第18話 魔女の心臓
「お前……?」
その声は、僕の脳を麻痺させるような気がした。
身体の奥から脳に突き抜けるような嫌な感じが込み上げてきて、僕の思考を奪う。
「……おい、連れてきたぞ」
ガーネットは何やら気まずそうな声で僕にそう告げてくる。
僕は振り返りたくなかったが、ゆっくりと振り返った。
ガーネットと一緒にいるご主人様が目に入る。解ってはいたが、その姿に言葉が出てこない。
動揺しているご主人様の顔を見ると、先ほど「顔も見たくない」と言われたことを鮮明に思い出す。
「お前…………魔女……なのか? その翼は……」
「…………………」
なんて答えていいか解らなかった。
ただ、言葉を探して口を開こうとすると目頭が熱くなって涙が溢れた。
僕はバケモノで穢れた血だから。
そう言葉にならない苦痛が涙として頬を伝っていく。
「……っ」
――あぁ、泣いている場合じゃない。まだ魔女がいる。全員始末しないと……
僕は向き直ってロゼッタの方を向いた。
思い出の何もかもが歪んでいく。楽しかった日々も、全てがにじむインクのように塗りつぶされて行く。
ロゼッタを見据えなければならないのに視界が涙で歪んでいて前が見えない。
「穢れた血の化け物が……やっぱりあんたは災厄よ。『始まりの魔女』のイヴリーンと同じ。タチの悪い最低最悪の魔女……!!」
「…………そんなこと解ってる」
僕はありとあらゆる魔術式を構築した。
「もう逃げられないよ。これでお前は死ぬ」
そして僕はそれをロゼッタに向けて放った。
ドォン!!!
ものすごい音と、砂煙が立ち上った。
ご主人様に言い逃れをするつもりはなかった。したところで弁解できるつもりもない。
僕が魔女ですらないこと、人間とは到底呼べないものであることを僕から説明することはしたくなかった。そんなのあまりにも残酷すぎる。
「おい……」
ご主人様が近づいてこようとする音が聞こえた。
信じられない気持ちに支配される。
僕が魔女だって解ったのに、それでも僕に近づこうとするなんて。まるでいつものように、僕のことを人間だと思っているかのように。
――なんで? なんで僕に近づこうとするんですか……?
咄嗟に出た言葉は、その不信感への恐怖がにじんでいた。
「……来ないでください」
僕の声は震えていた。
砂煙が辺り一面包み込む。
このまま消えてしまいたい。
ご主人様にこんな姿を見られて、僕はもうこれからどうやって生きていったらいいか解らなかった。
「気持ち悪いって……思っておいででしょう。僕は魔女でもない。でも魔族でもない。まして人間なんかじゃない」
そう告白する言葉が自分を深く傷つける。
震える声で懸命にそう伝えると、胸が潰れそうだった。
「ずっと……騙していて、ごめんなさい」
僕の眼から幾度も流れた涙は頬を伝って流れ落ちた。
今、ご主人様がどんな顔をしているのか恐ろしくて振り返れない。
僕は砂煙を風の魔術式で払った。
砂煙が去って視界が晴れたそこにあったのは見るも無惨なロゼッタの姿――――
ではなく、複数人の魔女。下位の魔女ではないことは見て分かる。
僕の魔術は相殺されてロゼッタは生きていた。
「あーら、ロゼッタ。随分酷いありさまじゃない?」
「うるさい……シャーロットのところに早く連れていきなさい……」
逃げようとしているロゼッタを僕は涙を拭って見据えた。
――逃がさない……ここで見せしめにしてやる。二度とこんなふざけた真似はさせない……
「ガーネット、そのまま彼から離れないで」
「ちっ……」
ガーネットは不服そうに舌打ちをする。
「おい、ふざけるな。話を聞け!」
僕はご主人様とガーネットを木の檻で覆った。
そしてその上から分厚い氷で覆い、さらに土でも覆う。
そうして大きな分厚い檻が出来上がった。生半可な魔術で吹き飛ぶようなものではない。
きっと中でご主人様は僕に対して暴言を吐いているということは容易に想像できたが、僕は聞きたくなかった。
どんな汚い言葉で、どんなに恐ろしく冷たい言葉で僕を咎めるのか想像するほど恐ろしく感じた。
僕は全員八つ裂きにして吹き飛ばしてしまおうと思い、魔術式を構築し始めた。
「……待ちなさいよ。取引する気はない?」
大きな水色のリボンを揺らしながら、フルーレティが僕にそう問いかける。
「…………取引って何?」
「あなた、シャーロットに用があるのでしょう?」
僕はただの時間稼ぎかと思い、より精密で巨大な魔術式を話の最中にも構築し続けた。
高エネルギーの一点集中の魔術式だ。これを放てば骨も残らない程の強力な破壊魔術式。
「それがなんなの……? くだらないことを言ったら即座に殺すよ」
「あなたが連れていた魔女のキャンゼルに聞いたのだけど、あなたのお気に入りの奴隷が病気なんですって?」
シュンッ
高エネルギーの光線がその魔女のリボンに穴をあける。しかしその魔女は顔色一つ変えずに淡々と僕に向かって話しかけてくる。
「図星なのね。シャーロットならどんな状態でも大体治せるから、その奴隷の病気も治せると思うわ。だからそれと引き換えにあなたがゲルダ様にその身を捧げるっていうのはどうかしら? 悪くないんじゃない? ずっと隠れていたあなたがわざわざ探しにくるなんて余程大切なのでしょう? 察するところ、あなたの後ろにいた人間がそうだと思ったけれど?」
僕はその取引に心揺らいだ。
――ご主人様のお身体が治るなら……もう僕は自分なんてどうなったって構わない……
「魔女は嘘つきだから……本当に治してくれるか解らない。信用できない」
「なら、あなたが大人しくしていれば目の前でシャーロットに治療させましょう。それならいいでしょう? どうせあなたなら簡単に他の魔女を殺せる程の実力があるのだから」
僕の構築している魔術式はどんどん複雑に、そして大きくなっていく。
もしかしたら山の一つや二つは簡単に消し飛ばせるほどかもしれない。
シャーロットの実力は解っている。
いかなる傷もたちどころに治す治癒魔術を扱っている。しかし、病理に対する治癒魔術の腕は解らない。
「シャーロットの実力がどれくらいなのか解らない。そんな危険な賭けはできない」
「じゃあ見せてあげるわ。それまでその巨大な魔術を暴発させないようにしておくことね」
リボンの魔女が他の魔女に目配せすると、後ろからシャーロットが現れた。
「フルーレティ……」
怯えた様子で他の魔女に背中を突飛ばされるようにシャーロットが現れた。
「ロゼッタの治癒をノエルに見えるように行って」
シャーロットが僕の方を見ると、僕が構築している巨大な魔術式を見て震えあがった。
「大丈夫、あなたが治癒魔術の最高位魔女である証明ができれば、あれを撃っては来ないわ」
まるで解ったような口ぶりでそういうフルーレティに苛立ちを覚える。
「他の魔女がおかしな動きを少しでもしたら風穴が身体に無数にあくか……この世から一瞬で蒸発すると思え」
シャーロットは他に類を見ないほどの美しい魔術式を組み上げ、ロゼッタの切断された腕を片方、もう片方とくっつけた。
そして火傷の痕も、少しの痕は残ってしまったがほぼ綺麗に回復した。
「……目は治せないの……」
「あの傷はあなたが無意識にかけた呪いよ。治癒魔術では治せないの。自覚がないなんて恐ろしいわね」
「覚えていない」
「あなたが実験施設で暴れたときよ」
その言葉を聞いたとき、吸血鬼を無残に殺した魔女のことを思い出した。
青い瞳の吸血鬼。
「兄弟を助けて」と言っていたことも僕はリアルに思い出した。
こんなときに、僕はガーネットを助けた時のことを思いだしていた。
あの時は吸血鬼の言葉は忘れていたけれど、それでも僕の頭にはあの時の後悔があったのだろうか。
助けられなかった後悔が僕を契約させたのだろうか。
「ロ……ロゼッタ……大丈夫?」
シャーロットがロゼッタに状態を聞くと、ロゼッタは怒りを露わにした。
「余計なことを……! あたしをあの化け物を信用させるエサに使わないでよ!! フルーレティ!!!」
ロゼッタがフルーレティに手をかざし魔術式を構築しようとして、ロゼッタは完全に固まった。
フルーレティがすでに拘束系の魔術式を構築していたからだ。
あの次元の魔術式はかなりの高位の魔女。僕を施設で拘束していた魔女の一人なだけはある。
「生きていただけありがたいと思いなさい。あなたはそれくらいしか使い道がないのだから。見たでしょう。シャーロットは最高位の治癒魔術の使い手なのは解ったかしら」
「怪我が治せたからと言って、病気の治療ができるかどうか解らない」
しかも、何が原因なのか解らないご主人様の……――――
「なら、この町の住人で実験すればいい。重い病気にかかっている者はいる?」
僕は恐れおののいている町の住人に目をやった。
たしか……先生のところに通っていた重度の腎機能障害の患者が一人いたはずだ……内臓の病気だけじゃなくて他の疾患も全部治せるのを確認しなければ信用できない。
大切なご主人様を簡単に差し出すなんてこと、僕には出来なかった。
「腎機能障害や精神病を治してもらおうか。それからこの町の住人の疾患全てを治して見せてくれたら信用する」
僕がそう言うと、フルーレティは難しい表情を浮かべる。
「そんな時間のかかることはできないわ。精々三人が限度よ。外傷と違って身体の内部の病気の治療は時間がかかるのよ。こちらも交換条件を出しているのだから、少しは妥協なさい。私たちを皆殺しにしたらあなたの奴隷は永遠によくはならないわよ」
そんなことは解っている。
わかっていても、慎重にならざるを得ない。
ご主人様に酷い言葉を浴びせられるのではないかと思ったが、
それにご主人様をいつまでもガーネットと二人で閉じ込めておくわけにもいかない。
「解った……じゃあ三人。先生に選んでもらう。魔女がおかしな動きを少しでもしたら僕が作っている魔術式で一瞬で蒸発させてやるから」
僕は町の住人の近くに行った。
みんな僕のことを恐ろしいものを見るような目で見ている。
ようなという表現は適切じゃない。
僕を化け物だと思って見ていた、の間違いだ。
背中の翼、そして僕が構築している桁違いの魔術式。
高位の魔女が僕に交渉を持ちかけるほどの脅威だということだ。
「先生……ごめんなさい。この中から重症の患者を選んでください。魔女に治療させます」
先生は、先生にもらった服をボロボロにしてしまった僕のことを何とも言えない目で見ていた。
――ごめんなさい
心の中でそう謝った。
「ノエルちゃん……安全なのか?」
「……僕は大丈夫ですよ。おかしなマネをしたら僕が皆殺しにしますから」
こんな物騒なこと、言いたくなかったのに。
そう言うしかなかった。
先生は青ざめた目で見ていた。
先生も僕のことを得体のしれないような目で見ていることに、僕は絶望感を強める。
「みんな、騙していてごめん」
その呟きは謝罪とも、独白とも言えない言葉は空虚に飲まれて消えていった。
そして、先生が選んだ3人の患者の治療が始まった。
魔女も、町の人たちも、それに僕も異常な緊張感の中治療は行われたが、一番緊張していたのはおそらくシャーロットだろう。
30分後程に治療は滞りなく終わった。
後の先生の診察でも、見事に身体の機能が回復して異常のない状態になっていると先生は驚いていた。
現代でも原因のハッキリしていない統合失調症の患者も完治して、戸惑っている様だった。
治しようもないと悲観していた先生は、こんな形でなければ素直に喜んでいられただろう。
「これで解ったでしょう? 取引に応じる気になったかしら?」
フルーレティが僕にそう話しかけてくる。
「それで……いつ彼の治療を行ってくれるの?」
「そうね、あなたとその奴隷とで総本部の中で行うわ」
本部でなんて、無事に帰ってこられる保証なんてないと僕は眉をひそめて険しい顔をした。
「……無事に彼を逃がしてくれる保証がなければ従えない。僕が殺された後にここの町が魔女の手に堕ちるようなことがあったら困る。それじゃ意味がない」
「では魔女同士の制約を行いましょう。そうすればあなたが死んだ後も効力は残るでしょう。それでどうかしら」
昔、僕を育ててくれた翼人から教えてもらったことがある。
魔女同士の正式な契約は破ることができなくなるという魔術があったということを。
魔女同士の誓約を行えば、絶対にそれを裏切るようなことはできなくなる。
その魔術なら安心できるが、僕が裏切ったときも僕の命はない。
しかしその魔術は…………――――
「そんな
その誓約書は普通の書面ではない。
特別な魔術によって誓約を結ぶ最古の魔術と言っても過言ではないものだ。
なにせ記入する用紙がただの紙ではないのだから。
「あるわ。滅多に使わないものだから、探すのに苦労したけれど、少し残数があったから」
フルーレティが誓約で使用する特別な布を渡してきた。
――……随分用意がいいな……
僕がこの取引に応じると思ってあらかじめ持ってきていたとしか考えられない。僕はその態度に対して気にくわない気持ちになった。
魔女同士の誓約書は、お互いの血を使って誓いの言葉を記入する。
そしてその記入する紙……いや、布は、この世の魔女の全てを記録している母体『魔女の心臓』の皮膚を剥がして
魔女はこれに署名すれば絶対的に服従するほかない。
――……その母体はその昔に壊されてその魔術はこの世にもう存在しないと聞いていたが……まだ存在していたとは……
「こんな
「そうよ。あなたの力に嫉妬して、魅せられて、自分に移植なんかしたから毎日強すぎる魔力に苦しんでいるわ。もう半翼を移植したら力に耐え切れずに暴走して死ぬかもしれないわね」
別にゲルダがどうなろうとこいつらはどうでもいいのか。
所詮は恐怖支配であって、脅威が僕とゲルダの共倒れになれば自分たちが助かるだろうという思惑なのかもしれない。
「力に耐えきって完全体になったらどうするの?」
「……逆らわないだけよ」
人間や魔族を奴隷にしている魔女も、最高位の魔女の奴隷みたいな生活をしているのか。
「一生そうやってゲルダの奴隷として生きていけばいい。笑えるね」
「御託はいいから早く署名しなさい」
僕は気に食わなかったが、フルーレティが手渡してくる魔女の心臓の皮を渋々と受け取った。
署名する内容に目を通しはじめる。
・シャーロットによりノエルの希望する奴隷を治療完了した場合、ノエルはその身体の全てを魔女ゲルダに捧げること
・その際に一切の抵抗をしないこと
・ノエルが誓約を破った際にはノエルの提示した条件全てを無に帰し、奴隷、およびノエル本人は即座に死亡するものとする
簡潔だが確かに要点をついている。
これに逆らったらご主人様は死ぬ。
勿論僕の答えは最初から決まっている。ご主人様が助かるなら僕はどうなっても構わない。
僕が提示する要件を、僕は自分の血を使って書き始めた。
・僕(ノエル)が希望する奴隷の治療を完了した場合、僕(ノエル)の身体の全てをゲルダに捧げることを誓う
・僕(ノエル)がゲルダに身体を全て捧げることを誓うにあたり、今後署名後より一切例外なく、全ての魔女は私の希望する者たちへの危害は一切どのような形であっても加えてはならない。与えた場合は即座に全ての魔女は死亡するものとする。
内容はなるべく簡潔に書いた。
僕は自身の血を指先から出し、その布に書き込んだ。魔女の血に反応をしてその皮でできた布は文字が焼き付く。
僕はご主人様のことを考えるさ中、ガーネットのことを考えていた。
僕が死んでしまったら当然彼も死んでしまう。僕は吸血鬼との約束を二度も破ることになってしまうのだ。
その心の痛みはあれど、それでも僕はご主人様を助けたい気持ちには代えられなかった。
お互いの誓約書をお互いが確認した。僕は先ほどフルーレティに渡されたものを手に持ち、フルーレティは僕が書いたものを手に持った。
「内容は確認した。これでいいでしょう」
「じゃあ同時に署名を」
僕らは互いにそれを署名し、それを交換し確認した。
僕はフルーレティの署名がしてあるのを確認した。僕の条件には『全ての魔女』という文を使ったから、この場合フルーレティが署名をしているが全部の魔女が対応している。
全ての魔女を一度に支配する強力な魔術だ。
これでご主人様が危害を加えられることはなくなった。
僕は深呼吸した後に、ご主人様とガーネットを閉じ込めているものを破壊した。けしてご主人様を傷つけないようにできるだけ慎重に。
全てを壊し現れたご主人様とガーネットを見た。ご主人様はきっと怒っていらっしゃるだろうと思っていたが、中から出てきたご主人様は怒ってはいないようだった。
「早速行くわよ。連れてきなさい」
フルーレティがそう言って僕らから遠ざかる。
「これはどういうことだ。魔女を皆殺しにしたのではないのか」
ご主人様よりもガーネットの方が余程狼狽(ろうばい)している。
「……してない。取引をした」
「正気か!? 目当ての魔女以外皆殺しにしたらよいではないか」
ガーネットに正気かどうか聞かれるのは何度目なのだろう。
確かにシャーロット以外を皆殺しにしたらいいのかもしれないが、恐怖で支配してシャーロットが本当にご主人様を治してくれるのか疑問が残る。
ご主人様を治したら、自分が殺されると思えばきっと治療はしないはずだ。
「どんな取引なのか言え!」
「……ごめん、後で言う。大丈夫。ガーネット心配しないで」
僕が死んだら、ガーネットまで死んでしまう。そんなことを言ったらガーネットはここで暴れるだろう。
ガーネットの約束を守ってあげられなかった。
――ごめん
心の中でそう彼に謝罪した。
ガーネットは不服そうな顔をしたが、それ以上は聞いてこなかった。
僕はご主人様を説得することができるだろうか。抵抗されたら……強引にでも連れていかないといけない。
「ご主人様……僕からの最初で最後のお願いになります。何も聞かずに僕と一緒に来てください。魔女にお身体の治療をさせます。身の安全は……――――」
「お前、ふざけてるわけ?」
ご主人様は険しい表情で僕を睨みつけた。
僕は言い訳もできず、気まずくて視線をそらす。
「俺がなんで怒っているか解るか?」
「……心当たりがありすぎて……申し上げるには時間が足りません」
「そうだな。そうだが、一番俺が怒っていることは何か解るか?」
その問いは、苦手だ。いつも苦手だった。
でも、今回ははっきりとわかる。
「…………僕が、魔女だってことを黙って騙していたこと……です」
言葉が詰まってなかなか出てこなかった。
言いたくなかったことを、僕は声を振り絞って伝えた。
「お前、なんで解んないの?」
更に強い口調で僕を冷たく責める声に、僕は余計に身体を縮ませた。
駄目だ。
魔女にこんなところを見られたら主従関係が解ってしまう。
できるだけ毅然と振舞わないといけないのに、どうしても毅然とした態度などできるわけがなかった。
――魔女だってことを黙っていたことに対して怒っている訳じゃない……?
「おい、喧嘩している場合ではないだろう」
ガーネットがご主人様を止めようとする。
「うるせえよ、黙っていろ」
僕はご主人様の目が見られなかった。
僕のことをどんな目で見ているのか見たくなかったから。
「お前、本当に俺のこと何にも解ってねぇよな」
「え……」
僕がご主人様のお顔を見ようとしたら、ご主人様は僕とすれ違った。
「もういい、さっさと済ませるぞ。早く来い」
ご主人様が魔女の方に恐れも知らずに向かっていくのを見て、僕はご主人様を追いかけた。
契約書を交わしたから、突然殺されることはないにしても、敵だらけの中ご主人様を守り抜くことは僕は不安はぬぐいされない。
「なんなのその吸血鬼は?」
「契約してる」
「契約ですって!?」
フルーレティや他の魔女は驚いている様だったが、無視した。
僕らはおとなしく魔女が乗ってきたと思われる飛空艇に乗り込んだ。
乗り込んで町の方を振り返った時、町の人の怯えた表情が見えたが、もう見ることはないだろう。
――レインは……大丈夫かな。レイン、本当にごめん。異界に帰してやれなくて。ガーネットも……こんなことになってごめん……
僕はご主人様よりも大事なことなんてこの世に何もないんだ。
それでも、こんな僕を慕ってくれてありがとう。
僕は飛行船に乗り込んで、一番奥の狭い部屋にご主人様とガーネットと共に押し込められ、なんとも言えない酷い空気の中僕は、僕を育ててくれた翼人のことを思い出していた。
◆◆◆
【15年前 ノエル7歳】
「こらこら、そんな乱暴なことしたらいけないよ」
声を荒げるでもなく、大きな一対二枚の翼を携えた白髪の老人が僕にそう言った。
僕は本をビリビリに破いて泣きわめいていたので、そう言う彼の言葉など聞いてはいなかった。
「どうしたんだい、何があったんだ」
大きな翼で泣きじゃくる僕を包み込んで落ち着かせようと、頭を骨ばったシワの深い手でゆっくりと撫でる。
僕は片方だけの三翼をバサバサと羽ばたかせてそれを拒絶する。
「僕、外に出たい!」
「おぉ……昨日も言っただろう。外は危ない。外に出すわけにはいかないんだ」
「嫌だ嫌だ! 外に出たい!!」
「ふぅむ…………なら、魔術の制御はできるようになったのか? 翼がしまえないと外には出せないと言っただろう?」
僕は何を言ってもそうとしか言わない彼――――セージに対して不満を爆発させていた。
じたばたと暴れまわり、セージの本を手あたり次第投げたり、破いたりしてなんとか僕を外に出してくれるように喚いたが、セージはけして僕を外には出してくれなかった。
「困ったなぁ……貴重な本まで……」
「うぅ……うっ……うぅうぅう…………外……出たい……母さんと父さんに会いたい……」
力なく僕が泣き始めると、セージはいつも怒らずに僕を抱きかかえて、落ち着くまで撫でていてくれた。
僕がどんなに暴れても、物を壊しても見放したり、突き放したり、冷たい言葉を発したりしなかった。
僕が落ち着くと、セージは僕を椅子に座らせてビリビリに破き散らかっている本を片付け始めた。黙って片付けているセージに悪い気持ちになった。
「…………セージ」
「なんだい」
「あの…………その…………」
僕は「ごめんなさい」が素直に言えなかった。
もじもじとセージを見つめて、その言葉がなかなか口から出てこない。結局僕は言えずに口を
「ここ、読んでほしいの……」
「あぁ、いいよ。片付けが終わってからな。待っていなさい」
「うん…………」
本当は、僕は本なんて読んでほしくなかった。
本なんて文字がずらずらと書いてあるだけで面白くもなんともない。子供の僕には退屈なだけだった。それでも、セージはいつも僕に本を読んでくれた。
ビリビリの本を片付けている悲しそうなセージよりも、楽しそうに本の話をするセージのほうが僕は好きだった。
何気なく取った本を見ると、大きな心臓の形をしているものに鎖が巻き付いている得体のしれない絵が描いてあったのが見えた。
「……まじょ……の……しんぞう……」
異界の言葉で書かれていた為、僕にはその本はよく読めなかった。
「どれどれ、読んであげよう」
片付けを終えたセージが、本ごと僕を抱き上げてソファーに腰かけ、僕を膝の上に座らせた。
白く長い髭が僕の肌に当たり、くすぐったい。
けして小柄ではない僕を持ち上げる時はセージも少し重そうにする。
「ノエル、大きくなったな。翼がまた立派になったよ」
「……でも、僕片方しかない……」
「ほっほっほ、それでも三枚もついてるじゃないか。私より多いだろう」
「飛べないもん……」
「飛べなくても立派な脚がついているだろう?」
「…………」
暗い顔をすると、セージはまた僕の頭を撫でてくれた。
「……さて、この本のこのページを読めばいいのかな」
セージは僕が持っていた重い本を手に取り、僕に見えやすいように広げてくれた。
「魔女の心臓か…………」
セージはゆっくりと文章を読み始めた。
“魔女の心臓とは、全ての魔女の記憶を記憶している母体である。元々は魔族と人間が共に暮らしていた頃、魔女の始祖がその命を
「難しくて解んない……」
「ふぅむ……そうだな。つまり魔女を強力な魔術で縛る為のものだな」
「どうして縛るの?」
「昔は人間と魔女は仲が良かったんだ。人間にむやみに攻撃や支配ができないように魔術を制約していた。仲良くやっていたのは途中までだ。時が流れ、人間は恩を忘れて魔女を迫害し“魔女狩り”を行った。昔はもっと多くの人間がいたんだよ」
