第16話 許容と断罪




 もう時間の感覚がない。

 何時間そうしているのか、太陽の傾きで時間は解るが、そんなことを把握する気持ちには到底なれなかった。

 どれだけ涙を流したら、この涙は収まってくれるのだろう。

 頭も痛いし、視界は霞んでいる。

 喉も痛い。

 まともに考えられない。


 ――もう顔も見たくない!


 その言葉が僕の中で反響して離れてくれない。

 愛している人にそんなことを言われたら、傷ついて当たり前だ。

 命がけで魔女を探しに出たのに、僕はご主人様のこと本気で愛しているからこそ、捜しに行ったのに。

 少し顧みられなかったくらいで、僕はご主人様に酷いことを言ってしまった。

 嫌われて当然だ。

 当然だと、解ってはいたけど……それでも涙は止まらなかった。


「おい、いつまで泣いているつもりだ」


 僕は膝を抱えて下を向いたままだった。

 振り返る気力もなかった。


「はぁ……これだから子供は」

「…………」


 反論する気にもならない。

 僕は子供だ。

 こうしてうずくまっていればご主人様が来てくれるかもしれないなんて考えていた。

「言い過ぎた」「ごめんな」「一緒に帰ろう」「旅の話を聞かせてくれよ」「一緒に食事しよう」

 そんな言葉を僕は期待していた。


「どうするんだ」

「……考えてる」

「いつ答えが出るんだ?」


 いつもよりもガーネットの言葉には棘は見当たらなかった。

 きっと彼なりに慰めてくれているんだろう。

 呆れているだけかもしれないが。


「お前がしっかりしないと、私が魔女に復讐できないだろうが」

「……ごめん」

「ふん、別に時間は沢山ある。私とお前は契約を交わしたんだからな」


 僕の隣に腰を下ろし、ガーネットは僕が見ている先と同じ方向を見つめた。別に目新しい物など何もない、木々が生い茂っているだけだ。

 僕とガーネットはこれから長い間ずっと一緒だ。

 ガーネットが魔女に復讐し終わるまでずっと。いや、それ以上にもっと先まで。どちらかが死ぬまでずっと。

 それは人間の寿命よりもずっとずっと長い。


 僕がずっと返事もせずに黙っていると


「……お前は…………」


 ガーネットの方が長い沈黙に耐えかねたのか、その沈黙をさいて語り掛けてきた。


「あれだけの魔力を持っていながら、こんな小さい町で人間のフリをして暮らしている。愚かとしか言いようがない。正気の沙汰とは思えないな」


 また同じようにガーネットは僕に嫌味を言い始めた。

 慰めるのが下手にもほどがあるだろう。

 その棘のないなじる言葉に、僕もようやく重い口を開いた。


「ガーネットは……僕のこと殺したい? 契約をしていなかったら殺してる?」

「…………私ではお前を殺せないだろう」


 情けなさそうに、ガーネットは自分の手を爪でカリカリとひっかきながらそう言った。


「そうじゃなくて、殺したいか、殺したくないかだよ。僕はガーネットの大嫌いな魔女なんだから……殺したいだろうと思って……さ」


 今の僕にはなにもない。

 こうして隣にいて、解り合いたいと思っている相手にまで拒絶されるなら、本当に僕は生まれてこなかったら良かったのだろう。

 そう思って諦めよう。

 僕がガーネットに期待している言葉を待っていると、彼は少しの沈黙の後に答えた。


「別にお前は……殺したいとは思わない」


 そう言われたとき、耳を疑った。

 あれほど僕のことを軽蔑した目で見ていた彼を知っているからだ。それに別に仲良くなるようなできごともなかった。


「……どうして?」


 その疑問を呈さずにはいられない。


「お前は、やはり他の魔女とは違うと解った。魔女は憎いが、お前はお前だ。私と出逢ったときを覚えているだろう? お前は、手負いの私を殺すことなど容易かったはずだ。他の魔族など、瞬きをする間にちりにできた。なのにお前はそうしなかった。そうした方が、お前にとっては圧倒的に都合が良かったにも関わらずだ」


 僕はガーネットが話すその言葉を黙って聞いていた。

 ガーネットの赤い眼は隠れていて見えないが、金色の髪がフードから風になびくたびに髪の毛の間からときおり見えた。その目はまっすぐ前を向いていた。

 日陰とはいえ、昼間は吸血鬼にとってはツライはずだ。肌をしっかりとローブで隠している。


「契約というものがどういうものか、私は詳しくは解らない。しかし、あれほどの力があるお前にとって利点はないはずだ。私が傷つけばお前も傷つく。あの男の魔女と闘ったときにお前の腕も怪我をしただろう」

「防御壁が間に合わなかった。ごめん」

「……お前、正気か? あんなもの、避けられなかった私の落ち度だ。お前が謝ることじゃない。私はお前に守ってもらってばかりだが、私も異界では吸血鬼族の中でも屈指の男だ。……それでもお前の方が強いのは事実」


 そんな風に考えてくれているなんて、僕は知らなかった。

 そんなふうに素直に僕のことを褒めることがあるなんて。と、耳を疑った。


「つまり……私と契約しても、お前になんら利点はないのに、お前は私を助ける為に契約した。私は…………死にたくなかった。今となっては………………」


 黙ってしまったガーネットの顔を覗き込むように僕は見た。

 ガーネットは僕の目と目が合うと、気まずそうに逸らす。


「感謝……している」


 何一つ自信がなかった僕に、その言葉が溶けていった。

 自分の存在を肯定された気がした。今までずっと虐げられ続けてきた僕に、こうやって感謝してくれたことが嬉しかった。

 目頭がまた熱くなる。


 ――……こんな僕も生きていていいのかな…?


 そう思うと、僕の渇いた心が優しさで満たされていくような気がした。


「お前はそういうところが甘い上に、正気じゃないのだ」


 照れ隠しなのか、僕にそう言う。いつもより棘のない言葉だ。

 ガーネットの言葉をただ聞いていた。

 ガーネットなりに優しくしてくれているのは、きっと僕にしかわからないだろう。


「以前、翼人がいなくなって異界はどうなったかと私に聞いたな」


 随分前に聞いたことを、僕自身忘れてしまっていた。

 以前も家に帰れなかったときにガーネットにそう聞いたのを思い出す。


「翼人が魔女にことごとく殺され、異界は力関係が崩れた。異界では各種族がそれぞれを牽制けんせいし、翼人、龍族、吸血鬼族が異界を仕切っていた。しかし、翼人が消えた後に龍族と吸血鬼族は争いを始めたのだ。他の魔族も自分たちが上になるために争い始めた。それが、私の最後の異界の記憶だ」


 そういえば、ガーネットは魔女に召喚されてこちらにきたんだ。

 直近の異界の様子はガーネットには解らないだろう。


「…………ガーネットは、いつからこっちにいるの?」

「……憶えていない。かなり前だ。魔女にこちらに強制的に召喚されてから、耐えがたい毎日だった……時間の感覚など崩壊していた」

「僕も……魔女に捕まってからずっと……時間が止まってるかと思った。家族を殺されて、育ててくれた翼人も殺されて……ひたすら実験台にされて…………つらいとか、苦しいとか、痛いとか……そんな気持ちすら失くしてた。生きてるのか死んでるのかすら解らなくなってた」

「それで? あの人間と会ったのか?」

「……うん。この町に僕が移送された後、ここの魔女と人間が争いだした。というよりは……人間の奇襲があった。そのとき、ご主人様が助けてくれた」

「人間の力など借りずとも、お前は本当は自力で逃げることもできたんじゃないか?」

「そうだね……抜け出そうなんて考えもしなかったけど……できたかもしれない」

「そんなものは『助けられた』などとは言わないだろう」

「えーと……魔女から助けられたというか……僕自身を救ってくれたというか……」


 僕はどうガーネットに説明していいか解らない。

 もごもごと僕はあれこれ考えていたが、結局上手い説明は出てこなかった。


「……お前は魔女が憎くないのか?」

「嫌いだけど……別に関わりたくはないし、どうこうしようって気持ちはないよ」

「そこが理解できない。何故憎しみがないんだ?」

「何故って……言われても……」


 嫌な思い出は極力思い出さないようにしている。

 それに憎んでも、殺しても、僕の大切な家族は戻ってこない。

 憎み続けるだけ苦しいだけだ。


「お前には誇りはないのか? 自分をズタズタにした魔女を、どうして憎まずにいられる?」

「そうだな……僕が憎いと思う感情以上に、彼女たちは僕を憎んでる。記憶はないけど、暴走したときに何人も殺した。それに、今は僕には大切な人がいる。それを守るのが今の僕にできることだ。誇りよりも大切なことだと思う」

「正気か? 全く理解できない」


 ガーネットは今を懸命に生きている。

 僕のように誰かの為にとか、何かの為にとかっていう生き方ではない。生き方そのものが違うのだから、理解するのは難しいだろう。


「……ねぇ『好き』ってどういうことか解った?」

「……いや、解らない」

「いつか、きっと解るよ」


 ガーネットは僕の事きっと好きなんだよ。だって心配してくれるじゃないか。


 そう言おうとした瞬間、町の方で大きな爆発音が聞こえて水柱があがったのが見えた。


「何!?」


 僕は慌てて立ち上がって走り出した。ガーネットもそれに続いて走る。


「なんだ!? 魔女か!?」


 確実にはずだ……だって気配も感じなかったんだから。

 僕はご主人様が心配で全速力で走った。




 ◆◆◆




【魔女の街】


 ゲルダは大きな天蓋付きのベッドに横たわっていた。

 身体の痛々しい爛れと、不釣り合いな背中の翼がビクビクと痙攣けいれんしている。

 付け根はグロテスクにゲルダの皮膚を侵食し、突き刺さるように生えている。


「あぁああ……あぁっ……!」


 翼が脈打つたびにゲルダには激痛が走り、言葉にならないうめき声が漏れる。

 痛みでゲルダは動けない。

 しかし、制御の利かない彼女は四方八方魔術式を構築し、それを放って暴走していた。

 部屋には再生の術式が構築されており、たちどころに再生した。

 再生と破壊を繰り返し続ける。


「はぁ……はぁ……ッ!」


 爪でベッドのシーツを掴み、それを引きちぎった。

 握った拳に自信の爪が突き刺さり、出血したがすぐにその傷は塞がった。

 やっとその発作が落ち着いたころ、ゲルダは苦しみから解き放たれて少しばかり夢の世界に落ちていった。




【100年前】


「きたねぇんだよ! このブス!」


 少年たちの一人はボサボサの黒い髪の少女を突き飛ばした。

 ボロボロの服を着ている少女は、倒れるときに服を飛び出ている釘にひっかけてしまい、ビリビリと服が無残に破けてしまった。

 ゲルダは少年を見る事さえできず、おどおどと怯え、泣いていた。


「おいブス、みっともねぇところ見せんなよ! 貧乏なくせに!」

「うっ……わぁあああぁ……ぁああぁあ……」

「泣くなよブス!」


 次々と罵声を浴びせて少女を足蹴にし、少女がもっていたつぎはぎだらけの人形を引きちぎった。

 中から少量の綿が飛び出してしまう。

 それを見ると少年たちは指をさしてゲラゲラと笑った。少女の履いていた粗末な靴を取り上げて裸足にしてしまう。

 泣き続けている少女を見て満足したら少年たちは飽きたようで、千切れた人形だけをその辺りに捨てて走って消えてしまった。

 彼女の靴は少年たちが持って行ってしまったようだ。


「うっ……うぅ……ッ……」


 泣きながら少女は立ち上がり、歩き出した。

 服の破れた部分を懸命に片手で押さえながら、もう片方の手でちぎれた人形を持って。


 誰も少女を気にかけなかった。

 泣きながら歩いている少女を時折笑いながら指をさして笑った。

 冷たい街だ。

 靴を履いていない少女は、足の裏を傷だらけにして歩いていた。傷がついていることは解っていたが、それよりも少女がツライと感じていたのは凍てつくような寒さと冷たさだ。


 足の感覚がもうない。

 皮膚が赤くなって霜焼けになっている。

 泣きながらやっとの思いで家に帰ると、母親が料理を作っている後姿が見えた。

 母親もみすぼらしい恰好をしている。

 扉が開く音に気付いて、少女の母親は少女の方をチラリと振り返った。


「おかえりなさ……ゲルダ!? どうしたの!?」


 持っていた包丁を投げ出して、慌てて少女に駆け寄った。

 ゲルダと呼ばれた少女は泣き腫らした目を懸命にこすりながら、首を横に振った。


「酷いわ……服が破れてる……それに人形も……靴がないわ。まさか靴もなしにここまで歩いてきたの?」


 母親のその質問攻めに、再び少女は泣き出した。

 母は黙って少女を抱きしめ、涙を浮かべた。


 その頃は、魔女にとって地獄でしかなかった。

 魔女と解れば拷問され、否応なしに殺される。

 火あぶりにされて、魔女なら死なないはずだとかいう暴論を人間は残酷に執行した。魔女は人間に怯えてビクビク暮らしていた。


「なんだこのマズイ飯は!?」


 パン!


 母をはたく義父をいつもゲルダは見て怯えていた。


「ごめんなさい、そのくらいしか作れなくて……」

「俺の稼ぎじゃ暮らせないってのか!?」


 義父からの暴力は、母を打ち付ける嵐のように打ちのめした。

 その暴力はゲルダにも及んだ。

 助けを求める声を出すことすら許されなかった。

 母親は自分を庇ってくれなかった。

 ひたすらその嵐が過ぎるのを待つばかりだ。


 それでも母は決まってゲルダに泣きながらこう言う。


「いい? 魔術は人間の前で使ったらいけないの。今をこえれば、もっといい暮らしができるわ」


 その『もっといい暮らし』がいつくるのか、ゲルダにはいつも解らなかった。


 魔女だけの秘密の集会がこの頃開かれるようになった。

 人間の支配に疑問をもった魔女たちは、人間に反旗をひるがえすために準備を進めているらしい。

 しかし幼いゲルダには何もかもが恐怖でしかなかった。

 人間も、魔女も、母も誰も守ってくれない。

 希望のない毎日だった。

 毎日毎日、何のために生きてるのか、生きていることとはなんなのか、何故自分がこんなにもつらい思いをしなければならないのか。

 考えても答えの出てこない堂々巡りを繰り返す。人間に生まれても、魔女に生まれても、結局不幸なものは変わりない。


 そんなゲルダの唯一の心の支えは、同い年のルナという名前の幼い魔女。


「ゲルダ、酷い傷……どうしたの?」

「……人間にされた」

「酷いわ……こんなに……」

「いいの。慣れてるわ」

「そんなことに慣れたら駄目よ!」


 いつも励ましてくれる唯一のゲルダの友達だった。

 比較的裕福な家の魔女で、綺麗に着飾っていてゲルダとは正反対だ。

 明るい鮮やかな赤い髪を短く切ってまとめており、手入れが行き届いている。


「ごめんなさい、治癒魔術は使えないの……」

「知ってるわ。私は大丈夫。それに魔術は禁止されてるでしょう?」


 子供らしからぬ諦めがその言葉に混じっていた。

 ルナはそのゲルダの様子を見て涙を浮かべて泣きはじめてしまう。

 ゲルダはルナが泣いているのを見て、堪えきれずに泣き出してしまった。


 ――あぁ、いつまでこんな地獄が続くのだろう……


 ゲルダのその感嘆は、さらに深い闇へと彼女を誘っていく。


 冬が終わり、春が来ても生活は変わることがなかった。

 人間が何人も集まり、公開処刑をしている大広間がある。

 処刑台は首を固定する器具がついており、その器具の上には数十キロはあろうかという鋭い刃がついている。

 その刃を吊っている心許こころもとない紐を切ると刃が落ち、罪人の首も落ちるという仕組みだ。

 毎日毎日、誰かがここで処刑されている。

 それはどんな微罪な罪であってもだ。


「この者は大罪を犯した! 相手が婚姻していると知りながら相手と関係を持った! ふしだらな者には死を与える!!」


 大声でがなり散らしているのはこの街の最高執行官であり、同時に裁判官だ。

 顔の見えない兜をつけた傭兵が『罪人』を二人係で羽交い締めにして頭を打ち首台に押さえつけて拘束した。

 その『罪人』は若い女で、白いドレスを着ていたが、引きずられたのかその白いドレスはところどころ土色に汚れている。


「いやぁああああああっ!!! 殺さないで!! お願いよ!」


 泣きながらそう訴えている。当然だ、あと数分もしないうちに自分の頭と身体が分離してしまうのだから。


