5 サトウキビの思い出 下
それから優子とナイは海奈がくれたお菓子とサトウキビを手にして店を後にした。
優子とナイが店を出た時、夕焼けは青を濃くしてほぼ黒に変わり月と星々が光り輝いていた
目立った街頭も無いため、ある灯りといえば月光くらいである。優子がポケットに突っ込んであった携帯を取り出して、時刻を確認すると午後八時を過ぎたくらいであった。
「てか、今からどうするのよ。もう真っ暗よ」
今一番の問題はそれである。
この辺りではビジネスホテルなんというものなどがあるわけないし、民泊も急に泊まれるかどうか、まずどこにあるのかもわからない。
優子がため息をつきながら言うと、ナイはこう言った。
「うーん、帰りたいなら来た時みたいにぱぱって帰れるけど」
「来た時って、また高いとこから飛び降りるの?」
優子がそう言うと、ナイは首を横に振った。
「いつもそうじゃないよ。ちょっとジャンプしただけでも行ける」
ナイはその場でぴょんぴょんと飛んでみせた。いつもということは、普段からこうして色んな場所を行ったり来たりしているのだろうか。確実に人間でないのは確かである。
「ますますよくわかんないわね、あんたの存在。けどまだ帰らなくていい、海奈に頼まれた写真撮らなきゃいけないし」
この時間帯じゃ暗すぎて携帯だけでは上手く撮れないだろう。ベストコンディションは明日ということは今の優子でもわかる。
夕飯のことに関しては財布は手元にあるのでどうにでもなった。二人は近くにあった居酒屋で軽いものを食べでとっとと店を後にした。
それから二人は道から浜辺に出て、海に沿って歩いていた。ここなら夜にフラフラしていてもさほど不自然にはならないだろう。
海に落ちた月光が揺らめき、静かな潮風がさざ波をつくっている。足音もコツコツというアスファルトを打ち付ける音から、砂を踏みしめるサクサクという音に変わっていた。
ナイはさっきもらったお菓子を食べていた。ラムネやせんべいも貰っていたはずなのに酢昆布とは渋いチョイスである。
「ところであんた、眠たくないの?子供ならとっくに寝てる時間だとは思うけど」
時刻はこの時点で既に九時を回っていた。けど、ナイはあくびひとつすらしていなかった。
ナイはしばらく首を傾げていたが、やがて納得したようにぽんと手を叩いた。
「あ、そっか。生き物って寝るんだ。…僕はとくに寝なくても平気だよ。なんなら食べなくてもいい」
「へぇ、便利」
優子は人間離れした回答が帰ってきても慣れてきて特に動じなくなってきた。ナイの正体は依然として謎のままだ。
「じゃあ、寝るとこ探さないとね。優子は寝るんでしょ?」
「いや、一晩くらいなら起きてられるけど…」
「だめだめ。体に悪い」
そう言って、ナイがすっと指を指した。
その先には浜にぽつんと立っている小屋があった。どうやらしばらく使われてない船小屋らしい。その証拠に、海にに向かって吹き抜けのように大きく開かれた入口や、中に木製の小舟が置かれていた。船もしばらく使われていないようであった。
優子は一通りぐるっと小屋を見渡した。
「たしかに、ここだと寝れるかも……けど、誰もこないわよね?」
「大丈夫、見張っててあげるよ。時間潰すのは得意だし」
そう言うと、ナイは船小屋の外に出ていった。
優子は小舟の中に身を滑らせ横になった。木製の板に直で寝ているようなものなので結構痛い。一応ジャケットを脱いで下に敷いてみたが、寝心地は良くはならなかった。
はたしてこんなので寝れるのかと、優子はそう思いながら目を瞑った。すると、疲れがいきなりどっと襲ってきて優子の意識を深い闇に引きずり込んで行った。
優子が次に目を覚ました時は、辺りは明るくなり始めていて、海辺を飛ぶカモメが遠くで鳴いていた。起き上がった時に体の節々が痛んだが、小舟から出て伸びをするとある程度ましになった。
優子が外に出ると、ナイが浜辺に座っているのが視界に入った。彼の周りにカモメが飛び交っていて、腕や頭の上に止まっていた。
「おはよう。寝れた?」