「おん?」
「そうさ、ここに書いてある」
“殆どの魔族があまりにも人間に対し脅威であった。人間たちは次々に魔族に殺されていった。魔族と魔女と人間は話し合おうとしたが、折り合いがつかず状況は変わることがなかった。そこで心を痛めた魔女は、魔族と人間を別の世界に住まわせることを考えた。魔女たちは結託し、こことは異なる新たな世界を作り出し、魔族を全てそこに閉じ込めた。そうする際に、魔族にはこちらの世界では生きることが困難になる呪いをかけ、けして互いの世界が交わらぬよう大規模な魔術を作り上げ世界を
色鮮やかな絵で説明がされているが、僕にはよく解らなかった。
今は何もかもが異なる。魔女は人間を奴隷にしているし、魔族だってここにいる。
「セージ、魔族は人間が嫌いなの?」
「そうだな……嫌いなのではなく食べ物として見ている者も確かに多くいる。ノエルも牛や豚を食べるだろう? それと同じだ」
「この魔女の親は片方は魔族だったんでしょう?」
「あぁ。そうだよ」
「どうしてそんなに人間の為に尽くしたの?」
「そうだな……それは、この魔女が人間の男に恋をしていたからだと伝えられている」
「こい?」
「あぁ……なんというか、要するに『好き』になっていたということだ」
「???」
僕には解らなかった。どうして好きになると親ですら見捨てることができるのだろうかと。
「それで、どうなったの?」
僕が問うと、セージはページをめくって再び話を始めた。
“魔女たちは人間に大いに感謝され、もてはやされ、一時は関係も良好であった。しかしそれも長くはもたず、次第に横暴になり始めた魔女を人間は恐れるようになった。人間は魔女を縛ろうと考えた。最初の魔女のイヴリーンの伴侶である人間の男は彼女の強大な力を恐れ始めていた。魔女が人殺しをしたと偽装して魔女を咎め立て、魔術を制約することをイヴリーンに迫った。イヴリーンは最愛の男の提案を全て受け入れ、最強の魔術を1年といくつかの月日を経て作り上げた。イヴリーンは自分の命を使った最大魔術で自らを制約の楔とし、伴侶に与えた。それが『魔女の心臓』である。そしてその最初の制約が『人間に危害を加えないこと』であった。魔女の心臓を手に入れた人間は、それを使い魔女を使役しようと試みたが、人間にはそれは使いこなせない物であった。魔力のない人間の血液では、魔女の心臓は反応しなかったからだ”
「この魔女騙されてるよ!」
僕は人間に対して怒りをあらわに怒った。騙されているイヴリーンに対して悲しみの感情を抱き、涙ながらにセージにそう訴えた。
「そうだな。そう書かれている」
「なんで!? 人間は悪いやつだ! 奴隷にされて当然だ!」
「こらこら、そう言うものじゃない。そういう考えは危険だよ」
「なんで!? どうして!!?」
セージは長い髭を手で触りながら考えていた。
「じゃあ、聞こう。ノエルの親は魔女に殺されたね?」
「……うん」
「魔女はみんな悪いやつなのかな?」
「そうだよ!」
「じゃあノエルも悪いやつなのかな?」
「僕は悪いやつじゃないよ!」
「そういうことだ」
「……?」
セージの方を顔だけ向けると、彼は微笑んでいた。僕の頭を撫でながら話を続ける。
「悪い人間もいるし、悪い魔女もいる。でもな、いい人間もいるし、いい魔女もいるんだよ。だから安易に大きな
「……よくわかんない……」
「更に言うなら、イヴリーンが愛した男は本当に全部が『悪』だったのかな? 何もかもが悪い人間だったら、愛されたりしないと私は思うよ」
「どういうこと?」
「そうだな、ノエルはさっき私の大切な本を破っただろう?」
「……」
先ほどのことを引き合いに出され、僕はバツが悪く黙ってしまう。
「それは悪いことだとノエルは解ってるはずだよ」
「…………」
「しかし、それだけでノエルが悪い子だとは私は思わない。いつも一生懸命に教えた魔術の制御をしようとしているし、私の言いつけを守って駄々をこねながらも外には行かないだろう?」
「うん……」
「一人一人、良いところも悪いところもあるものなんだよ。良いところしかない者も、悪いところしかない者もいないんだ」
「……」
「そもそも、善悪なんてものは見る人の目によって善なのか悪なのか変わるものなんだから」
「セージ、難しいことばっかり言わないで。僕解んないよ……」
「はっはっは、ノエルにはまだ早かったな」
セージは優しかった。僕にたくさんのことを教えてくれた。
僕はずっとそれが続くと思っていたんだ。
【現在】
今なら、セージの言っていたことがよくわかる。
子供の僕には解らなかったけれど、彼はいつも僕を助けてくれた。
セージの事を思い出し、僕はやはりつらくなった。
魔女に殺されたことを思い出すと悲しくなる。
いつも優しくしてくれて、僕を叱ったりしなかった。僕もご主人様に対して怒ったりしないのと同じ、無償の愛情を注いでくれていたことを僕は今になって気づいた。
自分の翼で自分を抱き締めると、まるでセージがそうしてくれていたように感じる。
そして、魔女の心臓でできた布をご主人様とガーネットに見えないように翼で隠し、よく確認した。やはりおかしな手触りと、生々しい感触が本物だと告げる。
「おい」
ガーネットに呼ばれ、僕はその布を隠した。
「……なに?」
「どうするつもりだ?」
ご主人様がいる手前、具体的なことは何も言いたくなかった。ご主人様は黙って不機嫌そうにそっぽを向いている。
しかし、僕とガーネットを横目でちらちらと見ているのが解った。
もうこれ以上嫌われることもない。配慮する必要はないのかもしれない。
でも僕にはそんな勇気はない。
「…………ねぇ、その前に聞きたいことがあるんだけど」
「はぐらかすな。私の質問に答えろ」
「大切なことなの。どうしても今聞きたい」
「全く……なんだ?」
ガーネットは呆れた様子で僕を見てくる。
「青い目をしている……金髪の吸血鬼を知らない? まだ若くて、『僕』って自分のことを呼んでた吸血鬼なんだけど……」
ガーネットは突然僕の肩を乱暴に掴んだ。
爪が食い込んで痛い。ガーネットも同じ痛みを感じているはずだ。
「痛いよガーネット……離して……」
僕が振りほどくとガーネットは物凄い剣幕で僕を見ていた。
「ラブラドライトか……?」
「名前は知らないけど……兄弟がいるって言ってた」
「…………どこで会った。どこにいるんだ」
「……研究施設だよ。ずっと前に一度見ただけ」
「どこの研究施設だ!?」
再びガーネットは僕の腕を強く掴んだ。骨が折れそうなほど強く掴んでくる。
いつも比較的冷静な方だが、今回は酷く動揺している。僕と初めて会ったときよりも興奮しているように見える。
「ガーネット……痛いってば」
「答えろ!」
ギリギリと腕が軋むような音が聞こえてくる。
痛みで僕は答えられないでいた。
「やめろ」
ご主人様が冷たい声で間に入ってくる。
ガーネットの腕を掴み、鋭い目つきで睨む。
「邪魔するな人間風情が……!」
「俺だって聞きてぇことが沢山あんだよ。てめぇは俺の後にしろ」
「ひっこんでいろ!」
ガーネットが手をあげようとした瞬間、僕は翼を広げてご主人様をかばった。
僕の翼に爪がかかる寸前でガーネットはその手を止めた。
「答えるから。彼を傷つけないで」
そう言うとガーネットは鋭い爪を下げ、少し落ち着いたような様子で息を浅く吐き出した。
後ろにいたご主人様がどのような表情をしているかは解らなかったけれど、やはり僕は振り返って彼の顔を見る勇気はなかった。
「魔女の総本山の研究施設だよ。僕が一番長くいた研究施設」
「今向かっているところか?」
「……うん」
ガーネットは下唇をほぽ噛み切っていた。僕の唇からも血が垂れる。
かなり強い力で噛んでいるのがその強い痛みで解った。
次のガーネットの言葉で、その行動の意味を僕は理解することになる。
「ラブラドライトは……私の弟だ」
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