「助けて! ねぇ、離婚してあたしと一緒になってくれるって言ったじゃない!?」


 そう誰かを見つめて潰れた声で叫び散らす。

 女が見つめていた男は被っている帽子を深々とかぶり直し、視線を逸らした。

 まるで自分には関係のないようなそぶりの男を見て、打ち首台に拘束された女は声を失った。


 そうだ。

 最初からこうなると解っていた。

 誰しもが。


 唯一知らなかったのは打ち首台の女だけだ。


「色欲の罪の元、この者を打ち首とする!!!」


 ゲルダは刃を吊っている紐に向かって剣が振り下ろされた瞬間に目を背けた。

 歓声があがり、同時に笑い声も聞こえた。

 幼いゲルダには、それがどれ程の罪なのかわからなかった。

 あの女性は泣き叫びながら絶望し、そして首を落とされなければならないほどの悪いことをした『罪人』なのだろうか。

 そして、周りの人間がどうして嬉々として笑っているのかも理解できなかった。


「ねぇ、ゲルダ。どうして人間はあんなに同じ人間を殺すのかな……?」

「……『罪人』はもう彼らにとって同じ人間じゃないのよ」

「罪人? それは誰が決めるの?」

「あの最高裁判官でしょう?」

「どうして? ただの人間よ?」

「私にも解らない」


 喧騒のない街から外れた草原で、ルナは花を摘んでそれをかんむりにしてゲルダに被せた。

 ゲルダの顔にかかっている髪をそっとルナは分ける。いつもアザや傷だらけの顔だが、それでも元の顔は整っており、黒髪から覗く青い目は僅かな光を反射して輝くと宝石のようだった。


「似合ってる」


 いたずらっぽくルナがそう言うと、ゲルダはぎこちなく笑った。

 風がそよぐと摘んだ白い花の甘い香りが微かにしたような気がした。


「ルナ……私と、ずっと友達でいてね……?」

「もちろんよ」


 ゲルダはホッとしたように、安堵の笑顔をルナに向けた。

 ずっとこれが続けばいいと思った。

 永遠にルナと一緒にいたいとゲルダは強く願った。


 ある日、ゲルダは部屋の外で蜘蛛が巣をはっていつの間にか住み着いていたのを見つけた。

 その蜘蛛は何日も何日もそのままそこに居続けたが、餌はいつまでたってもかからないようで日に日に弱っていってるのがゲルダには解った。

 何日か経った後、不意に一匹の蝶がそこにかかり、蜘蛛はそれを食べようと懸命に糸を巻き付けているようだった。

 その様子をじっと見つめていると、一羽の鳥が現れてその蜘蛛をついばみ、あっという間に飛び去ってしまった。

 それを見たゲルダは気づく。

 この世は強い者が絶対だということを。魔女は本来、人間に媚びるべきじゃない。

 この世を支配するのは人間じゃない。


 魔女だと。




【現在】


 ゲルダが悪夢から覚めると、そこもまた悪夢であった。

 翼の付け根が焼けるように痛み、焼けるように痛んだと思ったら抉られるように痛み、痛みに耐え続けなければならなかった。

 はすでに、狂気に支配されていた。

 痛み止めなどは意味を成さず、唯一効果があるのはシャーロットの治癒魔術のみ。


「あぁああああっ……」


 翼はゲルダの意思とは関係なく、バサバサと羽ばたいた。その翼が動くたびにゲルダは突き刺されるような鋭い痛みでうめき声をあげる。


「もうすぐ……、完全な力が手に入る……もうすぐよ……」


 誰もいない部屋で、ゲルダはそう自分に言い聞かせた。



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