第19話 囚われの身




「ラブラドライトは……私の弟だ」


 ガーネットは暗い顔で唇を噛み、牙が唇にめり込み僕の唇から血液が垂れて顎からしたたり落ちる。


「…………そう、だったんだ」


 あの酷い血の海を思い出すと、とてもじゃないが明るい話ができるような状況じゃなかった。

 僕もロゼッタが彼を殺してからの明確な記憶がない。


「私の弟はどうなっていた」

「…………ガーネット、僕は嘘がつけない。やめてくれ」

「どういう意味だ。ラブラドライトはどうなっていたんだ!?」

「………………」

「言え!」


 激しく僕に掴みかかり、翼に思い切り爪を立てた。


「うあぁっ……!」


 翼の部分のあまりの激痛で僕はその場に膝をついた。

 ガーネットも同じ痛みを感じたのだろう、背中を抑え込みしゃがみ込んだ。


「お前、大丈夫か!?」


 ご主人様が僕の白い翼に赤く、血液がにじんでいる部分に触れようとした。

 その前に僕は自分で怪我をした部分を手で覆った。

 手で触れるとねっとりした血液が付着するのを感じた。それに、翼の部分が酷く痛む。


「僕は大丈夫ですから……」


 ご主人様の顔を見ないまま、僕はそう言った。

 やはり怖くて僕はご主人様の顔を見ることはできなかった。そのときの拒絶されたことへの不安感をあらわにしている表情を、僕は見ることはなかった。

 ガーネットが起き上がり、冷や汗を出しながら僕の方に再度鋭い眼光を向ける。


「大丈夫なわけがあるか……気絶するかと思ったぞ……」

「自分でやったんでしょ……自業自得だよ。翼は翼人の急所だって知らなかったの……?」

「ちっ……お前の血を寄越せ」


 僕の唇から垂れた顔についた血液をガーネットはなめとった。

 ご主人様の前で、突然そうされた僕は言葉にならない声をあげてガーネットを突き飛ばした。


「なっ……! なにしてやがる!?」


 ご主人様はガーネットをつかみあげようとするが、ガーネットはご主人様の手首を掴み、それを牽制けんせいした。


「食事の邪魔をするな」

「ふざけんな!」


 ご主人様は必死にガーネットに抵抗するが、びくともしない。

 先程の少量の血液で、僕とガーネットの傷はゆっくりと塞がり、痛みはなくなった。


「ガーネット、手をはなして。彼を傷つけないで……話の続きをするから」

「…………さっさと話せ」


 乱暴に手を離したガーネットはまだ物欲しそうな表情をして僕の首筋を見つめた。

 僕は黙って「それはダメだよ」と首を横にふった。


「なんなんだよこの魔族は!? お前、俺以外の男に……!!」

「……彼は吸血鬼族なので……僕の血が必要なんです……」

「他の魔女の血でいいだろうが!」

「低俗な人間風情に教えてやれ、魔女の血がどんなものなのか」

「…………」


 ――ガーネットだって知らなかったくせに、偉そうに……


 そう思いながら僕は険しい表情をしているご主人様の顔を恐る恐る見た。目が合うと、やはり目を合わせていることが困難で僕は目をすぐに逸らした。


「魔女の血を魔族に与えるという行為は、『契約』を意味するんです。お互いの身体の痛みや怪我を共有する代わりに、魔女は魔族を完全に使役できるようになって、回復力を共有することで怪我をたちどころに直したり、その他の恩恵が得られるのです」

「契約? ……お前とこの吸血鬼は特別な関係ってことか……?」

「えっと……その辺の魔族よりは……そうですけれど……」


『特別な関係』などと言われて僕はドギマギしてしまう。

 ガーネットとは別に何も、契約してる以上の関係ではないし、本人も嫌々契約しているだけだから……そんな言い訳をすればするほど余計に意識してしまうので、僕はそれ以上言えなかった。

 本当はガーネットにラブラドライトの話をしたくなかったが、ご主人様の前でこれ以上おかしなことをされても困ってしまう。


「やっぱりお前……俺よりこの吸血鬼がいいんだろ……?」


 疑念に満ちたその言葉と声のトーンに僕はあわてて否定をする。

 変な汗がじっとりと出てくるのを僕は感じていた。


「違います!」

「……もういい」


 ご主人様は再び僕に背を向けて座った。僕がひざまずいてご主人様に許しを乞おうとすると、ガーネットに腕を掴まれる。


「お前は私の質問に答えるべきだ。あんな男のことなど放っておけ。さっさと話せじれったい魔女だな」


 イライラして声を荒げるガーネットにもう引き伸ばせる術はないと確信した。


「解ったから……」


 僕は真剣な貌をしてガーネットに向き合う。

 息を整えて意識を集中するとやけに周りが静かに感じる。

 自分の呼吸の音がやけに大きく感じる。

 心臓の鼓動が早い。

 その音が2人に聞こえてしまいそうだと僕は自分の心臓のあたりを押さえた。


「……だから……その……彼は僕との交配実験の為に連れてこられた吸血鬼だった。そこで嫉妬の罪状の魔女に…………」


 殺されたと言えずに話題を引き延ばすが、なんと説明していいか分からずに、言葉に詰まってしまう。


「交配だと!? 下衆な魔女め……それで!? お前は私の弟と……!!」

「し、してないよ! そんなことするわけないじゃん!!」

「ではどうなったのか言え! 生きているのか!? 死んでいるのか!?」

「い、生きてるよ……!」


 嘘をつくのはとてつもなく苦手だったが、急に迫られて僕は苦しい嘘を咄嗟に言ってしまった。

 言ったすぐ後に「しまった」と思ったが、もう引き返すことができない。


「本当か?」


 ガーネットのその安堵の表情に、僕は言葉を撤回しそこねる。


「う……うん。その当時はね……」

「ならまだ希望はあるだろう」


 ガーネットはそれを聞いて、いつも難しそうな表情をしているのに、彼に似合わず嬉しそうな表情になった。

 僕といるときにそんなふうに柔らかい表情になったことなどなかった。

 胸が痛んだが、どうしても僕は彼からを取り上げることはできなかった。


「大切な弟さんだったんだね……」

「あぁ……今となってはな……」


 ――家族か……


 僕にはもういない。

 僕にはご主人様しかいない。これ以上奪われたくない。そうなれば、僕は今度こそ生きていられなくなってしまう。


「弟は何か言っていたか?」


「殺してくれと懇願された」などと口が裂けても僕は言えない。


「兄弟を助けてって言ってたよ」

「…………」


 ガーネットは少し考えながら目をそらし、再び僕の目を見た。


「……だからお前は私を助けたのか?」

「…………そうかもね。明確にそうだとは言えないけれど。ガーネットが兄弟だとはしらなかったし」


 それをきいたガーネットはまた少し考えた末、僕に背を向けた。彼の金色の髪を何度か瞬きしながら見つめる。

 気がすんだのだろうか。


「……――――ている」

「え?」

「だから……――――しゃしている」


 いつもより声が小さく、何を言っているかよく聞き取れない。


「ごめん、もう一回言っ――――」

「何度も言わせるな! 感謝していると言っている!」


 怒られたのか、感謝の意を伝えられているのか解らず、僕は動揺した。

 しかし、不器用な彼なりの礼儀なのだろうと思うと僕は困った顔で弱く笑った。


「ふん、お前はまだ他の魔女よりマシだからな。私と契約したことを栄誉と思え」

「……それはどうも」


 話も半ば、飛行船は動きを止めた。

 その反動で僕はよろけてガーネットにしがみつく形になってしまう。


「あ……ごめん……」


 慌てて僕はガーネットから離れる。

 気安く触るなと怒鳴られるかと思い、焦った僕は目を泳がせながら謝る。


「…………ふん、これから魔女の本部に入るのだ。しっかりしろ。ノエル」


 ――え?


 ガーネットに怒られなかったこととについても驚いたが、何よりも「ノエル」と呼ばれたことに驚いた。

 今までは「おい」「お前」「魔女」「貴様」などと下等魔族と同じような扱いをされていたけれど、遂に僕のことを一人の魔女と認めてくれたのか。

 そう思うと、こんな状況なのに、なんだか微笑ましい気持ちになった。


「ガーネット……」


 僕が微笑みながらガーネットを見つめていたので、ご主人様が睨んでいたのを気づかなかった。

 彼は自信の拳を強く握りしめ、爪が食い込み強い痛みを感じていたが、それでも拳を強く握り続ける。

 その視線に気づかないまま、僕らが押し込められていた飛行船の部屋の扉が開いた。


「ついたわ。降りなさい」


 フルーレティが僕の方だけを見てそう言った。

 僕はご主人様の顔色をうかがったが、ご主人様は僕の顔を見ようとはしなかった。


 ――もう二度と僕に笑ってくれないかもしれない……


 そう思っても敵陣の真っただ中で泣くわけにはいかなかったので、できるだけそれを考えないようにする努力をした。

 沢山の魔女に囲まれて、僕らは緊張感に包まれたまま歩く。それでも僕は自分の契約書を握っている以上、危害を加えられる心配はない。

 物々しい魔女の城の中に入ると、やけに青い色を基調にしていて涼し気な印象を受ける。研究室の外に出たことがなかったため、内部の構造は知らなかった。

 部屋がいくつもある通路の分岐点について、フルーレティは立ち止まった。


「あなたは別の部屋よ」


 予想外の事態に僕は眉間にしわが寄る。


「何故?」

「誓約にはそこまで決めてはいなかったでしょう。心配しなくても危害は加えられないわ。それに、シャーロットが疲弊しているからすぐには無理よ」


 ロゼッタの治療と、町の重病患者の治療もさせていたし疲弊しても仕方がない。

 ベストな状態で治してもらわないと困る。

 僕はフルーレティの言葉に納得し、承諾した。


「解った……手荒いことをしたら許さないから。もし何かあったら――――」

「勿論解っているわ。その為の誓約なのだから」

「あと……ガーネットと彼は同じ部屋に置いてほしい。流石に一人にすることはできない」

「……いいでしょう。あなただけが別になるのなら」


 ご主人様のことがとにかく心配だったが、僕は誓約書を信じた。

 確かにあの皮は僕がその昔見たことがある誓約書とお同じだったことは確認済みだ。手触りも、魔女の血液に反応する様子も小さいころにセージが持っていたものと同じ。


「拘束はさせてもらうわ。あなたは危険だからこちらも信用ができない。魔女殺しの前科がありすぎる」

「……解った」


 誓約書を握りしめた状態で僕は拘束される。


「ノエル、大丈夫なのか」

「ガーネット、心配しないで。彼をお願い。目を離さないで」


 少し困った表情でガーネットを見ると、不信感がぬぐえないようで険しい顔をしている。

 僕は一番不安に思っているご主人様の方を見たが、ご主人様は僕と目を合わせてくれなかった。


 ――やはり怒っている……


 色々なことがありすぎて、何から説明したらいいのか解らない。

 そもそも、説明する時間などもうほとんど残されてはいないのだから。ご主人様の治療が済み次第、僕はもうゲルダに殺されなければならない。

 一緒に居られる時間ももうわずかしか残っていない。

 僕はそれを考えると涙が込み上げる。


 ――でも……これでいい……これで、ご主人様は治療してもらえる……


「…………」


 ご主人様にお別れの言葉を言いたかったけれど、他の魔女がいる中なんて言葉をかけたらいいか解らなかった。

 結局、なんて声を書けたらいいのかも解らず僕は口を噤(つぐ)む。

 僕は魔女に誘導に対して応じ、個別の部屋へ通された。

 ご主人様の後ろ姿を、後ろ髪引かれる思いで最後まで目を離せなかった。




 ◆◆◆




【魔女たち】


「フルーレティ……大丈夫なのでしょうか……?」

「大丈夫よ、エマ。あの誓約書が本物だってノエルは信じているわ」

「あの愚かな魔女も使いようによっては使えますね」

「そうね、殺さずにいて良かったわ。全く、あんな巨大な魔術式を組めるなんて本当に化け物よ。私のリボンに穴あけてくれちゃって」


 フルーレティは自分のリボンをほどいて髪の毛をおろす。

 結びの跡が髪の毛に少しついているのをくしゃくしゃと右手で整えながら話を続けた。


「あの魔女が魔術解除したら消えてしまうけど、それが消えるまでは誓約書は本物と同じ。誓約を破ったら死ぬわよ。下級魔女同士で実験してみたの。見事に死んだわ。あんな古の魔術……よく再現できたと思うわ。古文書をとっておいてよかった。あの愚かな魔女に再現させるのは本当に苦労したのよ」

「契約している吸血鬼がいるなんて驚きね。連れて歩いている姿は見たけれど、まさか契約をしているとは思わなかったわ。厄介ね。逃げ出した被検体がこんなことになるなんて」

「強い力を得ても、リスクが大きすぎるわ。そもそも、元々力の強いノエルには必要ないはずよ」

「……他の魔女にも言っておく」


 エマはそう言って暗闇の中に消えていった。




 ◆◆◆




【ノエルのいる部屋】


 僕は十字架のはりつけ台に厳重に拘束されていた。

 最初はシャーロットを捜して、なんとか説得して隠密に済ませるはずだった。

 しかしそんな甘い考えは勿論果たせるわけもない。

 できれば寝ているときにこっそり治療してもらって、帰ってもらうという作戦はいとも簡単に崩れ去った。

 それに比較したらあまりにも酷い状況だ。僕は何もないやたらに広い部屋で、両手両足を拘束魔術と物理的なロープで縛られているのだから。

 ロープ自体は無意味だ。問題はそのロープに拘束の魔術がかけられていることだ。ピクリとも手を動かすことができない。


「ご主人様……大丈夫かな……」


 心配しても仕方ない。

 かといって縛られている状態じゃ何もできない。時間が長く感じる。

 不安を感じているときは尚更そうだ。


 ウィーン……


 扉が開いて、複数人の魔女が入ってくる。

 知っている顔はエマとフルーレティだけで、小さい魔女ややたらと露出が多い魔女、色っぽい魔女など目で追いきれない人数が入ってきて、何人もが僕を見世物のように見つめた。

 そして最後にこの町から逃げようとしたときに立ちふさがった男の魔女が顔を見せる。相変わらず服らしいものは腰に巻いた布一枚だ。

 真っ先に僕の前にやってきたのはその男の魔女だ。一番に足早に入ってきて僕の前に立つ。


「よぉ、やっと会えたな。この前は話をすることもできなかった」


 やけに興奮した様子で僕の前で話し出す。


「当たり前だ。僕を殺そうとした」

「……お前を?」

「そうだ。契約している吸血鬼を殺そうとした。一歩違えば僕も死ぬところだった」


 契約しているといった直後、魔女たちはザワザワと騒めき出した。


「“契約”をしているのか?」

「そうだ。傷つけるな。彼は僕の眷属だ」


 そう言うと、男の魔女は先ほどまでの笑顔とは別に、苦い顔をして苛立ち始めたようだった。


「それで? お前の奴隷を治療するって?」

「…………」

「どうして危険を犯してまで人間なんか……そんなに大切なのか?」

「話すことはない」


 冷たく言い放つと、男は更に眉間にしわを寄せて渋い顔をした。それも少しの間、すぐに男は笑顔になる。

 僕は気味が悪いと感じた。


「クロエ様、ゲルダ様がお呼びです」

「……あぁ、すぐいく」


 クロエと呼ばれた男の魔女は僕の方を再度見る。何故僕をそんなに見つめるのか僕には解らなかった。


「この赤い髪の子がゲルダ様ご執心のノエル? 肌が白くて綺麗ねぇ」


 色っぽい魔女が一人近づいてきて、僕の髪の毛を手ですくって弄ぶ。

 特別なローブから全員が罪名持ちの魔女だとすぐに理解した。


「全員罪名持ちか……」

「そうだ。下手に抵抗するなよ? 翼をゲルダがいただいたら、身体の方は俺がもらうぞ。綺麗な顔と身体しているだろ?」


 クロエが、僕の身体をご主人様が僕にするような手つきで触ってくる。

 髪の毛も身体もベタベタ触られて本当に気持ちが悪い。


「気安く触るな……罪人どもが」

「あーら、気が強いのね? でも罪名持ち以上にあなたは罪深いわ」

「クロエ様、ドーラ、抵抗しない誓約をしているとはいえ危険よ。迂闊に近づかないで。クロエ様はゲルダ様のところへお急ぎを」

「……わかった。お前ら、傷つけるんじゃないぞ。ノエル、お前とあとで2人きりで話がある」


 最後に僕にだけ聞こえるような声量でそう言って、足早にクロエは部屋から出て行った。

 何度も僕の方を確認しながら。


「……罪名もちの魔女が、一体僕に何の用なの?」


 僕がうんざりしながら魔女たちに聞くと


「ゲルダ様に差し出す前に、少し話をしようと思って」

「……話すことなんてない」

「あたしたちはあるのよ。アビゲイルが逃がした魔族はどこにいるの?」

「アビゲイル? 誰のこと?」

「あぁ……知らないのね。でも知らなくてもいいわ。逃げた魔族はどこにいるの? 質問に答えなさい」

「もう異界に帰した」

「異界に? ……そう、あなた、異界の扉を開けられたのね」


 ――何人いる……?


 5人……7人……8人……


 会話をしながら人数を数えるが、数えたところで意味はない。

 やはり魔女はどれもこれも同じような顔に見える。特に目立った特徴もない。

 そういえば顔に唯一特徴のある魔女がいないことに気づく。


「なぜゲルダやロゼッタがこない? 僕を喉から手が出る程殺したがっていただろう」

「口の減らない規格外ね……質問しているのは私よ」

「…………質問には答えたでしょ? 異界に帰した。随分体に負担をかけていたようだった。こちらに長く置けばどうなるかくらいは解ってるはずなのに」

「知っているわ。気にとめる必要なんかないでしょう? でも、少し気がかりなの。白い龍の子供がいなかったかしら?」


 白い竜と言われて真っ先にレインのことを思い出した。僕の予想は間違いではなく、レインのことだろう。

 あるいは別に白い龍の子供がいるなら違うだろうけれど。


「白い龍は見ていない」

「そう。貴重な龍族だったのに。ゲルダ様は大層お怒りだったわ」

「なぜ今更魔族をどうこうしようとする? 大昔世界をわかったほどだったのに。どうして今更彼らに干渉するんだ」

「それはイヴリーンがしたことよ。私たちには関係ないわ」


 僕と話をしていた魔女も、僕もお互いが呆れたような顔をして息を短く吐き出した。


「別に、やり方に口をはさむ筋合いはないけれど、魔女のやり方は大嫌い」

「そんな口をきいていられるのも今のうちよ」


 ドーラと呼ばれた魔女は他の魔女に目配せをしたら、他の魔女は僕に背を向けた。

 本当に僕から逃げた魔族のことを聞きたいだけだったのだろうか。あるいは怖いもの見たさでだろうか。

 本当に学習しない連中だと僕は思った。

 好き勝手なことを言って魔女たちは出ていった。しかし、小さい魔女と、さっき僕の髪を触った魔女が残った。


「…………まだ何か用?」

「あなたに興味があるの。まだ時間があるわ」

「ド……ドーラ…………わ、わわわわわ……わたしに話さささささ……させ……て」


 小さい魔女がおどおどしながらいう。よく見るとカエルみたいな顔をしている。

 お世辞にも綺麗とは言い難い。

 吃音症きつおんしょうのようだ。


「あらキャンディス、珍しいわね」

「こ、ここここ、こ…………こんな……こんな人間に、欲情してノコノコ……く、……くくくくく……くるような間抜け……な魔女……クロエに相応しくない」


 この小さい魔女はあの変な男が好きなのか。

 クロエ……とかいうあの男も大変だろう。こんな魔女の“相手”までしないといけないのだから。


「あ……あんな不細工の……家畜に……うつつを抜かすなんて――」


 キャンディスがそう言った瞬間、僕は一気に頭に血が上ったのを感じた。


「おい……口を慎め」


 僕がキャンディスに向けて威嚇をすると、何もしていないのに空気がビリッと緊張する。


「お前、今なんて言った……? あの人を悪く言うな」


 僕は殺気立った。

 その場にいた二人はそれを感じ取っただろう。


「僕のことは何とでも言ってもいい。でも彼のことを悪く言ったら許さない……殺す」


 そのチビでブスの吃音症の魔女は、ドーラの後ろに隠れてビクビクしている。

 こんなのがサバトの上位魔女? 笑わせる。


「キャンディス、そんなにビクビクしなくても今ノエルは私たちに抵抗できないわ。堂々となさい」


 そう言われて、キャンディスは僕の前に出てきた。


「傷つけなければ平気よね? あなたに幻覚を見せるのは平気なはず」


 ドーラと呼ばれた魔女が魔術式を展開する。

 少しすると、そこにあるはずのないものが見え始めた。


 ――幻覚の魔術か……


 そう解っていても、僕の記憶の奥底にある記憶を再現しているようで、抵抗できない。

 そこには父と母がいて、幼い僕がそこにいた。




 ◆◆◆




【19年前 ノエル3歳】


「凄いわノエル。あなたやるじゃない」


 僕が空中で水の魔術式と雷の魔術式を組み合わせて遊んでいたとき、母さんが料理を運びながらそう言ってくる。

 赤く長い髪を束ね、白い羽の髪飾りをしていて、白色の長いワンピースで清楚な恰好をしている。スラっと背が高く、脚も長い。華奢な体つきで瞳の色は緑。

 宝石のようなその美しい緑の瞳は光を反射して髪と共に美しく輝いていた。

 今日はシチューのようだ。

 料理を木でできた食卓机に置いた後、母さんは僕の頭を撫でる。


「母さんよりもすごい魔女になれるわ。ノエル」

「ほんとう?」


 背中のまだ未発達な六枚の翼をパタパタとはためかせると、母さんは優しく微笑み僕を抱き寄せた。


「ええ。父さんと同じ六枚の翼、大人になったらきっと綺麗な女性になるわよ。空が飛べるようになったら、家族で飛行旅行しましょうか」

「うん! 僕はやく大人になる!」

「おいおい、そんなにすぐに大人の女になられたら心配で仕方ないじゃないか。悪い虫がつかないか今から父さんは心配なんだぞ。世界で一番かわいい私の娘だからな」


 父さんは椅子に座っていたが立ち上がって僕を抱き上げ、自分の右腕の上に乗せた。

 黒い分厚い服をまとっている父は体つきがしっかりとしており、筋肉質で力強さを連想させる。母より少し背の高い。

 腰のあたりまである茶色い長い髪を全て後ろに流し、赤い瞳がくっきりと見える。

 端整な優しい顔立ちを見ると、僕は安心して身体を預けられた。


「悪い虫さん? 虫さんは悪くないよ?」

「あぁ、そうだな。虫さんは悪くないな」

「優しい子ねノエルは。父さんに似たのかしら」

「いや、母さんに似たんだな」

「おめめと羽は父さん、髪の毛は母さん!」

「ふふ、そうね。ほら、お食事にしましょう」


 シチューを食べる際に食器がうまく使えずに手間取っていると、母さんは僕にシチューを食べさせてくれた。

 塩気が少し足りないような気がしたけれど、僕はそれが美味しくてたまらず母さんを急かしてたくさん食べた。

 粗末なパンや質素な食事、贅沢ではないが僕は幸せだった。

 母さんに魔術の使い方を教えてもらったり、父さんに飛び方を教わったり、食べられる木の実や薬草の見分け方、自由な虫たちの生活、気分屋な天候に身をゆだねる生活。

 そのどれもが僕は新鮮で、楽しかった。

 僕は両親が危惧していたことなど1つも解っていなかった。両親の愛情の中で、僕は不安なく生活していたのだ。


 僕が野原で花の観察をしているときのこと。


「ねぇ、タージェン。最近魔女の動きが怪しいの……大丈夫かしら」

「魔女が? 暫く魔女から離れていたのになぜ知っている? ルナに誰かが接触してきたのか?」

「ええ……魔女のローブを着ている影が見たの」

「何かの気のせいじゃないのか? だとしても私がお前とノエルを守るさ」


 僕は深刻そうに話す両親を他所に、懸命に花の様子を観察していた。

 花びらの枚数や雌蕊めしべ雄蕊おしべ、花粉の状態などを観察し、それにくっついて蜜を集める蝶や蜜蜂を見て僕は喜んでいた。


「でも、タージェン……私はノエルに争いを経験してほしくないの」

「あぁ、私もそう思っている。いつでも無邪気に笑っていてほしい。あの子は強い魔力があるし、魔術の才能もずば抜けている。君以上だ。それでも、虫一匹殺さない優しい子であってほしいんだ」


 そう願いをかけた両親の願いは、成就されなかった。




 ◆◆◆




【ガーネット 現在】


 ガーネットははりつけの魔術式で、ノエルのご主人様は縄で縛られ、両者とも身動きが取れなくなっていた。

 そこには二人しかいない。ノエルがいる部屋と同じような部屋だ。

 青を基調として、大理石の冷たい部屋。


「……おい、人間」

「なんだ吸血鬼」

の話の続きだ。貴様の名前を教えろ」

「話は終わった。てめぇと話すことはねぇ」


 子供のような態度でいる彼に、ガーネットは苛立ちを隠せなかった。


「こんな子供同然の男の何が良いのか……」

「おい、口のきき方には気をつけろ。俺はガキじゃねぇ。あいつの主だ」

「とんだお笑い草だな。ノエルが魔女だということすら知らずにしもべにしていたくせに。ノエルがどれほど強大な魔女なのか、貴様には解るまい」

「うるせえ! 魔女だろうが魔族だろうが関係ねぇ! あいつは俺のもんなんだよ!」


 ガーネットはそれを聞いて呆れる。


「…………捨てられまいと必死になっているのは本当は貴様の方だな? 最高位の魔女だと解ってから尚更だ。哀れだな」

「口の減らねぇクソ野郎だな……今すぐ殺してやる……!」

「ふん、できるものならやってみろ」


 ガーネットは嘲笑しながら、ノエルの主人との会話を思い出した。

 ノエルが魔女と交戦している間に、檻に閉じ込められているときのこと。




 ◆◆◆




【ノエルが作った檻の中】


「おい!! ここから出せ!!!」


 何も見えない暗闇だ。

 人間であるこの男は何も見えていないだろう。男は内側の木と蔦の檻をむしり取ろうとしているが、魔力で強固に固められていて人間の力ではびくともしない。


「おい、やめておけ。お前の手がボロボロになるだけだぞ。アイツの魔力で……――」

「うるせえんだよ!!」


 男は私に掴み掛ろうとするが、暗闇で私の位置が正確に解らない為に、男の手は空気をかいた。

 みっともない人間だと私は呆れる。


「感情的になるな。何も解決しないぞ。お前が私の忠告を無視してアイツの元に走るものだからこういう事になったんだ。そもそもアイツは魔女だということをお前に必死で隠して――――」

「ふざけるな!」


 男はついに闇雲に動いていた手で私の服を掴み上げた。


 ――全く……アレに命令されていなければ……ただの人間だったらとっくに殺しているところだ


 私は男の手を振り払う。


「人間風情が気安く触るな。八つ裂きにされたいのか」

「あいつが……あいつが魔女だってことお前は最初から知っていたのか」

「あぁ、魔族は人間か魔女かの区別がつく。人間には解らないだろうけどな。私が猫に姿を変えていたことも、お前は気づかなかっただろう?」

「お前……あのときの猫か……」


 こんな男に何度も“お前”などと呼ばれることが心底不愉快に感じた。


「あいつはずっと……俺のこと騙していたのか」


 今度は私が男の胸倉を掴み上げた。


「お前はいい加減にしたらどうだ。アレがこの町を守っていなかったら、とっくにお前もこの町も魔女に蹂躙されていたところだぞ」

「離せよ、化け物……俺の考えていることがバケモノに解る訳がない」

「ふん、下等な人間風情が吸血鬼族の思考が解らないのと一緒だな」


 私たちは外で何が起きているのか解らず、ただいがみ合うだけだった。


「あの魔女がお前などに執着している理由が全く解らない」

「てめぇには関係ないだろ」

「子も成せないのに。理解に苦しむ」


 反論があると思ったが、男は悪態をつく代わりに急に咳込み始めた。

 しばらく咳き込んで苦しそうに胸を押さえる。病に侵されているあまりにも無力な人間だと私は感じた。他の健康な人間よりも殊更に脆弱だ。


 ――あいつが焦る気持ちが解る。もうこの男は長くはないだろう


「お前が死ねばアレは私と生きる。せいぜい長生きすることだな。まぁ……人間の寿命と魔族や魔女の寿命は違うからお前が先に死ぬことなど決まっていることだが」

「はぁ……はぁ……あいつは俺が死んだら後を追うだろう。てめぇのものにはならない」


 確かにあの魔女はそうしかねない。

 あれほどの執着を示しているのだから、この男が死んだらそうしても不思議ではないだろう。

 しかしそうされては困る。


「あいつが魔女でもなんでも関係ない。あいつは一生俺のものだし、あいつの一生も俺のもんだからな」


 強欲だ。そして傲慢だ。

 人間はやはり罪深い。その罪が己を滅ぼす結果になることを知らない。

 知っていたとしてもそれを防ぐ術を知らないようだ。


「………何故そんなにあの魔女にこだわる? お前は別の女もいるのだろう」


 あの魔女が帰った後、私は様子を見に行きながら泣きながら走っていくのを見た。家の中を確認した際に他の女がいたのを見ている。

 それに他の女の匂いが家の中から複数匂ってきた。

 私はそれに酷い嫌悪感を抱いていた。子を成すわけでもなく、ひたすらに快楽におぼれて堕落しているおぞましい生き物だ。


「あいつは……俺が拾ったんだ。俺がいないと生きられない女だ。俺がいなくても生きられる女とは違う」


 全く少しも理解ができない。

 家畜の気持ちはわかるわけがないのも当然だと、私は理解できないことへの不快感を切り捨てた。


「あの魔女は賢い。お前が死んでも強く生きる道を選ぶだろう」


 あいつは弱いだけだ。すがる先はこんな人間でなくても本当は構わないはずだと私は考えていた。


「……随分あいつについて知った口を聞くじゃないか。ほんの数日一緒にいただけの奴が俺のもんを知った口をきくんじゃねぇ」

「共にした時間の長さなど関係ない。知能と洞察力が人間と違う」

「ふん、魔族に人間の情緒なんか解るのかよ。……それよりなんでこの町に魔女があんなにきているのか教えろ」

「そんなことを知ってどうするつもりだ」


 あの魔女なら表にいた魔女なんて簡単に殺せるだろう。

 心配することでもない。魔女を全員始末して、そしていつも通りのやる気のない声で私の名前と、この男の名前を……――


 いや、あの魔女がこいつのことを名前で呼んでいるのを見たことがない。


 ――コイツの名前はなんというのだ?


「貴様、名前はなんという?」

「あぁ? 俺の質問に答えろよ」

「何故貴様の質問に素直に答えなければならないんだ。そんなものはアレに直接聞け」

「じゃあ偉大な魔族様の力でここから出してくれよ」

「普通の魔女の力ならまだしも、あれ程の魔女の魔術をそう簡単に敗れるか」

「ふん、役立たず魔族が」


 殺すぞこの人間風情が――――と思った瞬間、この暗闇に光が差した。

 私は眩しさに眼を覆った。

 解き放たれたときに、魔女の死体がそこら中に転がっているのであろうと思っていた私は、複数の魔女がまだ生きているのを見て私は驚愕した。

 そしてあの魔女のその選択に。




 ◆◆◆




【ガーネット 現在】


 ノエルの主人はガーネットに対し、敵意を向き出しで縄を無理やり外そうとせわしなく腕を動かしている。

 拘束魔術がかかっているのだから外れるわけがない。


「やめておけ、外れない。体力の無駄だ」

「俺に指図するな!」

「……ふん、まぁいい。貴様に等興味ない。せいぜい短い余生を楽しむのだな」


 ガーネットは部屋を見渡す。

 ノエルが何の取引をしたのかガーネットには漠然と解っていた。

 ノエルが取引をするなら主のことにほかならない。そして魔女が所望するのはノエルの命、あるいは翼、力。そのいずれかだが、可能性が高いのは命だ。


 ――しかし……いくらノエルが無鉄砲の愚者であったとしても、魔女を無条件に信じる程の大馬鹿者ではないはずだ……何か決定的な条件や誓約があるはず……


 ガーネットはそこまで考えた際に、ノエルが持っていた何かの布のようなもののことを思い出す。


 ――契約を記したものか……しかし、書面で交わした契約や誓約などただの建前…………待て、聞いたことがあるぞ…………くそ……なんということだ……“魔女の心臓”か!


 ガーネットはノエルの主が懸命に暴れているのを他所に、焦りを感じた。

 部屋の外の気配に集中し、魔女の気配を探った。この辺りには魔女はいないようだ。

 拘束魔術の術式を解き、ガーネットは拘束魔術を難なく外した。拘束魔術を散々かけられた末に解除方法を編み出したのだ。


「あ……てめぇ、俺の縄も外しやがれ!」

「頼む態度ではないな。育ちが知れるぞ」

「今すぐ外せ! 俺がてめぇを殺してやる!!」

「……呆れて言葉もない。貴様は邪魔になる。そこに居ろ」

「ふざけんな!!」


 彼が肉食獣のようにガーネットを睨みつける。しかし無視して視線を外し背を向けようとすると、ガーネットはあることを思い出す。


「……そういえば目を離すなと言われていた……仕方ない、連れて行く。足手まといになるなよ」


 ガーネットは鋭い爪でノエルの主を縛っている紐を切った。

 自由になった彼は、当然ガーネットに殴りかかった。

 しかし彼の拳はガーネットを殴ることは能(あた)わない。彼の手首をしっかりつかんで、彼はピクリとも動かせない状態になった。


「私を殺すのは諦めろ。それよりもノエルの元へ行くぞ。取り返しのつかないことになる前にな」


 ガーネットが手を離すと、ノエルの主はその手首を庇うように抑えた。ガーネットはそれほど強い力で掴んだつもりはなかったが、人間の彼には強かったようだ。

 それでもすぐに彼はガーネットを睨みつける。


「いつか絶対殺す……それよりなんだってんだ、取り返しのつかないことってのは!?」

「お前のお気に入りのあの魔女が死ぬということだ」


 そう告げられた彼は、言葉を失って目を大きく見開く。


「……あと、私を殺したらノエルは死ぬぞ。契約とはそういうものだ。そのゴミみたいな脳みそに良く刻み込んでおけ。ぐずぐずするな。行くぞ人間」


 そう吐き捨ててガーネットは部屋から出て行った。



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