ナイがこちらを振り返ってにっこりと笑う。
優子が近づくと、カモメは驚いて一斉に飛び立ってしまった。カモメたちはクゥクゥと、二人の頭上を旋回している。
優子はナイの隣に腰掛けた。
「どうしたの?このカモメ。餌づけしちゃだめよ」
「餌はあげてないけどなんかきた」
ナイは体についた羽をはたいて落とした。そして、ナイは優子に残っていたサトウキビを渡し、二人で朝食代わりのサトウキビををかじった。
ふと、優子の視界にキラリと光るものが映った。そちらを見てみると地平線の底から太陽が現れていた。
それが高く登っていくにつれて、そこから光が漏れだし、空を、海を照らしていく。海の水がみるみるうちにぱっと明るくなり、波が龍の鱗のようにきらりと輝き、まだ明るくなりきる前の空によく映えた。
綺麗。
それだけで十分に伝わる。なにも飾る必要のないもの。それが優子が抱いたただひとつの感情であった。
優子は自分の目から涙が流れているのもナイに言われるまで気づかなかった。
「良かった、まだ心が腐ってなくて。こんなことで泣けるから」
「腐ってたんじゃなくて、ずっと抑えていたんじゃない?人間って素直なだけでは生きてけないし」
「……そうかもしれないね。止まんないもの」
ナイがハンカチを差し出してくれたが、優子は次から次に出てくる涙をシャツでの袖で拭った。
優子は、携帯を取り出していた。そして、迷うことなくカメラを起動させてシャッターを切った。ピッという電子音がして記録された写真が表示される。
本当に何も考えずに行った行動であった。この風景を切り取って自分の手元に残したい。久しぶりにこのような衝動に駆られた。
しかし、自分のこのタッチパネル式の携帯のカメラはなかなか画質が荒い。せっかくの目の前の自然の絵画もなんだか勿体なかった。どうせならもっとよく、この風景を切り取りたかった。
優子は家にあるしばらく使ってない学生時代からの愛用品のカメラを思い出した。
「写真撮ったの?」
ナイが横から顔を覗かせていた。優子はナイに写真を見せながら話した。
「そうよ、でも画質が悪い。こんなのじゃこの綺麗な風景が台無しよ。あーあ、家にあるカメラ持ってればね……」
「今度来る時は持ってこれば?」
「そうね。その方が絶対いいわ」
優子は立ち上がった。
「どうせなら海奈に見せる写真もそっちで撮りたいわね。自分の為にとるにも、人の為にとるにも綺麗に越したことはないし」
「撮ったら僕にも見せてくれる?」
「いいわよ。けど…急に現れて驚かすのだけはやめなさいよ?昨日のやつ、結構びっくりしたんだから」
優子がそう言うと、ナイはけたけたと笑った。
「大丈夫!こんどは優子の家探してそこに行くから」
「探すって、ストーカーみたいよ」
優子はサトウキビをかじりながら薄く微笑んだ。サトウキビの懐かしい匂いと朝の涼しい海風が二人を包み込んだ。
***
あちらの世界の体感ではどれほどたったころだろうか。UnknownRoomは相変わらず無機的なオブジェと色のついたモヤが無数に浮かんでいる。
ナイは真っ白な床に寝転びながら一冊の写真集を読んでいた。
今開けているページには一面に海が広がっている。まだ薄く黄色を残している青空からして朝方のものだろう。あの時と同じ船小屋も写っている。
そして、その後にはカラフルなアートを施して生まれ変わった商店街で働く人々の生き生きとした姿を移した写真がいくつか載せられていた。その中に海奈と思われる人物が子供を抱いて映っていた。弾けるような笑顔は変わっていない。
ナイはぱらぱらと残りのページをめくっていき一通り終わると写真集を閉じた。
その表紙には一面に広がるサトウキビ畑と大きな入道雲が共演した一枚が使われている。
それを邪魔しないようにレイアウトされたタイトルには「サトウキビの思い出」。
その下には「玉城 優子」と小さく書かれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます