第3章 渇き

第17話 罪状は憤怒




 息を切らして僕は懸命に走った。

 ご主人様の家について慌てて入ろうとしたが、鍵がかかっていた。僕はなりふり構わず扉を叩く。


「ご主人様! ご主人様いらっしゃいますか!!?」


 ドンドンドン!

 ガチャガチャガチャ!


 駄目だ、返事がない。

 僕はわき目もふらずにカギを小規模な魔術で壊して中に入った。

 しかし家のどこを探してもご主人様はいない。


 ――どうしよう、町の方中心の方に……?


 僕はほぼ錯乱していた。

 更に爆発音が響き渡り、今度は煙が立ち上り始めた。

 右往左往と僕はおろおろとしていると僕を呼ぶ声が聞こえてくる。


「ノエルー!」


 呼ぶ声のする方を見るとレインが飛んできているのが見えた。


「捜したよ。ぼくのこと置いていくなんて酷い!」

「ごめん。でも危ないから隠れていてレイン」

「ぼくもノエルの手伝いする!」


 レインが僕の肩に降り立った。

 レインを説得している時間がない。このまま連れていこうと僕は諦めた。

 僕はガーネットと共に町の中心へと走り始める。

 ひたすら走った。

 僕の長い赤い髪が乱れる。


 ――ご主人様、ご主人様はどこへ……? ご主人様、ご主人様……!!


 先ほどまでの落ち込み様など嘘かのように感じた。脇目も振らないとはまさにこのことなのかもしれない。

 町の中心部へ行くと、燃え盛る炎と崩壊している家屋、そして法衣を着ている魔女の姿が見えた。

 それも数人ではない、大人数だ。

 町の人たちが何人か倒れている。

 その中にご主人様がいないかどうか、酷く動揺しながらも確かめた。

 僕が走って近寄ったのを察知すると、ひとりの魔女が僕の方を振り返る。

 顔に爛れのある、そちら側の顔を髪の毛で必死に隠そうとしている魔女だ。


「あーら、ノエル……会いたかったわよぉ?」


 彼女は憎愛に満ちた表情でを僕をねっとりと見つめる。

 それは笑顔とも怒りともとれない感情であったが、僕はその顔に見覚えがった。


「お前は……」




 ◆◆◆




【3年前】


「早くこの化け物を元の檻に戻しなさい!」


 ゲルダの甲高い声が響くと、他の魔女はゲルダに頭を下げた。

 永遠に続くと思われるほどの拷問が終わると、白い髪の魔女が僕の怪我を治し、沢山の魔女たちは僕を厳重に拘束し、まるで荷物を運ぶかのように雑に扱い、いつもの厳重な檻に戻そうとする。


 僕は別に逃げたりしない。

 逃げようとすら思わない。


 逃げてもどこに行ったらいいか解らないし、逃げたところでそこで生き続ける理由も僕はない。

 このままここで殺されるのだろう。

 それも僕は甘んじて受け入れていた。考えることすら煩わしいことだ。


「本当に気持ち悪い」

「魔族との穢れた血」

「こいつのせいでゲルダ様はおかしくなった」


 そんな罵倒の声も、もう聞き飽きるほど聞いてきた。

 もうただの雑音と同じだ。意味なんて大して理解できない。

 心が死んでいても実験の疲労感はすさまじく、身体がボロボロになっているのは理解していた。


 ――そんなこと、どうでもいい


 僕は何重にも巻かれた魔術式の組まれた鎖や、魔術のかけられた血まみれの拘束衣、重く冷たい床も、何もかも感じなくなってしまえばいいと思っていた。

 そんなことを感じる身体なんて捨ててしまいたい。

 死んだらどこへゆくのだろう。

 人間が考えた地獄や天国があるのだろうか。だとしたら、僕はきっと地獄にいくのかもしれない。

 そう考えている中、僕は牢屋に乱暴に入れられ、部屋にある鎖につながれた。


「…………」


 黙って抵抗しない僕を見下して、何人かの魔女は話しながら出て行った。


「ねぇ、結構きれいな顔してるわよね? 壊れちゃったらあたしがもらってもいいかしら?」

「あんたも悪食ね。ゲルダ様に殺されるわよ」

「本当。クロエ様のほうがいいわ」

「あたしはクロエよりほかの魔女の方がいいわ」


 遠くなっていく声が聞こえなくなったころ、静寂しじまが訪れた。

 僕が腕を動かすたびにジャラ、ジャラと鎖が重く冷たい音を奏でる。

 僕は意識を早々に手放して、冷たい床に身体を委ねた。


 どれほどの時間が経ったのだろう。

 気が付くと僕は顔に強い衝撃を受けて目を覚ました。


「起きなさい」


 蹴られたのか殴られたのか解らないが、そうされたのは解った。

 ここには随分長いこといるが、そのどの魔女の顔も覚えられない。同じような恰好をしているし、同じような顔をしているように見えた。

 唯一判別ができるのは、白い髪と白い法衣の治癒魔術を使う魔女。

 いつも僕の酷い傷をたちどころに治してしまう。

 しかし、その能力よりも目につくのが彼女が酷く怯えている様子だ。他の魔女に虐げられているのは容易に見て取れた。

 時折泣きそうな顔をして僕の方を見つめてくる。

 少なくともその魔女ではない魔女が、僕を強引に連れて足早に歩く。間もなくして鎖を引っ張られて僕は連れて行かれた。

 その先で会話する二人の魔女が目に入る。


「ねぇ、ロゼッタ? あんまり顔は傷つけないでよ」

「うるさいわよ。どうせこの化け物は傷痕すら残らないんだからいいでしょ。リサ」


 二人の魔女が連れてこられた僕を見て、リサと呼ばれた魔女は飛び切りの笑顔を見せ、ロゼッタと呼ばれた魔女は嫌悪感を露わにした。

 リサは法衣を着ておらず、フリルを多くあしらったピンク色のドレスを纏っている。

 金の髪を縦に巻き、頭には小さな帽子を飾りでつけている。睫毛は大きく反っており、目元に派手な化粧をしているのが目につく。

 リサは僕にかけより、強く抱き着いた。

 わざとらしいキツイ匂いがした。花のような、蜜のような香りだ。


「あたしが連れて行くからいいわ。あんたは下がりなさい」

「はい」


 リサが僕にべったりとはりついて離れる様子はない。しきりに僕の髪を撫でたり、匂いをかいだりしている。

 その行為に酷い嫌悪感を僕は感じていた。


「もう……ちゃんとお風呂に入れないと。せっかく綺麗な赤い髪なのに血でべったり。あたしが今度お風呂に入れてあげるわ」

「リサ、趣味が悪いわ。人形遊びは部屋でやりなさいよ」

「これはあたしの人形よ」


 ロゼッタはやれやれといった様子で額を軽く押さえ、髪をかき上げた。その顔は美しく、白い肌が煌めている。


「今日は吸血鬼族との実験をするの。離れなさい」


 吸血鬼と呼ばれたその魔族はまだ若そうな男性の吸血鬼だった。

 気絶しているのか、死んでいるのか解らない。しかし、かすかに胸部が上下している様子から呼吸を感じる。

 金色の髪と、白い肌にいくつか深い傷が見受けられる。


「吸血鬼ぃ? それと何をするって?」

「吸血鬼族との交配をするのよ。翼人と魔女、吸血鬼の血が混じった子供がどうなるのか調べるの。魔術で成長過程を調整しながらなら理論上可能なはずよ」


 ぼんやりと聞こえてくる言葉の意味を、僕は理解していなかった。

 コウハイとは一体何をするのだろうか。しかし、血を混ぜるという言葉から、また僕の血を使った実験をするのだろうと考えていた。


「服を脱ぎなさい」


 ロゼッタは僕の拘束衣や鎖を乱暴に脱がそうと力ずくて引っ張った。


「ちょっと……交配ですって? それに拘束衣をほどいたら……」

