に染める。
首を絞めたり、ナイフを使ったり、突き落としたり、手法は色々あるけれど生々しい感覚がする。
しかし、昔人間が作った火薬を用いた『銃』というものは違う。
火薬を詰めた金属製の弾を火花を使って爆発させ、それを撃ちだす。当たり所によっては殺傷能力の高い武器だ。
人間はその武器を好んだ。
使う方法は引き金を引くという簡単なもので、相手を自分の『手』で殺したという感覚が薄い。
だから簡単に殺せた。
例えば、自分が作為的に何かしたら誰かが死ぬ場合は抵抗感が強くても、無作為の行為で誰かが死ぬとしたらその抵抗感は一気に低くなる。
助けを求められたところを見捨てるとか、もう少し頑張れば助けられるのにそうしないとか
あれは仕方なかったと自分を説得できる場合だ。
しかし、それは最もひどい後悔を呼び寄せる。
どうして助けられなかったんだという自責の念。
僕はその両方に押しつぶされそうになる。
助けられたのにどうしてできなかったのかという後悔と、どうして殺すまで行ってしまったのかという後悔。
もっと僕が残忍だったらそうは思わなかったのかもしれない。
例えば人類が昔絶滅させることに成功したウイルスや、絶滅させることができた『蚊』という虫は人間に対してかなりの脅威を与えた。
人間は脅威を取り除こうと徹底的に排除した。
自分にとっての脅威であったなら、排除することは当然だろうか?
――違う
話し合えば解るはず。
ただ、話し合えればの話かもしれない。
虫とは意思の疎通ができない。空腹になれば『食料』にありつくのは普通のことだ。
強者の生活というのは、搾取されることなく一方的に常に搾取し続け、飢えず、苦労せず、退屈であるということだ。
ならば、この世に強者などいない。
皆何かに飢えている。
埋められない何かを求めていつも飢えている。
「こっちです」
シャーロットの声で、僕は我に返った。
辺りを見渡しても魔女の本部の中は入り組んでいてどこを歩いているのかさっぱりわからない。ただ、魔女の数は数えるほどしかおらず僕らを怪しむ様子もなかった。
「地下だっけ」
「はい、そうです」
地下室は嫌いだ。実験のないときはいつも地下の牢屋に入れられていたので、自分からは入りたくない。しかしこの先だと言われている手前、入らないわけにもいかない。
シャーロットを先頭に、僕とガーネット、ご主人様は横に並んで歩いていた。僕は少しシャーロットに近づき、聞いた。
「妹さん、何したの。それともシャーロットを働かさせるための人質?」
「……それもあります」
「それも?」
「…………」
「……まぁ、言いたくないならいいよ」
話そうとしない彼女に、僕はそれ以上聞くのをやめた。
そのまま暗い地下へ降りて行った。明かりは床のそこら中に走らせてある管についている緑色の不気味な照明だけだ。
そこは大理石ではなく武骨で冷たい金属の板と沢山の大小の管が床を走っている。
時折部屋のようなものがあるが、しっかりと閉ざされている。専用の解除魔術がないと開かないのだろう。
「ここから出る時は、穏便にはいかない。キャンゼルを回収してさっさと出る」
「あの魔女を助けるつもりか?」
ガーネットは小声で僕に耳打ちする。やはり不満そうだ。
「見殺しにはできない。ここにいたら確実に殺される」
「助ける方が危険だ。お前の主を危険にさらすのか?」
「…………」
僕が黙ってしまうと、ガーネットは僕の肩を乱暴に掴んで、側壁に叩きつけた。
肩甲骨のあたりを強く打ち、痛みを感じる。
「自分にとって何が大切なのか見失うな。貴様はいつもそうだ。何もかもは助けることは出来ないのだぞ」
「……そうやって諦めてしまったら、誰がその人を助けるの?」
「あの魔女はお前を二度も裏切ったんだぞ!」
「…………」
僕が考え込んでしまっていると、ご主人様がガーネットの肩を掴み、自分の方へ向き直させた。
「揉めている場合じゃねぇだろ」
「気安く触るな」
ガーネットは手を振り払い、僕のことも解放する。
「私の言ったことをよく考えておけ」
彼は、不安そうにこちらを見ているシャーロットの方へと足早に歩いていった。
「来いよ」
「はい……」
ご主人様にそう言われ、僕はとぼとぼと歩き出す。
見殺しにするかどうかということを迫られていると思うと、僕は決断できないままでいた。
「お前は考えすぎだ」
「え……」
「どうしてお前は他人の命の責任まで感じるんだ」
「……助けてくれたからです」
「お前は一度助けられたら、何度裏切られても助けようとするのか?」
「……悪いことをしたとしても……その人の善意がすべて否定されるわけじゃないと思うんです。何人も殺す魔女だって、誰かに優しくしたりすることはあります。その逆に、どんなに普段優しい人でも残虐な一面があったりもします。全てを否定することはできません。善意が感じられる限り、助けたいと思うんです」
それは、僕を育ててくれたセージの教えだった。
セージはどんな景色を見ていたのだろうか。
僕よりもずっと頭の良かった彼には、この世界はどう見えていたのだろう。
「助けたいと思う気持ちはそれでいいと思うけどよ、他人の命に責任を感じることはないんだぜ」
「……僕には、助けられる力があるから――――」
「ずっと街にいて魔女だってことを隠していたのにか? 突然どうしたんだ」
ガーネットに言われたことを思い出しながら、僕は答えを探した。
――過去―――――――――――――――――――――
「お前は、生きていることを後悔しているのか?」
「ばかばかしい。お前は自分を追い詰めることで逃げているだけだ。奴隷の身分に自分をやつし、力を使うことなく生活することで、その罪の意識から逃れられると思っているのだろうがそれは違う。お前は力の正しい使い方を知っている。なのに、何故それをしようとしない?」
――現在―――――――――――――――――――――
「僕は……今までずっと逃げてきたので……自分から逃げてました。嫌だったんです」
「自分のことがか?」
「もっと普通に生まれたかったんです。魔女と魔族の混血なんて大層なものじゃなくて……ご主人様と同じ人間が良かったなって……無力であることを望みました」
「…………」
「でも、ガーネットに『罪の意識から逃げている』と言われて……そうかもなって思いました。自分を受け入れるのは大変でしたけど…………自分と向き合わないとなって。自分と向き合うってことは、この力を受け入れるということです……破壊は得意ですが……自分の思う正しい使い方を見つけるのは大変です」
ご主人様の方を見ると、彼も僕の方を見つめた。
今は誰もが振り返ってみるような絶世の美女だ。銀色の髪は法衣の中にしまっているとはいえ、その美しい輝きは隠し切れない。
少しきつい目つきの奥には黄色みがかった瞳が僕を捕えている。白くきめの細かい肌に、綺麗な唇がピンク色に映える。
まるで別人に話しているようで、おかしな感覚がしたが声はまぎれもなく彼そのものだった。
「お前は、あの吸血鬼に会ってから変わったのか?」
「……いいえ」
「なら、どこで変わったんだ」
「それは……――」
答えようとした後に、シャーロットが立ち止まって僕の方を見た。
「ここです」
厳重な扉にたどり着いた。扉の目の高さの位置にわずかな硝子の嵌めてある空洞部分があって、そこから部屋の中が覗き込める。
僕はそこから中を覗き込んだ。しかし、中は暗くて何も見えない。
「この中にいます」
「……扉は壊していいの?」
シャーロットは躊躇ったようなそぶりを見せたが、僕はその扉を壊すべく魔術式を構築した。扉を壊すだけに力を抑えなければならない。
「2人とも下がっていてください」
僕は魔術式を構築し、エネルギーを集中させるようにする。おそらく生半可な魔術ではびくとしないほど頑丈に作られているだろう。
ならば高エネルギーで金属を溶かし変形させ、無理やりにこじ開けるしかない。分子レベルまで分解するよりは大変ではない作業だ。
「……待って!」
僕はシャーロットの方を向いたが、どうやらシャーロットが言ったわけではなさそうだった。
声の主は扉の向こうにいた。
顔全体は見えないが目と髪の毛と小さな鼻は見えた。髪の毛はシャーロットと同じ白い髪で、シャーロットの妹だというのは嘘ではない様子だ。
「アビゲイル!」
シャーロットが彼女の名前を口に出した瞬間、その聞き覚えのある名前に引っかかった。
僕を尋問した魔女が『アビゲイル』と名前を口にしていた。
「アビゲイルが魔族を逃がした」と。
「今だしてあげるからね……! 下がっていて!」
余程大切な妹のようだった。
まるでご主人様のことで必死になっている自分を見ているような気持ちになる。
その気持ちに応えて、助け出さねばならないだろう。
「まって! お姉ちゃん! ダメなの! 開けちゃダメ!!」
アビゲイルの必死の言葉に僕はすごく嫌な感じがした。しかし、発動した魔術を止めることができずに僕はそのままその扉を破壊した。
アビゲイルと呼ばれたシャーロットの妹の姿が露わになる。
「っ……!」
そこにいた全員が呼吸を忘れた。
生きている間、眠っている間ですら呼吸を止めたりはしない。それを忘れるほどの衝撃は筆舌に尽くしがたいものだった。
まるで息をするよりも大切なことが他にあることを思い出させるような……そんな瞬間だ。
僕は目を離しがたいアビゲイルからやっと目を離し、シャーロットの方に目を向けると、眼球が
それもそうだ。あんなものをみたら呼吸も止まるし、目が眼窩から落ちそうになるほど目を見開く。
ソレはゆっくりと各々が違う方向に動いている。
「お姉ちゃん……」
得体のしれない肌色の巨大な肉の塊から人間の腕や脚が無数に生えていることよりも、人間の顔の部品がいくつもついていることに目を奪われる。
大きな目と口がいくつもついている。目はギョロギョロと動き、口は何か物を言いたげにパクパクしている。
◆◆◆
【ゲルダの部屋】
「俺になんか構っていていいのかよ……」
クロエは自分の身体の上に乗っているゲルダに問う。
ゲルダは全裸で、かろうじてある布は顔を隠すヴェールだけだ。
呪いがそのまま具現化したような爛れを見ると、クロエはソレどころではなくなる為、いつも顔を背けている。
クロエはずっとノエルのことを考えていた。
頭から片時も離れない。
『あのとき』から。
初めてノエルを見た時のことをクロエは忘れられない。
◆◆◆
【クロエの過去】
最初の記憶は、周りの魔女たちの祝福だった。
周りの女たちは全員、俺を甘やかし、常に身の回りの世話を喜んでしてくれた。
「クロエ、あなたは大きくなったらきっとかっこいい男性になるわ。サラサラできれいな髪ね。目元はお父様そっくり」
「本当? 父さんはどこにいるの?」
「お父様は具合が悪くて面会は出来ない状態なの」
「ふーん……」
父さんがいなくても、母さんが誰なのか解らない現状も俺は気にならなかった。
無邪気に笑う自分に、いつも誰もが笑顔で応えてくれる。全員を母親のように感じていた。
俺は自分で何一つすることはなかった。
朝起きて服を着ることも、靴を履くことも、食事を口に運ぶことも、風呂に入るにいたるまで全て周りの魔女がしてくれた。
俺は魔女が人間から解放されたあとの子供だった。
生まれた時から人間は家畜のように働かされているのを見てきたし、それが当たり前だと思っていた。
特に魔女の女王であるゲルダは俺のことをよくかわいがってくれた。
「クロエ、大きくなったらお前は宮仕えをするのよ」
「みやづかえってなに?」
「この城でお前しかできない仕事をするの」
「僕にしかできない仕事?」
俺はそのとき、自分はただ特別な存在で嬉しいとしか思わなかった。
徐々に俺は自分の立場を自覚することになる。
「ノエルはまだ見つからないの?」
「申し訳ございません」
「早く見つけ出しなさい! 死んでいても構わないわ。絶対に見つけ出しなさい」
いつも優しいゲルダが「ノエル」という名前を口にするときは金切り声をだし、キツイ言葉を口にする。
俺はそれが嫌だった。
だからその「ノエル」のことを誰かに聞くことはできなかった。しかしそんなことは些細なことだ。俺は楽しければそれでいいとその名前は忘れることにした。
そうすれば今まで通りの生活に傷がつかない。
俺が12歳になったくらいのことだ。俺は精通というものを経験した。いや、させられたと言った方が正しかっただろうか。
ただわけもわからず、それがなんなのかもわからず、怖かった記憶しかない。
それでも周りの魔女たちはそれを喜んでいた。喜んでいるならいいことなのかもしれない。そう思っていた。
『その意味』が解るまでは。
間もなくしてソレが始まった。
「クロエ、こっちにいらっしゃい」
「クロエ」
「今夜は私のところへきて」
「いい子ねクロエ」
――嫌だ、やめてくれ
「クロエ良かったわ」
「もう少し積極的でもいいのよ」
「クロエ」
「あたしはどうだった? クロエ」
「クロエ」
――もうこんなことしたくない
「可愛いわねクロエ。でもすぐに大人の男になるわ」
「クロエ」
「次の私の順番はいつなの?」
「やっぱり男の方がいいわね」
「クロエ」
――助けて
俺はソレが始まってから1年足らずで恐ろしくて逃げ出した。
必死に逃げて、逃げて、逃げた。
どこに自分が向かっているのかもわからない。
このあとどうなってしまうのかもわからない。
それでも俺は逃げた。
俺は何もない森の木の根元に腰を下ろした。
寒さで衣服を自分がほぼなにも着用していないことに気づくが、俺はどうすることもできなかった。
その状況でずっとアレの光景が目の裏に焼き付いて、思い出すと俺は吐き気がしてきてその場に嘔吐してしまう。
ソレを振り払おうと叫びながら魔力を解放し、手あたり次第薙ぎ払った。周囲10メートル四方の木々は黒く焼けただれ、そこから火が立ち上っている。
「はぁ……はぁ……」
疲れた俺はそこにへたり込む。息を整えようとするが、息を何度も何度も激しく吸い込んでしまってさらに苦しくなってしまう。
「はぁはぁはぁはぁはぁはぁ……ッ!!」
俺は倒れ込み、意識が遠くなっていった。
やけに周りがうるさい。俺はこれからどうなってしまうのか、考えることもできない。
身体を丸めて胸を抑え、自分が倒れている付近の湿った土の匂いを感じた。
――もう、ここで死ぬんだ
そう感じていた俺の身体は急に誰かに触れられた。
――誰だ? 追ってきた魔女……?
霞む視界で俺が最後に見たのは、赤い色だった。
「だ――……?」
――なんだ? よく聞こえない
「だ……――じょう……――しっか……――――」
俺は意識を手放した。
◆◆◆
なんだか暖かい。
火がぱちぱちと音を立てているのが聞こえた。
「――ッ!」
俺は慌てて飛び起きた。
嫌な汗をびっしょりとかいている。
そこがどこなのか解らなかったが、元居た城ではないことは確かだった。どちらかというと城の冷たい青色の配色ではなく、レンガ作りの暖かい暖色の配色だ。
それにやたらと散らかっていて、本が山積みになっている。
「あ……起きたんだ」
突然声が聞こえたので俺は驚いて声のする方向を見た。
そこにいたのは法衣をまとっていない赤い髪の少女。長い赤い髪は整えられているわけでもなく、乱暴に縛ってある印象を受けた。
年齢は自分と同じくらいだろうか。
「ここは……?」
「僕の家」
少女はお湯の桶のようなものから布を取り出し、絞ってから俺に近づいてきた。
俺の身体に触れようとしたときアレがフラッシュバックして、その手を咄嗟に振り払った。
「やめろ!」
バチンと音がして、自分の手も鈍い痛みが残る。
「……痛いよ。汗拭かないの?」
「自分でする」
そう言って布を奪い取って自分の身体を拭こうとするが、そんなことをしたことがなかった俺はうまく自分の身体を拭くことができなかった。
「……あんなところでどうしたの?」
「…………逃げてきたんだよ」
「逃げてきた? どこから?」
「ゲルダの城から……」
俺がそう言うと少女は急に黙り込んでしまった。何も言わない少女に対してわずかな焦燥感を感じる。
「……どうしたの?」
「…………いや、別に。落ち着いたなら出て行って」
急に冷たい態度になった少女に、今度は俺が言葉を失ってしまった。
どこに行ったらいいか解らない。
逃げ続けたらいずれ捕まってしまう。そうしたら俺はまたアレをさせられる。
「嫌だ……助けてよ……」
「駄目だよ。出て行って」
「こらこら、そう冷たくするもんじゃないぞ」
奥から白い髭の長い老人が出てきて、少女に向かってそう言う。少女は不満げにその老人を見つめた。
「でも……」
「まず逃げてきた理由を聞いてみてごらん。そう冷たくするものではない。困ったときはお互い様だろう?」
「…………」
少女は難しい顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
「どうしてゲルダの城から逃げてきたのか、教えてくれるかい?」
「………………恐ろしくて……」
「何が?」
「僕の身体の『ここ』と、他の魔女の『そこ』を繋げ――――」
「ゴホッゴホッ。あぁ、もういい。よくわかった」
俺の言葉を遮って老人は咳き込み、話を中断させた。
「なんのこと?」
「そうだな……まだお前は知らなくていいことだ」
少女はきょとんとして老人に聞いているが、老人は具体的には答えようとしない。
「僕を子ども扱いしないでよ」
「まだ子供だろう。まだお前には早いことだ。とにかく、帰りたくないならしばらくはここにいてもいい。しかし、ゲルダの城に帰ることになったとき、私たちのことを彼女たちに話してはいけない。いいね?」
その申し出をいぶかしみながらも受け入れると、老人は優しい笑顔を俺に向けてきた。
「セージ、いいの? 本当に……」
「構わないさ。まだ子供だ」
少女は向き直って俺を見ると、不機嫌そうにその場を去って行った。
俺は一先ず息を吐き出して安心した。
――もうあそこには戻らない
そう固く心に誓った。
◆◆◆
【少女と老人の会話】
「セージ、あの男の子ゲルダのところの魔女だよ。解ってるでしょう。相当魔力も強いし危険だよ」
「まだ子供だ。それに、男の魔女がどんな扱いを受けるのか……私は知っている」
「そんなことどうでもいいよ。ゲルダにばれたら僕らは殺される」
「ノエル、いけないよ。危険分子だからって排除するなんて」
「セージ……セージだって人間じゃなくて翼人だってバレたら殺されちゃう!」
「大丈夫。翼は隠してある」
「でも……」
「ノエル、いいかい。簡単に殺すなんて決断をしてはいけない。存在そのものが罪だなんてことはあり得ない。ノエルだって同じ立場なんだから解るだろう?」
「…………うん」
「いい子だ。しかし、万が一があったらいけない。名前は名乗ってはいけないよ」
「解った」
◆◆◆
それから数日経ったが、少女は相変わらず俺に冷たかった。
俺が近づくと露骨に距離を取ろうとするし、話しかけてもそっけない返事しか返ってこない。
「なぁ……セージ。僕嫌われてるのかな」
「はっはっは、彼女は気難しいだけだ。最近は年頃なのか私にも扱いが難しい」
「……あんなに冷たくする女は、僕は初めてだよ」
「…………城でどんな扱いを受けているか、推測はできる。つらい目に遭っただろう」
「アレは何なんだ? 僕にはどうしてあんなことをするのか解らないし……それに、気持ちが悪い」
「そうだな……」
セージは難しい表情をして、少し考えこんだ。
「君は子供がどうやってできるか知っているか?」
「子供? いや、知らない」
「君がしている行為……いや、させられている行為は、子供を作るための行為だ」
「子供を……作る?」
「そうだ。男女というのは一対になって初めて子供ができる。女だけでは子供は出来ないんだ。だから男が必要になる。だから魔女たちに君は必要とされている。いずれ魔女たちは君を連れ戻しに来るだろう」
その言葉を聞いて、俺は言葉を失って冷や汗が出てきた。
また呼吸が早くなる。
「はぁはぁはぁはぁ……!」
「落ち着きなさい」
紙袋を俺の口に当てて、ゆっくりと呼吸をするように言われ、ゆっくりと呼吸をしてその息苦しさは収まった。
それでも俺はそのときのことは忘れられない。
内臓の奥の方から手が生えてきて、自分の内臓をぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような感覚だった。
「無理するな。ここにはそんな魔女はいない。彼女は君をそんな風に扱ったりしないし、もう無理にそんなことをする必要はない。本当なら、好きになった相手と自然とそういう行為をするものだ」
「俺はもう誰ともあんなことしたくない」
「まぁ……いずれそうなればわかることだ」
セージの言葉で俺は落ち着いた。しかし夜眠るときにうなされたり、他の魔女が俺を捕まえにくるという恐怖心で眠れない状態が続いた。
ある日俺が眠れずにいるところに少女が現れた。俺のベッドの横に積まれていた本を手に取って目で追っている。
彼女が本から視線を外した後、俺と目が合う。
「なんだ、まだ起きてたの」
「お前もだろ……」
「僕はまだすることがあるからいいの。早く寝て」
相変わらず素っ気ない態度だったが、逆に俺はその態度にホッとした。
俺に優しくしない、俺を求めてこない女はホッとする。
そのとき、俺は初めて『その感覚』に襲われた。
少女の薄い身体から見える白い綺麗な肌、他の魔女の思い出される日焼けした名残のシミが残る汚い肌ではない。
傍にいてもわざとらしいキツイ甘い香りはせずに、石鹸の香りがわずかにするだけ。
顔もキツイ化粧をしているわけではない素の顔。
たるんでいない細い身体。
少女が遠ざかろうとすると、俺は咄嗟に彼女の腕を掴んだ。
「な、何?」
「あ……いや……」
やけに握った手が熱い。
「離してよ。痛い」
乱暴に彼女が手を振り払い、足早に俺の部屋から出て行った。
俺は自分のその感覚が解らなかった。解らなかったが、やけに身体が熱い。
アレがやけに熱い。自分の感覚が解らないまま、それでも頭に他の魔女たちにされた行為がよぎるとソレは漸く収まった。
俺はその日の夜は眠れなかった。
◆◆◆
それから俺は彼女を見かける度に目で追ってしまうようになった。
しかし、話しかけようとしても何を話しかけたらいいか解らなかった。今までは悪態をつくこともできたが、今はそうもできない。
「セージ、僕……セージの言ったことが解ったような気がする」
「私の言ったこと? 何のことだろう?」
「その……好きな人とするものだってこと」
「そうか…………待て、まさか彼女のことを?」
「そうなんだ、僕、彼女とならしたいって気持ちが――――」
バンッ!
セージが急に机をたたいて立ち上がった。
いつも穏やかなセージが急にすごい剣幕で立ち上がったのを見て、俺は不意をつかれて呆気にとられた。
「駄目だ!!」
今まで聞いたこともないような声量で、セージがそう言った。
驚いて俺は身体をビクリと硬直させる。
「…………あぁ、すまない。しかし、それは駄目だ」
「……どうして?」
「子供がすることではないからだ! 彼女には早すぎる。それにお前のような――――」
「セージ? どうしたの?」
そこに彼女が心配そうに現れた。それを見て、俺はドキリとする。柱の陰から少し体を乗り出しながら不安げに俺たちを見ていた。
長い赤い髪が肩からスルリと滑り落ちるところや、彼女の着ている服から見える白い肌がやけに艶めかしいことなどに俺は目が釘付けになった。
「なんでもない。すまないな。大したことじゃない」
「でもセージが大きい声を出すなんて……」
「本当に何でもないんだ。もう話も終わった。そうだな?」
セージは俺の方をきつく睨み、ゆっくりと彼女の方へと歩いていった。
◆◆◆
俺は不意に「ノエル」という名前を思い出した。
彼女の名前を知らない俺は、それを確かめずにはいられなかった。
「なぁ、名前を教えてほしい」
「嫌だ」
頑なにそう言う彼女に、俺は意地悪心が働いた。
「…………ノエルって名前、知ってるか?」
彼女は黙って俺の方を見つめた。
「いや、知らない」
「城の魔女がノエルっていうのを捕まえようと躍起になってるんだ。もしかしてお前のことじゃないのか?」
「僕だったら、お前はどうするの?」
そう切り替えされて、俺は言葉に詰まった。
ゲルダの怒りに歪んだ顔を思い出すと、彼女がもしノエルなら彼女は殺されてしまうのではないかと考えた。
――嫌だ
「別に、どうもしない」
「……何故?」
「僕にはノエルなんてどうでもいい。他の魔女は探していたけれど」
「…………僕はノエルじゃない」
「じゃあ名前は?」
「……しつこいと嫌われるよ……いや、最初から嫌いだけど」
やはり彼女は名前を教えてはくれなかった。
しかし、彼女がノエルではないと答えてくれたことだけは嬉しかった。いつか城に戻ることになっても、彼女を連れて帰ろう。
セージも一緒に。
それがどれだけ甘い考えだったのか、俺は後に知ることになる。
◆◆◆
俺はついに自分の衝動に抑制を効かせることは出来なくなった。毎日見ている彼女の仕草の一つ一つが俺の理性を奪っていった。
しかし、そうしなければ良かったかも知れないと、今でも俺は少し後悔している。
その夜に俺は彼女の眠っているベッドを見に行った。眠っている彼女を淡く照らす月光が、より彼女を美しく見せているのか、あるいは俺の目にはもう美しい彼女しか映らないのかは定かではない。
起こさないようにゆっくりと俺は彼女のベッドに片膝を乗せ、彼女の顔をもっと近くで見て、彼女の匂いを嗅ぐ。
するともう自分の欲求が抑えきれなくなり、俺は早くなる呼吸を抑えながら、彼女の身体にかかっている掛け布をゆっくりとめくった。
彼女の身体はまだ未発達で、神聖なもののように見えた。
俺はその身体に触れたくて手を伸ばし、彼女の脚に触れた。
柔らかく、なめらかな肌に俺はもう我慢の限界になり、ゆっくりとそのまま脚を開かせる。
我を忘れるというのは正にこういう事を指すのだろう。もうソレのことしか考えられなくなっていた。
ガキンッ!
下あごから物凄い激痛が走り、歯が思い切り自分の歯に当たった。俺はベッドから転がり落ちた。
何が起こったのか解らず、俺は自分の顎を抑えて、口の中に広がる何とも言えない味に嗚咽した。
「コイツ……! やっぱり!」
彼女は酷く怒っている様子で魔術式を展開した。
――殺される……!
「待ちなさい!」
セージが慌てて部屋に入ってきて彼女を止めた。
「やめなさい、何があったんだ?」
「コイツが眠ってる僕に何かしようとしてた」
「……なんだって?」
セージは目を見開いて俺を見つめていた。
俺は口から赤い液体を吐きながら、二人から目を離せずに見つめていた。
「まさか、アレをしようとしたのか?」
「アレってなに!?」
「黙っていなさい」
セージはかがみこんで俺の首元を掴んだ。
「どうなんだ、正直に答えなさい。アレをしようとしたのか?」
「…………」
俺はセージを見られずに、目を背けた。
答えない俺にセージは、俺の上着をめくって下着の状態を目視で確認した。
「なんてことだ」
セージは俺から手を放し、未だ殺気を放ち魔術式を展開している彼女を一瞥し、どうしていいかわからないといった苛立ちを見せながら二度三度狭いこの空間を行き来する。
「なにもされていないのか?」
「脚を開かされて……目が覚めた」
「他には何かされたか!?」
あまりの剣幕に少女は戸惑ったような表情を見せる。
「他には何も……」
「そうか……」
セージは安堵した表情を一瞬見せるが、俺の方を向き直ったときは険しい表情をしていた。
「出て行きなさい」
「えっ……」
「聞こえなかったのか? 出て行きなさい。二度と戻ってくるな」
「ごめんなさい、僕……」
「早く出て行け!」
俺はその叱責に耐えられず、立ち上がって走り出した。
また、どこへ向かっているのか解らない中走り続けた。その中、考えているのは彼女のことだけだった。
またどこかで会えたら、その時は――――
結局あのあとゲルダの
俺はセージと一緒にいた魔女のことについて他の魔女に聞きたかったが、口外するなと言われたことがひっかかり聞けずにいた。
何か複雑な事情があるのだろうと、子供ながらに自分に言い聞かせる。
それでも俺が考えるのは彼女のことばかり。アレのときも目を閉じて彼女を創造するとアレも少しは受け入れられた。
しかし徐々に俺は荒み、壊れていった。
時折魔女たちがカリカリとしている姿を見かけたが、そんなこと気にならなかった。「ノエルが」とうどか「まだ見つからない」とか言っているのをたまに聞くくらいだ。
俺の身はより一層強く拘束された。
外に出ることも、自由も何もかも奪われた。楽しいことも何もない生活だった。
ただ、彼女にもう一度会えることだけを夢見ていた。
【5年後】
俺が再度隙を見て脱走したとき、元の場所には彼女たちはいなかった。
期待を胸に抜け出しただけに俺は残念で仕方がなかった。それでも俺は残っていたレンガ造りの家に入ってみた。そこには何もなく、生活感も一切なくなっていた。
しかし彼女がいた部屋や、自分がいた部屋をのぞくとその時のことが鮮明に思い出された。
初めて彼女に感じたあの感覚を再度思い出すようだった。しかし、年月とともに彼女の香りや感触が薄れ、顔も可愛らしい顔立ちをしていたという事実しか思い出せない。
「……どこに行ったんだ」
俺が隅々まで調べていると、光に反射して赤く光るものを見つけた。
それを拾い上げると彼女の髪の毛であることを確認した。その毛髪を俺はポケットに入れて、その辺りをずっと探し回ったが、結局何も見つからなかった。
俺は抜け出したことがばれない様、こっそりと戻った。
何事もないように戻り、俺は自分の部屋のソファーに座ってポケットから長い一本の赤い毛を取り出し、それを眺める。
普段なら絶対に女の毛など自分から触れたりしないが、俺はその毛髪の匂いを嗅いだり、舐めてみたりしている内にその気になり、しばらくソレに
事が終わると俺は深い眠りに落ちた。
俺が起きたとき、数時間は経過していたようだ。もう日が落ちて暗くなっている。
身体を起こして自分が眠る寸前に何をしていたか思い出し、彼女の髪の毛を手に持ったままだったことを思い出した。
「……?」
俺の手にあったはずの彼女の髪の毛がなくなっていることに気づいた。しっかりと指に巻き付けていたはずだ。ほどけてどこかに行くはずがない。
一体をくまなく探したが、どうしても彼女の髪の毛は見つけられなかった。
それから少しして、大きな変化が訪れた。
◆◆◆
その見覚えのある赤い髪を見た時、俺は言葉を失った。魔女たちが大騒ぎをしているから何事かと思い研究室まで足を運んだときだった。
血まみれで暴れ狂っている彼女の背中には美しい白い翼が揺らめいている。
喚き散らしていた彼女は、翼の部分に
「おい、こいつは……」
「クロエ様、危険です。お下がりください」
「待て、こいつをどこで見つけた。いや、それよりもどうして血まみれなんだ。翼があるのはなぜだ」
俺が彼女を運んでいる魔女を問い詰めたが、何一つ答えられない様子だった。物凄く嫌な予感が俺の中に立ち込める。
「それは、翼人と魔女の混血だからよ」
振り向くと、ゲルダが嬉しそうにやってきた。
「混血……?」
しかし、以前見た時に翼はなかった。
そんなことよりも俺は成長した彼女のより美しい身体や顔に目を奪われた。混血だとか、そんなことは何も気にならなった。再会できたことに俺は歓喜に打ち震える。
「なぁゲルダ、コイツを俺のものにしていいだろ?」
クロエがそう言うと、ゲルダはにこやかな顔を歪ませた。いつも「ノエル」を呼ぶときの顔だ。
それもそのはずだ。
その翼の生えた魔女はノエルだったのだから。
◆◆◆
俺はノエルとの接見を
やっと会えたと思ったのに、ゲルダの束縛が激しく、絶対に俺をノエルの元へとやりたがらない。それどころか四六時中監視をつけて絶対に地下や実験室へは立ち入れない。
ゲルダに何度抗議しても、その度に激昂し話にならない。
俺は何とかノエルに会える方法を探した。
――話がしたい……
あんな形で別れる形になってしまった。あれは誤解だったということをノエルに知ってほしい。
なによりもアレをノエルとしたいという気持ちが限界まで来ていた。
何度も接見に失敗し、そのたびに思いは募っていった。
そんなことが1年ほど続いたある日、ある話がきっかけでその我慢は崩壊してしまう。
「ノエルは実験室で何をされている?」
「クロエ様、言えません」
「ロゼッタが部屋で喚き散らしているじゃないか。聞くところによると実験の最中におこった事故が原因だって話は本当か?」
「クロエ様……申し上げられません」
「俺に言えないような実験をしてるのか?」
「クロエ様……言えないのです」
俺はついに我慢の限界を迎え、爆発した。周囲にバチバチと雷電がおこり、監視役の魔女はその音に異変を感じた。
俺は監視をしている魔女を掴み上げる。
「ク……クロエ様……」
「いいから答えろ! 俺に指図するな!」
――女が憎い
「俺の言うことを聞いていればいいんだ!」
――俺を道具のように扱う女が憎い……!
バチバチという音が大きくなり、気が付けば掴み上げていた魔女はただの炭になっていた。
俺は部屋から出て実験室を目指した。
何人もの魔女が俺を止めようとしたが、俺を止められはしなかった。
止めようと俺に触れた魔女は全員感電し、その場に倒れ込んだ。
――ノエルだけだ。ノエルだけが俺を道具にしなかった
やっと実験室の近くに到着すると、けたたましい叫び声が聞こえてくる。
俺は慌ててその叫び声のする方へ走ると、何度も何度も叫び声が聞こえてきた。
重い扉を自分を
「クロエ様……」
その光景に俺は愕然とした。
処置台に乗せられたノエルと思しき人物は、血まみれで肉が切開され、神経部分が見えていた。むしり取られた右側の翼の付け根の部分まで切り開かれ、生々しい色の肉が見えている。
「何してる!? 下がれ!」
俺はノエルに駆け寄った。
彼女の目は開いているがどこを見ているか解らず、焦点を定めないまま眼振している。
「シャーロット、治せ」
その場にいたシャーロットにそう命令すると、切開をしていた魔女がもの言いたげだったが黙っていた。シャーロットはおずおずと近づいてきてその傷を治癒し始める。
「何をしているんだ!? 答えろ!!」
バチバチと雷音が鳴り響くと、切開をしていた魔女は気まずそうに答えた。
「ゲルダ様の翼の付け根の状態との比較のサンプルを……」
「俺が聞いてんのはそういうことじゃねぇ!!」
耳元で大太鼓を力いっぱい鳴らしたような爆音が部屋中に響き、切開をしていた魔女は黒焦げになりその場に倒れた。何人か耳を抑えてうずくまっている。耳から出血している者も見受けられた。
シャーロットが恐怖で治癒を中断するが、俺は続けるように指示した。
「ずっと俺から遠ざけ、ここでノエルの皮や肉を剥がしたりしていたのか!? 答えろ!!」
誰もその質問に答えようとしなかった。答えたら殺されると解っていたからだろう。
俺はノエルに向き直って彼女を見つめた。
髪の毛は血でベタベタになっており、変色して赤い髪がどす黒くなっていた。美しかった赤い髪の片鱗はない。
シャーロットが傷の治療を終えたところで仰向けに向き直させる。
彼女が着ている服は拘束魔術が沢山施されていて身動き一つできないような状態だった。
以前のように血色がよくなく、肌もただでさえ白いものが尚更白くなっていた。
しかし、それを見せることをさまたげるように身体中血まみれだった。
彼女の血なのか、あるいはほかの血なのか解らないが、とにかく異臭がする。
「ノエル、ノエル起きろ」
「クロエ様、危険です」
「黙っていろ!!!」
俺がゆすると彼女は目を開けた。
そして俺の方を見る。
「ノエル、俺だ。クロ――――」
「誰……?」
誰だと問われたことが俺にとってあまりにもショックだった。俺は毎日、一度だって忘れたことがなかったのに。
しかし実験のショックで解らなくなっているだけだと俺は思いたかった。
「俺だ。覚えていないのか?」
「顔が……よく見えない……」
彼女の目は赤かった。元々の瞳の色も赤だが、そうではなく彼女の目に血液が入っていて視界が霞んでいるのだろう。
「シャーロット、目も治せ」
「はい……」
俺がその治療を待っていると、実験室の扉が開いた。
ふり返るとゲルダが血相を変えて息を切らして立っているのが視界に入る。俺は怒りに任せてゲルダの頬を思い切り叩いた。
パシン!