「大丈夫よ。全然抵抗しないし、あたしは拍子抜けしてるくらいなの。もっと凶悪で酷い魔女だと思ってたのに」


 鎖の鍵の施錠をロゼッタが外し始めようとすると、リサはロゼッタを強引に引きはがした。


「駄目よ。させないわ」


 先ほどまでの猫なで声とは全く違う鋭い声で僕の前にリサは立ちはだかった。

 それを見てロゼッタがいらだった顔でリサを睨みつけた。


「どういうつもり? これはゲルダ様にも許可をもらっているわ」

「ノエルとこんなどこのなにとも解らない低俗な吸血鬼と交配実験するなんて、許さないわ」

「なに? リサ。こいつをかばってるの? あんたおかしいわよ?」

「言ったでしょ。はあたしのものなの」


 そう言い合いをしている魔女を他所に、僕はぼんやりと吸血鬼の方を見ていた。

 綺麗な顔をしているのが見えた。

 僕がその吸血鬼の方をぼんやりと見ている内に二人の魔女はどんどん激しくなっていく。


はゲルダ様の実験動物よ!? いい加減にして!」

「そっちこその価値を解っていないわ!」


 ロゼッタが魔術式を構築して水を操り始めた。

 対抗してリサも魔術式を組む。途端に過激に争いだした二人を僕は生気のない目で見ていた。

 吸血鬼族が巻き込まれてしまうかもしれないと僕はそのとき考えた。しかし思考がまとまらない。度重なる実験の影響か、どうしても思考がまとまらなかった。

 僕のことをコレとか、ソレとか呼ぶ彼女たちに苛立つことすらない。


「なにをしているの」


 今にも魔術のぶつけ合いを始めそうな二人の間に割って入ったのは、頭に大きなリボンをつけている魔女だった。

 冷たいまなざしでいがみ合う二人の魔女と僕を順番に見る。

 僕を拘束する鎖や拘束衣に魔術をかけた張本人、拘束魔術を得意とするフルーレティだ。


「フルーレティ! 吸血鬼との交配をさせるなんて、本当にやるつもり!?」

「交配? 私はそんなこと聞いてないわ。ゲルダ様に許可は取っているの? そんな大々的な実験聞いていない」

「もらっているわ。あとはもう残りの翼を引きちぎって殺すだけなのでしょう?」


 そうか。やっと僕は殺されるのか。

 それは安堵の気持ちに似ていた。

 やっとこの地獄から解放される。

 その気持ちは僕にとっては安堵だった。

 リサとロゼッタは魔術式を消す。一先ずは僕も吸血鬼も巻き込まれずに済みそうだ。


「それはゲルダ様が決めるわ。しかし……交配実験なんて……危険よ。確認してくるから一先ずは檻に戻しておきなさい」

「……解ったわ」


 ロゼッタは渋い顔をしながら僕の首輪の鎖を乱暴に掴み、檻の方へと戻して再び壁の鎖と繋げた。

 僕は再び冷たい床に身体を投げ出した。


 動くのも億劫だ。

 考えることもろくにできない。

 何もしたくない。

 完全に無気力だった。


 そんな僕の元に、足音が近づいてくるのが解った。

 檻の前に現れたのはリサだ。よく暇なときは僕の檻の前にきていつも一方的に話している。

 僕はいつも黙って聞いているだけだった。


「ねぇ、そろそろあたしのものになってよ。あたし、の技術は保証するわよ」


 リサの話はいつも何を言っているのか解らない。


「ノエルは拷問されているときしか声を出さないのね。あたしはあなたの味方なのよ? ねぇ、たまには声をきかせて? あなたのお願いなら、ある程度聞いてあげるわよ?」


 別にお願いなんてなかった。

 鎖の冷たい感触だけが僕にとっては現実だった。


「それにしても交配実験なんて……あなた、酷い目にあわされるわよ? まだ魔女としても子供くらいなのに」


 コウハイがなんなのか、聞いておかないといけないような気もした。

 これからなにをされるのかなんて僕には興味のないことだったけれど、僕のことだけではなく、吸血鬼族のこともあった為、僕は重い口をなんとか開き、声を出した。


「コウハイって……なに?」


 実験のときに叫ぶ声で喉が潰れてしまっているのか、声は酷くかすれていることに気が付いた。


「!」


 リサは驚いたようで目を大きく見開いて僕の方を見た。


「やっとあたしと話してくれた! 嬉しいわノエル!」


 僕の質問を無視してリサは目を輝かせて僕の方を見ている。僕は再びやっとの思いで内を開いた。


「……答えて」


 歓喜に震えるリサを他所に、僕は冷静に質問をした。


「交配っていうのは、子供を作るってことよ」

「子供……? 血を混ぜると子供ができるの……?」

「血を混ぜる……? まぁ、間違ってないというか……」


 リサはニヤリと笑いながら僕の方を再び舐めるように見つめた。


「でもあんな吸血鬼の子供なんてあなたに相応しくないわ。あなたに相応しいのはあたしよ。ねぇ、あたしのものになるならここから出してあげるわ。あたしとここから出て二人で暮らしましょう?」

「……あの吸血鬼はどうなるの?」

「吸血鬼? あぁ、アレね。苦労して捕まえたみたいだし、しばらく実験で使われるんじゃないの?」


 実験に使われるという言葉を聞いて、僕は自分がされたことを思い出した。

 殺される寸前まで痛めつけられ、内臓を抉りだされ、皮膚を剥がれ、炎で炙られ、翼の羽をむしられ、そのたびに僕は治癒魔術で再生させられた。

 それをまだ若い彼が体験するかと思うと、僕は壊れていない少しの心が痛んだ気がした。


「…………助けてあげて」


 かすれた声でリサにそう懇願すると、リサは先ほどまでの歓喜の表情が急に曇る。


「……どうして?」


 リサの声色が急に変わった。

 まるで怒っているような声だった。


「あたしに対しては全然興味なさそうなのに、あんな吸血鬼のことが気になるの!?」


 ガシャン!


 檻の格子をねじ切らんばかりの力で掴み、僕に対してまくし立てる。

 急な豹変ぶりに僕は恐怖すら感じた。


「許さないわ。あんなものに心を砕くなんて!」


 リサは怒った様子で僕の檻から離れていった。

 僕は一時的に訪れたその安堵に包まれ、冷たい床に横たわり眠ろうとした。子供ができるなんて言われても、何もピンとこないが大きな実験なのだろう。

 しかし、どうしてあんなにリサは嫌がっていたのだろうか。

 そんなことを考えていた矢先、すさまじい叫び声で僕は目を覚ました。

 女の声ではない。

 男の声だ。


 ――さっきの吸血鬼の……?


 僕は鎖に動きを制限されながらもジャラジャラと前へ進もうとした。

 その最中、またすさまじい叫び声と魔女たちの声が聞こえた。


「リサ! それは実験に使うのよ! やめなさい!」

「うるさい! あたしに指図しないで!」


 その言葉で、僕は自分のせいで彼が酷い目になっていると解った。

 力を使うのは拘束魔術で抑えられている。

 僕は身が千切れるような痛みを感じたが拘束魔術を破壊した。僕の身体に巻いている鎖も、拘束衣もボロボロと僕から零れ落ちた。

 ほぼ裸同然になってしまったが、それに構っている場合ではなく僕は叫び声のする方へ走り、その光景を目に焼き付けた。

 そこに見えたのは大量の血だった。

 吸血鬼族の身体からとめどなく血が溢れだし、辺り一帯が血の海になってしまっている。

 それを見た僕はざわざわと自分の胸の中にどす黒い感情が巣食ったのを感じた。

 ゆっくりとその吸血鬼に歩いて寄って行く僕に気づいた魔女は、僕を見るなり恐怖に叫び声を上げた。


「きゃあああああああ! ノエルがッ……!!」


 気づいていなかった魔女たちも一斉に僕の方を見る。

 その表情はどれもこれも恐怖に歪んでいた。

 僕はそのとき思い出した。

 母さんや父さんが殺された血の海、育ててくれた翼人が殺されたときの血の海。

 そこで僕の恐怖感や酷い憎悪を思い出す。


「なにやってんのよ! 早く拘束して! できなければ殺しなさい!」


 誰かがそう叫ぶと全員が魔術式を構築した。

 あらゆる魔術が僕を目掛けて飛んでくるが、僕はそれを一なぎで一掃した。その衝撃で魔術と魔女と同じく屋根までもが一瞬で破壊され、吹き飛び、崩壊する。

 すさまじい音が城中に響き渡っただろう。


「うぅ……」


 僕が近寄ると吸血鬼はまだ生きていた。


「……――――して……」

「……」

「……ろ…………て…………」

「………………」


 血まみれの吸血鬼は、僕に消えそうな声でそう求めてくる。


「た……の…………む…………」


 涙がにじんで視界が歪んだ。

 僕が首を横に振って嫌だと意思を伝えると、吸血鬼も涙を流す。美しい青い瞳をしており、そこからあふれる涙がやけに美しく見えた。


「ノエルゥウウウウ!! あたしを差し置いてどうしてそんなヤツ気にするのよ!」


 先ほどの衝撃を耐えきったリサとロゼッタが残っていたようだ。

 吹き曝しになってしまった為、外の風が土煙を払い二人の姿を明確に映し出した。

 嫉妬心をむき出しにして僕にそう怒鳴っているリサの表情は、服に似つかわしくないまるで童話に出てくる鬼のような表情であった。

 リサが手に持っていた鞭を僕と後ろの吸血鬼に向けて振るう。


 バチン!!!


 まるで抉られるような痛みが僕の左肩に走った。

 あまりの痛みに僕はそのままうずくまって、打たれた肩を押さえた。触れるとぬるりとした感触がして、出血しているということを理解する。


「ノエル、どうして解ってくれないの? あたしはあなたを愛しているの。あなたを救えるのはあたしだけなのよ!?」


 バチン! バチンバチン!!


 音がするのと同時に身体中、先ほどの抉られる痛みが身体に走る。

 痛みで魔術式の構築に集中できない。

 暫くして鞭の猛攻が収まると、僕はいつも通り血まみれになっていた。僕の身体中にできた傷から血液が滲み、服もボロボロに裂けてしまっている。


「はぁ……はぁ……」


 リサが息を切らしている中、ロゼッタが僕の方にゆっくりと近づいてきた。

 僕を拘束する為だろうか、それとも後ろの吸血鬼の生死を確認する為だろうか。痛みに耐え続ける思考の裏側で冷静に僕はそう考える。


 ――もうだめだ。痛い……


 自分の身体を抱きしめてうずくまって恐怖や痛みに耐えようと、心を再び閉ざそうとした。


 ――こんな現実、なくなってしまえばいいのに……


 そう考えている矢先、ロゼッタが僕の真隣に立った。

 それすらも心を閉ざそうとしている僕にはどうでもいいことだった。


 しかし――――


 シャッ……!


「……きゃっ!?」


 何か空気を切るような音と、ロゼッタの悲鳴が聞こえて僕は顔をあげた。

 すると後ろで死にかけていた吸血鬼が鋭い爪でロゼッタの腕をひっかいたようだった。


「……………僕に……触る……な…………はぁ……はぁ……」


 吸血鬼はゼイゼイと息を切らしながらも、なんとか立ち上がって魔女と向かい合う。

 その様子をみて僕は戸惑った。


 ――どうしてこんな状況で立ち向かおうとするの……?


「死にぞこないの吸血鬼が!!」


 ロゼッタが水の魔術式を組み、それを吸血鬼に向けて放つ。

 水の刃が吸血鬼の首を落とすかと思われたが、それは叶わなかった。


「……?」


 僕が咄嗟にその水の刃を風の刃で弾き飛ばした。吸血鬼は僕の方を不思議そうな顔で見てくる。

 自分の隠している翼を解放すると、その白い三枚の翼は光を反射して輝いた。


「!」


 それをみた吸血鬼は驚いた表情をする。

 背を向けていたから僕はその様子は解らなかった。

 炎の魔術式で、辺り一帯を一掃しようと両手をリサとロゼッタに向ける。

 リサは悔しそうな表情を見せたが、背を向けて逃げ出した。

 ロゼッタは水の盾を構築し、防御体制に入る。

 僕が炎を撃つと、ロゼッタの水の防御壁はたちどころに蒸発し、ロゼッタは炎に包まれた。


「きゃぁあああっ!!」


 ふり返って吸血鬼の方を向くと、改めて見てもやはり酷い怪我でもう助からないことは明白だった。


「……ごめん……」

「はぁ……はぁ……たの……みがあ……る……」


 傷口を押さえて僕に何か頼みをしようとしている彼に、僕は近づいて耳を彼の口に近づけた。


「なに……?」

「僕……の兄弟…………を…………たすけ――――」


 目の前が赤くなり、ゴトリとその吸血鬼の頭が床に転がった。


 思考が停止する。


 青い瞳は開いたまま、金色の艶のある髪がみるみる血で赤く染まって行く。


「……あんたも……殺してやるわ……」


 ロゼッタの声がした。

 彼女は酷い火傷を右手に負いながらもほぼ無事であった。

 僕は振り返ることができなかった。その吸血鬼の落ちた首をみて、僕は自分が何をされてきたのかが脳裏によよみがえる。

 その理不尽に激しい怒りがとめどなく湧いてくる。

 それは自分でも抑えきれないものになり、自分の意思とは関係なく大きな魔術式を構築した。


「ロゼッタ! 逃げなさい!」


 かけつけたフルーレティは拘束魔術をすぐさま展開する。

 僕の身体はギリギリと締め付けられ、酷い苦痛が僕を襲い掛かる。

 それでも魔術式はなくならない。

 僕は首がむしりとられるのではないかという痛みを無視して、僕は後ろにいたロゼッタを振り返って見た。

 僕の目じりに頭から垂れてきた血液が伝い、まるで血の涙を流しているように見えただろう。

 そして魔術式は暴走した。

 その暴走した魔術式はロゼッタの顔半分をかすめる。


「ぎゃあっ!!?」


 黒い炎がロゼッタの顔を焼いたのが見えた。

 転げまわっているロゼッタの姿を最後に、僕は気を失った。




 ◆◆◆




【数日後】


「ロゼッタ様……お部屋からでてきませんね」

「仕方ないわよ……あんな酷いお顔になられて……美しいお顔でしたのに」


 そう下位の魔女が声を潜めて話している中、ロゼッタは自分の部屋に閉じこもって出てこようとしなかった。

 ロゼッタは何度も何度も鏡の前を行き来していた。いくつもいくつも部屋にあった鏡はどれもこれもが叩き割られている。

 それでもロゼッタは汗をびっしょりとかきながら、時間を置いて鏡の破片を覗き込んだ。

 何度見てもそこには顔の半分は醜く爛れてしまっている自分の顔があった。


「嘘よ!!」


 ガシャン!!


 半ば閉じ込められているシャーロットは狼狽し、なんと声をかけていいか解らなくなっていた。


「シャーロット! どうして元に戻らないの!? 手を抜いてるんじゃないでしょうね!?」

「ロゼッタ……それは、戻らないです……呪いが強すぎて……」


 申し訳なさそうにそう言うシャーロットに、ロゼッタは掴みかかって鏡の破片が散らばる床に組み伏せた。


「ふざけないで! 治す方法を教えなさい!!」

「無理です……ゲルダ様の身体の爛れも……治せないものですから……」

「嘘よ!!」


 ガシャン!!


 ロゼッタは素手で床の上に散らばる鏡の破片を乱暴に弾き飛ばした。

 指に傷がつき、そこから赤い血液がドロドロと流れ出す。


「嘘よ……」


 血まみれの手で爛れた顔を覆い隠し、泣き始めるロゼッタにシャーロットはかける言葉を失っていた。

 永遠に消えない呪いが彼女の顔に焼き付いた。

 ロゼッタはノエルを心の底から怨み、何度も殺そうとしたがそのたびにゲルダに阻まれる日々が続いた。


 手に負えないロゼッタに手を焼き、やがてロゼッタには内緒で別の魔女の町にノエルは移動させられることになる。

 その町の魔女が実験に使いたいとの希望を、ゲルダは許したからだ。

 それをロゼッタに知らされることは永遠になかった。


 ロゼッタが知ったのは、ノエルの所在が解らなくなった後だった。




 ◆◆◆




【現在】


「ロゼッタ……気を付けて。私の腕を一瞬で吹っ飛ばしたんだから」

「解っているわ……許さない。絶対に殺すわ」


 片目を髪の毛で隠している魔女が、僕の方を見て不敵な笑みを浮かべているのが見えた。

 隣には町で見た地味な魔女がいた。腕は吹き飛ばしたはずだったが、完全に元通りになっている。シャーロットが治したのだろうか。

 しかしそんなことは僕にはどうでもよかった。

 とにかくご主人様を探した。

 町の人たちは捕虜となって跪かされている。その中に、ご主人様がいないかどうか僕は目を凝らす。


「無視してんじゃないわよ!!」


 水の弾丸が飛んできた。僕は咄嗟にそれを魔術壁で防御する。


「ちっ……こざかしいわね」


 町の人たちは僕が魔術壁をはったことでざわめき始める。


「おい、今……魔術を使わなかったか?」

「魔族を連れているわ……!」

「あいつ魔女だったのか!?」

「前からおかしい奴だとは思っていたが魔女だったとは……」


 ガーネットと話していて、受け入れてくれる存在もいると少しの夢を見られたのだろうが、現実はこうだ。

 僕を見る彼ら目はまるで蔑んでいるようにも、怯えているようにも、怒っているようにも見えた。


「なーに? あんた魔女だって隠して暮らしていた訳!? あははははは笑っちゃう!! この穢れた血のバケモノが! 人間と混じって仲良く暮らしてたっての!!? あははははははは!!! きゃははははははははは!!!!」


 ロゼッタと呼ばれた魔女は僕のことを指さして笑った。

 お腹を抱えてあざけるように。


「何故ここが解ったの……」

「間抜けな魔女ね。追跡魔術を魔族にかけられているとも気づかずに」


 僕は振り返り、ガーネットのローブの端の方に意識を集中した。するとうっすらと解らない程度に弱い魔術式が組まれているのを見つけ、その魔術式をすぐさま僕は破壊した。


「……こんなマネして……こざかしいのはお前らの方だ……」

「魔女からも疎まれているあんたが人間としてうまく生きられるわけないのよ! あんたが守ってきたこの町全部壊してやるわ! 殺してやるわ!! あははははは」


 僕がずっと守ってきた町。

 ご主人様が暮らす町。

 僕が初めてご主人様と会った町……――――


「やめて……やめてよ……」


 もうおしまいだ。

 僕が魔女だとバレてしまった。ご主人様にもばれてしまう。

 もう二度と僕に笑いかけてくれない。

 もう二度と僕に触れてくれない。

 そう考える度、僕は頭が痛くなった。


「聞くな、正気を保て!」

「そうだよ、ノエル! ノエルはノエルなんだから!」


 ガーネットとレインの声がするが、言葉が頭の中で処理できない。

 魔女を見る目だ。

 目だ。

 怯えた目。

 さげすむ目。


 ――ずっとずっと隠していたのに……やはり僕は人間としては生きられないんだ……


「あんたみたいなオカシイのが普通の生活できると思ってんじゃないわよ!!」


「そんなことはない」


 ――え……


 声のする方を見たら、ガネルさんが立ち上がって魔女に向かって反論していた。足が震えているのか、いつもよりも力なく見えた。

 それでも懸命にロゼッタに向かって話をしようとする。


「その子はとてもいい子だ。いつも一生懸命で――――……」


 パァン!!!


 あまりにも一瞬のできごとで、僕はただ成す術もなく立ちすくしていた。

 ガネルさんの頭が吹き飛び、身体がそのまま崩れ落ちて血しぶきを上げる。


「家畜があたしたち魔女に気安く口答えしてんじゃないわよ」

「きゃぁああああ!!」

「ガネルさん!!」

「なんてこと……もう終わりだ……!」


 騒々しいざわめきも、僕には聞こえなかった。

 時間が止まったように静かに感じた。

 僕に赤い果実をくれたガネルさんの優しい笑顔が思い出される。



 ――もう一つ持って行っていいよ。けがを早く直さないとね――



 涙が溢れた事を自覚する間すらなかった。

 僕は魔術式を解き、翼を広げた。


 ――やっぱり魔女なんて……


 激しい後悔の念に弾かれるように、僕は怒りを爆発させる。


 ――全員死ねばいいんだ……!


「ガーネット……下がっていて」

「おい……この人数を相手にするのか?」


 関係ない。

 許さない。

 もう魔女だってばれても何でもいい。


 ――全員殺してやる!!


 ご主人様の顔が記憶の中でちらついた。

 一緒に歩いた町並み、一緒に帰った思い出。


 もう終わりだ。


 その諦めが僕に迷いを捨てさせる。


「やる気じゃないの!? ノエルゥウウウウウウウウ!!!!」


 魔術が次々と飛んでくる。水、炎、雷、植物、風や、そのほかのものも全部。

 でも僕には関係ない。

 僕が構築した魔術式は重力の魔術式。

 僕の前に全てがひれ伏した。僕に届かずに何もかもが地面に押さえつけられる。


「あはははははは!! いつまで耐えられるかしら!?」


 ロゼッタは水の魔術を何度も何度も僕に間髪入れずに打ち込んできた。

 狙いはでたらめだった。

 しかし一発一発確実に威力が高く町の建物は軒並み壊れていく。

 後ろにいるガーネットとレインを庇いながら、僕は魔術を行使し続けた。


「レイン……ガーネット、ご主人様を探してきて。お願い」

「こんなときに何を言っている!?」

「こんなときだからこそだよ。あの町の人たちの中にはいないみたいだから。でないと気が散って戦えない……それに2人を守ってあげられる保証がない。ここから離れてご主人様を探してきて。お願い」


 僕は魔女の猛攻を防ぎながら、2人の方を向いてお願いした。


「……お前は本当にあの男のことばかりだな」


 レインとガーネットはそう言って僕の背面に向かって走り出した。


「ロゼッタ……許さない。2回も僕の目の前で殺した……! 僕を怒らせたらどうなるのか、また身体に教えてやる……簡単には殺さないからな……!」


 僕は一度に複数の魔術式を構築した。氷と風の魔術式。


「まずいっ……」


 ロゼッタがそう言ったのが見えた。


 でももう遅い。


「えっ……」


 その中心にいた魔女たちはロゼッタを残してほぼ全員首が飛んだ。

 ロゼッタの隣にいた魔女はそれを植物で防いだ。

 首が撥ね飛ばされた魔女たちの身体から血しぶきが上がる。それと同時に町の人たちの悲鳴が聞こえた。


「きゃぁああああああああっ!!」


 僕はゆっくりとロゼッタの方に近づく。


「ロゼッタ……ノエルを挑発しないで」

「エマは黙っていてよ。やっぱりバケモノね。あんた……あたしの目を奪って顔に醜い呪印を残したのを覚えているかしら?」


 ロゼッタは自分の顔の左側にかかっている髪の毛を手でどかして僕にその目を見せた。

 眼は義眼と思しきものが入っており、そして顔に醜い爛れが残っている。


「……これをされたときからずっとあんたを殺したかった……あんたのせいであたしの人生滅茶苦茶なのよ!!!」


 ロゼッタが僕に向かって水の魔術式を構築して何発も水砲を撃ってくる。

 僕がそれを弾くたびに周りの建物に反射して崩れた。ものすごい魔力と憎しみだった。さすがに罪名を与えられている魔女は格が違う。

 僕は地味な魔女……――――エマの腕を吹き飛ばしたときと同じように雷の魔術式でロゼッタの腕を吹き飛ばした。


 バチッ!!


 という爆音が響き、ロゼッタの腕は黒く焼けた。


「あぁああああああぁぁああああああぁっ!!」

「ロゼッタ!」


 エマがロゼッタに駆け寄ろうとするが、それを僕は大気を操りエマを吹き飛ばして阻止する。30メートルほど飛ばされ、壁に強く背中を打ち付け、そのまま動かなくなった。

 そして僕はロゼッタのところまで行って尋問した。


「上位魔女はお前とそこでのびているのだけ? 他には誰が来ているの?」


 その声は自分でも驚くほど冷たい声をしていた。

 ロゼッタは返事をしなかった。もう虫の息といわんばかりだったが僕は水の魔術式を構築し、ロゼッタに向けて水を強く叩きつけた。


「起きろ!」

「がはぁ……はぁっ……あんたなんかに…………教えるわけないでしょ?」


 ロゼッタは息も絶え絶えなのに、嫌味な笑顔で僕を嘲った。

 彼女の法衣には罪名が刺繍ししゅうされている。


「罪名は……憤怒? ……怒ってるのはこっちだよ」


 何度も僕はロゼッタの顔や体に何度も水の弾を打ち込んだ。

 その度に彼女の身体の骨はミシミシときしんで、折れる寸前まで水の圧力で叩き伏した。

 もう周りの状況なんて解らない。

 町の人が恐れおののいていようが、悲鳴が聞こえようが、何も僕は解らなかった。

 ただ目の前にいるロゼッタに魔術を打ち込むことしか考えられなかった。

 ひとしきり水を打ち付け終わってぐったりしているロゼッタにもう一度質問する。


「答えなよ」

「……嫌よ……」


 僕は自分の感情を抑えられなかった。


「じゃあ死んでいいよ」


 魔術式を構築した。

 その魔術式は今まで構築したもののどれよりもまがまがしく、狂気に満ちていた。


 ――楽には死なせない……苦しみながら死ねばいい――――――


「お前……?」


 僕がロゼッタを殺そうとしたとき、後ろから声が聞こえてきた。

 聞き覚えのある、なつかしさすら感じる声。


 僕は振り返りたくなかった。

 それがご主人様の声だって解っていたから。


 こんな風に魔女を無残に殺せる僕を……――――


 見ないで。



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