その反動でゲルダはその場に崩れ落ちる。
周りの魔女は息を殺してその状況を見ていた。
「ゲルダ! なんでノエルを拷問するんだ!? どうして俺と会わせなかった!? 言え!!」
自分の頬を抑えて立ち上がったゲルダは、冷静に俺を見つめた。
「クロエに悪い影響を与えるわ」
「そんなもんはねぇ!」
「現に与えているのよ。あなたが城からいなくなっていたときにノエルと接触したんでしょう? どうして黙っていたの?」
「言う必要がなかった」
「あったわ。私が探していたのを知っていたでしょう?」
「名前を知らなかった!」
「でも報告することは出来たはず。でも、あなたは城からいなくなっていた期間のことを話さなかった。たださ迷っているだけにしては長い期間だったわ。食料もなく、あんな長い間離れられるわけがないのよ。あなたは自分では何一つできないよう育てられたのだから、何が食べ物なのかあなたには見分けがつかない」
俺は理路整然とゲルダが話すことに反論ができなくなっていた。
「あぁ、お前に言わなかった。お前や他の魔女よりも、彼女を大切に思ったからだ」
「…………クロエ、その混血の異端者が大切なの?」
「そうだ。俺のことを道具として使わないコイツが大切なんだ」
「クロエ、お前を道具として使ったことなんてないわ」
「嘘だ!」
辺りにあった医療器具を俺はなぎ倒した。台に置いてあった鋭い刃物で俺は手を切ってしまう。
血の滴る自分の手の痛みを感じるが、そんなことは些細なことだ。俺の手からしたたる血の量と、今現在も血まみれのノエルを比較すれば、どれほどの拷問を受けたのか察するにあまりある。
「俺をガキを作る道具に使ってるだろう!? 毎日毎日、俺が何も知らねぇと思うなよ!」
ゲルダは眉間にしわを寄せ、俺から視線を一度外した。すぐに俺に視線を戻し、そしてノエルを睨む。
「その女にそう言われたの?」
「ノエルじゃない」
「じゃあ他の魔女?」
「どうでもいいだろそんなこと!? 俺はノエルと出て行く!」
「あなたはどこへも行けないわ」
ゲルダは俺に近づいてきて、俺の耳元で俺にしか聞こえない声で囁いた。
「どうしてずっと見つからなかったノエルが見つかったか解る?」
何度か瞬きをして、ゲルダの髪を間近で見つめた時、ゲルダの言った意味が解り冷や汗が出てきた。
「あなたが見つけてくれた髪の毛はノエルのものだったの。身体の一部があればかけられる追跡魔術を使ったのよ。ノエルたちが張っていた魔女除けも意味をなさなかったわ」
「…………」
「ノエルを育てていた翼人を殺せたの。セージと言ったかしら? あなたのお陰よ」
「!!」
セージが殺されたという話は、俺の耳には初耳だった。
「あなたが我儘を言うと、ノエルにこのことを全部話すわよ? そうしたらノエルはあなたのことどう思うかしら? 好いてくれると思う? あなたのせいで育ての親を殺されて……」
その言葉に俺は凍り付いた。
「あなたは私に従うしかないの。振り返らずに部屋へ行きなさい」
そう言って離れたゲルダは憎らしく笑っていた。俺はノエルの顔を見たいを願ったが、振り返らずに行けということは顔を見せるなという意味だ。
それに従うしかなかった。
「目の治療終わりました」
シャーロットがそう言うと、ノエルは俺に問う。
「誰……?」
彼女のその問いに答えたかったが、俺はその場を離れざるを得なかった。
もう二度と会えないことよりも、嫌われることの方が余程恐ろしく感じた。俺のことを少しでもいい思い出として記憶に残しているなら、その方がいい。彼女に嫌われたら、俺は自分を保っていられない。
その臆病さで俺は逃げた。
その後、ノエルは別の施設へ移動することになった。
顔の恨みがあるロゼッタがノエルを激しく殺そうとするから、ロゼッタから隔離する目的はあっただろうがそれは所詮おまけの意味しかなかった。
本当はゲルダは俺からノエルを隔離したかったんだ。
そしてそのショックとストレスで俺は更に壊れた。だが、ゲルダのほうが精神的に破壊されている速度は速かったと思う。
壊れたゲルダの相手をするのは大変だった。
毎日が苦痛でしかなかった。それでもアレの頻度は減った。それが唯一の救いだった。
ノエルの居場所が解らなくなって、俺も他の魔女も血眼になって探したが見つからない状態が続いた。
死んだのかもしれないとすら思った俺はどんどん荒れていった。
いうなれば「やけになっていた」という状態だ。誰彼構わず、誰だってアレの相手は同じに感じる。
俺は感じることはないし、乱暴に物のように扱うことでまるで仕返しのように“ソレ”を繰り返した。
しかし、もう二度と会えないと思っていた俺は、ある日ノエルが街に現れたと聞いて真っ先に城を飛び出した。期待を胸にノエルを追うと、変わらず美しい姿の彼女の姿があった。
でも、彼女は俺を忘れていた。
俺のことを本気で解らない様子だったことに酷く傷ついた。
それだけじゃない。人間の男の為に命がけで姿を現した。おまけに吸血鬼の男と契約までしている。それが許せなかった。
だが、俺はノエルが手に入ればそれでよかった。
翼はゲルダにくれてやる。
――ノエルを俺はやっと自分のものにできるんだ……――
【現在】
ようやくアレが終わって、俺は久々にまともに服を着た。
シャツと、脚にぴったりのズボンだ。特に何の変哲もない恰好をして、俺は髪の毛を鏡で整えた。
「クロエ、ずっと私のものよ。わかっているでしょう?」
「…………」
俺は答えず、扉の方を見た。
まだ俺はれは迷っている最中であった。いつまでも決心はつかない。
決心などつくはずがない。
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